源氏物語・紫式部(與謝野晶子訳)
※こちらは、青空文庫から「HTMLファイルのサイズが2MBを超えるまで」源氏物語の各章をがんばってコピペしました。
目次
桐壺
どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。
前生の縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子を早く御覧になりたい思召しから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子を宮中へお招きになった。小皇子はいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌にならぶことがおできにならぬため、それは皇家の長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子として非常に大事がっておいでになった。更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女と言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、始終おそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、またある時はお引き留めになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができずそのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生まれになって以後目に立って重々しくお扱いになったから、東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最もお若い時に入内した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。
住んでいる御殿は御所の中の東北の隅のような桐壺であった。幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊を通い路にして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが量んでいくのも道理と言わねばならない。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物の裾が一度でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壺の更衣の通り路をなくして辱しめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそう憐れを多くお加えになって、清涼殿に続いた後涼殿に住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮よりもまた深くなった。
第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌と聡明さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。その年の夏のことである。御息所――皇子女の生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、
「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」
と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛が行なわれるかもしれない、皇子にまで禍いを及ぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出するのであった。この上留めることは不可能であると帝は思召して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足りなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。
はなやかな顔だちの美人が非常に痩せてしまって、心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったが口へは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのを御覧になると帝は過去も未来も真暗になった気があそばすのであった。泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をあそばされても更衣はお返辞もできないのである。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、これはどうなることであろうという不安が大御心を襲うた。更衣が宮中から輦車で出てよい御許可の宣旨を役人へお下しになったりあそばされても、また病室へお帰りになると今行くということをお許しにならない。
「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家へ行ってしまうことはできないはずだ」
と、帝がお言いになると、そのお心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうにお顔を見て、
死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」
これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、まったく気力はなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召したが、今日から始めるはずの祈祷も高僧たちが承っていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思召しながらお帰しになった。
帝はお胸が悲しみでいっぱいになってお眠りになることが困難であった。帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、お使いは、
「夜半過ぎにお卒去になりました」
と言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。
更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、そのまま引きこもっておいでになった。その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、母の忌服中の皇子が、穢れのやかましい宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。皇子はどんな大事があったともお知りにならず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけを不思議にお思いになるふうであった。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。
どんなに惜しい人でも遺骸は遺骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕の野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。
「死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要があります」
と賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。
宮中からお使いが葬場へ来た。更衣に三位を贈られたのである。勅使がその宣命を読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御に相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことが帝には残り多く思召されて贈位を賜わったのである。こんなことででも後宮のある人々は反感を持った。同情のある人は故人の美しさ、性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると、今になって桐壺の更衣の真価を思い出していた。あまりにひどい御殊寵ぶりであったからその当時は嫉妬を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと見えた。時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。
愛人の死んだのちの日がたっていくにしたがってどうしようもない寂しさばかりを帝はお覚えになるのであって、女御、更衣を宿直に召されることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝夕であって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。
「死んでからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」
などと言って、右大臣の娘の弘徽殿の女御などは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお覚えになって、親しい女官や、御自身のお乳母などをその家へおつかわしになって若宮の様子を報告させておいでになった。
野分ふうに風が出て肌寒の覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負の命婦という人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜に詠む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。
命婦は故大納言家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那からもう言いようのない寂しさが味わわれた。未亡人の家であるが、一人娘のために住居の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人の無明の日が続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。
「娘を死なせました母親がよくも生きていられたものというように、運命がただ恨めしゅうございますのに、こうしたお使いが荒ら屋へおいでくださるとまたいっそう自分が恥ずかしくてなりません」
と言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣く。
「こちらへ上がりますと、またいっそうお気の毒になりまして、魂も消えるようでございますと、先日典侍は陛下へ申し上げていらっしゃいましたが、私のようなあさはかな人間でもほんとうに悲しさが身にしみます」
と言ってから、しばらくして命婦は帝の仰せを伝えた。
「当分夢ではないであろうかというようにばかり思われましたが、ようやく落ち着くとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目だたぬようにして時々御所へ来られてはどうですか。若宮を長く見ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにおいでなさい」
「こういうお言葉ですが、涙にむせ返っておいでになって、しかも人に弱さを見せまいと御遠慮をなさらないでもない御様子がお気の毒で、ただおおよそだけを承っただけでまいりました」
と言って、また帝のお言づてのほかの御消息を渡した。
「涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過分なかたじけない仰せを光明にいたしまして」
未亡人はお文を拝見するのであった。
などこまごまと書いておありになった。
という御歌もあったが、未亡人はわき出す涙が妨げて明らかには拝見することができなかった。
「長生きをするからこうした悲しい目にもあうのだと、それが世間の人の前に私をきまり悪くさせることなのでございますから、まして御所へ時々上がることなどは思いもよらぬことでございます。もったいない仰せを伺っているのですが、私が伺候いたしますことは今後も実行はできないでございましょう。若宮様は、やはり御父子の情というものが本能にありますものと見えて、御所へ早くおはいりになりたい御様子をお見せになりますから、私はごもっともだとおかわいそうに思っておりますということなどは、表向きの奏上でなしに何かのおついでに申し上げてくださいませ。良人も早く亡くしますし、娘も死なせてしまいましたような不幸ずくめの私が御いっしょにおりますことは、若宮のために縁起のよろしくないことと恐れ入っております」
などと言った。そのうち若宮ももうお寝みになった。
「またお目ざめになりますのをお待ちして、若宮にお目にかかりまして、くわしく御様子も陛下へ御報告したいのでございますが、使いの私の帰りますのをお待ちかねでもいらっしゃいますでしょうから、それではあまりおそくなるでございましょう」
と言って命婦は帰りを急いだ。
「子をなくしました母親の心の、悲しい暗さがせめて一部分でも晴れますほどの話をさせていただきたいのですから、公のお使いでなく、気楽なお気持ちでお休みがてらまたお立ち寄りください。以前はうれしいことでよくお使いにおいでくださいましたのでしたが、こんな悲しい勅使であなたをお迎えするとは何ということでしょう。返す返す運命が私に長生きさせるのが苦しゅうございます。故人のことを申せば、生まれました時から親たちに輝かしい未来の望みを持たせました子で、父の大納言はいよいよ危篤になりますまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことをぜひ実現させてくれ、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことをしてはならないと、何度も何度も遺言いたしましたが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思いながら、私にいたしましてはただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けまして、そのお光でみすぼらしさも隠していただいて、娘はお仕えしていたのでしょうが、皆さんの御嫉妬の積もっていくのが重荷になりまして、寿命で死んだとは思えませんような死に方をいたしましたのですから、陛下のあまりに深い御愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛から私は思いもいたします」
こんな話をまだ全部も言わないで未亡人は涙でむせ返ってしまったりしているうちにますます深更になった。
「それは陛下も仰せになります。自分の心でありながらあまりに穏やかでないほどの愛しようをしたのも前生の約束で長くはいっしょにおられぬ二人であることを意識せずに感じていたのだ。自分らは恨めしい因縁でつながれていたのだ、自分は即位してから、だれのためにも苦痛を与えるようなことはしなかったという自信を持っていたが、あの人によって負ってならぬ女の恨みを負い、ついには何よりもたいせつなものを失って、悲しみにくれて以前よりももっと愚劣な者になっているのを思うと、自分らの前生の約束はどんなものであったか知りたいとお話しになって湿っぽい御様子ばかりをお見せになっています」
どちらも話すことにきりがない。命婦は泣く泣く、
「もう非常に遅いようですから、復命は今晩のうちにいたしたいと存じますから」
と言って、帰る仕度をした。落ちぎわに近い月夜の空が澄み切った中を涼しい風が吹き、人の悲しみを促すような虫の声がするのであるから帰りにくい。
車に乗ろうとして命婦はこんな歌を口ずさんだ。
かえって御訪問が恨めしいと申し上げたいほどです」
と未亡人は女房に言わせた。意匠を凝らせた贈り物などする場合でなかったから、故人の形見ということにして、唐衣と裳の一揃えに、髪上げの用具のはいった箱を添えて贈った。
若い女房たちの更衣の死を悲しむのはむろんであるが、宮中住まいをしなれていて、寂しく物足らず思われることが多く、お優しい帝の御様子を思ったりして、若宮が早く御所へお帰りになるようにと促すのであるが、不幸な自分がごいっしょに上がっていることも、また世間に批難の材料を与えるようなものであろうし、またそれかといって若宮とお別れしている苦痛にも堪えきれる自信がないと未亡人は思うので、結局若宮の宮中入りは実行性に乏しかった。
御所へ帰った命婦は、まだ宵のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗皇帝と楊貴妃の恋を題材にした白楽天の長恨歌を、亭子院が絵にあそばして、伊勢や貫之に歌をお詠ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠んでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壺の更衣の上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。
「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」
とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。
「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」
などという仰せがあった。命婦は贈られた物を御前へ並べた。これが唐の幻術師が他界の楊貴妃に逢って得て来た玉の簪であったらと、帝はかいないこともお思いになった。
絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液の池の蓮花にも、未央宮の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。お二人の間はいつも、天に在っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風の音にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿の女御はもう久しく夜の御殿の宿直にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思召した。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けぎらいな性質の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。
月も落ちてしまった。
命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。
右近衛府の士官が宿直者の名を披露するのをもってすれば午前二時になったのであろう。人目をおはばかりになって御寝室へおはいりになってからも安眠を得たもうことはできなかった。
朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫の在った日も亡いのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御朝餐として用意される大床子のお料理などは召し上がらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態を歎いていた。すべて側近する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の御縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声もお耳には留まらず、その人に関することだけは正しい判断を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務も何もお顧みにならない、国家のためによろしくないことであるといって、支那の歴朝の例までも引き出して言う人もあった。
幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですらこの世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまたいっそう輝くほどのものに見えた。その翌年立太子のことがあった。帝の思召しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもお洩らしにならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、弘徽殿の女御も安心した。その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏の来迎を求めて、とうとう亡くなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことでお悲しみになった。これは皇子が六歳の時のことであるから、今度は母の更衣の死に逢った時とは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。今まで始終お世話を申していた宮とお別れするのが悲しいということばかりを未亡人は言って死んだ。
それから若宮はもう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初めの式が行なわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聡明さに帝はお驚きになることが多かった。
「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがっておやりなさい」
と帝はお言いになって、弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾の中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵だってもこの人を見ては笑みが自然にわくであろうと思われる美しい少童でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがおきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。学問はもとより音楽の才も豊かであった。言えば不自然に聞こえるほどの天才児であった。
その時分に高麗人が来朝した中に、上手な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりになった。
相人は不審そうに頭をたびたび傾けた。
「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
と言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期に臨んで珍しい高貴の相を持つ人に逢ったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。
朝廷からも高麗の相人へ多くの下賜品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。好遇された点が腑に落ちないのである。聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしておいでになった。それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。四品以下の無品親王などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうにお思われになった。上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、元服後は源姓を賜わって源氏の某としようとお決めになった。
年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝――帝の従兄あるいは叔父君――の第四の内親王でお美しいことをだれも言う方で、母君のお后が大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。
「お亡れになりました御息所の御容貌に似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。非常にお美しい方でございます」
もしそんなことがあったらと大御心が動いて、先帝の后の宮へ姫宮の御入内のことを懇切にお申し入れになった。お后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御が並みはずれな強い性格で、桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后もお崩れになった。姫宮がお一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、
「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」
となおも熱心に入内をお勧めになった。こうしておいでになって、母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、宮中の御生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、お付きの女房やお世話係の者が言い、兄君の兵部卿親王もその説に御賛成になって、それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。御殿は藤壺である。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、桐壺の更衣に似ておいでになった。この方は御身分に批の打ち所がない。すべてごりっぱなものであって、だれも貶める言葉を知らなかった。桐壺の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。お傷手が新女御の宮で癒されたともいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい御生活がかえってきた。あれほどのこともやはり永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。
源氏の君――まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。――はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺であって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。宮もお馴れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されてその方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。
「彼を愛しておやりなさい。不思議なほどあなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」
など帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壺の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみを持つことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌を世間の人は言い現わすために光の君と言った。女御として藤壺の宮の御寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。
源氏の君の美しい童形をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳に元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図になった。前に東宮の御元服の式を紫宸殿であげられた時の派手やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。
清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿である。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終わって、いったん休息所に下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たのである。まだ小さくて大人の頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞を躊躇していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は帝の御意向をも伺った。
「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人をいっしょにさせればよい」
という仰せであったから、大臣はその実現を期していた。
今日の侍所になっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。帝のお居間のほうから仰せによって内侍が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が取り次いだ。白い大袿に帝のお召し料のお服が一襲で、これは昔から定まった品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。
大臣の女との結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。
と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段を下がって拝礼をした。左馬寮の御馬と蔵人所の鷹をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の御饗宴の席の折り詰めのお料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。
その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押されていた。左大臣は何人かの妻妾から生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今蔵人少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。
源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壺の御殿の御簾の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音の中にその方がお弾きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所にお与えになって、御息所に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終歎息をしていた。
光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
帚木
光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人が思われる。自然奔放な好色生活が想像される。しかし実際はそれよりずっと質素な心持ちの青年であった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間がおしゃべりであるからなのだ。自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。好色小説の中の交野の少将などには笑われていたであろうと思われる。
中将時代にはおもに宮中の宿直所に暮らして、時たまにしか舅の左大臣家へ行かないので、別に恋人を持っているかのような疑いを受けていたが、この人は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。まれには風変わりな恋をして、たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。
梅雨のころ、帝の御謹慎日が幾日かあって、近臣は家へも帰らずに皆宿直する、こんな日が続いて、例のとおりに源氏の御所住まいが長くなった。大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を恨めしくは思っていたが、やはり衣服その他贅沢を尽くした新調品を御所の桐壺へ運ぶのに倦むことを知らなんだ。左大臣の子息たちは宮中の御用をするよりも、源氏の宿直所への勤めのほうが大事なふうだった。そのうちでも宮様腹の中将は最も源氏と親しくなっていて、遊戯をするにも何をするにも他の者の及ばない親交ぶりを見せた。大事がる舅の右大臣家へ行くことはこの人もきらいで、恋の遊びのほうが好きだった。結婚した男はだれも妻の家で生活するが、この人はまだ親の家のほうにりっぱに飾った居間や書斎を持っていて、源氏が行く時には必ずついて行って、夜も、昼も、学問をするのも、遊ぶのもいっしょにしていた。謙遜もせず、敬意を表することも忘れるほどぴったりと仲よしになっていた。
五月雨がその日も朝から降っていた夕方、殿上役人の詰め所もあまり人影がなく、源氏の桐壺も平生より静かな気のする時に、灯を近くともしていろいろな書物を見ていると、その本を取り出した置き棚にあった、それぞれ違った色の紙に書かれた手紙の殻の内容を頭中将は見たがった。
「無難なのを少しは見せてもいい。見苦しいのがありますから」
と源氏は言っていた。
「見苦しくないかと気になさるのを見せていただきたいのですよ。平凡な女の手紙なら、私には私相当に書いてよこされるのがありますからいいんです。特色のある手紙ですね、怨みを言っているとか、ある夕方に来てほしそうに書いて来る手紙、そんなのを拝見できたらおもしろいだろうと思うのです」
と恨まれて、初めからほんとうに秘密な大事の手紙などは、だれが盗んで行くか知れない棚などに置くわけもない、これはそれほどの物でないのであるから、源氏は見てもよいと許した。中将は少しずつ読んで見て言う。
「いろんなのがありますね」
自身の想像だけで、だれとか彼とか筆者を当てようとするのであった。上手に言い当てるのもある、全然見当違いのことを、それであろうと深く追究したりするのもある。そんな時に源氏はおかしく思いながらあまり相手にならぬようにして、そして上手に皆を中将から取り返してしまった。
「あなたこそ女の手紙はたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいものだ。そのあとなら棚のを全部見せてもいい」
「あなたの御覧になる価値のある物はないでしょうよ」
こんな事から頭中将は女についての感想を言い出した。
「これならば完全だ、欠点がないという女は少ないものであると私は今やっと気がつきました。ただ上っつらな感情で達者な手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧らしい人はずいぶんあるでしょうが、しかもそこを長所として取ろうとすれば、きっと合格点にはいるという者はなかなかありません。自分が少し知っていることで得意になって、ほかの人を軽蔑することのできる厭味な女が多いんですよ。親がついていて、大事にして、深窓に育っているうちは、その人の片端だけを知って男は自分の想像で十分補って恋をすることになるというようなこともあるのですね。顔がきれいで、娘らしくおおようで、そしてほかに用がないのですから、そんな娘には一つくらいの芸の上達が望めないこともありませんからね。それができると、仲に立った人間がいいことだけを話して、欠点は隠して言わないものですから、そんな時にそれはうそだなどと、こちらも空で断定することは不可能でしょう、真実だろうと思って結婚したあとで、だんだんあらが出てこないわけはありません」
中将がこう言って歎息した時に、そんなありきたりの結婚失敗者ではない源氏も、何か心にうなずかれることがあるか微笑をしていた。
「あなたが今言った、一つくらいの芸ができるというほどのとりえね、それもできない人があるだろうか」
「そんな所へは初めからだれもだまされて行きませんよ、何もとりえのないのと、すべて完全であるのとは同じほどに少ないものでしょう。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目だたないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思います。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てない」
こう言って、通を振りまく中将に、源氏はもう少しその観察を語らせたく思った。
「その階級の別はどんなふうにつけるのですか。上、中、下を何で決めるのですか。よい家柄でもその娘の父は不遇で、みじめな役人で貧しいのと、並み並みの身分から高官に成り上がっていて、それが得意で贅沢な生活をして、初めからの貴族に負けないふうでいる家の娘と、そんなのはどちらへ属させたらいいのだろう」
こんな質問をしている所へ、左馬頭と藤式部丞とが、源氏の謹慎日を共にしようとして出て来た。風流男という名が通っているような人であったから、中将は喜んで左馬頭を問題の中へ引き入れた。不謹慎な言葉もそれから多く出た。
「いくら出世しても、もとの家柄が家柄だから世間の思わくだってやはり違う。またもとはいい家でも逆境に落ちて、何の昔の面影もないことになってみれば、貴族的な品のいいやり方で押し通せるものではなし、見苦しいことも人から見られるわけだから、それはどちらも中の品ですよ。受領といって地方の政治にばかり関係している連中の中にもまたいろいろ階級がありましてね、いわゆる中の品として恥ずかしくないのがありますよ。また高官の部類へやっとはいれたくらいの家よりも、参議にならない四位の役人で、世間からも認められていて、もとの家柄もよく、富んでのんきな生活のできている所などはかえって朗らかなものですよ。不足のない暮らしができるのですから、倹約もせず、そんな空気の家に育った娘に軽蔑のできないものがたくさんあるでしょう。宮仕えをして思いがけない幸福のもとを作ったりする例も多いのですよ」
左馬頭がこう言う。
「それではまあ何でも金持ちでなければならないんだね」
と源氏は笑っていた。
「あなたらしくないことをおっしゃるものじゃありませんよ」
中将はたしなめるように言った。左馬頭はなお話し続けた。
「家柄も現在の境遇も一致している高貴な家のお嬢さんが凡庸であった場合、どうしてこんな人ができたのかと情けないことだろうと思います。そうじゃなくて地位に相応なすぐれたお嬢さんであったら、それはたいして驚きませんね。当然ですもの。私らにはよくわからない社会のことですから上の品は省くことにしましょう。こんなこともあります。世間からはそんな家のあることなども無視されているような寂しい家に、思いがけない娘が育てられていたとしたら、発見者は非常にうれしいでしょう。意外であったということは十分に男の心を引く力になります。父親がもういいかげん年寄りで、醜く肥った男で、風采のよくない兄を見ても、娘は知れたものだと軽蔑している家庭に、思い上がった娘がいて、歌も上手であったりなどしたら、それは本格的なものではないにしても、ずいぶん興味が持てるでしょう。完全な女の選にははいりにくいでしょうがね」
と言いながら、同意を促すように式部丞のほうを見ると、自身の妹たちが若い男の中で相当な評判になっていることを思って、それを暗に言っているのだと取って、式部丞は何も言わなかった。そんなに男の心を引く女がいるであろうか、上の品にはいるものらしい女の中にだって、そんな女はなかなか少ないものだと自分にはわかっているがと源氏は思っているらしい。柔らかい白い着物を重ねた上に、袴は着けずに直衣だけをおおように掛けて、からだを横にしている源氏は平生よりもまた美しくて、女性であったらどんなにきれいな人だろうと思われた。この人の相手には上の上の品の中から選んでも飽き足りないことであろうと見えた。
「ただ世間の人として見れば無難でも、実際自分の妻にしようとすると、合格するものは見つからないものですよ。男だって官吏になって、お役所のお勤めというところまでは、だれもできますが、実際適所へ適材が行くということはむずかしいものですからね。しかしどんなに聡明な人でも一人や二人で政治はできないのですから、上官は下僚に助けられ、下僚は上に従って、多数の力で役所の仕事は済みますが、一家の主婦にする人を選ぶのには、ぜひ備えさせねばならぬ資格がいろいろと幾つも必要なのです。これがよくてもそれには適しない。少しは譲歩してもまだなかなか思うような人はない。世間の多数の男も、いろいろな女の関係を作るのが趣味ではなくても、生涯の妻を捜す心で、できるなら一所懸命になって自分で妻の教育のやり直しをしたりなどする必要のない女はないかとだれも思うのでしょう。必ずしも理想に近い女ではなくても、結ばれた縁に引かれて、それと一生を共にする、そんなのはまじめな男に見え、また捨てられない女も世間体がよいことになります。しかし世間を見ると、そう都合よくはいっていませんよ。お二方のような貴公子にはまして対象になる女があるものですか。私などの気楽な階級の者の中にでも、これと打ち込んでいいのはありませんからね。見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には蘆手のような簡単な文章を上手に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけて置いて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して行って話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのですよ。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりもかまわないで、額髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまりません。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いて見たい、こんなことを思っているとそとででも独笑が出ますし、一人で涙ぐまれもします。また自分のことでないことに公憤を起こしまして、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、けれども自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思うと、横を向いて一人で思い出し笑いをしたり、かわいそうなものだなどと独言を言うようになります。そんな時に何なんですかと突っ慳貪に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか。ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものです。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものです。一緒にいる時は可憐さが不足を補って、それでも済むでしょうが、家を離れている時に用事を言ってやりましても何ができましょう。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできません。ですからそんなのもまただめです。平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあります」
こんなふうな通な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深い歎息をした。
「ですからもう階級も何も言いません。容貌もどうでもいいとします。片よった性質でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思います。その上に少し見識でもあれば、満足して少しの欠点はあってもよいことにするのですね。安心のできる点が多ければ、趣味の教育などはあとからできるものですよ。上品ぶって、恨みを言わなければならぬ時も知らぬ顔で済ませて、表面は賢女らしくしていても、そんな人は苦しくなってしまうと、凄文句や身にしませる歌などを書いて、思い出してもらえる材料にそれを残して、遠い郊外とか、まったく世間と離れた海岸とかへ行ってしまいます。子供の時に女房などが小説を読んでいるのを聞いて、そんなふうの女主人公に同情したものでしてね、りっぱな態度だと涙までもこぼしたものです。今思うとそんな女のやり方は軽佻で、わざとらしい。自分を愛していた男を捨てて置いて、その際にちょっとした恨めしいことがあっても、男の愛を信じないように家を出たりなどして、無用の心配をかけて、そうして男をためそうとしているうちに取り返しのならぬはめに至ります。いやなことです。りっぱな態度だなどとほめたてられると、図に乗ってどうかすると尼なんかにもなります。その時はきたない未練は持たずに、すっかり恋愛を清算した気でいますが、まあ悲しい、こんなにまであきらめておしまいになってなどと、知った人が訪問して言い、真底から憎くはなっていない男が、それを聞いて泣いたという話などが聞こえてくると、召使や古い女房などが、殿様はあんなにあなたを思っていらっしゃいますのに、若いおからだを尼になどしておしまいになって惜しい。こんなことを言われる時、短くして後ろ梳きにしてしまった額髪に手が行って、心細い気になると自然に物思いをするようになります。忍んでももう涙を一度流せばあとは始終泣くことになります。御弟子になった上でこんなことでは仏様も未練をお憎みになるでしょう。俗であった時よりもそんな罪は深くて、かえって地獄へも落ちるように思われます。また夫婦の縁が切れずに、尼にはならずに、良人に連れもどされて来ても、自分を捨てて家出をした妻であることを良人に忘れてもらうことはむずかしいでしょう。悪くてもよくてもいっしょにいて、どんな時もこんな時も許し合って暮らすのがほんとうの夫婦でしょう。一度そんなことがあったあとでは真実の夫婦愛がかえってこないものです。また男の愛がほんとうにさめている場合に家出をしたりすることは愚かですよ。恋はなくなっていても妻であるからと思っていっしょにいてくれた男から、これを機会に離縁を断行されることにもなります。なんでも穏やかに見て、男にほかの恋人ができた時にも、全然知らぬ顔はせずに感情を傷つけない程度の怨みを見せれば、それでまた愛を取り返すことにもなるものです。浮気な習慣は妻次第でなおっていくものです。あまりに男に自由を与えすぎる女も、男にとっては気楽で、その細君の心がけがかわいく思われそうでありますが、しかしそれもですね、ほんとうは感心のできかねる妻の態度です。つながれない船は浮き歩くということになるじゃありませんか、ねえ」
中将はうなずいた。
「現在の恋人で、深い愛着を覚えていながらその女の愛に信用が持てないということはよくない。自身の愛さえ深ければ女のあやふやな心持ちも直して見せることができるはずだが、どうだろうかね。方法はほかにありませんよ。長い心で見ていくだけですね」
と頭中将は言って、自分の妹と源氏の中はこれに当たっているはずだと思うのに、源氏が目を閉じたままで何も言わぬのを、物足らずも口惜しくも思った。左馬頭は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしきりに相槌を打っているのであった。
「まあほかのことにして考えてごらんなさい。指物師がいろいろな製作をしましても、一時的な飾り物で、決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われますが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を上手にこしらえ上げるのは名人でなければできないことです。また絵所に幾人も画家がいますが、席上の絵の描き手に選ばれておおぜいで出ます時は、どれがよいのか悪いのかちょっとわかりませんが、非写実的な蓬莱山とか、荒海の大魚とか、唐にしかいない恐ろしい獣の形とかを描く人は、勝手ほうだいに誇張したもので人を驚かせて、それは実際に遠くてもそれで通ります。普通の山の姿とか、水の流れとか、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を写生的におもしろく混ぜて描き、われわれの近くにあるあまり高くない山を描き、木をたくさん描き、静寂な趣を出したり、あるいは人の住む邸の中を忠実に描くような時に上手と下手の差がよくわかるものです。字でもそうです。深味がなくて、あちこちの線を長く引いたりするのに技巧を用いたものは、ちょっと見がおもしろいようでも、それと比べてまじめに丁寧に書いた字で見栄えのせぬものも、二度目によく比べて見れば技巧だけで書いた字よりもよく見えるものです。ちょっとしたことでもそうなんです、まして人間の問題ですから、技巧でおもしろく思わせるような人には永久の愛が持てないと私は決めています。好色がましい多情な男にお思いになるかもしれませんが、以前のことを少しお話しいたしましょう」
と言って、左馬頭は膝を進めた。源氏も目をさまして聞いていた。中将は左馬頭の見方を尊重するというふうを見せて、頬杖をついて正面から相手を見ていた。坊様が過去未来の道理を説法する席のようで、おかしくないこともないのであるが、この機会に各自の恋の秘密を持ち出されることになった。
「ずっと前で、まだつまらぬ役をしていた時です。私に一人の愛人がございました。容貌などはとても悪い女でしたから、若い浮気な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わなかったのです。妻とは思っていましたが物足りなくて外に情人も持っていました。それでとても嫉妬をするものですから、いやで、こんなふうでなく穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われますと、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあって、自然身持ちが修まっていくようでした。この女というのは、自身にできぬものでも、この人のためにはと努力してかかるのです。教養の足りなさも自身でつとめて補って、恥のないようにと心がけるたちで、どんなにも行き届いた世話をしてくれまして、私の機嫌をそこねまいとする心から勝ち気もあまり表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折りますし、この顔で他人に逢っては、良人の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づきませんし、とにかく賢妻にできていましたから、同棲しているうちに利巧さに心が引かれてもいきましたが、ただ一つの嫉妬癖、それだけは彼女自身すらどうすることもできない厄介なものでした。当時私はこう思ったのです。とにかくみじめなほど私に参っている女なんだから、懲らすような仕打ちに出ておどして嫉妬を改造してやろう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど自分を愛している女なら、うまく自分の計画は成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出まして、例のとおり女がおこり出している時、『こんなあさましいことを言うあなたなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも私は別れる決心をする。この関係を破壊してよいのなら、今のような邪推でも何でももっとするがいい。将来まで夫婦でありたいなら、少々つらいことはあっても忍んで、気にかけないようにして、そして嫉妬のない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分にはあなたがりっぱな私の正夫人でありうるわけだ』などと、うまいものだと自分で思いながら利己的な主張をしたものですね。女は少し笑って、『あなたの貧弱な時代を我慢して、そのうち出世もできるだろうと待っていることは、それは待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思いません。あなたの多情さを辛抱して、よい良人になってくださるのを待つことは堪えられないことだと思いますから、そんなことをお言いになることになったのは別れる時になったわけです』そう口惜しそうに言ってこちらを憤慨させるのです。女も自制のできない性質で、私の手を引き寄せて一本の指にかみついてしまいました。私は『痛い痛い』とたいそうに言って、『こんな傷までもつけられた私は社会へ出られない。あなたに侮辱された小役人はそんなことではいよいよ人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろう』などとおどして、『じゃあこれがいよいよ別れだ』と言って、指を痛そうに曲げてその家を出て来たのです。
言いぶんはないでしょう』と言うと、さすがに泣き出して、
反抗的に言ったりもしましたが、本心ではわれわれの関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていたのです。加茂の臨時祭りの調楽が御所であって、更けて、それは霙が降る夜なのです。皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないのです。御所の宿直室で寝るのもみじめだし、また恋を風流遊戯にしている局の女房を訪ねて行くことも寒いことだろうと思われるものですから、どう思っているのだろうと様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いのですが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうわけだと思って、はいって行くと、暗い灯を壁のほうに向けて据え、暖かそうな柔らかい、綿のたくさんはいった着物を大きな炙り籠に掛けて、私が寝室へはいる時に上げる几帳のきれも上げて、こんな夜にはきっと来るだろうと待っていたふうが見えます。そう思っていたのだと私は得意になりましたが、妻自身はいません。何人かの女房だけが留守をしていまして、父親の家へちょうどこの晩移って行ったというのです。艶な歌も詠んで置かず、気のきいた言葉も残さずに、じみにすっと行ってしまったのですから、つまらない気がして、やかましく嫉妬をしたのも私にきらわせるためだったのかもしれないなどと、むしゃくしゃするものですからありうべくもないことまで忖度しましたものです。しかし考えてみると用意してあった着物なども平生以上によくできていますし、そういう点では実にありがたい親切が見えるのです。自分と別れた後のことまでも世話していったのですからね、彼女がどうして別れうるものかと私は慢心して、それからのち手紙で交渉を始めましたが、私へ帰る気がないでもないようだし、まったく知れない所へ隠れてしまおうともしませんし、あくまで反抗的態度を取ろうともせず、『前のようなふうでは我慢ができない、すっかり生活の態度を変えて、一夫一婦の道を取ろうとお言いになるのなら』と言っているのです。そんなことを言っても負けて来るだろうという自信を持って、しばらく懲らしてやる気で、一婦主義になるとも言わず、話を長引かせていますうちに、非常に精神的に苦しんで死んでしまいましたから、私は自分が責められてなりません。家の妻というものは、あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出されます。風流ごとにも、まじめな問題にも話し相手にすることができましたし、また家庭の仕事はどんなことにも通じておりました。染め物の立田姫にもなれたし、七夕の織姫にもなれたわけです」
と語った左馬頭は、いかにも亡き妻が恋しそうであった。
「技術上の織姫でなく、永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかったですね。立田姫もわれわれには必要な神様だからね。男にまずい服装をさせておく細君はだめですよ。そんな人が早く死ぬんだから、いよいよ良妻は得がたいということになる」
中将は指をかんだ女をほめちぎった。
「その時分にまたもう一人の情人がありましてね、身分もそれは少しいいし、才女らしく歌を詠んだり、達者に手紙を書いたりしますし、音楽のほうも相当なものだったようです。感じの悪い容貌でもありませんでしたから、やきもち焼きのほうを世話女房にして置いて、そこへはおりおり通って行ったころにはおもしろい相手でしたよ。あの女が亡くなりましたあとでは、いくら今さら愛惜しても死んだものはしかたがなくて、たびたびもう一人の女の所へ行くようになりますと、なんだか体裁屋で、風流女を標榜している点が気に入らなくて、一生の妻にしてもよいという気はなくなりました。あまり通わなくなったころに、もうほかに恋愛の相手ができたらしいのですね、十一月ごろのよい月の晩に、私が御所から帰ろうとすると、ある殿上役人が来て私の車へいっしょに乗りました。私はその晩は父の大納言の家へ行って泊まろうと思っていたのです。途中でその人が、『今夜私を待っている女の家があって、そこへちょっと寄って行ってやらないでは気が済みませんから』と言うのです。私の女の家は道筋に当たっているのですが、こわれた土塀から池が見えて、庭に月のさしているのを見ると、私も寄って行ってやっていいという気になって、その男の降りた所で私も降りたものです。その男のはいって行くのはすなわち私の行こうとしている家なのです。初めから今日の約束があったのでしょう。男は夢中のようで、のぼせ上がったふうで、門から近い廊の室の縁側に腰を掛けて、気どったふうに月を見上げているんですね。それは実際白菊が紫をぼかした庭へ、風で紅葉がたくさん降ってくるのですから、身にしむように思うのも無理はないのです。男は懐中から笛を出して吹きながら合い間に『飛鳥井に宿りはすべし蔭もよし』などと歌うと、中ではいい音のする倭琴をきれいに弾いて合わせるのです。相当なものなんですね。律の調子は女の柔らかに弾くのが御簾の中から聞こえるのもはなやかな気のするものですから、明るい月夜にはしっくり合っています。男はたいへんおもしろがって、琴を弾いている所の前へ行って、『紅葉の積もり方を見るとだれもおいでになった様子はありませんね。あなたの恋人はなかなか冷淡なようですね』などといやがらせを言っています。菊を折って行って、『琴の音も菊もえならぬ宿ながらつれなき人を引きやとめける。だめですね』などと言ってまた『いい聞き手のおいでになった時にはもっとうんと弾いてお聞かせなさい』こんな嫌味なことを言うと、女は作り声をして『こがらしに吹きあはすめる笛の音を引きとどむべき言の葉ぞなき』などと言ってふざけ合っているのです。私がのぞいていて憎らしがっているのも知らないで、今度は十三絃を派手に弾き出しました。才女でないことはありませんがきざな気がしました。遊戯的の恋愛をしている時は、宮中の女房たちとおもしろおかしく交際していて、それだけでいいのですが、時々にもせよ愛人として通って行く女がそんなふうではおもしろくないと思いまして、その晩のことを口実にして別れましたがね。この二人の女を比べて考えますと、若い時でさえもあとの風流女のほうは信頼のできないものだと知っていました。もう相当な年配になっている私は、これからはまたそのころ以上にそうした浮華なものがきらいになるでしょう。いたいたしい萩の露や、落ちそうな笹の上の霰などにたとえていいような艶な恋人を持つのがいいように今あなたがたはお思いになるでしょうが、私の年齢まで、まあ七年もすればよくおわかりになりますよ、私が申し上げておきますが、風流好みな多情な女には気をおつけなさい。三角関係を発見した時に良人の嫉妬で問題を起こしたりするものです」
左馬頭は二人の貴公子に忠言を呈した。例のように中将はうなずく。少しほほえんだ源氏も左馬頭の言葉に真理がありそうだと思うらしい。あるいは二つともばかばかしい話であると笑っていたのかもしれない。
「私もばか者の話を一つしよう」
中将は前置きをして語り出した。
「私がひそかに情人にした女というのは、見捨てずに置かれる程度のものでね、長い関係になろうとも思わずにかかった人だったのですが、馴れていくとよい所ができて心が惹かれていった。たまにしか行かないのだけれど、とにかく女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるわけのこちらの態度だがと、自分のことだけれど気のとがめる時があっても、その女は何も言わない。久しく間を置いて逢っても始終来る人といるようにするので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が何かの場合に見えて可憐な女でした。こんなふうに穏やかなものだから、久しく訪ねて行かなかった時分に、ひどいことを私の妻の家のほうから、ちょうどまたそのほうへも出入りする女の知人を介して言わせたのです。私はあとで聞いたことなんだ。そんなかわいそうなことがあったとも知らず、心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、女はずいぶん心細がって、私との間に小さな子なんかもあったもんですから、煩悶した結果、撫子の花を使いに持たせてよこしましたよ」
中将は涙ぐんでいた。
「どんな手紙」
と源氏が聞いた。
「なに、平凡なものですよ。『山がつの垣は荒るともをりをりに哀れはかけよ撫子の露』ってね。私はそれで行く気になって、行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔をして、秋の荒れた庭をながめながら、そのころの虫の声と同じような力のないふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。『咲きまじる花は何れとわかねどもなほ常夏にしくものぞなき』子供のことは言わずに、まず母親の機嫌を取ったのですよ。『打ち払ふ袖も露けき常夏に嵐吹き添ふ秋も来にけり』こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨むふうもありません。うっかり涙をこぼしても恥ずかしそうに紛らしてしまうのです。恨めしい理由をみずから追究して考えていくことが苦痛らしかったから、私は安心して帰って来て、またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなってしまったのです。まだ生きておれば相当に苦労をしているでしょう。私も愛していたのだから、もう少し私をしっかり離さずにつかんでいてくれたなら、そうしたみじめな目に逢いはしなかったのです。長く途絶えて行かないというようなこともせず、妻の一人として待遇のしようもあったのです。撫子の花と母親の言った子もかわいい子でしたから、どうかして捜し出したいと思っていますが、今に手がかりがありません。これはさっきの話のたよりない性質の女にあたるでしょう。素知らぬ顔をしていて、心で恨めしく思っていたのに気もつかず、私のほうではあくまでも愛していたというのも、いわば一種の片恋と言えますね。もうぼつぼつ今は忘れかけていますが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々はつらい悲しい思いをしているだろうと思われます。これなどは男に永久性の愛を求めようとせぬ態度に出るもので、確かに完全な妻にはなれませんね。だからよく考えれば、左馬頭のお話の嫉妬深い女も、思い出としてはいいでしょうが、今いっしょにいる妻であってはたまらない。どうかすれば断然いやになってしまうでしょう。琴の上手な才女というのも浮気の罪がありますね。私の話した女も、よく本心の見せられない点に欠陥があります。どれがいちばんよいとも言えないことは、人生の何のこともそうですがこれも同じです。何人かの女からよいところを取って、悪いところの省かれたような、そんな女はどこにもあるものですか。吉祥天女を恋人にしようと思うと、それでは仏法くさくなって困るということになるだろうからしかたがない」
中将がこう言ったので皆笑った。
「式部の所にはおもしろい話があるだろう、少しずつでも聞きたいものだね」
と中将が言い出した。
「私どもは下の下の階級なんですよ。おもしろくお思いになるようなことがどうしてございますものですか」
式部丞は話をことわっていたが、頭中将が本気になって、早く早くと話を責めるので、
「どんな話をいたしましてよろしいか考えましたが、こんなことがございます。まだ文章生時代のことですが、私はある賢女の良人になりました。さっきの左馬頭のお話のように、役所の仕事の相談相手にもなりますし、私の処世の方法なんかについても役だつことを教えていてくれました。学問などはちょっとした博士などは恥ずかしいほどのもので、私なんかは学問のことなどでは、前で口がきけるものじゃありませんでした。それはある博士の家へ弟子になって通っておりました時分に、先生に娘がおおぜいあることを聞いていたものですから、ちょっとした機会をとらえて接近してしまったのです。親の博士が二人の関係を知るとすぐに杯を持ち出して白楽天の結婚の詩などを歌ってくれましたが、実は私はあまり気が進みませんでした。ただ先生への遠慮でその関係はつながっておりました。先方では私をたいへんに愛して、よく世話をしまして、夜分寝んでいる時にも、私に学問のつくような話をしたり、官吏としての心得方などを言ってくれたりいたすのです。手紙は皆きれいな字の漢文です。仮名なんか一字だって混じっておりません。よい文章などをよこされるものですから別れかねて通っていたのでございます。今でも師匠の恩というようなものをその女に感じますが、そんな細君を持つのは、学問の浅い人間や、まちがいだらけの生活をしている者にはたまらないことだとその当時思っておりました。またお二方のようなえらい貴公子方にはそんなずうずうしい先生細君なんかの必要はございません。私どもにしましても、そんなのとは反対に歯がゆいような女でも、気に入っておればそれでいいのですし、前生の縁というものもありますから、男から言えばあるがままの女でいいのでございます」
これで式部丞が口をつぐもうとしたのを見て、頭中将は今の話の続きをさせようとして、
「とてもおもしろい女じゃないか」
と言うと、その気持ちがわかっていながら式部丞は、自身をばかにしたふうで話す。
「そういたしまして、その女の所へずっと長く参らないでいました時分に、その近辺に用のございましたついでに、寄って見ますと、平生の居間の中へは入れないのです。物越しに席を作ってすわらせます。嫌味を言おうと思っているのか、ばかばかしい、そんなことでもすれば別れるのにいい機会がとらえられるというものだと私は思っていましたが、賢女ですもの、軽々しく嫉妬などをするものではありません。人情にもよく通じていて恨んだりなんかもしやしません。しかも高い声で言うのです。『月来、風病重きに堪えかね極熱の草薬を服しました。それで私はくさいのでようお目にかかりません。物越しででも何か御用があれば承りましょう』ってもっともらしいのです。ばかばかしくて返辞ができるものですか、私はただ『承知いたしました』と言って帰ろうとしました。でも物足らず思ったのですか『このにおいのなくなるころ、お立ち寄りください』とまた大きな声で言いますから、返辞をしないで来るのは気の毒ですが、ぐずぐずもしていられません。なぜかというと草薬の蒜なるものの臭気がいっぱいなんですから、私は逃げて出る方角を考えながら、『ささがにの振舞ひしるき夕暮れにひるま過ぐせと言ふがあやなき。何の口実なんだか』と言うか言わないうちに走って来ますと、あとから人を追いかけさせて返歌をくれました。『逢ふことの夜をし隔てぬ中ならばひるまも何か眩ゆからまし』というのです。歌などは早くできる女なんでございます」
式部丞の話はしずしずと終わった。貴公子たちはあきれて、
「うそだろう」
と爪弾きをして見せて、式部をいじめた。
「もう少しよい話をしたまえ」
「これ以上珍しい話があるものですか」
式部丞は退って行った。
「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢字が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。歌詠みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。宮中の節会の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。そんな時に菖蒲に寄せた歌が贈られる、九月の菊の宴に作詩のことを思って一所懸命になっている時に、菊の歌。こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ、真価が買ってもらえる歌を、今贈っては目にも留めてくれないということがわからないでよこしたりされると、ついその人が軽蔑されるようになります。何にでも時と場合があるのに、それに気がつかないほどの人間は風流ぶらないのが無難ですね。知っていることでも知らぬ顔をして、言いたいことがあっても機会を一、二度ははずして、そのあとで言えばよいだろうと思いますね」
こんなことがまた左馬頭によって言われている間にも、源氏は心の中でただ一人の恋しい方のことを思い続けていた。藤壺の宮は足りない点もなく、才気の見えすぎる方でもないりっぱな貴女であるとうなずきながらも、その人を思うと例のとおりに胸が苦しみでいっぱいになった。いずれがよいのか決められずに、ついには筋の立たぬものになって朝まで話し続けた。
やっと今日は天気が直った。源氏はこんなふうに宮中にばかりいることも左大臣家の人に気の毒になってそこへ行った。一糸の乱れも見えぬというような家であるから、こんなのがまじめということを第一の条件にしていた、昨夜の談話者たちには気に入るところだろうと源氏は思いながらも、今も初めどおりに行儀をくずさぬ、打ち解けぬ夫人であるのを物足らず思って、中納言の君、中務などという若いよい女房たちと冗談を言いながら、暑さに部屋着だけになっている源氏を、その人たちは美しいと思い、こうした接触が得られる幸福を覚えていた。大臣も娘のいるほうへ出かけて来た。部屋着になっているのを知って、几帳を隔てた席について話そうとするのを、
「暑いのに」
と源氏が顔をしかめて見せると、女房たちは笑った。
「静かに」
と言って、脇息に寄りかかった様子にも品のよさが見えた。
暗くなってきたころに、
「今夜は中神のお通り路になっておりまして、御所からすぐにここへ来てお寝みになってはよろしくございません」
という、源氏の家従たちのしらせがあった。
「そう、いつも中神は避けることになっているのだ。しかし二条の院も同じ方角だから、どこへ行ってよいかわからない。私はもう疲れていて寝てしまいたいのに」
そして源氏は寝室にはいった。
「このままになすってはよろしくございません」
また家従が言って来る。紀伊守で、家従の一人である男の家のことが上申される。
「中川辺でございますがこのごろ新築いたしまして、水などを庭へ引き込んでございまして、そこならばお涼しかろうと思います」
「それは非常によい。からだが大儀だから、車のままではいれる所にしたい」
と源氏は言っていた。隠れた恋人の家は幾つもあるはずであるが、久しぶりに帰ってきて、方角除けにほかの女の所へ行っては夫人に済まぬと思っているらしい。呼び出して泊まりに行くことを紀伊守に言うと、承知はして行ったが、同輩のいる所へ行って、
「父の伊予守――伊予は太守の国で、官名は介になっているが事実上の長官である――の家のほうにこのごろ障りがありまして、家族たちが私の家へ移って来ているのです。もとから狭い家なんですから失礼がないかと心配です」と迷惑げに言ったことがまた源氏の耳にはいると、
「そんなふうに人がたくさんいる家がうれしいのだよ、女の人の居所が遠いような所は夜がこわいよ。伊予守の家族のいる部屋の几帳の後ろでいいのだからね」
冗談混じりにまたこう言わせたものである。
「よいお泊まり所になればよろしいが」
と言って、紀伊守は召使を家へ走らせた。源氏は微行で移りたかったので、まもなく出かけるのに大臣へも告げず、親しい家従だけをつれて行った。あまりに急だと言って紀伊守がこぼすのを他の家従たちは耳に入れないで、寝殿の東向きの座敷を掃除させて主人へ提供させ、そこに宿泊の仕度ができた。庭に通した水の流れなどが地方官級の家としては凝ってできた住宅である。わざと田舎の家らしい柴垣が作ってあったりして、庭の植え込みなどもよくできていた。涼しい風が吹いて、どこでともなく虫が鳴き、蛍がたくさん飛んでいた。源氏の従者たちは渡殿の下をくぐって出て来る水の流れに臨んで酒を飲んでいた。紀伊守が主人をよりよく待遇するために奔走している時、一人でいた源氏は、家の中をながめて、前夜の人たちが階級を三つに分けたその中の品の列にはいる家であろうと思い、その話を思い出していた。思い上がった娘だという評判の伊予守の娘、すなわち紀伊守の妹であったから、源氏は初めからそれに興味を持っていて、どの辺の座敷にいるのであろうと物音に耳を立てていると、この座敷の西に続いた部屋で女の衣摺れが聞こえ、若々しい、媚めかしい声で、しかもさすがに声をひそめてものを言ったりしているのに気がついた。わざとらしいが悪い感じもしなかった。初めその前の縁の格子が上げたままになっていたのを、不用意だといって紀伊守がしかって、今は皆戸がおろされてしまったので、その室の灯影が、襖子の隙間から赤くこちらへさしていた。源氏は静かにそこへ寄って行って中が見えるかと思ったが、それほどの隙間はない。しばらく立って聞いていると、それは襖子の向こうの中央の間に集まってしているらしい低いさざめきは、源氏自身が話題にされているらしい。
「まじめらしく早く奥様をお持ちになったのですからお寂しいわけですわね。でもずいぶん隠れてお通いになる所があるんですって」
こんな言葉にも源氏ははっとした。自分の作っているあるまじい恋を人が知って、こうした場合に何とか言われていたらどうだろうと思ったのである。でも話はただ事ばかりであったから皆を聞こうとするほどの興味が起こらなかった。式部卿の宮の姫君に朝顔を贈った時の歌などを、だれかが得意そうに語ってもいた。行儀がなくて、会話の中に節をつけて歌を入れたがる人たちだ、中の品がおもしろいといっても自分には我慢のできぬこともあるだろうと源氏は思った。
紀伊守が出て来て、灯籠の数をふやさせたり、座敷の灯を明るくしたりしてから、主人には遠慮をして菓子だけを献じた。
「わが家はとばり帳をも掛けたればって歌ね、大君来ませ婿にせんってね、そこへ気がつかないでは主人の手落ちかもしれない」
「通人でない主人でございまして、どうも」
紀伊守は縁側でかしこまっていた。源氏は縁に近い寝床で、仮臥のように横になっていた。随行者たちももう寝たようである。紀伊守は愛らしい子供を幾人も持っていた。御所の侍童を勤めて源氏の知った顔もある。縁側などを往来する中には伊予守の子もあった。何人かの中に特別に上品な十二、三の子もある。どれが子で、どれが弟かなどと源氏は尋ねていた。
「ただ今通りました子は、亡くなりました衛門督の末の息子で、かわいがられていたのですが、小さいうちに父親に別れまして、姉の縁でこうして私の家にいるのでございます。将来のためにもなりますから、御所の侍童を勤めさせたいようですが、それも姉の手だけでははかばかしく運ばないのでございましょう」
と紀伊守が説明した。
「あの子の姉さんが君の継母なんだね」
「そうでございます」
「似つかわしくないお母さんを持ったものだね。その人のことは陛下もお聞きになっていらっしって、宮仕えに出したいと衛門督が申していたが、その娘はどうなったのだろうって、いつかお言葉があった。人生はだれがどうなるかわからないものだね」
老成者らしい口ぶりである。
「不意にそうなったのでございます。まあ人というものは昔も今も意外なふうにも変わってゆくものですが、その中でも女の運命ほどはかないものはございません」
などと紀伊守は言っていた。
「伊予介は大事にするだろう。主君のように思うだろうな」
「さあ。まあ私生活の主君でございますかな。好色すぎると私はじめ兄弟はにがにがしがっております」
「だって君などのような当世男に伊予介は譲ってくれないだろう。あれはなかなか年は寄ってもりっぱな風采を持っているのだからね」
などと話しながら、
「その人どちらにいるの」
「皆下屋のほうへやってしまったのですが、間にあいませんで一部分だけは残っているかもしれません」
と紀伊守は言った。
深く酔った家従たちは皆夏の夜を板敷で仮寝してしまったのであるが、源氏は眠れない、一人臥をしていると思うと目がさめがちであった。この室の北側の襖子の向こうに人のいるらしい音のする所は紀伊守の話した女のそっとしている室であろうと源氏は思った。かわいそうな女だとその時から思っていたのであったから、静かに起きて行って襖子越しに物声を聞き出そうとした。その弟の声で、
「ちょいと、どこにいらっしゃるの」
と言う。少し涸れたきれいな声である。
「私はここで寝んでいるの。お客様はお寝みになったの。ここと近くてどんなに困るかと思っていたけれど、まあ安心した」
と、寝床から言う声もよく似ているので姉弟であることがわかった。
「廂の室でお寝みになりましたよ。評判のお顔を見ましたよ。ほんとうにお美しい方だった」
一段声を低くして言っている。
「昼だったら私ものぞくのだけれど」
睡むそうに言って、その顔は蒲団の中へ引き入れたらしい。もう少し熱心に聞けばよいのにと源氏は物足りない。
「私は縁の近くのほうへ行って寝ます。暗いなあ」
子供は燈心を掻き立てたりするものらしかった。女は襖子の所からすぐ斜いにあたる辺で寝ているらしい。
「中将はどこへ行ったの。今夜は人がそばにいてくれないと何だか心細い気がする」
低い下の室のほうから、女房が、
「あの人ちょうどお湯にはいりに参りまして、すぐ参ると申しました」
と言っていた。源氏はその女房たちも皆寝静まったころに、掛鉄をはずして引いてみると襖子はさっとあいた。向こう側には掛鉄がなかったわけである。そのきわに几帳が立ててあった。ほのかな灯の明りで衣服箱などがごたごたと置かれてあるのが見える。源氏はその中を分けるようにして歩いて行った。
小さな形で女が一人寝ていた。やましく思いながら顔を掩うた着物を源氏が手で引きのけるまで女は、さっき呼んだ女房の中将が来たのだと思っていた。
「あなたが中将を呼んでいらっしゃったから、私の思いが通じたのだと思って」
と源氏の宰相中将は言いかけたが、女は恐ろしがって、夢に襲われているようなふうである。「や」と言うつもりがあるが、顔に夜着がさわって声にはならなかった。
「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、私はそうじゃないのですよ。ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆前生の縁が導くのだと思ってください」
柔らかい調子である。神様だってこの人には寛大であらねばならぬだろうと思われる美しさで近づいているのであるから、露骨に、
「知らぬ人がこんな所へ」
ともののしることができない。しかも女は情けなくてならないのである。
「人まちがえでいらっしゃるのでしょう」
やっと、息よりも低い声で言った。当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐でもあった。
「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚であなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。普通の好色者がするような失礼を私はしません。少しだけ私の心を聞いていただけばそれでよいのです」
と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子の所へ出て来ると、さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。
「ちょいと」
と源氏が言ったので、不思議がって探り寄って来る時に、薫き込めた源氏の衣服の香が顔に吹き寄ってきた。中将は、これがだれであるかも、何であるかもわかった。情けなくて、どうなることかと心配でならないが、何とも異論のはさみようがない。並み並みの男であったならできるだけの力の抵抗もしてみるはずであるが、しかもそれだって荒だてて多数の人に知らせることは夫人の不名誉になることであって、しないほうがよいのかもしれない。こう思って胸をとどろかせながら従ってきたが、源氏の中将はこの中将をまったく無視していた。初めの座敷へ抱いて行って女をおろして、それから襖子をしめて、
「夜明けにお迎えに来るがいい」
と言った。中将はどう思うであろうと、女はそれを聞いただけでも死ぬほどの苦痛を味わった。流れるほどの汗になって悩ましそうな女に同情は覚えながら、女に対する例の誠実な調子で、女の心が当然動くはずだと思われるほどに言っても、女は人間の掟に許されていない恋に共鳴してこない。
「こんな御無理を承ることが現実のことであろうとは思われません。卑しい私ですが、軽蔑してもよいものだというあなたのお心持ちを私は深くお恨みに思います。私たちの階級とあなた様たちの階級とは、遠く離れて別々のものなのです」
こう言って、強さで自分を征服しようとしている男を憎いと思う様子は、源氏を十分に反省さす力があった。
「私はまだ女性に階級のあることも何も知らない。はじめての経験なんです。普通の多情な男のようにお取り扱いになるのを恨めしく思います。あなたの耳にも自然はいっているでしょう、むやみな恋の冒険などを私はしたこともありません。それにもかかわらず前生の因縁は大きな力があって、私をあなたに近づけて、そしてあなたからこんなにはずかしめられています。ごもっともだとあなたになって考えれば考えられますが、そんなことをするまでに私はこの恋に盲目になっています」
まじめになっていろいろと源氏は説くが、女の冷ややかな態度は変わっていくけしきもない。女は、一世の美男であればあるほど、この人の恋人になって安んじている自分にはなれない、冷血的な女だと思われてやむのが望みであると考えて、きわめて弱い人が強さをしいてつけているのは弱竹のようで、さすがに折ることはできなかった。真からあさましいことだと思うふうに泣く様子などが可憐であった。気の毒ではあるがこのままで別れたらのちのちまでも後悔が自分を苦しめるであろうと源氏は思ったのであった。
もうどんなに勝手な考え方をしても救われない過失をしてしまったと、女の悲しんでいるのを見て、
「なぜそんなに私が憎くばかり思われるのですか。お嬢さんか何かのようにあなたの悲しむのが恨めしい」
と、源氏が言うと、
「私の運命がまだ私を人妻にしません時、親の家の娘でございました時に、こうしたあなたの熱情で思われましたのなら、それは私の迷いであっても、他日に光明のあるようなことも思ったでございましょうが、もう何もだめでございます。私には恋も何もいりません。ですからせめてなかったことだと思ってしまってください」
と言う。悲しみに沈んでいる女を源氏ももっともだと思った。真心から慰めの言葉を発しているのであった。
鶏の声がしてきた。家従たちも起きて、
「寝坊をしたものだ。早くお車の用意をせい」
そんな命令も下していた。
「女の家へ方違えにおいでになった場合とは違いますよ。早くお帰りになる必要は少しもないじゃありませんか」
と言っているのは紀伊守であった。
源氏はもうまたこんな機会が作り出せそうでないことと、今後どうして文通をすればよいか、どうもそれが不可能らしいことで胸を痛くしていた。女を行かせようとしてもまた引き留める源氏であった。
「どうしてあなたと通信をしたらいいでしょう。あくまで冷淡なあなたへの恨みも、恋も、一通りでない私が、今夜のことだけをいつまでも泣いて思っていなければならないのですか」
泣いている源氏が非常に艶に見えた。何度も鶏が鳴いた。
あわただしい心持ちで源氏はこうささやいた。女は己を省みると、不似合いという晴がましさを感ぜずにいられない源氏からどんなに熱情的に思われても、これをうれしいこととすることができないのである。それに自分としては愛情の持てない良人のいる伊予の国が思われて、こんな夢を見てはいないだろうかと考えると恐ろしかった。
と言った。ずんずん明るくなってゆく。女は襖子の所へまで送って行った。奥のほうの人も、こちらの縁のほうの人も起き出して来たんでざわついた。襖子をしめてもとの席へ帰って行く源氏は、一重の襖子が越えがたい隔ての関のように思われた。
直衣などを着て、姿を整えた源氏が縁側の高欄によりかかっているのが、隣室の縁低い衝立の上のほうから見えるのをのぞいて、源氏の美の放つ光が身の中へしみ通るように思っている女房もあった。残月のあるころで落ち着いた空の明かりが物をさわやかに照らしていた。変わったおもしろい夏の曙である。だれも知らぬ物思いを、心に抱いた源氏であるから、主観的にひどく身にしむ夜明けの風景だと思った。言づて一つする便宜がないではないかと思って顧みがちに去った。
家へ帰ってからも源氏はすぐに眠ることができなかった。再会の至難である悲しみだけを自分はしているが、自由な男でない人妻のあの人はこのほかにもいろいろな煩悶があるはずであると思いやっていた。すぐれた女ではないが、感じのよさを十分に備えた中の品だ。だから多くの経験を持った男の言うことには敬服される点があると、品定めの夜の話を思い出していた。
このごろはずっと左大臣家に源氏はいた。あれきり何とも言ってやらないことは、女の身にとってどんなに苦しいことだろうと中川の女のことがあわれまれて、始終心にかかって苦しいはてに源氏は紀伊守を招いた。
「自分の手もとへ、この間見た中納言の子供をよこしてくれないか。かわいい子だったからそばで使おうと思う。御所へ出すことも私からしてやろう」
と言うのであった。
「結構なことでございます。あの子の姉に相談してみましょう」
その人が思わず引き合いに出されたことだけででも源氏の胸は鳴った。
「その姉さんは君の弟を生んでいるの」
「そうでもございません。この二年ほど前から父の妻になっていますが、死んだ父親が望んでいたことでないような結婚をしたと思うのでしょう。不満らしいということでございます」
「かわいそうだね、評判の娘だったが、ほんとうに美しいのか」
「さあ、悪くもないのでございましょう。年のいった息子と若い継母は親しくせぬものだと申しますから、私はその習慣に従っておりまして何も詳しいことは存じません」
と紀伊守は答えていた。
紀伊守は五、六日してからその子供をつれて来た。整った顔というのではないが、艶な風采を備えていて、貴族の子らしいところがあった。そばへ呼んで源氏は打ち解けて話してやった。子供心に美しい源氏の君の恩顧を受けうる人になれたことを喜んでいた。姉のことも詳しく源氏は聞いた。返辞のできることだけは返辞をして、つつしみ深くしている子供に、源氏は秘密を打ちあけにくかった。けれども上手に嘘まじりに話して聞かせると、そんなことがあったのかと、子供心におぼろげにわかればわかるほど意外であったが、子供は深い穿鑿をしようともしない。
源氏の手紙を弟が持って来た。女はあきれて涙さえもこぼれてきた。弟がどんな想像をするだろうと苦しんだが、さすがに手紙は読むつもりらしくて、きまりの悪いのを隠すように顔の上でひろげた。さっきからからだは横にしていたのである。手紙は長かった。終わりに、
とあった。目もくらむほどの美しい字で書かれてある。涙で目が曇って、しまいには何も読めなくなって、苦しい思いの新しく加えられた運命を思い続けた。
翌日源氏の所から小君が召された。出かける時に小君は姉に返事をくれと言った。
「ああしたお手紙をいただくはずの人がありませんと申し上げればいい」
と姉が言った。
「まちがわないように言っていらっしったのにそんなお返辞はできない」
そう言うのから推せば秘密はすっかり弟に打ち明けられたものらしい、こう思うと女は源氏が恨めしくてならない。
「そんなことを言うものじゃない。大人の言うようなことを子供が言ってはいけない。お断わりができなければお邸へ行かなければいい」
無理なことを言われて、弟は、
「呼びにおよこしになったのですもの、伺わないでは」
と言って、そのまま行った。好色な紀伊守はこの継母が父の妻であることを惜しがって、取り入りたい心から小君にも優しくしてつれて歩きもするのだった。小君が来たというので源氏は居間へ呼んだ。
「昨日も一日おまえを待っていたのに出て来なかったね。私だけがおまえを愛していても、おまえは私に冷淡なんだね」
恨みを言われて、小君は顔を赤くしていた。
「返事はどこ」
小君はありのままに告げるほかに術はなかった。
「おまえは姉さんに無力なんだね、返事をくれないなんて」
そう言ったあとで、また源氏から新しい手紙が小君に渡された。
「おまえは知らないだろうね、伊予の老人よりも私はさきに姉さんの恋人だったのだ。頸の細い貧弱な男だからといって、姉さんはあの不恰好な老人を良人に持って、今だって知らないなどと言って私を軽蔑しているのだ。けれどもおまえは私の子になっておれ。姉さんがたよりにしている人はさきが短いよ」
と源氏がでたらめを言うと、小君はそんなこともあったのか、済まないことをする姉さんだと思う様子をかわいく源氏は思った。小君は始終源氏のそばに置かれて、御所へもいっしょに連れられて行ったりした。源氏は自家の衣裳係に命じて、小君の衣服を新調させたりして、言葉どおり親代わりらしく世話をしていた。女は始終源氏から手紙をもらった。けれども弟は子供であって、不用意に自分の書いた手紙を落とすようなことをしたら、もとから不運な自分がまた正しくもない恋の名を取って泣かねばならないことになるのはあまりに自分がみじめであるという考えが根底になっていて、恋を得るということも、こちらにその人の対象になれる自信のある場合にだけあることで、自分などは光源氏の相手になれる者ではないと思う心から返事をしないのであった。ほのかに見た美しい源氏を思い出さないわけではなかったのである。真実の感情を源氏に知らせてもさて何にもなるものでないと、苦しい反省をみずから強いている女であった。源氏はしばらくの間もその人が忘られなかった。気の毒にも思い恋しくも思った。女が自分とした過失に苦しんでいる様子が目から消えない。本能のおもむくままに忍んであいに行くことも、人目の多い家であるからそのことが知れては困ることになる、自分のためにも、女のためにもと思っては煩悶をしていた。
例のようにまたずっと御所にいた頃、源氏は方角の障りになる日を選んで、御所から来る途中でにわかに気がついたふうをして紀伊守の家へ来た。紀伊守は驚きながら、
「前栽の水の名誉でございます」
こんな挨拶をしていた。小君の所へは昼のうちからこんな手はずにすると源氏は言ってやってあって、約束ができていたのである。
始終そばへ置いている小君であったから、源氏はさっそく呼び出した。女のほうへも手紙は行っていた。自身に逢おうとして払われる苦心は女の身にうれしいことではあったが、そうかといって、源氏の言うままになって、自己が何であるかを知らないように恋人として逢う気にはならないのである。夢であったと思うこともできる過失を、また繰り返すことになってはならぬとも思った。妄想で源氏の恋人気どりになって待っていることは自分にできないと女は決めて、小君が源氏の座敷のほうへ出て行くとすぐに、
「あまりお客様の座敷に近いから失礼な気がする。私は少しからだが苦しくて、腰でもたたいてほしいのだから、遠い所のほうが都合がよい」
と言って、渡殿に持っている中将という女房の部屋へ移って行った。初めから計画的に来た源氏であるから、家従たちを早く寝させて、女へ都合を聞かせに小君をやった。小君に姉の居所がわからなかった。やっと渡殿の部屋を捜しあてて来て、源氏への冷酷な姉の態度を恨んだ。
「こんなことをして、姉さん。どんなに私が無力な子供だと思われるでしょう」
もう泣き出しそうになっている。
「なぜおまえは子供のくせによくない役なんかするの、子供がそんなことを頼まれてするのはとてもいけないことなのだよ」
としかって、
「気分が悪くて、女房たちをそばへ呼んで介抱をしてもらっていますって申せばいいだろう。皆が怪しがりますよ、こんな所へまで来てそんなことを言っていて」
取りつくしまもないように姉は言うのであったが、心の中では、こんなふうに運命が決まらないころ、父が生きていたころの自分の家へ、たまさかでも源氏を迎えることができたら自分は幸福だったであろう。しいて作るこの冷淡さを、源氏はどんなにわが身知らずの女だとお思いになることだろうと思って、自身の意志でしていることであるが胸が痛いようにさすがに思われた。どうしてもこうしても人妻という束縛は解かれないのであるから、どこまでも冷ややかな態度を押し通して変えまいという気に女はなっていた。
源氏はどんなふうに計らってくるだろうと、頼みにする者が少年であることを気がかりに思いながら寝ているところへ、だめであるという報せを小君が持って来た。女のあさましいほどの冷淡さを知って源氏は言った。
「私はもう自分が恥ずかしくってならなくなった」
気の毒なふうであった。それきりしばらくは何も言わない。そして苦しそうに吐息をしてからまた女を恨んだ。
今夜のこの心持ちはどう言っていいかわからない、と小君に言ってやった。女もさすがに眠れないで悶えていたのである。それで、
という歌を弟に言わせた。小君は源氏に同情して、眠がらずに往ったり来たりしているのを、女は人が怪しまないかと気にしていた。
いつものように酔った従者たちはよく眠っていたが、源氏一人はあさましくて寝入れない。普通の女と変わった意志の強さのますます明確になってくる相手が恨めしくて、もうどうでもよいとちょっとの間は思うがすぐにまた恋しさがかえってくる。
「どうだろう、隠れている場所へ私をつれて行ってくれないか」
「なかなか開きそうにもなく戸じまりがされていますし、女房もたくさんおります。そんな所へ、もったいないことだと思います」
と小君が言った。源氏が気の毒でたまらないと小君は思っていた。
「じゃあもういい。おまえだけでも私を愛してくれ」
と言って、源氏は小君をそばに寝させた。若い美しい源氏の君の横に寝ていることが子供心に非常にうれしいらしいので、この少年のほうが無情な恋人よりもかわいいと源氏は思った。
空蝉
眠れない源氏は、
「私はこんなにまで人から冷淡にされたことはこれまでないのだから、今晩はじめて人生は悲しいものだと教えられた。恥ずかしくて生きていられない気がする」
などと言うのを小君は聞いて涙さえもこぼしていた。非常にかわいく源氏は思った。思いなしか手あたりの小柄なからだ、そう長くは感じなかったあの人の髪もこれに似ているように思われてなつかしい気がした。この上しいて女を動かそうとすることも見苦しいことに思われたし、また真から恨めしくもなっている心から、それきり言づてをすることもやめて、翌朝早く帰って行ったのを、小君は気の毒な物足りないことに思った。女も非常にすまないと思っていたが、それからはもう手紙も来なかった。お憤りになったのだと思うとともに、このまま自分が忘れられてしまうのは悲しいという気がした。それかといって無理な道をしいてあの方が通ろうとなさることの続くのはいやである。それを思うとこれで結末になってもよいのであると思って、理性では是認しながら物思いをしていた。
源氏は、ひどい人であると思いながら、このまま成り行きにまかせておくことはできないような焦慮を覚えた。
「あんな無情な恨めしい人はないと私は思って、忘れようとしても自分の心が自分の思うようにならないから苦しんでいるのだよ。もう一度逢えるようないい機会をおまえが作ってくれ」
こんなことを始終小君は言われていた。困りながらこんなことででも自分を源氏が必要な人物にしてくれるのがうれしかった。子供心に機会をねらっていたが、そのうちに紀伊守が任地へ立ったりして、残っているのは女の家族だけになったころのある日、夕方の物の見分けの紛れやすい時間に、自身の車に源氏を同乗させて家へ来た。なんといっても案内者は子供なのであるからと源氏は不安な気はしたが、慎重になどしてかかれることでもなかった。目だたぬ服装をして紀伊守家の門のしめられないうちにと急いだのである。少年のことであるから家の侍などが追従して出迎えたりはしないのでまずよかった。東側の妻戸の外に源氏を立たせて、小君自身は縁を一回りしてから、南の隅の座敷の外から元気よくたたいて戸を上げさせて中へはいった。女房が、
「そんなにしては人がお座敷を見ます」
と小言を言っている。
「どうしたの、こんなに今日は暑いのに早く格子をおろしたの」
「お昼から西の対――寝殿の左右にある対の屋の一つ――のお嬢様が来ていらっしって碁を打っていらっしゃるのです」
と女房は言った。
源氏は恋人とその継娘が碁盤を中にして対い合っているのをのぞいて見ようと思って開いた口からはいって、妻戸と御簾の間へ立った。小君の上げさせた格子がまだそのままになっていて、外から夕明かりがさしているから、西向きにずっと向こうの座敷までが見えた。こちらの室の御簾のそばに立てた屏風も端のほうが都合よく畳まれているのである。普通ならば目ざわりになるはずの几帳なども今日の暑さのせいで垂れは上げて棹にかけられている。灯が人の座に近く置かれていた。中央の室の中柱に寄り添ってすわったのが恋しい人であろうかと、まずそれに目が行った。紫の濃い綾の単衣襲の上に何かの上着をかけて、頭の恰好のほっそりとした小柄な女である。顔などは正面にすわった人からも全部が見られないように注意をしているふうだった。痩せっぽちの手はほんの少しより袖から出ていない。もう一人は顔を東向きにしていたからすっかり見えた。白い薄衣の単衣襲に淡藍色の小袿らしいものを引きかけて、紅い袴の紐の結び目の所までも着物の襟がはだけて胸が出ていた。きわめて行儀のよくないふうである。色が白くて、よく肥えていて頭の形と、髪のかかった額つきが美しい。目つきと口もとに愛嬌があって派手な顔である。髪は多くて、長くはないが、二つに分けて顔から肩へかかったあたりがきれいで、全体が朗らかな美人と見えた。源氏は、だから親が自慢にしているのだと興味がそそられた。静かな性質を少し添えてやりたいとちょっとそんな気がした。才走ったところはあるらしい。碁が終わって駄目石を入れる時など、いかにも利巧に見えて、そして蓮葉に騒ぐのである。奥のほうの人は静かにそれをおさえるようにして、
「まあお待ちなさい。そこは両方ともいっしょの数でしょう。それからここにもあなたのほうの目がありますよ」
などと言うが、
「いいえ、今度は負けましたよ。そうそう、この隅の所を勘定しなくては」
指を折って、十、二十、三十、四十と数えるのを見ていると、無数だという伊予の温泉の湯桁の数もこの人にはすぐわかるだろうと思われる。少し下品である。袖で十二分に口のあたりを掩うて隙見男に顔をよく見せないが、その今一人に目をじっとつけていると次第によくわかってきた。少し腫れぼったい目のようで、鼻などもよく筋が通っているとは見えない。はなやかなところはどこもなくて、一つずついえば醜いほうの顔であるが、姿態がいかにもよくて、美しい今一人よりも人の注意を多く引く価値があった。派手な愛嬌のある顔を性格からあふれる誇りに輝かせて笑うほうの女は、普通の見方をもってすれば確かに美人である。軽佻だと思いながらも若い源氏はそれにも関心が持てた。源氏のこれまで知っていたのは、皆正しく行儀よく、つつましく装った女性だけであった。こうしただらしなくしている女の姿を隙見したりしたことははじめての経験であったから、隙見男のいることを知らない女はかわいそうでも、もう少し立っていたく思った時に、小君が縁側へ出て来そうになったので静かにそこを退いた。そして妻戸の向かいになった渡殿の入り口のほうに立っていると小君が来た。済まないような表情をしている。
「平生いない人が来ていまして、姉のそばへ行かれないのです」
「そして今晩のうちに帰すのだろうか。逢えなくてはつまらない」
「そんなことはないでしょう。あの人が行ってしまいましたら私がよくいたします」
と言った。さも成功の自信があるようなことを言う、子供だけれど目はしがよく利くのだからよくいくかもしれないと源氏は思っていた。碁の勝負がいよいよ終わったのか、人が分かれ分かれに立って行くような音がした。
「若様はどこにいらっしゃいますか。このお格子はしめてしまいますよ」
と言って格子をことことと中から鳴らした。
「もう皆寝るのだろう、じゃあはいって行って上手にやれ」
と源氏は言った。小君もきまじめな姉の心は動かせそうではないのを知って相談はせずに、そばに人の少ない時に寝室へ源氏を導いて行こうと思っているのである。
「紀伊守の妹もこちらにいるのか。私に隙見させてくれ」
「そんなこと、格子には几帳が添えて立ててあるのですから」
と小君が言う。そのとおりだ、しかし、そうだけれどと源氏はおかしく思ったが、見たとは知らすまい、かわいそうだと考えて、ただ夜ふけまで待つ苦痛を言っていた。小君は、今度は横の妻戸をあけさせてはいって行った。
女房たちは皆寝てしまった。
「この敷居の前で私は寝る。よく風が通るから」
と言って、小君は板間に上敷をひろげて寝た。女房たちは東南の隅の室に皆はいって寝たようである。小君のために妻戸をあけに出て来た童女もそこへはいって寝た。しばらく空寝入りをして見せたあとで、小君はその隅の室からさしている灯の明りのほうを、ひろげた屏風で隔ててこちらは暗くなった妻戸の前の室へ源氏を引き入れた。人目について恥をかきそうな不安を覚えながら、源氏は導かれるままに中央の母屋の几帳の垂絹をはねて中へはいろうとした。
それはきわめて細心に行なっていることであったが、家の中が寝静まった時間には、柔らかな源氏の衣摺れの音も耳立った。女は近ごろ源氏の手紙の来なくなったのを、安心のできることに思おうとするのであったが、今も夢のようなあの夜の思い出をなつかしがって、毎夜安眠もできなくなっているころであった。
人知れぬ恋は昼は終日物思いをして、夜は寝ざめがちな女にこの人をしていた。碁の相手の娘は、今夜はこちらで泊まるといって若々しい屈託のない話をしながら寝てしまった。無邪気に娘はよく睡っていたが、源氏がこの室へ寄って来て、衣服の持つ薫物の香が流れてきた時に気づいて女は顔を上げた。夏の薄い几帳越しに人のみじろぐのが暗い中にもよく感じられるのであった。静かに起きて、薄衣の単衣を一つ着ただけでそっと寝室を抜けて出た。
はいって来た源氏は、外にだれもいず一人で女が寝ていたのに安心した。帳台から下の所に二人ほど女房が寝ていた。上に被いた着物をのけて寄って行った時に、あの時の女よりも大きい気がしてもまだ源氏は恋人だとばかり思っていた。あまりによく眠っていることなどに不審が起こってきて、やっと源氏にその人でないことがわかった。あきれるとともにくやしくてならぬ心になったが、人違いであるといってここから出て行くことも怪しがられることで困ったと源氏は思った。その人の隠れた場所へ行っても、これほどに自分から逃げようとするのに一心である人は快く自分に逢うはずもなくて、ただ侮蔑されるだけであろうという気がして、これがあの美人であったら今夜の情人にこれをしておいてもよいという心になった。これでつれない人への源氏の恋も何ほどの深さかと疑われる。
やっと目がさめた女はあさましい成り行きにただ驚いているだけで、真から気の毒なような感情が源氏に起こってこない。娘であった割合には蓮葉な生意気なこの人はあわてもしない。源氏は自身でないようにしてしまいたかったが、どうしてこんなことがあったかと、あとで女を考えてみる時に、それは自分のためにはどうでもよいことであるが、自分の恋しい冷ややかな人が、世間をあんなにはばかっていたのであるから、このことで秘密を暴露させることになってはかわいそうであると思った。それでたびたび方違えにこの家を選んだのはあなたに接近したいためだったと告げた。少し考えてみる人には継母との関係がわかるであろうが、若い娘心はこんな生意気な人ではあってもそれに思い至らなかった。憎くはなくても心の惹かれる点のない気がして、この時でさえ源氏の心は無情な人の恋しさでいっぱいだった。どこの隅にはいって自分の思い詰め方を笑っているのだろう、こんな真実心というものはざらにあるものでもないのにと、あざける気になってみても真底はやはりその人が恋しくてならないのである。
しかし何の疑いも持たない新しい情人も可憐に思われる点があって、源氏は言葉上手にのちのちの約束をしたりしていた。
「公然の関係よりもこうした忍んだ中のほうが恋を深くするものだと昔から皆言ってます。あなたも私を愛してくださいよ。私は世間への遠慮がないでもないのだから、思ったとおりの行為はできないのです。あなたの側でも父や兄がこの関係に好意を持ってくれそうなことを私は今から心配している。忘れずにまた逢いに来る私を待っていてください」
などと、安っぽい浮気男の口ぶりでものを言っていた。
「人にこの秘密を知らせたくありませんから、私は手紙もようあげません」
女は素直に言っていた。
「皆に怪しがられるようにしてはいけないが、この家の小さい殿上人ね、あれに託して私も手紙をあげよう。気をつけなくてはいけませんよ、秘密をだれにも知らせないように」
と言い置いて、源氏は恋人がさっき脱いで行ったらしい一枚の薄衣を手に持って出た。
隣の室に寝ていた小君を起こすと、源氏のことを気がかりに思いながら寝ていたので、すぐに目をさました。小君が妻戸を静かにあけると、年の寄った女の声で、
「だれですか」
おおげさに言った。めんどうだと思いながら小君は、
「私だ」
と言う。
「こんな夜中にどこへおいでになるんですか」
小賢しい老女がこちらへ歩いて来るふうである。小君は憎らしく思って、
「ちょっと外へ出るだけだよ」
と言いながら源氏を戸口から押し出した。夜明けに近い時刻の明るい月光が外にあって、ふと人影を老女は見た。
「もう一人の方はどなた」
と言った老女が、また、
「民部さんでしょう。すばらしく背の高い人だね」
と言う。朋輩の背高女のことをいうのであろう。老女は小君と民部がいっしょに行くのだと思っていた。
「今にあなたも負けない背丈になりますよ」
と言いながら源氏たちの出た妻戸から老女も外へ出て来た。困りながらも老女を戸口へ押し返すこともできずに、向かい側の渡殿の入り口に添って立っていると、源氏のそばへ老女が寄って来た。
「あんた、今夜はお居間に行っていたの。私はお腹の具合が悪くて部屋のほうで休んでいたのですがね。不用心だから来いと言って呼び出されたもんですよ。どうも苦しくて我慢ができませんよ」
こぼして聞かせるのである。
「痛い、ああ痛い。またあとで」
と言って行ってしまった。やっと源氏はそこを離れることができた。冒険はできないと源氏は懲りた。
小君を車のあとに乗せて、源氏は二条の院へ帰った。その人に逃げられてしまった今夜の始末を源氏は話して、おまえは子供だ、やはりだめだと言い、その姉の態度があくまで恨めしいふうに語った。気の毒で小君は何とも返辞をすることができなかった。
「姉さんは私をよほどきらっているらしいから、そんなにきらわれる自分がいやになった。そうじゃないか、せめて話すことぐらいはしてくれてもよさそうじゃないか。私は伊予介よりつまらない男に違いない」
恨めしい心から、こんなことを言った。そして持って来た薄い着物を寝床の中へ入れて寝た。小君をすぐ前に寝させて、恨めしく思うことも、恋しい心持ちも言っていた。
「おまえはかわいいけれど、恨めしい人の弟だから、いつまでも私の心がおまえを愛しうるかどうか」
まじめそうに源氏がこう言うのを聞いて小君はしおれていた。しばらく目を閉じていたが源氏は寝られなかった。起きるとすぐに硯を取り寄せて手紙らしい手紙でなく無駄書きのようにして書いた。
この歌を渡された小君は懐の中へよくしまった。あの娘へも何か言ってやらねばと源氏は思ったが、いろいろ考えた末に手紙を書いて小君に託することはやめた。
あの薄衣は小袿だった。なつかしい気のする匂いが深くついているのを源氏は自身のそばから離そうとしなかった。
小君が姉のところへ行った。空蝉は待っていたようにきびしい小言を言った。
「ほんとうに驚かされてしまった。私は隠れてしまったけれど、だれがどんなことを想像するかもしれないじゃないの。あさはかなことばかりするあなたを、あちらではかえって軽蔑なさらないかと心配する」
源氏と姉の中に立って、どちらからも受ける小言の多いことを小君は苦しく思いながらことづかった歌を出した。さすがに中をあけて空蝉は読んだ。抜け殻にして源氏に取られた小袿が、見苦しい着古しになっていなかったろうかなどと思いながらもその人の愛が身に沁んだ。空蝉のしている煩悶は複雑だった。
西の対の人も今朝は恥ずかしい気持ちで帰って行ったのである。一人の女房すらも気のつかなかった事件であったから、ただ一人で物思いをしていた。小君が家の中を往来する影を見ても胸をおどらせることが多いにもかかわらず手紙はもらえなかった。これを男の冷淡さからとはまだ考えることができないのであるが、蓮葉な心にも愁を覚える日があったであろう。
冷静を装っていながら空蝉も、源氏の真実が感ぜられるにつけて、娘の時代であったならとかえらぬ運命が悲しくばかりなって、源氏から来た歌の紙の端に、
こんな歌を書いていた。
夕顔
源氏が六条に恋人を持っていたころ、御所からそこへ通う途中で、だいぶ重い病気をし尼になった大弐の乳母を訪ねようとして、五条辺のその家へ来た。乗ったままで車を入れる大門がしめてあったので、従者に呼び出させた乳母の息子の惟光の来るまで、源氏はりっぱでないその辺の町を車からながめていた。惟光の家の隣に、新しい檜垣を外囲いにして、建物の前のほうは上げ格子を四、五間ずっと上げ渡した高窓式になっていて、新しく白い簾を掛け、そこからは若いきれいな感じのする額を並べて、何人かの女が外をのぞいている家があった。高い窓に顔が当たっているその人たちは非常に背の高いもののように思われてならない。どんな身分の者の集まっている所だろう。風変わりな家だと源氏には思われた。今日は車も簡素なのにして目だたせない用意がしてあって、前駆の者にも人払いの声を立てさせなかったから、源氏は自分のだれであるかに町の人も気はつくまいという気楽な心持ちで、その家を少し深くのぞこうとした。門の戸も蔀風になっていて上げられてある下から家の全部が見えるほどの簡単なものである。哀れに思ったが、ただ仮の世の相であるから宮も藁屋も同じことという歌が思われて、われわれの住居だって一所だとも思えた。端隠しのような物に青々とした蔓草が勢いよくかかっていて、それの白い花だけがその辺で見る何よりもうれしそうな顔で笑っていた。そこに白く咲いているのは何の花かという歌を口ずさんでいると、中将の源氏につけられた近衛の随身が車の前に膝をかがめて言った。
「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根に咲くものでございます」
その言葉どおりで、貧しげな小家がちのこの通りのあちら、こちら、あるものは倒れそうになった家の軒などにもこの花が咲いていた。
「気の毒な運命の花だね。一枝折ってこい」
と源氏が言うと、蔀風の門のある中へはいって随身は花を折った。ちょっとしゃれた作りになっている横戸の口に、黄色の生絹の袴を長めにはいた愛らしい童女が出て来て随身を招いて、白い扇を色のつくほど薫物で燻らしたのを渡した。
「これへ載せておあげなさいまし。手で提げては不恰好な花ですもの」
随身は、夕顔の花をちょうどこの時門をあけさせて出て来た惟光の手から源氏へ渡してもらった。
「鍵の置き所がわかりませんでして、たいへん失礼をいたしました。よいも悪いも見分けられない人の住む界わいではございましても、見苦しい通りにお待たせいたしまして」
と惟光は恐縮していた。車を引き入れさせて源氏の乳母の家へ下りた。惟光の兄の阿闍梨、乳母の婿の三河守、娘などが皆このごろはここに来ていて、こんなふうに源氏自身で見舞いに来てくれたことを非常にありがたがっていた。尼も起き上がっていた。
「もう私は死んでもよいと見られる人間なんでございますが、少しこの世に未練を持っておりましたのはこうしてあなた様にお目にかかるということがあの世ではできませんからでございます。尼になりました功徳で病気が楽になりまして、こうしてあなた様の御前へも出られたのですから、もうこれで阿弥陀様のお迎えも快くお待ちすることができるでしょう」
などと言って弱々しく泣いた。
「長い間恢復しないあなたの病気を心配しているうちに、こんなふうに尼になってしまわれたから残念です。長生きをして私の出世する時を見てください。そのあとで死ねば九品蓮台の最上位にだって生まれることができるでしょう。この世に少しでも飽き足りない心を残すのはよくないということだから」
源氏は涙ぐんで言っていた。欠点のある人でも、乳母というような関係でその人を愛している者には、それが非常にりっぱな完全なものに見えるのであるから、まして養君がこの世のだれよりもすぐれた源氏の君であっては、自身までも普通の者でないような誇りを覚えている彼女であったから、源氏からこんな言葉を聞いてはただうれし泣きをするばかりであった。息子や娘は母の態度を飽き足りない歯がゆいもののように思って、尼になっていながらこの世への未練をお見せするようなものである、俗縁のあった方に惜しんで泣いていただくのはともかくもだがというような意味を、肱を突いたり、目くばせをしたりして兄弟どうしで示し合っていた。源氏は乳母を憐んでいた。
「母や祖母を早く失くした私のために、世話する役人などは多数にあっても、私の最も親しく思われた人はあなただったのだ。大人になってからは少年時代のように、いつもいっしょにいることができず、思い立つ時にすぐに訪ねて来るようなこともできないのですが、今でもまだあなたと長く逢わないでいると心細い気がするほどなんだから、生死の別れというものがなければよいと昔の人が言ったようなことを私も思う」
しみじみと話して、袖で涙を拭いている美しい源氏を見ては、この方の乳母でありえたわが母もよい前生の縁を持った人に違いないという気がして、さっきから批難がましくしていた兄弟たちも、しんみりとした同情を母へ持つようになった。源氏が引き受けて、もっと祈祷を頼むことなどを命じてから、帰ろうとする時に惟光に蝋燭を点させて、さっき夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。
散らし書きの字が上品に見えた。少し意外だった源氏は、風流遊戯をしかけた女性に好感を覚えた。惟光に、
「この隣の家にはだれが住んでいるのか、聞いたことがあるか」
と言うと、惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。
「この五、六日母の家におりますが、病人の世話をしておりますので、隣のことはまだ聞いておりません」
惟光が冷淡に答えると、源氏は、
「こんなことを聞いたのでおもしろく思わないんだね。でもこの扇が私の興味をひくのだ。この辺のことに詳しい人を呼んで聞いてごらん」
と言った。はいって行って隣の番人と逢って来た惟光は、
「地方庁の介の名だけをいただいている人の家でございました。主人は田舎へ行っているそうで、若い風流好きな細君がいて、女房勤めをしているその姉妹たちがよく出入りすると申します。詳しいことは下人で、よくわからないのでございましょう」
と報告した。ではその女房をしているという女たちなのであろうと源氏は解釈して、いい気になって、物馴れた戯れをしかけたものだと思い、下の品であろうが、自分を光源氏と見て詠んだ歌をよこされたのに対して、何か言わねばならぬという気がした。というのは女性にはほだされやすい性格だからである。懐紙に、別人のような字体で書いた。
花を折りに行った随身に持たせてやった。夕顔の花の家の人は源氏を知らなかったが、隣の家の主人筋らしい貴人はそれらしく思われて贈った歌に、返事のないのにきまり悪さを感じていたところへ、わざわざ使いに返歌を持たせてよこされたので、またこれに対して何か言わねばならぬなどと皆で言い合ったであろうが、身分をわきまえないしかただと反感を持っていた随身は、渡す物を渡しただけですぐに帰って来た。
前駆の者が馬上で掲げて行く松明の明りがほのかにしか光らないで源氏の車は行った。高窓はもう戸がおろしてあった。その隙間から蛍以上にかすかな灯の光が見えた。
源氏の恋人の六条貴女の邸は大きかった。広い美しい庭があって、家の中は気高く上手に住み馴らしてあった。まだまったく源氏の物とも思わせない、打ち解けぬ貴女を扱うのに心を奪われて、もう源氏は夕顔の花を思い出す余裕を持っていなかったのである。早朝の帰りが少しおくれて、日のさしそめたころに出かける源氏の姿には、世間から大騒ぎされるだけの美は十分に備わっていた。
今朝も五条の蔀風の門の前を通った。以前からの通り路ではあるが、あのちょっとしたことに興味を持ってからは、行き来のたびにその家が源氏の目についた。幾日かして惟光が出て来た。
「病人がまだひどく衰弱しているものでございますから、どうしてもそのほうの手が離せませんで、失礼いたしました」
こんな挨拶をしたあとで、少し源氏の君の近くへ膝を進めて惟光朝臣は言った。
「お話がございましたあとで、隣のことによく通じております者を呼び寄せまして、聞かせたのでございますが、よくは話さないのでございます。この五月ごろからそっと来て同居している人があるようですが、どなたなのか、家の者にもわからせないようにしていますと申すのです。時々私の家との間の垣根から私はのぞいて見るのですが、いかにもあの家には若い女の人たちがいるらしい影が簾から見えます。主人がいなければつけない裳を言いわけほどにでも女たちがつけておりますから、主人である女が一人いるに違いございません。昨日夕日がすっかり家の中へさし込んでいました時に、すわって手紙を書いている女の顔が非常にきれいでした。物思いがあるふうでございましたよ。女房の中には泣いている者も確かにおりました」
源氏はほほえんでいたが、もっと詳しく知りたいと思うふうである。自重をなさらなければならない身分は身分でも、この若さと、この美の備わった方が、恋愛に興味をお持ちにならないでは、第三者が見ていても物足らないことである。恋愛をする資格がないように思われているわれわれでさえもずいぶん女のことでは好奇心が動くのであるからと惟光は主人をながめていた。
「そんなことから隣の家の内の秘密がわからないものでもないと思いまして、ちょっとした機会をとらえて隣の女へ手紙をやってみました。するとすぐに書き馴れた達者な字で返事がまいりました、相当によい若い女房もいるらしいのです」
「おまえは、なおどしどし恋の手紙を送ってやるのだね。それがよい。その人の正体が知れないではなんだか安心ができない」
と源氏が言った。家は下の下に属するものと品定めの人たちに言われるはずの所でも、そんな所から意外な趣のある女を見つけ出すことがあればうれしいに違いないと源氏は思うのである。
源氏は空蝉の極端な冷淡さをこの世の女の心とは思われないと考えると、あの女が言うままになる女であったなら、気の毒な過失をさせたということだけで、もう過去へ葬ってしまったかもしれないが、強い態度を取り続けられるために、負けたくないと反抗心が起こるのであるとこんなふうに思われて、その人を忘れている時は少ないのである。これまでは空蝉階級の女が源氏の心を引くようなこともなかったが、あの雨夜の品定めを聞いて以来好奇心はあらゆるものに動いて行った。何の疑いも持たずに一夜の男を思っているもう一人の女を憐まないのではないが、冷静にしている空蝉にそれが知れるのを、恥ずかしく思って、いよいよ望みのないことのわかる日まではと思ってそれきりにしてあるのであったが、そこへ伊予介が上京して来た。そして真先に源氏の所へ伺候した。長い旅をして来たせいで、色が黒くなりやつれた伊予の長官は見栄も何もなかった。しかし家柄もいいものであったし、顔だちなどに老いてもなお整ったところがあって、どこか上品なところのある地方官とは見えた。任地の話などをしだすので、湯の郡の温泉話も聞きたい気はあったが、何ゆえとなしにこの人を見るときまりが悪くなって、源氏の心に浮かんでくることは数々の罪の思い出であった。まじめな生一本の男と対っていて、やましい暗い心を抱くとはけしからぬことである。人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを左馬頭の言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが、この良人のためには尊敬すべき態度であると思うようになった。
伊予介が娘を結婚させて、今度は細君を同伴して行くという噂は、二つとも源氏が無関心で聞いていられないことだった。恋人が遠国へつれられて行くと聞いては、再会を気長に待っていられなくなって、もう一度だけ逢うことはできぬかと、小君を味方にして空蝉に接近する策を講じたが、そんな機会を作るということは相手の女も同じ目的を持っている場合だっても困難なのであるのに、空蝉のほうでは源氏と恋をすることの不似合いを、思い過ぎるほどに思っていたのであるから、この上罪を重ねようとはしないのであって、とうてい源氏の思うようにはならないのである。空蝉はそれでも自分が全然源氏から忘れられるのも非常に悲しいことだと思って、おりおりの手紙の返事などに優しい心を見せていた。なんでもなく書く簡単な文字の中に可憐な心が混じっていたり、芸術的な文章を書いたりして源氏の心を惹くものがあったから、冷淡な恨めしい人であって、しかも忘れられない女になっていた。もう一人の女は他人と結婚をしても思いどおりに動かしうる女だと思っていたから、いろいろな噂を聞いても源氏は何とも思わなかった。秋になった。このごろの源氏はある発展を遂げた初恋のその続きの苦悶の中にいて、自然左大臣家へ通うことも途絶えがちになって恨めしがられていた。六条の貴女との関係も、その恋を得る以前ほどの熱をまた持つことのできない悩みがあった。自分の態度によって女の名誉が傷つくことになってはならないと思うが、夢中になるほどその人の恋しかった心と今の心とは、多少懸隔のあるものだった。六条の貴女はあまりにものを思い込む性質だった。源氏よりは八歳上の二十五であったから、不似合いな相手と恋に堕ちて、すぐにまた愛されぬ物思いに沈む運命なのだろうかと、待ち明かしてしまう夜などには煩悶することが多かった。
霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、睡むそうなふうで歎息をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子を一間だけ上げて、女主人に見送らせるために几帳を横へ引いてしまった。それで貴女は頭を上げて外をながめていた。いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。非常に美しい。廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫の薄物の裳をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶であった。源氏は振り返って曲がり角の高欄の所へしばらく中将を引き据えた。なお主従の礼をくずさない態度も額髪のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。
どうすればいい」
こう言って源氏は女の手を取った。物馴れたふうで、すぐに、
と言う。源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。美しい童侍の恰好のよい姿をした子が、指貫の袴を露で濡らしながら、草花の中へはいって行って朝顔の花を持って来たりもするのである、この秋の庭は絵にしたいほどの趣があった。源氏を遠くから知っているほどの人でもその美を敬愛しない者はない、情趣を解しない山の男でも、休み場所には桜の蔭を選ぶようなわけで、その身分身分によって愛している娘を源氏の女房にさせたいと思ったり、相当な女であると思う妹を持った兄が、ぜひ源氏の出入りする家の召使にさせたいとか皆思った。まして何かの場合には優しい言葉を源氏からかけられる女房、この中将のような女はおろそかにこの幸福を思っていない。情人になろうなどとは思いも寄らぬことで、女主人の所へ毎日おいでになればどんなにうれしいであろうと思っているのであった。
それから、あの惟光の受け持ちの五条の女の家を探る件、それについて惟光はいろいろな材料を得てきた。
「まだだれであるかは私にわからない人でございます。隠れていることの知れないようにとずいぶん苦心する様子です。閑暇なものですから、南のほうの高い窓のある建物のほうへ行って、車の音がすると若い女房などは外をのぞくようですが、その主人らしい人も時にはそちらへ行っていることがございます。その人は、よくは見ませんがずいぶん美人らしゅうございます。この間先払いの声を立てさせて通る車がございましたが、それをのぞいて女の童が後ろの建物のほうへ来て、『右近さん、早くのぞいてごらんなさい、中将さんが通りをいらっしゃいます』と言いますと相当な女房が出て来まして、『まあ静かになさいよ』と手でおさえるようにしながら、『まあどうしてそれがわかったの、私がのぞいて見ましょう』と言って前の家のほうへ行くのですね、細い渡り板が通路なんですから、急いで行く人は着物の裾を引っかけて倒れたりして、橋から落ちそうになって、『まあいやだ』などと大騒ぎで、もうのぞきに出る気もなくなりそうなんですね。車の人は直衣姿で、随身たちもおりました。だれだれも、だれだれもと数えている名は頭中将の随身や少年侍の名でございました」
などと言った。
「確かにその車の主が知りたいものだ」
もしかすればそれは頭中将が忘られないように話した常夏の歌の女ではないかと思った源氏の、も少しよく探りたいらしい顔色を見た惟光は、
「われわれ仲間の恋と見せかけておきまして、実はその上に御主人のいらっしゃることもこちらは承知しているのですが、女房相手の安価な恋の奴になりすましております。向こうでは上手に隠せていると思いまして私が訪ねて行ってる時などに、女の童などがうっかり言葉をすべらしたりいたしますと、いろいろに言い紛らしまして、自分たちだけだというふうを作ろうといたします」
と言って笑った。
「おまえの所へ尼さんを見舞いに行った時に隣をのぞかせてくれ」
と源氏は言っていた。たとえ仮住まいであってもあの五条の家にいる人なのだから、下の品の女であろうが、そうした中におもしろい女が発見できればと思うのである。源氏の機嫌を取ろうと一所懸命の惟光であったし、彼自身も好色者で他の恋愛にさえも興味を持つほうであったから、いろいろと苦心をした末に源氏を隣の女の所へ通わせるようにした。
女のだれであるかをぜひ知ろうともしないとともに、源氏は自身の名もあらわさずに、思いきり質素なふうをして多くは車にも乗らずに通った。深く愛しておらねばできぬことだと惟光は解釈して、自身の乗る馬に源氏を乗せて、自身は徒歩で供をした。
「私から申し込みを受けたあすこの女はこの態を見たら驚くでしょう」
などとこぼしてみせたりしたが、このほかには最初夕顔の花を折りに行った随身と、それから源氏の召使であるともあまり顔を知られていない小侍だけを供にして行った。それから知れることになってはとの気づかいから、隣の家へ寄るようなこともしない。女のほうでも不思議でならない気がした。手紙の使いが来るとそっと人をつけてやったり、男の夜明けの帰りに道を窺わせたりしても、先方は心得ていてそれらをはぐらかしてしまった。しかも源氏の心は十分に惹かれて、一時的な関係にとどめられる気はしなかった。これを不名誉だと思う自尊心に悩みながらしばしば五条通いをした。恋愛問題ではまじめな人も過失をしがちなものであるが、この人だけはこれまで女のことで世間の批難を招くようなことをしなかったのに、夕顔の花に傾倒してしまった心だけは別だった。別れ行く間も昼の間もその人をかたわらに見がたい苦痛を強く感じた。源氏は自身で、気違いじみたことだ、それほどの価値がどこにある恋人かなどと反省もしてみるのである。驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもない。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人ではないようである。どこがそんなに自分を惹きつけるのであろうと不思議でならなかった。わざわざ平生の源氏に用のない狩衣などを着て変装した源氏は顔なども全然見せない。ずっと更けてから、人の寝静まったあとで行ったり、夜のうちに帰ったりするのであるから、女のほうでは昔の三輪の神の話のような気がして気味悪く思われないではなかった。しかしどんな人であるかは手の触覚からでもわかるものであるから、若い風流男以外な者に源氏を観察していない。やはり好色な隣の五位が導いて来た人に違いないと惟光を疑っているが、その人はまったく気がつかぬふうで相変わらず女房の所へ手紙を送って来たり、訪ねて来たりするので、どうしたことかと女のほうでも普通の恋の物思いとは違った煩悶をしていた。源氏もこんなに真実を隠し続ければ、自分も女のだれであるかを知りようがない、今の家が仮の住居であることは間違いのないことらしいから、どこかへ移って行ってしまった時に、自分は呆然とするばかりであろう。行くえを失ってもあきらめがすぐつくものならよいが、それは断然不可能である。世間をはばかって間を空ける夜などは堪えられない苦痛を覚えるのだと源氏は思って、世間へはだれとも知らせないで二条の院へ迎えよう、それを悪く言われても自分はそうなる前生の因縁だと思うほかはない、自分ながらもこれほど女に心を惹かれた経験が過去にないことを思うと、どうしても約束事と解釈するのが至当である、こんなふうに源氏は思って、
「あなたもその気におなりなさい。私は気楽な家へあなたをつれて行って夫婦生活がしたい」こんなことを女に言い出した。
「でもまだあなたは私を普通には取り扱っていらっしゃらない方なんですから不安で」
若々しく夕顔が言う。源氏は微笑された。
「そう、どちらかが狐なんだろうね。でも欺されていらっしゃればいいじゃない」
なつかしいふうに源氏が言うと、女はその気になっていく。どんな欠点があるにしても、これほど純な女を愛せずにはいられないではないかと思った時、源氏は初めからその疑いを持っていたが、頭中将の常夏の女はいよいよこの人らしいという考えが浮かんだ。しかし隠しているのはわけのあることであろうからと思って、しいて聞く気にはなれなかった。感情を害した時などに突然そむいて行ってしまうような性格はなさそうである、自分が途絶えがちになったりした時には、あるいはそんな態度に出るかもしれぬが、自分ながら少し今の情熱が緩和された時にかえって女のよさがわかるのではないかと、それを望んでもできないのだから途絶えの起こってくるわけはない、したがって女の気持ちを不安に思う必要はないのだと知っていた。
八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根の隙間だらけの家の中へさし込んで、狭い家の中の物が源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。近所の家々で貧しい男たちが目をさまして高声で話すのが聞こえた。
「ああ寒い。今年こそもう商売のうまくいく自信が持てなくなった。地方廻りもできそうでないんだから心細いものだ。北隣さん、まあお聞きなさい」
などと言っているのである。哀れなその日その日の仕事のために起き出して、そろそろ労働を始める音なども近い所でするのを女は恥ずかしがっていた。気どった女であれば死ぬほどきまりの悪さを感じる場所に違いない。でも夕顔はおおようにしていた。人の恨めしさも、自分の悲しさも、体面の保たれぬきまり悪さも、できるだけ思ったとは見せまいとするふうで、自分自身は貴族の子らしく、娘らしくて、ひどい近所の会話の内容もわからぬようであるのが、恥じ入られたりするよりも感じがよかった。ごほごほと雷以上の恐い音をさせる唐臼なども、すぐ寝床のそばで鳴るように聞こえた。源氏もやかましいとこれは思った。けれどもこの貴公子も何から起こる音とは知らないのである。大きなたまらぬ音響のする何かだと思っていた。そのほかにもまだ多くの騒がしい雑音が聞こえた。白い麻布を打つ砧のかすかな音もあちこちにした。空を行く雁の声もした。秋の悲哀がしみじみと感じられる。庭に近い室であったから、横の引き戸を開けて二人で外をながめるのであった。小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽のに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていなかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。白い袷に柔らかい淡紫を重ねたはなやかな姿ではない、ほっそりとした人で、どこかきわだって非常によいというところはないが繊細な感じのする美人で、ものを言う様子に弱々しい可憐さが十分にあった。才気らしいものを少しこの人に添えたらと源氏は批評的に見ながらも、もっと深くこの人を知りたい気がして、
「さあ出かけましょう。この近くのある家へ行って、気楽に明日まで話しましょう。こんなふうでいつも暗い間に別れていかなければならないのは苦しいから」
と言うと、
「どうしてそんなに急なことをお言い出しになりますの」
おおように夕顔は言っていた。変わらぬ恋を死後の世界にまで続けようと源氏の誓うのを見ると何の疑念もはさまずに信じてよろこぶ様子などのうぶさは、一度結婚した経験のある女とは思えないほど可憐であった。源氏はもうだれの思わくもはばかる気がなくなって、右近に随身を呼ばせて、車を庭へ入れることを命じた。夕顔の女房たちも、この通う男が女主人を深く愛していることを知っていたから、だれともわからずにいながら相当に信頼していた。
ずっと明け方近くなってきた。この家に鶏の声は聞こえないで、現世利益の御岳教の信心なのか、老人らしい声で、起ったりすわったりして、とても忙しく苦しそうにして祈る声が聞かれた。源氏は身にしむように思って、朝露と同じように短い命を持つ人間が、この世に何の慾を持って祈祷などをするのだろうと聞いているうちに、
「南無当来の導師」
と阿弥陀如来を呼びかけた。
「そら聞いてごらん。現世利益だけが目的じゃなかった」
とほめて、
とも言った。玄宗と楊貴妃の七月七日の長生殿の誓いは実現されない空想であったが、五十六億七千万年後の弥勒菩薩出現の世までも変わらぬ誓いを源氏はしたのである。
と女は言った。歌を詠む才なども豊富であろうとは思われない。月夜に出れば月に誘惑されて行って帰らないことがあるということを思って出かけるのを躊躇する夕顔に、源氏はいろいろに言って同行を勧めているうちに月もはいってしまって東の空の白む秋のしののめが始まってきた。
人目を引かぬ間にと思って源氏は出かけるのを急いだ。女のからだを源氏が軽々と抱いて車に乗せ右近が同乗したのであった。五条に近い帝室の後院である某院へ着いた。呼び出した院の預かり役の出て来るまで留めてある車から、忍ぶ草の生い茂った門の廂が見上げられた。たくさんにある大木が暗さを作っているのである。霧も深く降っていて空気の湿っぽいのに車の簾を上げさせてあったから源氏の袖もそのうちべったりと濡れてしまった。
「私にははじめての経験だが妙に不安なものだ。
前にこんなことがありましたか」
と聞かれて女は恥ずかしそうだった。
心細うございます、私は」
凄さに女がおびえてもいるように見えるのを、源氏はあの小さい家におおぜい住んでいた人なのだから道理であると思っておかしかった。
門内へ車を入れさせて、西の対に仕度をさせている間、高欄に車の柄を引っかけて源氏らは庭にいた。右近は艶な情趣を味わいながら女主人の過去の恋愛時代のある場面なども思い出されるのであった。預かり役がみずから出てする客人の扱いが丁寧きわまるものであることから、右近にはこの風流男の何者であるかがわかった。物の形がほのぼの見えるころに家へはいった。にわかな仕度ではあったが体裁よく座敷がこしらえてあった。
「だれというほどの人がお供しておらないなどとは、どうもいやはや」
などといって預かり役は始終出入りする源氏の下家司でもあったから、座敷の近くへ来て右近に、
「御家司をどなたかお呼び寄せしたものでございましょうか」
と取り次がせた。
「わざわざだれにもわからない場所にここを選んだのだから、おまえ以外の者にはすべて秘密にしておいてくれ」
と源氏は口留めをした。さっそくに調えられた粥などが出た。給仕も食器も間に合わせを忍ぶよりほかはない。こんな経験を持たぬ源氏は、一切を切り放して気にかけぬこととして、恋人とはばからず語り合う愉楽に酔おうとした。
源氏は昼ごろに起きて格子を自身で上げた。非常に荒れていて、人影などは見えずにはるばると遠くまでが見渡される。向こうのほうの木立ちは気味悪く古い大木に皆なっていた。近い植え込みの草や灌木などには美しい姿もない。秋の荒野の景色になっている。池も水草でうずめられた凄いものである。別れた棟のほうに部屋などを持って預かり役は住むらしいが、そことこことはよほど離れている。
「気味悪い家になっている。でも鬼なんかだって私だけはどうともしなかろう」
と源氏は言った。まだこの時までは顔を隠していたが、この態度を女が恨めしがっているのを知って、何たる錯誤だ、不都合なのは自分である、こんなに愛していながらと気がついた。
あなたの心あてにそれかと思うと言った時の人の顔を近くに見て幻滅が起こりませんか」
と言う源氏の君を後目に女は見上げて、
と言った。冗談までも言う気になったのが源氏にはうれしかった。打ち解けた瞬間から源氏の美はあたりに放散した。古くさく荒れた家との対照はまして魅惑的だった。
「いつまでも真実のことを打ちあけてくれないのが恨めしくって、私もだれであるかを隠し通したのだが、負けた。もういいでしょう、名を言ってください、人間離れがあまりしすぎます」
と源氏が言っても、
「家も何もない女ですもの」
と言ってそこまではまだ打ち解けぬ様子も美しく感ぜられた。
「しかたがない。私が悪いのだから」
と怨んでみたり、永久の恋の誓いをし合ったりして時を送った。
惟光が源氏の居所を突きとめてきて、用意してきた菓子などを座敷へ持たせてよこした。これまで白ばくれていた態度を右近に恨まれるのがつらくて、近い所へは顔を見せない。惟光は源氏が人騒がせに居所を不明にして、一日を犠牲にするまで熱心になりうる相手の女は、それに価する者であるらしいと想像をして、当然自己のものになしうるはずの人を主君にゆずった自分は広量なものだと嫉妬に似た心で自嘲もし、羨望もしていた。
静かな静かな夕方の空をながめていて、奥のほうは暗くて気味が悪いと夕顔が思うふうなので、縁の簾を上げて夕映えの雲をいっしょに見て、女も源氏とただ二人で暮らしえた一日に、まだまったく落ち着かぬ恋の境地とはいえ、過去に知らない満足が得られたらしく、少しずつ打ち解けた様子が可憐であった。じっと源氏のそばへ寄って、この場所がこわくてならぬふうであるのがいかにも若々しい。格子を早くおろして灯をつけさせてからも、
「私のほうにはもう何も秘密が残っていないのに、あなたはまだそうでないのだからいけない」
などと源氏は恨みを言っていた。陛下はきっと今日も自分をお召しになったに違いないが、捜す人たちはどう見当をつけてどこへ行っているだろう、などと想像をしながらも、これほどまでにこの女を溺愛している自分を源氏は不思議に思った。六条の貴女もどんなに煩悶をしていることだろう、恨まれるのは苦しいが恨むのは道理であると、恋人のことはこんな時にもまず気にかかった。無邪気に男を信じていっしょにいる女に愛を感じるとともに、あまりにまで高い自尊心にみずから煩わされている六条の貴女が思われて、少しその点を取り捨てたならと、眼前の人に比べて源氏は思うのであった。
十時過ぎに少し寝入った源氏は枕の所に美しい女がすわっているのを見た。
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって愛撫なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」
と言って横にいる女に手をかけて起こそうとする。こんな光景を見た。苦しい襲われた気持ちになって、すぐ起きると、その時に灯が消えた。不気味なので、太刀を引き抜いて枕もとに置いて、それから右近を起こした。右近も恐ろしくてならぬというふうで近くへ出て来た。
「渡殿にいる宿直の人を起こして、蝋燭をつけて来るように言うがいい」
「どうしてそんな所へまで参れるものでございますか、暗うて」
「子供らしいじゃないか」
笑って源氏が手をたたくとそれが反響になった。限りない気味悪さである。しかもその音を聞きつけて来る者はだれもない。夕顔は非常にこわがってふるえていて、どうすればいいだろうと思うふうである。汗をずっぷりとかいて、意識のありなしも疑わしい。
「非常に物恐れをなさいます御性質ですから、どんなお気持ちがなさるのでございましょうか」
と右近も言った。弱々しい人で今日の昼間も部屋の中を見まわすことができずに空をばかりながめていたのであるからと思うと、源氏はかわいそうでならなかった。
「私が行って人を起こそう。手をたたくと山彦がしてうるさくてならない。しばらくの間ここへ寄っていてくれ」
と言って、右近を寝床のほうへ引き寄せておいて、両側の妻戸の口へ出て、戸を押しあけたのと同時に渡殿についていた灯も消えた。風が少し吹いている。こんな夜に侍者は少なくて、しかもありたけの人は寝てしまっていた。院の預かり役の息子で、平生源氏が手もとで使っていた若い男、それから侍童が一人、例の随身、それだけが宿直をしていたのである。源氏が呼ぶと返辞をして起きて来た。
「蝋燭をつけて参れ。随身に弓の絃打ちをして絶えず声を出して魔性に備えるように命じてくれ。こんな寂しい所で安心をして寝ていていいわけはない。先刻惟光が来たと言っていたが、どうしたか」
「参っておりましたが、御用事もないから、夜明けにお迎えに参ると申して帰りましてございます」
こう源氏と問答をしたのは、御所の滝口に勤めている男であったから、専門家的に弓絃を鳴らして、
「火危し、火危し」
と言いながら、父である預かり役の住居のほうへ行った。源氏はこの時刻の御所を思った。殿上の宿直役人が姓名を奏上する名対面はもう終わっているだろう、滝口の武士の宿直の奏上があるころであると、こんなことを思ったところをみると、まだそう深更でなかったに違いない。寝室へ帰って、暗がりの中を手で探ると夕顔はもとのままの姿で寝ていて、右近がそのそばでうつ伏せになっていた。
「どうしたのだ。気違いじみたこわがりようだ。こんな荒れた家などというものは、狐などが人をおどしてこわがらせるのだよ。私がおればそんなものにおどかされはしないよ」
と言って、源氏は右近を引き起こした。
「とても気持ちが悪うございますので下を向いておりました。奥様はどんなお気持ちでいらっしゃいますことでしょう」
「そうだ、なぜこんなにばかりして」
と言って、手で探ると夕顔は息もしていない。動かしてみてもなよなよとして気を失っているふうであったから、若々しい弱い人であったから、何かの物怪にこうされているのであろうと思うと、源氏は歎息されるばかりであった。蝋燭の明りが来た。右近には立って行くだけの力がありそうもないので、閨に近い几帳を引き寄せてから、
「もっとこちらへ持って来い」
と源氏は言った。主君の寝室の中へはいるというまったくそんな不謹慎な行動をしたことがない滝口は座敷の上段になった所へもよう来ない。
「もっと近くへ持って来ないか。どんなことも場所によることだ」
灯を近くへ取って見ると、この閨の枕の近くに源氏が夢で見たとおりの容貌をした女が見えて、そしてすっと消えてしまった。昔の小説などにはこんなことも書いてあるが、実際にあるとはと思うと源氏は恐ろしくてならないが、恋人はどうなったかという不安が先に立って、自身がどうされるだろうかという恐れはそれほどなくて横へ寝て、
「ちょいと」
と言って不気味な眠りからさまさせようとするが、夕顔のからだは冷えはてていて、息はまったく絶えているのである。頼りにできる相談相手もない。坊様などはこんな時の力になるものであるがそんな人もむろんここにはいない。右近に対して強がって何かと言った源氏であったが、若いこの人は、恋人の死んだのを見ると分別も何もなくなって、じっと抱いて、
「あなた。生きてください。悲しい目を私に見せないで」
と言っていたが、恋人のからだはますます冷たくて、すでに人ではなく遺骸であるという感じが強くなっていく。右近はもう恐怖心も消えて夕顔の死を知って非常に泣く。紫宸殿に出て来た鬼は貞信公を威嚇したが、その人の威に押されて逃げた例などを思い出して、源氏はしいて強くなろうとした。
「それでもこのまま死んでしまうことはないだろう。夜というものは声を大きく響かせるから、そんなに泣かないで」
と源氏は右近に注意しながらも、恋人との歓会がたちまちにこうなったことを思うと呆然となるばかりであった。滝口を呼んで、
「ここに、急に何かに襲われた人があって、苦しんでいるから、すぐに惟光朝臣の泊まっている家に行って、早く来るように言えとだれかに命じてくれ。兄の阿闍梨がそこに来ているのだったら、それもいっしょに来るようにと惟光に言わせるのだ。母親の尼さんなどが聞いて気にかけるから、たいそうには言わせないように。あれは私の忍び歩きなどをやかましく言って止める人だ」
こんなふうに順序を立ててものを言いながらも、胸は詰まるようで、恋人を死なせることの悲しさがたまらないものに思われるのといっしょに、あたりの不気味さがひしひしと感ぜられるのであった。もう夜中過ぎになっているらしい。風がさっきより強くなってきて、それに鳴る松の枝の音は、それらの大木に深く囲まれた寂しく古い院であることを思わせ、一風変わった鳥がかれ声で鳴き出すのを、梟とはこれであろうかと思われた。考えてみるとどこへも遠く離れて人声もしないこんな寂しい所へなぜ自分は泊まりに来たのであろうと、源氏は後悔の念もしきりに起こる。右近は夢中になって夕顔のそばへ寄り、このまま慄え死にをするのでないかと思われた。それがまた心配で、源氏は一所懸命に右近をつかまえていた。一人は死に、一人はこうした正体もないふうで、自身一人だけが普通の人間なのであると思うと源氏はたまらない気がした。灯はほのかに瞬いて、中央の室との仕切りの所に立てた屏風の上とか、室の中の隅々とか、暗いところの見えるここへ、後ろからひしひしと足音をさせて何かが寄って来る気がしてならない、惟光が早く来てくれればよいとばかり源氏は思った。彼は泊まり歩く家を幾軒も持った男であったから、使いはあちらこちらと尋ねまわっているうちに夜がぼつぼつ明けてきた。この間の長さは千夜にもあたるように源氏には思われたのである。やっとはるかな所で鳴く鶏の声がしてきたのを聞いて、ほっとした源氏は、こんな危険な目にどうして自分はあうのだろう、自分の心ではあるが恋愛についてはもったいない、思うべからざる人を思った報いに、こんな後にも前にもない例となるようなみじめな目にあうのであろう、隠してもあった事実はすぐに噂になるであろう、陛下の思召しをはじめとして人が何と批評することだろう、世間の嘲笑が自分の上に集まることであろう、とうとうついにこんなことで自分は名誉を傷つけるのだなと源氏は思っていた。
やっと惟光が出て来た。夜中でも暁でも源氏の意のままに従って歩いた男が、今夜に限ってそばにおらず、呼びにやってもすぐの間に合わず、時間のおくれたことを源氏は憎みながらも寝室へ呼んだ。孤独の悲しみを救う手は惟光にだけあることを源氏は知っている。惟光をそばへ呼んだが、自分が今言わねばならぬことがあまりにも悲しいものであることを思うと、急には言葉が出ない。右近は隣家の惟光が来た気配に、亡き夫人と源氏との交渉の最初の時から今日までが連続的に思い出されて泣いていた。源氏も今までは自身一人が強い人になって右近を抱きかかえていたのであったが、惟光の来たのにほっとすると同時に、はじめて心の底から大きい悲しみが湧き上がってきた。非常に泣いたのちに源氏は躊躇しながら言い出した。
「奇怪なことが起こったのだ。驚くという言葉では現わせないような驚きをさせられた。人のからだにこんな急変があったりする時には、僧家へ物を贈って読経をしてもらうものだそうだから、それをさせよう、願を立てさせようと思って阿闍梨も来てくれと言ってやったのだが、どうした」
「昨日叡山へ帰りましたのでございます。まあ何ということでございましょう、奇怪なことでございます。前から少しはおからだが悪かったのでございますか」
「そんなこともなかった」
と言って泣く源氏の様子に、惟光も感動させられて、この人までが声を立てて泣き出した。老人はめんどうなものとされているが、こんな場合には、年を取っていて世の中のいろいろな経験を持っている人が頼もしいのである。源氏も右近も惟光も皆若かった。どう処置をしていいのか手が出ないのであったが、やっと惟光が、
「この院の留守役などに真相を知らせることはよくございません。当人だけは信用ができましても、秘密の洩れやすい家族を持っていましょうから。ともかくもここを出ていらっしゃいませ」
と言った。
「でもここ以上に人の少ない場所はほかにないじゃないか」
「それはそうでございます。あの五条の家は女房などが悲しがって大騒ぎをするでしょう、多い小家の近所隣へそんな声が聞こえますとたちまち世間へ知れてしまいます、山寺と申すものはこうした死人などを取り扱い馴れておりましょうから、人目を紛らすのには都合がよいように思われます」
考えるふうだった惟光は、
「昔知っております女房が尼になって住んでいる家が東山にございますから、そこへお移しいたしましょう。私の父の乳母をしておりまして、今は老人になっている者の家でございます。東山ですから人がたくさん行く所のようではございますが、そこだけは閑静です」
と言って、夜と朝の入り替わる時刻の明暗の紛れに車を縁側へ寄せさせた。源氏自身が遺骸を車へ載せることは無理らしかったから、茣蓙に巻いて惟光が車へ載せた。小柄な人の死骸からは悪感は受けないできわめて美しいものに思われた。残酷に思われるような扱い方を遠慮して、確かにも巻かなんだから、茣蓙の横から髪が少しこぼれていた。それを見た源氏は目がくらむような悲しみを覚えて煙になる最後までも自分がついていたいという気になったのであるが、
「あなた様はさっそく二条の院へお帰りなさいませ。世間の者が起き出しませんうちに」
と惟光は言って、遺骸には右近を添えて乗せた。自身の馬を源氏に提供して、自身は徒歩で、袴のくくりを上げたりして出かけたのであった。ずいぶん迷惑な役のようにも思われたが、悲しんでいる源氏を見ては、自分のことなどはどうでもよいという気に惟光はなったのである。
源氏は無我夢中で二条の院へ着いた。女房たちが、
「どちらからのお帰りなんでしょう。御気分がお悪いようですよ」
などと言っているのを知っていたが、そのまま寝室へはいって、そして胸をおさえて考えてみると自身が今経験していることは非常な悲しいことであるということがわかった。なぜ自分はあの車に乗って行かなかったのだろう、もし蘇生することがあったらあの人はどう思うだろう、見捨てて行ってしまったと恨めしく思わないだろうか、こんなことを思うと胸がせき上がってくるようで、頭も痛く、からだには発熱も感ぜられて苦しい。こうして自分も死んでしまうのであろうと思われるのである。八時ごろになっても源氏が起きぬので、女房たちは心配をしだして、朝の食事を寝室の主人へ勧めてみたが無駄だった。源氏は苦しくて、そして生命の危険が迫ってくるような心細さを覚えていると、宮中のお使いが来た。帝は昨日もお召しになった源氏を御覧になれなかったことで御心配をあそばされるのであった。左大臣家の子息たちも訪問して来たがそのうちの頭中将にだけ、
「お立ちになったままでちょっとこちらへ」
と言わせて、源氏は招いた友と御簾を隔てて対した。
「私の乳母の、この五月ごろから大病をしていました者が、尼になったりなどしたものですから、その効験でか一時快くなっていましたが、またこのごろ悪くなりまして、生前にもう一度だけ訪問をしてくれなどと言ってきているので、小さい時から世話になった者に、最後に恨めしく思わせるのは残酷だと思って、訪問しましたところがその家の召使の男が前から病気をしていて、私のいるうちに亡くなったのです。恐縮して私に隠して夜になってからそっと遺骸を外へ運び出したということを私は気がついたのです。御所では神事に関した御用の多い時期ですから、そうした穢れに触れた者は御遠慮すべきであると思って謹慎をしているのです。それに今朝方からなんだか風邪にかかったのですか、頭痛がして苦しいものですからこんなふうで失礼します」
などと源氏は言うのであった。中将は、
「ではそのように奏上しておきましょう。昨夜も音楽のありました時に、御自身でお指図をなさいましてあちこちとあなたをお捜させになったのですが、おいでにならなかったので、御機嫌がよろしくありませんでした」
と言って、帰ろうとしたがまた帰って来て、
「ねえ、どんな穢れにおあいになったのですか。さっきから伺ったのはどうもほんとうとは思われない」
と、頭中将から言われた源氏ははっとした。
「今お話ししたようにこまかにではなく、ただ思いがけぬ穢れにあいましたと申し上げてください。こんなので今日は失礼します」
素知らず顔には言っていても、心にはまた愛人の死が浮かんできて、源氏は気分も非常に悪くなった。だれの顔も見るのが物憂かった。お使いの蔵人の弁を呼んで、またこまごまと頭中将に語ったような行触れの事情を帝へ取り次いでもらった。左大臣家のほうへもそんなことで行かれぬという手紙が行ったのである。
日が暮れてから惟光が来た。行触れの件を発表したので、二条の院への来訪者は皆庭から取り次ぎをもって用事を申し入れて帰って行くので、めんどうな人はだれも源氏の居間にいなかった。惟光を見て源氏は、
「どうだった、だめだったか」
と言うと同時に袖を顔へ当てて泣いた。惟光も泣く泣く言う、
「もう確かにお亡れになったのでございます。いつまでお置きしてもよくないことでございますから、それにちょうど明日は葬式によい日でしたから、式のことなどを私の尊敬する老僧がありまして、それとよく相談をして頼んでまいりました」
「いっしょに行った女は」
「それがまたあまりに悲しがりまして、生きていられないというふうなので、今朝は渓へ飛び込むのでないかと心配されました。五条の家へ使いを出すというのですが、よく落ち着いてからにしなければいけないと申して、とにかく止めてまいりました」
惟光の報告を聞いているうちに、源氏は前よりもいっそう悲しくなった。
「私も病気になったようで、死ぬのじゃないかと思う」
と言った。
「そんなふうにまでお悲しみになるのでございますか、よろしくございません。皆運命でございます。どうかして秘密のうちに処置をしたいと思いまして、私も自身でどんなこともしているのでございますよ」
「そうだ、運命に違いない。私もそう思うが軽率な恋愛漁りから、人を死なせてしまったという責任を感じるのだ。君の妹の少将の命婦などにも言うなよ。尼君なんかはまたいつもああいったふうのことをよくないよくないと小言に言うほうだから、聞かれては恥ずかしくてならない」
「山の坊さんたちにもまるで話を変えてしてございます」
と惟光が言うので源氏は安心したようである。主従がひそひそ話をしているのを見た女房などは、
「どうも不思議ですね、行触れだとお言いになって参内もなさらないし、また何か悲しいことがあるようにあんなふうにして話していらっしゃる」
腑に落ちぬらしく言っていた。
「葬儀はあまり簡単な見苦しいものにしないほうがよい」
と源氏が惟光に言った。
「そうでもございません。これは大層にいたしてよいことではございません」
と否定してから、惟光が立って行こうとするのを見ると、急にまた源氏は悲しくなった。
「よくないことだとおまえは思うだろうが、私はもう一度遺骸を見たいのだ。それをしないではいつまでも憂鬱が続くように思われるから、馬ででも行こうと思うが」
主人の望みを、とんでもない軽率なことであると思いながらも惟光は止めることができなかった。
「そんなに思召すのならしかたがございません。では早くいらっしゃいまして、夜の更けぬうちにお帰りなさいませ」
と惟光は言った。五条通いの変装のために作らせた狩衣に着更えなどして源氏は出かけたのである。病苦が朝よりも加わったこともわかっていて源氏は、軽はずみにそうした所へ出かけて、そこでまたどんな危険が命をおびやかすかもしれない、やめたほうがいいのではないかとも思ったが、やはり死んだ夕顔に引かれる心が強くて、この世での顔を遺骸で見ておかなければ今後の世界でそれは見られないのであるという思いが心細さをおさえて、例の惟光と随身を従えて出た。非常に路のはかがゆかぬ気がした。十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明の淡い明りに鳥辺野のほうが見えるというこんな不気味な景色にも源氏の恐怖心はもう麻痺してしまっていた。ただ悲しみに胸が掻き乱されたふうで目的地に着いた。凄い気のする所である。そんな所に住居の板屋があって、横に御堂が続いているのである。仏前の燈明の影がほのかに戸からすいて見えた。部屋の中には一人の女の泣き声がして、その室の外と思われる所では、僧の二、三人が話しながら声を多く立てぬ念仏をしていた。近くにある東山の寺々の初夜の勤行も終わったころで静かだった。清水の方角にだけ灯がたくさんに見えて多くの参詣人の気配も聞かれるのである。主人の尼の息子の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風のこちらに右近は横になっていた。どんなに侘しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐さと少しも変わっていなかった。
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」
もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。源氏は右近に、
「あなたは二条の院へ来なければならない」
と言ったのであるが、
「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわかにお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。奥様がどうおなりになったかということを、どうほかの人に話ができましょう。奥様をお亡くししましたほかに、私はまた皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
こう言って右近は泣きやまない。
「私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」
「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないのだ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。気を静めて私を信頼してくれ」
と言う源氏が、また、
「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」
と言うのであるから心細い。
「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」
惟光がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途についた。露の多い路に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味わわれた。某院の閨にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、その夜上に掛けて寝た源氏自身の紅の単衣にまだ巻かれていたこと、などを思って、全体あの人と自分はどんな前生の因縁があったのであろうと、こんなことを途々源氏は思った。馬をはかばかしく御して行けるふうでもなかったから、惟光が横に添って行った。加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。失心したふうで、
「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。二条の院まではとうてい行けない気がする」
と言った。惟光の頭も混乱状態にならざるをえない。自分が確とした人間だったら、あんなことを源氏がお言いになっても、軽率にこんな案内はしなかったはずだと思うと悲しかった。川の水で手を洗って清水の観音を拝みながらも、どんな処置をとるべきだろうと煩悶した。源氏もしいて自身を励まして、心の中で御仏を念じ、そして惟光たちの助けも借りて二条の院へ行き着いた。
毎夜続いて不規則な時間の出入りを女房たちが、
「見苦しいことですね、近ごろは平生よりもよく微行をなさる中でも昨日はたいへんお加減が悪いふうだったでしょう。そんなでおありになってまたお出かけになったりなさるのですから、困ったことですね」
こんなふうに歎息をしていた。
源氏自身が予言をしたとおりに、それきり床について煩ったのである。重い容体が二、三日続いたあとはまた甚しい衰弱が見えた。源氏の病気を聞こし召した帝も非常に御心痛あそばされてあちらでもこちらでも間断なく祈祷が行なわれた。特別な神の祭り、祓い、修法などである。何にもすぐれた源氏のような人はあるいは短命で終わるのではないかといって、一天下の人がこの病気に関心を持つようにさえなった。
病床にいながら源氏は右近を二条の院へ伴わせて、部屋なども近い所へ与えて、手もとで使う女房の一人にした。惟光は源氏の病の重いことに顛倒するほどの心配をしながら、じっとその気持ちをおさえて、馴染のない女房たちの中へはいった右近のたよりなさそうなのに同情してよく世話をしてやった。源氏の病の少し楽に感ぜられる時などには、右近を呼び出して居間の用などをさせていたから、右近はそのうち二条の院の生活に馴れてきた。濃い色の喪服を着た右近は、容貌などはよくもないが、見苦しくも思われぬ若い女房の一人と見られた。
「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだろう。長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが、私もあの人のあとを追うらしいので、おまえには気の毒だね」
と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。二条の院の男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨の脚よりもしげく参入した。帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、そのことによって病から脱しようとみずから励むようになった。左大臣も徹底的に世話をした。大臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷をしたせいでか、二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。行触れの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏は逢いたく思召す帝の御心中を察して、御所の宿直所にまで出かけた。退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて邸へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。この世界でない所へ蘇生した人間のように当分源氏は思った。
九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、痩せるには痩せたがかえって艶な趣の添った源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。その様子に不審を抱く人もあって、物怪が憑いているのであろうとも言っていた。源氏は右近を呼び出して、ひまな静かな日の夕方に話をして、
「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。たとえどんな身分でも、私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわけだと思って恨めしかった」
とも言った。
「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。そうしたお話をなさいます機会がなかったのじゃございませんか。最初があんなふうでございましたから、現実の関係のように思われないとお言いになって、それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで行くものでもないから、自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては寂しがっていらっしゃいました」
右近がこう言う。
「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から、むやみに私の心はあの人へ惹かれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない二人の縁だったからだと思われる。しかしまた恨めしくも思うよ。こんなに短い縁よりないのなら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。まあ今でもよいから詳しく話してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像を描かせて寺へ納めても、名を知らないではね。それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提のためにと思いたいじゃないか」
と源氏が言った。
「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなかったことを、お亡れになってからおしゃべりするのは済まないような気がしただけでございます。御両親はずっと前にお亡くなりになったのでございます。殿様は三位中将でいらっしゃいました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく思召したでしょうが、その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くてお亡くなりになりましたあとで、ちょっとしたことが初めで頭中将がまだ少将でいらっしったころに通っておいでになるようになったのでございます。三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいになりまして、西の右京のほうに奥様の乳母が住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃいましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって、郊外へ移ろうとお思いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角避けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でございますから侘しがっておいでになったようでございます。普通の人とはまるで違うほど内気で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」
右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人がますます恋しく思われた。
「小さい子を一人行方不明にしたと言って中将が憂鬱になっていたが、そんな小さい人があったのか」
と問うてみた。
「さようでございます。一昨年の春お生まれになりました。お嬢様で、とてもおかわいらしい方でございます」
「で、その子はどこにいるの、人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」
源氏はこう言って、また、
「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、当分は恨みを言われるのがつらい。私の従兄の中将の子である点からいっても、私の恋人だった人の子である点からいっても、私の養女にして育てていいわけだから、その西の京の乳母にも何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
と言った。
「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。あの西の京でお育ちになってはあまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができないということであっちへお預けになったのでございます」
と右近は言っていた。静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。そしてもう少しずつ紅葉の色づいた絵のような景色を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。五条の夕顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩という鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐に思い出されてならない。
「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡くなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」
源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡れになったことが残念で」
と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。
寂しそうに見えた源氏は、
と独言のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかった砧の音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月正長夜、千声万声無止時」と歌っていた。
今も伊予介の家の小君は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがに歎かれた。それに良人の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、
こんな手紙を書いた。
思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決して醒めていたのではないのである。
病後の慄えの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。蝉の脱殻が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。もう一人の女は蔵人少将と結婚したという噂を源氏は聞いた。それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人に同情もされたし、またあの空蝉の継娘はどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。
その手紙を枝の長い荻につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相して少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄であろうと書いて小君に返事を渡した。
下手であるのを洒落れた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。灯の前にいた夜の顔も連想されるのである。碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに悪い顔だちであるにもせよ、それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。一方は何の深味もなく、自身の若い容貌に誇ったふうだったと源氏は思い出して、やはりそれにも心の惹かれるのを覚えた。まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。
源氏は夕顔の四十九日の法要をそっと叡山の法華堂で行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会としてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光の兄の阿闍梨は人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文を書かせた。普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
博士はこう言った。激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、
「何という人なのだろう、そんな方のお亡くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
とのちに言った。作らせた故人の衣裳を源氏は取り寄せて、袴の腰に、
と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へ赴かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経の章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将に逢うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子にたとえたという子供の近ごろの様子などを知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。
あの五条の家では女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近までもそれきり便りをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通って来る人は源氏の君ではないかといわれていたことから、惟光になんらかの消息を得ようともしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のようにばかり思った。あるいは地方官の息子などの好色男が、頭中将を恐れて、身の上を隠したままで父の任地へでも伴って行ってしまったのではないかとついにはこんな想像をするようになった。この家の持ち主は西の京の乳母の娘だった。乳母の娘は三人で、右近だけが他人であったから便りを聞かせる親切がないのだと恨んで、そして皆夫人を恋しがった。右近のほうでは夫人を頓死させた責任者のように言われるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくないと思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が両方の間にたっていった。
源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡で法事をした次の晩、ほのかではあったが、やはりその人のいた場所は某の院で、源氏が枕もとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。このことで、荒廃した家などに住む妖怪が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険だったことを知って恐ろしかった。
伊予介が十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、普通の場合よりも多くの餞別品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉の脱殻と言った夏の薄衣も返してやった。
細々しい手紙の内容は省略する。贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君を使いにして小袿の返歌だけをした。
源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまうのだと歎かれて、運命の冷たさというようなものが感ぜられた。
今日から冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく、時雨がこぼれたりして、空の色も身に沁んだ。終日源氏は物思いをしていて、
などと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。
こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。
若紫
源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、
「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」
僧の返辞はこんなだった。
「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々をこめた霞にも都の霞にない美があった。窮屈な境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟の中に聖人ははいっていた。
源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」
驚きながらも笑を含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病をそれに移す祈祷をした。加持などをしている時分にはもう日が高く上っていた。
源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所であったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋状になった路のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣ではあるが、目だってきれいに廻らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝った一構えがあった。
「あれはだれの住んでいる所なのかね」
と源氏が問うた。
「これが、某僧都がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」
「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」
などと、源氏は言った。美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
「あすこの家に女がおりますよ。あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」
こんなことを従者が言った。崖を少しおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。
源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になるともう発作が起こるころであるがと不安だった。
「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」
などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと遠くまで霞んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢い感情などは起こしようがないだろう」
と源氏が言うと、
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。
「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをもきらって近衛の中将を捨てて自分から願って出てなった播磨守なんですが、国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味でずいぶん贅沢に住居なども作ってございます。先日父の所へまいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
「その娘というのはどんな娘」
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。
「竜宮の王様のお后になるんだね。自尊心の強いったらないね。困り者だ」
などと冷評する者があって人々は笑っていた。話をした良清は現在の播磨守の息子で、さきには六位の蔵人をしていたが、位が一階上がって役から離れた男である。ほかの者は、
「好色な男なのだから、その入道の遺言を破りうる自信を持っているのだろう。それでよく訪問に行ったりするのだよ」
とも言っていた。
「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、やはり田舎者らしかろうよ。小さい時からそんな所に育つし、頑固な親に教育されているのだから」
こんなことも言う。
「しかし母親はりっぱなのだろう。若い女房や童女など、京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、たいそうなことを娘のためにしているらしいから、それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」
だれかが言う。源氏は、
「なぜお后にしなければならないのだろうね。それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」
などと言いながらも、好奇心が動かないようでもなさそうである。平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司たちは源氏の心持ちをそう観察していた。
「もう暮れに近うなっておりますが、今日は御病気が起こらないで済むのでございましょう。もう京へお帰りになりましたら」
と従者は言ったが、寺では聖人が、
「もう一晩静かに私に加持をおさせになってからお帰りになるのがよろしゅうございます」
と言った。だれも皆この説に賛成した。源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、
「では帰りは明日に延ばそう」
こう言っていた。山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞に包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣の所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光だけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏を置いてお勤めをする尼がいた。簾を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息の上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品に痩せてはいるが頬のあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪の裾のそろったのが、かえって長い髪よりも艶なものであるという感じを与えた。きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳ぐらいに見えて、白の上に淡黄の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂れ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、
「どうしたの、童女たちのことで憤っているの」
こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。
「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」
たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
「またいつもの粗相やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言の乳母と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日明日かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
と尼君は言って、また、
「ここへ」
と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、眉のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壺の宮によく似ているからであると気がついた刹那にも、その人への思慕の涙が熱く頬を伝わった。尼君は女の子の髪をなでながら、
「梳かせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡くなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」
あまりに泣くので隙見をしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。
一人の中年の女房が感動したふうで泣きながら、
と言った。この時に僧都が向こうの座敷のほうから来た。
「この座敷はあまり開けひろげ過ぎています。今日に限ってこんなに端のほうにおいでになったのですね。山の上の聖人の所へ源氏の中将が瘧病のまじないにおいでになったという話を私は今はじめて聞いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら今まで伺候もしませんでした」
と僧都は言った。
「たいへん、こんな所をだれか御一行の人がのぞいたかもしれない」
尼君のこう言うのが聞こえて御簾はおろされた。
「世間で評判の源氏の君のお顔を、こんな機会に見せていただいたらどうですか、人間生活と絶縁している私らのような僧でも、あの方のお顔を拝見すると、世の中の歎かわしいことなどは皆忘れることができて、長生きのできる気のするほどの美貌ですよ。私はこれからまず手紙で御挨拶をすることにしましょう」
僧都がこの座敷を出て行く気配がするので源氏も山上の寺へ帰った。源氏は思った。自分は可憐な人を発見することができた、だから自分といっしょに来ている若い連中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収穫を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて逢いがたい人の恋しさが慰められるものならぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。
寺で皆が寝床についていると、僧都の弟子が訪問して来て、惟光に逢いたいと申し入れた。狭い場所であったから惟光へ言う事が源氏にもよく聞こえた。
「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐに伺うべきでございますが、私がこの山におりますことを御承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、何かお気に入らないことがあるかと御遠慮をする心もございます。御宿泊の設けも行き届きませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」
と言うのが使いの伝える僧都の挨拶だった。
「今月の十幾日ごろから私は瘧病にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験が見えませんでした時には一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも後刻伺うつもりです」
と源氏は惟光に言わせた。それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山籠りの生活を僧都は語ってから、
「僧の家というものはどうせ皆寂しい貧弱なものですが、ここよりは少しきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」
僧都は源氏の来宿を乞うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちにたいそうな顔の吹聴などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心を惹いた少女のことも詳しく知りたいと思って源氏は僧都の坊へ移って行った。主人の言葉どおりに庭の作り一つをいってもここは優美な山荘であった、月はないころであったから、流れのほとりに篝を焚かせ、燈籠を吊らせなどしてある。南向きの室を美しく装飾して源氏の寝室ができていた。奥の座敷から洩れてくる薫香のにおいと仏前に焚かれる名香の香が入り混じって漂っている山荘に、新しく源氏の追い風が加わったこの夜を女たちも晴れがましく思った。
僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女が心にかかって恋しい源氏であった。
「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎の糸口を得た気がします」
と源氏が言うと、
「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使大納言はもうずっと早く亡くなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
僧都の答えはこうだった。
「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、
「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿の宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪はそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」
などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壺の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹かれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。
「お気の毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」
なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召すでしょうか」
と源氏は言った。
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
こんなふうにてきぱき言う人が僧形の厳めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
「阿弥陀様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
こう言って僧都は御堂のほうへ行った。
病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠が脇息に触れて鳴る音などがして、女の起居の衣摺れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行寄って来た。襖子から少し遠いところで、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
と言うのを聞いて、源氏が、
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
と言った。
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、
と申し上げてくださいませんか」
「そのようなお言葉を頂戴あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
まあ艶な方らしい御挨拶である、女王さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、
とてもかわく間などはございませんのに」
と返辞をさせた。
「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
と源氏が言う。
「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
尼君はこう言っていた。
「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。丁寧に言っていらっしゃるのだから」
尼君は出て行った。
「出来心的な軽率な相談を持ちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんな時に申し上げるのは私のために不利なんですが、誠意をもってお話しいたそうとしておりますことは仏様がご存じでしょう」
と源氏は言ったが、相当な年配の貴女が静かに前にいることを思うと急に希望の件が持ち出されないのである。
「思いがけぬ所で、お泊まり合わせになりました。あなた様から御相談を承りますのを前生に根を置いていないこととどうして思えましょう」
と尼君は言った。
「お母様をお亡くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様の代わりとして私へお預けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に別れたものですから、私もじっと落ち着いた気持ちもなく今日に至りました。女王さんも同じような御境遇なんですから、私たちが将来結婚することを今から許して置いていただきたいと、私はこんなことを前から御相談したかったので、今は悪くおとりになるかもしれない時である、折りがよろしくないと思いながら申し上げてみます」
「それは非常にうれしいお話でございますが、何か話をまちがえて聞いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申し上げてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子供が一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお擬しになることは無理でございますから、私のほうで御相談に乗せていただきようもございません」
と尼君は言うのである。
「私は何もかも存じております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという熱心の度を御覧ください」
源氏がこんなに言っても、尼君のほうでは女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入見があって源氏の希望を問題にしようとはしない。僧都が源氏の部屋のほうへ来るらしいのを機会に、
「まあよろしいです。御相談にもう取りかかったのですから、私は実現を期します」
と言って、源氏は屏風をもとのように直して去った。もう明け方になっていた。法華の三昧を行なう堂の尊い懺法の声が山おろしの音に混じり、滝がそれらと和する響きを作っているのである。
これは源氏の作。
もう馴れ切ったものですよ」
と僧都は答えた。
夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼くとなしに多く聞こえてきた。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦の上へ鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼である。
京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々作らせ、渓間へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応に骨を折った。
「まだ今年じゅうは山籠りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、
歌の発声も態度もみごとな源氏であった。僧都が、
と言うと源氏は微笑しながら、
「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
と言っていた。巌窟の聖人は酒杯を得て、
と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護る法のこめられてある独鈷を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済の国からお得になった金剛子の数珠に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃などの宝石の壺へ薬を詰めた幾個かを藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経をしてもらうための寄進もして、山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、
「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎いた。手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。
という歌である。返歌は、
こうだった。貴女らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。
ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将、左中弁またそのほかの公達もいっしょに来たのである。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
などと恨んで、
「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
とも言っていた。岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城の寺の前なるや、豊浦の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。僧都が自身で琴(七絃の唐風の楽器)を運んで来て、
「これをただちょっとだけでもお弾きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
こう熱望するので、
「私はまだ病気に疲れていますが」
と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。名残惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
「何の約束事でこんな末世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。兵部卿の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
などとほめていた。
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。
帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩せてしまったと仰せられて帝はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷力などについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、
「阿闍梨にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
と敬意を表しておいでになった。左大臣も御所に来合わせていて、
「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行の時にはかえって御迷惑かとも思いまして遠慮をしました。しかしまだ一日二日は静かにお休みになるほうがよろしいでしょう」
と言って、また、
「ここからのお送りは私がいたしましょう」
とも言ったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。自分の車へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさからこれほどまでに誠意を見せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の親心なるものに源氏は感動せずにはいられなかった。
こちらへ退出して来ることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行って見なかった源氏の目に美しいこの家がさらに磨き上げられた気もした。源氏の夫人は例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵にかいた何かの姫君というようにきれいに飾り立てられていて、身動きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の話をするとすればすぐに同感を表してくれるような人であれば情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞恥と同じものを見せて、同棲の歳月は重なってもこの傾向がますます目だってくるばかりであると思うと苦しくて、
「時々は普通の夫婦らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは問うてくだすっていいのに、あなたは問わない。今はじめてのことではないが私としては恨めしいことですよ」
と言った。
「問われないのは恨めしいものでしょうか」
こう言って横に源氏のほうを見た目つきは恥ずかしそうで、そして気高い美が顔に備わっていた。
「たまに言ってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。訪うて行かぬなどという間柄は、私たちのような神聖な夫婦の間柄とは違うのですよ。そんなことといっしょにして言うものじゃありません。時がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑するようになるから、こうすればあなたの心持ちが直るか、そうしたら効果があるだろうかと私はいろんな試みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。長い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」
と言って源氏は寝室のほうへはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝を促してみても聞かぬ人を置いて、歎息をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を動かすことにそう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただくたびれて眠いというふうを見せながらもいろいろな物思いをしていた。若草と祖母に歌われていた兵部卿の宮の小王女の登場する未来の舞台がしきりに思われる。年の不つりあいから先方の人たちが自分の提議を問題にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは積極的には出られない。しかし何らかの手段で自邸へ入れて、あの愛らしい人を物思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宮は上品な艶なお顔ではあるがはなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母君にそっくりなように見えたのだろう、宮と藤壺の宮とは同じお后からお生まれになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実現させないではならないものであると源氏は思った。
源氏は翌日北山へ手紙を送った。僧都へ書いたものにも女王の問題をほのめかして置かれたに違いない。尼君のには、
などと書いてあった。別に小さく結んだ手紙が入れてあって、
どんな風が私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです」
内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは別として、老人たちは手紙の包み方などにさえ感心していた。困ってしまう。こんな問題はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。
というのが尼君からの返事である。僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光を北山へやろうとした。
「少納言の乳母という人がいるはずだから、その人に逢って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見をした時のことを思ってみたりもしていた。
今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、
この歌が書いてある。返事、
尼君が書いたのである。惟光が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。
藤壺の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝が日々恋しく思召す御様子に源氏は同情しながらも、稀にしかないお実家住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。
涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、
とお言いになった。宮が煩悶しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。
宮も御自身の運命をお歎きになって煩悶が続き、そのために御病気の経過もよろしくないのである。宮中のお使いが始終来て御所へお帰りになることを促されるのであったが、なお宮は里居を続けておいでになった。宮は実際おからだが悩ましくて、しかもその悩ましさの中に生理的な現象らしいものもあるのを、宮御自身だけには思いあたることがないのではなかった。情けなくて、これで自分は子を産むのであろうかと煩悶をしておいでになった。まして夏の暑い間は起き上がることもできずにお寝みになったきりだった。御妊娠が三月であるから女房たちも気がついてきたようである。宿命の恐ろしさを宮はお思いになっても、人は知らぬことであったから、こんなに月が重なるまで御内奏もあそばされなかったと皆驚いてささやき合った。宮の御入浴のお世話などもきまってしていた宮の乳母の娘である弁とか、王命婦とかだけは不思議に思うことはあっても、この二人の間でさえ話し合うべき問題ではなかった。命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というものの力に驚いていたのである。宮中へは御病気やら物怪やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、
「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」
と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。
「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」
とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壺の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮して、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬を望むことになったが、王命婦も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。
初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壺の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹がふっくりとなって悪阻の悩みに顔の少しお痩せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壺にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁わしさをお覚えになった。
北山へ養生に行っていた按察使大納言の未亡人は病が快くなって京へ帰って来ていた。源氏は惟光などに京の家を訪ねさせて時々手紙などを送っていた。先方の態度は春も今も変わったところがないのである。それも道理に思えることであったし、またこの数月間というものは、過去の幾年間にもまさった恋の煩悶が源氏にあって、ほかのことは何一つ熱心にしようとは思われないのでもあったりして、より以上積極性を帯びていくようでもなかった。
秋の末になって、恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が出かけようとするとさっと時雨がした。源氏の行く所は六条の京極辺であったから、御所から出て来たのではやや遠い気がする。荒れた家の庭の木立ちが大家らしく深いその土塀の外を通る時に、例の傍去らずの惟光が言った。
「これが前の按察使大納言の家でございます。先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶がありました」
「気の毒だね。見舞いに行くのだった。なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」
源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。この訪問が目的で来たと最初言わせたので、そのあとでまた惟光がはいって行って、
「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」
と言った。大納言家では驚いた。
「困りましたね。近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、お逢いにはなれないでしょうが、お断わりするのはもったいないことですから」
などと女房は言って、南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。
「見苦しい所でございますが、せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、思召しでもございませんでしょうが、こんな部屋などにお通しいたしまして」
という挨拶を家の者がした。そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。
「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、私のお願いをとっぴなものか何かのようにこちらではお扱いになるので、きまりが悪かったのです。それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」
と源氏が言った。
「私は病気であることが今では普通なようになっております。しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、かたじけないお見舞いを受けました喜びを自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、もう少し年のゆきました時にお願いいたします。一人ぼっちになりますあの子に残る心が、私の参ります道の障りになることかと思われます」
取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。
「失礼なことでございます。孫がせめてお礼を申し上げる年になっておればよろしいのでございますのに」
とも言う。源氏は哀れに思って聞いていた。
「今さらそんな御挨拶はなさらないでください。通り一遍な考えでしたなら、風変わりな酔狂者と誤解されるのも構わずに、こんな御相談は続けません。どんな前生の因縁でしょうか、女王さんをちょっとお見かけいたしました時から、女王さんのことをどうしても忘れられないようなことになりましたのも不思議なほどで、どうしてもこの世界だけのことでない、約束事としか思われません」
などと源氏は言って、また、
「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」
と望んだ。
「それは姫君は何もご存じなしに、もうお寝みになっていまして」
女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、
「お祖母様、あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。なぜ御覧にならないの」
と女王は言った。女房たちは困ってしまった。
「静かにあそばせよ」
と言っていた。
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」
自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。源氏はおもしろく思って聞いていたが、女房たちの困りきったふうが気の毒になって、聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。
翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。例のように小さくしたほうの手紙には、
わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字もみごとなものであったから、そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。
かたじけないお見舞いのお礼はこの世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。
というのである。秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが濃くなっていくばかりの源氏であった。「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が思い出されて恋しいとともに、引き取って幻滅を感じるのではないかと危ぶむ心も源氏にはあった。
このころの源氏の歌である。
この十月に朱雀院へ行幸があるはずだった。その日の舞楽には貴族の子息たち、高官、殿上役人などの中の優秀な人が舞い人に選ばれていて、親王方、大臣をはじめとして音楽の素養の深い人はそのために新しい稽古を始めていた。それで源氏の君も多忙であった。北山の寺へも久しく見舞わなかったことを思って、ある日わざわざ使いを立てた。山からは僧都の返事だけが来た。
源氏は今さらのように人間の生命の脆さが思われた。尼君が気がかりでならなかったらしい小女王はどうしているだろう。小さいのであるから、祖母をどんなに恋しがってばかりいることであろうと想像しながらも、自身の小さくて母に別れた悲哀も確かに覚えないなりに思われるのであった。源氏からは丁寧な弔慰品が山へ贈られたのである。そんな場合にはいつも少納言が行き届いた返事を書いて来た。
尼君の葬式のあとのことが済んで、一家は京の邸へ帰って来ているということであったから、それから少しあとに源氏は自身で訪問した。凄いように荒れた邸に小人数で暮らしているのであったから、小さい人などは怖しい気がすることであろうと思われた。以前の座敷へ迎えて少納言が泣きながら哀れな若草を語った。源氏も涙のこぼれるのを覚えた。
「宮様のお邸へおつれになることになっておりますが、お母様の御生前にいろんな冷酷なことをなさいました奥さまがいらっしゃるのでございますから、それがいっそずっとお小さいとか、また何でもおわかりになる年ごろになっていらっしゃるとかすればいいのでございますが、中途半端なお年で、おおぜいお子様のいらっしゃる中で軽い者にお扱われになることになってはと、尼君も始終それを苦労になさいましたが、宮様のお内のことを聞きますと、まったく取り越し苦労でなさそうなんでございますから、あなた様のお気まぐれからおっしゃってくださいますことも、遠い将来にまでにはたとえどうなりますにしましても、お救いの手に違いないと私どもは思われますが、奥様になどとは想像も許されませんようなお子供らしさでございまして、普通のあの年ごろよりももっともっと赤様なのでございます」
と少納言が言った。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか、私が繰り返し繰り返しこれまで申し上げてあることをなぜ無視しようとなさるのですか。その幼稚な方を私が好きでたまらないのは、こればかりは前生の縁に違いないと、それを私が客観的に見ても思われます。許してくだすって、この心持ちを直接女王さんに話させてくださいませんか。
私をお見くびりになってはいけません」
源氏がこう言うと、
「それはもうほんとうにもったいなく思っているのでございます。
このことだけは御信用ができませんけれど」
物馴れた少納言の応接のしように、源氏は何を言われても不快には思われなかった。「年を経てなど越えざらん逢坂の関」という古歌を口ずさんでいる源氏の美音に若い女房たちは酔ったような気持ちになっていた。女王は今夜もまた祖母を恋しがって泣いていた時に、遊び相手の童女が、
「直衣を着た方が来ていらっしゃいますよ。宮様が来ていらっしゃるのでしょう」
と言ったので、起きて来て、
「少納言、直衣着た方どちら、宮様なの」
こう言いながら乳母のそばへ寄って来た声がかわいかった。これは父宮ではなかったが、やはり深い愛を小女王に持つ源氏であったから、心がときめいた。
「こちらへいらっしゃい」
と言ったので、父宮でなく源氏の君であることを知った女王は、さすがにうっかりとしたことを言ってしまったと思うふうで、乳母のそばへ寄って、
「さあ行こう。私は眠いのだもの」
と言う。
「もうあなたは私に御遠慮などしないでもいいんですよ。私の膝の上へお寝みなさい」
と源氏が言った。
「お話しいたしましたとおりでございましょう。こんな赤様なのでございます」
乳母に源氏のほうへ押し寄せられて、女王はそのまま無心にすわっていた。源氏が御簾の下から手を入れて探ってみると柔らかい着物の上に、ふさふさとかかった端の厚い髪が手に触れて美しさが思いやられるのである。手をとらえると、父宮でもない男性の近づいてきたことが恐ろしくて、
「私、眠いと言っているのに」
と言って手を引き入れようとするのについて源氏は御簾の中へはいって来た。
「もう私だけがあなたを愛する人なんですよ。私をお憎みになってはいけない」
源氏はこう言っている。少納言が、
「よろしくございません。たいへんでございます。お話しになりましても何の効果もございませんでしょうのに」
と困ったように言う。
「いくら何でも私はこの小さい女王さんを情人にしようとはしない。まあ私がどれほど誠実であるかを御覧なさい」
外には霙が降っていて凄い夜である。
「こんなに小人数でこの寂しい邸にどうして住めるのですか」
と言って源氏は泣いていた。捨てて帰って行けない気がするのであった。
「もう戸をおろしておしまいなさい。こわいような夜だから、私が宿直の男になりましょう。女房方は皆女王さんの室へ来ていらっしゃい」
と言って、馴れたことのように女王さんを帳台の中へ抱いてはいった。だれもだれも意外なことにあきれていた。乳母は心配をしながらも普通の闖入者を扱うようにはできぬ相手に歎息をしながら控えていた。小女王は恐ろしがってどうするのかと慄えているので肌も毛穴が立っている。かわいく思う源氏はささやかな異性を単衣に巻きくるんで、それだけを隔てに寄り添っていた。この所作がわれながら是認しがたいものとは思いながらも愛情をこめていろいろと話していた。
「ねえ、いらっしゃいよ、おもしろい絵がたくさんある家で、お雛様遊びなんかのよくできる私の家へね」
こんなふうに小さい人の気に入るような話をしてくれる源氏の柔らかい調子に、姫君は恐ろしさから次第に解放されていった。しかし不気味であることは忘れずに、眠り入ることはなくて身じろぎしながら寝ていた。この晩は夜通し風が吹き荒れていた。
「ほんとうにお客様がお泊まりにならなかったらどんなに私たちは心細かったでしょう。同じことなら女王様がほんとうの御結婚のできるお年であればね」
などと女房たちはささやいていた。心配でならない乳母は帳台の近くに侍していた。風の少し吹きやんだ時はまだ暗かったが、帰る源氏はほんとうの恋人のもとを別れて行く情景に似ていた。
「かわいそうな女王さんとこんなに親しくなってしまった以上、私はしばらくの間もこんな家へ置いておくことは気がかりでたまらない。私の始終住んでいる家へお移ししよう。こんな寂しい生活をばかりしていらっしゃっては女王さんが神経衰弱におなりになるから」
と源氏が言った。
「宮様もそんなにおっしゃいますが、あちらへおいでになることも、四十九日が済んでからがよろしかろうと存じております」
「お父様のお邸ではあっても、小さい時から別の所でお育ちになったのだから、私に対するお気持ちと親密さはそう違わないでしょう。今からいっしょにいることが将来の障りになるようなことは断じてない。私の愛が根底の深いものになるだけだと思う」
と女王の髪を撫でながら源氏は言って顧みながら去った。深く霧に曇った空も艶であって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。
二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕えの女中を出して、
と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。
かわいかった小女王を思い出して、源氏は独り笑みをしながら又寝をした。朝おそくなって起きた源氏は手紙をやろうとしたが、書く文章も普通の恋人扱いにはされないので、筆を休め休め考えて書いた。よい絵なども贈った。
今日は按察使大納言家へ兵部卿の宮が来ておいでになった。以前よりもずっと邸が荒れて、広くて古い家に小人数でいる寂しさが宮のお心を動かした。
「こんな所にしばらくでも小さい人がいられるものではない。やはり私の邸のほうへつれて行こう。たいしたむずかしい所ではないのだよ。乳母は部屋をもらって住んでいればいいし、女王は何人も若い子がいるからいっしょに遊んでいれば非常にいいと思う」
などとお言いになった。そばへお呼びになった小女王の着物には源氏の衣服の匂いが深く沁んでいた。
「いい匂いだね。けれど着物は古くなっているね」
心苦しく思召す様子だった。
「今までからも病身な年寄りとばかりいっしょにいるから、時々は邸のほうへよこして、母と子の情合いのできるようにするほうがよいと私は言ったのだけれど、絶対的にお祖母さんはそれをおさせにならなかったから、邸のほうでも反感を起こしていた。そしてついにその人が亡くなったからといってつれて行くのは済まないような気もする」
と宮がお言いになる。
「そんなに早くあそばす必要はございませんでしょう。お心細くても当分はこうしていらっしゃいますほうがよろしゅうございましょう。少し物の理解がおできになるお年ごろになりましてからおつれなさいますほうがよろしいかと存じます」
少納言はこう答えていた。
「夜も昼もお祖母様が恋しくて泣いてばかりいらっしゃいまして、召し上がり物なども少のうございます」
とも歎いていた。実際姫君は痩せてしまったが、上品な美しさがかえって添ったかのように見える。
「なぜそんなにお祖母様のことばかりをあなたはお思いになるの、亡くなった人はしかたがないんですよ。お父様がおればいいのだよ」
と宮は言っておいでになった。日が暮れるとお帰りになるのを見て、心細がって姫君が泣くと、宮もお泣きになって、
「なんでもそんなに悲しがってはしかたがない。今日明日にでもお父様の所へ来られるようにしよう」
などと、いろいろになだめて宮はお帰りになった。母も祖母も失った女の将来の心細さなどを女王は思うのでなく、ただ小さい時から片時の間も離れず付き添っていた祖母が死んだと思うことだけが非常に悲しいのである。子供ながらも悲しみが胸をふさいでいる気がして遊び相手はいても遊ぼうとしなかった。それでも昼間は何かと紛れているのであったが、夕方ごろからめいりこんでしまう。こんなことで小さいおからだがどうなるかと思って、乳母も毎日泣いていた。その日源氏の所からは惟光をよこした。
源氏からの挨拶はこれで惟光が代わりの宿直をするわけである。
「困ってしまう。将来だれかと御結婚をなさらなければならない女王様を、これではもう源氏の君が奥様になすったような形をお取りになるのですもの。宮様がお聞きになったら私たちの責任だと言っておしかりになるでしょう」
「ねえ女王様、お気をおつけになって、源氏の君のことは宮様がいらっしゃいました時にうっかり言っておしまいにならないようになさいませね」
と少納言が言っても、小女王は、それが何のためにそうしなければならないかがわからないのである。少納言は惟光の所へ来て、身にしむ話をした。
「将来あるいはそうおなりあそばす運命かもしれませんが、ただ今のところはどうしてもこれは不つりあいなお間柄だと私らは存じますのに、御熱心に御縁組のことをおっしゃるのですもの、御酔興か何かと私どもは思うばかりでございます。今日も宮様がおいでになりまして、女の子だからよく気をつけてお守りをせい、うっかり油断をしていてはいけないなどとおっしゃいました時は、私ども何だか平気でいられなく思われました。昨晩のことなんか思い出すものですから」
などと言いながらも、あまりに歎いて見せては姫君の処女であることをこの人に疑わせることになると用心もしていた。惟光もどんな関係なのかわからない気がした。帰って惟光が報告した話から、源氏はいろいろとその家のことが哀れに思いやられてならないのであったが、形式的には良人らしく一泊したあとであるから、続いて通って行かねばならぬが、それはさすがに躊躇された。酔興な結婚をしたように世間が批評しそうな点もあるので、心がおけて行けないのである。二条の院へ迎えるのが良策であると源氏は思った。手紙は始終送った。日が暮れると惟光を見舞いに出した。
などという手紙が書かれてくる。
「宮様のほうから、にわかに明日迎えに行くと言っておよこしになりましたので、取り込んでおります。長い馴染の古いお邸を離れますのも心細い気のすることと私どもめいめい申し合っております」
と言葉数も少なく言って、大納言家の女房たちは今日はゆっくりと話し相手になっていなかった。忙しそうに物を縫ったり、何かを仕度したりする様子がよくわかるので、惟光は帰って行った。源氏は左大臣家へ行っていたが、例の夫人は急に出て来て逢おうともしなかったのである。面倒な気がして、源氏は東琴(和琴に同じ)を手すさびに弾いて、「常陸には田をこそ作れ、仇心かぬとや君が山を越え、野を越え雨夜来ませる」という田舎めいた歌詞を、優美な声で歌っていた。惟光が来たというので、源氏は居間へ呼んで様子を聞こうとした。惟光によって、女王が兵部卿の宮邸へ移転する前夜であることを源氏は聞いた。源氏は残念な気がした。宮邸へ移ったあとで、そういう幼い人に結婚を申し込むということも物好きに思われることだろう。小さい人を一人盗んで行ったという批難を受けるほうがまだよい。確かに秘密の保ち得られる手段を取って二条の院へつれて来ようと源氏は決心した。
「明日夜明けにあすこへ行ってみよう。ここへ来た車をそのままにして置かせて、随身を一人か二人仕度させておくようにしてくれ」
という命令を受けて惟光は立った。源氏はそののちもいろいろと思い悩んでいた。人の娘を盗み出した噂の立てられる不名誉も、もう少しあの人が大人で思い合った仲であればその犠牲も自分は払ってよいわけであるが、これはそうでもないのである。父宮に取りもどされる時の不体裁も考えてみる必要があると思ったが、その機会をはずすことはどうしても惜しいことであると考えて、翌朝は明け切らぬ間に出かけることにした。
夫人は昨夜の気持ちのままでまだ打ち解けてはいなかった。
「二条の院にぜひしなければならないことのあったのを私は思い出したから出かけます。用を済ませたらまた来ることにしましょう」
と源氏は不機嫌な妻に告げて、寝室をそっと出たので、女房たちも知らなかった。自身の部屋になっているほうで直衣などは着た。馬に乗せた惟光だけを付き添いにして源氏は大納言家へ来た。門をたたくと何の気なしに下男が門をあけた。車を静かに中へ引き込ませて、源氏の伴った惟光が妻戸をたたいて、しわぶきをすると、少納言が聞きつけて出て来た。
「来ていらっしゃるのです」
と言うと、
「女王様はやすんでいらっしゃいます。どちらから、どうしてこんなにお早く」
と少納言が言う。源氏が人の所へ通って行った帰途だと解釈しているのである。
「宮様のほうへいらっしゃるそうですから、その前にちょっと一言お話をしておきたいと思って」
と源氏が言った。
「どんなことでございましょう。まあどんなに確かなお返辞がおできになりますことやら」
少納言は笑っていた。源氏が室内へはいって行こうとするので、この人は当惑したらしい。
「不行儀に女房たちがやすんでおりまして」
「まだ女王さんはお目ざめになっていないのでしょうね。私がお起こししましょう。もう朝霧がいっぱい降る時刻だのに、寝ているというのは」
と言いながら寝室へはいる源氏を少納言は止めることもできなかった。源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと、まだまったくさめない心では思っていた。髪を撫でて直したりして、
「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」
と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、恐ろしく思うふうに見えた。
「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。鬼などであるものですか」
源氏の君が姫君をかかえて出て来た。少納言と、惟光と、外の女房とが、
「あ、どうなさいます」
と同時に言った。
「ここへは始終来られないから、気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、それには同意をなさらないで、ほかへお移りになることになったから、そちらへおいでになってはいろいろ面倒だから、それでなのだ。だれか一人ついておいでなさい」
こう源氏の言うのを聞いて少納言はあわててしまった。
「今日では非常に困るかと思います。宮様がお迎えにおいでになりました節、何とも申し上げようがないではございませんか。ある時間がたちましてから、ごいっしょにおなりになる御縁があるものでございましたら自然にそうなることでございましょう。まだあまりに御幼少でいらっしゃいますから。ただ今そんなことは皆の者の責任になることでございますから」
と言うと、
「じゃいい。今すぐについて来られないのなら、人はあとで来るがよい」
こんなふうに言って源氏は車を前へ寄せさせた。姫君も怪しくなって泣き出した。少納言は止めようがないので、昨夜縫った女王の着物を手にさげて、自身も着がえをしてから車に乗った。
二条の院は近かったから、まだ明るくならないうちに着いて、西の対に車を寄せて降りた。源氏は姫君を軽そうに抱いて降ろした。
「夢のような気でここまでは参りましたが、私はどうしたら」
少納言は下車するのを躊躇した。
「どうでもいいよ。もう女王さんがこちらへ来てしまったのだから、君だけ帰りたければ送らせよう」
源氏が強かった。しかたなしに少納言も降りてしまった。このにわかの変動に先刻から胸が鳴り続けているのである。宮が自分をどうお責めになるだろうと思うことも苦労の一つであった。それにしても姫君はどうなっておしまいになる運命なのであろうと思って、ともかくも母や祖母に早くお別れになるような方は紛れもない不幸な方であることがわかると思うと、涙がとめどなく流れそうであったが、しかもこれが姫君の婚家へお移りになる第一日であると思うと、縁起悪く泣くことは遠慮しなくてはならないと努めていた。
ここは平生あまり使われない御殿であったから帳台なども置かれてなかった。源氏は惟光を呼んで帳台、屏風などをその場所場所に据えさせた。これまで上へあげて掛けてあった几帳の垂れ絹はおろせばいいだけであったし、畳の座なども少し置き直すだけで済んだのである。東の対へ夜着類を取りにやって寝た。姫君は恐ろしがって、自分をどうするのだろうと思うと慄えが出るのであったが、さすがに声を立てて泣くことはしなかった。
「少納言の所で私は寝るのよ」
子供らしい声で言う。
「もうあなたは乳母などと寝るものではありませんよ」
と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。
明けてゆく朝の光を見渡すと、建物や室内の装飾はいうまでもなくりっぱで、庭の敷き砂なども玉を重ねたもののように美しかった。少納言は自身が貧弱に思われてきまりが悪かったが、この御殿には女房がいなかった。あまり親しくない客などを迎えるだけの座敷になっていたから、男の侍だけが縁の外で用を聞くだけだった。そうした人たちは新たに源氏が迎え入れた女性のあるのを聞いて、
「だれだろう、よほどお好きな方なんだろう」
などとささやいていた。源氏の洗面の水も、朝の食事もこちらへ運ばれた。遅くなってから起きて、源氏は少納言に、
「女房たちがいないでは不自由だろうから、あちらにいた何人かを夕方ごろに迎えにやればいい」
と言って、それから特に小さい者だけが来るようにと東の対のほうへ童女を呼びにやった。しばらくして愛らしい姿の子が四人来た。女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを源氏は無理に起こして、
「私に意地悪をしてはいけませんよ。薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」
もうこんなふうに教え始めた。姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。気に入るような話をしたり、おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを東の対へ取りにやるとかして、源氏は女王の機嫌を直させるのに骨を折った。やっと起きて喪服のやや濃い鼠の服の着古して柔らかになったのを着た姫君の顔に笑みが浮かぶようになると、源氏の顔にも自然笑みが上った。源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、木立ちの美しい築山や池のほうなどを御簾の中からのぞくと、ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みが描いた絵のようによくて、平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。源氏が言っていたようにほんとうにここはよい家であると女王は思った。屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。
源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。手本帳に綴じさせるつもりの字や絵をいろいろに書いて見せたりしていた。皆美しかった。「知らねどもむさし野と云へばかこたれぬよしやさこそは紫の故」という歌の紫の紙に書かれたことによくできた一枚を手に持って姫君はながめていた。また少し小さい字で、
とも書いてある。
「あなたも書いてごらんなさい」
と源氏が言うと、
「まだよくは書けませんの」
見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、源氏は微笑をして言った。
「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」
からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、源氏は自分の心ながら不思議に思われた。
「書きそこねたわ」
と言って、恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。
子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、ふっくりとしたものだった。死んだ尼君の字にも似ていた。現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。雛なども屋根のある家などもたくさんに作らせて、若紫の女王と遊ぶことは源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。
大納言家に残っていた女房たちは、宮がおいでになった時に御挨拶のしようがなくて困った。当分は世間へ知らせずにおこうと、源氏も言っていたし、少納言もそれと同感なのであるから、秘密にすることをくれぐれも言ってやって、少納言がどこかへ隠したように申し上げさせたのである。宮は御落胆あそばされた。尼君も宮邸へ姫君の移って行くことを非常に嫌っていたから、乳母の出すぎた考えから、正面からは拒まずにおいて、そっと勝手に姫君をつれ出してしまったのだとお思いになって、宮は泣く泣くお帰りになったのである。
「もし居所がわかったら知らせてよこすように」
宮のこのお言葉を女房たちは苦しい気持ちで聞いていたのである。宮は僧都の所へも捜しにおやりになったが、姫君の行くえについては何も得る所がなかった。美しかった小女王の顔をお思い出しになって宮は悲しんでおいでになった。夫人はその母君をねたんでいた心も長い時間に忘れていって、自身の子として育てるのを楽しんでいたことが水泡に帰したのを残念に思った。
そのうち二条の院の西の対に女房たちがそろった。若紫のお相手の子供たちは、大納言家から来たのは若い源氏の君、東の対のはきれいな女王といっしょに遊べるのを喜んだ。若紫は源氏が留守になったりした夕方などには尼君を恋しがって泣きもしたが、父宮を思い出すふうもなかった。初めから稀々にしか見なかった父宮であったから、今は第二の父と思っている源氏にばかり馴染んでいった。外から源氏の帰って来る時は、自身がだれよりも先に出迎えてかわいいふうにいろいろな話をして、懐の中に抱かれて少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わない。こんな風変わりな交情がここにだけ見られるのである。
大人の恋人との交渉には微妙な面倒があって、こんな障害で恋までもそこねられるのではないかと我ながら不安を感じることがあったり、女のほうはまた年じゅう恨み暮らしに暮らすことになって、ほかの恋がその間に芽ばえてくることにもなる。この相手にはそんな恐れは少しもない。ただ美しい心の慰めであるばかりであった。娘というものも、これほど大きくなれば父親はこんなにも接近して世話ができず、夜も同じ寝室にはいることは許されないわけであるから、こんなおもしろい間柄というものはないと源氏は思っているらしいのである。
末摘花
源氏の君の夕顔を失った悲しみは、月がたち年が変わっても忘れることができなかった。左大臣家にいる夫人も、六条の貴女も強い思い上がりと源氏の他の愛人を寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、扱いにくいことによっても、源氏はあの気楽な自由な気持ちを与えてくれた恋人ばかりが追慕されるのである。どうかしてたいそうな身分のない女で、可憐で、そして世間的にあまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと懲りもせずに思っている。少しよいらしく言われる女にはすぐに源氏の好奇心は向く。さて接近して行こうと思うのにはまず短い手紙などを送るが、もうそれだけで女のほうからは好意を表してくる。冷淡な態度を取りうる者はあまりなさそうなのに源氏はかえって失望を覚えた。ある場合条件どおりなのがあっても、それは頭に欠陥のあるのとか、理智一方の女であって、源氏に対して一度は思い上がった態度に出ても、あまりにわが身知らずのようであるとか思い返してはつまらぬ男と結婚をしてしまったりするのもあったりして、話をかけたままになっている向きも多かった。空蝉が何かのおりおりに思い出されて敬服するに似た気持ちもおこるのであった。軒端の荻へは今も時々手紙が送られることと思われる。灯影に見た顔のきれいであったことを思い出しては情人としておいてよい気が源氏にするのである。源氏の君は一度でも関係を作った女を忘れて捨ててしまうようなことはなかった。
左衛門の乳母といって、源氏からは大弐の乳母の次にいたわられていた女の、一人娘は大輔の命婦といって御所勤めをしていた。王氏の兵部大輔である人が父であった。多情な若い女であったが、源氏も宮中の宿直所では女房のようにして使っていた。左衛門の乳母は今は筑前守と結婚していて、九州へ行ってしまったので、父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。常陸の太守であった親王(兵部大輔はその息である)が年をおとりになってからお持ちになった姫君が孤児になって残っていることを何かのついでに命婦が源氏へ話した。気の毒な気がして源氏は詳しくその人のことを尋ねた。
「どんな性質でいらっしゃるとか御容貌のこととか、私はよく知らないのでございます。内気なおとなしい方ですから、時々は几帳越しくらいのことでお話をいたします。琴がいちばんお友だちらしゅうございます」
「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」
こんな冗談を源氏は言ったあとで、
「私にその女王さんの琴の音を聞かせないか。常陸の宮さんは、そうした音楽などのよくできた方らしいから、平凡な芸ではなかろうと思われる」
と言った。
「そんなふうに思召してお聞きになります価値がございますか、どうか」
「思わせぶりをしないでもいいじゃないか。このごろは朧月があるからね、そっと行ってみよう。君も家へ退っていてくれ」
源氏が熱心に言うので、大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、御所も御用のひまな時であったから、春の日永に退出をした。父の大輔は宮邸には住んでいないのである。その継母の家へ出入りすることをきらって、命婦は祖父の宮家へ帰るのである。
源氏は言っていたように十六夜の月の朧ろに霞んだ夜に命婦を訪問した。
「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」
「まあいいから御殿へ行って、ただ一声でいいからお弾かせしてくれ。聞かれないで帰るのではあまりつまらないから」
と強いて望まれて、この貴公子を取り散らした自身の部屋へ置いて行くことを済まなく思いながら、命婦が寝殿へ行ってみると、まだ格子をおろさないで梅の花のにおう庭を女王はながめていた。よいところであると命婦は心で思った。
「琴の声が聞かせていただけましたらと思うような夜分でございますから、部屋を出てまいりました。私はこちらへ寄せていただいていましても、いつも時間が少なくて、伺わせていただく間のないのが残念でなりません」
と言うと、
「あなたのような批評家がいては手が出せない。御所に出ている人などに聞いてもらえる芸なものですか」
こう言いながらも、すぐに女王が琴を持って来させるのを見ると、命婦がかえってはっとした。源氏の聞いていることを思うからである。女王はほのかな爪音を立てて行った。源氏はおもしろく聞いていた。たいした深い芸ではないが、琴の音というものは他の楽器の持たない異国風な声であったから、聞きにくくは思わなかった。この邸は非常に荒れているが、こんな寂しい所に女王の身分を持っていて、大事がられた時代の名残もないような生活をするのでは、どんなに味気ないことが多かろう。昔の小説にもこんな背景の前によく佳人が現われてくるものだなどと源氏は思って今から交渉の端緒を作ろうかとも考えたが、ぶしつけに思われることが恥ずかしくて座を立ちかねていた。
命婦は才気のある女であったから、名手の域に遠い人の音楽を長く源氏に聞かせておくことは女王の損になると思った。
「雲が出て月が見えないがちの晩でございますわね。今夜私のほうへ訪問してくださるお約束の方がございましたから、私がおりませんとわざと避けたようにも当たりますから、またゆるりと聞かせていただきます。お格子をおろして行きましょう」
命婦は琴を長く弾かせないで部屋へ帰った。
「あれだけでは聞かせてもらいがいもない。どの程度の名手なのかわからなくてつまらない」
源氏は女王に好感を持つらしく見えた。
「できるなら近いお座敷のほうへ案内して行ってくれて、よそながらでも女王さんの衣摺れの音のようなものを聞かせてくれないか」
と言った。命婦は近づかせないで、よりよい想像をさせておきたかった。
「それはだめでございますよ。お気の毒なお暮らしをして、めいりこんでいらっしゃる方に、男の方を御紹介することなどはできません」
と命婦の言うのが道理であるように源氏も思った。男女が思いがけなく会合して語り合うというような階級にははいらない、ともかくも貴女なんであるからと思ったのである。
「しかし、将来は交際ができるように私の話をしておいてくれ」
こう命婦に頼んでから、源氏はまた今夜をほかに約束した人があるのか帰って行こうとした。
「あまりにまじめ過ぎるからと陛下がよく困るようにおっしゃっていらっしゃいますのが、私にはおかしくてならないことがおりおりございます。こんな浮気なお忍び姿を陛下は御覧になりませんからね」
と命婦が言うと、源氏は二足三足帰って来て、笑いながら言う。
「何を言うのだね。品行方正な人間でも言うように。これを浮気と言ったら、君の恋愛生活は何なのだ」
多情な女だと源氏が決めていて、おりおりこんなことを面と向かって言われるのを命婦は恥ずかしく思って何とも言わなかった。
女暮らしの家の座敷の物音を聞きたいように思って源氏は静かに庭へ出たのである。大部分は朽ちてしまったあとの少し残った透垣のからだが隠せるほどの蔭へ源氏が寄って行くと、そこに以前から立っていた男がある。だれであろう女王に恋をする好色男があるのだと思って、暗いほうへ隠れて立っていた。初めから庭にいたのは頭中将なのである。今日も夕方御所を同時に退出しながら、源氏が左大臣家へも行かず、二条の院へも帰らないで、妙に途中で別れて行ったのを見た中将が、不審を起こして、自身のほうにも行く家があったのを行かずに、源氏のあとについて来たのである。わざと貧弱な馬に乗って狩衣姿をしていた中将に源氏は気づかなかったのであったが、こんな思いがけない邸へはいったのがまた中将の不審を倍にして、立ち去ることができなかったころに、琴を弾く音がしてきたので、それに心も惹かれて庭に立ちながら、一方では源氏の出て来るのを待っていた。源氏はまだだれであるかに気がつかないで、顔を見られまいとして抜き足をして庭を離れようとする時にその男が近づいて来て言った。
「私をお撒きになったのが恨めしくて、こうしてお送りしてきたのですよ。
さも秘密を見現わしたように得意になって言うのが腹だたしかったが、源氏は頭中将であったことに安心もされ、おかしくなりもした。
「そんな失敬なことをする者はあなたのほかにありませんよ」
憎らしがりながらまた言った。
こんなふうに私が始終あなたについて歩いたらお困りになるでしょう、あなたはね」
「しかし、恋の成功はよい随身をつれて行くか行かないかで決まることもあるでしょう。これからはごいっしょにおつれください。お一人歩きは危険ですよ」
頭中将はこんなことを言った。頭中将に得意がられていることを源氏は残念にも思ったが、あの撫子の女が自身のものになったことを中将が知らないことだけが内心には誇らしかった。源氏にも頭中将にも第二の行く先は決まっていたが、戯談を言い合っていることがおもしろくて、別れられずに一つの車に乗って、朧月夜の暗くなった時分に左大臣家に来た。前駆に声も立てさせずに、そっとはいって、人の来ない廊の部屋で直衣に着かえなどしてから、素知らぬ顔で、今来たように笛を吹き合いながら源氏の住んでいるほうへ来たのである。その音に促されたように左大臣は高麗笛を持って来て源氏へ贈った。その笛も源氏は得意であったからおもしろく吹いた。合奏のために琴も持ち出されて女房の中でも音楽のできる人たちが選ばれて弾き手になった。琵琶が上手である中将という女房は、頭中将に恋をされながら、それにはなびかないで、このたまさかにしか来ない源氏の心にはたやすく従ってしまった女であって、源氏との関係がすぐに知れて、このごろは大臣の夫人の内親王様も中将を快くお思いにならなくなったのに悲観して、今日も仲間から離れて物蔭で横になっていた。源氏を見る機会のない所へ行ってしまうのもさすがに心細くて、煩悶をしているのである。楽音の中にいながら二人の貴公子はあの荒れ邸の琴の音を思い出していた。ひどくなった家もおもしろいもののようにばかり思われて、空想がさまざまに伸びていく。可憐な美人が、あの家の中で埋没されたようになって暮らしていたあとで、発見者の自分の情人にその人がなったら、自分はまたその人の愛におぼれてしまうかもしれない。それで方々で物議が起こることになったらまたちょっと自分は困るであろうなどとまで頭中将は思った。源氏が決してただの気持ちであの邸を訪問したのではないことだけは確かである。先を越すのはこの人であるかもしれないと思うと、頭中将は口惜しくて、自身の期待が危かしいようにも思われた。
それからのち二人の貴公子が常陸の宮の姫君へ手紙を送ったことは想像するにかたくない。しかしどちらへも返事は来ない。それが気になって頭中将は、いやな態度だ、あんな家に住んでいるような人は物の哀れに感じやすくなっていねばならないはずだ、自然の木や草や空のながめにも心と一致するものを見いだしておもしろい手紙を書いてよこすようでなければならない、いくら自尊心のあるのはよいものでも、こんなに返事をよこさない女には反感が起こるなどと思っていらいらとするのだった。仲のよい友だちであったから頭中将は隠し立てもせずにその話を源氏にするのである。
「常陸の宮の返事が来ますか、私もちょっとした手紙をやったのだけれど何にも言って来ない。侮辱された形ですね」
自分の想像したとおりだ、頭中将はもう手紙を送っているのだと思うと源氏はおかしかった。
「返事を格別見たいと思わない女だからですか、来たか来なかったかよく覚えていませんよ」
源氏は中将をじらす気なのである。返事の来ないことは同じなのである。中将は、そこへ行きこちらへは来ないのだと口惜しがった。源氏はたいした執心を持つのでない女の冷淡な態度に厭気がして捨てて置く気になっていたが、頭中将の話を聞いてからは、口上手な中将のほうに女は取られてしまうであろう、女はそれで好い気になって、初めの求婚者のことなどは、それは止してしまったと冷ややかに自分を見くびるであろうと思うと、あるもどかしさを覚えたのである。それから大輔の命婦にまじめに仲介を頼んだ。
「いくら手紙をやっても冷淡なんだ。私がただ一時的な浮気で、そうしたことを言っているのだと解釈しているのだね。私は女に対して薄情なことのできる男じゃない。いつも相手のほうが気短に私からそむいて行くことから悪い結果にもなって、結局私が捨ててしまったように言われるのだよ。孤独の人で、親や兄弟が夫婦の中を干渉するようなうるさいこともない、気楽な妻が得られたら、私は十分に愛してやることができるのだ」
「いいえ、そんな、あなた様が十分にお愛しになるようなお相手にあの方はなられそうもない気がします。非常に内気で、おとなしい点はちょっと珍らしいほどの方ですが」
命婦は自分の知っているだけのことを源氏に話した。
「貴婦人らしい聡明さなどが見られないのだろう、いいのだよ、無邪気でおっとりとしていれば私は好きだ」
命婦に逢えばいつもこんなふうに源氏は言っていた。その後源氏は瘧病になったり、病気がなおると少年時代からの苦しい恋の悩みに世の中に忘れてしまうほどに物思いをしたりして、この年の春と夏とが過ぎてしまった。秋になって、夕顔の五条の家で聞いた砧の耳についてうるさかったことさえ恋しく源氏に思い出されるころ、源氏はしばしば常陸の宮の女王へ手紙を送った。返事のないことは秋の今も初めに変わらなかった。あまりに人並みはずれな態度をとる女だと思うと、負けたくないというような意地も出て、命婦へ積極的に取り持ちを迫ることが多くなった。
「どんなふうに思っているのだろう。私はまだこんな態度を取り続ける女に出逢ったことはないよ」
不快そうに源氏の言うのを聞いて命婦も気の毒がった。
「私は格別この御縁はよろしくございませんとも言っておりませんよ。ただあまり内気過ぎる方で男の方との交渉に手が出ないのでしょうと、お返事の来ないことを私はそう解釈しております」
「それがまちがっているじゃないか。とても年が若いとか、また親がいて自分の意志では何もできないというような人たちこそ、それがもっともだとは言えるが、あんな一人ぼっちの心細い生活をしている人というものは、異性の友だちを作って、それから優しい慰めを言われたり、自分のことも人に聞かせたりするのがよいことだと思うがね。私はもう面倒な結婚なんかどうでもいい。あの古い家を訪問して、気の毒なような荒れた縁側へ上がって話すだけのことをさせてほしいよ。あの人がよいと言わなくても、ともかくも私をあの人に接近させるようにしてくれないか。気短になって取り返しのならないような行為に出るようなことは断じてないだろう」
などと源氏は言うのであった。女の噂を関心も持たないように聞いていながら、その中のある者に特別な興味を持つような癖が源氏にできたころ、源氏の宿直所のつれづれな夜話に、命婦が何の気なしに語った常陸の宮の女王のことを始終こんなふうに責任のあるもののように言われるのを命婦は迷惑に思っていた。女王の様子を思ってみると、それが似つかわしいこととは仮にも思えないのであったから、よけいな媒介役を勤めて、結局女王を不幸にしてしまうのではないかとも思えたが、源氏がきわめてまじめに言い出していることであったから、同意のできない理由もまたない気がした。常陸の太守の宮が御在世中でも古い御代の残りの宮様として世間は扱って、御生活も豊かでなかった。お訪ねする人などはその時代から皆無といってよい状態だったのだから、今になってはまして草深い女王の邸へ出入りしようとする者はなかった。その家へ光源氏の手紙が来たのであるから、女房らは一陽来復の夢を作って、女王に返事を書くことも勧めたが、世間のあらゆる内気の人の中の最も引っ込み思案の女王は、手紙に語られる源氏の心に触れてみる気も何もなかったのである。命婦はそんなに源氏の望むことなら、自分が手引きして物越しにお逢わせしよう、お気に入らなければそれきりにすればいいし、また縁があって情人関係になっても、それを干渉して止める人は宮家にないわけであるなどと、命婦自身が恋愛を軽いものとして考えつけている若い心に思って、女王の兄にあたる自身の父にも話しておこうとはしなかった。
八月の二十日過ぎである。八、九時にもまだ月が出ずに星だけが白く見える夜、古い邸の松風が心細くて、父宮のことなどを言い出して、女王は命婦といて泣いたりしていた。源氏に訪ねて来させるのによいおりであると思った命婦のしらせが行ったか、この春のようにそっと源氏が出て来た。その時分になって昇った月の光が、古い庭をいっそう荒涼たるものに見せるのを寂しい気持ちで女王がながめていると命婦が勧めて琴を弾かせた。まずくはない、もう少し近代的の光沢が添ったらいいだろうなどと、ひそかなことを企てて心の落ち着かぬ命婦は思っていた。人のあまりいない家であったから源氏は気楽に中へはいって命婦を呼ばせた。命婦ははじめて知って驚くというふうに見せて、
「いらっしったお客様って、それは源氏の君なんですよ。始終御交際をする紹介役をするようにってやかましく言っていらっしゃるのですが、そんなことは私にだめでございますってお断わりばかりしておりますの、そしたら自分で直接お話しに行くってよくおっしゃるのです。お帰しはできませんわね。ぶしつけをなさるような方なら何ですが、そんな方じゃございません。物越しでお話をしておあげになることだけを許してあげてくださいましね」
と言うと女王は非常に恥ずかしがって、
「私はお話のしかたも知らないのだから」
と言いながら部屋の奥のほうへ膝行って行くのがういういしく見えた。命婦は笑いながら、
「あまりに子供らしくいらっしゃいます。どんな貴婦人といいましても、親が十分に保護していてくださる間だけは子供らしくしていてよろしくても、こんな寂しいお暮らしをしていらっしゃりながら、あまりあなたのように羞恥の観念の強いことはまちがっています」
こんな忠告をした。人の言うことにそむかれない内気な性質の女王は、
「返辞をしないでただ聞いてだけいてもいいというのなら、格子でもおろしてここにいていい」
と言った。
「縁側におすわらせすることなどは失礼でございます。無理なことは決してなさいませんでしょう」
体裁よく言って、次の室との間の襖子を命婦自身が確かに閉めて、隣室へ源氏の座の用意をしたのである。源氏は少し恥ずかしい気がした。人としてはじめて逢う女にはどんなことを言ってよいかを知らないが、命婦が世話をしてくれるであろうと決めて座についた。乳母のような役をする老女たちは部屋へはいって宵惑いの目を閉じているころである。若い二、三人の女房は有名な源氏の君の来訪に心をときめかせていた。よい服に着かえさせられながら女王自身は何の心の動揺もなさそうであった。男はもとよりの美貌を目だたぬように化粧して、今夜はことさら艶に見えた。美の価値のわかる人などのいない所だのにと命婦は気の毒に思った。命婦には女王がただおおようにしているに相違ない点だけが安心だと思われた。会話に出過ぎた失策をしそうには見えないからである。自分の責めのがれにしたことで、気の毒な女王をいっそう不幸にしないだろうかという不安はもっていた。源氏は相手の身柄を尊敬している心から利巧ぶりを見せる洒落気の多い女よりも、気の抜けたほどおおようなこんな人のほうが感じがよいと思っていたが、襖子の向こうで、女房たちに勧められて少し座を進めた時に、かすかな衣被香のにおいがしたので、自分の想像はまちがっていなかったと思い、長い間思い続けた恋であったことなどを上手に話しても、手紙の返事をしない人からはまた口ずからの返辞を受け取ることができなかった。
「どうすればいいのです」
と源氏は歎息した。
言いきってくださいませんか。私の恋を受けてくださるのか、受けてくださらないかを」
女王の乳母の娘で侍従という気さくな若い女房が、見かねて、女王のそばへ寄って女王らしくして言った。
若々しい声で、重々しくものの言えない人が代人でないようにして言ったので、貴女としては甘ったれた態度だと源氏は思ったが、はじめて相手にものを言わせたことがうれしくて、
「こちらが何とも言えなくなります、
いろいろと、それは実質のあることではなくても、誘惑的にもまじめにも源氏は語り続けたが、あの歌きりほかの返辞はなかった、こんな態度を男にとるのは特別な考えをもっている人なんだろうかと思うと、源氏は自身が軽侮されているような口惜しい気がした。その時に源氏は女王の室のほうへ襖子をあけてはいったのである。命婦はうかうかと油断をさせられたことで女王を気の毒に思うと、そこにもおられなくて、そしらぬふうをして自身の部屋のほうへ帰った。侍従などという若い女房は光源氏ということに好意を持っていて、主人をかばうことにもたいして力が出なかったのである。こんなふうに何の心の用意もなくて結婚してしまう女王に同情しているばかりであった。女王はただ羞恥の中にうずもれていた。源氏は結婚の初めのうちはこんなふうである女がよい、独身で長く大事がられてきた女はこんなものであろうと酌量して思いながらも、手探りに知った女の様子に腑に落ちぬところもあるようだった。愛情が新しく湧いてくるようなことは少しもなかった。歎息しながらまだ暁方に帰ろうと源氏はした。命婦はどうなったかと一夜じゅう心配で眠れなくて、この時の物音も知っていたが、黙っているほうがよいと思って、「お送りいたしましょう」と挨拶の声も立てなかった。源氏は静かに門を出て行ったのである。
二条の院へ帰って、源氏は又寝をしながら、何事も空想したようにはいかないものであると思って、ただ身分が並み並みの人でないために、一度きりの関係で退いてしまうような態度の取れない点を煩悶するのだった。そんな所へ頭中将が訪問してきた。
「たいへんな朝寝なんですね。なんだかわけがありそうだ」
と言われて源氏は起き上がった。
「気楽な独り寝なものですから、いい気になって寝坊をしてしまいましたよ。御所からですか」
「そうです。まだ家へ帰っていないのですよ。朱雀院の行幸の日の楽の役と舞の役の人選が今日あるのだそうですから、大臣にも相談しようと思って退出したのです。そしてまたすぐに御所へ帰ります」
頭中将は忙しそうである。
「じゃあいっしょに行きましょう」
こう言って、源氏は粥や強飯の朝食を客とともに済ませた。源氏の車も用意されてあったが二人は一つの車に乗ったのである。あなたは眠そうだなどと中将は言って、
「私に隠すような秘密をあなたはたくさん持っていそうだ」
とも恨んでいた。
その日御所ではいろんな決定事項が多くて源氏も終日宮中で暮らした。新郎はその翌朝に早く手紙を送り、第二夜からの訪問を忠実に続けることが一般の礼儀であるから、自身で出かけられないまでも、せめて手紙を送ってやりたいと源氏は思っていたが、閑暇を得て夕方に使いを出すことができた。雨が降っていた。こんな夜にちょっとでも行ってみようというほどにも源氏の心を惹くものは昨夜の新婦に見いだせなかった。
あちらでは時刻を計って待っていたが源氏は来ない。命婦も女王をいたましく思っていた。女王自身はただ恥ずかしく思っているだけで、今朝来るべきはずの手紙が夜になってまで来ないことが何の苦労にもならなかった。
と源氏の手紙にはあった。来そうもない様子に女房たちは悲観した。返事だけはぜひお書きになるようにと勧めても、まだ昨夜から頭を混乱させている女王は、形式的に言えばいいこんな時の返歌も作れない。夜が更けてしまうからと侍従が気をもんで代作した。
書くことだけは自身でなければならないと皆から言われて、紫色の紙であるが、古いので灰色がかったのへ、字はさすがに力のある字で書いた。中古の書風である。一所も散らしては書かず上下そろえて書かれてあった。
失望して源氏は手紙を手から捨てた。今夜自分の行かないことで女はさぞ煩悶をしているであろうとそんな情景を心に描いてみる源氏も煩悶はしているのだった。けれども今さらしかたのないことである、いつまでも捨てずに愛してやろうと、源氏は結論としてこう思ったのであるが、それを知らない常陸の宮家の人々はだれもだれも暗い気持ちから救われなかった。
夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。行幸の日を楽しみにして、若い公達が集まるとその話が出る。舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、どこの家でも楽器の音をさせているのである。左大臣の子息たちも、平生の楽器のほかの大篳篥、尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、大がかりの合奏の稽古をしていた。太鼓までも高欄の所へころがしてきて、そうした役はせぬことになっている公達が自身でたたいたりもしていた。こんなことで源氏も毎日閑暇がない。心から恋しい人の所へ行く時間を盗むことはできても、常陸の宮へ行ってよい時間はなくて九月が終わってしまった。それでいよいよ行幸の日が近づいて来たわけで、試楽とか何とか大騒ぎするころに命婦は宮中へ出仕した。
「どうしているだろう」
源氏は不幸な相手をあわれむ心を顔に見せていた。大輔の命婦はいろいろと近ごろの様子を話した。
「あまりに御冷淡です。その方でなくても見ているものがこれではたまりません」
泣き出しそうにまでなっていた。悪い感じも源氏にとめさせないで、きれいに結末をつけようと願っていたこの女の意志も尊重しなかったことで、どんなに恨んでいるだろうとさえ源氏は思った。またあの人自身は例の無口なままで物思いを続けていることであろうと想像されてかわいそうであった。
「とても忙しいのだよ。恨むのは無理だ」
歎息をして、それから、
「こちらがどう思っても感受性の乏しい人だからね。懲らそうとも思って」
こう言って源氏は微笑を見せた。若い美しいこの源氏の顔を見ていると、命婦も自身までが笑顔になっていく気がした。だれからも恋の恨みを負わされる青春を持っていらっしゃるのだ、女に同情が薄くて我儘をするのも道理なのだと思った。この行幸準備の用が少なくなってから時々源氏は常陸の宮へ通った。そのうち若紫を二条の院へ迎えたのであったから、源氏は小女王を愛することに没頭していて、六条の貴女に逢うことも少なくなっていた。人の所へ通って行くことは始終心にかけながらもおっくうにばかり思えた。
常陸の女王のまだ顔も見せない深い羞恥を取りのけてみようとも格別しないで時がたった。あるいは源氏がこの人を顕わに見た刹那から好きになる可能性があるとも言えるのである。手探りに不審な点があるのか、この人の顔を一度だけ見たいと思うこともあったが、引っ込みのつかぬ幻滅を味わわされることも思うと不安だった。だれも人の来ることを思わない、まだ深夜にならぬ時刻に源氏はそっと行って、格子の間からのぞいて見た。けれど姫君はそんな所から見えるものでもなかった。几帳などは非常に古びた物であるが、昔作られたままに皆きちんとかかっていた。どこからか隙見ができるかと源氏は縁側をあちこちと歩いたが、隅の部屋にだけいる人が見えた。四、五人の女房である。食事台、食器、これらは支那製のものであるが、古くきたなくなって見る影もない。女王の部屋から下げたそんなものを置いて、晩の食事をこの人たちはしているのである。皆寒そうであった。白い服の何ともいえないほど煤けてきたなくなった物の上に、堅気らしく裳の形をした物を後ろにくくりつけている。しかも古風に髪を櫛で後ろへ押えた額のかっこうなどを見ると、内教坊(宮中の神前奉仕の女房が音楽の練習をしている所)や内侍所ではこんなかっこうをした者がいると思えて源氏はおかしかった。こんなふうを人間に仕える女房もしているものとはこれまで源氏は知らなんだ。
「まあ寒い年。長生きをしているとこんな冬にも逢いますよ」
そう言って泣く者もある。
「宮様がおいでになった時代に、なぜ私は心細いお家だなどと思ったのだろう。その時よりもまたどれだけひどくなったかもしれないのに、やっぱり私らは我慢して御奉公している」
その女は両袖をばたばたといわせて、今にも空中へ飛び上がってしまうように慄えている。生活についての剥き出しな、きまりの悪くなるような話ばかりするので、聞いていて恥ずかしくなった源氏は、そこから退いて、今来たように格子をたたいたのであった。
「さあ、さあ」
などと言って、灯を明るくして、格子を上げて源氏を迎えた。侍従は一方で斎院の女房を勤めていたからこのごろは来ていないのである。それがいないのでいっそうすべての調子が野暮らしかった。先刻老人たちの愁えていた雪がますます大降りになってきた。すごい空の下を暴風が吹いて、灯の消えた時にも点け直そうとする者はない。某の院の物怪の出た夜が源氏に思い出されるのである。荒廃のしかたはそれに劣らない家であっても、室の狭いのと、人間があの時よりは多い点だけを慰めに思えば思えるのであるが、ものすごい夜で、不安な思いに絶えず目がさめた。こんなことはかえって女への愛を深くさせるものなのであるが、心を惹きつける何物をも持たない相手に源氏は失望を覚えるばかりであった。やっと夜が明けて行きそうであったから、源氏は自身で格子を上げて、近い庭の雪の景色を見た。人の踏み開いた跡もなく、遠い所まで白く寂しく雪が続いていた。今ここから出て行ってしまうのもかわいそうに思われて言った。
「夜明けのおもしろい空の色でもいっしょにおながめなさい。いつまでもよそよそしくしていらっしゃるのが苦しくてならない」
まだ空はほの暗いのであるが、積もった雪の光で常よりも源氏の顔は若々しく美しく見えた。老いた女房たちは目の楽しみを与えられて幸福であった。
「さあ早くお出なさいまし、そんなにしていらっしゃるのはいけません。素直になさるのがいいのでございますよ」
などと注意をすると、この極端に内気な人にも、人の言うことは何でもそむけないところがあって、姿を繕いながら膝行って出た。源氏はその方は見ないようにして雪をながめるふうはしながらも横目は使わないのでもない。どうだろう、この人から美しい所を発見することができたらうれしかろうと源氏の思うのは無理な望みである。すわった背中の線の長く伸びていることが第一に目へ映った。はっとした。その次に並みはずれなものは鼻だった。注意がそれに引かれる。普賢菩薩の乗った象という獣が思われるのである。高く長くて、先のほうが下に垂れた形のそこだけが赤かった。それがいちばんひどい容貌の欠陥だと見える。顔色は雪以上に白くて青みがあった。額が腫れたように高いのであるが、それでいて下方の長い顔に見えるというのは、全体がよくよく長い顔であることが思われる。痩せぎすなことはかわいそうなくらいで、肩のあたりなどは痛かろうと思われるほど骨が着物を持ち上げていた。なぜすっかり見てしまったのであろうと後悔をしながらも源氏は、あまりに普通でない顔に気を取られていた。頭の形と、髪のかかりぐあいだけは、平生美人だと思っている人にもあまり劣っていないようで、裾が袿の裾をいっぱいにした余りがまだ一尺くらいも外へはずれていた。その女王の服装までも言うのはあまりにはしたないようではあるが、昔の小説にも女の着ている物のことは真先に語られるものであるから書いてもよいかと思う。桃色の変色してしまったのを重ねた上に、何色かの真黒に見える袿、黒貂の毛の香のする皮衣を着ていた。毛皮は古風な貴族らしい着用品ではあるが、若い女に似合うはずのものでなく、ただ目だって異様だった。しかしながらこの服装でなければ寒気が堪えられぬと思える顔であるのを源氏は気の毒に思って見た。何ともものが言えない。相手と同じように無言の人に自身までがなった気がしたが、この人が初めからものを言わなかったわけも明らかにしようとして何かと尋ねかけた。袖で深く口を被うているのもたまらなく野暮な形である。自然肱が張られて練って歩く儀式官の袖が思われた。さすがに笑顔になった女の顔は品も何もない醜さを現わしていた。源氏は長く見ていることがかわいそうになって、思ったよりも早く帰って行こうとした。
「どなたもお世話をする人のないあなたと知って結婚した私には何も御遠慮なんかなさらないで、必要なものがあったら言ってくださると私は満足しますよ。私を信じてくださらないから恨めしいのですよ」
などと、早く出て行く口実をさえ作って、
と言ってみても、「むむ」と口の中で笑っただけで、返歌の出そうにない様子が気の毒なので、源氏はそこを出て行ってしまった。
中門の車寄せの所が曲がってよろよろになっていた。夜と朝とは荒廃の度が違って見えるものである、どこもかしこも目に見える物はみじめでたまらない姿ばかりであるのに、松の木へだけは暖かそうに雪が積もっていた。田舎で見るような身にしむ景色であることを源氏は感じながら、いつか品定めに葎の門の中ということを人が言ったが、これはそれに相当する家であろう。ほんとうにあの人たちの言ったように、こんな家に可憐な恋人を置いて、いつもその人を思っていたらおもしろいことであろう、自分の、思ってならぬ人を思う苦しみはそれによって慰められるであろうがと思って、これは詩的な境遇にいながらなんらの男を引きつける力のない女であると断案を下しながらも、自分以外の男はあの人を終世変わりない妻として置くことはできまい、自分があの人の良人になったのも、気がかりにお思いになったはずの父宮の霊魂が導いて行ったことであろうと思ったのであった。うずめられている橘の木の雪を随身に払わせた時、横の松の木がうらやましそうに自力で起き上がって、さっと雪をこぼした。たいした教養はなくてもこんな時に風流を言葉で言いかわす人がせめて一人でもいないのだろうかと源氏は思った。車の通れる門はまだ開けてなかったので、供の者が鍵を借りに行くと、非常な老人の召使が出て来た。そのあとから、娘とも孫とも見える、子供と大人の間くらいの女が、着物は雪との対照であくまできたなく汚れて見えるようなのを着て、寒そうに何か小さい物に火を入れて袖の中で持ちながらついて来た。雪の中の門が老人の手で開かぬのを見てその娘が助けた。なかなか開かない。源氏の供の者が手伝ったのではじめて扉が左右に開かれた。
と歌い、また、「霰雪白紛紛、幼者形不蔽」と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の譬喩を用いて言うだろう、自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの関係に気がつくであろうと思うと源氏は救われがたい気がした。女王が普通の容貌の女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえってあわれむ心が強くなって、良人らしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった。黒貂の毛皮でない絹、綾、綿、老いた女たちの着料になる物、門番の老人に与える物までも贈ったのである。こんなことは自尊心のある女には堪えがたいことに違いないが常陸の宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてそうした世話をよくしてやりたいという気になり、生活費などものちには与えた。
灯影で見た空蝉の横顔が美しいものではなかったが、姿態の優美さは十分の魅力があった。常陸の宮の姫君はそれより品の悪いはずもない身分の人ではないか、そんなことを思うと上品であるということは身柄によらぬことがわかる。男に対する洗練された態度、正義の観念の強さ、ついには負けて退却をしたなどと源氏は何かのことにつけて空蝉が思い出された。
その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の宿直所へ大輔の命婦が来た。源氏は髪を梳かせたりする用事をさせるのには、恋愛関係などのない女で、しかも戯談の言えるような女を選んで、この人などがよくその役に当たるのである。呼ばれない時でも大輔はそうした心安さからよく桐壺へ来た。
「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」
微笑を見せながらそのあとを大輔は言わない。
「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」
「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」
なお言おうとしないのを、源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。
「常陸の宮から参ったのでございます」
こう言って命婦は手紙を出した。
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」
こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙に薫香のにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙の体はなしているのである。歌もある。
何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱を命婦は前へ出した。
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお召にというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」
とは言ったが、もう戯談も口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」
と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤になっていた。臙脂の我慢のできないようないやな色に出た直衣で、裏も野暮に濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、
色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。
その我慢も人生の勤めでございますよ」
理解があるらしくこんなことを言っている命婦もたいした女ではないが、せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと源氏は残念な気がした。身分が身分である、自分から捨てられたというような気の毒な名は立てさせたくないと思うのが源氏の真意だった。ここへ伺候して来る人の足音がしたので、
「これを隠そうかね。男はこんな真似も時々しなくてはならないのかね」
源氏はいまいましそうに言った。なぜお目にかけたろう、自分までが浅薄な人間に思われるだけだったと恥ずかしくなり命婦はそっと去ってしまった。
翌日命婦が清涼殿に出ていると、その台盤所を源氏がのぞいて、
「さあ返事だよ。どうも晴れがましくて堅くなってしまったよ」
と手紙を投げた。おおぜいいた女官たちは源氏の手紙の内容をいろいろに想像した。「たたらめの花のごと、三笠の山の少女をば棄てて」という歌詞を歌いながら源氏は行ってしまった。また赤い花の歌であると思うと、命婦はおかしくなって笑っていた。理由を知らない女房らは口々に、
「なぜひとり笑いをしていらっしゃるの」
と言った。
「いいえ寒い霜の朝にね、『たたらめの花のごと掻練好むや』という歌のように、赤くなった鼻を紛らすように赤い掻練を着ていたのをいつか見つかったのでしょう」
と大輔の命婦が言うと、
「わざわざあんな歌をお歌いになるほど赤い鼻の人もここにはいないでしょう。左近の命婦さんか肥後の采女がいっしょだったのでしょうか、その時は」
などと、その人たちは源氏の謎の意味に自身らが関係のあるようにもないようにも言って騒いでいた。
命婦が持たせてよこした源氏の返書を、常陸の宮では、女房が集まって大騒ぎして読んだ。
ただ白い紙へ無造作に書いてあるのが非常に美しい。
三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い小袖の一重ね、赤紫の織物の上衣、そのほかにも山吹色とかいろいろな物を入れたのを命婦が持たせてよこした。
「こちらでお作りになったのがよい色じゃなかったというあてつけの意味があるのではないでしょうか」
と一人の女房が言うように、だれも常識で考えてそうとれるのであるが、
「でもあれだって赤くて、重々しいできばえでしたよ。まさかこちらの好意がむだになるということはないはずですよ」
老いた女どもはそう決めてしまった。
「お歌だって、こちらのは意味が強く徹底しておできになっていましたよ。御返歌は技巧が勝ち過ぎてますね」
これもその連中の言うことである。末摘花も大苦心をした結晶であったから、自作を紙に書いておいた。
元三日が過ぎてまた今年は男踏歌であちらこちらと若い公達が歌舞をしてまわる騒ぎの中でも、寂しい常陸の宮を思いやっていた源氏は、七日の白馬の節会が済んでから、お常御殿を下がって、桐壺で泊まるふうを見せながら夜がふけてから末摘花の所へ来た。これまでに変わってこの家が普通の家らしくなっていた。女王の姿も少し女らしいところができたように思われた。すっかり見違えるほどの人にできればどんなに犠牲の払いがいがあるであろうなどとも源氏は思っていた。日の出るころまでもゆるりと翌朝はとどまっていたのである。東側の妻戸をあけると、そこから向こうへ続いた廊がこわれてしまっているので、すぐ戸口から日がはいってきた。少しばかり積もっていた雪の光も混じって室内の物が皆よく見えた。源氏が直衣を着たりするのをながめながら横向きに寝た末摘花の頭の形もその辺の畳にこぼれ出している髪も美しかった。この人の顔も美しく見うる時が至ったらと、こんなことを未来に望みながら格子を源氏が上げた。かつてこの人を残らず見てしまった雪の夜明けに後悔されたことも思い出して、ずっと上へは格子を押し上げずに、脇息をそこへ寄せて支えにした。源氏が髪の乱れたのを直していると、非常に古くなった鏡台とか、支那出来の櫛箱、掻き上げの箱などを女房が運んで来た。さすがに普通の所にはちょっとそろえてあるものでもない男専用の髪道具もあるのを源氏はおもしろく思った。末摘花が現代人風になったと見えるのは三十日に贈られた衣箱の中の物がすべてそのまま用いられているからであるとは源氏の気づかないところであった。よい模様であると思った袿にだけは見覚えのある気がした。
「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、鶯よりも何よりもそれが待ち遠しかったのですよ」
と言うと、「さへづる春は」(百千鳥囀る春は物ごとに改まれどもわれぞ古り行く)とだけをやっと小声で言った。
「ありがとう。二年越しにやっと報いられた」
と笑って、「忘れては夢かとぞ思ふ」という古歌を口にしながら帰って行く源氏を見送るが、口を被うた袖の蔭から例の末摘花が赤く見えていた。見苦しいことであると歩きながら源氏は思った。
二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。紅い色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しい眉も引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐な人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものように雛遊びの仲間になった。紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌にも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。
「私がこんな不具者になったらどうだろう」
と言うと、
「いやでしょうね」
と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は拭く真似だけをして見せて、
「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」
まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄って硯の水入れの水を檀紙にしませて、若紫が鼻の紅を拭く。
「平仲の話のように墨なんかをこの上に塗ってはいけませんよ。赤いほうはまだ我慢ができる」
こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。
初春らしく霞を帯びた空の下に、いつ花を咲かせるのかとたよりなく思われる木の多い中に、梅だけが美しく花を持っていて特別なすぐれた木のように思われたが、緑の階隠しのそばの紅梅はことに早く咲く木であったから、枝がもう真赤に見えた。
そんなことをだれが予期しようぞと源氏は歎息した。末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。
紅葉賀
朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
源氏の中将は青海波を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。人よりはすぐれた風采のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山の木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴えて聞こえた。同じ舞ながらも面づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬が染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直の女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
宮はお返辞がしにくくて、
「特別に結構でございました」
とだけ。
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手であっても、無邪気な艶な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
など仰せになった。
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。
たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように拡げて見入っていた。
行幸の日は親王方も公卿もあるだけの人が帝の供奉をした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕ぎまわり、唐の曲も高麗の曲も舞われて盛んな宴賀だった。試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが魔障の耽美心をそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。楽人は殿上役人からも地下からもすぐれた技倆を認められている人たちだけが選り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督、右衛門督が左右の楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古の成果をここで見せたわけである。四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風はほんとうの深山おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉の散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。挿しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。
美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を冠に挿して、今日は試楽の日に超えて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人で、木の蔭や岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。承香殿の女御を母にした第四親王がまだ童形で秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物だった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味を惹かなかった。ないほうがよかったかもしれない。今夜源氏は従三位から正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生ですばらしい善業があったのであろう。
それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。
若紫は馴れていくにしたがって、性質のよさも容貌の美も源氏の心を多く惹いた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人であるか知らすまいとして、今も初めの西の対を住居にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。事務の扱い所を作り、家司も別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光以外の者は西の対の主の何人であるかをいぶかしく思っていた。女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都はこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施を贈った。
藤壺の宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦、中納言の君、中務などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿の宮がおいでになった。源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして艶な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐な若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美しい源氏を、婿であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。夜になると兵部卿の宮は女御の宮のお座敷のほうへはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾の中へ自分をお入れになり、今日のように取り次ぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話が伺えたものであると思うと、今の宮が恨めしかった。
「たびたび伺うはずですが、参っても御用がないと自然怠けることになります。命じてくださることがありましたら、御遠慮なく言っておつかわしくださいましたら満足です」
などと堅い挨拶をして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気持ちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠であるものはこの恋である、源氏を忘れないことは自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになる御様子であったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。
少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命に現われてきたことを、死んだ尼君が絶え間ない祈願に愛孫のことを言って仏にすがったその効験であろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人を持つ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになって面倒が多くなり、姫君に苦労が始まるのではないかと恐れていた。しかしこれには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから将来もたのもしいわけであると見えた。母方の祖母の喪は三か月であったから、師走の三十日に喪服を替えさせた。母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手にはせず濃くはない紅の色、紫、山吹の落ち着いた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿を着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
「今日からは、もう大人になりましたか」
と笑顔をして源氏は言った。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもう雛を出して遊びに夢中であった。三尺の据棚二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
「儺追いをするといって犬君がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似の参内をさせたりしているのであった。
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳きするのもおうるさがりになるようなことではね」
などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾の外まで来る家司や侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。例のように夫人からは高いところから多情男を見くだしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
「せめて今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
と言ったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、戯談を言いかけて行きなどする源氏に負けて、余儀なく返辞をする様子などに魅力がなくはなかった。四歳ほどの年上であることを夫人自身でもきまずく恥ずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女であることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻を持っていて、ただ自分の多情からこの人に怨みを負うような愚か者になっているのだとこんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも特に大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生まれた唯一の娘であるから、思い上がった性質にでき上がっていて、少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては、許すことができない。帝の愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻の溝を作っているものらしい。左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、頼もしくない婿君の心をうらめしがりもしていたが、逢えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待を尽くすのである。
翌朝源氏が出て行こうとする時に、大臣は装束を着けている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を自身で持って来て贈った。正装した源氏の形を見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。沓も手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、その時に使いましょう」
と贈り物の帯について言うと、
「それにはまたもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけの物です」
と言って、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君を斎くことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感は十分大臣にあるであろうと見えた。
源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳の間から源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、帝もすでに、皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて一月もたった。物怪が御出産を遅れさせているのであろうかとも世間で噂をする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶をされることが自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、目だたぬように産婦の宮のために修法などをあちこちの寺でさせていた。この間に御病気で宮が亡くなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉を開いた。なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、弘徽殿あたりで言う詛いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、御衰弱も少しずつ恢復していった。
帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は伺候者の少ない隙をうかがって行った。
「陛下が若宮にどんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生まれたての方というものは醜うございますからお見せしたくございません」
という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。源氏は稀に都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。
わからない、わからない」
とも源氏は言うのである。命婦は宮の御煩悶をよく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介をした者の義務だと思った。
どちらも同じほどお気の毒だと思います」
と命婦は言った。取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なれば邸の者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであると歎かれたであろうと思われる。
四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児よりはずっと大きく小児らしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いも寄らぬことでおありになって、すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召した。帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌の備わっていくのを御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、これこそは瑕なき玉であると御寵愛になる。女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに帝は抱いておいでになって、
「私は子供がたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さい間は皆こんなものだろうか」
とお言いになって、非常にかわいくお思いになる様子が拝された。源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものを言うようなかっこうにお口をお動かしになるのが非常にお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
源氏は二条の院の東の対に帰って、苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目だつ色を作って咲いた撫子を折って、それに添える手紙を長く王命婦へ書いた。
とも書かれてあった。だれも来ぬ隙があったか命婦はそれを宮のお目にかけて、
「ほんの塵ほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花片にお書きになるほど、少しばかり」
と申し上げた。宮もしみじみお悲しい時であった。
とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれている時に宮の御返事が届けられたのである。胸騒ぎがしてこの非常にうれしい時にも源氏の涙は落ちた。
じっと物思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行って見た。少し乱れた髪をそのままにして部屋着の袿姿で笛を懐しい音に吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露にぬれたような可憐なふうで横になっていた。非常に美しい。こぼれるほどの愛嬌のある顔が、帰邸した気配がしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように向こうに向けられているのである。座敷の端のほうにすわって、
「こちらへいらっしゃい」
と言っても素知らぬ顔をしている。「入りぬる磯の草なれや」(みらく少なく恋ふらくの多き)と口ずさんで、袖を口もとにあてている様子にかわいい怜悧さが見えるのである。
「つまらない歌を歌っているのですね。始終見ていなければならないと思うのはよくないことですよ」
源氏は琴を女房に出させて紫の君に弾かせようとした。
「十三絃の琴は中央の絃の調子を高くするのはどうもしっくりとしないものだから」
と言って、柱を平調に下げて掻き合わせだけをして姫君に与えると、もうすねてもいず美しく弾き出した。小さい人が左手を伸ばして絃をおさえる手つきを源氏はかわいく思って、自身は笛を吹きながら教えていた。頭がよくてむずかしい調子などもほんの一度くらいで習い取った。何ごとにも貴女らしい素質の見えるのに源氏は満足していた。保曾呂倶世利というのは変な名の曲であるが、それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、合わせる琴の弾き手は小さい人であったが音の間が違わずに弾けて、上手になる手筋と見えるのである。灯を点させてから絵などをいっしょに見ていたが、さっき源氏はここへ来る前に出かける用意を命じてあったから、供をする侍たちが促すように御簾の外から、
「雨が降りそうでございます」
などと言うのを聞くと、紫の君はいつものように心細くなってめいり込んでいった。絵も見さしてうつむいているのがかわいくて、こぼれかかっている美しい髪をなでてやりながら、
「私がよそに行っている時、あなたは寂しいの」
と言うと女王はうなずいた。
「私だって一日あなたを見ないでいるともう苦しくなる。けれどあなたは小さいから私は安心していてね、私が行かないといろいろな意地悪を言っておこる人がありますからね。今のうちはそのほうへ行きます。あなたが大人になれば決してもうよそへは行かない。人からうらまれたくないと思うのも、長く生きていて、あなたを幸福にしたいと思うからです」
などとこまごま話して聞かせると、さすがに恥じて返辞もしない。そのまま膝に寄りかかって寝入ってしまったのを見ると、源氏はかわいそうになって、
「もう今夜は出かけないことにする」
と侍たちに言うと、その人らはあちらへ立って行って。間もなく源氏の夕飯が西の対へ運ばれた。源氏は女王を起こして、
「もう行かないことにしましたよ」
と言うと慰んで起きた。そうしていっしょに食事をしたが、姫君はまだはかないようなふうでろくろく食べなかった。
「ではお寝みなさいな」
出ないということは嘘でないかと危ながってこんなことを言うのである。こんな可憐な人を置いて行くことは、どんなに恋しい人の所があってもできないことであると源氏は思った。
こんなふうに引き止められることも多いのを、侍などの中には左大臣家へ伝える者もあってあちらでは、
「どんな身分の人でしょう。失礼な方ですわね。二条の院へどこのお嬢さんがお嫁きになったという話もないことだし、そんなふうにこちらへのお出かけを引き止めたり、またよくふざけたりしていらっしゃるというのでは、りっぱな御身分の人とは思えないじゃありませんか。御所などで始まった関係の女房級の人を奥様らしく二条の院へお入れになって、それを批難さすまいとお思いになって、だれということを秘密にしていらっしゃるのですよ。幼稚な所作が多いのですって」
などと女房が言っていた。
御所にまで二条の院の新婦の問題が聞こえていった。
「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。小さいおまえを婿にしてくれて、十二分に尽くした今日までの好意がわからない年でもないのに、なぜその娘を冷淡に扱うのだ」
と陛下がおっしゃっても、源氏はただ恐縮したふうを見せているだけで、何とも御返答をしなかった。帝は妻が気に入らないのであろうとかわいそうに思召した。
「格別おまえは放縦な男ではなし、女官や女御たちの女房を情人にしている噂などもないのに、どうしてそんな隠し事をして舅や妻に恨まれる結果を作るのだろう」
と仰せられた。帝はもうよい御年配であったが美女がお好きであった。采女や女蔵人なども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。したがって美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係を成り立たせることが容易であったであろうが、源氏は見馴れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談を言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。よほど年のいった典侍で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙させている女があった。源氏はなぜこう年がいっても浮気がやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。典侍は帝のお髪上げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお召かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに艶な所も見え、服装も派手にきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから裳の裾を引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、瞼を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍のを見ると、それは真赤な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手に「森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。厭味な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、
「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。
とても色気たっぷりな表情をして言う。
あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
「私はこんなにまで煩悶をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
非常に悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
袖を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作までも、お召かえが済んだ帝が襖子からのぞいておしまいになった。不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召してお笑いになりながら、帝は、
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
と典侍へお言いになった。典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を噂した。頭中将の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶を上手に弾いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く絃の音には源氏の心を打つものがあった。「瓜作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が聞いたという鄂州の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は御簾ぎわに寄って催馬楽の東屋を歌っていると、「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。
と歌って女は歎息をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。
と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜しく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊まらせたのですね」
と言って、源氏は直衣だけを手でさげて屏風の後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢なからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって慄えていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、冠をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。ただ怒ったふうをして太刀を引き抜くと、
「あなた、あなた」
典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。平生派手に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得も何も捨てて二十前後の公達の中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つ肱をとらえてぐっとつねると、中将は見顕わされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣を着るから」
と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。
「じゃ君にも脱がせるよ」
と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。
明るみへ出ては困るでしょう」
と中将が言うと、
と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になって行ってしまった。
源氏は友人に威嚇されたことを残念に思いながら宿直所で寝ていた。驚かされた典侍は翌朝残っていた指貫や帯などを持たせてよこした。
悲しんでおります。恋の楼閣のくずれるはずの物がくずれてしまいました」
という手紙が添えてあった。面目なく思うのであろうと源氏はなおも不快に昨夜を思い出したが、気をもみ抜いていた女の様子にあわれんでやってよいところもあったので返事を書いた。
とだけである。帯は中将の物であった。自分のよりは少し色が濃いようであると、源氏が昨夜の直衣に合わせて見ている時に、直衣の袖がなくなっているのに気がついた。なんというはずかしいことだろう、女をあさる人になればこんなことが始終あるのであろうと源氏は反省した。頭中将の宿直所のほうから、
と書いて直衣の袖を包んでよこした。どうして取られたのであろうと源氏はくやしかった。中将の帯が自分の手にはいっていなかったらこの争いは負けになるのであったとうれしかった。帯と同じ色の紙に包んで、
と書いて源氏は持たせてやった。女の所で解いた帯に他人の手が触れるとその恋は解消してしまうとも言われているのである。中将からまた折り返して、
と書いてある。昼近くになって殿上の詰め所へ二人とも行った。取り澄ました顔をしている源氏を見ると中将もおかしくてならない。その日は自身も蔵人頭として公用の多い日であったから至極まじめな顔を作っていた。しかしどうかした拍子に目が合うと互いにほほえまれるのである。だれもいぬ時に中将がそばへ寄って来て言った。
「隠し事には懲りたでしょう」
尻目で見ている。優越感があるようである。
「なあに、それよりもせっかく来ながら無駄だった人が気の毒だ。まったくは君やっかいな女だね」
秘密にしようと言い合ったが、それからのち中将はどれだけあの晩の騒ぎを言い出して源氏を苦笑させたかしれない。それは恋しい女のために受ける罰でもないのである。女は続いて源氏の心を惹こうとしていろいろに技巧を用いるのを源氏はうるさがっていた。中将は妹にもその話はせずに、自分だけが源氏を困らせる用に使うほうが有利だと思っていた。よい外戚をお持ちになった親王方も帝の殊寵される源氏には一目置いておいでになるのであるが、この頭中将だけは、負けていないでもよいという自信を持っていた。ことごとに競争心を見せるのである。左大臣の息子の中でこの人だけが源氏の夫人と同腹の内親王の母君を持っていた。源氏の君はただ皇子であるという点が違っているだけで、自分も同じ大臣といっても最大の権力のある大臣を父として、皇女から生まれてきたのである、たいして違わない尊貴さが自分にあると思うものらしい。人物も怜悧で何の学問にも通じたりっぱな公子であった。つまらぬ事までも二人は競争して人の話題になることも多いのである。
この七月に皇后の冊立があるはずであった。源氏は中将から参議に上った。帝が近く譲位をあそばしたい思召しがあって、藤壺の宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父は皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位に据えて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮に擬しておいでになった。弘徽殿の女御がこれに平らかでないことに道理はあった。
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろに言う者があった。
儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。全い宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御寵愛もたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿の中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心に歎かれた。気が変になるほどであった。
こう思われて悲しいのである。
若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌を見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。
花宴
二月の二十幾日に紫宸殿の桜の宴があった。玉座の左右に中宮と皇太子の御見物の室が設けられた。弘徽殿の女御は藤壺の宮が中宮になっておいでになることで、何かのおりごとに不快を感じるのであるが、催し事の見物は好きで、東宮席で陪観していた。日がよく晴れて青空の色、鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親王方、高級官人をはじめとして詩を作る人々は皆探韵をいただいて詩を作った。源氏は、
「春という字を賜わる」
と、自身の得る韵字を披露したが、その声がすでに人よりすぐれていた。次は頭中将で、この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが、きわめて無難に得た韵字を告げた。声づかいに貫目があると思われた。その他の人は臆してしまったようで、態度も声もものにならぬのが多かった。地下の詩人はまして、帝も東宮も詩のよい作家で、またよい批評家でおありになったし、そのほかにもすぐれた詩才のある官人の多い時代であったから、恥ずかしくて、清い広庭に出て行くことが、ちょっとしたことなのであるが難事に思われた。博士などがみすぼらしい風采をしながらも場馴れて進退するのにも御同情が寄ったりして、この御覧になる方々はおもしろく思召された。奏せられる音楽も特にすぐれた人たちが選ばれていた。春の永日がようやく入り日の刻になるころ、春鶯囀の舞がおもしろく舞われた。源氏の紅葉賀の青海波の巧妙であったことを忘れがたく思召して、東宮が源氏へ挿の花を下賜あそばして、ぜひこの舞に加わるようにと切望あそばされた。辞しがたくて、一振りゆるゆる袖を反す春鶯囀の一節を源氏も舞ったが、だれも追随しがたい巧妙さはそれだけにも見えた。左大臣は恨めしいことも忘れて落涙していた。
「頭中将はどうしたか、早く出て舞わぬか」
次いでその仰せがあって、柳花苑という曲を、これは源氏のよりも長く、こんなことを予期して稽古がしてあったか上手に舞った。それによって中将は御衣を賜わった。花の宴にこのことのあるのを珍しい光栄だと人々は見ていた。高級の官人もしまいには皆舞ったが、暗くなってからは芸の巧拙がよくわからなくなった。詩の講ぜられる時にも源氏の作は簡単には済まなかった。句ごとに讃美の声が起こるからである。博士たちもこれを非常によい作だと思った。こんな時にもただただその人が光になっている源氏を、父君陛下がおろそかに思召すわけはない。中宮はすぐれた源氏の美貌がお目にとまるにつけても、東宮の母君の女御がどんな心でこの人を憎みうるのであろうと不思議にお思いになり、そのあとではまたこんなふうに源氏に関心を持つのもよろしくない心であると思召した。
こんな歌はだれにもお見せになるはずのものではないが、どうして伝わっているのであろうか。夜がふけてから南殿の宴は終わった。
公卿が皆退出するし、中宮と東宮はお住居の御殿へお帰りになって静かになった。明るい月が上ってきて、春の夜の御所の中が美しいものになっていった。酔いを帯びた源氏はこのままで宿直所へはいるのが惜しくなった。殿上の役人たちももう寝んでしまっているこんな夜ふけにもし中宮へ接近する機会を拾うことができたらと思って、源氏は藤壺の御殿をそっとうかがってみたが、女房を呼び出すような戸口も皆閉じてしまってあったので、歎息しながら、なお物足りない心を満たしたいように弘徽殿の細殿の所へ歩み寄ってみた。三の口があいている。女御は宴会のあとそのまま宿直に上がっていたから、女房たちなどもここには少しよりいないふうがうかがわれた。この戸口の奥にあるくるる戸もあいていて、そして人音がない。こうした不用心な時に男も女もあやまった運命へ踏み込むものだと思って源氏は静かに縁側へ上がって中をのぞいた。だれももう寝てしまったらしい。若々しく貴女らしい声で、「朧月夜に似るものぞなき」と歌いながらこの戸口へ出て来る人があった。源氏はうれしくて突然袖をとらえた。女はこわいと思うふうで、
「気味が悪い、だれ」
と言ったが、
「何もそんなこわいものではありませんよ」
と源氏は言って、さらに、
とささやいた。抱いて行った人を静かに一室へおろしてから三の口をしめた。この不謹慎な闖入者にあきれている女の様子が柔らかに美しく感ぜられた。慄え声で、
「ここに知らぬ人が」
と言っていたが、
「私はもう皆に同意させてあるのだから、お呼びになってもなんにもなりませんよ。静かに話しましょうよ」
この声に源氏であると知って女は少し不気味でなくなった。困りながらも冷淡にしたくはないと女は思っている。源氏は酔い過ぎていたせいでこのままこの女と別れることを残念に思ったか、女も若々しい一方で抵抗をする力がなかったか、二人は陥るべきところへ落ちた。可憐な相手に心の惹かれる源氏は、それからほどなく明けてゆく夜に別れを促されるのを苦しく思った。女はまして心を乱していた。
「ぜひ言ってください、だれであるかをね。どんなふうにして手紙を上げたらいいのか、これきりとはあなただって思わないでしょう」
などと源氏が言うと、
という様子にきわめて艶な所があった。
「そう、私の言ったことはあなたのだれであるかを捜す努力を惜しんでいるように聞こえましたね」
と言って、また、
私との関係を迷惑にお思いにならないのだったら、お隠しになる必要はないじゃありませんか。わざとわからなくするのですか」
と言い切らぬうちに、もう女房たちが起き出して女御を迎えに行く者、あちらから下がって来る者などが廊下を通るので、落ち着いていられずに扇だけをあとのしるしに取り替えて源氏はその室を出てしまった。
源氏の桐壺には女房がおおぜいいたから、主人が暁に帰った音に目をさました女もあるが、忍び歩きに好意を持たないで、
「いつもいつも、まあよくも続くものですね」
という意味を仲間で肱や手を突き合うことで言って、寝入ったふうを装うていた。寝室にはいったが眠れない源氏であった。美しい感じの人だった。女御の妹たちであろうが、処女であったから五の君か六の君に違いない。太宰帥親王の夫人や頭中将が愛しない四の君などは美人だと聞いたが、かえってそれであったらおもしろい恋を経験することになるのだろうが、六の君は東宮の後宮へ入れるはずだとか聞いていた、その人であったら気の毒なことになったというべきである。幾人もある右大臣の娘のどの人であるかを知ることは困難なことであろう。もう逢うまいとは思わぬ様子であった人が、なぜ手紙を往復させる方法について何ごとも教えなかったのであろうなどとしきりに考えられるのも心が惹かれているといわねばならない。思いがけぬことの行なわれたについても、藤壺にはいつもああした隙がないと、昨夜の弘徽殿のつけこみやすかったことと比較して主人の女御にいくぶんの軽蔑の念が起こらないでもなかった。
この日は後宴であった。終日そのことに携わっていて源氏はからだの閑暇がなかった。十三絃の箏の琴の役をこの日は勤めたのである。昨日の宴よりも長閑な気分に満ちていた。中宮は夜明けの時刻に南殿へおいでになったのである。弘徽殿の有明の月に別れた人はもう御所を出て行ったであろうかなどと、源氏の心はそのほうへ飛んで行っていた。気のきいた良清や惟光に命じて見張らせておいたが、源氏が宿直所のほうへ帰ると、
「ただ今北の御門のほうに早くから来ていました車が皆人を乗せて出てまいるところでございますが、女御さん方の実家の人たちがそれぞれ行きます中に、四位少将、右中弁などが御前から下がって来てついて行きますのが弘徽殿の実家の方々だと見受けました。ただ女房たちだけの乗ったのでないことはよく知れていまして、そんな車が三台ございました」
と報告をした。源氏は胸のとどろくのを覚えた。どんな方法によって何女であるかを知ればよいか、父の右大臣にその関係を知られて婿としてたいそうに待遇されるようなことになって、それでいいことかどうか。その人の性格も何もまだよく知らないのであるから、結婚をしてしまうのは危険である、そうかといってこのまま関係が進展しないことにも堪えられない、どうすればいいのかとつくづく物思いをしながら源氏は寝ていた。姫君がどんなに寂しいことだろう、幾日も帰らないのであるからとかわいく二条の院の人を思いやってもいた。取り替えてきた扇は、桜色の薄様を三重に張ったもので、地の濃い所に霞んだ月が描いてあって、下の流れにもその影が映してある。珍しくはないが貴女の手に使い馴らされた跡がなんとなく残っていた。「草の原をば」と言った時の美しい様子が目から去らない源氏は、
と扇に書いておいた。
翌朝源氏は、左大臣家へ久しく行かないことも思われながら、二条の院の少女が気がかりで、寄ってなだめておいてから行こうとして自邸のほうへ帰った。二、三日ぶりに見た最初の瞬間にも若紫の美しくなったことが感ぜられた。愛嬌があって、そしてまた凡人から見いだしがたい貴女らしさを多く備えていた。理想どおりに育て上げようとする源氏の好みにあっていくようである。教育にあたるのが男であるから、いくぶんおとなしさが少なくなりはせぬかと思われて、その点だけを源氏は危んだ。この二、三日間に宮中であったことを語って聞かせたり、琴を教えたりなどしていて、日が暮れると源氏が出かけるのを、紫の女王は少女心に物足らず思っても、このごろは習慣づけられていて、無理に留めようなどとはしない。
左大臣家の源氏の夫人は例によってすぐには出て来なかった。いつまでも座に一人でいてつれづれな源氏は、夫人との間柄に一抹の寂しさを感じて、琴をかき鳴らしながら、「やはらかに寝る夜はなくて」と歌っていた。左大臣が来て、花の宴のおもしろかったことなどを源氏に話していた。
「私がこの年になるまで、四代の天子の宮廷を見てまいりましたが、今度ほどよい詩がたくさんできたり、音楽のほうの才人がそろっていたりしまして、寿命の延びる気がするようなおもしろさを味わわせていただいたことはありませんでした。ただ今は専門家に名人が多うございますからね、あなたなどは師匠の人選がよろしくてあのおできぶりだったのでしょう。老人までも舞って出たい気がいたしましたよ」
「特に今度のために稽古などはしませんでした。ただ宮廷付きの中でのよい楽人に参考になることを教えてもらいなどしただけです。何よりも頭中将の柳花苑がみごとでした。話になって後世へ伝わる至芸だと思ったのですが、その上あなたがもし当代の礼讃に一手でも舞を見せてくださいましたら歴史上に残ってこの御代の誇りになったでしょうが」
こんな話をしていた。弁や中将も出て来て高欄に背中を押しつけながらまた熱心に器楽の合奏を始めた。
有明の君は短い夢のようなあの夜を心に思いながら、悩ましく日を送っていた。東宮の後宮へこの四月ごろはいることに親たちが決めているのが苦悶の原因である。源氏もまったく何人であるかの見分けがつかなかったわけではなかったが、右大臣家の何女であるかがわからないことであったし、自分へことさら好意を持たない弘徽殿の女御の一族に恋人を求めようと働きかけることは世間体のよろしくないことであろうとも躊躇されて、煩悶を重ねているばかりであった。
三月の二十日過ぎに右大臣は自邸で弓の勝負の催しをして、親王方をはじめ高官を多く招待した。藤花の宴も続いて同じ日に行なわれることになっているのである。もう桜の盛りは過ぎているのであるが、「ほかの散りなんあとに咲かまし」と教えられてあったか二本だけよく咲いたのがあった。新築して外孫の内親王方の裳着に用いて、美しく装飾された客殿があった。派手な邸で何事も皆近代好みであった。右大臣は源氏の君にも宮中で逢った日に来会を申し入れたのであるが、その日に美貌の源氏が姿を見せないのを残念に思って、息子の四位少将を迎えに出した。
右大臣から源氏へ贈った歌である。源氏は御所にいた時で、帝にこのことを申し上げた。
「得意なのだね」
帝はお笑いになって、
「使いまでもよこしたのだから行ってやるがいい。孫の内親王たちのために将来兄として力になってもらいたいと願っている大臣の家だから」
など仰せられた。ことに美しく装って、ずっと日が暮れてから待たれて源氏は行った。桜の色の支那錦の直衣、赤紫の下襲の裾を長く引いて、ほかの人は皆正装の袍を着て出ている席へ、艶な宮様姿をした源氏が、多数の人に敬意を表されながらはいって行った。桜の花の美がこの時にわかに減じてしまったように思われた。音楽の遊びも済んでから、夜が少しふけた時分である。源氏は酒の酔いに悩むふうをしながらそっと席を立った。中央の寝殿に女一の宮、女三の宮が住んでおいでになるのであるが、そこの東の妻戸の口へ源氏はよりかかっていた。藤はこの縁側と東の対の間の庭に咲いているので、格子は皆上げ渡されていた。御簾ぎわには女房が並んでいた。その人たちの外へ出している袖口の重なりようの大ぎょうさは踏歌の夜の見物席が思われた。今日などのことにつりあったことではないと見て、趣味の洗練された藤壺辺のことがなつかしく源氏には思われた。
「苦しいのにしいられた酒で私は困っています。もったいないことですがこちらの宮様にはかばっていただく縁故があると思いますから」
妻戸に添った御簾の下から上半身を少し源氏は中へ入れた。
「困ります。あなた様のような尊貴な御身分の方は親類の縁故などをおっしゃるものではございませんでしょう」
と言う女の様子には、重々しさはないが、ただの若い女房とは思われぬ品のよさと美しい感じのあるのを源氏は認めた。薫物が煙いほどに焚かれていて、この室内に起ち居する女の衣摺れの音がはなやかなものに思われた。奥ゆかしいところは欠けて、派手な現代型の贅沢さが見えるのである。令嬢たちが見物のためにこの辺へ出ているので、妻戸がしめられてあったものらしい。貴女がこんな所へ出ているというようなことに賛意は表されなかったが、さすがに若い源氏としておもしろいことに思われた。この中のだれを恋人と見分けてよいのかと源氏の胸はとどろいた。「扇を取られてからき目を見る」(高麗人に帯を取られてからき目を見る)戯談らしくこう言って御簾に身を寄せていた。
「変わった高麗人なのね」
と言う一人は無関係な令嬢なのであろう。何も言わずに時々溜息の聞こえる人のいるほうへ源氏は寄って行って、几帳越しに手をとらえて、
なぜでしょう」
と当て推量に言うと、その人も感情をおさえかねたか、
と返辞をした。弘徽殿の月夜に聞いたのと同じ声である。源氏はうれしくてならないのであるが。
葵
天子が新しくお立ちになり、時代の空気が変わってから、源氏は何にも興味が持てなくなっていた。官位の昇進した窮屈さもあって、忍び歩きももう軽々しくできないのである。あちらにもこちらにも待って訪われぬ恋人の悩みを作らせていた。そんな恨みの報いなのか源氏自身は中宮の御冷淡さを歎く苦しい涙ばかりを流していた。位をお退きになった院と中宮は普通の家の夫婦のように暮らしておいでになるのである。前の弘徽殿の女御である新皇太后はねたましく思召すのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派手にあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内裏においでになる東宮だけである。御後見をする人のないことを御心配になって、源氏へそれをお命じになった。源氏はやましく思いながらもうれしかった。
あの六条の御息所の生んだ前皇太子の忘れ形見の女王が斎宮に選定された。源氏の愛のたよりなさを感じている御息所は、斎宮の年少なのに托して自分も伊勢へ下ってしまおうかとその時から思っていた。この噂を院がお聞きになって、
「私の弟の東宮が非常に愛していた人を、おまえが何でもなく扱うのを見て、私はかわいそうでならない。斎宮なども姪でなく自分の内親王と同じように思っているのだから、どちらからいっても御息所を尊重すべきである。多情な心から、熱したり、冷たくなったりしてみせては世間がおまえを批難する」
と源氏へお小言をお言いになった。源氏自身の心にもそう思われることであったから、ただ恐縮しているばかりであった。
「相手の名誉をよく考えてやって、どの人をも公平に愛して、女の恨みを買わないようにするがいいよ」
御忠告を承りながらも、中宮を恋するあるまじい心が、こんなふうにお耳へはいったらどうしようと恐ろしくなって、かしこまりながら院を退出したのである。院までも御息所との関係を認めての仰せがあるまでになっているのであるから、女の名誉のためにも、自分のためにも軽率なことはできないと思って、以前よりもいっそうその恋人を尊重する傾向にはなっているが、源氏はまだ公然に妻である待遇はしないのである。女も年長である点を恥じて、しいて夫人の地位を要求しない。源氏はいくぶんそれをよいことにしている形で、院も御承知になり、世間でも知らぬ人がないまでになってなお今も誠意を見せないと女は深く恨んでいた。この噂が世間から伝わってきた時、式部卿の宮の朝顔の姫君は、自分だけは源氏の甘いささやきに酔って、やがては苦い悔いの中に自己を見いだす愚を学ぶまいと心に思うところがあって、源氏の手紙に時には短い返事を書くことも以前はあったが、それももう多くの場合書かぬことになった。そうといっても露骨に反感を見せたり、軽蔑的な態度をとったりすることのないのを源氏はうれしく思った。こんな人であるから長い年月の間忘れることもなく恋しいのであると思っていた。左大臣家にいる葵夫人(この人のことを主にして書かれた巻の名を用いて書く)はこんなふうに源氏の心が幾つにも分かれているのを憎みながらも、たいしてほかの恋愛を隠そうともしない人には、恨みを言っても言いがいがないと思っていた。夫人は妊娠していて気分が悪く心細い気になっていた。源氏はわが子の母になろうとする葵夫人にまた新しい愛を感じ始めた。そしてこれも喜びながら不安でならなく思う舅夫婦とともに妊婦の加護を神仏へ祈ることにつとめていた。こうしたことのある間は源氏も心に余裕が少なくて、愛してはいながらも訪ねて行けない恋人の家が多かったであろうと思われる。
そのころ前代の加茂の斎院がおやめになって皇太后腹の院の女三の宮が新しく斎院に定まった。院も太后もことに愛しておいでになった内親王であるから、神の奉仕者として常人と違った生活へおはいりになることを御親心に苦しく思召したが、ほかに適当な方がなかったのである。斎院就任の初めの儀式は古くから決まった神事の一つで簡単に行なわれる時もあるが、今度はきわめて派手なふうに行なわれるらしい。斎院の御勢力の多少にこんなこともよるらしいのである。御禊の日に供奉する大臣は定員のほかに特に宣旨があって源氏の右大将をも加えられた。物見車で出ようとする人たちは、その日を楽しみに思い晴れがましくも思っていた。
二条の大通りは物見の車と人とで隙もない。あちこちにできた桟敷は、しつらいの趣味のよさを競って、御簾の下から出された女の袖口にも特色がそれぞれあった。祭りも祭りであるがこれらは見物する価値を十分に持っている。左大臣家にいる葵夫人はそうした所へ出かけるようなことはあまり好まない上に、生理的に悩ましいころであったから、見物のことを、念頭に置いていなかったが、
「それではつまりません。私たちどうしで見物に出ますのではみじめで張り合いがございません、今日はただ大将様をお見上げすることに興味が集まっておりまして、労働者も遠い地方の人までも、はるばると妻や子をつれて京へ上って来たりしておりますのに奥様がお出かけにならないのはあまりでございます」
と女房たちの言うのを母君の宮様がお聞きになって、
「今日はちょうどあなたの気分もよくなっていることだから。出ないことは女房たちが物足りなく思うことだし、行っていらっしゃい」
こうお言いになった。それでにわかに供廻りを作らせて、葵夫人は御禊の行列の物見車の人となったのである。邸を出たのはずっと朝もおそくなってからだった。この一行はそれほどたいそうにも見せないふうで出た。車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。貴族の女の乗用らしい車が多くとまっていて、つまらぬ物の少ない所を選んで、じゃまになる車は皆除けさせた。その中に外見は網代車の少し古くなった物にすぎぬが、御簾の下のとばりの好みもきわめて上品で、ずっと奥のほうへ寄って乗った人々の服装の優美な色も童女の上着の汗袗の端の少しずつ洩れて見える様子にも、わざわざ目立たぬふうにして貴女の来ていることが思われるような車が二台あった。
「このお車はほかのとは違う。除けられてよいようなものじゃない」
と言ってその車の者は手を触れさせない。双方に若い従者があって、祭りの酒に酔って気の立った時にすることははなはだしく手荒いのである。馬に乗った大臣家の老家従などが、
「そんなにするものじゃない」
と止めているが、勢い立った暴力を止めることは不可能である。斎宮の母君の御息所が物思いの慰めになろうかと、これは微行で来ていた物見車であった。素知らぬ顔をしていても左大臣家の者は皆それを心では知っていた。
「それくらいのことでいばらせないぞ、大将さんの引きがあると思うのかい」
などと言うのを、供の中には源氏の召使も混じっているのであるから、抗議をすれば、いっそう面倒になることを恐れて、だれも知らない顔を作っているのである。とうとう前へ大臣家の車を立て並べられて、御息所の車は葵夫人の女房が乗った幾台かの車の奥へ押し込まれて、何も見えないことになった。それを残念に思うよりも、こんな忍び姿の自身のだれであるかを見現わしてののしられていることが口惜しくてならなかった。車の轅を据える台なども脚は皆折られてしまって、ほかの車の胴へ先を引き掛けてようやく中心を保たせてあるのであるから、体裁の悪さもはなはだしい。どうしてこんな所へ出かけて来たのかと御息所は思うのであるが今さらしかたもないのである。見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車を避けて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、
「見えて来た」
と言う声がした。行列をいうのである。それを聞くと、さすがに恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する人の弱さではなかろうか。
源氏は御息所の来ていることなどは少しも気がつかないのであるから、振り返ってみるはずもない。気の毒な御息所である。前から評判のあったとおりに、風流を尽くした物見車にたくさんの女の乗り込んでいる中には、素知らぬ顔は作りながらも源氏の好奇心を惹くのもあった。微笑を見せて行くあたりには恋人たちの車があったことと思われる。左大臣家の車は一目で知れて、ここは源氏もきわめてまじめな顔をして通ったのである。行列の中の源氏の従者がこの一団の車には敬意を表して通った。侮辱されていることをまたこれによっても御息所はいたましいほど感じた。
こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも、また常よりもいっそうきれいだった源氏の馬上の姿を見なかったならとも思われる心があった。行列に参加した人々は皆分相応に美しい装いで身を飾っている中でも高官は高官らしい光を負っていると見えたが、源氏に比べるとだれも見栄えがなかったようである。大将の臨時の随身を、殿上にも勤める近衛の尉がするようなことは例の少ないことで、何かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵人を兼ねた右近衛の尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかりが選ばれてあって、源氏が世の中で重んぜられていることは、こんな時にもよく見えた。この人にはなびかぬ草木もないこの世であった。壺装束といって頭の髪の上から上着をつけた、相当な身分の女たちや尼さんなども、群集の中に倒れかかるようになって見物していた。平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてあんなことをするかと醜く思われるのであるが、今日だけは道理である。光源氏を見ようとするのだからと同情を引いた。着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者までも皆手を額に当てて源氏を仰いで見て、自身が笑えばどんなおかしい顔になるかも知らずに喜んでいた。また源氏の注意を惹くはずもないちょっとした地方官の娘なども、せいいっぱいに装った車に乗って、気どったふうで見物しているとか、こんないろいろな物で一条の大路はうずまっていた。源氏の情人である人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。だれもそうであった。式部卿の宮は桟敷で見物しておいでになった。まぶしい気がするほどきれいになっていく人である。あの美に神が心を惹かれそうな気がすると宮は不安をさえお感じになった。宮の朝顔の姫君はよほど以前から今日までも忘れずに愛を求めてくる源氏には普通の男性に見られない誠実さがあるのであるから、それほどの志を持った人は少々欠点があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美貌の主であったかと思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御禊の日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御息所に同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろうと、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだ邸においでになるから、神への遠慮という口実で逢ってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎息されるのであった。
祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟光に車の用意を命じた。
「女連も見物に出ますか」
と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑顔でながめていた。
「あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね」
平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
「先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう」
源氏はこう言って、陰陽道の調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
「女房たちは先に出かけるといい」
と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪の裾が紋織の派手な袴にかかっているあたりがことに目を惹いた。
「女王さんの髪は私が切ってあげよう」
と言った源氏も、
「あまりたくさんで困るね。大人になったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。」
と困っていた。
「長い髪の人といっても前の髪は少し短いものなのだけれど、あまりそろい過ぎているのはかえって悪いかもしれない」
こんなことも言いながら源氏の仕事は終わりになった。
「千尋」
と、これは髪そぎの祝い言葉である。少納言は感激していた。
源氏がこう告げた時に、女王は、
と紙に書いていた。貴女らしくてしかも若やかに美しい人に源氏は満足を感じていた。
今日も町には隙間なく車が出ていた。馬場殿あたりで祭りの行列を見ようとするのであったが、都合のよい場所がない。
「大官連がこの辺にはたくさん来ていて面倒な所だ」
源氏は言って、車をやるのでなく、停めるのでもなく、躊躇している時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
「ここへおいでになりませんか。こちらの場所をお譲りしてもよろしいのですよ」
という挨拶である。どこの風流女のすることであろうと思いながら、そこは実際よい場所でもあったから、その車に並べて源氏は車を据えさせた。
「どうしてこんなよい場所をお取りになったかとうらやましく思いました」
と言うと、品のよい扇の端を折って、それに書いてよこした。
源典侍の字であることを源氏は思い出したのである。どこまで若返りたいのであろうと醜く思った源氏は皮肉に、
と書いてやると、恥ずかしく思った女からまた歌が来た。
今日の源氏が女の同乗者を持っていて、簾さえ上げずに来ているのをねたましく思う人が多かった。御禊の日の端麗だった源氏が今日はくつろいだふうに物見車の主になっている、並んで乗っているほどの人は並み並みの女ではないはずであるとこんなことを皆想像したものである。源典侍では競争者と名のって出られても問題にはならないと思うと、源氏は少しの物足りなさを感じたが、源氏の愛人がいると思うと晴れがましくて、源典侍のようなあつかましい老女でもさすがに困らせるような戯談もあまり言い出せないのである。
御息所の煩悶はもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前生の因縁を全くしたいと私は願っている」
こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御禊川に荒い瀬が立って不幸を見たのである。
葵夫人は物怪がついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中は睦まじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったから憐みの情も多く加わって、修法や祈祷も大臣家でする以外にいろいろとさせていた。物怪、生霊というようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪が一つあった。どんな修験僧の技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母というような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。世間じゅうが惜しんだり歎いたりしているこの噂も御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺戟したのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
物思いは御息所の病をますます昂じさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
「私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」
などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめて淡いものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛抱に命の続かなくなることであろうと、それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
とあるのを、例の上手な口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。
というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌にも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
などと言ってあった。
葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊が憑いているとも言われる噂の聞こえて来た時、御息所は自分自身の薄命を歎くほかに人を咀う心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、こんなふうに悟られることもあるのであった。物思いの連続といってよい自分の生涯の中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。御禊の日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲ったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、情けないことである、魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。失神状態に御息所がなっている時もあった。ないことも悪くいうのが世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢罵欲を満足させるのによい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが苦しくてならないのである。死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は根柢から捨てねばならぬと御息所は考えた。努めてそうしようとしても実現性のないむずかしいことに違いない。
斎宮は去年にもう御所の中へお移りになるはずであったが、いろいろな障りがあって、この秋いよいよ潔斎生活の第一歩をお踏み出しになることとなった。そしてもう九月からは嵯峨の野の宮へおはいりになるのである。それとこれと二度ある御禊の日の仕度に邸の人々は忙殺されているのであるが御息所は頭をぼんやりとさせて、寝て暮らすことが多かった。邸の男女はまたこのことを心配して祈祷を頼んだりしていた。何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。源氏からも始終見舞いの手紙は来るが、愛する妻の容体の悪さは、自分でこの人を訪ねて来ることなどをできなくしているようであった。
まだ産期には早いように思って一家の人々が油断しているうちに葵の君はにわかに生みの苦しみにもだえ始めた。病気の祈祷のほかに安産の祈りも数多く始められたが、例の執念深い一つの物怪だけはどうしても夫人から離れない。名高い僧たちもこれほどの物怪には出あった経験がないと言って困っていた。さすがに法力におさえられて、哀れに泣いている。
「少しゆるめてくださいな、大将さんにお話しすることがあります」
そう夫人の口から言うのである。
「あんなこと。わけがありますよ。私たちの想像が当たりますよ」
女房はこんなことも言って、病床に添え立てた几帳の前へ源氏を導いた。父母たちは頼み少なくなった娘は、良人に何か言い置くことがあるのかもしれないと思って座を避けた。この時に加持をする僧が声を低くして法華経を読み出したのが非常にありがたい気のすることであった。几帳の垂れ絹を引き上げて源氏が中を見ると、夫人は美しい顔をして、そして腹部だけが盛り上がった形で寝ていた。他人でも涙なしには見られないのを、まして良人である源氏が見て惜しく悲しく思うのは道理である。白い着物を着ていて、顔色は病熱ではなやかになっている。たくさんな長い髪は中ほどで束ねられて、枕に添えてある。美女がこんなふうでいることは最も魅惑的なものであると見えた。源氏は妻の手を取って、
「悲しいじゃありませんか。私にこんな苦しい思いをおさせになる」
多くものが言われなかった。ただ泣くばかりである。平生は源氏に真正面から見られるととてもきまりわるそうにして、横へそらすその目でじっと良人を見上げているうちに涙がそこから流れて出るのであった。それを見て源氏が深い憐みを覚えたことはいうまでもない。あまりに泣くのを見て、残して行く親たちのことを考えたり、また自分を見て、別れの堪えがたい悲しみを覚えるのであろうと源氏は思った。
「そんなに悲しまないでいらっしゃい。それほど危険な状態でないと私は思う。またたとえどうなっても夫婦は来世でも逢えるのだからね。御両親も親子の縁の結ばれた間柄はまた特別な縁で来世で再会ができるのだと信じていらっしゃい」
と源氏が慰めると、
「そうじゃありません。私は苦しくてなりませんからしばらく法力をゆるめていただきたいとあなたにお願いしようとしたのです。私はこんなふうにしてこちらへ出て来ようなどとは思わないのですが、物思いをする人の魂というものはほんとうに自分から離れて行くものなのです」
なつかしい調子でそう言ったあとで、
という声も様子も夫人ではなかった。まったく変わってしまっているのである。怪しいと思って考えてみると、夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏はあさましかった。人がいろいろな噂をしても、くだらぬ人が言い出したこととして、これまで源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。こんなことがこの世にありもするのだと思うと、人生がいやなものに思われ出した。
「そんなことをお言いになっても、あなたがだれであるか私は知らない。確かに名を言ってごらんなさい」
源氏がこう言ったのちのその人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪感を源氏は覚えた。女房たちが近く寄って来る気配にも、源氏はそれを見現わされはせぬかと胸がとどろいた。病苦にもだえる声が少し静まったのは、ちょっと楽になったのではないかと宮様が飲み湯を持たせておよこしになった時、その女房に抱き起こされて間もなく子が生まれた。源氏が非常にうれしく思った時、他の人間に移してあったのが皆口惜しがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後産も済まぬのであるから少なからぬ不安があった。良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山の座主をはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を拭い拭い帰って行った。これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢復の曙光も現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。院をはじめとして親王方、高官たちから派手な産養の賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
六条の御息所はそういう取り沙汰を聞いても不快でならなかった。夫人はもう危いと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た衣服などにも祈りの僧が焚く護摩の香が沁んでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない。御息所は世間で言う生霊の説の否認しがたいことを悲しんで、人がどう批評するであろうかと、だれに話してみることでもないだけに心一つで苦しんでいた。いよいよ自分の恋愛を清算してしまわないではならないと、それによってまた強く思うようになった。
少し安心を得た源氏は、生霊をまざまざと目で見、御息所の言葉を聞いた時のことを思い出しながらも、長く訪ねて行かない心苦しさを感じたり、また今後御息所に接近してもあの醜い記憶が心にある間は、以前の感情でその人が見られるかということは自身の心ながらも疑わしくて、苦悶をしたりしながら、御息所の体面を傷つけまいために手紙だけは書いて送った。産前の重かった容体から、油断のできないように両親たちは今も見て、心配しているのが道理なことに思えて、源氏はまだ恋人などの家を微行で訪うようなことをしないのである。夫人はまだ衰弱がはなはだしくて、病気から離れたとは見えなかったから、夫婦らしく同室で暮らすことはなくて、源氏は小さいながらもまばゆいほど美しい若君の愛に没頭していた。非常に大事がっているのである。自家の娘から源氏の子が生まれて、すべてのことが理想的になっていくと、大臣は喜んでいるのであるが、葵夫人の恢復が遅々としているのだけを気がかりに思っていた。しかしあんなに重体でいたあとはこれを普通としなければならないと思ってもいるであろうから、大臣の幸福感はたいして割引きしたものではないのである。若君の目つきの美しさなどが東宮と非常によく似ているのを見ても、何よりも恋しく幼い皇太弟をお思いする源氏は、御所のそちらへ上がらないでいることに堪えられなくなって、出かけようとした。
「御所などへあまり長く上がらないで気が済みませんから、今日私ははじめてあなたから離れて行こうとするのですが、せめて近い所に行って話をしてからにしたい。あまりよそよそし過ぎます。こんなのでは」
と源氏は夫人へ取り次がせた。
「ほんとうにそうでございますよ。体裁を気にあそばすあなた様がたのお間柄ではないのでございますから。あなた様が御衰弱していらっしゃいましても、物越しなどでお話しになればいかがでしょう」
こう女房が夫人に忠告をして、病床の近くへ座を作ったので、源氏は病室へはいって行って話をした。夫人は時々返辞もするがまだずいぶん様子が弱々しい。それでも絶望状態になっていたころのことを思うと、夢のような幸福にいると源氏は思わずにはいられないのである。不安に堪えられなかったころのことを話しているうちに、あの呼吸も絶えたように見えた人が、にわかにいろんなことを言い出した光景が目に浮かんできて、たまらずいやな気がするので源氏は話を打ち切ろうとした。
「まああまり長話はよしましょう。いろいろと聞いてほしいこともありますがね。まだまだあなたはだるそうで気の毒だから」
こう言ったあとで、
「お湯をお上げするがいい」
と女房に命じた。病妻の良人らしいこんな気のつかい方をする源氏に女房たちは同情した。非常な美人である夫人が、衰弱しきって、あるかないかのようになって寝ているのは痛々しく可憐であった。少しの乱れもなくはらはらと枕にかかった髪の美しさは男の魂を奪うだけの魅力があった。なぜ自分は長い間この人を飽き足らない感情を持って見ていたのであろうかと、不思議なほど長くじっと源氏は妻を見つめていた。
「院の御所などへ伺って、早く帰って来ましょう。こんなふうにして始終逢うことができればうれしいでしょうが、宮様がじっと付いていらっしゃるから、ぶしつけにならないかと思って御遠慮しながら蔭で煩悶をしていた私にも同情ができるでしょう。だから自分でも早くよくなろうと努めるようにしてね、これまでのように私たちでいっしょにいられるようになってください。あまりお母様にあなたが甘えるものだから、あちらでもいつまでも子供のようにお扱いになるのですよ」
などと言い置いてきれいに装束した源氏の出かけるのを病床の夫人は平生よりも熱心にながめていた。
秋の官吏の昇任の決まる日であったから、大臣も参内したので、子息たちもそれぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいとしているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。いる人数が少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除目の夜であったが、この障りで官吏の任免は決まらずに終わった形である。若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山の座主も他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙に、死が忍び寄ったのであるから、皆呆然としている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨拶の取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人である源氏の歎きは極度のものであった。これまで物怪のために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇生を待っていたが、時間はすでに亡骸であることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭わしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸に対して傷ましい残酷な方法で行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野の火葬場へ送ることになった。こうしてまた人々は悲しんだのである。左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式に列る人、念仏のために集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
「こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に私は泣いているじゃないか」
恥じてこう言って泣く大臣を悲しんで見ぬ人もなかった。夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、終局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって皆早暁に帰って行った。死はそうしたものであるが、前に一人の愛人を死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。八月の二十日過ぎの有明月のあるころで、空の色も身にしむのである。亡き子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、源氏は車中から空ばかりを見ることになった。
源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の長い間の夫婦生活を思い出して、なぜ自分は妻に十分の愛を示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢気に思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生涯心から打ち解けてくれなかったのだなどと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。淡鈍色の喪服を着るのも夢のような気がした。もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみは湧き上がってくるのであった。
と歌ったあとでは念誦をしている源氏の様子は限りもなく艶であった。経を小声で読んで「法界三昧普賢大士」と言っている源氏は、仏勤めをし馴れた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでお寝みになったきりである。お命も危く見えることにまた家の人々はあわてて祈祷などをさせていた。寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会の仕度をするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴女として完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、その唯一の姫君をお失いになったお心は、袖の上に置いた玉の砕けたよりももっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。
源氏は二条の院へさえもまったく行かないのである。専念に仏勤めをして暮らしているのであった。恋人たちの所へ手紙だけは送っていた。六条の御息所は左衛門の庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味に託してその人へだけは消息もしないのである。早くから悲観的に見ていた人生がいっそうこのごろいとわしくなって、将来のことまでも考えてやらねばならぬ幾人かの情人たち、そんなものがなければ僧になってしまうがと思う時に、源氏の目に真先に見えるものは西の対の姫君の寂しがっている面影であった。夜は帳台の中へ一人で寝た。侍女たちが夜の宿直におおぜいでそれを巡ってすわっていても、夫人のそばにいないことは限りもない寂しいことであった。「時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを」こんな思いで源氏は寝ざめがちであった。声のよい僧を選んで念仏をさせておく、こんな夜の明け方などの心持ちは堪えられないものであった。秋が深くなったこのごろの風の音が身にしむのを感じる、そうしたある夜明けに、白菊が淡色を染めだした花の枝に、青がかった灰色の紙に書いた手紙を付けて、置いて行った使いがあった。
「気どったことをだれがするのだろう」
と源氏は言って、手紙をあけて見ると御息所の字であった。
平生よりもいっそうみごとに書かれた字であると源氏はさすがにすぐに下へも置かれずにながめながらも、素知らぬふりの慰問状であると思うと恨めしかった。たとえあのことがあったとしても絶交するのは残酷である、そしてまた名誉を傷つけることになってはならないと思って源氏は煩悶した。死んだ人はとにかくあれだけの寿命だったに違いない。なぜ自分の目はああした明らかな御息所の生霊を見たのであろうとこんなことを源氏は思った。源氏の恋が再び帰りがたいことがうかがわれるのである。斎宮の御潔斎中の迷惑にならないであろうかとも久しく考えていたが、わざわざ送って来た手紙に返事をしないのは無情過ぎるとも思って、紫の灰色がかった紙にこう書いた。
御息所は自宅のほうにいた時であったから、そっと源氏の手紙を読んで、文意にほのめかしてあることを、心にとがめられていないのでもない御息所はすぐに悟ったのである。これも皆自分の薄命からだと悲しんだ。こんな生霊の噂が伝わって行った時に院はどう思召すだろう。前皇太弟とは御同胞といっても取り分けお睦まじかった、斎宮の将来のことも院へお頼みになって東宮はお薨れになったので、その時代には第二の父になってやろうという仰せがたびたびあって、そのまままた御所で後宮生活をするようにとまで仰せになった時も、あるまじいこととして自分は御辞退をした。それであるのに若い源氏と恋をして、しまいには悪名を取ることになるのかと御息所は重苦しい悩みを心にして健康もすぐれなかった。この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる嵯峨へまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。すぐれた芸術的な存在であることは否定できない人である。悲観してしまって伊勢へでも行かれたらずいぶん寂しいことであろうと、さすがに源氏は思ったのである。
日を取り越した法会はもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。過去に経験のない独り棲みをする源氏に同情して、現在の三位中将は始終訪ねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。滑稽な話題にはよく源典侍がなった。源氏は、
「かわいそうに、お祖母様を安っぽく言っちゃいけないね」
と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。常陸の宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の素破抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。
さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将は鈍色の喪服の直衣指貫を今までのよりは淡い色のに着かえて、力強い若さにあふれた、公子らしい風采で出て来た。源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時雨もばらばらと散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。「相逢相失両如夢、為雨為雲今不知」と口ずさみながら頬杖をついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、直衣の紐だけは掛けた。源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の紅の単衣を重ねていた。こうした喪服姿はきわめて艶である。中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。
と独言のように言っているのに源氏は答えて、
というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。中将はこれまで、院の思召しと、父の大臣の好意、母宮の叔母君である関係、そんなものが源氏をここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を妻に持っていた源氏であったのだとこの時はじめて気がついた。それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人がいなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったようにだれもこのごろは思っているのである。源氏は枯れた植え込みの草の中に竜胆や撫子の咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳母の宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。
こう挨拶をさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。
というお返辞があった。
源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王へ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴れている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐紙に、
と書いてあった。ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。
とだけであった。ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることは稀なことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心を惹かないものはないのである。冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえって禍いにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親を亡くした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。
すっかり夜になったので、源氏は灯を近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。ただ主従としてこの人ともきわめて睦じく語っているのである。
「このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、もうすっかりこの生活に馴れてしまった私は、皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。奥さんの亡くなったことは別として、ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね」
と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、
「奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと」
言う言葉が終わりまで続かない。源氏はだれにも同情の目を向けながら、
「すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。私をそんな軽薄なものと見ているのだね。気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない」
と言って、灯を見つめている源氏の目に涙が光っていた。特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。
「あてきはもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね」
源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。からだ相応な短い袙を黒い色にして、黒い汗袗に樺色の袴という姿も可憐であった。
「奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは」
源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。
大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。
源氏はこうした籠居を続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時雨が降りそそいだ。木の葉をさっと散らす風も吹いていた。源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆仕度をととのえて帰ろうとしているのである。今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。宮へ源氏は手紙で御挨拶をした。
というのである。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、袖を涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶であった。大臣はやっとものを言い出した。
「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟で説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう」
「それではもうお出かけなさいませ。時雨があとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい」
と大臣は勧めた。源氏が座敷の中を見まわすと几帳の後ろとか、襖子の向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡鈍色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
「御愛子もここにいられるのだから、今後この邸へお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません」
と大臣は言ってもまた泣くのである。
「つまらない忖度をして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢気に思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰をするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう」
と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。帳台の前には硯などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草書もある、楷書もある。
「上手な字だ」
歎息をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。「旧枕故衾誰与共」という詩の句の書かれた横に、
と書いてある。「鴛鴦瓦冷霜花重」と書いた所にはこう書かれてある。
ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫子の花の枯れたのがはさまれていた。大臣は宮にそれらをお見せした。
「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は寒気がするほど悲しいものであった。若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は小さい公子様ですわね」
と言う者もあった。
「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」
こんなふうに希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名残惜しがった。
院では源氏を御覧になって、
「たいへん痩せた。毎日精進をしていたせいかもしれない」
と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。中宮の御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。中宮も命婦を取り次ぎにしてお言葉があった。
「大きな打撃をお受けになったあなたですから、時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう」
「人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、目前にそれが証明されてみますと、厭世的にならざるをえませんで、いろいろと煩悶をいたしましたが、たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、今日までこうしていることができたのでございます」
と源氏は挨拶をした。こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情を惹いた。無紋の袍に灰色の下襲で、冠は喪中の人の用いる巻纓であった。こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるもので艶な趣が見えた。東宮へも久しく御無沙汰申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。
二条の院はどの御殿もきれいに掃除ができていて、男女が主人の帰りを待ちうけていた。身分のある女房も今日は皆そろって出ていた。はなやかな服装をしてきれいに粧っているこの女房たちを見た瞬間に源氏は、気をめいらせはてた女房が肩を連ねていた、左大臣家を出た時の光景が目に浮かんで、あの人たちが哀れに思われてならなかった。源氏は着がえをしてから西の対へ行った。残らず冬期の装飾に変えた座敷の中がはなやかに見渡された。若い女房や童女たちの服装も皆きれいにさせてあって、少納言の計らいに敬意が表されるのであった。紫の女王は美しいふうをしてすわっていた。
「長くお逢いしなかったうちに、とても大人になりましたね」
几帳の垂れ絹を引き上げて顔を見ようとすると、少しからだを小さくして恥ずかしそうにする様子に一点の非も打たれぬ美しさが備わっていた。灯に照らされた側面、頭の形などは初恋の日から今まで胸の中へ最もたいせつなものとしてしまってある人の面影と、これとは少しの違ったものでもなくなったと知ると源氏はうれしかった。そばへ寄って逢えなかった間の話など少ししてから、
「たくさん話はたまっていますから、ゆっくりと聞かせてあげたいのだけれど、私は今日まで忌にこもっていた人なのだから、気味が悪いでしょう。あちらで休息することにしてまた来ましょう。もうこれからはあなたとばかりいるのだから、しまいにはあなたからうるさがられるかもしれませんよ」
立ちぎわにこんなことを源氏が言っていたのを、少納言は聞いてうれしく思ったが、全然安心したのではない、りっぱな愛人の多い源氏であるから、また姫君にとっては面倒な夫人が代わりに出現するのではないかと疑っていたのである。
源氏は東の対へ行って、中将という女房に足などを撫でさせながら寝たのである。翌朝はすぐにまた大臣家にいる子供の乳母へ手紙を書いた。あちらからは哀れな返事が来て、しばらく源氏を悲しませた。つれづれな独居生活であるが源氏は恋人たちの所へ通って行くことも気が進まなかった。女王がもうりっぱな一人前の貴女に完成されているのを見ると、もう実質的に結婚をしてもよい時期に達しているように思えた。おりおり過去の二人の間でかわしたことのないような戯談を言いかけても紫の君にはその意が通じなかった。つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と扁隠しの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、
「どうしてお寝みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら」
とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯の箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕の横にあった。なにげなしにあけて見ると、
と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。昼ごろに源氏が来て、
「気分がお悪いって、どんなふうなのですか。今日は碁もいっしょに打たないで寂しいじゃありませんか」
のぞきながら言うとますます姫君は夜着を深く被いてしまうのである。女房が少し遠慮をして遠くへ退いて行った時に、源氏は寄り添って言った。
「なぜ私に心配をおさせになる。あなたは私を愛していてくれるのだと信じていたのにそうじゃなかったのですね。さあ機嫌をお直しなさい、皆が不審がりますよ」
夜着をめくると、女王は汗をかいて、額髪もぐっしょりと濡れていた。
「どうしたのですか、これは。たいへんだ」
いろいろと機嫌をとっても、紫の君は心から源氏を恨めしくなっているふうで、一言もものを言わない。
「私はもうあなたの所へは来ない。こんなに恥ずかしい目にあわせるのだから」
源氏は恨みを言いながら硯箱をあけて見たが歌ははいっていなかった。あまりに少女らしい人だと可憐に思って、一日じゅうそばについていて慰めたが、打ち解けようともしない様子がいっそうこの人をかわゆく思わせた。
その晩は亥の子の餠を食べる日であった。不幸のあったあとの源氏に遠慮をして、たいそうにはせず、西の対へだけ美しい檜破子詰めの物をいろいろに作って持って来てあった。それらを見た源氏が、南側の座敷へ来て、そこへ惟光を呼んで命じた。
「餠をね、今晩のようにたいそうにしないでね、明日の日暮れごろに持って来てほしい。今日は吉日じゃないのだよ」
微笑しながら言っている様子で、利巧な惟光はすべてを察してしまった。
「そうでございますとも、おめでたい初めのお式は吉日を選びませんでは。それにいたしましても、今晩の亥の子でない明晩の子の子餠はどれほど作ってまいったものでございましょう」
まじめな顔で聞く。
「今夜の三分の一くらい」
と源氏は答えた。心得たふうで惟光は立って行った。きまりを悪がらせない世馴れた態度が取れるものだと源氏は思った。だれにも言わずに、惟光はほとんど手ずからといってもよいほどにして、主人の結婚の三日の夜の餠の調製を家でした。源氏は新夫人の機嫌を直させるのに困って、今度はじめて盗み出して来た人を扱うほどの苦心を要すると感じることによっても源氏は興味を覚えずにいられない。人間はあさましいものである、もう自分は一夜だってこの人と別れていられようとも思えないと源氏は思うのであった。命ぜられた餠を惟光はわざわざ夜ふけになるのを待って持って来た。少納言のような年配な人に頼んではきまり悪くお思いになるだろうと、そんな思いやりもして、惟光は少納言の娘の弁という女房を呼び出した。
「これはまちがいなく御寝室のお枕もとへ差し上げなければならない物なのですよ。お頼みします。たしかに」
弁はちょっと不思議な気はしたが、
「私はまだ、いいかげんなごまかしの必要なような交渉をだれともしたことがありませんわ」
と言いながら受け取った。
「そうですよ、今日はそんな不誠実とか何とかいう言葉を慎まなければならなかったのですよ。私ももう縁起のいい言葉だけを選って使います」
と惟光は言った。若い弁は理由のわからぬ気持ちのままで、主人の寝室の枕もとの几帳の下から、三日の夜の餠のはいった器を中へ入れて行った。この餠の説明も新夫人に源氏が自身でしたに違いない。だれも何の気もつかなかったが、翌朝その餠の箱が寝室から下げられた時に、側近している女房たちにだけはうなずかれることがあった。皿などもいつ用意したかと思うほど見事な華足付きであった。餠もことにきれいに作られてあった。少納言は感激して泣いていた。結婚の形式を正しく踏んだ源氏の好意がうれしかったのである。
「それにしても私たちへそっとお言いつけになればよろしいのにね。あの人が不思議に思わなかったでしょうかね」
とささやいていた。
若紫と新婚後は宮中へ出たり、院へ伺候していたりする間も絶えず源氏は可憐な妻の面影を心に浮かべていた。恋しくてならないのである。不思議な変化が自分の心に現われてきたと思っていた。恋人たちの所からは長い途絶えを恨めしがった手紙も来るのであるが、無関心ではいられないものもそれらの中にはあっても、新婚の快い酔いに身を置いている源氏に及ぼす力はきわめて微弱なものであったに違いない。厭世的になっているというふうを源氏は表面に作っていた。いつまでこんな気持ちが続くかしらぬが、今とはすっかり別人になりえた時に逢いたいと思うと、こんな返事ばかりを源氏は恋人にしていたのである。
皇太后は妹の六の君がこのごろもまだ源氏の君を思っていることから父の右大臣が、
「それもいい縁のようだ、正夫人が亡くなられたのだから、あの方も改めて婿にすることは家の不名誉では決してない」
と言っているのに憤慨しておいでになった。
「宮仕えだって、だんだん地位が上がっていけば悪いことは少しもないのです」
こう言って宮廷入りをしきりに促しておいでになった。その噂の耳にはいる源氏は、並み並みの恋愛以上のものをその人に持っていたのであるから、残念な気もしたが、現在では紫の女王のほかに分ける心が見いだせない源氏であって、六の君が運命に従って行くのもしかたがない。短い人生なのだから、最も愛する一人を妻に定めて満足すべきである。恨みを買うような原因を少しでも作らないでおきたいと、こう思っていた。六条の御息所と先夫人の葛藤が源氏を懲りさせたともいえることであった。御息所の立場には同情されるが、同棲して精神的の融和がそこに見いだせるかは疑問である。これまでのような関係に満足していてくれれば、高等な趣味の友として自分は愛することができるであろうと源氏は思っているのである。これきり別れてしまう心はさすがになかった。
二条の院の姫君が何人であるかを世間がまだ知らないことは、実質を疑わせることであるから、父宮への発表を急がなければならないと源氏は思って、裳着の式の用意を自身の従属関係になっている役人たちにも命じてさせていた。こうした好意も紫の君はうれしくなかった。純粋な信頼を裏切られたのは自分の認識が不足だったのであると悔やんでいるのである。目も見合わないようにして源氏を避けていた。戯談を言いかけられたりすることは苦しくてならぬふうである。鬱々と物思わしそうにばかりして以前とはすっかり変わった夫人の様子を源氏は美しいこととも、可憐なこととも思っていた。
「長い間どんなにあなたを愛して来たかもしれないのに、あなたのほうはもう私がきらいになったというようにしますね。それでは私がかわいそうじゃありませんか」
恨みらしく言ってみることもあった。
こうして今年が暮れ、新しい春になった。元日には院の御所へ先に伺候してから参内をして、東宮の御殿へも参賀にまわった。そして御所からすぐに左大臣家へ源氏は行った。大臣は元日も家にこもっていて、家族と故人の話をし出しては寂しがるばかりであったが、源氏の訪問にあって、しいて、悲しみをおさえようとするのがさも堪えがたそうに見えた。重ねた一歳は源氏の美に重々しさを添えたと大臣家の人は見た。以前にもまさってきれいでもあった。大臣の前を辞して昔の住居のほうへ行くと、女房たちは珍しがって皆源氏を見に集まって来たが、だれも皆つい涙をこぼしてしまうのであった。若君を見るとしばらくのうちに驚くほど大きくなっていて、よく笑うのも哀れであった。目つき口もとが東宮にそっくりであるから、これを人が怪しまないであろうかと源氏は見入っていた。夫人のいたころと同じように初春の部屋が装飾してあった。衣服掛けの棹に新調された源氏の春着が掛けられてあったが、女の服が並んで掛けられてないことは見た目だけにも寂しい。
宮様の挨拶を女房が取り次いで来た。
「今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと辛抱しているのですが、御訪問くださいましたことでかえってその努力がむだになってしまいました」
それから、また、
「昔からこちらで作らせますお召し物も、あれからのちは涙で私の視力も曖昧なんですから不出来にばかりなりましたが、今日だけはこんなものでもお着かえくださいませ」
と言って、掛けてある物のほかに、非常に凝った美しい衣裳一揃いが贈られた。当然今日の着料になる物としてお作らせになった下襲は、色も織り方も普通の品ではなかった。着ねば力をお落としになるであろうと思って源氏はすぐに下襲をそれに変えた。もし自分が来なかったら失望あそばしたであろうと思うと心苦しくてならないものがあった。お返辞の挨拶は、
「春の参りましたしるしに、当然参るべき私がお目にかかりに出たのですが、あまりにいろいろなことが思い出されまして、お話を伺いに上がれません。
自分をおさえる力もないのでございます」
と取り次がせた。宮から、
という御返歌があった。どんなにお悲しかったことであろう。
榊
斎宮の伊勢へ下向される日が近づけば近づくほど御息所は心細くなるのであった。左大臣家の源氏の夫人がなくなったあとでは、世間も今度は源氏と御息所が公然と夫婦になるものと噂していたことであるし、六条の邸の人々もそうした喜びを予期して興奮していたものであるが、現われてきたことは全然反対で、以前にまさって源氏は冷淡な態度を取り出したのである。これだけの反感を源氏に持たれるようなことが夫人の病中にあったことも、もはや疑う余地もないことであると御息所の心のうちでは思っていた。苦痛を忍んで御息所は伊勢行きを断行することにした。斎宮に母君がついて行くような例はあまりないことでもあったが、年少でおありになるということに託して、御息所はきれいに恋から離れてしまおうとしているのであるが、源氏はさすがに冷静ではいられなかった。いよいよ御息所に行ってしまわれることは残念で、手紙だけは愛をこめてたびたび送っていた。情人として逢うようなことは思いもよらないようにもう今の御息所は思っていた。自分に逢っても恨めしく思った記憶のまだ消えない源氏は冷静にも別れうるであろうが、その人をより多く愛している弱味のある自分は心を乱さないではいられないであろう、逢うことはこの上にいっそう苦痛を加えるだけであると思って、御息所はしいて冷ややかになっているのである。野の宮から六条の邸へそっと帰って行っていることもあるのであるが、源氏はそれを知らなかった。野の宮といえば情人として男の通ってよい場所でもないから、二人のためには相見る時のない月日がたった。院が御大病というのでなしに、時々発作的に悪くおなりになるようなことがあったりして、源氏はいよいよ心の余裕の少ない身になっていたが、恨んでいるままに終わることは女のためにかわいそうであったし、人が聞いて肯定しないことでもあろうからと思って、源氏は御息所を野の宮へ訪問することにした。
九月七日であったから、もう斎宮の出発の日は迫っているのである。女のほうも今はあわただしくてそうしていられないと言って来ていたが、たびたび手紙が行くので、最後の会見をすることなどはどうだろうと躊躇しながらも、物越しで逢うだけにとめておけばいいであろうと決めて、心のうちでは昔の恋人の来訪を待っていた。
町を離れて広い野に出た時から、源氏は身にしむものを覚えた。もう秋草の花は皆衰えてしまって、かれがれに鳴く虫の声と松風の音が混じり合い、その中をよく耳を澄まさないでは聞かれないほどの楽音が野の宮のほうから流れて来るのであった。艶な趣である。前駆をさせるのに睦じい者を選んだ十幾人と随身とをあまり目だたせないようにして伴った微行の姿ではあるが、ことさらにきれいに装うて来た源氏がこの野を行くことを風流好きな供の青年はおもしろがっていた。源氏の心にも、なぜ今までに幾度もこの感じのよい野中の路を訪問に出なかったのであろうとくやしかった。
野の宮は簡単な小柴垣を大垣にして連ねた質素な構えである。丸木の鳥居などはさすがに神々しくて、なんとなく神の奉仕者以外の者を恥ずかしく思わせた。神官らしい男たちがあちらこちらに何人かずついて、咳をしたり、立ち話をしたりしている様子なども、ほかの場所に見られぬ光景であった。篝火を焚いた番所がかすかに浮いて見えて、全体に人少なな湿っぽい空気の感ぜられる、こんな所に物思いのある人が幾月も暮らし続けていたのかと思うと、源氏は恋人がいたましくてならなかった。北の対の下の目だたない所に立って案内を申し入れると音楽の声はやんでしまって、若い何人もの女の衣摺れらしい音が聞こえた。取り次ぎの女があとではまた変わって出て来たりしても、自身で逢おうとしないらしいのを源氏は飽き足らず思った。
「恋しい方を訪ねて参るようなことも感情にまかせてできた私の時代はもう過ぎてしまいまして、どんなに世間をはばかって来ているかしれませんような私に、同情してくださいますなら、こんなよそよそしいお扱いはなさらないで、逢ってくだすってお話ししたくてならないことも聞いてくださいませんか」
とまじめに源氏が頼むと女房たちも、
「おっしゃることのほうがごもっともでございます。お気の毒なふうにいつまでもお立たせしておきましては済みません」
ととりなす。どうすればよいかと御息所は迷った。潔斎所についている神官たちにどんな想像をされるかしれないことであるし、心弱く面会を承諾することによって、またも源氏の軽蔑を買うのではないかと躊躇はされても、どこまでも冷淡にはできない感情に負けて、歎息を洩らしながら座敷の端のほうへ膝行てくる御息所の様子には艶な品のよさがあった。源氏は、
「お縁側だけは許していただけるでしょうか」
と言って、上に上がっていた。長い時日を中にした会合に、無情でなかった言いわけを散文的に言うのもきまりが悪くて、榊の枝を少し折って手に持っていたのを、源氏は御簾の下から入れて、
「私の心の常磐な色に自信を持って、恐れのある場所へもお訪ねして来たのですが、あなたは冷たくお扱いになる」
と言った。
御息所はこう答えたのである。
と源氏は言ったのであった。潔斎所の空気に威圧されながらも御簾の中へ上半身だけは入れて長押に源氏はよりかかっているのである。御息所が完全に源氏のものであって、しかも情熱の度は源氏よりも高かった時代に、源氏は慢心していた形でこの人の真価を認めようとはしなかった。またいやな事件も起こって来た時からは、自身の心ながらも恋を成るにまかせてあった。それが昔のようにして語ってみると、にわかに大きな力が源氏をとらえて御息所のほうへ引き寄せるのを源氏は感ぜずにいられなかった。自分はこの人が好きであったのだという認識の上に立ってみると、二人の昔も恋しくなり、別れたのちの寂しさも痛切に考えられて、源氏は泣き出してしまったのである。女は感情をあくまでもおさえていようとしながらも、堪えられないように涙を流しているのを見るといよいよ源氏は心苦しくなって、伊勢行きを思いとどまらせようとするのに身を入れて話していた。もう月が落ちたのか、寂しい色に変わっている空をながめながら、自身の真実の認められないことで歎く源氏を見ては、御息所の積もり積もった恨めしさも消えていくことであろうと見えた。ようやくあきらめができた今になって、また動揺することになってはならない危険な会見を避けていたのであるが、予感したとおりに御息所の心はかき乱されてしまった。
若い殿上役人が始終二、三人連れで来てはここの文学的な空気に浸っていくのを喜びにしているという、この構えの中のながめは源氏の目にも確かに艶なものに見えた。あるだけの恋の物思いを双方で味わったこの二人のかわした会話は写しにくい。ようやく白んできた空がそこにあるということもわざとこしらえた背景のようである。
と歌った源氏は、帰ろうとしてまた女の手をとらえてしばらく去りえないふうであった。冷ややかに九月の風が吹いて、鳴きからした松虫の声の聞こえるのもこの恋人たちの寂しい別れの伴奏のようである。何でもない人にも身にしむ思いを与えるこうした晩秋の夜明けにいて、あまりに悲しみ過ぎたこの人たちはかえって実感をよい歌にすることができなかったと見える。
御息所の作である。この人を永久につなぐことのできた糸は、自分の過失で切れてしまったと悔やみながらも、明るくなっていくのを恐れて源氏は去った。そして二条の院へ着くまで絶えず涙がこぼれた。女も冷静でありえなかった。別れたのちの物思いを抱いて弱々しく秋の朝に対していた。ほのかに月の光に見た源氏の姿をなお幻に御息所は見ているのである。源氏の衣服から散ったにおい、そんなものは若い女房たちを忌垣の中で狂気にまでするのではないかと思われるほど今朝もほめそやしていた。
「どんないい所へだって、あの大将さんをお見上げすることのできない国へは行く気がしませんわね」
こんなことを言う女房は皆涙ぐんでいた。この日源氏から来た手紙は情がことにこまやかに出ていて、御息所に旅を断念させるに足る力もあったが、官庁への通知も済んだ今になって変更のできることでもなかった。男はそれほど思っていないことでも恋の手紙には感情を誇張して書くものであるが、今の源氏の場合は、ただの恋人とは決して思っていなかった御息所が、愛の清算をしてしまったふうに遠国へ行こうとするのであるから、残念にも思われ、気の毒であるとも反省しての煩悶のかなりひどい実感で書いた手紙であるから、女へそれが響いていったものに違いない。御息所の旅中の衣服から、女房たちのまで、そのほかの旅の用具もりっぱな物をそろえた餞別が源氏から贈られて来ても、御息所はうれしいなどと思うだけの余裕も心になかった。噂に歌われるような恋をして、最後には捨てられたということを、今度始まったことのように口惜しく悲しくばかり思われるのであった。お若い斎宮は、いつのことともしれなかった出発の日の決まったことを喜んでおいでになった。世間では、母君がついて行くことが異例であると批難したり、ある者はまた御息所の強い母性愛に同情したりしていた。御息所が平凡な人であったら、決してこうではなかったことと思われる。傑出した人の行動は目に立ちやすくて気の毒である。
十六日に桂川で斎宮の御禊の式があった。常例以上はなやかにそれらの式も行なわれたのである。長奉送使、その他官庁から参列させる高官も勢名のある人たちばかりを選んであった。院が御後援者でいらせられるからである。出立の日に源氏から別離の情に堪えがたい心を書いた手紙が来た。ほかにまた斎の宮のお前へといって、斎布につけたものもあった。
と書かれてあった。取り込んでいたが返事をした。宮のお歌を女別当が代筆したものであった。
源氏は最後に宮中である式を見たくも思ったが、捨てて行かれる男が見送りに出るというきまり悪さを思って家にいた。源氏は斎宮の大人びた返歌を微笑しながらながめていた。年齢以上によい貴女になっておられる気がすると思うと胸が鳴った。恋をすべきでない人に好奇心の動くのが源氏の習癖で、顔を見ようとすれば、よくそれもできた斎宮の幼少時代をそのままで終わったことが残念である。けれども運命はどうなっていくものか予知されないのが人生であるから、またよりよくその人を見ることのできる日を自分は待っているかもしれないのであるとも源氏は思った。見識の高い、美しい貴婦人であると名高い存在になっている御息所の添った斎宮の出発の列をながめようとして物見車が多く出ている日であった。斎宮は午後四時に宮中へおはいりになった。宮の輿に同乗しながら御息所は、父の大臣が未来の后に擬して東宮の後宮に備えた自分を、どんなにはなやかに取り扱ったことであったか、不幸な運命のはてに、后の輿でない輿へわずかに陪乗して自分は宮廷を見るのであると思うと感慨が無量であった。十六で皇太子の妃になって、二十で寡婦になり、三十で今日また内裏へはいったのである。
御息所の歌である。斎宮は十四でおありになった。きれいな方である上に、錦繍に包まれておいでになったから、この世界の女人とも見えないほどお美しかった。斎王の美に御心を打たれながら、別れの御櫛を髪に挿してお与えになる時、帝は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで悄然としておしまいになった。式の終わるのを八省院の前に待っている斎宮の女房たちの乗った車から見える袖の色の美しさも今度は特に目を引いた。若い殿上役人が寄って行って、個人個人の別れを惜しんでいた。暗くなってから行列は動いて、二条から洞院の大路を折れる所に二条の院はあるのであったから、源氏は身にしむ思いをしながら、榊に歌を挿して送った。
その時はもう暗くもあったし、あわただしくもあったので、翌日逢坂山の向こうから御息所の返事は来たのである。
簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。霧が濃くかかっていて、身にしむ秋の夜明けの空をながめて、源氏は、
こんな歌を口ずさんでいた。西の対へも行かずに終日物思いをして源氏は暮らした。旅人になった御息所はまして堪えがたい悲しみを味わっていたことであろう。
院の御病気は十月にはいってから御重体になった。この君をお惜しみしていないものはない。帝も御心配のあまりに行幸あそばされた。御衰弱あそばされた院は東宮のことを返す返す帝へお頼みになった。次いで源氏に及んだ。
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める。一国を支配する骨相を持っている人です。だから私は彼がその点で逆に誤解を受けることがあってはならないとも思って、親王にしないで人臣の列に入れておいた。将来大臣として国務を任せようとしたのです。亡くなったあとでも私のこの言葉を尊重してください」
前の帝、今の君主の御父として御希望を述べられた御遺言も多かったが、女である筆者は気がひけて書き写すことができない。帝もこれが最後の御会見に院のお言いになることを悲しいふうで聞いておいでになったが、御遺言を違えぬということを繰り返してお誓いになった。風采もごりっぱで、以前よりもいっそうお美しくお見えになる帝に院は御満足をお感じになり、頼もしさもお覚えになるのであった。高貴な御身でいらせられるのであるから、感情のままに父帝のもとにとどまっておいでになることはできない。その日のうちに還幸されたのであるから、お二方のお心は、お逢いになったあとに長く悲しみが残った。東宮も同時に行啓になるはずであったがたいそうになることを思召して別の日に院のお見舞いをあそばされた。御年齢以上に大人らしくなっておいでになる愛らしい御様子で、しばらくぶりでお逢いになる喜びが勝って、今の場合も深くおわかりにならず、無邪気にうれしそうにして院の前へおいでになったのも哀れであった。その横で中宮が泣いておいでになるのであるから、院のお心はさまざまにお悲しいのである。種々と御教訓をお残しになるのであるが、幼齢の東宮にこれがわかるかどうかと疑っておいでになる御心からそこに寂しさと悲しさがかもされていった。源氏にも朝家の政治に携わる上に心得ていねばならぬことをお教えになり、東宮をお援けせよということを繰り返し繰り返し仰せられた。夜がふけてから東宮はお帰りになった。還啓に供奉する公卿の多さは行幸にも劣らぬものだった。御秘蔵子の東宮のお帰りになったのちの院の御心は最もお悲しかった。皇太后もおいでになるはずであったが、中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、躊躇あそばされたうちに院は崩御になった。御仁慈の深い君にお別れしてどんなに多数の人が悲しんだかしれない。院の御位にお変わりあそばしただけで、政治はすべて思召しどおりに行なわれていたのであるから、今の帝はまだお若くて外戚の大臣が人格者でもなかったから、その人に政権を握られる日になれば、どんな世の中が現出するであろうと官吏たちは悲観しているのである。院が最もお愛しになった中宮や源氏の君はまして悲しみの中におぼれておいでになった。崩御後の御仏事なども多くの御遺子たちの中で源氏は目だって誠意のある弔い方をした。それが道理ではあるが源氏の孝心に同情する人が多かった。喪服姿の源氏がまた限りもなく清く見えた。去年今年と続いて不幸にあっていることについても源氏の心は厭世的に傾いて、この機会に僧になろうかとも思うのであったが、いろいろな絆を持っている源氏にそれは実現のできる事ではなかった。
四十九日までは女御や更衣たちが皆院の御所にこもっていたが、その日が過ぎると散り散りに別な実家へ帰って行かねばならなかった。これは十月二十日のことである。この時節の寂しい空の色を見てはだれも世がこれで終わっていくのではないかと心細くなるころである。中宮は最も悲しんでおいでになる。皇太后の性格をよく知っておいでになって、その方の意志で動く当代において、今後はどんなつらい取り扱いを受けねばならぬかというお心細さよりも、またない院の御愛情に包まれてお過ごしになった過去をお忍びになる悲しみのほうが大きかった。しかも永久に院の御所で人々とお暮らしになることはできずに、皆帰って行かねばならぬことも宮のお心を寂しくしていた。中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の兵部卿の宮がおいでになった。はげしい風の中に雪も混じって散る日である。すでに古御所になろうとする人少なさが感ぜられて静かな時に、源氏の大将が中宮の御殿へ来て院の御在世中の話を宮としていた。前の庭の五葉が雪にしおれて下葉の枯れたのを見て、
宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、
と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては幼稚である。王命婦、
そのほかの女房の作は省略する。中宮の供奉を多数の高官がしたことなどは院の御在世時代と少しも変わっていなかったが、宮のお心持ちは寂しくて、お帰りになった御実家がかえって他家であるように思召されることによっても、近年はお許しがなくて御実家住まいがほとんどなかったことがおしのばれになった。
年が変わっても諒闇の春は寂しかった。源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。一月の官吏の更任期などには、院の御代はいうまでもないがその後もなお同じように二条の院の門は訪客の馬と車でうずまったのだったのに、今年は目に見えてそうした来訪者の数が少なくなった。宿直をしに来る人たちの夜具類を入れた袋もあまり見かけなくなった。親しい家司たちだけが暢気に事務を取っているのを見ても、主人である源氏は、自家の勢力の消長と人々の信頼が比例するものであることが思われておもしろくなかった。右大臣家の六の君は二月に尚侍になった。院の崩御によって前尚侍が尼になったからである。大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌も美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家においでになることが多くて、稀に参内になる時は梅壺の御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿が尚侍の曹司になっていた。隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手な後宮生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに盛んになった。院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に酬いるのはこれからであると烈しい気質の太后は思っておいでになった。源氏に対して何かの場合に意を得ないことを政府がする、それが次第に多くなっていくのを見て、源氏は予期していたことではあっても、過去に経験しなかった不快さを始終味わうのに堪えがたくなって、人との交際もあまりしないのであった。左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。亡くなった令嬢へ東宮のお話があったにもかかわらず源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。右大臣との仲は初めからよくなかった上に、左大臣は前代にいくぶん専横的にも政治を切り盛りしたのであったから、当帝の外戚として右大臣が得意になっているのに対しては喜ばないのは道理である。源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を訪ねて行き故夫人の女房たちを愛護してやることを忘れなかった。非常に若君を源氏の愛することにも大臣家の人たちは感激していて、そのためにまたいっそう小公子は大切がられた。過去の源氏の君は社会的に見てあまりに幸福過ぎた、見ていて目まぐるしい気がするほどであったが、このごろは通っていた恋人たちとも双方の事情から関係が絶えてしまったのも多かったし、それ以下の軽い関係の恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、もうきまりの悪さを感じる源氏であったから、余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人になっていた。兵部卿の宮の王女の幸福であることを言ってだれも祝った。少納言なども心のうちでは、この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が仏に通じたのであろうと思っていた。父の親王も朗らかに二条の院に出入りしておいでになった。夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方にたいした幸運もなくて、ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、継母にあたる夫人は嫉妬を感じていた。紫夫人は小説にある継娘の幸運のようなものを実際に得ていたのである。
加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、そのかわりに式部卿の宮の朝顔の姫君が職をお継ぎになることになった。伊勢へ女王が斎宮になって行かれたことはあっても、加茂の斎院はたいてい内親王の方がお勤めになるものであったが、相当した女御腹の宮様がおいでにならなかったか、この卜定があったのである。源氏は今もこの女王に恋を持っているのであるが、結婚も不可能な神聖な職にお決まりになった事を残念に思った。女房の中将は今もよく源氏の用を勤めたから、手紙などは始終やっているのである。当代における自身の不遇などは何とも思わずに、源氏は恋を歎いていた、斎院と尚侍のために。帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなくて、朝政に御不満足が多かったのである。昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は文によって絶えず恋をささやく源氏を持っていて幸福感がないでもなかった。
宮中で行なわせられた五壇の御修法のために帝が御謹慎をしておいでになるころ、源氏は夢のように尚侍へ近づいた。昔の弘徽殿の細殿の小室へ中納言の君が導いたのである。御修法のために御所へ出入りする人の多い時に、こうした会合が、自分の手で行なわれることを中納言の君は恐ろしく思った。朝夕に見て見飽かぬ源氏と稀に見るのを得た尚侍の喜びが想像される。女も今が青春の盛りの姿と見えた。貴女らしい端厳さなどは欠けていたかもしれぬが、美しくて、艶で、若々しくて男の心を十分に惹く力があった。もうつい夜が明けていくのではないかと思われる頃、すぐ下の庭で、
「宿直をいたしております」
と高い声で近衛の下士が言った。中少将のだれかがこの辺の女房の局へ来て寝ているのを知って、意地悪な男が教えてわざわざ挨拶をさせによこしたに違いないと源氏は聞いていた。御所の庭の所々をこう言ってまわるのは感じのいいものであるがうるさくもあった。また庭のあなたこなたで「寅一つ」(午前四時)と報じて歩いている。
尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。
落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。まだ朝に遠い暁月夜で、霧が一面に降っている中を簡単な狩衣姿で歩いて行く源氏は美しかった。この時に承香殿の女御の兄である頭中将が、藤壺の御殿から出て、月光の蔭になっている立蔀の前に立っていたのを、不幸にも源氏は知らずに来た。批難の声はその人たちの口から起こってくるであろうから。
源氏は尚侍とまた新しく作ることのできた関係によっても、隙をまったくお見せにならない中宮をごりっぱであると認めながらも、恋する心に恨めしくも悲しくも思うことが多かった。御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにお崩れになったことでも、宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、今さらまた悪名の立つことになっては、自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、宮は御心配になって、源氏の恋を仏力で止めようと、ひそかに祈祷までもさせてできる限りのことを尽くして源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。源氏が御心を動かそうとしたのは偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。命婦とか弁とか秘密に与っている女房が驚いていろいろな世話をする。源氏は宮が恨めしくてならない上に、この世が真暗になった気になって呆然として朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が頻繁に往来することにもなって、源氏は無意識に塗籠(屋内の蔵)の中へ押し入れられてしまった。源氏の上着などをそっと持って来た女房も怖しがっていた。宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに逆上をお覚えになって、翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。
兄君の兵部卿の宮とか中宮大夫などが参殿し、祈りの僧を迎えようなどと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御恢復になったものらしいと言って、兵部卿の宮もお帰りになり、お居間の人数が少なくなった。平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、そうした人たちだけが、そこここの几帳の後ろや襖子の蔭などに侍していた。命婦などは、
「どう工夫して大将さんをそっと出してお帰ししましょう。またそばへおいでになると今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、宮様がお気の毒ですよ」
などとささやいていた。源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、屏風と壁の間を伝って宮のお近くへ出て来た。ご存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常に艶である。これだけでも召し上がるようにと思って、女房たちが持って来たお菓子の台がある、そのほかにも箱の蓋などに感じよく調理された物が積まれてあるが、宮はそれらにお気がないようなふうで、物思いの多い様子をして静かに一所をながめておいでになるのがお美しかった。髪の質、頭の形、髪のかかりぎわなどの美しさは西の対の姫君とそっくりであった。よく似たことなどを近ごろは初めほど感ぜずにいた源氏は、今さらのように驚くべく酷似した二女性であると思って、苦しい片恋のやり場所を自分は持っているのだという気が少しした。高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物の褄先を手で引いた。源氏の服の薫香の香がさっと立って、宮は様子をお悟りになった。驚きと恐れに宮は前へひれ伏しておしまいになったのである。せめて見返ってもいただけないのかと、源氏は飽き足らずも思い、恨めしくも思って、お裾を手に持って引き寄せようとした。宮は上着を源氏の手にとめて、御自身は外のほうへお退きになろうとしたが、宮のお髪はお召し物とともに男の手がおさえていた。宮は悲しくてお自身の薄倖であることをお思いになるのであったが、非常にいたわしい御様子に見えた。源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒させたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ、
「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」
とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。さすがに身に沁んでお思われになることも混じっていたに違いない。以前になかったことではないが、またも罪を重ねることは堪えがたいことであると思召す宮は、柔らかい、なつかしいふうは失わずに、しかも迫る源氏を強く避けておいでになる。ただこんなふうで今夜も明けていく。この上で力で勝つことはなすに忍びない清い気高さの備わった方であったから、源氏は、
「私はこれだけで満足します。せめて今夜ほどに接近するのをお許しくだすって、今後も時々は私の心を聞いてくださいますなら、私はそれ以上の無礼をしようとは思いません」
こんなふうに言って油断をおさせしようとした。今後の場合のために。
こうした深刻な関係でなくても、これに類したあぶない逢瀬を作る恋人たちは別れが苦しいものであるから、まして源氏にここは離れがたい。夜が明けてしまったので王命婦と弁とが源氏の退去をいろいろに言って頼んだ。宮様は半ば死んだようになっておいでになるのである。
「恥知らずの男がまだ生きているかとお思われしたくありませんから、私はもうそのうち死ぬでしょう。そしたらまた死んだ魂がこの世に執着を持つことで罰せられるのでしょう」
恐ろしい気がするほど源氏は真剣になっていた。
どうなってもこうなっても私はあなたにつきまとっているのですよ」
宮は吐息をおつきになって、
とお言いになった。源氏の言葉をわざと軽く受けたようにしておいでになる御様子の優美さに源氏は心を惹かれながらも宮の御軽蔑を受けるのも苦しく、わがためにも自重しなければならないことを思って帰った。
あれほど冷酷に扱われた自分はもうその方に顔もお見せしたくない。同情をお感じになるまでは沈黙をしているばかりであると源氏は思って、それ以来宮へお手紙を書かないでいた。ずっともう御所へも東宮へも出ずに引きこもっていて、夜も昼も冷たいお心だとばかり恨みながらも、自分の今の態度を裏切るように恋しさがつのった。魂もどこかへ行っているようで、病気にさえかかったらしく感ぜられた。心細くて人間的な生活を捨てないからますます悲しみが多いのである、自分などは僧房の人になるべきであると、こんな決心をしようとする時にいつも思われるのは若い夫人のことであった。優しく自分だけを頼みにして生きている妻を捨てえようとは思われないのであった。
宮のお心も非常に動揺したのである。源氏はその時きり引きこもって手紙も送って来ないことで命婦などは気の毒がった。宮も東宮のためには源氏に好意を持たせておかねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。そうといってああしたことが始終あっては瑕を捜し出すことの好きな世間はどんな噂を作るかが想像される。自分が尼になって、皇太后に不快がられている后の位から退いてしまおうと、こうこのごろになって宮はお思いになるようになった。院が自分のためにどれだけ重い御遺言をあそばされたかを考えると何ごとも当代にそれが実行されていないことが思われる。漢の初期の戚夫人が呂后に苛まれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑を負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。これを転機にして尼の生活にはいるのがいちばんよいことであるとお考えになったが、東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことはおかわいそうなことであるとお思いになって、目だたぬ形式で御所へおはいりになった。源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表する慣わしであったが、病気に托して供奉もしなかった。贈り物その他は常に変わらないが、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。太后の復讐心に燃えておいでになることも面倒であったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶をあそばすのであった。
「長くお目にかからないでいる間に、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、夜居のお坊様のように私はなろうと思うのですから、今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」
宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、
「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」
とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするお髪がきれいで、お目つきの美しいことなど、御成長あそばすにしたがってただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口に笑みをお見せになる美しさは、女の顔にしてみたいほどである。こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉の瑕であると、中宮がお思いになるのも、取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。
源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。源氏の母君の桐壺の御息所の兄君の律師がいる寺へ行って、経を読んだり、仏勤めもしようとして、二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。木立ちは紅葉をし始めて、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、その中でなお源氏は恨めしい人に最も心を惹かれている自分を発見した。朝に近い月光のもとで、僧たちが閼伽を仏に供える仕度をするのに、からからと音をさせながら、菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないかなどと源氏は思っていた。律師が尊い声で「念仏衆生摂取不捨」と唱えて勤行をしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王が気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。
という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い式紙に、
とだけ書かれてあった。
「字はますますよくなるようだ」
と独言を言って、微笑しながらながめていた。始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少し艶な女らしいところが添っていた。どの点からいっても自分は教育に成功したと源氏は思っているのである。斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、
などと恨みが述べてあった。当の斎院には、
となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、榊に木綿をかけ神々しくした枝につけて送ったのである。中将の返事は、
まだいろいろと書かれてあった。女王のは木綿の片に、
とだけ書いてあった。斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。
源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は暢気にしていて、今さら後悔の涙を無限に流しているのである。斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。
天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって仏力でこの人が寺へつかわされたもののように思って、法師の名誉であると、下級の輩までも喜んでいた。静かな寺の朝夕に人生を観じては帰ることがどんなにいやなことに思われたかしれないのであるが、紫の女王一人が捨てがたい絆になって、長く滞留せずに帰ろうとする源氏は、その前に盛んな誦経を行なった。あるだけの法師はむろん、その辺の下層民にも物を多く施した。帰って行く時には、寺の前の広場のそこここにそうした人たちが集まって、涙を流しながら見送っていた。諒闇中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌に心の惹かれない人もなかった。
夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐であった。幾人かの人を思う幾つかの煩悶は外へ出て、この人の目につくほどのことがあったのであろう、「色変はる」というような歌を詠んできたのではないかと哀れに思って、源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。山から折って帰った紅葉は庭のに比べるとすぐれて紅くきれいであったから、それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、ただ何でもない贈り物として、御所においでになる中宮の所へ持たせてやった。手紙は命婦へ書いたのであった。
と言うのである。実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いないと反感をお覚えになって、瓶に挿させて、庇の間の柱の所へ出しておしまいになった。
ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも理智だけをお見せになると源氏は恨んでいた。東宮のお世話はことごとく源氏がしていて、それを今度に限って冷淡なふうにしてみせては人が怪しがるであろうと思って、源氏は中宮が御所をお出になる日に行った。まず帝のほうへ伺ったのである。帝はちょうどお閑暇で、源氏を相手に昔の話、今の話をいろいろとあそばされた。帝の御容貌は院によく似ておいでになって、それへ艶な分子がいくぶん加わった、なつかしみと柔らかさに満ちた方でましますのである。帝も源氏と同じように、源氏によって院のことをお思い出しになった。尚侍との関係がまだ絶えていないことも帝のお耳にはいっていたし、御自身でお気づきになることもないのではなかったが、それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと思召して、恋愛をするのに最もふさわしい二人であるから、やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮の曙の別れの身にしんだことなども皆お話しした。二十日の月がようやく照り出して、夜の趣がおもしろくなってきたころ、帝は、
「音楽が聞いてみたいような晩だ」
と仰せられた。
「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」
と源氏は奏上した。
「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」
「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」
源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の息子の頭の弁という、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御のいる麗景殿に行く途中で源氏を見かけて、「白虹日を貫けり、太子懼ぢたり」と漢書の太子丹が刺客を秦王に放った時、その天象を見て不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま素知らぬふうで行ってしまったのであった。
「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」
と源氏は中宮に挨拶をした。明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が御位においでになったころ、こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって自分をお喜ばせになったことなどと昔の思い出がお心に浮かんで、ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。
これを命婦から源氏へお伝えさせになった。宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞こえてくると、源氏は恨めしさも忘れてまず涙が落ちた。
霞が花を隔てる作用にも人の心が現われるとか昔の歌にもあったようでございます」
などと源氏は言った。中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くお寝みになるのであるが、宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。御自身を残して母宮の行っておしまいになることがお恨めしいようであるが、さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが御親心には哀れであるに違いなかった。
源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。時雨が降りはじめたころ、どう思ったか尚侍のほうから、
こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、唐紙のはいった置き棚の戸をあけて紙を選び出したり、筆を気にしたりして源氏が書いている返事はただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。相手はだれくらいだろうと肱や目で語っていた。
などと情熱のある文字が列ねられた。こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。
中宮は院の御一周忌をお営みになったのに続いてまたあとに法華経の八講を催されるはずでいろいろと準備をしておいでになった。十一月の初めの御命日に雪がひどく降った。源氏から中宮へ歌が送られた。
中宮のためにもお悲しい日で、すぐにお返事があった。
巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ気高いものに見えるのも源氏の思いなしであろう。特色のある派手な字というのではないが決して平凡ではないのである。今日だけは恋も忘れて終日御父の院のために雪の中で仏勤めをして源氏は暮らしたのである。
十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に崇厳な仏事であった。五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、宝玉の軸に羅の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、まして御仏のためにあそばされたことが人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。仏像の装飾、花机の被いなどの華美さに極楽世界もたやすく想像することができた。初めの日は中宮の父帝の御菩提のため、次の日は母后のため、三日目は院の御菩提のためであって、これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌をしていず数多く列席した。今日の講師にはことに尊い僧が選ばれていて「法華経はいかにして得し薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」という歌の唱えられるころからは特に感動させられることが多かった。仏前に親王方もさまざまの捧げ物を持っておいでになったが、源氏の姿が最も優美に見えた。筆者はいつも同じ言葉を繰り返しているようであるが、見るたびに美しさが新しく感ぜられる人なのであるからしかたがないのである。最終の日は中宮御自身が御仏に結合を誓わせられるための供養になっていて、御自身の御出家のことがこの儀式の場で仏前へ報告されて、だれもだれも意外の感に打たれた。兵部卿の宮のお心も、源氏の大将の心もあわてた。驚きの度をどの言葉が言い現わしえようとも思えない。宮は式の半ばで席をお立ちになって簾中へおはいりになった。中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山の座主をお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父君にあたる横川の僧都が帳中に参ってお髪をお切りする時に人々の啼泣の声が宮をうずめた。平凡な老人でさえいよいよ出家するのを見ては悲しいものである。まして何の予告もあそばさずにたちまちに脱履の実行をなされたのであるから、兵部卿の宮も非常にお悲しみになった。参列していた人々も同情の禁ぜられない中宮のお立場と、この寂しい結末の場を拝して泣く者が多かった。院の皇子方は、父帝がどれほど御愛寵なされたお后であったかを、現状のお気の毒さに比べて考えては皆暗然としておいでになった。方々は慰問の御挨拶をなされたのであるが、源氏は最後に残って、驚きと悲しみに言葉も心も失った気もしたが、人目が考えられ、やっと気を引き立てるようにしてお居間へ行った。落ち着かれずに人々がうろうろしたことや、すすり泣きの声もひとまずやんで、女房は涙をふきながらあなたこなたにかたまっていた。明るい月が空にあって、雪の光と照り合っている庭をながめても、院の御在世中のことが目に浮かんできて堪えがたい気のするのを源氏はおさえて、
「何が御動機になりまして、こんなに突然な御出家をあそばしたのですか」
と挨拶を取り次いでもらった。
「これはただ今考えついたことではなかったのですが、昨年の悲しみがありました時、すぐにそういたしましては人騒がせにもなりますし、それでまた私自身も取り乱しなどしてはと思いまして」
例の命婦がお言葉を伝えたのである。源氏は御簾の中のあらゆる様子を想像して悲しんだ。おおぜいの女の衣摺れなどから、身もだえしながら悲しみをおさえているのがわかるのであった。風がはげしく吹いて、御簾の中の薫香の落ち着いた黒方香の煙も仏前の名香のにおいもほのかに洩れてくるのである。源氏の衣服の香もそれに混じって極楽が思われる夜であった。東宮のお使いも来た。お別れの前に東宮のお言いになった言葉などが宮のお心にまた新しくよみがえってくることによって、冷静であろうとあそばすお気持ちも乱れて、お返事の御挨拶を完全にお与えにならないので、源氏がお言葉を補った。だれもだれも常識を失っているといってもよいほど悲しみに心を乱しているおりからであるから、不用意に秘密のうかがわれる恐れのある言葉などは発せられないと源氏は思った。
私にはそう思えますが、御出家のおできになったお心持ちには敬服いたされます」
とだけ言って、お居間に女房たちも多い様子であったから源氏は捨てられた男の悲痛な心持ちを簡単な言葉にして告げることもできなかった。
りっぱな信仰を持つようにはいつなれますやら」
宮の御挨拶は東宮へのお返事を兼ねたお心らしかった。悲しみに堪えないで源氏は退出した。
二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、自身の居間のほうに一人臥しをしたが眠りうるわけもない。ますます人生が悲しく思われて自身も僧になろうという心の起こってくるのを、そうしては東宮がおかわいそうであると思い返しもした。せめて母宮だけを最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、その地位も好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。尼におなりになっては后としての御待遇をお受けになることもおできにならないであろうし、その上自分までが東宮のお力になれぬことになってはならないと源氏は思うのである。夜通しこのことを考え抜いて最後に源氏は中宮のために尼僧用のお調度、お衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、年内にすべての物を調えたいと急いだ。王命婦もお供をして尼になったのである。この人へも源氏は尼用の品々を贈った。こんな場合にりっぱな詩歌ができてよいわけであるから、宮の女房の歌などが当時の詳しい記事とともに見いだせないのを筆者は残念に思う。
源氏が三条の宮邸を御訪問することも気楽にできるようになり、宮のほうでも御自身でお話をあそばすこともあるようになった。少年の日から思い続けた源氏の恋は御出家によって解消されはしなかったが、これ以上に御接近することは源氏として、今日考えるべきことでなかったのである。
春になった。御所では内宴とか、踏歌とか続いてはなやかなことばかりが行なわれていたが中宮は人生の悲哀ばかりを感じておいでになって、後世のための仏勤めに励んでおいでになると、頼もしい力もおのずから授けられつつある気もあそばされたし、源氏の情火から脱れえられたことにもお悦びがあった。お居間に隣った念誦の室のほかに、新しく建築された御堂が西の対の前を少し離れた所にあってそこではまた尼僧らしい厳重な勤めをあそばされた。源氏が伺候した。正月であっても来訪者は稀で、お付き役人の幾人だけが寂しい恰好をして、力のないふうに事務を取っていた。白馬の節会であったから、これだけはこの宮へも引かれて来て、女房たちが見物したのである。高官が幾人となく伺候していたようなことはもう過去の事実になって、それらの人々は宮邸を素通りして、向かい側の現太政大臣邸へ集まって行くのも、当然といえば当然であるが、寂しさに似た感じを宮もお覚えになった。そんな所へ千人の高官にあたるような姿で源氏がわざわざ参賀に来たのを御覧になった時は、わけもなく宮は落涙をあそばした。源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、しばらくの間はものが言えなかった。純然たる尼君のお住居になって、御簾の縁の色も几帳も鈍色であった。そんな物の間から見えるのも女房たちの淡鈍色の服、黄色な下襲の袖口などであったが、かえって艶に上品に見えないこともなかった。解けてきた池の薄氷にも、芽をだしそめた柳にも自然の春だけが見えて、いろいろに源氏の心をいたましくした。「音に聞く松が浦島今日ぞ見るうべ心ある海人は住みけり」という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。
と源氏は言った。今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、お居間は端のほうへ変えられたお住居であったから、宮の御座と源氏自身の座の近さが覚えられて、
と取り次ぎの女房へお教えになるお声もほのかに聞こえるのであった。源氏の涙がほろほろとこぼれた。今では人生を悟りきった尼になっている女房たちにこれを見られるのが恥ずかしくて、長くはいずに源氏は退出した。
「ますますごりっぱにお見えになる。あらゆる幸福を御自分のものにしていらっしゃったころは、ただ天下の第一の人であるだけで、それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、ごりっぱでもおきれいでも、正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。御幸福ばかりでなくおなりになって、深味がおできになりましたね。しかしお気の毒なことですよ」
などと老いた女房が泣きながらほめていた。中宮もお心にいろいろな場合の過去の源氏の面影を思っておいでになった。
春期の官吏の除目の際にも、この宮付きになっている人たちは当然得ねばならぬ官も得られず、宮に付与されてある権利で推薦あそばされた人々の位階の陞叙もそのままに捨て置かれて、不幸を悲しむ人が多かった。尼におなりになったことで后の御位は消滅して、それとともに給封もなくなるべきであると法文を解釈して、その口実をつけて政府の御待遇が変わってきた。宮は予期しておいでになったことで、何の執着もそれに対して持っておいでにならなかったが、お付きの役人たちにたより所を失った悲しいふうの見える時などはお心にいささかの動揺をお感じにならないこともなかった。しかも自分は犠牲になっても東宮の御即位に支障を起こさないように祈るべきであると、宮はどんな時にもお考えになっては専心に仏勤めをあそばされた。お心の中に人知れぬ恐怖と不安があって、御自身の信仰によって、その罪の東宮に及ばないことを期しておいでになった。そうしてみずから慰められておいでになったのである。源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、ごもっともであると感じていた。一方では家司として源氏に属している官吏も除目の結果を見れば不幸であった。不面目な気がして源氏は家にばかり引きこもっていた。左大臣も公人として、また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して致仕の表を奉った。帝は院が非常に御信用あそばして、国家の柱石は彼であると御遺言あそばしたことを思召すと、辞表を御採用になることができなくて、たびたびお返しになったが、大臣のほうではまた何度も繰り返して、辞意を奏上して、そしてそのまま出仕をしないのであったから、太政大臣一族だけが栄えに栄えていた。国家の重鎮である大臣が引きこもってしまったので、帝も心細く思召されるし、世間の人たちも歎いていた。左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、皆順当に官位も上りつつあったが、もうその時代は過ぎ去ってしまった。三位中将などもこうした世の中に気をめいらせていた。太政大臣の四女の所へ途絶えがちに通いは通っているが、誠意のない婿であるということに反感を持たれていて、思い知れというように今度の除目にはこの人も現官のままで置かれた。この人はそんなことは眼中に置いていなかった。源氏の君さえも不遇の歎きがある時代であるのだから、まして自分などはこう取り扱わるべきであるとあきらめていて、始終源氏の所へ来て、学問も遊び事もいっしょにしていた。青年時代の二人の間に強い競争心のあったことを思い出して、今でも遊び事の時などに、一方のすることをそれ以上に出ようとして一方が力を入れるというようなことがままあった。春秋の読経の会以外にもいろいろと宗教に関した会を開いたり、現代にいれられないでいる博士や学者を集めて詩を作ったり、韻ふたぎをしたりして、官吏の職務を閑却した生活をこの二人がしているという点で、これを問題にしようとしている人もあるようである。
夏の雨がいつやむともなく降ってだれもつれづれを感じるころである、三位中将はいろいろな詩集を持って二条の院へ遊びに来た。源氏も自家の図書室の中の、平生使わない棚の本の中から珍しい詩集を選り出して来て、詩人たちを目だつようにはせずに、しかもおおぜい呼んで左右に人を分けて、よい賭物を出して韻ふたぎに勝負をつけようとした。隠した韻字をあてはめていくうちに、むずかしい字がたくさん出てきて、経験の多い博士なども困った顔をする場合に、時々源氏が注意を与えることがよくあてはまるのである。非常な博識であった。
「どうしてこんなに何もかもがおできになるのだろう。やはり前生の因に特別なもののある方に違いない」
などと学者たちがほめていた。とうとう右のほうが負けになった。それから二日ほどして三位中将が負けぶるまいをした。たいそうにはしないで雅趣のある檜破子弁当が出て、勝ち方に出す賭物も多く持参したのである。今日も文士が多く招待されていて皆席上で詩を作った。階前の薔薇の花が少し咲きかけた初夏の庭のながめには濃厚な春秋の色彩以上のものがあった。自然な気分の多い楽しい会であった。中将の子で今年から御所の侍童に出る八、九歳の少年でおもしろく笙の笛を吹いたりする子を源氏はかわいがっていた。これは四の君が生んだ次男である。よい背景を持っていて世間から大事に扱われている子であった。才があって顔も美しいのである。主客が酔いを催したころにこの子が「高砂」を歌い出した。非常に愛らしい。(「高砂の尾上に立てる白玉椿、それもがと、ましもがと、今朝咲いたる初花に逢はましものを云々」という歌詞である)源氏は服を一枚脱いで与えた。平生よりも打ち解けたふうの源氏はことさらにまた美しいのであった。着ている直衣も単衣も薄物であったから、きれいな肌の色が透いて見えた。老いた博士たちは遠くからながめて源氏の美に涙を流していた。「逢はましものを小百合葉の」という高砂の歌の終わりのところになって、中将は杯を源氏に勧めた。
と乾杯の辞を述べた。源氏は微笑をしながら杯を取った。
すっかり衰えてしまったのに」
あとはもう酔ってしまったふうをして源氏が飲もうとしない酒を中将は許すまいとしてしいていた。席上でできた詩歌の数は多かったが、こんな時のまじめでない態度の作をたくさん列ねておくことのむだであることを貫之も警告しているのであるからここには書かないでおく。歌も詩も源氏の君を讃美したものが多かった。源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の伯父というのであるが、これは源氏が明瞭に言いえないはずである。兵部卿の宮も始終二条の院へおいでになって、音楽に趣味を持つ方であったから、よくいっしょにそんな遊びをされるのであった。
その時分に尚侍が御所から自邸へ退出した。前から瘧病にかかっていたので、禁厭などの宮中でできない療法も実家で試みようとしてであった。修法などもさせて尚侍の病の全快したことで家族は皆喜んでいた。こんなころである、得がたい機会であると恋人たちはしめし合わせて、無理な方法を講じて毎夜源氏は逢いに行った。若い盛りのはなやかな容貌を持った人の病で少し痩せたあとの顔は非常に美しいものであった。皇太后も同じ邸に住んでおいでになるころであったから恐ろしいことなのであるが、こんなことのあればあるほどその恋がおもしろくなる源氏は忍んで行く夜を多く重ねることになったのである。こんなにまでなっては気がつく人もあったであろうが、太后に訴えようとはだれもしなかった。大臣もむろん知らなかった。
雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来ているし、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑った。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。雷鳴がやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどまた雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。
大臣は軽輩がするように突然座敷の御簾を上げて顔を出した。
「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮の亮は来ていたかね」
などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。尚侍は困りながらいざり出て来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったく快くはなっていないのかと見た。熱があるのであろうと心配したのである。
「なぜあなたはこんな顔色をしているのだろう。しつこい物怪だからね。修法をもう少しさせておけばよかった」
こう言っている時に、淡お納戸色の男の帯が尚侍の着物にまといついてきているのを大臣は見つけた。不思議なことであると思っていると、また男の懐中紙にむだ書きのしてあるものが几帳の前に散らかっているのも目にとまった。なんという恐ろしいことが起こっているのだろうと大臣は驚いた。
「それはだれが書いたものですか、変なものじゃないか。ください。だれの字であるかを私は調べる」
と言われて振り返った尚侍は自身もそれを見つけた。もう紛らわす術はないのである。返事のできることでもないのである。
尚侍が失心したようになっているのであるから、大臣ほどの貴人であれば、娘が恥に堪えぬ気がするであろうという上品な遠慮がなければならないのであるが、そんな思いやりもなく、気短な、落ち着きのない大臣は、自身で紙を手で拾った時に几帳の隙から、なよなよとした姿で、罪を犯している者らしく隠れようともせず、のんびりと横になっている男も見た。大臣に見られてはじめて顔を夜着の中に隠して紛らわすようにした。大臣は驚愕した。無礼だと思った。くやしくてならないが、さすがにその場で面と向かって怒りを投げつけることはできなかったのである。目もくらむような気がして歌の書かれた紙を持って寝殿へ行ってしまった。尚侍は気が遠くなっていくようで、死ぬほどに心配した。源氏も恋人がかわいそうで、不良な行為によって、ついに恐るべき糺弾を受ける運命がまわって来たと悲しみながらもその心持ちを隠して尚侍をいろいろに言って慰めた。
大臣は思っていることを残らず外へ出してしまわねば我慢のできないような性質である上に老いの僻みも添って、ある点は斟酌して言わないほうがよいなどという遠慮もなしに雄弁に、源氏と尚侍の不都合を太后に訴えるのであった。まず目撃した事実を述べた。
「この畳紙の字は右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが、人物に敬意を表して私は不服も言わずに結婚もさせようと言っていたのです。その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、私は残念でならなかったのですが、これも因縁であろうと我慢して、寛容な陛下はまた私への情誼で過去の罪はお許しくださるであろうとお願いして、最初の目的どおりに宮中へ入れましても、あの関係がありましたために公然と女御にはしていただけないことででも、私は始終寂しく思っているのです。それにまたこんな罪を犯すではありませんか、私は悲しくてなりません。男は皆そうであるとはいうものの大将もけしからん方です。神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを言う者もありましたが、私は信じることはできませんでした。そんなことをすれば世の中全体が神罰をこうむるとともに、自分自身もそのままではいられないことはわかっていられるだろうと思いますし、学問知識で天下をなびかしておいでになる方はまさかと思って疑いませんでした」
聞いておいでになった太后の源氏をお憎みになることは大臣の比ではなかったから、非常なお腹だちがお顔の色に現われてきた。
「陛下は陛下であっても昔から皆に軽蔑されていらっしゃる。致仕の大臣も大事がっていた娘を、兄君で、また太子でおありになる方にお上げしようとはしなかった。その娘は弟で、貧弱な源氏で、しかも年のゆかない人に婚せるために取っておいたのです。またあの人も東宮の後宮に決まっていた人ではありませんか。それだのに誘惑してしまってそれをその時両親だってだれだって悪いことだと言った人がありますか。皆大将をひいきにして、結婚をさせたがっておいでになった。不本意なふうで陛下にお上げなすったじゃありませんか。私は妹をかわいそうだと思って、ほかの女御たちに引けを取らせまい、後宮の第一の名誉を取らせてやろう、そうすれば薄情な人への復讐ができるのだと、こんな気で私は骨を折っていたのですが、好きな人の言うとおりになっているほうがあの人にはよいと見える。斎院を誘惑しようとかかっていることなどはむろんあるべきことですよ。何事によらず当代を詛ってかかる人なのです。それは東宮の御代が一日も早く来るようにと願っている人としては当然のことでしょう」
きつい調子で、だれのこともぐんぐん悪くお言いになるのを、聞いていて大臣は、ののしられている者のほうがかわいそうになった。なぜお話ししたろうと後悔した。
「でもこのことは当分秘密にしていただきましょう。陛下にも申し上げないでください。どんなことがあっても許してくださるだろうと、あれは陛下の御愛情に甘えているだけだと思う。私がいましめてやって、それでもあれが聞きません時は私が責任を負います」
などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御機嫌は直りもせず、源氏に対する憎悪の減じることもなかった。皇太后である自分もいっしょに住んでいる邸内に来て不謹慎きわまることをするのも、自分をいっそう侮辱して見せたい心なのであろうとお思いになると、残念だというお心持ちがつのるばかりで、これを動機にして源氏の排斥を企てようともお思いになった。
花散里
みずから求めてしている恋愛の苦は昔もこのごろも変わらない源氏であるが、ほかから受ける忍びがたい圧迫が近ごろになってますます加わるばかりであったから、心細くて、人間の生活というものからのがれたい欲求も起こるが、さてそうもならない絆は幾つもあった。
麗景殿の女御といわれた方は皇子女もなくて、院がお崩れになって以後はまったくたよりない身の上になっているのであるが、源氏の君の好意で生活はしていた。この人の妹の三の君と源氏は若い時代に恋愛をした。例の性格から関係を絶つこともなく、また夫人として待遇することもなしにまれまれ通っているのである。女としては煩悶をすることの多い境遇である。物哀れな心持ちになっているこのごろの源氏は、急にその人を訪うてやりたくなった心はおさえきれないほどのものだったから、五月雨の珍しい晴れ間に行った。目だたない人数を従えて、ことさら簡素なふうをして出かけたのである。中川辺を通って行くと、小さいながら庭木の繁りようなどのおもしろく見える家で、よい音のする琴を和琴に合わせて派手に弾く音がした。源氏はちょっと心が惹かれて、往来にも近い建物のことであるから、なおよく聞こうと、少しからだを車から出してながめて見ると、その家の大木の桂の葉のにおいが風に送られて来て、加茂の祭りのころが思われた。なんとなく好奇心の惹かれる家であると思って、考えてみると、それはただ一度だけ来たことのある女の家であった。長く省みなかった自分が訪ねて行っても、もう忘れているかもしれないがなどと思いながらも、通り過ぎる気にはなれないで、じっとその家を見ている時に杜鵑が啼いて通った。源氏に何事かを促すようであったから、車を引き返させて、こんな役に馴れた惟光を使いにやった。
この歌を言わせたのである。惟光がはいって行くと、この家の寝殿ともいうような所の西の端の座敷に女房たちが集まって、何か話をしていた。以前にもこうした使いに来て、聞き覚えのある声であったから、惟光は声をかけてから源氏の歌を伝えた。座敷の中で若い女房たちらしい声で何かささやいている。だれの訪れであるかがわからないらしい。
こんな返歌をするのは、わからないふうをわざと作っているらしいので、
「では門違いなのでしょうよ」
と惟光が言って、出て行くのを、主人の女だけは心の中でくやしく思い、寂しくも思った。知らぬふりをしなければならないのであろう、もっともであると源氏は思いながらも物足らぬ気がした。この女と同じほどの階級の女としては九州に行っている五節が可憐であったと源氏は思った。どんな所にも源氏の心を惹くものがあって、それがそれ相応に源氏を悩ましているのである。長い時間を中に置いていても、同じように愛し、同じように愛されようと望んでいて、多数の女の物思いの原因は源氏から与えられているとも言えるのである。
目的にして行った家は、何事も想像していたとおりで、人少なで、寂しくて、身にしむ思いのする家だった。最初に女御の居間のほうへ訪ねて行って、話しているうちに夜がふけた。二十日月が上って、大きい木の多い庭がいっそう暗い蔭がちになって、軒に近い橘の木がなつかしい香を送る。女御はもうよい年配になっているのであるが、柔らかい気分の受け取れる上品な人であった。すぐれて時めくようなことはなかったが、愛すべき人として院が見ておいでになったと、源氏はまた昔の宮廷を思い出して、それから次々に昔恋しいいろいろなことを思って泣いた。杜鵑がさっき町で聞いた声で啼いた。同じ鳥が追って来たように思われて源氏はおもしろく思った。「いにしへのこと語らへば杜鵑いかに知りてか」という古歌を小声で歌ってみたりもした。
昔の御代が恋しくてならないような時にはどこよりもこちらへ来るのがよいと今わかりました。非常に慰められることも、また悲しくなることもあります。時代に順応しようとする人ばかりですから、昔のことを言うのに話し相手がだんだん少なくなってまいります。しかしあなたは私以上にお寂しいでしょう」
と源氏に言われて、もとから孤独の悲しみの中に浸っている女御も、今さらのようにまた心がしんみりと寂しくなって行く様子が見える。人柄も同情をひく優しみの多い女御なのであった。
とだけ言うのであるが、さすがにこれは貴女であると源氏は思った。さっきの家の女以来幾人もの女性を思い出していたのであるが、それとこれとが比べ合わせられたのである。
西座敷のほうへは、静かに親しいふうではいって行った。忍びやかに目の前へ現われて来た美しい恋人を見て、どれほどの恨みが女にあっても忘却してしまったに違いない。恋しかったことをいろいろな言葉にして源氏は告げていた。嘘ではないのである。源氏の恋人である人は初めから平凡な階級でないせいであるか、何らかの特色を備えてない人は稀であった。好意を持ち合って長く捨てない、こんな間柄でいることを肯定のできない人は去って行く。それもしかたがないと源氏は思っているのである。さっきの町の家の女もその一人で、現在はほかに愛人を持つ女であった。
須磨
当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上な禍いが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。源氏が隠栖の地に擬している須磨という所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も稀薄になり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎といっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶した結果須磨へ行こうと決心した。この際は源氏の心に上ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王もその間は同じように心細がっていたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのであると、源氏は悲しくて、そっといっしょに伴って行こうという気持ちになることもあるのであるが、そうした寂しい須磨のような所に、海岸へ波の寄ってくるほかは、人の来訪することもない住居に、この華麗な貴女と同棲していることは、あまりに不似合いなことではあるし、自身としても妻のいたましさに苦しまねばならぬであろうと源氏は思って、それはやめることにしたのを、夫人は、
「どんなひどい所だって、ごいっしょでさえあれば私はいい」
と言って、行きたい希望のこばまれるのを恨めしく思っていた。
花散里の君も、源氏の通って来ることは少なくても、一家の生活は全部源氏の保護があってできているのであるから、この変動の前に心をいためているのはもっともなことと言わねばならない。源氏の心にたいした愛があったのではなくても、とにかく情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれぬという遠慮を世間へあそばしながらの御慰問が始終源氏にあった。昔の日にこの熱情が見せていただけたことであったならと源氏は思って、この方のために始終物思いをせねばならぬ運命が恨めしかった。三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。世間へは何とも発表せずに、きわめて親密に思っている家司七、八人だけを供にして、簡単な人数で出かけることにしていた。恋人たちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車で、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居のほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母たちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
と言って、膝の上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。左大臣がこちらへ来て源氏に逢った。
「おひまな間に伺って、なんでもない昔の話ですがお目にかかってしたくてなりませんでしたものの、病気のために御奉公もしないで、官庁へ出ずにいて、私人としては暢気に人の交際もすると言われるようでは、それももうどうでもいいのですが、今の社会はそんなことででもなんらかの危害が加えられますから恐かったのでございます。あなたの御失脚を拝見して、私は長生きをしているから、こんな情けない世の中も見るのだと悲しいのでございます。末世です。天地をさかさまにしてもありうることでない現象でございます。何もかも私はいやになってしまいました」
としおれながら言う大臣であった。
「何事も皆前生の報いなのでしょうから、根本的にいえば自分の罪なのです。私のように官位を剥奪されるほどのことでなくても、勅勘の者は普通人と同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。私などのは遠くへ追放するという条項もあるのですから、このまま京におりましてはなおなんらかの処罰を受けることと思われます。冤罪であるという自信を持って京に留まっていますことも朝廷へ済まない気がしますし、今以上の厳罰にあわない先に、自分から遠隔の地へ移ったほうがいいと思ったのです」
などと、こまごま源氏は語っていた。大臣は昔の話をして、院がどれだけ源氏を愛しておいでになったかと、その例を引いて、涙をおさえる直衣の袖を顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに心が打たれるふうである。
「亡くなりました娘のことを、私は少しも忘れることができずに悲しんでおりましたが、今度の事によりまして、もしあれが生きておりましたなら、どんなに歎くことであろうと、短命で死んで、この悪夢を見ずに済んだことではじめて慰めたのでございます。小さい方が老祖父母の中に残っておいでになって、りっぱな父君に接近されることのない月日の長かろうと思われますことが私には何よりも最も悲しゅうございます。昔の時代には真実罪を犯した者も、これほどの扱いは受けなかったものです。宿命だと見るほかはありません。外国の朝廷にもずいぶんありますように冤罪にお当たりになったのでございます。しかし、それにしてもなんとか言い出す者があって、世間が騒ぎ出して、処罰はそれからのものですが、どうも訳がわかりません」
大臣はいろいろな意見を述べた。三位中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由はそこにあったのである。翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉の蔭に咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだ霞がぼうとその中を白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。隅の欄干によりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。中納言の君は見送ろうとして妻戸をあけてすわっていた。
「あなたとまた再会ができるかどうか。むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
若君の乳母の宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御挨拶を伝えた。
「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけになるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまでお待ちになりませんで」
聞いていて源氏は、泣きながら、
これをお返事の詞ともなく言っていた。
「夜明けにする別れはみなこんなに悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝の悲しゅうございますことは何にも比較ができると思えません」
宰相の君の声は鼻声になっていて、言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも申し上げられませんで煩悶をしております心をお察しください。ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇させることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」
と源氏は宮へ御挨拶を返したのである。帰って行く源氏の姿を女房たちは皆のぞいていた。落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶な容姿で、物思いをしながら出て行く源氏を見ては、虎も狼も泣かずにはいられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍していたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、
というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。
源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は宵からずっと歎き明かしたふうで、所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、訪ねて来ることは官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。食堂の大食卓なども使用する人数が少なくて、半分ほどは塵を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。西の対へ行くと、格子を宵のままおろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている源氏はこんな時にも、何年かの留守の間にはこうした人たちも散り散りにほかへ移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて心細くなるのであった。源氏は夫人に、左大臣家を別れに訪ねて、夜がふけて一泊したことを言った。
「それをあなたはほかの事に疑って、くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」
「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなどは私にない」
とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王に、手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでにならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度をおとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままでいたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、ある人に、
「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。お母さん、お祖母さん、今度は良人という順にだれにも短い縁よりない人らしい」
と言った言葉を、宮のお邸の事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかにはだれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。
「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい侘び住居であってもあなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることになるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かでこんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないようなことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」
などと源氏は語っていた。昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちに帥の宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着がえをするのであったが、
「私は無位の人間だから」
と言って、無地の直衣にした。それでかえって艶な姿になったようである。鬢を掻くために鏡台に向かった源氏は、痩せの見える顔が我ながらきれいに思われた。
「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」
と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。
と源氏が言うと、
言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。
花散里が心細がって、今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、源氏にはもっともなことと思われて、あの人ももう一度逢いに行ってやらねば恨めしく思うであろうという気がして、今夜もまたそこへ行くために家を出るのを、源氏は自身ながらも物足らず寂しく思われて、気が進まなかったために、ずっとふけてから来たのを、
「ここまでも別れにお歩きになる所の一つにしてお寄りくださいましたとは」
こんなことを言って喜んだ女御のことなどは少し省略して置く。この心細い女兄弟は源氏の同情によってわずかに生活の体面を保っているのであるから、今後はどうなって行くかというような不安が、寂しい家の中に漂っているように源氏は見た。おぼろな月がさしてきて、広い池のあたり、木の多い築山のあたりが寂しく見渡された時、まして須磨の浦は寂しいであろうと源氏は思った。西座敷にいる姫君は、出発の前二日になってはもう源氏の来訪は受けられないものと思って、気をめいらせていたのであったが、しめやかな月の光の中を、源氏がこちらへ歩いて来たのを知って、静かに膝行って出た。そしてそのまま二人は並んで月をながめながら語っているうちに明け方近い時になった。
「夜が短いのですね。ただこんなふうにだけでもいっしょにいられることがもうないかもしれませんね。私たちがまだこんないやな世の中の渦中に巻き込まれないでいられたころを、なぜむだにばかりしたのでしょう。過去にも未来にも例の少ないような不幸な男になるのを知らないで、あなたといっしょにいてよい時間をなぜこれまでにたくさん作らなかったのだろう」
恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、感傷的な話の尽きないのであるが、鶏ももうたびたび鳴いた。源氏はやはり世間をはばかって、ここからも早暁に出て行かねばならないのである。月がすっとはいってしまう時のような気がして女心は悲しかった。月の光がちょうど花散里の袖の上にさしているのである。「宿る月さへ濡るる顔なる」という歌のようであった。
こう言って、花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏のほうから慰めてやらねばならなかった。
はかないことだ。私は希望を持っているのだが、反対に涙が流れてきて心を暗くされますよ」
と源氏は言って、夜明け前の一時的に暗くなるころに帰って行った。
源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、現在の権勢に媚びることを思わない人たちを選んで、家司として留守中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士である。隠栖の用に持って行くのは日々必要な物だけで、それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や華奢な工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうとするのである。源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿などのことも、信用する少納言の乳母を上にして何人かの家司をそれにつけて、夫人の物としてある財産の管理上の事務を取らせることに計らったのである。
これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、
「長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいい」
と源氏は言って、上から下まですべての女房を西の対へ来させた。そして女の生活に必要な絹布類を豊富に分けて与えた。左大臣家にいる若君の乳母たちへも、また花散里へもそのことをした。華美な物もあったが、何年間かに必要な実用的な物も多くそろえて贈ったのである。源氏はまた途中の人目を気づかいながら尚侍の所へも別れの手紙を送った。
間で盗み見されることがあやぶまれて細かには書けなかったのである。手紙を読んだ尚侍は非常に悲しがった。流れて出る涙はとめどもなかった。
泣き泣き乱れ心で書いた、乱れ書きの字の美しいのを見ても、源氏の心は多く惹かれて、この人と最後の会見をしないで自分は行かれるであろうかとも思ったが、いろいろなことが源氏を反省させた。恋しい人の一族が源氏の排斥を企てたのであることを思って、またその人の立場の苦しさも推し量って、手紙を送る以上のことはしなかった。
出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。明け方にかけて月の出るころであったから、それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞いに伺候した。お居間の御簾の前に源氏の座が設けられて、宮御自身でお話しになるのであった。宮は東宮のことを限りもなく不安に思召す御様子である。聡明な男女が熱を内に包んで別れの言葉をかわしたのであるが、それには洗練された悲哀というようなものがあった。昔に少しも変わっておいでにならないなつかしい美しい感じの受け取れる源氏は、過去の十数年にわたる思慕に対して、冷たい理智の一面よりお見せにならなかった恨みも言ってみたい気になるのであったが、今は尼であって、いっそう道義的になっておいでになる方にうとましいと思われまいとも考え、自分ながらもその口火を切ってしまえば、どこまで頭が混乱してしまうかわからない恐れもあって心をおさえた。
「こういたしました意外な罪に問われますことになりましても、私は良心に思い合わされることが一つございまして空恐ろしく存じます。私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば私は満足いたします」
とだけ言った。それは真実の告白であった。宮も皆わかっておいでになることであったから源氏のこの言葉で大きな衝動をお受けになっただけで、何ともお返辞はあそばさなかった。初恋人への怨恨、父性愛、別離の悲しみが一つになって泣く源氏の姿はあくまでも優雅であった。
「これから御陵へ参りますが、お言づてがございませんか」
と源氏は言ったが、宮のお返辞はしばらくなかった。躊躇をしておいでになる御様子である。
宮はお悲しみの実感が余って、歌としては完全なものがおできにならなかった。
これは源氏の作である。やっと月が出たので、三条の宮を源氏は出て御陵へ行こうとした。供はただ五、六人つれただけである。下の侍も親しい者ばかりにして馬で行った。今さらなことではあるが以前の源氏の外出に比べてなんという寂しい一行であろう。家従たちも皆悲しんでいたが、その中に昔の斎院の御禊の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人を兼ねた右近衛将曹は、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人所の出仕は止められ、官を奪われてしまったので、これも進んで須磨へ行く一人になっているのであるが、この男が下加茂の社がはるかに見渡される所へ来ると、ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに源氏の馬の口を取って歌った。
どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれてはなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。自身もまた馬からおりて加茂の社を遥拝してお暇乞いを神にした。
と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿をお出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。自分のためにあそばされた数々の御遺言はどこへ皆失われたものであろうと、そんなことがまたここで悲しまれる源氏であった。御墓のある所は高い雑草がはえていて、分けてはいる人は露に全身が潤うのである。この時は月もちょうど雲の中へ隠れていて、前方の森が暗く続いているためにきわまりもなくものすごい。もうこのまま帰らないでもいいような気がして、一心に源氏が拝んでいる時に、昔のままのお姿が幻に見えた。それは寒けがするほどはっきりと見えた幻であった。
もう朝になるころ源氏は二条の院へ帰った。源氏は東宮へもお暇乞いの御挨拶をした。中宮は王命婦を御自身の代わりに宮のおそばへつけておありになるので、その部屋のほうへ手紙を持たせてやったのである。
この手紙は、桜の花の大部分は散った枝へつけてあった。命婦は源氏の今日の出立を申し上げて、この手紙を東宮にお目にかけると、御幼年ではあるがまじめになって読んでおいでになった。
「お返事はどう書きましたらよろしゅうございましょう」
「しばらく逢わないでも私は恋しいのであるから、遠くへ行ってしまったら、どんなに苦しくなるだろうと思うとお書き」
と宮は仰せられる。なんという御幼稚さだろうと思って命婦はいたましく宮をながめていた。苦しい恋に夢中になっていた昔の源氏、そのある日の場合、ある夜の場合を命婦は思い出して、その恋愛がなかったならお二人にあの長い苦労はさせないでよかったのであろうと思うと、自身に責任があるように思われて苦しかった。返事は、
と書いたあとは、悲しみに取り乱してよくわからぬ所があった。
とも書いて出したが、そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。一日でも源氏を見た者は皆不幸な旅に立つことを悲しんで惜しまぬ人もないのである。まして常に源氏の出入りしていた所では、源氏のほうへは知られていない長女、御厠人などの下級の女房までも源氏の慈愛を受けていて、たとえ短い期間で悪夢は終わるとしても、その間は源氏を見ることのできないのを歎いていた。世間もだれ一人今度の当局者の処置を至当と認める者はないのであった。七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、源氏の言葉はことごとく通り、源氏の推薦はむだになることもなかった。官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。源氏に対して感謝の念のない者はないのである。大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。それ以下は無数である。皆が皆恩を忘れているのではないが、報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。社会全体が源氏を惜しみ、陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、恨んだりすることは紳士らしくないことであると思いながらも、源氏の心にはつい恨めしくなる人たちもさすがに多くて、人生はいやなものであると何につけても思われた。
当日は終日夫人と語り合っていて、そのころの例のとおりに早暁に源氏は出かけて行くのであった。狩衣などを着て、簡単な旅装をしていた。
「月が出てきたようだ。もう少し端のほうへ出て来て、見送ってだけでもください。あなたに話すことがたくさん積もったと毎日毎日思わなければならないでしょうよ。一日二日ほかにいても話がたまり過ぎる苦しい私なのだ」
と言って、御簾を巻き上げて、縁側に近く女王を誘うと、泣き沈んでいた夫人はためらいながら膝行って出た。月の光のさすところに非常に美しく女王はすわっていた。自分が旅中に死んでしまえばこの人はどんなふうになるであろうと思うと、源氏は残して行くのが気がかりになって悲しかったが、そんなことを思い出せば、いっそうこの人を悲しませることになると思って、
はかないことだった」
とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。
と夫人は言う。それが真実の心の叫びであろうと思うと、立って行けない源氏であったが、夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。
道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。日の長いころであったし、追い風でもあって午後四時ごろに源氏の一行は須磨に着いた。旅をしたことのない源氏には、心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。大江殿という所は荒廃していて松だけが昔の名残のものらしく立っていた。
と源氏は口ずさまれた。渚へ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣の古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠く霞んでいて、三千里外の旅を歌って、櫂の雫に泣いた詩の境地にいる気もした。
総てのものが寂しく悲しく見られた。隠栖の場所は行平が「藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ」と歌って住んでいた所に近くて、海岸からはややはいったあたりで、きわめて寂しい山の中である。めぐらせた垣根も見馴れぬ珍しい物に源氏は思った。茅葺きの家であって、それに葦葺きの廊にあたるような建物が続けられた風流な住居になっていた。都会の家とは全然変わったこの趣も、ただの旅にとどまる家であったならきっとおもしろく思われるに違いないと平生の趣味から源氏は思ってながめていた。ここに近い領地の預かり人などを呼び出して、いろいろな仕事を命じたり、良清朝臣などが家職の下役しかせぬことにも奔走するのも哀れであった。きわめて短時日のうちにその家もおもしろい上品な山荘になった。水の流れを深くさせたり、木を植えさせたりして落ち着いてみればみるほど夢の気がした。摂津守も以前から源氏に隷属していた男であったから、公然ではないが好意を寄せていた。そんなことで、準配所であるべき家も人出入りは多いのであるが、はかばかしい話し相手はなくて外国にでもいるように源氏は思われるのであった。こうしたつれづれな生活に何年も辛抱することができるであろうかと源氏はみずから危んだ。
旅住居がようやく整った形式を備えるようになったころは、もう五月雨の季節になっていて、源氏は京の事がしきりに思い出された。恋しい人が多かった。歎きに沈んでいた夫人、東宮のこと、無心に元気よく遊んでいた若君、そんなことばかりを思って悲しんでいた。源氏は京へ使いを出すことにした。二条の院へと入道の宮へとの手紙は容易に書けなかった。宮へは、
というのであった。尚侍の所へは、例のように中納言の君への私信のようにして、その中へ入れたのには、
と書いた。なお言葉は多かった。左大臣へも書き、若君の乳母の宰相の君へも育児についての注意を源氏は書いて送った。
京では須磨の使いのもたらした手紙によって思い乱れる人が多かった。二条の院の女王は起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。焦れて泣く女王を女房たちはなだめかねて心細い思いをしていた。源氏の使っていた手道具、常に弾いていた楽器、脱いで行った衣服の香などから受ける感じは、夫人にとっては人の死んだ跡のようにはげしいものらしかった。夫人のこの状態がまた苦労で、少納言は北山の僧都に祈祷のことを頼んだ。北山では哀れな肉親の夫人のためと、源氏のために修法をした。夫人の歎きの心が静まっていくことと、幸福な日がまた二人の上に帰ってくることを仏に祈ったのである。二条の院では夏の夜着類も作って須磨へ送ることにした。無位無官の人の用いる
の絹の直衣、指貫の仕立てられていくのを見ても、かつて思いも寄らなかった悲哀を夫人は多く感じた。鏡の影ほどの確かさで心は常にあなたから離れないだろうと言った、恋しい人の面影はその言葉のとおりに目から離れなくても、現実のことでないことは何にもならなかった。源氏がそこから出入りした戸口、よりかかっていることの多かった柱も見ては胸が悲しみでふさがる夫人であった。今の悲しみの量を過去の幾つの事に比べてみることができたりする年配の人であっても、こんなことは堪えられないに違いないのを、だれよりも睦まじく暮らして、ある時は父にも母にもなって愛撫された保護者で良人だった人ににわかに引き離されて女王が源氏を恋しく思うのはもっともである。死んだ人であれば悲しい中にも、時間があきらめを教えるのであるが、これは遠い十万億土ではないが、いつ帰るとも定めて思えない別れをしているのであるのを夫人はつらく思うのである。
入道の宮も東宮のために源氏が逆境に沈んでいることを悲しんでおいでになった。そのほか源氏との宿命の深さから思っても宮のお歎きは、複雑なものであるに違いない。これまではただ世間が恐ろしくて、少しの憐みを見せれば、源氏はそれによって身も世も忘れた行為に出ることが想像されて、動く心もおさえる一方にして、御自身の心までも無視して冷淡な態度を取り続けられたことによって、うるさい世間であるにもかかわらず何の噂も立たないで済んだのである。源氏の恋にも御自身の内の感情にも成長を与えなかったのは、ただ自分の苦しい努力があったからであると思召される宮が、尼におなりになって、源氏が対象とすべくもない解放された境地から源氏を悲しくも恋しくも今は思召されるのであった。お返事も以前のものに比べて情味があった。
というのであった。尚侍のは、
という短いので、中納言の君は悲しんでいる尚侍の哀れな状態を報じて来た。身にしむ節々もあって源氏は涙がこぼれた。紫の女王のは特別にこまやかな情のこめられた源氏の手紙の返事であったから、身にしむことも多く書かれてあった。
という夫人から、使いに託してよこした夜着や衣服類に洗練された趣味のよさが見えた。源氏はどんなことにもすぐれた女になった女王がうれしかった。青春時代の恋愛も清算して、この人と静かに生を楽しもうとする時になっていたものをと思うと、源氏は運命が恨めしかった。夜も昼も女王の面影を思うことになって、堪えられぬほど恋しい源氏は、やはり若紫は須磨へ迎えようという気になった。左大臣からの返書には若君のことがいろいろと書かれてあって、それによってまた平生以上に子と別れている親の情は動くのであるが、頼もしい祖父母たちがついていられるのであるから、気がかりに思う必要はないとすぐに考えられて、子の闇という言葉も、愛妻を思う煩悩の闇に比べて薄いものらしくこの人には見えた。
源氏が須磨へ移った初めの記事の中に筆者は書き洩らしてしまったが伊勢の御息所のほうへも源氏は使いを出したのであった。あちらからもまたはるばると文を持って使いがよこされた。熱情的に書かれた手紙で、典雅な筆つきと見えた。
などという長いものである。源氏の手紙に衝動を受けた御息所はあとへあとへと書き続いで、白い支那の紙四、五枚を巻き続けてあった。書風も美しかった。愛していた人であったが、その人の過失的な行為を、同情の欠けた心で見て恨んだりしたことから、御息所も恋をなげうって遠い国へ行ってしまったのであると思うと、源氏は今も心苦しくて、済まない目にあわせた人として御息所を思っているのである。そんな所へ情のある手紙が来たのであったから、使いまでも恋人のゆかりの親しい者に思われて、二、三日滞留させて伊勢の話を侍臣たちに問わせたりした。若やかな気持ちのよい侍であった。閑居のことであるから、そんな人もやや近い所でほのかに源氏の風貌に接することもあって侍は喜びの涙を流していた。伊勢の消息に感動した源氏の書く返事の内容は想像されないこともない。
あまがつむ歎きの中にしほたれて何時まで須磨の浦に眺めん
というのである。こんなふうに、どの人へも相手の心の慰むに足るような愛情を書き送っては返事を得る喜びにまた自身を慰めている源氏であった。花散里も悲しい心を書き送って来た。どれにも個性が見えて、恋人の手紙は源氏を慰めぬものもないが、また物思いの催される種ともなるのである。
と歌っている花散里は、高くなったという雑草のほかに後見をする者のない身の上なのであると源氏は思いやって、長雨に土塀がところどころ崩れたことも書いてあったために、京の家司へ命じてやって、近国にある領地から人夫を呼ばせて花散里の邸の修理をさせた。
尚侍は源氏の追放された直接の原因になった女性であるから、世間からは嘲笑的に注視され、恋人には遠く離れて、深い歎きの中に溺れているのを、大臣は最も愛している娘であったから憐れに思って、熱心に太后へ取りなしをしたし、帝へもお詫びを申し上げたので、尚侍は公式の女官長であって、燕寝に侍する女御、更衣が起こした問題ではないから、過失として勅免があればそれでよいということになった。帝の御愛寵を裏切って情人を持った点をお憎みになったのであるが、赦免の宣旨が出て宮中へまたはいることになっても、尚侍の心は源氏の恋しさに満たされていた。七月になってその事が実現された。非常なお気に入りであったのであるから、人の譏りも思召さずに、お常御殿の宿直所にばかり尚侍は置かれていた。お恨みになったり、永久に変わらぬ愛の誓いを仰せられたりする帝の御風采はごりっぱで、優美な方なのであるが、これを飽き足らぬものとは自覚していないが、なお尚侍には源氏ばかりが恋しいというのはもったいない次第である。音楽の合奏を侍臣たちにさせておいでになる時に、帝は尚侍へ、
「あの人がいないことは寂しいことだ。私でもそう思うのだから、ほかにはもっと痛切にそう思われる人があるだろう。何の上にも光というものがなくなった気がする」
と仰せられるのであった。それからまた、
「院の御遺言にそむいてしまった。私は死んだあとで罰せられるに違いない」
と涙ぐみながらお言いになるのを聞いて、尚侍は泣かずにいられなかった。
「人生はつまらないものだという気がしてきて、それとともにもう決して長くは生きていられないように思われる。私がなくなってしまった時、あなたはどう思いますか、旅へ人の行った時の別れ以上に悲しんでくれないでは私は失望する。生きている限り愛し合おうという約束をして満足している人たちに、私のあなたを思う愛の深さはわからないだろう。私は来世に行ってまであなたと愛し合いたいのだ」
となつかしい調子で仰せられる、それにはお心の底からあふれるような愛が示されていることであったから、尚侍の涙はほろほろとこぼれた。
「そら、涙が落ちる、どちらのために」
と帝はお言いになった。
「今まで私に男の子のないのが寂しい。東宮を院のお言葉どおりに自分の子のように私は考えているのだが、いろいろな人間が間にいて、私の愛が徹底しないから心苦しくてならない」
などとお語りになる。御意志によらない政治を行なう者があって、それを若いお心の弱さはどうなされようもなくて御煩悶が絶えないらしい。
秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居の秋であった。居間に近く宿直している少数の者も皆眠っていて、一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波が押し寄せて来るように思われた。落ちるともない涙にいつか枕は流されるほどになっている。琴を少しばかり弾いてみたが、自身ながらもすごく聞こえるので、弾きさして、
と歌っていた。惟光たちは悽惨なこの歌声に目をさましてから、いつか起き上がって訳もなくすすり泣きの声を立てていた。その人たちの心を源氏が思いやるのも悲しかった。自分一人のために、親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に彼らはなっているのであると思うと、自分の深い物思いに落ちたりしていることは、その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、昼間は皆といっしょに戯談を言って旅愁を紛らそうとしたり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那の綾などに絵を描いたりした。その絵を屏風に貼らせてみると非常におもしろかった。源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命があって傑作が多かった。
「現在での大家だといわれる千枝とか、常則とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆素描の画のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の綾に薄紫を重ねて、藍がかった直衣を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち「釈迦牟尼仏弟子」と名のって経文を暗誦みしている声もきわめて優雅に聞こえた。幾つかの船が唄声を立てながら沖のほうを漕ぎまわっていた。形はほのかで鳥が浮いているほどにしか見えぬ船で心細い気がするのであった。上を通る一列の雁の声が楫の音によく似ていた。涙を払う源氏の手の色が、掛けた黒木の数珠に引き立って見える美しさは、故郷の女恋しくなっている青年たちの心を十分に緩和させる力があった。
と源氏が言う。良清、
民部大輔惟光、
前右近丞が、
仲間がなかったらどんなだろうと思います」
と言った。常陸介になった親の任地へも行かずに彼はこちらへ来ているのである。煩悶はしているであろうが、いつもはなやかな誇りを見せて、屈託なくふるまう青年である。明るい月が出て、今日が中秋の十五夜であることに源氏は気がついた。宮廷の音楽が思いやられて、どこでもこの月をながめているであろうと思うと、月の顔ばかりが見られるのであった。「二千里外故人心」と源氏は吟じた。青年たちは例のように涙を流して聞いているのである。
この月を入道の宮が「霧や隔つる」とお言いになった去年の秋が恋しく、それからそれへといろいろな場合の初恋人への思い出に心が動いて、しまいには声を立てて源氏は泣いた。
「もうよほど更けました」
と言う者があっても源氏は寝室へはいろうとしない。
その去年の同じ夜に、なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。「恩賜御衣今在此」と口ずさみながら源氏は居間へはいった。恩賜の御衣もそこにあるのである。
とも歌われた。
このころに九州の長官の大弐が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚な須磨の浦に源氏の大将が隠栖していられるということを聞いて、若いお洒落な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾く琴の音が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。大弐は源氏へ挨拶をした。
「はるかな田舎から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したものでございました。意外な政変のために御隠栖になっております土地を今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないのでございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
というのであって、子の筑前守が使いに行ったのである。源氏が蔵人に推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか逢えないことになっていたのに、わざわざ訪ねて来てくれたことを満足に思う」
と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。筑前守は泣く泣く帰って、源氏の住居の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。五節の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。
と書かれてあるのを、源氏は微笑しながらながめていた。若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。
これは源氏の書いた返事である。明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。
京では月日のたつにしたがって光源氏のない寂寥を多く感じた。陛下もそのお一人であった。まして東宮は常に源氏を恋しく思召して、人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、乳母たちは哀れに拝見していた。王命婦はその中でもことに複雑な御同情をしているのである。入道の宮は東宮の御地位に動揺をきたすようなことのないかが常に御不安であった。源氏までも失脚してしまった今日では、ただただ心細くのみ思っておいでになった。源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。人の身にしむ詩歌が取りかわされて、それらの源氏の作が世上にほめられることは非常に太后のお気に召さないことであった。
「勅勘を受けた人というものは、自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。風流な家に住んで現代を誹謗して鹿を馬だと言おうとする人間に阿る者がある」
とお言いになって、報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、もう消息を近来しなくなった。二条の院の姫君は時がたてばたつほど、悲しむ度も深くなっていった。東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、ただ源氏が特別に心を惹かれているだけの女性であろうと女王を考えていたが、馴れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、だれ一人暇を乞う者もない。良い家から来ている人たちには夫人も顔を合わせていた。だれよりも源氏が愛している理由がわかったように彼女たちは思うのであった。
須磨のほうでは紫の女王との別居生活がこのまま続いて行くことは堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事はあまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。下男や農民に何かと人の小言を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。近所で時々煙の立つのを、これが海人の塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で柴を燻べている煙であった。これを聞いた時の作、
冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。漢帝が北夷の国へおつかわしになった宮女の琵琶を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は「胡角一声霜後夢」と王昭君を歌った詩の句が口に上った。月光が明るくて、狭い家は奥の隅々まで顕わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、「唯是西行不左遷」と源氏は歌った。
とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。
だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。まだ暗い間に手水を済ませて念誦をしていることが侍臣たちに新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、仮に京の家へ出かけようとする者もない。
明石の浦は這ってでも行けるほどの近さであったから、良清朝臣は明石の入道の娘を思い出して手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。父親の入道から相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔でそこを出て来る恰好は馬鹿に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して行こうとしない。すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外にはだれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に隠栖をしていることを聞いて妻に言った。
「桐壺の更衣のお生みした光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に娘を差し上げたいと思う」
「それはたいへんまちがったお考えですよ。あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人をお盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が田舎育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」
と妻は言った。入道は腹を立てて、
「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」
と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢な設備のされてある入道の家であった。
「なぜそうしなければならないのでしょう。どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、そんなことは想像もされない。戯談にでもそんなことはおっしゃらないでください」
と妻が言うと、入道はくやしがって、何か口の中でぶつぶつ言っていた。
「罪に問われることは、支那でもここでも源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、源氏の君は何だと思う、私の叔父だった按察使大納言の娘が母君なのだ。すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵が一人に集まって、それで人の嫉妬を多く受けて亡くなられたが、源氏の君が残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆桐壺の更衣になろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」
などと入道は言っていた。この娘はすぐれた容貌を持っているのではないが、優雅な上品な女で、見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、それかといって身分相当な男とは結婚をしようと思わない、長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。入道は大事がって年に二度ずつ娘を住吉の社へ参詣させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。
須磨は日の永い春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、霞んだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代の最後の桜花の宴の日の父帝、艶な東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。
と源氏は歌った。
源氏が日を暮らし侘びているころ、須磨の謫居へ左大臣家の三位中将が訪ねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。親しい友人であって、しかも長く相見る時を得なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだ垣がめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣指貫の質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥する部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六の盤、弾棊の具なども田舎風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠などがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応に出された膳部にもおもしろい地方色が見えた。漁から帰った海人たちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちは憐んでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾疋も並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽の飛鳥井を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終歎いているという話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。
終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら「酔悲泪灑春杯裏」と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。朝ぼらけの空を行く雁の列があった。源氏は、
と言った。宰相は出て行く気がしないで、
と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで嘶くようにと思うからですよ」
と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
「これは形見だと思っていただきたい」
宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
と宰相は言った。
みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
こう源氏は答えて言うのであった。
失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
と宰相は言いつつ去った。
友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。
今年は三月の一日に巳の日があった。
「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場を作り、旅の陰陽師を雇って源氏は禊いをさせた。船にやや大きい禊いの人形を乗せて流すのを見ても、源氏はこれに似た自身のみじめさを思った。
と歌いながら沙上の座に着く源氏は、こうした明るい所ではまして水ぎわだって見えた。少し霞んだ空と同じ色をした海がうらうらと凪ぎ渡っていた。果てもない天地をながめていて、源氏は過去未来のことがいろいろと思われた。
と源氏が歌い終わった時に、風が吹き出して空が暗くなってきた。御禊の式もまだまったく終わっていなかったが人々は立ち騒いだ。肱笠雨というものらしくにわか雨が降ってきてこの上もなくあわただしい。一行は浜べから引き上げようとするのであったが笠を取り寄せる間もない。そんな用意などは初めからされてなかった上に、海の風は何も何も吹き散らす。夢中で家のほうへ走り出すころに、海のほうは蒲団を拡げたように腫れながら光っていて、雷鳴と電光が襲うてきた。すぐ上に落ちて来る恐れも感じながら人々はやっと家に着いた。
「こんなことに出あったことはない。風の吹くことはあっても、前から予告的に天気が悪くなるものであるが、こんなににわかに暴風雨になるとは」
こんなことを言いながら山荘の人々はこの天候を恐ろしがっていたが雷鳴もなおやまない。雨の脚の当たる所はどんな所も突き破られるような強雨が降るのである。こうして世界が滅亡するのかと皆が心細がっている時に、源氏は静かに経を読んでいた。日が暮れるころから雷は少し遠ざかったが、風は夜も吹いていた。神仏へ人々が大願を多く立てたその力の顕われがこれであろう。
「もう少し暴風雨が続いたら、浪に引かれて海へ行ってしまうに違いない。海嘯というものはにわかに起こって人死にがあるものだと聞いていたが、今日のは雨風が原因になっていてそれとも違うようだ」
などと人々は語っていた。夜の明け方になって皆が寝てしまったころ、源氏は少しうとうととしたかと思うと、人間でない姿の者が来て、
「なぜ王様が召していらっしゃるのにあちらへ来ないのか」
と言いながら、源氏を求めるようにしてその辺を歩きまわる夢を見た。さめた時に源氏は驚きながら、それではあの暴風雨も海の竜王が美しい人間に心を惹かれて自分に見入っての仕業であったと気がついてみると、恐ろしくてこの家にいることが堪えられなくなった。
明石
まだ雨風はやまないし、雷鳴が始終することも同じで幾日かたった。今は極度に侘しい須磨の人たちであった。今日までのことも明日からのことも心細いことばかりで、源氏も冷静にはしていられなかった。どうすればいいであろう、京へ帰ることもまだ免職になったままで本官に復したわけでもなんでもないのであるから見苦しい結果を生むことになるであろうし、まだもっと深い山のほうへはいってしまうことも波風に威嚇されて恐怖した行為だと人に見られ、後世に誤られることも堪えられないことであるからと源氏は煩悶していた。このごろの夢は怪しい者が来て誘おうとする初めの夜に見たのと同じ夢ばかりであった。幾日も雲の切れ目がないような空ばかりをながめて暮らしていると京のことも気がかりになって、自分という者はこうした心細い中で死んで行くのかと源氏は思われるのであるが、首だけでも外へ出すことのできない天気であったから京へ使いの出しようもない。二条の院のほうからその中を人が来た。濡れ鼠になった使いである。雨具で何重にも身を固めているから、途中で行き逢っても人間か何かわからぬ形をした、まず奇怪な者として追い払わなければならない下侍に親しみを感じる点だけでも、自分はみじめな者になったと源氏はみずから思われた。夫人の手紙は、
というような身にしむことが数々書かれてある。開封した時からもう源氏の涙は潮時が来たような勢いで、内から湧き上がってくる気がしたものであった。
「京でもこの雨風は天変だと申して、なんらかを暗示するものだと解釈しておられるようでございます。仁王会を宮中であそばすようなことも承っております。大官方が参内もできないのでございますから、政治も雨風のために中止の形でございます」
こんな話を、はかばかしくもなく下士級の頭で理解しているだけのことを言うのであるが、京のことに無関心でありえない源氏は、居間の近くへその男を呼び出していろいろな質問をしてみた。
「ただ例のような雨が少しの絶え間もなく降っておりまして、その中に風も時々吹き出すというような日が幾日も続くのでございますから、それで皆様の御心配が始まったものだと存じます。今度のように地の底までも通るような荒い雹が降ったり、雷鳴の静まらないことはこれまでにないことでございます」
などと言う男の表情にも深刻な恐怖の色の見えるのも源氏をより心細くさせた。
こんなことでこの世は滅んでいくのでないかと源氏は思っていたが、その翌日からまた大風が吹いて、海潮が満ち、高く立つ波の音は岩も山も崩してしまうように響いた。雷鳴と電光のさすことの烈しくなったことは想像もできないほどである。この家へ雷が落ちそうにも近く鳴った。もう理智で物を見る人もなくなっていた。
「私はどんな罪を前生で犯してこうした悲しい目に逢うのだろう。親たちにも逢えずかわいい妻子の顔も見ずに死なねばならぬとは」
こんなふうに言って歎く者がある。源氏は心を静めて、自分にはこの寂しい海辺で命を落とさねばならぬ罪業はないわけであると自信するのであるが、ともかくも異常である天候のためにはいろいろの幣帛を神にささげて祈るほかがなかった。
「住吉の神、この付近の悪天候をお鎮めください。真実垂跡の神でおいでになるのでしたら慈悲そのものであなたはいらっしゃるはずですから」
と源氏は言って多くの大願を立てた。惟光や良清らは、自身たちの命はともかくも源氏のような人が未曾有な不幸に終わってしまうことが大きな悲しみであることから、気を引き立てて、少し人心地のする者は皆命に代えて源氏を救おうと一所懸命になった。彼らは声を合わせて仏神に祈るのであった。
「帝王の深宮に育ちたまい、もろもろの歓楽に驕りたまいしが、絶大の愛を心に持ちたまい、慈悲をあまねく日本国じゅうに垂れたまい、不幸なる者を救いたまえること数を知らず、今何の報いにて風波の牲となりたまわん。この理を明らかにさせたまえ。罪なくして罪に当たり、官位を剥奪され、家を離れ、故郷を捨て、朝暮歎きに沈淪したもう。今またかかる悲しみを見て命の尽きなんとするは何事によるか、前生の報いか、この世の犯しか、神、仏、明らかにましまさばこの憂いを息めたまえ」
住吉の御社のほうへ向いてこう叫ぶ人々はさまざまの願を立てた。また竜王をはじめ大海の諸神にも源氏は願を立てた。いよいよ雷鳴ははげしくとどろいて源氏の居間に続いた廊へ落雷した。火が燃え上がって廊は焼けていく。人々は心も肝も皆失ったようになっていた。後ろのほうの廚その他に使っている建物のほうへ源氏を移転させ、上下の者が皆いっしょにいて泣く声は一つの大きな音響を作って雷鳴にも劣らないのである。空は墨を磨ったように黒くなって日も暮れた。そのうち風が穏やかになり、雨が小降りになって星の光も見えてきた。そうなるとこの人々は源氏の居場所があまりにもったいなく思われて、寝殿のほうへ席を移そうとしたが、そこも焼け残った建物がすさまじく見え、座敷は多数の人間が逃げまわった時に踏みしだかれてあるし、御簾なども皆風に吹き落とされていた。今夜夜通しに後始末をしてからのことに決めて、皆がそんなことに奔走している時、源氏は心経を唱えながら、静かに考えてみるとあわただしい一日であった。月が出てきて海潮の寄せた跡が顕わにながめられる。遠く退いてもまだ寄せ返しする浪の荒い海べのほうを戸をあけて源氏はながめていた。今日までのこと明日からのことを意識していて、対策を講じ合うに足るような人は近い世界に絶無であると源氏は感じた。漁村の住民たちが貴人の居所を気にかけて、集まって来て訳のわからぬ言葉でしゃべり合っているのも礼儀のないことであるが、それを追い払う者すらない。
「あの大風がもうしばらくやまなかったら、潮はもっと遠くへまで上って、この辺なども形を残していまい。やはり神様のお助けじゃ」
こんなことの言われているのも聞く身にとっては非常に心細いことであった。
と源氏は口にした。終日風の揉み抜いた家にいたのであるから、源氏も疲労して思わず眠った。ひどい場所であったから、横になったのではなく、ただ物によりかかって見る夢に、お亡くなりになった院がはいっておいでになったかと思うと、すぐそこへお立ちになって、
「どうしてこんなひどい所にいるか」
こうお言いになりながら、源氏の手を取って引き立てようとあそばされる。
「住吉の神が導いてくださるのについて、早くこの浦を去ってしまうがよい」
と仰せられる。源氏はうれしくて、
「陛下とお別れいたしましてからは、いろいろと悲しいことばかりがございますから私はもうこの海岸で死のうかと思います」
「とんでもない。これはね、ただおまえが受けるちょっとしたことの報いにすぎないのだ。私は位にいる間に過失もなかったつもりであったが、犯した罪があって、その罪の贖いをする間は忙しくてこの世を顧みる暇がなかったのだが、おまえが非常に不幸で、悲しんでいるのを見ると堪えられなくて、海の中を来たり、海べを通ったりまったく困ったがやっとここまで来ることができた。このついでに陛下へ申し上げることがあるから、すぐに京へ行く」
と仰せになってそのまま行っておしまいになろうとした。源氏は悲しくて、
「私もお供してまいります」
と泣き入って、父帝のお顔を見上げようとした時に、人は見えないで、月の顔だけがきらきらとして前にあった。源氏は夢とは思われないで、まだ名残がそこらに漂っているように思われた。空の雲が身にしむように動いてもいるのである。長い間夢の中で見ることもできなかった恋しい父帝をしばらくだけではあったが明瞭に見ることのできた、そのお顔が面影に見えて、自分がこんなふうに不幸の底に落ちて、生命も危うくなったのを、助けるために遠い世界からおいでになったのであろうと思うと、よくあの騒ぎがあったことであると、こんなことを源氏は思うようになった。なんとなく力がついてきた。その時は胸がはっとした思いでいっぱいになって、現実の悲しいことも皆忘れていたが、夢の中でももう少しお話をすればよかったと飽き足らぬ気のする源氏は、もう一度続きの夢が見られるかとわざわざ寝入ろうとしたが、眠りえないままで夜明けになった。
渚のほうに小さな船を寄せて、二、三人が源氏の家のほうへ歩いて来た。だれかと山荘の者が問うてみると、明石の浦から前播磨守入道が船で訪ねて来ていて、その使いとして来た者であった。
「源少納言さんがいられましたら、お目にかかって、お訪ねいたしました理由を申し上げます」
と使いは入道の言葉を述べた。驚いていた良清は、
「入道は播磨での知人で、ずっと以前から知っておりますが、私との間には双方で感情の害されていることがあって、格別に交際をしなくなっております。それが風波の害のあった際に何を言って来たのでしょう」
と言って訳がわからないふうであった。源氏は昨夜の夢のことが胸中にあって、
「早く逢ってやれ」
と言ったので、良清は船へ行って入道に面会した。あんなにはげしい天気のあとでどうして船が出されたのであろうと良清はまず不思議に思った。
「この月一日の夜に見ました夢で異形の者からお告げを受けたのです。信じがたいこととは思いましたが、十三日が来れば明瞭になる、船の仕度をしておいて、必ず雨風がやんだら須磨の源氏の君の住居へ行けというようなお告げがありましたから、試みに船の用意をして待っていますと、たいへんな雨風でしょう、そして雷でしょう、支那などでも夢の告げを信じてそれで国難を救うことができたりした例もあるのですから、こちら様ではお信じにならなくても、示しのあった十三日にはこちらへ伺ってお話だけは申し上げようと思いまして、船を出してみますと、特別なような風が細く、私の船だけを吹き送ってくれますような風でこちらへ着きましたが、やはり神様の御案内だったと思います。何かこちらでも神の告げというようなことがなかったでしょうか、と申すことを失礼ですがあなたからお取り次ぎくださいませんか」
と入道は言うのである。良清はそっと源氏へこのことを伝えた。源氏は夢も現実も静かでなく、何かの暗示らしい点の多かったことを思って、世間の譏りなどばかりを気にかけ神の冥助にそむくことをすれば、またこれ以上の苦しみを見る日が来るであろう、人間を怒らせることすら結果は相当に恐ろしいのである、気の進まぬことも自分より年長者であったり、上の地位にいる人の言葉には随うべきである。退いて咎なしと昔の賢人も言った、あくまで謙遜であるべきである。もう自分は生命の危いほどの目を幾つも見せられた、臆病であったと言われることを不名誉だと考える必要もない。夢の中でも父帝は住吉の神のことを仰せられたのであるから、疑うことは一つも残っていないと思って、源氏は明石へ居を移す決心をして、入道へ返辞を伝えさせた。
「知るべのない所へ来まして、いろいろな災厄にあっていましても、京のほうからは見舞いを言い送ってくれる者もありませんから、ただ大空の月日だけを昔馴染のものと思ってながめているのですが、今日船を私のために寄せてくだすってありがたく思います。明石には私の隠栖に適した場所があるでしょうか」
入道は申し入れの受けられたことを非常によろこんで、恐縮の意を表してきた。ともかく夜が明けきらぬうちに船へお乗りになるがよいということになって、例の四、五人だけが源氏を護って乗船した。入道の話のような清い涼しい風が吹いて来て、船は飛ぶように明石へ着いた。それはほんの短い時間のことであったが不思議な海上の気であった。
明石の浦の風光は、源氏がかねて聞いていたように美しかった。ただ須磨に比べて住む人間の多いことだけが源氏の本意に反したことのようである。入道の持っている土地は広くて、海岸のほうにも、山手のほうにも大きな邸宅があった。渚には風流な小亭が作ってあり、山手のほうには、渓流に沿った場所に、入道がこもって後世の祈りをする三昧堂があって、老後のために蓄積してある財物のための倉庫町もある。高潮を恐れてこのごろは娘その他の家族は山手の家のほうに移らせてあったから、浜のほうの本邸に源氏一行は気楽に住んでいることができるのであった。船から車に乗り移るころにようやく朝日が上って、ほのかに見ることのできた源氏の美貌に入道は老いを忘れることもでき、命も延びる気がした。満面に笑みを見せてまず住吉の神をはるかに拝んだ。月と日を掌の中に得たような喜びをして、入道が源氏を大事がるのはもっともなことである。おのずから風景の明媚な土地に、林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。入り江の水の姿の趣などは想像力の乏しい画家には描けないであろうと思われた。須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。座敷の中の設備にも華奢が尽くされてあった。生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。それよりもまだ派手なところが見えないでもない。
明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、源氏は京へ手紙を書いた。
「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」
などと言って、悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、過分な物を報酬に与えた上で、京でするいろいろの用が命ぜられた。頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。私人には入道の宮へだけ、稀有にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知らせした。二条の院の憐れな手紙の返事は一気には書かれずに、一章を書いては泣き一章を書いては涙を拭きして書いている様子にも源氏がその人を思う深さが見られるのであった。
正しくは書かれずに乱れ書きになっているような美しい手紙を、横から見ていて、源氏が二条の院の夫人を愛する深さを惟光たちは思った。そうした人たちもわが家への音信をこの使いへ託した。あの晴れ間もないようだった天気は名残なく晴れて、明石の浦の空は澄み返っていた。ここの漁業をする人たちは得意そうだった。須磨は寂しく静かで、漁師の家もまばらにしかなかったのである。最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、いとわしく思った源氏も、ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、発見されていって慰んでいた。
主人の入道は信仰生活をする精神的な人物で、俗気のない愛すべき男であるが、溺愛する一人娘のことでは、源氏の迷惑に思うことを知らずに、注意を引こうとする言葉もおりおり洩らすのである。源氏もかねて興味を持って噂を聞いていた女であったから、こんな意外な土地へ来ることになったのは、その人との前生の縁に引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。京の女王に聞かれてもやましくない生活をしているのとは違って、そうなれば誓ってきたことも皆嘘にとられるのが恥ずかしいと思って、入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると心の動いて行くことはないのではなかった。源氏のいる所へは入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。ぜひ希望することを実現させたいと思って、いよいよ仏神を念じていた。年は六十くらいであるがきれいな老人で、仏勤めに痩せて、もとの身柄のよいせいであるか、頑固な、そしてまた老いぼけたようなところもありながら、古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、若い時に見聞したことを語らせて聞くことで源氏のつれづれさも紛れることがあった。昔から公人として、私人として少しの閑暇もない生活をしていた源氏であったから、古い時代にあった実話などをぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは珍重すべきであると思った。この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことはわからないでしまったかもしれぬとまでおもしろく思われることも話の中にはあった。こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、この気高い貴人に対しては、以前はあんなに独り決めをしていた入道ではあっても、無遠慮に娘の婿になってほしいなどとは言い出せないのを、自身で歯がゆく思っては妻と二人で歎いていた。娘自身も並み並みの男さえも見ることの稀な田舎に育って、源氏を隙見した時から、こんな美貌を持つ人もこの世にはいるのであったかと驚歎はしたが、それによっていよいよ自身とその人との懸隔を明瞭に悟ることになって、恋愛の対象などにすべきでないと思っていた。親たちが熱心にその成立を祈っているのを見聞きしては、不似合いなことを思うものであると見ているのであるが、それとともに低い身のほどの悲しみを覚え始めた。
四月になった。衣がえの衣服、美しい夏の帳などを入道は自家で調製した。よけいなことをするものであるとも源氏は思うのであるが、入道の思い上がった人品に対しては何とも言えなかった。京からも始終そうした品物が届けられるのである。のどかな初夏の夕月夜に海上が広く明るく見渡される所にいて、源氏はこれを二条の院の月夜の池のように思われた。恋しい紫の女王がいるはずでいてその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路の島であった。「泡とはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。
と歌ってから、源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、はかないふうに弾いていた。惟光たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。源氏は「広陵」という曲を細やかに弾いているのであった。山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。入道も供養法を修していたが、中止することにして、急いで源氏の居間へ来た。
「私は捨てた世の中がまた恋しくなるのではないかと思われますほど、あなた様の琴の音で昔が思い出されます。また死後に参りたいと願っております世界もこんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
入道は泣く泣くほめたたえていた。源氏自身も心に、おりおりの宮中の音楽の催し、その時のだれの琴、だれの笛、歌手を勤めた人の歌いぶり、いろいろ時々につけて自身の芸のもてはやされたこと、帝をはじめとして音楽の天才として周囲から自身に尊敬の寄せられたことなどについての追憶がこもごも起こってきて、今日は見がたい他の人も、不運な自身の今も深く思えば夢のような気ばかりがして、深刻な愁いを感じながら弾いているのであったから、すごい音楽といってよいものであった。老人は涙を流しながら、山手の家から琵琶と十三絃の琴を取り寄せて、入道は琵琶法師然とした姿で、おもしろくて珍しい手を一つ二つ弾いた。十三絃を源氏の前に置くと源氏はそれも少し弾いた。また入道は敬服してしまった。あまり上手がする音楽でなくても場所場所で感じ深く思われることの多いものであるから、これははるかに広い月夜の海を前にして春秋の花紅葉の盛りに劣らないいろいろの木の若葉がそこここに盛り上がっていて、そのまた陰影の地に落ちたところなどに水鶏が戸をたたく音に似た声で鳴いているのもおもしろい庭も控えたこうした所で、優秀な楽器に対していることに源氏は興味を覚えて、
「この十三絃という物は、女が柔らかみをもってあまり定まらないふうに弾いたのが、おもしろくていいのです」
などと言っていた。源氏の意はただおおまかに女ということであったが、入道は訳もなくうれしい言葉を聞きつけたように、笑みながら言う、
「あなた様があそばす以上におもしろい音を出しうるものがどこにございましょう。私は延喜の聖帝から伝わりまして三代目の芸を継いだ者でございますが、不運な私は俗界のこととともに音楽もいったんは捨ててしまったのでございましたが、憂鬱な気分になっております時などに時々弾いておりますのを、聞き覚えて弾きます子供が、どうしたのでございますか私の祖父の親王によく似た音を出します。それは法師の僻耳で、松風の音をそう感じているのかもしれませんが、一度お聞きに入れたいものでございます」
興奮して慄えている入道は涙もこぼしているようである。
「松風が邪魔をしそうな所で、よくそんなにお稽古ができたものですね、うらやましいことですよ」
源氏は琴を前へ押しやりながらまた言葉を続けた。
「不思議に昔から十三絃の琴には女の名手が多いようです。嵯峨帝のお伝えで女五の宮が名人でおありになったそうですが、その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。現在の上手というのは、ただちょっとその場きりな巧みさだけしかないようですが、ほんとうの上手がこんな所に隠されているとはおもしろいことですね。ぜひお嬢さんのを聞かせていただきたいものです」
「お聞きくださいますのに何の御遠慮もいることではございません。おそばへお召しになりましても済むことでございます。潯陽江では商人のためにも名曲をかなでる人があったのでございますから。そのまた琵琶と申す物はやっかいなものでございまして、昔にもあまり琵琶の名人という者はなかったようでございますが、これも宅の娘はかなりすらすらと弾きこなします。品のよい手筋が見えるのでございます。どうしてその域に達しましたか。娘のそうした芸をただ荒い波の音が合奏してくるばかりの所へ置きますことは私として悲しいことに違いございませんが、不快なことのあったりいたします節にはそれを聞いて心の慰めにいたすこともございます」
音楽通の自信があるような入道の言葉を、源氏はおもしろく思って、今度は十三絃を入道に与えて弾かせた。実際入道は玄人らしく弾く。現代では聞けないような手も出てきた。弾く指の運びに唐風が多く混じっているのである。左手でおさえて出す音などはことに深く出される。ここは伊勢の海ではないが「清き渚に貝や拾はん」という催馬楽を美音の者に歌わせて、源氏自身も時々拍子を取り、声を添えることがあると、入道は琴を弾きながらそれをほめていた。珍しいふうに作られた菓子も席上に出て、人々には酒も勧められるのであったから、だれの旅愁も今夜は紛れてしまいそうであった。夜がふけて浜の風が涼しくなった。落ちようとする月が明るくなって、また静かな時に、入道は過去から現在までの身の上話をしだした。明石へ来たころに苦労のあったこと、出家を遂げた経路などを語る。娘のことも問わず語りにする。源氏はおかしくもあるが、さすがに身にしむ節もあるのであった。
「申し上げにくいことではございますが、あなた様が思いがけなくこの土地へ、仮にもせよ移っておいでになることになりましたのは、もしかいたしますと、長年の間老いた法師がお祈りいたしております神や仏が憐みを一家におかけくださいまして、それでしばらくこの僻地へあなた様がおいでになったのではないかと思われます。その理由は住吉の神をお頼み申すことになりまして十八年になるのでございます。女の子の小さい時から私は特別なお願いを起こしまして、毎年の春秋に子供を住吉へ参詣させることにいたしております。また昼夜に六回の仏前のお勤めをいたしますのにも自分の極楽往生はさしおいて私はただこの子によい配偶者を与えたまえと祈っております。私自身は前生の因縁が悪くて、こんな地方人に成り下がっておりましても、親は大臣にもなった人でございます。自分はこの地位に甘んじていましても子はまたこれに準じたほどの者にしかなれませんでは、孫、曾孫の末は何になることであろうと悲しんでおりましたが、この娘は小さい時から親に希望を持たせてくれました。どうかして京の貴人に娶っていただきたいと思います心から、私どもと同じ階級の者の間に反感を買い、敵を作りましたし、つらい目にもあわされましたが、私はそんなことを何とも思っておりません。命のある限りは微力でも親が保護をしよう、結婚をさせないままで親が死ねば海へでも身を投げてしまえと私は遺言がしてございます」
などと書き尽くせないほどのことを泣く泣く言うのであった。源氏も涙ぐみながら聞いていた。
「冤罪のために、思いも寄らぬ国へ漂泊って来ていますことを、前生に犯したどんな罪によってであるかとわからなく思っておりましたが、今晩のお話で考え合わせますと、深い因縁によってのことだったとはじめて気がつかれます。なぜ明瞭にわかっておいでになったあなたが早く言ってくださらなかったのでしょう。京を出ました時から私はもう無常の世が悲しくて、信仰のこと以外には何も思わずに時を送っていましたが、いつかそれが習慣になって、若い男らしい望みも何もなくなっておりました。今お話のようなお嬢さんのいられるということだけは聞いていましたが、罪人にされている私を不吉にお思いになるだろうと思いまして希望もかけなかったのですが、それではお許しくださるのですね、心細い独り住みの心が慰められることでしょう」
などと源氏の言ってくれるのを入道は非常に喜んでいた。
私はまた長い間口へ出してお願いすることができませんで悶々としておりました」
こう言うのに身は慄わせているが、さすがに上品なところはあった。
「寂しいと言ってもあなたはもう法師生活に慣れていらっしゃるのですから」
それから、
戯談まじりに言う、源氏にはまた平生入道の知らない愛嬌が見えた。入道はなおいろいろと娘について言っていたが、読者はうるさいであろうから省いておく。まちがって書けばいっそう非常識な入道に見えるであろうから。
やっと思いがかなった気がして、涼しい心に入道はなっていた。その翌日の昼ごろに源氏は山手の家へ手紙を持たせてやることにした。ある見識をもつ娘らしい、かえってこんなところに意外なすぐれた女がいるのかもしれないからと思って、心づかいをしながら手紙を書いた。朝鮮紙の胡桃色のものへきれいな字で書いた。
こんなものであったようである。人知れずこの音信を待つために山手の家へ来ていた入道は、予期どおりに送られた手紙の使いを大騒ぎしてもてなした。娘は返事を容易に書かなかった。娘の居間へはいって行って勧めても娘は父の言葉を聞き入れない。返事を書くのを恥ずかしくきまり悪く思われるのといっしょに、源氏の身分、自己の身分の比較される悲しみを心に持って、気分が悪いと言って横になってしまった。これ以上勧められなくなって入道は自身で返事を書いた。
それをこんなふうに私は見るのでございます。
とあった。檀紙に古風ではあるが書き方に一つの風格のある字で書かれてあった。なるほど風流気を出したものであると源氏は入道を思い、返事を書かぬ娘には軽い反感が起こった。使いはたいした贈り物を得て来たのである。翌日また源氏は書いた。
と書いて、
今度のは柔らかい薄様へはなやかに書いてやった。若い女がこれを不感覚に見てしまったと思われるのは残念であるが、その人は尊敬してもつりあわぬ女であることを痛切に覚える自分を、さも相手らしく認めて手紙の送られることに涙ぐまれて返事を書く気に娘はならないのを、入道に責められて、香のにおいの沁んだ紫の紙に、字を濃く淡くして紛らすようにして娘は書いた。
手も書き方も京の貴女にあまり劣らないほど上手であった。こんな女の手紙を見ていると京の生活が思い出されて源氏の心は楽しかったが、続いて毎日手紙をやることも人目がうるさかったから、二、三日置きくらいに、寂しい夕方とか、物哀れな気のする夜明けとかに書いてはそっと送っていた。あちらからも返事は来た。相手をするに不足のない思い上がった娘であることがわかってきて、源氏の心は自然惹かれていくのであるが、良清が自身の縄張りの中であるように言っていた女であったから、今眼前横取りする形になることは彼にかわいそうであるとなお躊躇はされた。あちらから積極的な態度をとってくれば良清への責任も少なくなるわけであるからと、そんなことも源氏は期待していたが女のほうは貴女と言われる階級の女以上に思い上がった性質であったから、自分を卑しくして源氏に接近しようなどとは夢にも思わないのである。結局どちらが負けるかわからない。何ほども遠くなってはいないのであるが、ともかくも須磨の関が中にあることになってからは、京の女王がいっそう恋しくて、どうすればいいことであろう、短期間の別れであるとも思って捨てて来たことが残念で、そっとここへ迎えることを実現させてみようかと時々は思うのではあるが、しかしもうこの境遇に置かれていることも先の長いことと思われない今になって、世間体のよろしくないことはやはり忍ぶほうがよいのであるとして、源氏はしいて恋しさをおさえていた。
この年は日本に天変地異ともいうべきことがいくつも現われてきた。三月十三日の雷雨の烈しかった夜、帝の御夢に先帝が清涼殿の階段の所へお立ちになって、非常に御機嫌の悪い顔つきでおにらみになったので、帝がかしこまっておいでになると、先帝からはいろいろの仰せがあった。それは多く源氏のことが申されたらしい。おさめになったあとで帝は恐ろしく思召した。また御子として、他界におわしましてなお御心労を負わせられることが堪えられないことであると悲しく思召した。太后へお話しになると、
「雨などが降って、天気の荒れている夜などというものは、平生神経を悩ましていることが悪夢にもなって見えるものですから、それに動かされたと外へ見えるようなことはなさらないほうがよい。軽々しく思われます」
と母君は申されるのであった。おにらみになる父帝の目と視線をお合わせになったためでか、帝は眼病におかかりになって重くお煩いになることになった。御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、太后の宮でもしておいでになった。また太政大臣が突然亡くなった。もう高齢であったから不思議でもないのであるが、そのことから不穏な空気が世上に醸されていくことにもなったし、太后も何ということなしに寝ついておしまいになって、長く御平癒のことがない。御衰弱が進んでいくことで帝は御心痛をあそばされた。
「私はやはり源氏の君が犯した罪もないのに、官位を剥奪されているようなことは、われわれの上に報いてくることだろうと思います。どうしても本官に復させてやらねばなりません」
このことをたびたび帝は太后へ仰せになるのであった。
「それは世間の非難を招くことですよ。罪を恐れて都を出て行った人を、三年もたたないでお許しになっては天下の識者が何と言うでしょう」
などとお言いになって、太后はあくまでも源氏の復職に賛成をあそばさないままで月日がたち、帝と太后の御病気は依然としておよろしくないのであった。
明石ではまた秋の浦風の烈しく吹く季節になって、源氏もしみじみ独棲みの寂しさを感じるようであった。入道へ娘のことをおりおり言い出す源氏であった。
「目だたぬようにしてこちらの邸へよこさせてはどうですか」
こんなふうに言っていて、自分から娘の住居へ通って行くことなどはあるまじいことのように思っていた。女にはまたそうしたことのできない自尊心があった。田舎の並み並みの家の娘は、仮に来て住んでいる京の人が誘惑すれば、そのまま軽率に情人にもなってしまうのであるが、自身の人格が尊重されてかかったことではないのであるから、そのあとで一生物思いをする女になるようなことはいやである。不つりあいの結婚をありがたいことのように思って、成り立たせようと心配している親たちも、自分が娘でいる間はいろいろな空想も作れていいわけなのであるが、そうなった時から親たちは別なつらい苦しみをするに違いない。源氏が明石に滞留している間だけ、自分は手紙を書きかわす女として許されるということがほんとうの幸福である。長い間噂だけを聞いていて、いつの日にそうした方を隙見することができるだろうと、はるかなことに思っていた方が思いがけなくこの土地へおいでになって、隙見ではあったがお顔を見ることができたし、有名な琴の音を聞くこともかない、日常の御様子も詳しく聞くことができている、その上自分へお心をお語りになるような手紙も来る。もうこれ以上を自分は望みたくない。こんな田舎に生まれた娘にこれだけの幸いのあったのは確かに果報のあった自分と思わなければならないと思っているのであって、源氏の情人になる夢などは見ていないのである。親たちは長い間祈ったことの事実になろうとする時になったことを知りながら、結婚をさせて源氏の愛の得られなかった時はどうだろうと、悲惨な結果も想像されて、どんなりっぱな方であっても、その時は恨めしいことであろうし、悲しいことでもあろう、目に見ることもない仏とか神とかいうものにばかり信頼していたが、それは源氏の心持ちも娘の運命も考えに入れずにしていたことであったなどと、今になって二の足が踏まれ、それについてする煩悶もはなはだしかった。源氏は、
「この秋の季節のうちにお嬢さんの音楽を聞かせてほしいものです。前から期待していたのですから」
などとよく入道に言っていた。入道はそっと婚姻の吉日を暦で調べさせて、まだ心の決まらないように言っている妻を無視して、弟子にも言わずに自身でいろいろと仕度をしていた。そうして娘のいる家の設備を美しく整えた。十三日の月がはなやかに上ったころに、ただ「あたら夜の」(月と花とを同じくば心知られん人に見せばや)とだけ書いた迎えの手紙を浜の館の源氏の所へ持たせてやった。風流がりな男であると思いながら源氏は直衣をきれいに着かえて、夜がふけてから出かけた。よい車も用意されてあったが、目だたせぬために馬で行くのである。惟光などばかりの一人二人の供をつれただけである。山手の家はやや遠く離れていた。途中の入り江の月夜の景色が美しい。紫の女王が源氏の心に恋しかった。この馬に乗ったままで京へ行ってしまいたい気がした。
と独言が出た。山手の家は林泉の美が浜の邸にまさっていた。浜の館は派手に作り、これは幽邃であることを主にしてあった。若い女のいる所としてはきわめて寂しい。こんな所にいては人生のことが皆身にしむことに思えるであろうと源氏は恋人に同情した。三昧堂が近くて、そこで鳴らす鐘の音が松風に響き合って悲しい。岩にはえた松の形が皆よかった。植え込みの中にはあらゆる秋の虫が集まって鳴いているのである。源氏は邸内をしばらくあちらこちらと歩いてみた。娘の住居になっている建物はことによく作られてあった。月のさし込んだ妻戸が少しばかり開かれてある。そこの縁へ上がって、源氏は娘へものを言いかけた。これほどには接近して逢おうとは思わなかった娘であるから、よそよそしくしか答えない。貴族らしく気どる女である。もっとすぐれた身分の女でも今日までこの女に言い送ってあるほどの熱情を見せれば、皆好意を表するものであると過去の経験から教えられている。この女は現在の自分を侮って見ているのではないかなどと、焦慮の中には、こんなことも源氏は思われた。力で勝つことは初めからの本意でもない、女の心を動かすことができずに帰るのは見苦しいとも思う源氏が追い追いに熱してくる言葉などは、明石の浦でされることが少し場所違いでもったいなく思われるものであった。几帳の紐が動いて触れた時に、十三絃の琴の緒が鳴った。それによってさっきまで琴などを弾いていた若い女の美しい室内の生活ぶりが想像されて、源氏はますます熱していく。
「今音が少ししたようですね。琴だけでも私に聞かせてくださいませんか」
とも源氏は言った。
明けぬ夜にやがてまどへる心には何れを夢と分きて語らん
前のは源氏の歌で、あとのは女の答えたものである。ほのかに言う様子は伊勢の御息所にそっくり似た人であった。源氏がそこへはいって来ようなどとは娘の予期しなかったことであったから、それが突然なことでもあって、娘は立って近い一つの部屋へはいってしまった。そしてどうしたのか、戸はまたあけられないようにしてしまった。源氏はしいてはいろうとする気にもなっていなかった。しかし源氏が躊躇したのはほんの一瞬間のことで、結局は行く所まで行ってしまったわけである。女はやや背が高くて、気高い様子の受け取れる人であった。源氏自身の内にたいした衝動も受けていないでこうなったことも、前生の因縁であろうと思うと、そのことで愛が湧いてくるように思われた。源氏から見て近まさりのした恋と言ってよいのである。平生は苦しくばかり思われる秋の長夜もすぐ明けていく気がした。人に知らせたくないと思う心から、誠意のある約束をした源氏は朝にならぬうちに帰った。
その翌日は手紙を送るのに以前よりも人目がはばかられる気もした。源氏の心の鬼からである。入道のほうでも公然のことにはしたくなくて、結婚の第二日の使いも、そのこととして派手に扱うようなことはしなかった。こんなことにも娘の自尊心は傷つけられたようである。それ以後時々源氏は通って行った。少し道程のある所でもあったから、土地の者の目につくことも思って間を置くのであるが、女のほうではあらかじめ愁えていたことが事実になったように取って、煩悶しているのを見ては親の入道も不安になって、極楽の願いも忘れたように、仏勤めは怠けて、源氏の君の通って来ることを大事だと考えている。入道からいえば事が成就しているのであるが、その境地で新しく物思いをしているのが憐れであった。二条の院の女王にこの噂が伝わっては、恋愛問題では嫉妬する価値のあることでないとわかっていても、秘密にしておく自分の態度を恨めしがられては苦しくもあり、気恥ずかしくもあると思っていた源氏が紫夫人をどれほど愛しているかはこれだけでも想像することができるのである。女王も源氏を愛することの深いだけ、他の愛人との関係に不快な色を見せたそのおりおりのことを今思い出して、なぜつまらぬことで恨めしい心にさせたかと、取り返したいくらいにそれを後悔している源氏なのである。新しい恋人は得ても女王へ焦れている心は慰められるものでもなかったから、平生よりもまた情けのこもった手紙を源氏は京へ書いたのであるが、奥に今度のことを書いた。
と書いて、また、
と書き添えた手紙であった。
京の返事は無邪気な可憐なものであったが、それも奥に源氏の告白による感想が書かれてあった。
おおようではあるがくやしいと思う心も確かにかすめて書かれたものであるのを、源氏は哀れに思った。この手紙を手から離しがたくじっとながめていた。この当座幾日は山手の家へ行く気もしなかった。女は長い途絶えを見て、この予感はすでに初めからあったことであると歎いて、この親子の間では最後には海へ身を投げればよいという言葉が以前によく言われたものであるが、いよいよそうしたいほどつらく思った。年取った親たちだけをたよりにして、いつ人並みの娘のような幸福が得られるものとも知れなかった過去は、今に比べて懊悩の片はしも知らない自分だった。世の中のことはこんなに苦しいものなのであろうか、恋愛も結婚も処女の時に考えていたより悲しいものであると、女は心に思いながらも源氏には平静なふうを見せて、不快を買うような言動もしない。源氏の愛は月日とともに深くなっていくのであるが、最愛の夫人が一人京に残っていて、今の女の関係をいろいろに想像すれば恨めしい心が動くことであろうと思われる苦しさから、浜の館のほうで一人寝をする夜のほうが多かった。
源氏はいろいろに絵を描いて、その時々の心を文章にしてつけていった。京の人に訴える気持ちで描いているのである。女王の返辞がこの絵巻から得られる期待で作られているのであった。感傷的な文学および絵画としてすぐれた作品である。どうして心が通じたのか二条の院の女王もものの身にしむ悲しい時々に、同じようにいろいろの絵を描いていた。そしてそれに自身の生活を日記のようにして書いていた。この二つの絵巻の内容は興味の多いものに違いない。
春になったが帝に御悩があって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣の女の承香殿の女御の腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位はお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪させておいて、起用しないことは国家の損失であると思召して、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰が、源氏へ下ることになった。去年から太后も物怪のために病んでおいでになり、そのほか天の諭しめいたことがしきりに起こることでもあったし、祈祷と御精進で一時およろしかった御眼疾もまたこのごろお悪くばかりなっていくことに心細く思召して、七月二十幾日に再度御沙汰があって、京へ帰ることを源氏は命ぜられた。いずれはそうなることと源氏も期していたのではあるが、無常の人生であるから、それがまたどんな変わったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨で帰洛のことの決まったのはうれしいことではあったが、明石の浦を捨てて出ねばならぬことは相当に源氏を苦しませた。入道も当然であると思いながらも、胸に蓋がされたほど悲しい気持ちもするのであったが、源氏が都合よく栄えねば自分のかねての理想は実現されないのであるからと思い直した。
その時分は毎夜山手の家へ通う源氏であった。今年の六月ごろから女は妊娠していた。別離の近づくことによってあやにくなと言ってもよいように源氏は女を深く好きになった。どこまでも恋の苦から離れられない自分なのであろうと源氏は煩悶していた。女はもとより思い乱れていた。もっともなことである。思いがけぬ旅に京は捨ててもまた帰る日のないことなどは源氏の思わなかったことであった。慰める所がそれにはあった。今度は幸福な都へ帰るのであって、この土地との縁はこれで終わると見ねばならないと思うと、源氏は物哀れでならなかった。侍臣たちにも幸運は分かたれていて、だれもおどる心を持っていた。京の迎えの人たちもその日からすぐに下って来た者が多数にあって、それらも皆人生が楽しくばかり思われるふうであるのに、主人の入道だけは泣いてばかりいた。そして七月が八月になった。色の身にしむ秋の空をながめて、自分は今も昔も恋愛のために絶えない苦を負わされる、思い死にもしなければならないようにと源氏は思い悶えていた。女との関係を知っている者は、
「反感が起こるよ。例のお癖だね」
と言って、困ったことだと思っていた。源氏が長い間この関係を秘密にしていて、人目を紛らして通っていたことが近ごろになって人々にわかったのであったから、
「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」
とも言ったりした。少納言がよく話していた女であるともその連中が言っていた時、良清は少しくやしかった。
出発が明後日に近づいた夜、いつもよりは早く山手の家へ源氏は出かけた。まだはっきりとは今日までよく見なかった女は、貴女らしい気高い様子が見えて、この身分にふさわしくない端麗さが備わっていた。捨てて行きがたい気がして、源氏はなんらかの形式で京へ迎えようという気になったのであった。そんなふうに言って女を慰めていた。女からもつくづくと源氏の見られるのも今夜がはじめてであった。長い苦労のあとは源氏の顔に痩せが見えるのであるが、それがまた言いようもなく艶であった。あふれるような愛を持って、涙ぐみながら将来の約束を女にする源氏を見ては、これだけの幸福をうければもうこの上を願わないであきらめることもできるはずであると思われるのであるが、女は源氏が美しければ美しいだけ自身の価値の低さが思われて悲しいのであった。秋風の中で聞く時にことに寂しい波の音がする。塩を焼く煙がうっすり空の前に浮かんでいて、感傷的にならざるをえない風景がそこにはあった。
と源氏が言うと、
とだけ言って、可憐なふうに泣いていて多くは言わないのであるが、源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。源氏が始終聞きたく思っていた琴を今日まで女の弾こうとしなかったことを言って源氏は恨んだ。
「ではあとであなたに思い出してもらうために私も弾くことにしよう」
と源氏は、京から持って来た琴を浜の家へ取りにやって、すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。入道は感動して、娘へも促すように自身で十三絃の琴を几帳の中へ差し入れた。女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。きわめて上手である。入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、弾き手の美しさも目に髣髴と描かれる点などが非常な名手と思われる点である。これはあくまでも澄み切った芸で、真の音楽として批判すれば一段上の技倆があるとも言えると、こんなふうに源氏は思った。源氏のような音楽の天才である人が、はじめて味わう妙味であると思うような手もあった。飽満するまでには聞かせずにやめてしまったのであるが、源氏はなぜ今日までにしいても弾かせなかったかと残念でならない。熱情をこめた言葉で源氏はいろいろに将来を誓った。
「この琴はまた二人で合わせて弾く日まで形見にあげておきましょう」
と源氏が琴のことを言うと、女は、
言うともなくこう言うのを、源氏は恨んで、
と言ったが、なおこの琴の調子が狂わない間に必ず逢おうとも言いなだめていた。信頼はしていても目の前の別れがただただ女には悲しいのである。もっともなことと言わねばならない。
もう出立の朝になって、しかも迎えの人たちもおおぜい来ている騒ぎの中に、時間と人目を盗んで源氏は女へ書き送った。
返事、
これは実感そのまま書いただけの歌であるが、手紙をながめている源氏はほろほろと涙をこぼしていた。女の関係を知らない人々はこんな住居も、一年以上いられて別れて行く時は名残があれほど惜しまれるものなのであろうと単純に同情していた。良清などはよほどお気に入った女なのであろうと憎く思った。侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、今日限りに立って行く明石の浦との別れに湿っぽい歌を作りもしていたが、それは省いておく。
出立の日の饗応を入道は派手に設けた。全体の人へ餞別にりっぱな旅装一揃いずつを出すこともした。いつの間にこの用意がされたのであるかと驚くばかりであった。源氏の衣服はもとより質を精選して調製してあった。幾個かの衣櫃が列に加わって行くことになっているのである。今日着て行く狩衣の一所に女の歌が、
と書かれてあるのを見つけて、立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。
というのである。
「せっかくよこしたのだから」
と言いながらそれに着かえた。今まで着ていた衣服は女の所へやった。思い出させる恋の技巧というものである。自身のにおいの沁んだ着物がどれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
「もう捨てました世の中ですが、今日のお送りのできませんことだけは残念です」
などと言っている入道が、両手で涙を隠しているのがかわいそうであると源氏は思ったが、他の若い人たちの目にはおかしかったに違いない。
子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」
と入道は言ってから、
「出すぎた申し分でございますが、思い出しておやりくださいます時がございましたら御音信をいただかせてくださいませ」
などと頼んだ。悲しそうで目のあたりの赤くなっている源氏の顔が美しかった。
「私には当然の義務であることもあるのですから、決して不人情な者でないとすぐにまたよく思っていただくような日もあるでしょう。私はただこの家と離れることが名残惜しくてならない、どうすればいいことなんだか」
と言って、
と涙を袖で源氏は拭っていた。これを見ると入道は気も遠くなったように萎れてしまった。それきり起居もよろよろとするふうである。明石の君の心は悲しみに満たされていた。外へは現わすまいとするのであるが、自身の薄倖であることが悲しみの根本になっていて、捨てて行く恨めしい源氏がまた恋しい面影になって見えるせつなさは、泣いて僅かに洩らすほかはどうしようもない。母の夫人もなだめかねていた。
「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたろう。固意地な方の言いなりに私までもがついて行ったのがまちがいだった」
と夫人は歎息していた。
「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。ああ苦しいことが起こってきた」
入道はこう妻と娘に言ったままで、室の片隅に寄っていた。妻と乳母とが口々に入道を批難した。
「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。最初の御結婚で」
こう言って歎く人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、夜は起き出して行く。
「数珠の置き所も知れなくしてしまった」
と両手を擦り合わせて絶望的な歎息をしているのであった。弟子たちに批難されては月夜に出て御堂の行道をするが池に落ちてしまう。風流に作った庭の岩角に腰をおろしそこねて怪我をした時には、その痛みのある間だけ煩悶をせずにいた。
源氏は浪速に船を着けて、そこで祓いをした。住吉の神へも無事に帰洛の日の来た報告をして、幾つかの願を実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣しなかった。途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
二条の院へ着いた一行の人々と京にいた人々は夢心地で逢い、夢心地で話が取りかわされた。喜び泣きの声も騒がしい二条の院であった。紫夫人も生きがいなく思っていた命が、今日まであって、源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。美しかった人のさらに完成された姿を二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、源氏の心の落ち着いたのとともに、またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。源氏は夫人に明石の君のことを話した。女王はどう感じたか、恨みを言うともなしに「身をば思はず」(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)などとはかなそうに言っているのを、美しいとも可憐であるとも源氏は思った。見ても見ても見飽かぬこの人と別れ別れにいるようなことは何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。
間もなく源氏は本官に復した上、権大納言も兼ねる辞令を得た。侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。
お召しがあって源氏は参内した。お常御殿に上がると、源氏のさらに美しくなった姿をあれで田舎住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。帝も源氏にお逢いになるのを晴れがましく思召されて、お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。ずっと御病気でおありになったために、衰弱が御見えになるのであるが、昨今になって陛下の御気分はおよろしかった。しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。十五夜の月の美しく静かなもとで昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。お心細い御様子である。
「音楽をやらせることも近ごろはない。あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」
と仰せられた時、
と源氏が申し上げると、帝は兄君らしい憐みと、君主としての過失をみずからお認めになる情を優しくお見せになって、
と仰せられた。艶な御様子であった。
源氏は院の御為に法華経の八講を行なう準備をさせていた。
東宮にお目にかかると、ずっとお身大きくなっておいでになって、珍しい源氏の出仕をお喜びになるのを、限りもなくおかわいそうに源氏は思った。学問もよくおできになって、御位におつきになってもさしつかえはないと思われるほど御聡明であることがうかがわれた。少し日がたって気の落ち着いたころに御訪問した入道の宮ででも、感慨無量な御会談があったはずである。
源氏は明石から送って来た使いに手紙を持たせて帰した。夫人にはばかりながらこまやかな情を女に書き送ったのである。
こんな内容であった。
大弐の娘の五節は、一人でしていた心の苦も解消したように喜んで、どこからとも言わせない使いを出して、二条の院へ歌を置かせた。
字は以前よりずっと上手になっているが、五節に違いないと源氏は思って返事を送った。
源氏はずいぶん好きであった女であるから、誘いかけた手紙を見ては訪ねたい気がしきりにするのであるが、当分は不謹慎なこともできないように思われた。花散里などへも手紙を送るだけで、逢いには行こうとしないのであったから、かえって京に源氏のいなかったころよりも寂しく思っていた。
澪標
須磨の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提を早く弔いたいと仕度をしていた。そして十月に法華経の八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜しく思召すのであったが、帝は院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。
帝は近く御遜位の思召しがあるのであるが、尚侍がたよりないふうに見えるのを憐れに思召した。
「大臣は亡くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
帝は泣いておいでになった。羞恥に頬を染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌がこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまたその悦びをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖な女だからであるとも悲しんでいた。
翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御大人らしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。
「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
と帝はお慰めになったのであった。東宮には承香殿の女御のお生みした皇子がお立ちになった。
すべてのことに新しい御代の光の見える日になった。見聞きする眼に耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがっていたからである。そして摂政にこの人がなることも当然のことと思われていたが、
「私はそんな忙しい職に堪えられない」
と言って、致仕の左大臣に摂政を譲った。
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてしまったし、そうした重任に当たることなどはだめです」
と大臣は言って引き受けない。
「支那でも政界の混沌としている時代は退いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴することはさしつかえがありませんよ」
と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童として出入りしているのである。源氏の葵夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によく訪ねて行った。若君の乳母そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く酬いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務とかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫が分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。二条の院の東に隣った邸は院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里などという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。
源氏は明石の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
という報せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。源氏の運勢を占って、子は三人で、帝と后が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座の栄誉を希わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。后が一人自分から生まれるということに明石の報せが符合することから、住吉の神の庇護によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。明石のような田舎に相当な乳母がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨という女の娘で父は宮内卿宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴くことの交渉を始めさせた。この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい荒ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでから焦れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
「御意のとおりにいたします」
と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば馴れてしまうよ」
と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌が衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木なども繁りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談を言ったりするのにもおもしろい相手であった。
「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
いっしょに行こうかね」
と源氏が言うと、女は笑って、
と冷やかしもした。
京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母は送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返し誡めてあった。
こんな歌も送ったのである。摂津の国境までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、
「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」
とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
と女王は怨んだ。
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度して恨んでいるから私としては悲しくなる」
と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
とその話を続けずに、
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
などと子の母について語った。別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌の批評、名手らしい琴の弾きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、仮にもせよ良人は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言のようにこう言ってから、
「何ですって、情けないじゃありませんか、
そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永く幸福でいたいためじゃないのですか」
源氏は十三絃の掻き合わせをして、弾けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
五月の五日が五十日の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎で父のいぬ場所で生まれるとは憐れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、后の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。五十日のために源氏は明石へ使いを出した。
「ぜひ当日着くようにして行け」
と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。
という手紙であった。入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。明石でも式の用意は派手にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母も明石の君の優しい気質に馴染んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の女もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに磨り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱れるために田舎下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。返事は、
というので、信頼した心持ちが現われていた。何度も同じ手紙を見返しながら、
「かわいそうだ」
と長く声を引いて独言を言っているのを、夫人は横目にながめて、「浦より遠に漕ぐ船の」(我をば他に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
こんなふうに紫の女王の機嫌を取ることにばかり追われて、花散里を訪ねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈さもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟も与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心の湧き立つこともないのであった。
五月雨のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇であったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を歎く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内はいよいよ荒れて、すごいような広い住居であった。姉の女御の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。朧ろな月のさし込む戸口から艶な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏が近くで鳴くのを聞いて、
なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。どの人にも自身を惹く力のあるのを知って源氏は苦しかった。
私は安心していられない」
とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守の間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
と恨みともなしにおおように言っているのが可憐であった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。こんな機会がまた作られたならば、大弐の五節に逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
源氏は今も尚侍を恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、また危いこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。
院は暢気におなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御も更衣も御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御寵愛があったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。源氏の現在の宿直所もやはり昔の桐壺であって、梨壺に東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。
入道の宮をまた新たに御母后の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召して、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、お出になりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。兵部卿親王は源氏の官位剥奪時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度であった。兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事にお傅ずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。
この秋に源氏は住吉詣でをした。須磨、明石で立てた願を神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。ちょうどこの日であった、明石の君が毎年の例で参詣するのを、去年もこの春も障りがあって果たすことのできなかった謝罪も兼ねて、船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列の者もきれいな男を選んであった。
「どなたの御参詣なのですか」
と船の者が陸へ聞くと、
「おや、内大臣様の御願はたしの御参詣を知らない人もあるね」
供男階級の者もこう得意そうに言う。何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い自分は何も知らずに来て恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。深い緑の松原の中に花紅葉が撒かれたように見えるのは袍のいろいろであった。赤袍は五位、浅葱は六位であるが、同じ六位も蔵人は青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞は靫負になって、随身をつれた派手な蔵人になって来ていた。良清も同じ靫負佐になってはなやかな赤袍の一人であった。明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬や鞍にまで華奢を尽くしている一行は、田舎の見物人の目を楽しませた。源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原の左大臣の例で童形の儀仗の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつを揃えの衣裳にした幾班かの馬添い童がつけられてある。最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社に向いて子のために念じていた。
摂津守が出て来て一行を饗応した。普通の大臣の参詣を扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。明石の君はますます自分がみじめに見えた。
こんな時に自分などが貧弱な御幣を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速のほうへ船をまわして、そこで祓いでもするほうがよいと思って、明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。惟光などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光が言った。
源氏もそう思っていた。
確かに私は霊験を見た人だ」
と言う様子も美しい。こちらの派手な参詣ぶりに畏縮して明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で憐んでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。淀川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、「今はた同じ浪速なる」(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖さばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。
田蓑島での祓いの木綿につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。夕方の満潮時で、海べにいる鶴も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。
と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を漕がせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑した。
明石の君は源氏の一行が浪速を立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣を奉った。その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、人数でない身の上を歎き暮らしていた。もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちにまで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって女は苦しんでいた。入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多くなったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京はできないという返事をした。
この御代になった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所は伊勢から帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。斎宮がどんなにりっぱな貴女になっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命が惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
などと源氏が言うと、
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
御息所はこう言った。意外な忖度までもするものであると思ったが源氏はまた、
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影が病牀の几帳をとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の綻びからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の垂れ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。髪のかかりよう、頭の形などに気高い美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
と言いながら、源氏が牀をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
「長くおいでくださいましては物怪の来ている所でございますからお危うございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召されましたとおりに私も思いまして、兄弟として睦まじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々行った。そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図を下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
と女別当を出してお言わせになった。
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を睦まじい者と思召してくださいましたら幸せです」
と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。
源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾を下ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母などから、
「もったいないことでございますから」
と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙となり、また白く雪になるような荒日和に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。宮は返事を書きにくく思召したのであるが、
「われわれから御挨拶をいたしますのは失礼でございますから」
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香のにおいを染ませた艶なのへ、目だたぬような書き方にして、
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。女別当、内侍、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明であったのであろう。自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所の女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと下の六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母たちに、
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもし諫め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿の儀式に、この世の人とも思われぬ美貌を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐で、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
「お母様の御息所はきわめて聡明な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、亡くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御が侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのに随わせていただこうと思います」
と言うと、
「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。夫人にその考えを言って、
「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
と語ったので、女王も喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。入道の宮は兵部卿の宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。中納言の姫君は弘徽殿の女御と呼ばれていた。太政大臣の猶子になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
「兵部卿の宮の中姫君も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりお雛様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」
と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、永くはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。
蓬生
源氏が須磨、明石に漂泊っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳も季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発した際のこともよそに想像するだけであった女性たち、無視して行かれた恋人たちがそれであった。常陸の宮の末摘花は、父君がおかくれになってから、だれも保護する人のない心細い境遇であったのを、思いがけず生じた源氏との関係から、それ以来物質的に補助されることになって、源氏の富からいえば物の数でもない情けをかけていたにすぎないのであったが、受けるほうの貧しい女王一家のためには、盥へ星が映ってきたほどの望外の幸福になって、生活苦から救われて幾年かを来たのであるが、あの事変後の源氏は、いっさい世の中がいやになって、恋愛というほどのものでもなかった女性との関係は心から消しもし、消えもしたふうで、遠くへ立ってからははるばると手紙を送るようなこともしなかった。まだ源氏から恵まれた物があってしばらくは泣く泣くも前の生活を続けることができたのであるが、次の年になり、また次の年になりするうちにはまったく底なしの貧しい身の上になってしまった。古くからいた女房たちなどは、
「ほんとうに運の悪い方ですよ。思いがけなく神か仏の出現なすったような親切をお見せになる方ができて、人というものはどこに幸運があるかわからないなどと、私たちはありがたく思ったのですがね、人生というものは移り変わりがあるものだといっても、またまたこんな頼りない御身分になっておしまいになるって、悲しゅうございますね、世の中は」
と歎くのであった。昔は長い貧しい生活に慣れてしまって、だれにもあきらめができていたのであるが、中で一度源氏の保護が加わって、世間並みの暮らしができたことによって、今の苦痛はいっそう烈しいものに感ぜられた。よかった時代に昔から縁故のある女房ははじめてここに皆居つくことにもなって、数が多くなっていたのも、またちりぢりにほかへ行ってしまった。そしてまた老衰して死ぬ女もあって、月日とともに上から下まで召使の数が少なくなっていく。もとから荒廃していた邸はいっそう狐の巣のようになった。気味悪く大きくなった木立ちになく梟の声を毎日邸の人は聞いていた。人が多ければそうしたものは影も見せない木精などという怪しいものも次第に形を顕わしてきたりする不快なことが数しらずあるのである。まだ少しばかり残っている女房は、
「これではしようがございません。近ごろは地方官などがよい邸を自慢に造りますが、こちらのお庭の木などに目をつけて、お売りになりませんかなどと近所の者から言わせてまいりますが、そうあそばして、こんな怖しい所はお捨てになってほかへお移りなさいましよ。いつまでも残っております私たちだってたまりませんから」
などと女主人に勧めるのであったが、
「そんなことをしてはたいへんよ。世間体もあります。私が生きている間は邸を人手に渡すなどということはできるものでない。こんなに恐い気がするほど荒れていても、お父様の魂が残っていると思う点で、私はあちこちをながめても心が慰むのだからね」
女王は泣きながらこう言って、女房たちの進言を思いも寄らぬことにしていた。手道具なども昔の品の使い慣らしたりっぱな物のあるのを、生物識りの骨董好きの人が、だれに製作させた物、某の傑作があると聞いて、譲り受けたいと、想像のできる貧乏さを軽蔑して申し込んでくるのを、例のように女房たちは、
「しかたのないことでございますよ。困れば道具をお手放しになるのは」
と言って、それを金にかえて目前の窮迫から救われようとする時があると、末摘花は頑強にそれを拒む。
「私が見るようにと思って作らせておいてくだすったに違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心持ちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」
ただ少しの助力でもしようとする人をも持たない女王であった。兄の禅師だけは稀に山から京へ出た時に訪ねて来るが、その人も昔風な人で、同じ僧といっても生活する能力が全然ない、脱俗したとほめて言えば言えるような男であったから、庭の雑草を払わせればきれいになるものとも気がつかない。浅茅は庭の表も見えぬほど茂って、蓬は軒の高さに達するほど、葎は西門、東門を閉じてしまったというと用心がよくなったようにも聞こえるが、くずれた土塀は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来た。八月に野分の風が強かった年以来廊などは倒れたままになり、下屋の板葺きの建物のほうはわずかに骨が残っているだけ、下男などのそこにとどまっている者はない。廚の煙が立たないでなお生きた人が住んでいるという悲しい邸である。盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに愛想をつかせて、ここだけは素通りにしてやって来なかったから、こんな野良藪のような邸の中で、寝殿だけは昔通りの飾りつけがしてあった。しかしきれいに掃除をしようとするような心がけの人もない。埃は積もってもあるべき物の数だけはそろった座敷に末摘花は暮らしていた。古い歌集を読んだり、小説を見たりすることでつれづれが慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んで行けるのであるが、末摘花はそんな趣味も持っていない。それは必ずしもよいことではないが、暇な女性の間で友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮が大事にお扱いになった時と同じ心持ちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人を持っていないのである。親戚関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬ所にうかがわれもするのである。古くさい書物棚から、唐守、藐姑射の刀自、赫耶姫物語などを絵に描いた物を引き出して退屈しのぎにしていた。古歌などもよい作を選って、端書きも作者の名も書き抜いて置いて見るのがおもしろいのであるが、この人は古紙屋紙とか、檀紙とかの湿り気を含んで厚くなった物などへ、だれもの知っている新味などは微塵もないようなものの書き抜いてしまってあるのを、物思いのつのった時などには出して拡げていた。今の婦人がだれもするように経を読んだり仏勤めをしたりすることは生意気だと思うのかだれも見る人はないのであるが、数珠を持つようなことは絶対にない。こんなふうに末摘花は古典的であった。
侍従という乳母の娘などは、主家を離れないで残っている女房の一人であったが、以前から半分ずつは勤めに出ていた斎院がお亡くれになってからは、侍従もしかたなしに女王の母君の妹で、その人だけが身分違いの地方官の妻になっている人があって、娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていた所であるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、叔母ともあまり交際をしなかった。
「お姉様は私を軽蔑なすって、私のいることを不名誉にしていらっしゃったから、姫君が気の毒な一人ぼっちでも私は世話をしてあげないのだよ」
などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙を持たせてよこした。初めから地方官級の家に生まれた人は、貴族をまねて、思想的にも思い上がった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいって行く運命を生まれながらに持っていたものか、卑しい性格の叔母君であった。自身が、家門の顔汚しのように思われていた昔の腹いせに、常陸の宮の女王を自身の娘たちの女房にしてやりたい、昔風なところはあるが気だてのよい後見役ができるであろうとこんなことを思って、
と言って来た。これを実現させようと叔母は侍従にも促すのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただ恥ずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母のほうではくやしく思っていた。そのうちに叔母の良人が九州の大弐に任命された。娘たちをそれぞれ結婚させておいて、夫婦で任地へ立とうとする時にもまだ叔母は女王を伴って行きたがって、
「遠方へ行くことになりますと、あなたが心細い暮らしをしておいでになるのを捨てておくことが気になってなりません。ただ今までもお構いはしませんでしたが、近い所にいるうちはいつでもお力になれる自信がありましたので」
と体裁よく言づてて誘いかけるのも、女王が聞き入れないから、
「まあ憎らしい。いばっていらっしゃる。自分だけはえらいつもりでも、あの藪の中の人を大将さんだって奥様らしくは扱ってくださらないだろう」
と言ってののしった。そのうちに源氏宥免の宣旨が下り、帰京の段になると、忠実に待っていた志操の堅さをだれよりも先に認められようとする男女に、それぞれ有形無形の代償を喜んで源氏の払った時期にも、末摘花だけは思い出されることもなくて幾月かがそのうちたった。もう何の望みもかけられない。長い間不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮らしたものであるのに、賤しい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいる時にも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか、源氏が京から追われた時には自分一人の不幸のように悲しんだが、この世はこんな不公平なものであるのかと思って末摘花は恨めしく苦しく切なく一人で泣いてばかりいた。
大弐の夫人は、私の言ったとおりじゃないか。どうしてあんな見る影もない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃった時と同じように思い上がっているのだから始末が悪いなどと思っていっそう軽蔑的に末摘花を見た。
「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなる時には、人は進んでも旅へ出るではありませんか。田舎とはいやな所のようにお思いになるかしりませんが、私は受け合ってあなたを楽しくさせます」
口前よく熱心に同行を促すと、貧乏に飽いた女房などは、
「そうなればいいのに、何のたのむ所もない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」
と言って、末摘花を批難した。侍従も大弐の甥のような男の愛人になっていて、京へ残ることもできない立場から、その意志でもなく女王のもとを去って九州行きをすることになっていた。
「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんからいらっしゃいませ」
と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏を頼みにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変わっていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう、風の便りででも自分の哀れな生活が源氏の耳にはいればきっと救ってくれるに違いないと、これはずっと以前から女王の信じているところであって、邸も家も昔に倍した荒廃のしかたではあるが、部屋の中の道具類をそこばくの金に変えていくようなことは、源氏の来た時に不都合であるからと忍耐を続けているのである。気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている仙人とも言ってよい奇怪な物に見えて、異性の興味を惹く価値などはない。気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。
冬にはいればはいるほど頼りなさはひどくなって、悲しく物思いばかりして暮らす女王だった。源氏のほうでは故院のための盛んな八講を催して、世間がそれに湧き立っていた。僧などは平凡な者を呼ばずに学問と徳行のすぐれたのを選んで招じたその物事に、女王の兄の禅師も出た帰りに妹君を訪ねて来た。
「源大納言さんの八講に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の化身だろう、五濁の世にどうして生まれておいでになったろう」
こんな話をして禅師はすぐに帰った。普通の兄弟のようには話し合わない二人であるから、生活苦も末摘花は訴えることができないのである。それにしてもこの不幸なみじめな女を捨てて置くというのは、情けない仏様であると末摘花は恨めしかった。こんな気のした時から、自分はもう顧みられる望みがないのだろうとようやく思うようになった。
そんなころであるが大弐の夫人が突然訪ねて来た。平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳なども持って、よい車に乗って来た得意な顔の夫人がにわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせている時から目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立て直したりする騒ぎである。この草の中にもどこかに三つだけの道はついているはずであると皆が捜した。そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。
きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。煤けた几帳を押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌は以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお訪ねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお家でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
とだけ末摘花は言う。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台にもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿の宮の姫君のほかはだれも嫌いになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。しかも九州行きを肯うふうは微塵もない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残を惜しむ間もなくて、泣く泣く女王に、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召さないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
と言う。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に酬いる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香一壺をそれにつけて侍従へ贈った。
死んだ乳母が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。
「乳母が申し上げましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長い間苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁に引かれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」
と言って、また、
命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」
などとも言う。
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
と大弐夫人に小言を言われて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてあとばかりが顧みられた。困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」
こんなことを言って、ほかへ勤める手蔓を捜し始めて、ここを出る決心をしたらしいことを言い合うのを聞くことも末摘花の身にはつらいことであった。十一月になると雪や霙の日が多くなって、ほかの所では消えている間があっても、ここでは丈の高い枯れた雑草の蔭などに深く積もったものは量が高くなるばかりで越の白山をそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中につれづれな日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜の塵のかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、常陸の宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心に上らないことはなかったが、捜し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。四月ごろに花散里を訪ねて見たくなって夫人の了解を得てから源氏は二条の院を出た。幾日か続いた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出される艶な夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のような邸の前に来た。高い松に藤がかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。橘とはまた違った感じのする花の香に心が惹かれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀のない自由さに乱れ合っていた。見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の惟光はこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
「ここは常陸の宮だったね」
「さようでございます」
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」
と源氏は言った。
末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも名残の思いにとらわれて、悲しみながら雨の洩って濡れた廂の室の端のほうを拭かせたり部屋の中を片づけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。
こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。
惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分は往き返りにこの邸は見るが、人の住んでいる所とは思われなかったのだからと思って惟光が足を返そうとする時に、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子を二間ほど上げて、そこの御簾は人ありげに動いていた。これが目にはいった刹那は恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしく咳を先に立てて答える女があった。
「いらっしゃったのはどなたですか」
惟光は自分の名を告げてから、
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
と言った。
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。狩衣姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものを言うのであったから、あるいは狐か何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」
と言うと、女たちは笑い出した。
「変わっていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。御推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申し上げてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて今日までお待ちになったのでございますよ」
女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、
「いやわかりました。ともかくそう申し上げます」
と言い残して出て来た。
「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔の路を見いだせない蓬原になっているね」
源氏に問われて惟光は初めからの報告をするのであった。
「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の叔母で少将とか申しました老人が昔の声で話しました」
惟光はなお目に見た邸内の様子をくわしく言う。源氏は非常に哀れに思った。この廃邸じみた家に、どんな気持ちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、源氏は自分ながらも冷酷であったと省みられるのであった。
「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることも近ごろは容易でないのだから、この機会でなくては訪ねられないだろう。すべてのことを綜合して考えてみても昔のままに独身でいる想像のつく人だ」
と源氏は言いながらも、この邸へはいって行くことにはなお躊躇がされた。この実感からよい歌を詠んでまず贈りたい気のする場合であるが、機敏に返歌のできないことも昔のままであったなら、待たされる使いがどんなに迷惑をするかしれないと思ってそれはやめることにした。惟光も源氏がすぐにはいって行くことは不可能だと思った。
「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。蓬を少し払わせましてからおいでになりましたら」
この惟光の言葉を聞いて、源氏は、
と口ずさんだが、やはり車からすぐに下りてしまった。惟光は草の露を馬の鞭で払いながら案内した。木の枝から散る雫も秋の時雨のように荒く降るので、傘を源氏にさしかけさせた。惟光が、
「木の下露は雨にまされり(みさぶらひ御笠と申せ宮城野の)でございます」
と言う。源氏の指貫の裾はひどく濡れた。昔でさえあるかないかであった中門などは影もなくなっている。家の中へはいるのもむき出しな気のすることであったが、だれも人は見ていなかった。
女王は望みをかけて来たことの事実になったことはうれしかったが、りっぱな姿の源氏に見られる自分を恥ずかしく思った。大弐の夫人の贈った衣服はそれまで、いやな気がしてよく見ようともしなかったのを、女房らが香を入れる唐櫃にしまって置いたからよい香のついたのに、その人々からしかたなしに着かえさせられて、煤けた几帳を引き寄せてすわっていた。源氏は座に着いてから言った。
「長くお逢いしないでも、私の心だけは変わらずにあなたを思っていたのですが、何ともあなたが言ってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡を装っていたのですよ。しかし、三輪の杉ではないが、この前の木立ちを目に見ると素通りができなくてね、私から負けて出ることにしましたよ」
几帳の垂れ絹を少し手であけて見ると、女王は例のようにただ恥ずかしそうにすわっていて、すぐに返辞はようしない。こんな住居にまで訪ねて来た源氏の志の身にしむことによってやっと力づいて何かを少し言った。
「こんな草原の中で、ほかの望みも起こさずに待っていてくだすったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたの近ごろの心持ちもよく聞かないままで、自分の愛から推して、愛を持っていてくださると信じて訪ねて来た私を何と思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、その時は世の中の事情が悪かったのだと思って許してくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、その時は私が十分に責任を負いますよ」
などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏は言った。泊まって行くこともこの家の様子と自身とが調和の取れないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔に比べて高くなった木を見ても、年月の長い隔たりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思い比べられもした。
数えてみればずいぶん長い月日になることでしょうね。物哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったかという辛苦の跡も、私でなくては聞かせる人がないでしょう。とまちがいかもしれぬが私は信じているのですよ」
などと源氏が言うと、
と低い声で女王は言った。身じろぎに知れる姿も、袖に含んだにおいも昔よりは感じよくなった気がすると源氏は思った。落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさしてきて、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、廂の板もすっかり取れた家であるから、明るく室内が見渡された。昔のままに飾りつけのそろっていることは、忍ぶ草のおい茂った外見よりも風流に見えるのであった。昔の小説に親の作った堂を毀った話もあるが、これは親のしたままを長く保っていく人として心の惹かれるところがあると源氏は思った。この人の差恥心の多いところもさすがに貴女であるとうなずかれて、この人を一生風変わりな愛人と思おうとした考えも、いろいろなことに紛れて忘れてしまっていたころ、この人はどんなに恨めしく思ったであろうと哀れに思われた。ここを出てから源氏の訪ねて行った花散里も、美しい派手な女というのではなかったから、末摘花の醜さも比較して考えられることがなく済んだのであろうと思われる。
賀茂祭り、斎院の御禊などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図をして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬を刈らせ、応急に土塀の代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条の院のほうを向いて拝んでいた。一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色の備わった女性には興味を持って熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれた所のない末摘花をなぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのであろう。これも前生の因縁ごとであるに違いない。もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使が、われもわれもと再勤を願って来た。善良さは稀に見るほどの女性である末摘花のもとに使われて、気楽に暮らした女房たちが、ただの地方官の家などに雇われて、気まずいことの多いのにあきれて帰って来る者もある。見えすいたような追従も皆言ってくる。昔よりいっそう強い勢力を得ている源氏は、思いやりも深くなった今の心から、扶け起こそうとしている女王の家は、人影もにぎやかに見えてきて、繁りほうだいですごいものに見えた木や草も整理されて、流れに水の通るようになり、立ち木や草の姿も優美に清い感じのするものになっていった。職を欲しがっている下家司級の人は、源氏が一人の夫人の家として世話をやく様子を見て、仕えたいと申し込んで来て、宮家に執事もできた。
末摘花は二年ほどこの家にいて、のちには東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮らすようなことはめったになかったのであるが、近い所であったから、ほかの用で来た時に話して行くようなことくらいはよくして、軽蔑した扱いは少しもしなかったのである。大弐の夫人が帰京した時に、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ち切れずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。
関屋
以前の伊予介は院がお崩れになった翌年常陸介になって任地へ下ったので、昔の帚木もつれて行った。源氏が須磨へ引きこもった噂も、遠い国で聞いて、悲しく思いやらないのではなかったが、音信をする便すらなくて、筑波おろしに落ち着かぬ心を抱きながら消息の絶えた年月を空蝉は重ねたのである。限定された国司の任期とは違って、いつを限りとも予想されなかった源氏の放浪の旅も終わって、帰京した翌年の秋に常陸介は国を立って来た。一行が逢坂の関を越えようとする日は、偶然にも源氏が石山寺へ願ほどきに参詣する日であった。京から以前紀伊守であった息子その他の人が迎えに来ていて源氏の石山詣でを告げた。途中が混雑するであろうから、こちらは早く逢坂山を越えておこうとして、常陸介は夜明けに近江の宿を立って道を急いだのであるが、女車が多くてはかがゆかない。打出の浜を来るころに、源氏はもう粟田山を越えたということで、前駆を勤めている者が無数に東へ向かって来た。道を譲るくらいでは済まない人数なのであったから、関山で常陸の一行は皆下馬してしまって、あちらこちらの杉の下に車などを舁ぎおろして、木の間にかしこまりながら源氏の通過を目送しようとした。女車も一部分はあとへ残し、一部分は先へやりなどしてあったのであるが、なおそれでも族類の多い派手な地方長官の一門と見えた。そこには十台ほどの車があって、外に出した袖の色の好みは田舎びずにきれいであった。斎宮の下向の日に出る物見車が思われた。源氏の光がまた発揮される時代になっていて、希望して来た多数の随従者は常陸の一行に皆目を留めて過ぎた。九月の三十日であったから、山の紅葉は濃く淡く紅を重ねた間に、霜枯れの草の黄が混じって見渡される逢坂山の関の口から、またさっと一度に出て来た襖姿の侍たちの旅装の厚織物やくくり染めなどは一種の美をなしていた。源氏の車は簾がおろされていた。今は右衛門佐になっている昔の小君を近くへ呼んで、
「今日こうして関迎えをした私を姉さんは無関心にも見まいね」
などと言った。心のうちにはいろいろな思いが浮かんで来て、恋しい人と直接言葉がかわしたかった源氏であるが、人目の多い場所ではどうしようもないことであった。女も悲しかった。昔が昨日のように思われて、煩悶もそれに続いた煩悶がされた。
自分のこの心持ちはお知りにならないであろうと思うとはかなまれた。
源氏が石山寺を出る日に右衛門佐が迎えに来た。源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことを佐は謝した。少年の時から非常に源氏に愛されていて、源氏の推薦で官につくこともできた恩もあるのであるが、源氏の免職されたころ、当路者ににらまれることを恐れて常陸へ行ってしまったことで、少しおもしろくなく源氏は思っていたが、だれにもそのことは言わなかった。昔ほどではないがその後も右衛門佐は家に属した男として源氏の庇護を受けることになっていた。紀伊守といった男も今はわずかな河内守であった。その弟の右近衛丞で解職されて、須磨へ源氏について行った男が特別に取り立てられていくのを見て、右衛門佐も河内守も過去の非を悔いた。なぜ一時の損得などを大事に考えたのであろうと自身を責めていた。
佐を呼び出して、源氏は姉君へ手紙をことづてたいと言った。他の人ならもう忘れていそうな恋を、なおも思い捨てない源氏に右衛門佐は驚いていた。
という手紙である。
「あれから長い時間がたっていて、きまりの悪い気もするが、忘れない私の心ではいつも現在の恋人のつもりでいるよ。でもこんなことをしてはいっそう嫌われるのではないかね」
こう言って源氏は渡した。佐はもったいない気がしながら受け取って姉の所へ持参した。
「ぜひお返事をしてください。以前どおりにはしてくださらないだろう、疎外されるだろうと私は覚悟していましたが、やはり同じように親切にしてくださるのですよ。この使いだけは困ると思いましたけれど、お断わりなどできるものじゃありません。女のあなたがあの御愛情にほだされるのは当然で、だれも罪とは考えませんよ」
などと右衛門佐は姉に言うのであった。今はましてがらでない気がする空蝉であったが、久しぶりで得た源氏の文字に思わずほんとうの心が引き出されたか返事を書いた。
とある。恨めしかった点でも、恋しかった点でも源氏には忘れがたい人であったから、なおおりおりは空蝉の心を動かそうとする手紙を書いた。そのうち常陸介は老齢のせいか病気ばかりするようになって、前途を心細がり、悲観してしまい、息子たちに空蝉のことばかりをくどく遺言していた。
「何もかも私の妻の意志どおりにせい。私の生きている時と同じように仕えねばならん」
と繰り返すのである。空蝉は薄命な自分はこの良人にまで死別して、またも険しい世の中に漂泊らえるのであろうかと歎いている様子を、常陸介は病床に見ると死ぬことが苦しく思われた。生きていたいと思っても、それは自己の意志だけでどうすることもできないことであったから、せめて愛妻のために魂だけをこの世に残して置きたい、自分の息子たちの心も絶対には信ぜられないのであるからと、言いもし、思いもして悲しんだがやはり死んでしまった。息子たちが、当分は、
「あんなに父が頼んでいったのだから」
と表面だけでも言っていてくれたが、空蝉の堪えられないような意地の悪さが追い追いに見えて来た。世間ありきたりの法則どおりに継母はこうして苦しめられるのであると思って、空蝉はすべてを自身の薄命のせいにして悲しんでいた。河内守だけは好色な心から、継母に今も追従をして、
「父があんなにあなたのことを頼んで行かれたのですから、無力ですが、それでもあなたの御用は勤めたいと思いますから、遠慮をなさらないでください」
などと言って来るのである。あさましい下心も空蝉は知っていた。不幸な自分は良人に死に別れただけで済まず、またまたこんな情けないことが近づいてこようとすると悲しがって、だれにも相談をせずに尼になってしまった。常陸介の息子や娘もさすがにこれを惜しがった。河内守は恨めしかった。
「私をきらって尼におなりになったってまだ今後長く生きて行かねばならないのだから、どうして生活をするつもりだろう、余計なことをしたものだ」
などと言った。
絵合
前斎宮の入内を女院は熱心に促しておいでになった。こまごまとした入用の品々もあろうがすべてを引き受けてする人物がついていないことは気の毒であると、源氏は思いながらも院への御遠慮があって、今度は二条の院へお移しすることも中止して、傍観者らしく見せてはいたが、大体のことは皆源氏が親らしくしてする指図で運んでいった。院は残念がっておいでになったが、負けた人は沈黙すべきであると思召して、手紙をお送りになることも絶えた形であった。しかも当日になって院からのたいしたお贈り物が来た。御衣服、櫛の箱、乱れ箱、香壺の箱には幾種類かの薫香がそろえられてあった。源氏が拝見することを予想して用意あそばされた物らしい。源氏の来ていた時であったから、女別当はその報告をして品々を見せた。源氏はただ櫛の箱だけを丁寧に拝見した。繊細な技巧でできた結構な品である。挿し櫛のはいった小箱につけられた飾りの造花に御歌が書かれてあった。
この御歌に源氏は心の痛くなるのを覚えた。もったいないことを計らったものであると、源氏は自身のかつてした苦しい思いに引き比べて院の今のお心持ちも想像することができてお気の毒でならない。斎王として伊勢へおいでになる時に始まった恋が、幾年かの後に神聖な職務を終えて女王が帰京され御希望の実現されてよい時になって、弟君の陛下の後宮へその人がはいられるということでどんな気があそばすだろう。閑暇な地位へお退きになった現今の院は、何事もなしうる主権に離れた寂しさというようなものをお感じにならないであろうか、自分であれば世の中が恨めしくなるに違いないなどと思うと心が苦しくて、何故女王を宮中へ入れるようなよけいなことを自分は考えついて御心を悩ます結果を作ったのであろう、お恨めしく思われた時代もあったが、もともと優しい人情深い方であるのにと、源氏は歎息をしながらしばらく考え込んでいた。
「この御返歌はどうなさるだろう、またお手紙もあったでしょうがお答えにならないではいけないでしょう」
などと源氏は言ってもいたが、女房たちはお手紙だけは源氏に見せることをしなかった。宮は気分がおすぐれにならないで、御返歌をしようとされないのを、
「それではあまりに失礼で、もったいないことでございます」
こんなことを言って、女房たちが返事をお書かせしようと苦心している様子を知ると、源氏は、
「むろんお返事をなさらないではいけません。ちょっとだけでよいのですからお書きなさい」
と言った。源氏にそう言われることが斎宮にはまたお恥ずかしくてならないのであった。昔を思い出して御覧になると、艶に美しい帝が別れを惜しんでお泣きになるのを、少女心においたわしくお思いになったことも目の前に浮かんできた。同時に、母君のことも思われてお悲しいのであった。
とだけお書きになったようである。お使いの幾人かはそれぞれ差のあるいただき物をして帰った。源氏は斎宮の御返歌を知りたかったのであるが、それも見たいとは言えなかった。院は美男でいらせられるし、女王もそれにふさわしい配偶のように思われる、少年でいらせられる帝の女御におさせすることは、女王の心に不満足なことであるかもしれないなどと思いやりのありすぎることまでも考えてみると、源氏は胸が騒いでならなかったが、今日になって中止のできることでもなかったから儀式その他についての注意を言い置いて、親しい修理大夫参議である人にすべてを委託して源氏は六条邸を出て御所へ参った。養父として一切を源氏が世話していることにしては院へ済まないという遠慮から、単に好意のある態度を取っているというふうを示していた。もとからよい女房の多い宮であったから、実家に引いていがちだった人たちも皆出て来て、すでにはなやかな女御の形態が調ったように見えた。御息所が生きていたならば、どんなにこうしたことをよろこぶことであろう、聡明な後見役として女御の母であるのに最も適した性格であったと源氏は故人が思い出されて、恋人としてばかりでなく、あの人を失ったことはこの世の損失であるとも源氏は思った。洗練された高い趣味の人といっても、あれほどにすぐれた人は見いだせないのであると、源氏は物のおりごとに御息所を思った。
このごろは女院も御所に来ておいでになった。帝は新しい女御の参ることをお聞きになって、少年らしく興奮しておいでになった。御年齢よりはずっと大人びた方なのである。女院も、
「りっぱな方が女御に上がって来られるのですから、お気をおつけになってお逢いなさい」
と御注意をあそばした。帝は人知れず大人の女御は恥ずかしいであろうと思召されたが、深更になってから上の御局へ上がって来た女御は、おとなしいおおような、そして小柄な若々しい人であったから自然に愛をお感じになった。弘徽殿の女御は早くからおそばに上がっていたからその人を睦まじい者に思召され、この新女御は品よく柔らかい魅力があるとともに、源氏が大きな背景を作って、きわめて大事に取り扱う点で侮りがたい人に思召されて宿直に召される数は正しく半々になっていたが、少年らしくお遊びになる相手には弘徽殿がよくて、昼などおいでになることは弘徽殿のほうが多かった。権中納言は后にも立てたい心で後宮に入れた娘に、競争者のできたことで不安を感じていた。
院は櫛の箱の返歌を御覧になってからいっそう恋しく思召された。ちょうどそのころに源氏は院へ伺候した。親しくお話を申し上げているうちに、斎宮が下向されたことから、院の御代の斎宮の出発の儀式にお話が行った。院も回想していろいろとお語りになったが、ぜひその人を得たく思っていたとはお言いにならないのである。源氏はその問題を全然知らぬ顔もしながら、どう思召していられるかが知りたくて、話をその方向へ向けた時、院の御表情に失恋の深い御苦痛が現われてきたのをお気の毒に思った。美しい人としてそれほど院が忘れがたく思召す前斎宮は、どんな美貌をお持ちになるのであろうと源氏は思って、おりがあればお顔を見たいと思っているが、その機会の与えられないことを口惜しがっていた。貴女らしい奥深さをあくまで持っていて、うかとして人に見られる隙のあるような人でない斎宮の女御を源氏は一面では敬意の払われる養女であると思って満足しているのであった。
こんなふうに隙間もないふうに二人の女御が侍しているのであったから、兵部卿の宮は女王の後宮入りを実現させにくくて煩悶をしておいでになったが、帝が青年におなりになったなら、外戚の自分の娘を疎外あそばすことはなかろうとなお希望をつないでおいでになった。宮廷の二人の女御ははなやかに挑み合った。帝は何よりも絵に興味を持っておいでになった。特別にお好きなせいかお描きになることもお上手であった。斎宮の女御は絵をよく描くのでそれがお気に入って、女御の御殿へおいでになってはごいっしょに絵をお描きになることを楽しみにあそばした。殿上の若い役人の中でも絵の描ける者を特にお愛しになる帝であったから、まして美しい人が、雅味のある絵を上手に墨で描いて、からだを横たえながら、次の筆の下ろしようを考えたりしている可憐さが御心に沁んで、しばしばこちらへおいでになるようになり、御寵愛が見る見る盛んになった。権中納言がそれを聞くと、どこまでも負けぎらいな性質から有名な画家の幾人を家にかかえて、よい絵をよい紙に、描かせることをひそかにさせていた。
「小説を題にして描いた絵が最もおもしろい」
と言って、権中納言は選んだよい小説の内容を絵にさせているのである。一年十二季の絵も平凡でない文学的価値のある詞書きをつけて帝のお目にかけた。おもしろい物であるがそれは非常に大事な物らしくして、帝のおいでになっている間にも、長くは御前へ出して置かずにしまわせてしまうのである。帝が斎宮の女御に見せたく思召して、お持ちになろうとするのを弘徽殿の人々は常にはばむのであった。源氏がそれを聞いて、
「中納言の競争心はいつまでも若々しく燃えているらしい」
などと笑った。
「隠そう隠そうとしてあまり御前へ出さずに陛下をお悩ましするなどということはけしからんことだ」
と源氏は言って、帝へは
「私の所にも古い絵はたくさんございますから差し上げることにいたしましょう」
と奏して、源氏は二条の院の古画新画のはいった棚をあけて夫人といっしょに絵を見分けた。古い絵に属する物と現代的な物とを分類したのである。長恨歌、王昭君などを題目にしたのはおもしろいが縁起はよろしくない。そんなのを今度は省くことに源氏は決めたのである。旅中に日記代わりに描いた絵巻のはいった箱を出して来て源氏ははじめて夫人にも見せた。何の予備知識を備えずに見る者があっても、少し感情の豊かな者であれば泣かずにはいられないだけの力を持った絵であった。まして忘れようもなくその悲しかった時代を思っている源氏にとって、夫人にとって今また旧作がどれほどの感動を与えるものであるかは想像するにかたくはない。夫人は今まで源氏の見せなかったことを恨んで言った。
あなたにはこんな慰めがおありになったのですわね」
源氏は夫人の心持ちを哀れに思って言った。
中宮にだけはお目にかけねばならない物ですよ」
源氏はその中のことにできのよいものでしかも須磨と明石の特色のよく出ている物を一帖ずつ選んでいながらも、明石の家の描かれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。源氏が絵を集めていると聞いて、権中納言はいっそう自家で傑作をこしらえることに努力した。巻物の軸、紐の装幀にも意匠を凝らしているのである。それは三月の十日ごろのことであったから、最もうららかな好季節で、人の心ものびのびとしておもしろくばかり物が見られる時であったし、宮廷でも定まった行事の何もない時で、絵画や文学の傑作をいかにして集めようかと苦心をするばかりが仕事になっていた。これを皆陛下へ差し上げることにして公然の席で勝負を決めるほうが興味のあってよいことであると源氏がまず言い出した。双方から出すのであるから宮中へ集まった絵巻の数は多かった。小説を絵にした物は、見る人がすでに心に作っている幻想をそれに加えてみることによって絵の効果が倍加されるものであるからその種類の物が多い。梅壺の王女御のほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手なのはこちらにあった。典侍や内侍や命婦も絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。左右に分けられたのである。梅壺方は左で、平典侍、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召して、まず日本最初の小説である竹取の翁と空穂の俊蔭の巻を左右にして論評をお聞きになった。
「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、思い上がった主人公の赫耶姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
と左は言う。右は、
「赫耶姫の上った天上の世界というものは空想の所産にすぎません。この世の生活の写してある所はあまりに非貴族的で美しいものではありません。宮廷の描写などは少しもないではありませんか。赫耶姫は竹取の翁の一つの家を照らすだけの光しかなかったようですね。安部の多が大金で買った毛皮がめらめらと焼けたと書いてあったり、あれだけ蓬莱の島を想像して言える倉持の皇子が贋物を持って来てごまかそうとしたりするところがとてもいやです」
この竹取の絵は巨勢の相覧の筆で、詞書きは貫之がしている。紙屋紙に唐錦の縁が付けられてあって、赤紫の表紙、紫檀の軸で穏健な体裁である。
「俊蔭は暴風と波に弄ばれて異境を漂泊しても芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が竹取物語よりずっとすぐれております。それに絵も日本と外国との対照がおもしろく扱われている点ですぐれております」
と右方は主張するのであった。これは式紙地の紙に書かれ、青い表紙と黄玉の軸が付けられてあった。絵は常則、字は道風であったから派手な気分に満ちている。左はその点が不足であった。次は伊勢物語と正三位が合わされた。この論争も一通りでは済まない。今度も右は見た目がおもしろくて刺戟的で宮中の模様も描かれてあるし、現代に縁の多い場所や人が写されてある点でよさそうには見えた。平典侍が言った。
ただの恋愛談を技巧だけで綴ってあるような小説に業平朝臣を負けさせてなるものですか」
右の典侍が言う。
女院が左の肩をお持ちになるお言葉を下された。
「兵衛王の精神はりっぱだけれど在五中将以上のものではない。
婦人たちの言論は長くかかって、一回分の勝負が容易につかないで時間がたち、若い女房たちが興味をそれに集めている陛下と梅壺の女御の御絵はいつ席上に現われるか予想ができないのであった。源氏も参内して、双方から述べられる支持と批難の言葉をおもしろく聞いた。
「これは御前で最後の勝負を決めましょう」
と源氏が言って、絵合わせはいっそう広く判者を求めることになった。こんなこともかねて思われたことであったから、須磨、明石の二巻を左の絵の中へ源氏は混ぜておいたのである。中納言も劣らず絵合わせの日に傑作を出そうとすることに没頭していた。世の中はもうよい絵を製作することと、捜し出すことのほかに仕事がないように見えた。
「今になって新しく作ることは意味のないことだ。持っている絵の中で優劣を決めなければ」
と源氏は言っているが、中納言は人にも知らせず自邸の中で新画を多く作らせていた。院もこの勝負のことをお聞きになって、梅壺へ多くの絵を御寄贈あそばされた。宮中で一年じゅうにある儀式の中のおもしろいのを昔の名家が描いて、延喜の帝が御自身で説明をお添えになった古い巻き物のほかに、御自身の御代の宮廷にあったはなやかな儀式などをお描かせになった絵巻には、斎宮発足の日の大極殿の別れの御櫛の式は、御心に沁んで思召されたことなのであったから、特に構図なども公茂画伯に詳しくお指図をあそばして製作された非常にりっぱな絵もあった。沈の木の透かし彫りの箱に入れて、同じ木で作った上飾りを付けた新味のある御贈り物であった。御挨拶はただお言葉だけで院の御所への勤務もする左近の中将がお使いをしたのである。大極殿の御輿の寄せてある神々しい所に御歌があった。
と言うのである。返事を差し上げないこともおそれおおいことであると思われて、斎宮の女御は苦しく思いながら、昔のその日の儀式に用いられた簪の端を少し折って、それに書いた。
藍色の唐紙に包んでお上げしたのであった。院はこれを限りもなく身に沁んで御覧になった。このことで御位も取り返したく思召した。源氏をも恨めしく思召されたに違いない。かつて源氏に不合理な厳罰をお加えになった報いをお受けになったのかもしれない。院のお絵は太后の手を経て弘徽殿の女御のほうへも多く来ているはずである。尚侍も絵の趣味を多く持っている人であったから、姪の女御のためにいろいろと名画を集めていた。
定められた絵合わせの日になると、それはいくぶんにわかなことではあったが、おもしろく意匠をした風流な包みになって、左右の絵が会場へ持ち出された。女官たちの控え座敷に臨時の玉座が作られて、北側、南側と分かれて判者が座についた。それは清涼殿のことで、西の後涼殿の縁には殿上役人が左右に思い思いの味方をしてすわっていた。左の紫檀の箱に蘇枋の木の飾り台、敷き物は紫地の唐錦、帛紗は赤紫の唐錦である。六人の侍童の姿は朱色の服の上に桜襲の汗袗、袙は紅の裏に藤襲の厚織物で、からだのとりなしがきわめて優美である。右は沈の木の箱に浅香の下机、帛紗は青地の高麗錦、机の脚の組み紐の飾りがはなやかであった。侍童らは青色に柳の色の汗袗、山吹襲の袙を着ていた。双方の侍童がこの絵の箱を御前に据えたのである。源氏の内大臣と権中納言とが御前へ出た。太宰帥の宮も召されて出ておいでになった。この方は芸術に趣味をお持ちになる方であるが、ことに絵画がお好きであったから、初めに源氏からこのお話もしてあった。公式のお召しではなくて、殿上の間に来ておいでになったのに仰せが下ったのである。この方に今日の審判役を下命された。評判どおりに入念に描かれた絵巻が多かった。優劣をにわかにお決めになるのは困難なようである。例の四季を描いた絵も、大家がよい題材を選んで筆力も雄健に描き流した物は価値が高いように見えるが、今度は皆紙絵であるから、山水画の豊かに描かれた大作などとは違って、凡庸な者に思われている今の若い絵師も昔の名画に近い物を作ることができ、それにはまた現代人の心を惹くものも多量に含まれていて、左右はそうした絵の優劣を論じ合っているが、今日の論争は双方ともまじめであったからおもしろかった。襖子をあけて朝餉の間に女院は出ておいでになった。絵の鑑識に必ず自信がおありになるのであろうと思って、源氏はそれさえありがたく思われた。判者が断定のしきれないような時に、お伺いを女院へするのに対して、短いお言葉の下されるのも感じのよいことであった。左右の勝ちがまだ決まらずに夜が来た。最後の番に左から須磨の巻が出てきたことによって中納言の胸は騒ぎ出した。右もことに最後によい絵巻が用意されていたのであるが、源氏のような天才が清澄な心境に達した時に写生した風景画は何者の追随をも許さない。判者の親王をはじめとしてだれも皆涙を流して見た。その時代に同情しながら想像した須磨よりも、絵によって教えられる浦住まいはもっと悲しいものであった。作者の感情が豊かに現われていて、現在をもその時代に引きもどす力があった。須磨からする海のながめ、寂しい住居、崎々浦々が皆あざやかに描かれてあった。草書で仮名混じりの文体の日記がその所々には混ぜられてある。身にしむ歌もあった。だれも他の絵のことは忘れて恍惚となってしまった。圧巻はこれであると決まって左が勝ちになった。
明け方近くなって古い回想から湿った心持ちになった源氏は杯を取りながら帥の宮に語った。
「私は子供の時代から学問を熱心にしていましたが、詩文の方面に進む傾向があると御覧になったのですか、院がこうおっしゃいました、文学というものは世間から重んぜられるせいか、そのほうのことを専門的にまでやる人の長寿と幸福を二つともそろって得ている人は少ない。不足のない身分は持っているのであるから、あながちに文学で名誉を得る必要はない。その心得でやらねばならないって。以来私に本格的な学問をいろいろとおさせになりましたが、できが悪い課目もなく、またすぐれた深い研究のできたこともありませんでした。絵を描くことだけは、それは大きいことではありませんが、満足のできるほど精神を集中させて描いて見たいという希望がおりおり起こったものですが、思いがけなく放浪者になりました時に、はじめて大自然の美しさにも接する機会を得まして、描くべき物は十分に与えられたのですが、技巧がまずくて、思いどおりの物を紙上に表現することはできませんでした。そんなものですからこれだけをお目にかけることは恥ずかしくていたされませんから、今度のような機会に持ち出しただけなのですが、私の行為が突飛なように評されないかと心配しております」
「何の芸でも頭がなくては習えませんが、それでもどの芸にも皆師匠があって、導く道ができているものですから、深さ浅さは別問題として、師匠の真似をして一通りにやるだけのことはだれにもまずできるでしょう。ただ字を書くことと囲碁だけは芸を熱心に習ったとも思われない者からもひょっくりりっぱな書を書く者、碁の名人が出ているものの、やはり貴族の子の中からどんな芸も出抜けてできる人が出るように思われます。院が御自身の親王、内親王たちに皆何かの芸はお仕込みになったわけですが、その中でもあなたへは特別に御熱心に御教授あそばしましたし、熱心にもお習いになったのですから、詩文のほうはむろんごりっぱだし、そのほかでは琴をお弾きになることが第一の芸で、次は横笛、琵琶、十三絃という順によくおできになる芸があると院も仰せになりました。世間もそう信じているのですが、絵などはほんのお道楽だと私も今までは思っていましたのに、あまりにお上手過ぎて墨絵描きの画家が恥じて死んでしまう恐れがある傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません」
宮はしまいには戯談をお言いになったが酔い泣きなのか、故院のお話をされてしおれておしまいになった。二十幾日の月が出てまだここへはさしてこないのであるが、空には清い明るさが満ちていた。書司に保管されてある楽器が召し寄せられて、中納言が和琴の弾き手になったが、さすがに名手であると人を驚かす芸であった。帥の宮は十三絃、源氏は琴、琵琶の役は少将の命婦に仰せつけられた。殿上役人の中の音楽の素養のある者が召されて拍子を取った。稀なよい合奏になった。夜が明けて桜の花も人の顔もほのかに浮き出し、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。美しい朝ぼらけである。下賜品は女院からお出しになったが、なお親王は帝からも御衣を賜わった。この当座はだれもだれも絵合わせの日の絵の噂をし合った。
「須磨、明石の二巻は女院の御座右に差し上げていただきたい」
こう源氏は申し出た。女院はこの二巻の前後の物も皆見たく思召すとのことであったが、
「またおりを見まして」
と源氏は御挨拶を申した。帝が絵合わせに満足あそばした御様子であったのを源氏はうれしく思った。二人の女御の挑みから始まったちょっとした絵の上のことでも源氏は大形に力を入れて梅壺を勝たせずには置かなかったことから中納言は娘の気押されて行く運命も予感して口惜しがった。帝は初めに参った女御であって、御愛情に特別なもののあることを、女御の父の中納言だけは想像のできる点もあって、頼もしくは思っていて、すべては自分の取り越し苦労であるとしいて思おうとも中納言はしていた。
宮中の儀式などもこの御代から始まったというものを起こそうと源氏は思うのであった。絵合わせなどという催しでも単なる遊戯でなく、美術の鑑賞の会にまで引き上げて行なわれるような盛りの御代が現出したわけである。しかも源氏は人生の無常を深く思って、帝がいま少し大人におなりになるのを待って、出家がしたいと心の底では思っているようである。昔の例を見ても、年が若くて官位の進んだ、そして世の中に卓越した人は長く幸福でいられないものである、自分は過分な地位を得ている、以前不幸な日のあったことで、ようやくまだ今日まで運が続いているのである、今後もなお順境に身を置いていては長命のほうが危い、静かに引きこもって後世のための仏勤めをして長寿を得たいと、源氏はこう思って、郊外の土地を求めて御堂を建てさせているのであった。仏像、経巻などもそれとともに用意させつつあった。しかし子供たちをよく教育してりっぱな人物、すぐれた女性にしてみようと思う精神と出家のことは両立しないのであるから、どっちがほんとうの源氏の心であるかわからない。
松風
東の院が美々しく落成したので、花散里といわれていた夫人を源氏は移らせた。西の対から渡殿へかけてをその居所に取って、事務の扱い所、家司の詰め所なども備わった、源氏の夫人の一人としての体面を損じないような住居にしてあった。東の対には明石の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。北の対をばことに広く立てて、かりにも源氏が愛人と見て、将来のことまでも約束してある人たちのすべてをそこへ集めて住ませようという考えをもっていた源氏は、そこを幾つにも仕切って作らせた点で北の対は最もおもしろい建物になった。中央の寝殿はだれの住居にも使わせずに、時々源氏が来て休息をしたり、客を招いたりする座敷にしておいた。
明石へは始終手紙が送られた。このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。女はまだ躊躇をしているのである。わが身の上のかいなさをよく知っていて、自分などとは比べられぬ都の貴女たちでさえ捨てられるのでもなく、また冷淡でなくもないような扱いを受けて、源氏のために物思いを多く作るという噂を聞くのであるから、どれだけ愛されているという自信があってその中へ出て行かれよう、姫君の生母の貧弱さを人目にさらすだけで、たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど不安なことはないと煩悶をしながらも明石は、そうかといって姫君をこの田舎に置いて、世間から源氏の子として取り扱われないような不幸な目にあわせることも非常に哀れなことであると思って、出京は断然しないとも源氏へ答えることはできなかった。両親も娘の煩悶するのがもっともに思われて歎息ばかりしていた。入道夫人の祖父の中務卿親王が昔持っておいでになった別荘が嵯峨の大井川のそばにあって、宮家の相続者にしかとした人がないままに別荘などもそのままに荒廃させてあるのを思い出して、親王の時からずっと預かり人のようになっている男を明石へ呼んで相談をした。
「私はもう京の生活を二度とすまいという決心で田舎へ引きこもったのだが、子供になってみるとそうはいかないもので、その人たちのためにまた一軒京に家を持つ必要ができたのだが、こうした静かな所にいて、にわかに京の町中の家へはいって気も落ち着くものでないと思われるので、古い別荘のほうへでもやろうかと思う。そちらで今まで使っているだけの建物は君のほうへあげてもいいから、そのほかの所を修繕して、とにかく人が住めるだけの別荘にこしらえ上げてもらいたいと思うのだが」
と入道が言った。
「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、ひどく荒れたものですから、私たちは下屋のほうに住んでおりますが、しかし今年の春ごろから内大臣さんが近くへ御堂の普請をお始めになりまして、あすこはもう人がたくさん来る所になっておりますよ、たいした御堂ができるのですから、工事に使われている人数だけでもどんなに大きいかしれません。静かなお住居がよろしいのならあすこはだめかもしれません」
「いや、それは構わないのだ。というのは内大臣家にも関係のあることでそこへ行こうとしているのだからね。家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、まず急いで大体の修繕のほうをさせてくれ」
と入道が言う。
「私の所有ではありませんが、持っていらっしゃる方もなかったものですから、一軒家のような所を長く私が守って来たのです。別荘についた田地なども荒れる一方でしたから、お亡くなりになりました民部大輔さんにお願いして、譲っていただくことにしましてそれだけの金は納めたのでした」
預かり人は自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張しておかねばというように、鬚むしゃな醜い顔の鼻だけを赤くしながら顎を上げて弁じ立てる。
「私のほうでは田地などいらない。これまでどおりに君は思っておればいい。別荘その他の証券は私のほうにあるが、もう世捨て人になってしまってからは、財産の権利も義務も忘れてしまって、留守居料も払ってあげなかったが、そのうち精算してあげるよ」
こんな話も相手は、入道が源氏に関係のあることをにおわしたことで気味悪く思って、私慾をそれ以上たくましくはしかねていた。それからのち、入道家から金を多く受け取って大井の山荘は修繕されていった。そんなことは源氏の想像しないことであったから、上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、姫君がそのまま田舎に育てられていくことによって、のちの歴史にも不名誉な話が残るであろうと源氏は歎息されるのであったが、大井の山荘ができ上がってから、はじめて昔の母の祖父の山荘のあったことを思い出して、そこを家にして上京するつもりであると明石から知らせて来た。東の院へ迎えて住ませようとしたことに同意しなかったのは、そんな考えであったのかと源氏は合点した。聡明なしかただとも思ったのであった。惟光が源氏の隠し事に関係しないことはなくて、明石の上京の件についても源氏はこの人にまず打ち明けて、さっそく大井へ山荘を見にやり、源氏のほうで用意しておくことは皆させた。
「ながめのよい所でございまして、やはりまた海岸のような気のされる所もございます」
と惟光は報告した。そうした山荘の風雅な女主人になる資格のある人であると源氏は思っていた。
源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所で、滝殿などの美術的なことは大覚寺にも劣らない。明石の山荘は川に面した所で、大木の松の多い中へ素朴に寝殿の建てられてあるのも、山荘らしい寂しい趣が出ているように見えた。源氏は内部の設備までも自身のほうでさせておこうとしていた。親しい人たちをもまたひそかに明石へ迎えに立たせた。
免れがたい因縁に引かれていよいよそこを去る時になったのであると思うと、女の心は馴染深い明石の浦に名残が惜しまれた。父の入道を一人ぼっちで残すことも苦痛であった。なぜ自分だけはこんな悲しみをしなければならないのであろうと、朗らかな運命を持つ人がうらやましかった。両親も源氏に迎えられて娘が出京するというようなことは長い間寝てもさめても願っていたことで、それが実現される喜びはあっても、その日を限りに娘たちと別れて孤独になる将来を考えると堪えがたく悲しくて、夜も昼も物思いに入道は呆としていた。言うことはいつも同じことで、
「そして私は姫君の顔を見ないでいるのだね」
そればかりである。夫人の心も非常に悲しかった。これまでもすでに同じ家には住まず別居の形になっていたのであるから、明石が上京したあとに自分だけが残る必要も認めてはいないものの、地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも月日が重なって馴染の深くなった人たちは別れがたいものに違いないのであるから、まして夫人にとっては頑固な我意の強い良人ではあったが、明石に作った家で終わる命を予想して、信頼して来た妻なのであるからにわかに別れて京へ行ってしまうことは心細かった。光明を見失った人になって田舎の生活をしていた若い女房などは、蘇生のできたほどにうれしいのであるが、美しい明石の浦の風景に接する日のまたないであろうことを思うことで心のめいることもあった。これは秋のことであったからことに物事が身に沁んで思われた。出立の日の夜明けに、涼しい秋風が吹いていて、虫の声もする時、明石の君は海のほうをながめていた。入道は後夜に起きたままでいて、鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。門出の日は縁起を祝って、不吉なことはだれもいっさい避けようとしているが、父も娘も忍ぶことができずに泣いていた。小さい姫君は非常に美しくて、夜光の珠と思われる麗質の備わっているのを、これまでどれほど入道が愛したかしれない。祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、
「僧形の私が姫君のそばにいることは遠慮すべきだとこれまでも思いながら、片時だってお顔を見ねばいられなかった私は、これから先どうするつもりだろう」
と泣く。
不謹慎だ私は」
と言って、落ちてくる涙を拭い隠そうとした。尼君が、京時代の左近中将の良人に、
と言って泣くのも同情されることであった。信頼をし合って過ぎた年月を思うと、どうなるかわからぬ娘の愛人の心を頼みにして、見捨てた京へ帰ることが尼君をはかなくさせるのであった。明石が、
送ってだけでもくださいませんか」
と父に頼んだが、それは事情が許さないことであると入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。
「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、いよいよその気になって地方官になったのは、ただあなたに物質的にだけでも十分尽くしてやりたいということからだった。それから地方官の仕事も私に適したものでないことをいろんな形で教えられたから、これをやめて地方官の落伍者の一人で、京で軽蔑される人間にこの上なっては親の名誉を恥ずかしめることだと悲しくて出家したがね、京を出たのが世の中を捨てる門出だったと、世間からも私は思われていて、よく潔くそれを実行したと私自身にも満足感はあったが、あなたが一人前の少女になってきたのを見ると、どうしてこんな珠玉を泥土に置くような残酷なことを自分はしたかと私の心はまた暗くなってきた。それからは仏と神を頼んで、この人までが私の不運に引かれて一地方人となってしまうようなことがないようにと願った。思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、われわれには身分のひけ目があって、よいことにも悲しみが常に添っていた。しかし姫君がお生まれになったことで私もだいぶ自信ができてきた。姫君はこんな土地でお育ちになってはならない高い宿命を持つ方に違いないのだから、お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。姫君は高い高い宿命の人でいられるが、暫時の間私に祖父と孫の愛を作って見せてくださったのだ。天に生まれる人も一度は三途の川まで行くということにあたることだとそれを思って私はこれで長いお別れをする。私が死んだと聞いても仏事などはしてくれる必要はない。死に別れた悲しみもしないでおおきなさい」
と入道は断言したのであるが、また、
「私は煙になる前の夕べまで姫君のことを六時の勤行に混ぜて祈ることだろう。恩愛が捨てられないで」
と悲しそうに言うのであった。車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも面倒なことであるといって、迎えに来た人たちもまた非常に目だつことを恐れるふうであったから、船を用いてそっと明石親子は立つことになった。
午前八時に船が出た。昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に船の隔たって行くのを見る入道の心は、仏弟子の超越した境地に引きもどされそうもなかった。ただ呆然としていた。
長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。
と言って尼君は泣いていた。明石は、
と言っていた。追い風であって、予定どおりに一行の人は京へはいることができた。車に移ってから人目を引かぬ用心をしながら大井の山荘へ行ったのである。
山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、住居の変わった気もそれほどしなかった。明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。源氏は親しい家司に命じて到着の日の一行の饗応をさせたのであった。自身で訪ねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は明石の家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見の琴の絃を鳴らしてみた。非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。横になっていた尼君が起き上がって言った。
女が言った。
こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもまして逢いがたい苦しさを切に感じる源氏は、人目もはばからずに大井へ出かけることにした。夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、源氏は女房を使いにして言わせた。
「桂に私が行って指図をしてやらねばならないことがあるのですが、それをそのままにして長くなっています。それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人もその近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。嵯峨野の御堂に何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御挨拶に寄りますから二、三日は帰らないでしょう」
夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。
「斧の柄を新しくなさらなければ(仙人の碁を見物している間に、時がたって気がついてみるとその樵夫の持っていた斧の柄は朽ちていたという話)ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」
不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。
「また意外なことをお言いになる。私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」
などと言わせて夫人の機嫌を直させようとするうちに昼になった。
微行で、しかも前駆には親しい者だけを選んで源氏は大井へ来た。夕方前である。いつも狩衣姿をしていた明石時代でさえも美しい源氏であったのが、恋人に逢うがために引き繕った直衣姿はまばゆいほどまたりっぱであった。女のした長い愁いもこれに慰められた。源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。左大臣家で生まれた子の美貌を世人はたたえるが、それは権勢に目がくらんだ批評である。これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。無邪気な笑顔の愛嬌の多いのを源氏は非常にかわいく思った。乳母も明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって美しい女になっている。今日までのことをいろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、塩焼き小屋に近い田舎の生活をしいてさせられてきたのに同情するというようなことを言った。
「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」
と源氏は明石に言うのであったが、
「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」
と女の言うのも道理であった。源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。なお修繕を加える必要のある所を、源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。源氏が桂の院へ来るという報せがあったために、この近くの領地の人たちの集まって来たのは皆そこから明石の家のほうへ来た。そうした人たちに庭の植え込みの草木を直させたりなどした。
「流れの中にあった立石が皆倒れて、ほかの石といっしょに紛れてしまったらしいが、そんな物を復旧させたり、よく直させたりすればずいぶんおもしろくなる庭だと思われるが、しかしそれは骨を折るだけかえってあとでいけないことになる。そこに永久いるものでもないから、いつか立って行ってしまう時に心が残って、どんなに私は苦しかったろう、帰る時に」
源氏はまた昔を言い出して、泣きもし、笑いもして語るのであった。こうした打ち解けた様子の見える時に源氏はいっそう美しいのであった。のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、物思いも跡かたなくなってしまう気がして微笑んでいた。東の渡殿の下をくぐって来る流れの筋を仕変えたりする指図に、源氏は袿を引き掛けたくつろぎ姿でいるのがまた尼君にはうれしいのであった。仏の閼伽の具などが縁に置かれてあるのを見て、源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。
「尼君はこちらにおいでになりますか。だらしのない姿をしています」
と言って、源氏は直衣を取り寄せて着かえた。几帳の前にすわって、
「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」
となつかしいふうに話した。
「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」
尼君は泣きながらまた、
「荒磯かげに心苦しく存じました二葉の松もいよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが、御生母がわれわれ風情の娘でございますことが、御幸福の障りにならぬかと苦労にしております」
などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔の主の親王のことなどを話題にして語った。直された流れの水はこの話に言葉を入れたいように、前よりも高い音を立てていた。
歌であるともなくこう言う様子に、源氏は風雅を解する老女であると思った。
悲しいものですね」
と歎息して立って行く源氏の美しいとりなしにも尼君は打たれて茫となっていた。
源氏は御堂へ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏の三昧のほかにも日を決めてする法会のことを僧たちに命じたりした。堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ指図してから、月明の路を川沿いの山荘へ帰って来た。
明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。弾きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。まだ絃の音が変わっていなかった。その夜が今であるようにも思われる。
と言うと、女が、
と言う。こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。姫君の顔からもまた目は離せなかった。日蔭の子として成長していくのが、堪えられないほど源氏はかわいそうで、これを二条の院へ引き取ってできる限りにかしずいてやることにすれば、成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは源氏の心に思われることであったが、また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよく馴れてきて、ものを言って、笑ったりもしてみせた。甘えて近づいて来る顔がまたいっそう美しくてかわいいのである。源氏に抱かれている姫君はすでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。
三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。源氏は装束をして、
「きまりの悪いことになったものだね、あなたがたに見られてよい家でもないのに」
と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、乳母は姫君を抱いて出て来た。源氏はかわいい様子で子供の頭を撫でながら、
「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」
と源氏が言うと、
「遠い田舎の幾年よりも、こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、だれも皆苦しゅうございましょう」
など乳母は言った。姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏は膝をかがめてしまった。
「もの思いから解放される日のない私なのだね、しばらくでも別れているのは苦しい。奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう、せめて人心地が出てくるかもしれないのに」
と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。女は逢った喜びが二日で尽きて、別れの時の来た悲しみに心を乱していて、呼ばれてもすぐに出ようとしないのを源氏は心のうちであまりにも貴女ぶるのではないかと思っていた。女房たちからも勧められて、明石はやっと膝行って出て、そして姿は見せないように几帳の蔭へはいるようにしている様子に気品が見えて、しかも柔らかい美しさのあるこの人は内親王と言ってもよいほどに気高く見えるのである。源氏は几帳の垂れ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。源氏の美は今が盛りであると思われた。以前は痩せて背丈が高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、指貫の裾からも愛嬌はこぼれ出るように思った。解官されて源氏について漂泊えた蔵人もまた旧の地位に復って、靫負尉になった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀を取りに戸口へ来た時に、御簾の中に明石のいるのを察して挨拶をした。
「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく便もございませんでしたから」
「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない住居と変わりもなくて、松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、昔の方がお供の中においでになって力強く思います」
などと明石は言った。すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、驚異を覚えながらも蔵人は、
「また別の機会に」
と言って男らしく肩を振って行った。りっぱな風采の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。源氏は車へ頭中将、兵衛督などを陪乗させた。
「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
源氏は車中でしきりにこう言っていた。
「昨夜はよい月でございましたから、嵯峨のお供のできませんでしたことが口惜しくてなりませんで、今朝は霧の濃い中をやって参ったのでございます。嵐山の紅葉はまだ早うございました。今は秋草の盛りでございますね。某朝臣はあすこで小鷹狩を始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
などと若い人は言った。
「今日はもう一日桂の院で遊ぶことにしよう」
と源氏は言って、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応の仕度が始められて、鵜飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を萩の枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥を危ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。絃楽のほうは琵琶、和琴などだけで笛の上手が皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、帝が、
「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の大臣は来るはずであるのだ、どうしたか」
と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。
うらやましいことだ」
これが蔵人弁であるお使いが源氏に伝えたお言葉である。源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには纏頭にする物が備えてなかったために、源氏は大井の山荘のほうへ、
「たいそうでない纏頭の品があれば」
と言ってやった。明石は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。
というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中に生ひたる」(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)と源氏は古歌を口ずさんだ。源氏がまた躬恒が「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵はところがらかも」と不思議がった歌のことを言い出すと、源氏の以前のことを思って泣く人も出てきた。皆酔ってもいるからである。
これは源氏の作である。
頭中将である。右大弁は老人であって、故院の御代にも睦まじくお召し使いになった人であるが、その人の作、
なおいろいろな人の作もあったが省略する。歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府の有名な芸人の舎人で、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「その駒」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野の錦の翻る趣があった。大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。言づてもせずに帰って行くことを源氏は心苦しく思った。
二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら夫人に嵯峨の話をした。
「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。風流男どもがあとを追って来てね、あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」
と言って源氏は寝室へはいった。夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。
「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることもよくないことですよ。あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」
と源氏は教えていた。日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大井へやるものらしかった。こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。侍を呼んで小声でささやきながら手紙を渡す源氏を女房たちは憎く思った。その晩は御所で宿直もするはずであるが、夫人の機嫌の直っていなかったことを思って、夜はふけていたが源氏は夫人をなだめるつもりで帰って来ると、大井の返事を使いが持って来た。隠すこともできずに源氏は夫人のそばでそれを読んだ。夫人を不愉快にするようなことも書いてなかったので、
「これを破ってあなたの手で捨ててください。困るからね、こんな物が散らばっていたりすることはもう私に似合ったことではないのだからね」
と夫人のほうへそれを出した源氏は、脇息によりかかりながら、心のうちでは大井の姫君が恋しくて、灯をながめて、ものも言わずにじっとしていた。手紙はひろがったままであるが、女王が見ようともしないのを見て、
「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」
と笑いながら夫人に言いかけた源氏の顔にはこぼれるような愛嬌があった。夫人のそばへ寄って、
「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。そんな人を見るとやはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし、私はそれで煩悶しています。いっしょにあなたも心配してください。どうしよう、あなたが育ててみませんか、三つになっているのです。無邪気なかわいい顔をしているものだから、どうも捨てておけない気がします。小さいうちにあなたの子にしてもらえば、子供の将来を明るくしてやれるように思うのだが、失敬だとお思いにならなければあなたの手で袴着をさせてやってください」
と源氏は言うのであった。
「私を意地悪な者のようにばかり決めておいでになって、これまでから私には大事なことを皆隠していらっしゃるものですもの、私だけがあなたを信頼していることも改めなければならないとこのごろは私思っています。けれども私は小さい姫君のお相手にはなれますよ。どんなにおかわいいでしょう、その方ね」
と言って、女王は少し微笑んだ。夫人は非常に子供好きであったから、その子を自分がもらって、その子を自分が抱いて、大事に育ててみたいと思った。どうしよう、そうは言ったもののここへつれて来たものであろうかと源氏はまた煩悶した。
源氏が大井の山荘を訪うことは困難であった。嵯峨の御堂の念仏の日を待ってはじめて出かけられるのであったから、月に二度より逢いに行く日はないわけである。七夕よりは短い期間であっても女にとっては苦しい十五日が繰り返されていった。
薄雲
冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、
「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」
と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌をしなければならないと、しいて解釈してみずから慰めることなどもできなくなって、男の心を顕わに見なければならないことは苦痛であろうと明石は躊躇をしていた。
「あなたがいやなら姫君だけでもそうさせてはどう。こうしておくことは将来のためにどうかと思う。私はこの子の運命に予期していることがあるのだから、その暁を思うともったいない。西の対の人が姫君のことを知っていて、非常に見たがっているのです。しばらく、あの人に預けて、袴着の式なども公然二条の院でさせたいと私は思う」
源氏はねんごろにこう言うのであったが、源氏がそう計らおうとするのでないかとは、明石が以前から想像していたことであったから、この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。
「よいお母様の子にしていただきましても、ほんとうのことは世間が知っていまして、何かと噂が立ちましては、ただ今の御親切がかえって悪い結果にならないでしょうか」
手放しがたいように女は思うふうである。
「あなたが賛成しないのはもっともだけれど、継母の点で不安がったりはしないでおおきなさい。あの人は私の所へ来てずいぶん長くなるのだが、こんなかわいい者のできないのを寂しがってね、前斎宮などは幾つも年が違っていない方だけれど、娘として世話をすることに楽しみを見いだしているようなわけだから、ましてこんな無邪気な人にはどれほど深い愛を持つかしれない、と私が思うことのできる人ですよ」
源氏は紫の女王の善良さを語った。それはほんとうであるに違いない、昔はどこへ源氏の愛は落ち着くものか想像もできないという噂が田舎にまで聞こえたものであった源氏の多情な、恋愛生活が清算されて、皆過去のことになったのは今の夫人を源氏が得たためであるから、だれよりもすぐれた女性に違いないと、こんなことを明石は考えて、何の価値もない自分は決してそうした夫人の競争者ではないが、京へ源氏に迎えられて自分が行けば、夫人に不快な存在と見られることがあるかもしれない。自分はどうなるもこうなるも同じことであるが、長い未来を持つ子は結局夫人の世話になることであろうから、それならば無心でいる今のうちに夫人の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。しかしまた気がかりでならないことであろうし、つれづれを慰めるものを失っては、自分は何によって日を送ろう、姫君がいるためにたまさかに訪ねてくれる源氏が、立ち寄ってくれることもなくなるのではないかとも煩悶されて、結局は自身の薄倖を悲しむ明石であった。尼君は思慮のある女であったから、
「あなたが姫君を手放すまいとするのはまちがっている。ここにおいでにならなくなることは、どんなに苦しいことかはしれないけれど、あなたは母として姫君の最も幸福になることを考えなければならない。姫君を愛しないでおっしゃることでこれはありませんよ。あちらの奥様を信頼してお渡しなさいよ。母親次第で陛下のお子様だって階級ができるのだからね。源氏の大臣がだれよりもすぐれた天分を持っていらっしゃりながら、御位にお即きにならずに一臣下で仕えていらっしゃるのは、大納言さんがもう一段出世ができずにお亡くれになって、お嬢さんが更衣にしかなれなかった、その方からお生まれになったことで御損をなすったのですよ。まして私たちの身分は問題にならないほど恥ずかしいものなのですからね。また親王様だって、大臣の家だって、良い奥様から生まれたお子さんと、劣った生母を持つお子さんとは人の尊敬のしかたが違うし、親だって公平にはおできにならないものです。姫君の場合を考えれば、まだ幾人もいらっしゃるりっぱな奥様方のどっちかで姫君がお生まれになれば、当然肩身の狭いほうのお嬢さんにおなりになりますよ。一体女というものは親からたいせつにしてもらうことで将来の運も招くことになるものよ。袴着の式だっても、どんなに精一杯のことをしても大井の山荘ですることでははなやかなものになるわけはない。そんなこともあちらへおまかせして、どれほど尊重されていらっしゃるか、どれほどりっぱな式をしてくだすったかと聞くだけで満足をすることになさいね」
と娘に訓えた。賢い人に聞いて見ても、占いをさせてみても、二条の院へ渡すほうに姫君の幸運があるとばかり言われて、明石は子を放すまいと固執する力が弱って行った。源氏もそうしたくは思いながらも、女の気持ちを尊重してしいて言うことはしなかった。手紙のついでに、袴着の仕度にかかりましたかと書いた返事に、
と言って来たのを源氏は哀れに思った。源氏はいよいよ二条の院ですることになった姫君の袴着の吉日を選ばせて、式の用意を命じていた。
式は式でも紫夫人の手へ姫君を渡しきりにすることは今でも堪えがたいことに明石は思いながらも、何事も姫君の幸福を先にして考えねばならぬと悲痛な決心をしていた。乳母と別れてしまわねばならぬことでもあったから、
「気がめいってならない時とか、つれづれな時とかに、どんなにあなたの友情が私を助けてくだすったかしれないのに、これから先を思うと、お嬢さんのいなくなることといっしょにまたそれがどんなに寂しいことでしょう」
と乳母に言って明石は泣いた。
「前生の因縁だったのでございましょうね、不意にお宅で御厄介になることになりましてから、長い間どんなに御親切にしていただいたことでしょう。私の心に御好意は彫りつけられておりますから、これきり疎遠にいたしますようなことは決してないと思われますし、またごいっしょに暮らさせていただく日の参りますことも信じておりますが、しばらくでも別々になりまして、知らない方たちの中へはいってまいりますことは苦しゅうございます」
と乳母も言うのであった。こんなことを毎日言っているうちに十二月にもなった。雪や霙の降る日が多くて、心細い気のする明石は、いろいろな形でせねばならない苦労の多い自分であると悲しんで、平生よりもしみじみ姫君を愛撫していた。大雪になった朝、過去未来が思い続けられて、平生は縁に近く出るようなこともあまりないのであるが、端のほうに来て明石は汀の氷などにながめ入っていた。柔らかな白を幾枚か重ねたからだつき、頭つき、後ろ姿は最高の貴女というものもこうした気高さのあるものであろうと見えた。こぼれてくる涙を払いながら、
「こんな日にはまた特別にあなたが恋しいでしょう」
と可憐に言って、また乳母に言った。
乳母も泣きながら、
と慰めるのであった。この雪が少し解けたころに源氏が来た。平生は待たれる人であったが、今度は姫君をつれて行かれるかと思うことで、源氏の訪れに胸騒ぎのする明石であった。自分の意志で決まることである、謝絶すればしいてとはお言いにならないはずである、自分がしっかりとしていればよいのであると、こんな気も明石はしたが、約束を変更することなどは軽率に思われることであると反省した。美しい顔をして前にすわっている子を見て源氏は、この子が間に生まれた明石と自分の因縁は並み並みのものではないと思った。今年から伸ばした髪がもう肩先にかかるほどになっていて、ゆらゆらとみごとであった。顔つき、目つきのはなやかな美しさも類のない幼女である。これを手放すことでどんなに苦悶していることかと思うと哀れで、一夜がかりで源氏は慰め明かした。
「いいえ、それでいいと思っております。私の生みましたという傷も隠されてしまいますほどにしてやっていただかれれば」
と言いながらも、忍びきれずに泣く明石が哀れであった。姫君は無邪気に父君といっしょに車へ早く乗りたがった。車の寄せられてある所へ明石は自身で姫君を抱いて出た。片言の美しい声で、袖をとらえて母に乗ることを勧めるのが悲しかった。
とよくも言われないままで非常に明石は泣いた。こんなことも想像していたことである、心苦しいことをすることになったと源氏は歎息した。
気を長くお待ちなさい」
と慰めるほかはないのである。道理はよくわかっていて抑制しようとしても明石の悲しさはどうしようもないのである。乳母と少将という若い女房だけが従って行くのである。守り刀、天児などを持って少将は車に乗った。女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて見送りに出した。源氏は道々も明石の心を思って罪を作ることに知らず知らず自分はなったかとも思った。
暗くなってから着いた二条の院のはなやかな空気はどこにもあふれるばかりに見えて、田舎に馴れてきた自分らがこの中で暮らすことはきまりの悪い恥ずかしいことであると、二人の女は車から下りるのに躊躇さえした。西向きの座敷が姫君の居間として設けられてあって、小さい室内の装飾品、手道具がそろえられてあった。乳母の部屋は西の渡殿の北側の一室にできていた。姫君は途中で眠ってしまったのである。抱きおろされて目がさめた時にも泣きなどはしなかった。夫人の居間で菓子を食べなどしていたが、そのうちあたりを見まわして母のいないことに気がつくと、かわいいふうに不安な表情を見せた。源氏は乳母を呼んでなだめさせた。残された母親はましてどんなに悲しがっていることであろうと、想像されることは、源氏に心苦しいことであったが、こうして最愛の妻と二人でこのかわいい子をこれから育てていくことは非常な幸福なことであるとも思った。どうしてあの人に生まれて、この人に生まれてこなかったか、自分の娘として完全に瑕のない所へはなぜできてこなかったのかと、さすがに残念にも源氏は思うのであった。当座は母や祖母や、大井の家で見馴れた人たちの名を呼んで泣くこともあったが、大体が優しい、美しい気質の子であったから、よく夫人に親しんでしまった。女王は可憐なものを得たと満足しているのである。専心にこの子の世話をして、抱いたり、ながめたりすることが夫人のまたとない喜びになって、乳母も自然に夫人に接近するようになった。ほかにもう一人身分ある女の乳の出る人が乳母に添えられた。
袴着はたいそうな用意がされたのでもなかったが世間並みなものではなかった。その席上の飾りが雛遊びの物のようで美しかった。列席した高官たちなどはこんな日にだけ来るのでもなく、毎日のように出入りするのであったから目だたなかった。ただその式で姫君が袴の紐を互いちがいに襷形に胸へ掛けて結んだ姿がいっそうかわいく見えたことを言っておかねばならない。
大井の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いていた。自身の愛が足らず、考えが足りなかったようにも後悔していた。尼君も泣いてばかりいたが、姫君の大事がられている消息の伝わってくることはこの人にもうれしかった。十分にされていて袴着の贈り物などここから持たせてやる必要は何もなさそうに思われたので、姫君づきの女房たちに、乳母をはじめ新しい一重ねずつの華美な衣裳を寄贈るだけのことにした。子さえ取ればあとは無用視するように女が思わないかと気がかりに思って年内にまた源氏は大井へ行った。寂しい山荘住まいをして、唯一の慰めであった子供に離れた女に同情して源氏は絶え間なく手紙を送っていた。夫人ももうこのごろではかわいい人に免じて恨むことが少なくなった。
正月が来た。うららかな空の下に二条の院の源氏夫婦の幸福な春があった。出入りする顕官たちは七日に新年の拝礼を行なった。若い殿上役人たちもはなやかに思い上がった顔のそろっている御代である。それ以下の人々も心の中には苦労もあるであろうが、表面はそれぞれの職業に楽しんでついているふうに見えた。
東の院の対の夫人も品位の添った暮らしをしていた。女房や童女の服装などにも洗練されたよい趣味を見せていた。明石の君の山荘に比べて近いことは花散里の強味になって、源氏は閑暇な時を見計らってよくここへ来ていた。夜をこちらで泊まっていくようなことはない。性格がきわめて善良で、無邪気で、自分にはこれだけの運よりないのであるとあきらめることを知っていた。源氏にとってはこの人ほど気安く思われる夫人はなかった。何かの場合にも紫夫人とたいした差別のない扱い方を源氏はするのであったから、軽蔑する者もなく、その方へも敬意を表しに行く人が絶えない。別当も家職も忠実に事務を取っていて整然とした一家をなしていた。
山荘の人のことを絶えず思いやっている源氏は、公私の正月の用が片づいたころのある日、大井へ出かけようとして、ときめく心に装いを凝らしていた。桜の色の直衣の下に美しい服を幾枚か重ねて、ひととおり薫物が焚きしめられたあとで、夫人へ出かけの言葉を源氏はかけに来た。明るい夕日の光に今日はいっそう美しく見えた。夫人は恨めしい心を抱きながら見送っているのであった。無邪気な姫君が源氏の裾にまつわってついて来る。御簾の外へも出そうになったので、立ち止まって源氏は哀れにわが子をながめていたが、なだめながら、「明日かへりこん」(桜人その船とどめ島つ田を十町作れる見て帰りこんや、そよや明日帰りこんや)と口ずさんで縁側へ出て行くのを、女王は中から渡殿の口へ先まわりをさせて、中将という女房に言わせた。
物馴れた調子で歌いかけたのである。源氏ははなやかな笑顔をしながら、
と言う。父母が何を言っているとも知らぬ姫君が、うれしそうに走りまわるのを見て夫人の「遠方人」を失敬だと思う心も緩和されていった。どんなにこの子のことばかり考えているであろう、自分であれば恋しくてならないであろう、こんなかわいい子供なのだからと思って、女王はじっと姫君の顔をながめていたが、懐へ抱きとって、美しい乳を飲ませると言って口へくくめなどして戯れているのは、外から見ても非常に美しい場面であった。女房たちは、
「なぜほんとうのお子様にお生まれにならなかったのでしょう。同じことならそれであればなおよかったでしょうにね」
などとささやいていた。
大井の山荘は風流に住みなされていた。建物も普通の形式離れのした雅味のある家なのである。明石は源氏が見るたびに美が完成されていくと思う容姿を持っていて、この人は貴女に何ほども劣るところがない。身分から常識的に想像すれば、ありうべくもないことと思うであろうが、それも世間と相いれない偏狭な親の性格などが禍いしているだけで、家柄などは決して悪くはないのであるから、かくあるのが自然であるとも源氏は思っていた。逢っている時が短くて、すぐに帰邸を思わねばならぬことを苦しがって、「夢のわたりの浮き橋か」(うち渡しつつ物をこそ思へ)と源氏は歎かれて、十三絃の出ていたのを引き寄せ、明石の秋の深夜に聞いた上手な琵琶の音もおもい出されるので、自身はそれを弾きながら、女にもぜひ弾けと勧めた。明石は少し合わせて弾いた。なぜこうまでりっぱなことばかりのできる女であろうと源氏は思った。源氏は姫君の様子をくわしく語っていた。大井の山荘も源氏にとっては愛人の家にすぎないのであるが、こんなふうにして泊まり込んでいる時もあるので、ちょっとした菓子、強飯というふうな物くらいを食べることもあった。自家の御堂とか、桂の院とかへ行って定まった食事はして、貴人の体面はくずさないが、そうかといって並み並みの妾の家らしくはして見せず、ある点まではこの家と同化した生活をするような寛大さを示しているのは、明石に持つ愛情の深さがしからしめるのである。明石も源氏のその気持ちを尊重して、出すぎたと思われることはせず、卑下もしすぎないのが、源氏には感じよく思われた。相当に身分のよい愛人の家でもこれほど源氏が打ち解けて暮らすことはないという話も明石は知っていたから。近い東の院などへ移って行っては源氏に珍しがられることもなくなり、飽かれた女になる時期を早くするようなものである、地理的に不便で、特に思い立って来なければならぬ所にいるのが自分の強味であると思っているのである。明石の入道も今後のいっさいのことは神仏に任せるというようなことも言ったのであるが、源氏の愛情、娘や孫の扱われ方などを知りたがって始終使いを出していた。報せを得て胸のふさがるようなこともあったし、名誉を得た気のすることもあった。
この時分に太政大臣が薨去した。国家の柱石であった人であるから帝もお惜しみになった。源氏も遺憾に思った。これまではすべてをその人に任せて閑暇のある地位にいられたわけであるから、死別の悲しみのほかに責任の重くなることを痛感した。帝は御年齢の割に大人びた聡明な方であって、御自身だけで政治をあそばすのに危げもないのであるが、だれか一人の御後見の者は必要であった。だれにそのことを譲って静かな生活から、やがては出家の志望も遂げえようと思われることで源氏は太政大臣の死によって打撃を受けた気がするのである。源氏は大臣の息子や孫以上に至誠をもってあとの仏事や法要を営んだ。今年はだいたい静かでない年であった。何かの前兆でないかと思われるようなことも頻々として起こる。日月星などの天象の上にも不思議が多く現われて世間に不安な気がみなぎっていた。天文の専門家や学者が研究して政府へ報告する文章の中にも、普通に見ては奇怪に思われることで、源氏の内大臣だけには解釈のついて、そして疚しく苦しく思われることが混じっていた。
女院は今年の春の初めからずっと病気をしておいでになって、三月には御重体にもおなりになったので、行幸などもあった。陛下の院にお別れになったころは御幼年で、何事も深くはお感じにならなかったのであるが、今度の御大病については非常にお悲しみになるふうであったから、女院もまたお悲しかった。
「今年はきっと私の死ぬ年ということを知っていましたけれど、初めはたいした病気でもございませんでしたから、賢明に死を予感して言うらしく他に見られるのもいかがと思いまして功徳のことのほうも例年以上なことは遠慮してしませんでした。参内いたしましてね、故院のお話などもお聞かせしようなどとも思っているのでしたが、普通の気分でいられる時が少のうございましたから、お目にも長くかからないでおりました」
と弱々しいふうで女院は帝へ申された。今年は三十七歳でおありになるのである。しかしお年よりもずっとお若くお見えになってまだ盛りの御容姿をお持ちあそばれるのであるから、帝は惜しく悲しく思召された。お厄年であることから、はっきりとされない御容体の幾月も続くのをすら帝は悲しんでおいでになりながら、そのころにもっとよく御養生をさせ、熱心に祈祷をさせなかったかと帝は悔やんでおいでになった。近ごろになってお驚きになったように急に御快癒の法などを行なわせておいでになるのである。これまではお弱い方にまた御持病が出たというように解釈して油断のあったことを源氏も深く歎いていた。尊貴な御身は御病母のもとにも長くはおとどまりになることができずに間もなくお帰りになるのであった。悲しい日であった。女院は御病苦のためにはかばかしくものもお言われになれないのである。お心の中ではすぐれた高貴の身に生まれて、人間の最上の光栄とする后の位にも自分は上った。不満足なことの多いようにも思ったが、考えればだれの幸福よりも大きな幸福のあった自分であるとも思召した。帝が夢にも源氏との重い関係をご存じでないことだけを女院はおいたわしくお思いになって、これがこの世に心の残ることのような気があそばされた。
源氏は一廷臣として太政大臣に続いてまた女院のすでに危篤状態になっておいでになることは歎かわしいとしていた。人知れぬ心の中では無限の悲しみをしていて、あらゆる神仏に頼んで宮のお命をとどめようとしているのである。もう長い間禁制の言葉としておさえていた初恋以来の心を告げることが、この際になるまで果たしえないことを源氏は非常に悲しいことであると思った。源氏は伺候して女院の御寝室の境に立った几帳の前で御容体などを女房たちに聞いてみると、ごく親しくお仕えする人たちだけがそこにはいて、くわしく話してくれた。
「もうずっと前からお悪いのを我慢あそばして仏様のお勤めを少しもお休みになりませんでしたのが、積もり積もってどっとお悪くおなりあそばしたのでございます。このごろでは柑子類すらもお口にお触れになりませんから、御衰弱が進むばかりで、御心配申し上げるような御容体におなりあそばしました」
と歎くのであった。
「院の御遺言をお守りくだすって、陛下の御後見をしてくださいますことで、今までどれほど感謝して参ったかしれませんが、あなたにお報いする機会がいつかあることと、のんきに思っておりましたことが、今日になりましてはまことに残念でなりません」
お言葉を源氏へお取り次がせになる女房へ仰せられるお声がほのかに聞こえてくるのである。源氏はお言葉をいただいてもお返辞ができずに泣くばかりである。見ている女房たちにはそれもまた悲しいことであった。どうしてこんなに泣かれるのか、気の弱さを顕わに見せることではないかと人目が思われるのであるが、それにもかかわらず涙が流れる。女院のお若かった日から今日までのことを思うと、恋は別にして考えても惜しいお命が人間の力でどうなることとも思われないことで限りもなく悲しかった。
「無力な私も陛下の御後見にできますだけの努力はしておりますが、太政大臣の薨去されましたことで大きな打撃を受けましたおりから、御重患におなりあそばしたので、頭はただ混乱いたすばかりで、私も長く生きていられない気がいたします」
こんなことを源氏が言っているうちに、あかりが消えていくように女院は崩御あそばされた。
源氏は力を落として深い悲しみに浸っていた。尊貴な方でもすぐれた御人格の宮は、民衆のためにも大きな愛を持っておいでになった。権勢があるために知らず知らず一部分の人をしいたげることもできてくるものであるが、女院にはそうしたお過ちもなかった。女院をお喜ばせしようと当局者の考えることもそれだけ国民の負担がふえることであるとお認めになることはお受けにならなかった。宗教のほうのことも僧の言葉をお聞きになるだけで、派手な人目を驚かすような仏事、法要などの行なわれた話は、昔の模範的な聖代にもあることであったが、女院はそれを避けておいでになった。御両親の御遺産、官から年々定まって支給せられる物の中から、実質的な慈善と僧家への寄付をあそばされた。であったから僧の片端にすぎないほどの者までも御恩恵に浴していたことを思って崩御を悲しんだ。世の中の人は皆女院をお惜しみして泣いた。殿上の人も皆真黒な喪服姿になって寂しい春であった。
源氏は二条の院の庭の桜を見ても、故院の花の宴の日のことが思われ、当時の中宮が思われた。「今年ばかりは」(墨染めに咲け)と口ずさまれるのであった。人が不審を起こすであろうことをはばかって、念誦堂に引きこもって終日源氏は泣いていた。はなやかに春の夕日がさして、はるかな山の頂の立ち木の姿もあざやかに見える下を、薄く流れて行く雲が鈍色であった。何一つも源氏の心を惹くものもないころであったが、これだけは身に沁んでながめられた。
これはだれも知らぬ源氏の歌である。御葬儀に付帯したことの皆終わったころになってかえって帝はお心細く思召した。女院の御母后の時代から祈りの僧としてお仕えしていて、女院も非常に御尊敬あそばされ、御信頼あそばされた人で、朝廷からも重い待遇を受けて、大きな御祈願がこの人の手で多く行なわれたこともある僧都があった。年は七十くらいである。もう最後の行をするといって山にこもっていたが僧都は女院の崩御によって京へ出て来た。宮中から御召しがあって、しばしば御所へ出仕していたが、近ごろはまた以前のように君側のお勤めをするようにと源氏から勧められて、
「もう夜居などはこの健康でお勤めする自信はありませんが、もったいない仰せでもございますし、お崩れになりました女院様への御奉公になることと思いますから」
と言いながら夜居の僧として帝に侍していた。静かな夜明けにだれもおそばに人がいず、いた人は皆退出してしまった時であった。僧都は昔風に咳払いをしながら、世の中のお話を申し上げていたが、その続きに、
「まことに申し上げにくいことでございまして、かえってそのことが罪を作りますことになるかもしれませんから、躊躇はいたされますが、陛下がご存じにならないでは相当な大きな罪をお得になることでございますから、天の目の恐ろしさを思いまして、私は苦しみながら亡くなりますれば、やはり陛下のおためにはならないばかりでなく、仏様からも卑怯者としてお憎しみを受けると思いまして」
こんなことを言い出した。しかもすぐにはあとを言わずにいるのである。帝は何のことであろう、今日もまだ意志の通らぬことがあって、それの解決を見た上でなければ清い往生のできぬような不安があるのかもしれない。僧というものは俗を離れた世界に住みながら嫉妬排擠が多くてうるさいものだそうであるからと思召して、
「私は子供の時から続いてあなたを最も親しい者として信用しているのであるが、あなたのほうには私に言えないことを持っているような隔てがあったのかと思うと少し恨めしい」
と仰せられた。
「もったいない。私は仏様がお禁じになりました真言秘密の法も陛下には御伝授申し上げました。私個人のことで申し上げにくいことが何ございましょう。この話は過去未来に広く関聯したことでございましてお崩れになりました院、女院様、現在国務をお預かりになる内大臣のおためにもかえって悪い影響をお与えすることになるかもしれません。老いた僧の身の私はどんな難儀になりましても後悔などはいたしません。仏様からこの告白はお勧めを受けてすることでございます。陛下がお妊まれになりました時から、故宮はたいへんな御心配をなさいまして、私に御委託あそばしたある祈祷がございました。くわしいことは世捨て人の私に想像ができませんでございました。大臣が一時失脚をなさいまして難儀にお逢いになりましたころ宮の御恐怖は非常なものでございまして、重ねてまたお祈りを私へ仰せつけになりました。大臣がそれをお聞きになりますと、また御自身のほうからも同じ御祈祷をさらに増してするようにと御下命がございまして、それは御位にお即きあそばすまで続けました祈祷でございました。そのお祈りの主旨はこうでございました」
と言って、くわしく僧都の奏上するところを聞こし召して、お驚きになった帝の御心は恥ずかしさと、恐しさと、悲しさとの入り乱れて名状しがたいものであった。何とも仰せがないので、僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを御不快に思召すのかと恐懼して、そっと退出しようとしたのを、帝はおとどめになった。
「それを自分が知らないままで済んだなら後世までも罪を負って行かなければならなかったと思う。今まで言ってくれなかったことを私はむしろあなたに信用がなかったのかと恨めしく思う。そのことをほかにも知った者があるだろうか」
と仰せられる。
「決してございません。私と王命婦以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。その隠れた事実のために恐ろしい天の譴がしきりにあるのでございます。世間に何となく不安な気分のございますのもこのためなのでございます。御幼年で何のお弁えもおありあそばさないころは天もとがめないのでございますが、大人におなりあそばされた今日になって天が怒りを示すのでございます。すべてのことは御両親の御代から始められなければなりません。何の罪とも知し召さないことが恐ろしゅうございますから、いったん忘却の中へ追ったことを私はまた取り出して申し上げました」
泣く泣く僧都の語るうちに朝が来たので退出してしまった。
帝は隠れた事実を夢のようにお聞きになって、いろいろと御煩悶をあそばされた。故院のためにも済まないこととお思われになったし、源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということももったいなく思召された。お胸が苦しくて朝の時が進んでも御寝室をお離れにならないのを、こうこうと報せがあって源氏の大臣が驚いて参内した。お出ましになって源氏の顔を御覧になるといっそう忍びがたくおなりあそばされた。帝は御落涙になった。源氏は女院をお慕いあそばされる御親子の情から、夜も昼もお悲しいのであろうと拝見した、その日に式部卿親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったというように帝はお感じになったのであった。こんなころであったからこの日は源氏も自邸へ退出せずにずっとおそばに侍していた。しんみりとしたお話の中で、
「もう世の終わりが来たのではないだろうか。私は心細くてならないし、天下の人心もこんなふうに不安になっている時だから私はこの地位に落ち着いていられない。女院がどう思召すかと御遠慮をしていて、位を退くことなどは言い出せなかったのであるが、私はもう位を譲って責任の軽い身の上になりたく思う」
こんなことを帝は仰せられた。
「それはあるまじいことでございます。死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、必ずしも政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。聖主の御代にも天変と地上の乱のございますことは支那にもございました。ここにもあったのでございます。まして老人たちの天命が終わって亡くなってまいりますことは大御心におかけあそばすことではございません」
などと源氏は言って、譲位のことを仰せられた帝をお諫めしていた。問題が間題であるからむずかしい文字は省略する。
じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔とは常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じもののように見えた。帝も以前から鏡にうつるお顔で源氏に似たことは知っておいでになるのであるが、僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目が注がれて熱い御愛情のお心にわくのをお覚えになる帝は、どうかして源氏にそのことを語りたいと思召すのであったが、さすがに御言葉にはあそばしにくいことであったから、お若い帝は羞恥をお感じになってお言い出しにならなかった。そんな間帝はただの話も常よりはなつかしいふうにお語りになり、敬意をお見せになったりもあそばして、以前とは変わった御様子がうかがわれるのを、聡明な源氏は、不思議な現象であると思ったが、僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになったとは想像しなかった。帝は王命婦にくわしいことを尋ねたく思召したが、今になって女院が秘密を秘密とすることに苦心されたことを、自分が知ったことは命婦にも思われたくない、ただ大臣にだけほのめかして、歴史の上にこうした例があるということを聞きたいと思召されるのであったが、そうしたお話をあそばす機会がお見つかりにならないためにいよいよ御学問に没頭あそばされて、いろいろの書物を御覧になったが、支那にはそうした事実が公然認められている天子も、隠れた事実として伝記に書かれてある天子も多かったが、この国の書物からはさらにこれにあたる例を御発見あそばすことはできなかった。皇子の源氏になった人が納言になり、大臣になり、さらに親王になり、即位される例は幾つもあった。りっぱな人格を尊敬することに託して、自分は源氏に位を譲ろうかとも思召すのであった。
秋の除目に源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめてお洩らしになった。源氏はまぶしくも、恐ろしくも思って、あるまじいことに思うと奏上した。
「故院はおおぜいのお子様の中で特に私をお愛しになりながら、御位をお譲りになることはお考えにもならなかったのでございます。その御意志にそむいて、及びない地位に私がどうしてなれましょう。故院の思召しどおりに私は一臣下として政治に携わらせていただきまして、今少し年を取りました時に、静かな出家の生活にもはいろうと存じます」
と平生の源氏らしく御辞退するだけで、御心を解したふうのなかったことを帝は残念に思召した。太政大臣に任命されることも今しばらくのちのことにしたいと辞退した源氏は、位階だけが一級進められて、牛車で禁門を通過する御許可だけを得た。帝はそれも御不満足なことに思召して、親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、中納言が今度大納言になって右大将を兼任することになったが、この人がもう一段昇進したあとであったなら、親王になって閑散な位置へ退くのもよいと源氏は思っていた。源氏はこんなふうな態度を帝がおとりあそばすことになったことで苦しんでいた。故中宮のためにもおかわいそうなことで、また陛下には御煩悶をおさせする結果になっている秘密奏上をだれがしたかと怪しく思った。命婦は御匣殿がほかへ移ったあとの御殿に部屋をいただいて住んでいたから、源氏はそのほうへ訪ねて行った。
「あのことをもし何かの機会に少しでも陛下のお耳へお入れになったのですか」
と源氏は言ったが、
「私がどういたしまして。宮様は陛下が秘密をお悟りになることを非常に恐れておいでになりましたが、また一面では陛下へ絶対にお知らせしないことで陛下が御仏の咎をお受けになりはせぬかと御煩悶をあそばしたようでございました」
命婦はこう答えていた。こんな話にも故宮の御感情のこまやかさが忍ばれて源氏は恋しく思った。
斎宮の女御は予想されたように源氏の後援があるために後宮のすばらしい地位を得ていた。すべての点に源氏の理想にする貴女らしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかしずいていた。この秋女御は御所から二条の院へ退出した。中央の寝殿を女御の住居に決めて、輝くほどの装飾をして源氏は迎えたのであった。もう院への御遠慮も薄らいで、万事を養父の心で世話をしているのである。秋の雨が静かに降って植え込みの草の花の濡れ乱れた庭をながめて女院のことがまた悲しく思い出された源氏は、湿ったふうで女御の御殿へ行った。濃い鈍色の直衣を着て、病死者などの多いために政治の局にあたる者は謹慎をしなければならないというのに託して、実は女院のために源氏は続いて精進をしているのであったから、手に掛けた数珠を見せぬように袖に隠した様子などが艶であった。御簾の中へ源氏ははいって行った。几帳だけを隔てて王女御はお逢いになった。
「庭の草花は残らず咲きましたよ。今年のような恐ろしい年でも、秋を忘れずに咲くのが哀れです」
こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。御息所のことを言い出して、野の宮に行ってなかなか逢ってもらえなかった秋のことも話した。故人を切に恋しく思うふうが源氏に見えた。宮も「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖ぞ露けかりける」というように、少しお泣きになる様子が非常に可憐で、みじろぎの音も類のない柔らかさに聞こえた。艶な人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
「私は過去の青年時代に、みずから求めて物思いの多い日を送りました。恋愛するのは苦しいものなのですよ。悪い結果を見ることもたくさんありましたが、とうとう終いまで自分の誠意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、その一つはあなたのお母様のことです。お恨ませしたままお別れしてしまって、このことで未来までの煩いになることを私はしてしまったかと悲しんでいましたが、こうしてあなたにお尽くしすることのできることで私はみずから慰んでいるもののなおそれでもおかくれになったあなたのお母様のことを考えますと、私の心はいつも暗くなります」
もう一つのほうの話はしなかった。
「私の何もかもが途中で挫折してしまったころ、心苦しくてなりませんでしたことがどうやら少しずつよくなっていくようです。今東の院に住んでおります妻は、寄るべの少ない点で絶えず私の気がかりになったものですが、それも安心のできるようになりました。善良な女で、私と双方でよく理解し合っていますから朗らかなものです。私がまた世の中へ帰って朝政に与るような喜びは私にたいしたこととは思われないで、そうした恋愛問題のほうがたいせつに思われる私なのですから、どんな抑制を心に加えてあなたの御後見だけに満足していることか、それをご存じになっていますか、御同情でもしていただかなければかいがありません」
と源氏は言った。面倒な話になって、宮は何ともお返辞をあそばさないのを見て、
「そうですね、そんなことを言って私が悪い」
と話をほかへ源氏は移した。
「今の私の望みは閑散な身になって風流三昧に暮らしうることと、のちの世の勤めも十分にすることのほかはありませんが、この世の思い出になることを一つでも残すことのできないのはさすがに残念に思われます。ただ二人の子供がございますが、老い先ははるかで待ち遠しいものです。失礼ですがあなたの手でこの家の名誉をお上げくだすって、私の亡くなりましたのちも私の子供らを護っておやりください」
などと言った。宮のお返事はおおようで、しかも一言をたいした努力でお言いになるほどのものであるが、源氏の心はまったくそれに惹きつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっていた。
「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、四季時々の美しい自然を生かせるようなことで、私は満足を得たいと思っています。春の花の咲く林、秋の野のながめを昔からいろいろに優劣が論ぜられていますが、道理だと思って、どちらかに加担のできるほどのことはまだだれにも言われておりません。支那では春の花の錦が最上のものに言われておりますし、日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わっていって、どれが最もよいとは私らに決められないのです。狭い邸の中ででも、あるいは春の花の木をもっぱら集めて植えたり、秋草の花を多く作らせて、野に鳴く虫を放しておいたりする庭をこしらえてあなたがたにお見せしたく思いますが、あなたはどちらがお好きですか、春と秋と」
源氏にこうお言われになった宮は、返辞のしにくいことであるとはお思いになったが、何も言わないことはよろしくないとお考えになって、
「私などはまして何もわかりはいたしませんで、いつも皆よろしいように思われますけれど、そのうちでも怪しいと申します夕べ(いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)は私のためにも亡くなりました母の思い出される時になっておりまして、特別な気がいたします」
お言葉尻のしどけなくなってしまう様子などの可憐さに、源氏は思わず規を越した言葉を口に出した。
忍びきれないおりおりがあるのです」
宮のお返辞のあるわけもない。腑に落ちないとお思いになるふうである。いったんおさえたものが外へあふれ出たあとは、その勢いで恋も恨みも源氏の口をついて出てきた。それ以上にも事を進ませる可能性はあったが、宮があまりにもあきれてお思いになる様子の見えるのも道理に思われたし、自身の心もけしからぬことであると思い返されもして源氏はただ歎息をしていた。艶な姿ももう宮のお目にはうとましいものにばかり見えた。柔らかにみじろぎをして少しずつあとへ引っ込んでお行きになるのを知って、
「そんなに私が不愉快なものに思われますか、高尚な貴女はそんなにしてお見せになるものではありませんよ。ではもうあんなお話はよしましょうね。これから私をお憎みになってはいけませんよ」
と言って源氏は立ち去った。しめやかな源氏の衣服の香の座敷に残っていることすらを宮は情けなくお思いになった。女房たちが出て来て格子などを閉めたあとで、
「このお敷き物の移り香の結構ですこと、どうしてあの方はこんなにすべてのよいものを備えておいでになるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたというのはあの方ね。どんな前生をお持ちになる方でしょう」
などと言い合っていた。
西の対に帰った源氏はすぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、端の座敷にからだを横たえていた。燈籠を少し遠くへ掛けさせ、女房たちをそばに置いて話をさせなどしているのであった。思ってはならぬ人が恋しくなって、悲しみに胸のふさがるような癖がまだ自分には残っているのでないかと、源氏は自身のことながらも思われた。これはまったく似合わしからぬ恋である、おそろしい罪であることはこれ以上であるかもしれぬが若き日の過失は、思慮の足らないためと神仏もお許しになったのであろう、今もまたその罪を犯してはならないと、源氏はみずから思われてきたことによって、年が行けば分別ができるものであるとも悟った。
王女御は身にしむ秋というものを理解したふうにお返辞をされたことすらお悔やみになった。恥ずかしく苦しくて、無気味で病気のようになっておいでになるのを、源氏は素知らぬふうで平生以上に親らしく世話などやいていた。
源氏は夫人に、
「女御の秋がよいとお言いになるのにも同情されるし、あなたの春が好きなことにも私は喜びを感じる。季節季節の草木だけででも気に入った享楽をあなたがたにさせたい。いろいろの仕事を多く持っていてはそんなことも望みどおりにはできないから、早く出家が遂げたいものの、あなたの寂しくなることが思われてそれも実現難になりますよ」
などと語っていた。
大井の山荘の人もどうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、ますます窮屈な位置に押し上げられてしまった今では、通って行くことが困難にばかりなった。悲観的に人生を見るようになった明石を、源氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、自分の勧めに従って町へ出て来ればよいのであるが、他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような思い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、また哀れで、例の嵯峨の御堂の不断の念仏に託して山荘を訪ねた。住み馴れるにしたがってますます凄い気のする山荘に待つ恋人などというものは、この源氏ほどの深い愛情を持たない相手をも引きつける力があるであろうと思われる。ましてたまさかに逢えたことで、恨めしい因縁のさすがに浅くないことも思って歎く女はどう取り扱っていいかと、源氏は力限りの愛撫を試みて慰めるばかりであった。木の繁った中からさす篝の光が流れの蛍と同じように見える庭もおもしろかった。
「過去に寂しい生活の経験をしていなかったら、私もこの山荘で逢うことが心細くばかり思われることだろう」
と源氏が言うと、
あちらの景色によく似ております。不幸な者につきもののような灯影でございます」
と明石が言った。
だれが私の人生観を悲しいものにさせたのだろう」
と源氏のほうからも恨みを言った。少し閑暇のできたころであったから、御堂の仏勤めにも没頭することができて、二、三日源氏が山荘にとどまっていることで女は少し慰められたはずである。
朝顔
斎院は父宮の喪のために職をお辞しになった。源氏は例のように古い恋も忘れることのできぬ癖で、始終手紙を送っているのであったが、斎院御在職時代に迷惑をされた噂の相手である人に、女王は打ち解けた返事をお書きになることもなかった。九月になって旧邸の桃園の宮へお移りになったのを聞いて、そこには御叔母の女五の宮が同居しておいでになったから、そのお見舞いに託して源氏は訪問して行った。故院がこの御同胞がたを懇切にお扱いになったことによって、今もそうした方々と源氏には親しい交際が残っているのである。同じ御殿の西と東に分かれて、老内親王と若い前斎院とは住んでおいでになった。式部卿の宮がお薨れになって何ほどの時がたっているのでもないが、もう宮のうちには荒れた色が漂っていて、しんみりとした空気があった。女五の宮が御対面あそばして源氏にいろいろなお話があった。老女らしい御様子で咳が多くお言葉に混じるのである。姉君ではあるが太政大臣の未亡人の宮はもっと若く、美しいところを今もお持ちになるが、これはまったく老人らしくて、女性に遠い気のするほどこちこちしたものごしでおありになるのも不思議である。
「院の陛下がお崩れになってからは、心細いものに私はなって、年のせいからも泣かれる日が多いところへ、またこの宮が私を置いて行っておしまいになったので、もうあるかないかに生きているにすぎない私を訪ねてくだすったことで、私は不幸だと思ったことももう忘れてしまいそうですよ」
と宮はお言いになった。ずいぶん老人めいておしまいになったと思いながらも源氏は畏まって申し上げた。
「院がお崩れになりまして以来、すべてのことが同じこの世のことと思われませんような変わり方で、思いがけぬ所罰も受けまして、遠国に漂泊えておりましたが、たまたま帰京が許されることになりますと、また雑務に追われてばかりおりますようなことで、長い前からお伺いいたして故院のお話を承りもし、お聞きもいただきたいと存じながら果たしえませんことで悶々としておりました」
「あなたの不幸だったころの世の中はまあどうだったろう。昔の御代もそうした時代も同じようにながめていねばならぬことで私は長生きがいやでしたが、またあなたがお栄えになる日を見ることができたために、私の考えはまた違ってきましたよ。あの中途で死んでいたらと思うのでね、長生きがよくなったのですよ」
ぶるぶるとお声が震う。また続けて、
「ますますきれいですね。子供でいらっしった時にはじめてあなたを見て、こんな人も生まれてくるものだろうかとびっくりしましたね。それからもお目にかかるたびにあなたのきれいなのに驚いてばかりいましたよ。今の陛下があなたによく似ていらっしゃるという話ですが、そのとおりには行かないでしょう、やはりいくぶん劣っていらっしゃるだろうと私は想像申し上げますよ」
長々と宮は語られるのであるが、面と向かって美貌をほめる人もないものであると源氏はおかしく思った。
「さすらい人になっておりましたころから非常に私も衰えてしまいました。陛下の御美貌は古今無比とお見上げ申しております。あなた様の御想像は誤っておりますよ」
と源氏は言った。
「では時々陛下を拝んでおればいっそう長生きをする私になりますね。私は今日でもう人生のいやなことも皆忘れてしまいましたよ」
こんなお話のあとでも五の宮はお泣きになるのである。
「お姉様の三の宮がおうらやましい。あなたのお子さんを孫にしておられる御縁で始終あなたにお逢いしておられるのだからね。ここのお亡くなりになった宮様もその思召しだけがあって、実現できなかったことで歎息をあそばしたことがよくあるのです」
というお話だけには源氏も耳のとまる気がした。
「そうなっておりましたら私はすばらしい幸福な人間だったでしょう。宮様がたは私に御愛情が足りなかったとより思われません」
と源氏は恨めしいふうに、しかも言外に意を響かせても言った。
女王のお住まいになっているほうの庭を遠く見ると、枯れ枯れになった花草もなお魅力を持つもののように思われて、それを静かな気分でながめていられる麗人が直ちに想像され、源氏は恋しかった。逢いたい心のおさえられないままに、
「こちらへ伺いましたついでにお訪ねいたさないことは、志のないもののように、誤解を受けましょうから、あちらへも参りましょう」
と源氏は言って、縁側伝いに行った。もう暗くなったころであったが、鈍色の縁の御簾に黒い几帳の添えて立てられてある透影は身にしむものに思われた。薫物の香が風について吹き通う艶なお住居である。外は失礼だと思って、女房たちの計らいで南の端の座敷の席が設けられた。女房の宣旨が応接に出て取り次ぐ言葉を待っていた。
「今になりまして、お居間の御簾の前などにお席をいただくことかと私はちょっと戸惑いがされます。どんなに長い年月にわたって私は志を申し続けてきたことでしょう。その労に酬いられて、お居間へ伺うくらいのことは許されていいかと信じてきましたが」
と言って、源氏は不満足な顔をしていた。
「昔というものは皆夢でございまして、それがさめたのちのはかない世かと、それもまだよく決めて思われません境地にただ今はおります私ですから、あなた様の労などは静かに考えさせていただいたのちに定めなければと存じます」
女王の言葉の伝えられたのはこれだった。だからこの世は定めがたい、頼みにしがたいのだと、こんな言葉の端からも源氏は悲しまれた。
ただ今はもう神に託しておのがれになることもできないはずです。一方で私が不幸な目にあっていました時以来の苦しみの記録の片端でもお聞きくださいませんか」
源氏は女王と直接に会見することをこう言って強要するのである。そうした様子なども昔の源氏に比べて、より優美なところが多く添ったように思われた。その時代に比べると年はずっと行ってしまった源氏ではあるが、位の高さにはつりあわぬ若々しさは保存されていた。
と斎院のお歌が伝えられる。
「そんなことをおとがめになるのですか。その時代の罪は皆科戸の風に追ってもらったはずです」
源氏の愛嬌はこぼれるようであった。
「この御禊を神は(恋せじとみたらし川にせし御禊神は受けずもなりにけるかな)お受けになりませんそうですね」
宣旨は軽く戯談にしては言っているが、心の中では非常に気の毒だと源氏に同情していた。羞恥深い女王は次第に奥へ身を引いておしまいになって、もう宣旨にも言葉をお与えにならない。
「あまりに哀れに自分が見えすぎますから」
と深い歎息をしながら源氏は立ち上がった。
「年が行ってしまうと恥ずかしい目にあうものです。こんな恋の憔悴者にせめて話を聞いてやろうという寛大な気持ちをお見せになりましたか。そうじゃない」
こんな言葉を女房に残して源氏の帰ったあとで、女房らはどこの女房も言うように源氏をたたえた。空の色も身にしむ夜で、木の葉の鳴る音にも昔が思われて、女房らは古いころからの源氏との交渉のあったある場面場面のおもしろかったこと、身に沁んだことも心に浮かんでくると言って斎院にお話し申していた。
不満足な気持ちで帰って行った源氏はましてその夜が眠れなかった。早く格子を上げさせて源氏は庭の朝霧をながめていた。枯れた花の中に朝顔が左右の草にまつわりながらあるかないかに咲いて、しかも香さえも放つ花を折らせた源氏は、前斎院へそれを贈るのであった。
という手紙を源氏は書いたのである。真正面から恋ばかりを言われているのでもない中年の源氏のおとなしい手紙に対して、返事をせぬことも感情の乏しい女と思われることであろうと女王もお思いになり、女房たちもそう思って硯の用意などしたのでお書きになった。
とだけ書かれた手紙はたいしておもしろいものでもないはずであるが、源氏はそれを手から放すのも惜しいようにじっとながめていた。青鈍色の柔らかい紙に書かれた字は美しいようであった。書いた人の身分、書き方などが補ってその時はよい文章、よい歌のように思われたことも、改めて本の中へ書き載せると拙い点の現われてくるものであるから、手紙の文章や歌というようなものは、この話の控え帳に筆者は大部分省くことにしていたので、採録したものにも書き誤りがあるであろうと思われる。
今になってまた若々しい恋の手紙を人に送るようなことも似合わしくないことであると源氏は思いながらも、昔から好意も友情もその人に持たれながら、恋の成り立つまでにはならなかったのを思うと、もうあとへは退けない気になっていて、再び情火を胸に燃やしながら心をこめた手紙を続いて送っていた。東の対のほうに離れていて、前斎院の宣旨を源氏は呼び寄せて相談をしていた。
女房たちのだれの誘惑にもなびいて行きそうな人々は狂気にもなるほど源氏をほめて夢中になっているこんな家の中で、朝顔の女王だけは冷静でおありになった。お若い時すらも友情以上のものをこの人にお持ちにならなかったのであるから、今はまして自分もその人も恋愛などをする年ではなくなっていて、花や草木のことの言われる手紙にもすぐに返事を出すようなことは人の批評することがうるさいと、それも遠慮をされるようになっていつまでたってもお心の動く様子はなかった。
初めの態度はどこまでもお続けになる朝顔の女王の普通の型でない点が、珍重すべきおもしろいことにも思われてならない源氏であった。世間はもうその噂をして、
「源氏の大臣は前斎院に御熱心でいられるから、女五の宮へ御親切もお尽くしになるのだろう、結婚されて似合いの縁というものであろう」
とも言うのが、紫夫人の耳にも伝わって来た。当座はそんなことがあっても自分へ源氏は話して聞かせるはずであると思っていたが、それ以来気をつけて見ると、源氏の様子はそわそわとして、何かに心の奪われていることがよくわかるのであった。こんなにまじめに打ち込んで結婚までを思う恋を、自分にはただ気紛れですることのように良人は言っていた。同じ女王ではあっても世間から重んぜられていることは自分と比較にならない人である。その人に良人の愛が移ってしまったなら自分はみじめであろう、と夫人は歎かれた。さすがに第一の夫人として源氏の愛をほとんど一身に集めてきた人であったから、今になって心の満たされない取り扱いを受けることは、外へ対しても堪えがたいことであると夫人は思うのである。顧みられないというようなことはなくても、源氏が重んじる妻は他の人で、自分は少女時代から養ってきた、どんな薄遇をしても甘んじているはずの妻にすぎないことになるのであろうと、こんなことを思って夫人は煩悶しているが、たいしたことでないことはあまり感情を害しない程度の夫人の恨み言にもなって、それで源氏の恋愛行為が牽制されることにもなるのであったが、今度は夫人の心の底から恨めしく思うことであったから、何ともその問題に触れようとしない。外をながめて物思いを絶えずするのが源氏であって、御所の宿直の夜が多くなり、役のようにして自宅ですることは手紙を書くことであった。噂に誤りがないらしいと夫人は思って、少しくらいは打ち明けて話してもよさそうなものであると、飽き足りなくばかり思った。
冬の初めになって今年は神事がいっさい停止されていて寂しい。つれづれな源氏はまた五の宮を訪ねに行こうとした。雪もちらちらと降って艶な夕方に、少し着て柔らかになった小袖になお薫物を多くしたり、化粧に時間を費やしたりして恋人を訪おうとしている源氏であるから、それを見ていて気の弱い女性はどんな心持ちがするであろうと危ぶまれた。さすがに出かけの声をかけに源氏は夫人の所へ来た。
「女五の宮様が御病気でいらっしゃるからお見舞いに行って来ます」
ちょっとすわってこう言う源氏のほうを、夫人は見ようともせずに姫君の相手をしていたが、不快な気持ちはよく見えた。
「始終このごろは機嫌が悪いではありませんか、無理でないかもしれない。長くいっしょにいてはあなたに飽かれると思って、私は時々御所で宿直をしたりしてみるのが、それでまたあなたは不愉快になるのですね」
「ほんとうに長く同じであるものは悲しい目を見ます」
とだけ言って向こうを向いて寝てしまった女王を置いて出て行くことはつらいことに源氏は思いながらも、もう御訪問の報せを宮に申し上げたのちであったから、やむをえず二条の院を出た。こんな日も自分の上にめぐってくるのを知らずに、源氏を信頼して暮らしてきたと寂しい気持ちに夫人はなっていた。喪服の鈍色ではあるが濃淡の重なりの艶な源氏の姿が雪の光でよく見えるのを、寝ながらのぞいていた夫人はこの姿を見ることも稀な日になったらと思うと悲しかった。前駆も親しい者ばかりを選んであったが、
「参内する以外の外出はおっくうになった。桃園の女五の宮様は寂しいお一人ぼっちなのだからね、式部卿の宮がおいでになった間は私もお任せしてしまっていたが、今では私がたよりだとおっしゃるのでね、それもごもっともでお気の毒だから」
などと、前駆を勤める人たちにも言いわけらしく源氏は言っていたが、
「りっぱな方だけれど、恋愛をおやめにならない点が傷だね。御家庭がそれで済むまいと心配だ」
とそうした人たちも言っていた。
桃園のお邸は北側にある普通の人の出入りする門をはいるのは自重の足りないことに見られると思って、西の大門から人をやって案内を申し入れた。こんな天気になったから、先触れはあっても源氏は出かけて来ないであろうと宮は思っておいでになったのであるから、驚いて大門をおあけさせになるのであった。出て来た門番の侍が寒そうな姿で、背中がぞっとするというふうをして、門の扉をかたかたといわせているが、これ以外の侍はいないらしい。
「ひどく錠が錆びていてあきません」
とこぼすのを、源氏は身に沁んで聞いていた。宮のお若いころ、自身の生まれたころを源氏が考えてみるとそれはもう三十年の昔になる、物の錆びたことによって人間の古くなったことも思われる。それを知りながら仮の世の執着が離れず、人に心の惹かれることのやむ時がない自分であると源氏は恥じた。
源氏はこんなことを口ずさんでいた。やや長くかかって古い門の抵抗がやっと征服された。
源氏はまず宮のお居間のほうで例のように話していたが、昔話の取りとめもないようなのが長く続いて源氏は眠くなるばかりであった。宮もあくびをあそばして、
「私は宵惑いなものですから、お話がもうできないのですよ」
とお言いになったかと思うと、鼾という源氏に馴染の少ない音が聞こえだしてきた。源氏は内心に喜びながら宮のお居間を辞して出ようとすると、また一人の老人らしい咳をしながら御簾ぎわに寄って来る人があった。
「もったいないことですが、ご存じのはずと思っておりますものの私の存在をとっくにお忘れになっていらっしゃるようでございますから、私のほうから、出てまいりました。院の陛下がお祖母さんとお言いになりました者でございますよ」
と言うので源氏は思い出した。源典侍といわれていた人は尼になって女五の宮のお弟子分でお仕えしていると以前聞いたこともあるが、今まで生きていたとは思いがけないことであるとあきれてしまった。
「あのころのことは皆昔話になって、思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、うれしい方がおいでになりましたね。『親なしに臥せる旅人』と思ってください」
と言いながら、御簾のほうへからだを寄せる源氏に、典侍はいっそう昔が帰って来た気がして、今も好色女らしく、歯の少なくなった曲がった口もとも想像される声で、甘えかかろうとしていた。
「とうとうこんなになってしまったじゃありませんか」
などとおくめんなしに言う。今はじめて老衰にあったような口ぶりであるとおかしく源氏は思いながらも、一面では哀れなことに予期もせず触れた気もした。この女が若盛りのころの後宮の女御、更衣はどうなったかというと、みじめなふうになって生き長らえている人もあるであろうが大部分は故人である。入道の宮などのお年はどうであろう、この人の半分にも足らないでお崩れになったではないか、はかないのが姿である人生であるからと源氏は思いながらも、人格がいいともいえない、ふしだらな女が長生きをして気楽に仏勤めをして暮らすようなことも不定と仏のお教えになったこの世の相であると、こんなふうに感じて、気分がしんみりとしてきたのを、典侍は自身の魅力の反映が源氏に現われてきたものと解して、若々しく言う。
源氏は悪感を覚えて、
頼もしい縁ですよ。そのうちにまた」
と言って立ってしまった。
西のほうはもう格子が下ろしてあったが、迷惑がるように思われてはと斟酌して一間二間はそのままにしてあった。月が出て淡い雪の光といっしょになった夜の色が美しかった。今夜は真剣なふうに恋を訴える源氏であった。
「ただ一言、それは私を憎むということでも御自身のお口から聞かせてください。私はそれだけをしていただいただけで満足してあきらめようと思います」
熱情を見せてこう言うが、女王は、自分も源氏もまだ若かった日、源氏が今日のような複雑な係累もなくて、どんなことも若さの咎で済む時代にも、父宮などの希望された源氏との結婚問題を、自分はその気になれずに否んでしまった。ましてこんなに年が行って衰えた今になっては、一言でも直接にものを言ったりすることは恥ずかしくてできないとお思いになって、だれが勧めてもそうしようとされないのを、源氏は非常に恨めしく思った。さすがに冷淡にはお取り扱いにはならないで、人づてのお返辞はくださるというのであったから、源氏は悶々とするばかりであった。次第に夜がふけて、風の音もはげしくなる。心細さに落ちる涙をぬぐいながら源氏は言う。
『心づから』(恋しさも心づからのものなれば置き所なくもてぞ煩ふ)苦しみます」
「あまりにお気の毒でございますから」
と言って、女房らが女王に返歌をされるように勧めた。
私はそうしたふうに変わっていきません」
と女房が斎院のお言葉を伝えた。力の抜けた気がしながらも、言うべきことは言い残して帰って行く源氏は、自身がみじめに思われてならなかった。
「こんなことは愚かな男の例として噂にもなりそうなことですから人には言わないでください。『いさや川』(犬上のとこの山なるいさや川いさとこたへてわが名もらすな)などというのも恋の成り立った場合の歌で、ここへは引けませんね」
と言って源氏はなお女房たちに何事かを頼んで行った。
「もったいない気がしました。なぜああまで気強くなさるのでしょう。少し近くへお出ましになっても、まじめに求婚をしていらっしゃるだけですから、失礼なことなどの起こってくる気づかいはないでしょうのに、お気の毒な」
とあとで言う者もあった。斎院は源氏の価値をよく知っておいでになって愛をお感じにならないのではないが、好意を見せても源氏の外貌だけを愛している一般の女と同じに思われることはいやであると思っておいでになった。接近させて下にかくしたこの恋を源氏に看破されるのもつらく女王はお思いになるのである。友情で書かれた手紙には友情で酬いることにして、源氏が来れば人づてで話す程度のことにしたいとお思いになって、御自身は神に奉仕していた間怠っていた仏勤めを、取り返しうるほど十分にできる尼になりたいとも願っておいでになるのであるが、この際にわかにそうしたことをするのも源氏へ済まない、反抗的の行為であるとも必ず言われるであろうと、世間が作る噂というものの苦しさを経験されたお心からお思いになった。女房たちが源氏に買収されてどんな行為をするかもしれぬという懸念から女王はその人たちに対してもお気をお許しにならなかった。そして追い追い宗教的な生活へ進んでお行きになるのであった。女王は男の兄弟も幾人か持っておいでになるのであるが同腹でなかったから親しんで来る者もない。宮家の財政も心細くなった際に、源氏が熱心な求婚者として出て来たのであるから、女たちは一人残らず結婚の成り立つことばかりを祈っていた。
源氏はあながちにあせって結婚がしたいのではなかったが、恋人の冷淡なのに負けてしまうのが残念でならなかった。今日の源氏は最上の運に恵まれてはいるが、昔よりはいろいろなことに経験を積んできていて、今さら恋愛に没頭することの不可なことも、世間から受ける批難も知っていながらしていることで、これが成功しなければいよいよ不名誉であると信じて、二条の院に寝ない夜も多くなったのを夫人は恨めしがっていた。悲しみをおさえる力も尽きることがあるわけである。源氏の前で涙のこぼれることもあった。
「なぜ機嫌を悪くしているのですか、理由がわからない」
と言いながら、額髪を手で払ってやり、憐んだ表情で夫人の顔を源氏がながめている様子などは、絵に描きたいほど美しい夫婦と見えた。
「女院がお崩れになってから、陛下が寂しそうにばかりしておいでになるのが心苦しいことだし、太政大臣が現在では欠けているのだから、政務は皆私が見なければならなくて、多忙なために家へ帰らない時の多いのを、あなたから言えば例のなかったことで、寂しく思うのももっともだけれど、ほんとうはもうあなたの不安がることは何もありませんよ。安心しておいでなさい。大人になったけれどまだ少女のように思いやりもできず、私を信じることもできない、可憐なばかりのあなたなのだろう」
などと言いながら、優しく妻の髪を直したりして源氏はいるのであったが、夫人はいよいよ顔を向こうへやってしまって何も言わない。
「若々しい我儘をあなたがするのも私のつけた癖なのだ」
歎息をして、短い人生に愛する人からこんなにまで恨まれているのも苦しいことであると源氏は思った。
「斎院との交際で何かあなたは疑っているのではないのですか。それはまったく恋愛などではないのですよ。自然わかってくるでしょうがね。昔からあの人はそんな気のないいっぷう変わった女性なのですよ。私の寂しい時などに手紙を書いてあげると、あちらはひまな方だから時々は返事をくださるのです。忠実に相手になってもくださらないと、そんなことをあなたにこぼすほどのことでもないから、いちいち話さないだけです。気がかりなことではないと思い直してください」
などと言って、源氏は終日夫人をなだめ暮らした。
雪のたくさん積もった上になお雪が降っていて、松と竹がおもしろく変わった個性を見せている夕暮れ時で、人の美貌もことさら光るように思われた。
「春がよくなったり、秋がよくなったり、始終人の好みの変わる中で、私は冬の澄んだ月が雪の上にさした無色の風景が身に沁んで好きに思われる。そんな時にはこの世界のほかの大世界までが想像されてこれが人間の感じる極致の境だという気もするのに、すさまじいものに冬の月を言ったりする人の浅薄さが思われる」
源氏はこんなことを言いながら御簾を巻き上げさせた。月光が明るく地に落ちてすべての世界が白く見える中に、植え込みの灌木類の押しつけられた形だけが哀れに見え、流れの音も咽び声になっている。池の氷のきらきら光るのもすごかった。源氏は童女を庭へおろして雪まろげをさせた。美しい姿、頭つきなどが月の光にいっそうよく見えて、やや大きな童女たちが、いろいろな袙を着て、上着は脱いだ結び帯の略装で、もうずっと長くなっていて、裾の拡がった髪は雪の上で鮮明にきれいに見られるのであった。小さい童女は子供らしく喜んで走りまわるうちには扇を落としてしまったりしている。ますます大きくしようとしても、もう童女たちの力では雪の球が動かされなくなっている。童女の半分は東の妻戸の外に集まって、自身たちの出て行けないのを残念がりながら、庭の連中のすることを見て笑っていた。
「昔中宮がお庭に雪の山をお作らせになったことがある。だれもすることだけれど、その場合に非常にしっくりと合ったことをなさる方だった。どんな時にもあの方がおいでになったらと、残念に思われることが多い。私などに対して法を越えた御待遇はなさらなかったから、細かなことは拝見する機会もなかったが、さすがに尊敬している私を信用はしていてくだすった。私は何かのことがあると歌などを差し上げたが、文学的に見て優秀なお返事でないが、見識があるというよさはおありになって、お言いになることが皆深みのあるものだった。あれほど完全な貴女がほかにもあるとは思われない。柔らかに弱々しくいらっしゃって、気高い品のよさがあの方のものだったのですからね。しかしあなただけは血縁の近い女性だけあってあの方によく似ている。少しあなたは嫉妬をする点だけが悪いかもしれないね。前斎院の性格はまたまったく変わっておいでになる。私の寂しい時に手紙などを書く交際相手で敬意の払われる、晴れがましい友人としてはあの方だけがまだ残っておいでになると言っていいでしょう」
と源氏が言った。
「尚侍は貴婦人の資格を十分に備えておいでになる、軽佻な気などは少しもお見えにならないような方だのに、あんなことのあったのが、私は不思議でならない」
「そうですよ。艶な美しい女の例には、今でもむろん引かねばならない人ですよ。そんなことを思うと自分のしたことで人をそこなった後悔が起こってきてならない。まして多情な生活をしては年が行ったあとでどんなに後悔することが多いだろう。人ほど軽率なことはしないでいる男だと思っていた私でさえこうだから」
源氏は尚侍の話をする時にも涙を少しこぼした。
「あなたが眼中にも置かないように軽蔑している山荘の女は、身分以上に貴婦人の資格というものを皆そろえて持った人ですがね、思い上がってますますよく見えるのも人によることですから、私はその点をその人によけいなもののようにも見ておりますがね。私はまだずっと下の階級に属する女性たちを知らないが、私の見た範囲でもすぐれた人はなかなかないものですよ。東の院に置いてある人の善良さは、若い時から今まで一貫しています。愛すべき人ですよ。ああはいかないものですよ。私たちは青春時代から信じ合った、そしてつつましい恋を続けてきたものです。今になって別れ別れになることなどはできませんよ。私は深く愛しています」
こんな話に夜はふけていった。月はいよいよ澄んで美しい。夫人が、
と言いながら、外を見るために少し傾けた顔が美しかった。髪の性質、顔だちが恋しい故人の宮にそっくりな気がして、源氏はうれしかった。少し外に分けられていた心も取り返されるものと思われた。鴛鴦の鳴いているのを聞いて、源氏は、
と言っていた。
寝室にはいってからも源氏は中宮の御事を恋しく思いながら眠りについたのであったが、夢のようにでもなくほのかに宮の面影が見えた。非常にお恨めしいふうで、
「あんなに秘密を守るとお言いになりましたけれど、私たちのした過失はもう知れてしまって、私は恥ずかしい思いと苦しい思いとをしています。あなたが恨めしく思われます」
とお言いになった。返辞を申し上げるつもりでたてた声が、夢に襲われた声であったから、夫人が、
「まあ、どうなさいました、そんなに」
と言ったので源氏は目がさめた。非常に残り惜しい気がして、張り裂けるほどの鼓動を感じる胸をおさえていると、涙も流れてきた。夢のまったく醒めたのちでも源氏は泣くことをやめないのであった。夫人はどんな夢であったのであろうと思うと、自分だけが別物にされた寂しさを覚えて、じっとみじろぎもせずに寝ていた。
源氏の歌である。夢に死んだ恋人を見たことに心は慰まないで、かえって恋しさ悲しさのまさる気のする源氏は、早く起きてしまって、何とは表面に出さずに、誦経を寺へ頼んだ。苦しい目を見せるとお恨みになったのもきっとそういう気のあそばすことであろうと源氏に悟れるところがあった。仏勤めをなされたほかに民衆のためにも功徳を多くお行ないになった宮が、あの一つの過失のためにこの世での罪障が消滅し尽くさずにいるかと、深く考えてみればみるほど源氏は悲しくなった。自分はどんな苦行をしても寂しい世界に贖罪の苦しみをしておいでになる中宮の所へ行って、罪に代わっておあげすることがしたいと、こんなことをつくづくと思い暮らしていた。中宮のために仏事を自分の行なうことはどんな簡単なことであっても世間の疑いを受けることに違いない、帝の御心の鬼に思召し合わすことになってもよろしくないと源氏ははばかられて、ただ一人心で阿弥陀仏を念じ続けた。同じ蓮華の上に生まれしめたまえと祈ったことであろう。
と思うと悲しかったそうである。
乙女
春になって女院の御一周年が過ぎ、官人が喪服を脱いだのに続いて四月の更衣期になったから、はなやかな空気の満ち渡った初夏であったが、前斎院はなお寂しくつれづれな日を送っておいでになった。庭の桂の木の若葉がたてるにおいにも若い女房たちは、宮の御在職中の加茂の院の祭りのころのことを恋しがった。源氏から、神の御禊の日もただ今はお静かでしょうという挨拶を持った使いが来た。
紫の紙に書いた正しい立文の形の手紙が藤の花の枝につけられてあった。斎院はものの少し身にしむような日でおありになって、返事をお書きになった。
とだけ書かれてある手紙を、例のように源氏は熱心にながめていた。斎院が父宮の喪の済んでお服直しをされる時も、源氏からたいした贈り物が来た。女王はそれをお受けになることは醜いことであるというように言っておいでになったが、求婚者としての言葉が添えられていることであれば辞退もできるが、これまで長い間何かの場合に公然の進物を送り続けた源氏であって、親切からすることであるから返却のしようがないように言って女房たちは困っていた。女五の宮のほうへもこんなふうにして始終物質的に御補助をする源氏であったから、宮は深く源氏を愛しておいでになった。
「源氏の君というと、いつも美しい少年が思われるのだけれど、こんなに大人らしい親切を見せてくださる。顔がきれいな上に心までも並みの人に違ってでき上がっているのだね」
とおほめになるのを、若い女房らは笑っていた。西の女王とお逢いになる時には、
「源氏の大臣から熱心に結婚が申し込まれていらっしゃるのだったら、いいじゃありませんかね、今はじめての話ではなし、ずっと以前からのことなのですからね、お亡くなりになった宮様もあなたが斎院におなりになった時に、結婚がせられなくなったことで失望をなすってね、以前宮様がそれを実行しようとなすった時に、あなたの気の進まなかったことで、話をそのままにしておいたのを御後悔してお話しになることがよくありましたよ。けれどもね、宮様がそうお思い立ちになったころは左大臣家の奥さんがいられたのですからね、そうしては三の宮がお気の毒だと思召して第二の結婚をこちらでおさせにはなりにくかったのですよ。あなたと従妹のその奥様が亡くなられたのだし、そうなすってもいいのにと私は思うし、一方ではまた新しく熱心にお申し込みがあるというのは、やはり前生の約束事だろうと思う」
などと古めかしい御勧告をあそばすのを、女王は苦笑して聞いておいでになった。
「お父様からもそんな強情者に思われてきた私なのですから、今さら源氏の大臣の声名が高いからと申して結婚をいたしますのは恥ずかしいことだと思います」
こんなふうに思いもよらぬように言っておいでになったから、宮もしまいにはお勧めにならなかった。邸の人は上から下まで皆が皆そうなるのを望んでいることを女王は知って警戒しておいでになったが、源氏自身は至誠で女王を動かしうる日は待っているが、しいて力で結婚を遂げるようなことをしたくないと女王の感情を尊重していた。
故太政大臣家で生まれた源氏の若君の元服の式を上げる用意がされていて、源氏は二条の院で行なわせたく思うのであったが、祖母の宮が御覧になりたく思召すのがもっともで、そうしたことはお気の毒に思われて、やはり今までお育てになった宮の御殿でその式をした。右大将を始め伯父君たちが皆りっぱな顕官になっていて勢力のある人たちであったから、母方の親戚からの祝品その他の贈り物もおびただしかった。かねてから京じゅうの騒ぎになるほど華美な祝い事になったのである。初めから四位にしようと源氏は思ってもいたことであったし、世間もそう見ていたが、まだきわめて小さい子を、何事も自分の意志のとおりになる時代にそんな取り計らいをするのは、俗人のすることであるという気がしてきたので、源氏は長男に四位を与えることはやめて、六位の浅葱の袍を着せてしまった。大宮が言語道断のことのようにこれをお歎きになったことはお道理でお気の毒に思われた。源氏は宮に御面会をしてその問題でお話をした。
「ただ今わざわざ低い位に置いてみる必要もないようですが、私は考えていることがございまして、大学の課程を踏ませようと思うのでございます。ここ二、三年をまだ元服以前とみなしていてよかろうと存じます。朝廷の御用の勤まる人間になりますれば自然に出世はして行くことと存じます。私は宮中に育ちまして、世間知らずに御前で教養されたものでございますから、陛下おみずから師になってくだすったのですが、やはり刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも音足らずな気持ちを痛感したりいたしました。つまらぬ親にまさった子は自然に任せておきましてはできようのないことかと思います。まして孫以下になりましたなら、どうなるかと不安に思われてなりませんことから、そう計らうのでございます。貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことがありましても、家に権勢のあります間は、心で嘲笑はしながらも追従をして機嫌を人がそこねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれでりっぱにも見えましょうが、家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑されましても、なんらみずから恃むところのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。日本魂をいかに活かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。ただ今目前に六位しか持たないのを見まして、たよりない気はいたしましても、将来の国家の柱石たる教養を受けておきますほうが、死後までも私の安心できることかと存じます。ただ今のところは、とにかく私がいるのですから、窮迫した大学生と指さす者もなかろうと思います」
と源氏が言うのを、聞いておいでになった宮は歎息をあそばしながら、
「ごもっともなお話だと思いますがね、右大将などもあまりに変わったお好みだと不審がりますし、子供もね、残念なようで、大将や左衛門督などの息子の、自分よりも低いもののように見下しておりました者の位階が皆上へ上へと進んで行きますのに、自分は浅葱の袍を着ていねばならないのをつらく思うふうですからね。私はそれがかわいそうなのでした」
とお言いになる。
「大人らしく父を恨んでいるのでございますね。どうでしょう、こんな小さい人が」
源氏はかわいくてならぬと思うふうで子を見ていた。
「学問などをいたしまして、ものの理解のできるようになりましたら、その恨みも自然になくなってまいるでしょう」
と言っていた。
若君の師から字をつけてもらう式は東の院ですることになって、東の院に式場としての設けがされた。高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。博士たちが晴れがましがって気おくれもしそうである。
「遠慮をせずに定りどおりに厳格にやってください」
と源氏から言われたので、しいて冷静な態度を見せて、借り物の衣裳の身に合わぬのも恥じずに、顔つき、声づかいに学者の衒気を見せて、座にずっと並んでついたのははなはだ異様であった。若い役人などは笑いがおさえられないふうである。しかもこれは笑いやすいふうではない、落ち着いた人が酒瓶の役に選ばれてあったのである。すべてが風変わりである。右大将、民部卿などが丁寧に杯を勧めるのを見ても作法に合わないと叱り散らす、
「御接待役が多すぎてよろしくない。あなたがたは今日の学界における私を知らずに朝廷へお仕えになりますか。まちがったことじゃ」
などと言うのを聞いてたまらず笑い出す人があると、
「鳴りが高い、おやめなさい。はなはだ礼に欠けた方だ、座をお退きなさい」
などと威す。大学出身の高官たちは得意そうに微笑をして、源氏の教育方針のよいことに敬服したふうを見せているのであった。ちょっと彼らの目の前で話をしても博士らは叱る、無礼だと言って何でもないこともとがめる。やかましく勝手気ままなことを言い放っている学者たちの顔は、夜になって灯がともったころからいっそう滑稽なものに見えた。まったく異様な会である。源氏は、
「自分のような規律に馴れないだらしのない者は粗相をして叱りまわされるであろうから」
と言って、御簾の中に隠れて見ていた。式場の席が足りないために、あとから来て帰って行こうとする大学生のあるのを聞いて、源氏はその人々を別に釣殿のほうでもてなした。贈り物もした。式が終わって退出しようとする博士と詩人をまた源氏はとどめて詩を作ることにした。高官や殿上役人もそのほうの才のある人は皆残したのである。博士たちは律の詩、源氏その他の人は絶句を作るのであった。おもしろい題を文章博士が選んだ。短夜のころであったから、夜がすっかり明けてから詩は講ぜられた。左中弁が講師の役をしたのである。きれいな男の左中弁が重々しい神さびた調子で詩を読み上げるのが感じよく思われた。この人はことに深い学殖のある博士なのである。こうした大貴族の家に生まれて、栄華に戯れてもいるはずの人が蛍雪の苦を積んで学問を志すということをいろいろの譬えを借りて讃美した作は句ごとにおもしろかった。支那の人に見せて批評をさせてみたいほどの詩ばかりであると言われた。源氏のはむろん傑作であった。子を思う親の情がよく現われているといって、列席者は皆涙をこぼしながら誦した。
それに続いてまた入学の式もあった。東の院の中に若君の勉強部屋が設けられて、まじめな学者を一人つけて源氏は学ばせた。若君は大宮の所へもあまり行かないのであった。夜も昼もおかわいがりにばかりなって、いつまでも幼児であるように宮はお扱いになるのであったから、そこでは勉学ができないであろうと源氏が認めて、学問所を別にして若君を入れたわけである。月に三度だけは大宮を御訪問申してよいと源氏は定めた。じっと学問所にこもってばかりいる苦しさに、若君は父君を恨めしく思った。ひどい、こんなに苦しまないでも出世をして世の中に重んぜられる人がないわけはなかろうと考えるのであるが、一体がまじめな性格であって、軽佻なところのない少年であったから、よく忍んで、どうかして早く読まねばならぬ本だけは皆読んで、人並みに社会へ出て立身の道を進みたいと一所懸命になったから、四、五か月のうちに史記などという書物は読んでしまった。もう大学の試験を受けさせてもよいと源氏は思って、その前に自身の前で一度学力をためすことにした。例の伯父の右大将、式部大輔、左中弁などだけを招いて、家庭教師の大内記に命じて史記の中の解釈のむずかしいところの、寮試の問題に出されそうな所々を若君に読ますのであったが、若君は非常に明瞭に難解なところを幾通りにも読んで意味を説明することができた。師の爪じるしは一か所もつける必要のないのを見て、人々は若君に学問をする天分の豊かに備わっていることを喜んだ。伯父の大将はまして感動して、
「父の大臣が生きていられたら」
と言って泣いていた。源氏も冷静なふうを作ろうとはしなかった。
「世間の親が愛におぼれて、子に対しては正当な判断もできなくなっているなどと私は見たこともありますが、自分のことになってみると、それは子が大人になっただけ親はぼけていくのでやむをえないことだと解釈ができます。私などはまだたいした年ではないがやはりそうなりますね」
などと言いながら涙をふいているのを見る若君の教師はうれしかった。名誉なことになったと思っているのである。大将が杯をさすともう深く酔いながら畏まっている顔つきは気の毒なように痩せていた。変人と見られている男で、学問相当な地位も得られず、後援者もなく貧しかったこの人を、源氏は見るところがあってわが子の教師に招いたのである。たちまちに源氏の庇護を受ける身の上になって、若君のために生まれ変わったような幸福を得ているのである。将来はましてこの今の若君に重用されて行くことであろうと思われた。
大学へ若君が寮試を受けに行く日は、寮門に顕官の車が無数に止まった。あらゆる廷臣が今日はここへ来ることかと思われる列席者の派手に並んだ所へ、人の介添えを受けながらはいって来た若君は、大学生の仲間とは見ることもできないような品のよい美しい顔をしていた。例の貧乏学生の多い席末の座につかねばならないことで、若君が迷惑そうな顔をしているのももっともに思われた。ここでもまた叱るもの威嚇するものがあって不愉快であったが、若君は少しも臆せずに進んで出て試験を受けた。昔学問の盛んだった時代にも劣らず大学の栄えるころで、上中下の各階級から学生が出ていたから、いよいよ学問と見識の備わった人が輩出するばかりであった。文人と擬生の試験も若君は成績よく通ったため、師も弟子もいっそう励みが出て学業を熱心にするようになった。源氏の家でも始終詩会が催されなどして、博士や文士の得意な時代が来たように見えた。何の道でも優秀な者の認められないのはないのが当代であった。
皇后が冊立されることになっていたが、斎宮の女御は母君から委託された方であるから、自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の后の立つことは一方に偏したことであると批難を加える者もあった。そうした人たちは弘徽殿の女御がだれよりも早く後宮にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。双方に味方が現われて、だれもどうなることかと不安がっていた。兵部卿の宮と申した方は今は式部卿になっておいでになって、当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、予定どおりに後宮へはいって、斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、他人でない濃い御親戚関係もあることであって、母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局梅壺の前斎宮が后におなりになった。女王の幸運に世間は驚いた。源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。学問を深くした人であるから韻塞ぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、大人になって役人になっているのは次々に昇進するばかりであったが、女は女御のほかに一人よりない。それは親王家の姫君から生まれた人で、尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、その母君が今は按察使大納言の夫人になっていて、今の良人との間に幾人かの子女が生まれている中において継父の世話を受けさせておくことはかわいそうであるといって、大臣は引き取ってわが母君の大宮に姫君をお託ししてあった。大臣は女御を愛するほどには決してこの娘を愛してはいないのであるが、性質も容貌も美しい少女であった。そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、大臣は娘を訓えて睦ませないのを、若君の心に物足らぬ気持ちがあって、花や紅葉を贈ること、雛遊びの材料を提供することなどに真心を見せて、なお遊び相手である地位だけは保留していたから、姫君もこの従弟を愛して、男に顔を見せぬというような、普通の慎みなどは無視されていた。乳母などという後見役の者も、この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、にわかに厳格に二人の間を隔てることはできないと大目に見ていたが、姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、いつの間にか情人の関係にまで到ったらしい。東の院へ学問のために閉じこめ同様になったことは、このことがあるために若君を懊悩させた。まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、そこらに落ち散らされてもあるのを、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、そんなことは人に訴えてよいことでもないから、だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。后の宮、両大臣家の大饗宴なども済んで、ほかの催し事が続いて仕度されねばならぬということもなくて、世間の静かなころ、秋の通り雨が過ぎて、荻の上風も寂しい日の夕方に、大宮のお住居へ内大臣が御訪問に来た。大臣は姫君を宮のお居間に呼んで琴などを弾かせていた。宮はいろいろな芸のおできになる方で、姫君にもよく教えておありになった。
「琵琶は女が弾くとちょっと反感も起こりますが、しかし貴族的なよいものですね。今日はごまかしでなくほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。何親王、何の源氏」
などと大臣は数えたあとで、
「女では太政大臣が嵯峨の山荘に置いておく人というのが非常に巧いそうですね。さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、京官から落伍して地方にまで行った男の娘に、どうしてそんな上手が出て来たのでしょう。源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、何かのおりにはよくその人の話をせられます。ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、多く聞き、多くの人と合わせてもらうことでずっと進歩するものですが、独習をしていて、その域に達したというのは珍しいことです」
こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをお奨めした。
「もう絃を押すことなどが思うようにできなくなりましたよ」
とお言いになりながらも、宮は上手に琴をお弾きになった。
「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、すぐれた聡明な人らしいですね。私に預けてくだすったのは男の子一人であの方の女の子もできていたらどんなによかったろうと思う女の子をその人は生んで、しかも自分がつれていては子供の不幸になることをよく理解して、りっぱな奥さんのほうへその子を渡したことなどを、感心なものだと私も話に聞きました」
こんな話を大宮はあそばした。
「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」
などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、それが自家の不幸な話に移っていった。
「私は女御を完全でなくても、どんなことも人より劣るような娘には育て上げなかったつもりなんですが、意外な人に負ける運命を持っていたのですね。人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、心中ではその希望を持っていたのですが、今のお話の明石の幸運女が生んだお后の候補者があとからずんずん生長してくるのですからね。その人が後宮へはいったら、ましてだれが競争できますか」
大臣が歎息するのを宮は御覧になって、
「必ずしもそうとは言われませんよ。この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。そのおつもりで亡くなられた大臣も女御の世話を引き受けて皆なすったのだものね。大臣がおいでになったらこんな意外な結果は見なかったでしょう」
この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。姫君がこぢんまりとした美しいふうで、十三絃の琴を弾いている髪つき、顔と髪の接触点の美などの艶な上品さに大臣がじっと見入っているのを姫君が知って、恥ずかしそうにからだを少し小さくしている横顔がきれいで、絃を押す手つきなどの美しいのも絵に描いたように思われるのを、大宮も非常にかわいく思召されるふうであった。姫君はちょっと掻き合わせをした程度で弾きやめて琴を前のほうへ押し出した。内大臣は大和琴を引き寄せて、律の調子の曲のかえって若々しい気のするものを、名手であるこの人が、粗弾きに弾き出したのが非常におもしろく聞こえた。外では木の葉がほろほろとこぼれている時、老いた女房などは涙を落としながらあちらこちらの几帳の蔭などに幾人かずつ集まってこの音楽に聞き入っていた。「風の力蓋し少なし」(落葉俟二微
一以隕、而風之力蓋寡、孟嘗遭二雍門一而泣、琴之感以末。)と文選の句を大臣は口ずさんで、
「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。もう少しお弾きになりませんか」
と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。宮はこの座の人は御孫女ばかりでなく、大きな大臣までもかわいく思召された。そこへいっそうの御満足を加えるように源氏の若君が来た。
「こちらへ」
と宮はお言いになって、お居間の中の几帳を隔てた席へ若君は通された。
「あなたにはあまり逢いませんね。なぜそんなにむきになって学問ばかりをおさせになるのだろう。あまり学問のできすぎることは不幸を招くことだと大臣も御体験なすったことなのだけれど、あなたをまたそうおしつけになるのだね、わけのあることでしょうが、ただそんなふうに閉じ込められていてあなたがかわいそうでならない」
と内大臣は言った。
「時々は違ったこともしてごらんなさい。笛だって古い歴史を持った音楽で、いいものなのですよ」
内大臣はこう言いながら笛を若君へ渡した。若々しく朗らかな音を吹き立てる笛がおもしろいためにしばらく絃楽のほうはやめさせて、大臣はぎょうさんなふうでなく拍子を取りながら、「萩が花ずり」(衣がへせんや、わが衣は野原篠原萩の花ずり)など歌っていた。
「太政大臣も音楽などという芸術がお好きで、政治のほうのことからお脱けになったのですよ。人生などというものは、せめて好きな楽しみでもして暮らしてしまいたい」
と言いながら甥に杯を勧めなどしているうちに暗くなったので灯が運ばれ、湯漬け、菓子などが皆の前へ出て食事が始まった。姫君はもうあちらへ帰してしまったのである。しいて二人を隔てて、琴の音すらも若君に聞かせまいとする内大臣の態度を、大宮の古女房たちはささやき合って、
「こんなことで近いうちに悲劇の起こる気がします」
とも言っていた。
大臣は帰って行くふうだけを見せて、情人である女の部屋にはいっていたが、そっとからだを細くして廊下を出て行く間に、少年たちの恋を問題にして語る女房たちの部屋があった。不思議に思って立ち止まって聞くと、それは自身が批評されているのであった。
「賢がっていらっしゃっても甘いのが親ですね。とんだことが知らぬ間に起こっているのですがね。子を知るは親にしかずなどというのは嘘ですよ」
などこそこそと言っていた。情けない、自分の恐れていたことが事実になった。打っちゃって置いたのではないが、子供だから油断をしたのだ。人生は悲しいものであると大臣は思った。すべてを大臣は明らかに悟ったのであるが、そっとそのまま出てしまった。前駆がたてる人払いの声のぎょうさんなのに、はじめて女房たちはこの時間までも大臣がここに留まっていたことを知ったのである。
「殿様は今お帰りになるではありませんか。どこの隅にはいっておいでになったのでしょう。あのお年になって浮気はおやめにならない方ね」
と女房らは言っていた。内証話をしていた人たちは困っていた。
「あの時非常にいいにおいが私らのそばを通ったと思いましたがね、若君がお通りになるのだとばかり思っていましたよ。まあこわい、悪口がお耳にはいらなかったでしょうか。意地悪をなさらないとも限りませんね」
内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。非常に悪いことではないが、従弟どうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、野合の初めを世間の噂に上されることもつらい。後宮の競争に女御をおさえた源氏が恨めしい上に、また自分はその失敗に代えてあの娘を東宮へと志していたのではないか、僥倖があるいはそこにあるかもしれぬと、ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。源氏と大臣との交情は睦まじく行っているのであるが、昔もその傾向があったように、負けたくない心が断然強くて、大臣はそのことが不快であるために朝まで安眠もできなかった。大宮も様子を悟っておいでになるであろうが、非常におかわいくお思いになる孫であるから勝手なことをさせて、見ぬ顔をしておいでになるのであろうと女房たちの言っていた点で、大臣は大宮を恨めしがっていた。腹がたつとそれを内におさえることのできない性質で大臣はあった。
二日ほどしてまた内大臣は大宮を御訪問した。こんなふうにしきりに出て来る時は宮の御機嫌がよくて、おうれしい御様子がうかがわれた。形式は尼になっておいでになる方であるが、髪で額を隠して、お化粧もきれいにあそばされ、はなやかな小袿などにもお召しかえになる。子ながらも晴れがましくお思われになる大臣で、ありのままのお姿ではお逢いにならないのである。内大臣は不機嫌な顔をしていた。
「こちらへ上がっておりましても私は恥ずかしい気がいたしまして、女房たちはどう批評をしていることだろうかと心が置かれます。つまらない私ですが、生きておりますうちは始終伺って、物足りない思いをおさせせず、私もその点で満足を得たいと思ったのですが、不良な娘のためにあなた様をお恨めしく思わずにいられませんようなことができてまいりました。そんなに真剣にお恨みすべきでないと、自分ながらも心をおさえようとするのでございますが、それができませんで」
大臣が涙を押しぬぐうのを御覧になって、お化粧あそばした宮のお顔の色が変わった。涙のために白粉が落ちてお目も大きくなった。
「どんなことがあって、この年になってからあなたに恨まれたりするのだろう」
と宮の仰せられるのを聞くと、さすがにお気の毒な気のする大臣であったが続いて言った。
「御信頼しているものですから、子供をお預けしまして、親である私はかえって何の世話もいたしませんで、手もとに置きました娘の後宮のはげしい競争に敗惨の姿になって、疲れてしまっております方のことばかりを心配して世話をやいておりまして、こちらに御厄介になります以上は、私がそんなふうに捨てて置きましても、あなた様は彼を一人並みの女にしてくださいますことと期待していたのですが、意外なことになりましたから、私は残念なのです。源氏の大臣は天下の第一人者といわれるりっぱな方ではありますがほとんど家の中どうしのような者のいっしょになりますことは、人に聞こえましても軽率に思われることです。低い身分の人たちの中でも、そんなことは世間へはばかってさせないものです。それはあの人のためにもよいことでは決してありません。全然離れた家へはなやかに婿として迎えられることがどれだけ幸福だかしれません。従姉の縁で強いた結婚だというように取られて、源氏の大臣も不快にお思いになるかもしれませんよ。それにしましてもそのことを私へお知らせくださいましたら、私はまた計らいようがあるというものです。ある形式を踏ませて、少しは人聞きをよくしてやることもできたでしょうが、あなた様が、ただ年若な者のする放縦な行動そのままにお捨て置きになりましたことを私は遺憾に思うのです」
くわしく大臣が言うことによって、はじめて真相をお悟りになった宮は、夢にもお思いにならないことであったから、あきれておしまいになった。
「あなたがそうお言いになるのはもっともだけれど、私はまったく二人の孫が何を思って、何をしているかを知りませんでした。私こそ残念でなりませんのに、同じように罪を私が負わせられるとは恨めしいことです。私は手もとへ来た時から、特別にかわいくて、あなたがそれほどにしようとお思いにならないほど大事にして、私はあの人に女の最高の幸福を受けうる価値もつけようとしてました。一方の孫を溺愛して、ああしたまだ少年の者に結婚を許そうなどとは思いもよらぬことです。それにしても、だれがあなたにそんなことを言ったのでしょう。人の中傷かもしれぬことで、腹をお立てになったりなさることはよくないし、ないことで娘の名に傷をつけてしまうことにもなりますよ」
「何のないことだものですか。女房たちも批難して、蔭では笑っていることでしょうから、私の心中は穏やかでありようがありません」
と言って大臣は立って行った。幼い恋を知っている人たちは、この破局に立ち至った少年少女に同情していた。先夜の内証話をした人たちは逆上もしてしまいそうになって、どうしてあんな秘密を話題にしたのであろうと後悔に苦しんでいた。
姫君は何も知らずにいた。のぞいた居間に可憐な美しい顔をして姫君がすわっているのを見て、大臣の心に父の愛が深く湧いた。
「いくら年が行かないからといって、あまりに幼稚な心を持っているあなただとは知らないで、われわれの娘としての人並みの未来を私はいろいろに考えていたのだ。あなたよりも私のほうが廃り物になった気がする」
と大臣は言って、それから乳母を責めるのであった。乳母は大臣に対して何とも弁明ができない。ただ、
「こんなことでは大事な内親王様がたにもあやまちのあることを昔の小説などで読みましたが、それは御信頼を裏切るおそばの者があって、男の方のお手引きをするとか、また思いがけない隙ができたとかいうことで起きるのですよ。こちらのことは何年も始終ごいっしょに遊んでおいでになった間なんですもの。お小さくはいらっしゃるし宮様が寛大にお扱いになる以上にわれわれがお制しすることはできないとそのままに見ておりましたけれど、それも一昨年ごろからははっきりと日常のことが御区別できましたし、またあの方が同じ若い人といってもだらしのない不良なふうなどは少しもない方なのでしたから、まったく油断をいたしましたわね」
などと自分たち仲間で歎いているばかりであった。
「で、このことはしばらく秘密にしておこう。評判はどんなにしていても立つものだが、せめてあなたたちは、事実でないと否定をすることに骨を折るがいい。そのうち私の邸へつれて行くことにする。宮様の御好意が足りないからなのだ。あなたがたはいくら何だっても、こうなれと望んだわけではないだろう」
と大臣が言うと、乳母たちは、大宮のそう取られておいでになることをお気の毒に思いながらも、また自家のあかりが立ててもらえたようにうれしく思った。
「さようでございますとも、大納言家への聞こえということも私たちは思っているのでございますもの、どんなに人柄がごりっぱでも、ただの御縁におつきになることなどを私たちは希望申し上げるわけはございません」
と言う。姫君はまったく無邪気で、どう戒めても、訓えてもわかりそうにないのを見て大臣は泣き出した。
「どういうふうに体裁を繕えばいいか、この人を廃り物にしないためには」
大臣は二、三人と密議するのであった。この人たちは大宮の態度がよろしくなかったことばかりを言い合った。
大宮はこの不祥事を二人の孫のために悲しんでおいでになったが、その中でも若君のほうをお愛しになる心が強かったのか、もうそんなに大人びた恋愛などのできるようになったかとかわいくお思われにならないでもなかった。もってのほかのように言った内大臣の言葉を肯定あそばすこともできない。必ずしもそうであるまい、たいした愛情のなかった子供を、自分がたいせつに育ててやるようになったため、東宮の後宮というような志望も父親が持つことになったのである。それが実現できなくて、普通の結婚をしなければならない運命になれば、源氏の長男以上のすぐれた婿があるものではない。容貌をはじめとして何から言っても同等の公達のあるわけはない、もっと価値の低い婿を持たねばならない気がすると、やや公平でない御愛情から、大臣を恨んでおいでになるのであったが、宮のこのお心持ちを知ったならまして大臣はお恨みすることであろう。
自身のことでこんな騒ぎのあることも知らずに源氏の若君が来た。一昨夜は人が多くいて、恋人を見ることのできなかったことから、恋しくなって夕方から出かけて来たものであるらしい。平生大宮はこの子をお迎えになると非常におうれしそうなお顔をあそばしておよろこびになるのであるが、今日はまじめなふうでお話をあそばしたあとで、
「あなたのことで内大臣が来て、私までも恨めしそうに言ってましたから気の毒でしたよ。よくないことをあなたは始めて、そのために人が不幸になるではありませんか。私はこんなふうに言いたくはないのだけれど、そういうことのあったのを、あなたが知らないでいてはと思ってね」
とお言いになった。少年の良心にとがめられていることであったから、すぐに問題の真相がわかった。若君は顔を赤くして、
「なんでしょう。静かな所へ引きこもりましてからは、だれとも何の交渉もないのですから、伯父様の感情を害するようなことはないはずだと私は思います」
と言って羞恥に堪えないように見えるのをかわいそうに宮は思召した。
「まあいいから、これから気をおつけなさいね」
とだけお言いになって、あとはほかへ話を移しておしまいになった。これからは手紙の往復もいっそう困難になることであろうと思うと、若君の心は暗くなっていった。晩餐が出てもあまり食べずに早く寝てしまったふうは見せながらも、どうかして恋人に逢おうと思うことで夢中になっていた若君は、皆が寝入ったころを見計らって姫君の居間との間の襖子をあけようとしたが、平生は別に錠などを掛けることもなかった仕切りが、今夜はしかと鎖されてあって、向こう側に人の音も聞こえない。若君は心細くなって、襖子によりかかっていると、姫君も目をさましていて、風の音が庭先の竹にとまってそよそよと鳴ったり、空を雁の通って行く声のほのかに聞こえたりすると、無邪気な人も身にしむ思いが胸にあるのか、「雲井の雁もわがごとや」(霧深き雲井の雁もわがごとや晴れもせず物の悲しかるらん)と口ずさんでいた。その様子が少女らしくきわめて可憐であった。若君の不安さはつのって、
「ここをあけてください、小侍従はいませんか」
と言った。あちらには何とも答える者がない。小侍徒は姫君の乳母の娘である。独言を聞かれたのも恥ずかしくて、姫君は夜着を顔に被ってしまったのであったが、心では恋人を憐んでいた、大人のように。乳母などが近い所に寝ていてみじろぎも容易にできないのである。それきり二人とも黙っていた。
身にしむものであると若君は思いながら宮のお居間のほうへ帰ったが、歎息してつく吐息を宮がお目ざめになってお聞きにならぬかと遠慮されて、みじろぎながら寝ていた。
若君はわけもなく恥ずかしくて、早く起きて自身の居間のほうへ行き、手紙を書いたが、二人の味方である小侍従にも逢うことができず、姫君の座敷のほうへ行くこともようせずに煩悶をしていた。女のほうも父親にしかられたり、皆から問題にされたりしたことだけが恥ずかしくて、自分がどうなるとも、あの人がどうなっていくとも深くは考えていない。美しく二人が寄り添って、愛の話をすることが悪いこと、醜いこととは思えなかった。そうした場合がなつかしかった。こんなに皆に騒がれることが至当なこととは思われないのであるが、乳母などからひどい小言を言われたあとでは、手紙を書いて送ることもできなかった。大人はそんな中でも隙をとらえることが不可能でなかろうが、相手の若君も少年であって、ただ残念に思っているだけであった。
内大臣はそれきりお訪ねはしないのであるが宮を非常に恨めしく思っていた。夫人には雲井の雁の姫君の今度の事件についての話をしなかったが、ただ気むずかしく不機嫌になっていた。
「中宮がはなやかな儀式で立后後の宮中入りをなすったこの際に、女御が同じ御所でめいった気持ちで暮らしているかと思うと私はたまらないから、退出させて気楽に家で遊ばせてやりたい。さすがに陛下はおそばをお離しにならないようにお扱いになって、夜昼上の御局へ上がっているのだから、女房たちなども緊張してばかりいなければならないのが苦しそうだから」
こう夫人に語っている大臣はにわかに女御退出のお暇を帝へ願い出た。御寵愛の深い人であったから、お暇を許しがたく帝は思召したのであるが、いろいろなことを言い出して大臣が意志を貫徹しようとするので、帝はしぶしぶ許しあそばされた。自邸に帰った女御に大臣は、
「退屈でしょうから、あちらの姫君を呼んでいっしょに遊ぶことなどなさい。宮にお預けしておくことは安心なようではあるが、年の寄った女房があちらには多すぎるから、同化されて若い人の慎み深さがなくなってはと、もうそんなことも考えなければならない年ごろになっていますから」
こんなことを言って、にわかに雲井の雁を迎えることにした。大宮は力をお落としになって、
「たった一人あった女の子が亡くなってから私は心細い気がして寂しがっていた所へ、あなたが姫君をつれて来てくれたので、私は一生ながめて楽しむことのできる宝のように思って世話をしていたのに、この年になってあなたに信用されなくなったかと思うと恨めしい気がします」
とお言いになると、大臣はかしこまって言った。
「遺憾な気のしましたことは、その場でありのままに申し上げただけのことでございます。あなた様を御信用申さないようなことが、どうしてあるものでございますか。御所におります娘が、いろいろと朗らかでないふうでこの節邸へ帰っておりますから、退屈そうなのが哀れでございまして、いっしょに遊んで暮らせばよいと思いまして、一時的につれてまいるのでございます」
また、
「今日までの御養育の御恩は決して忘れさせません」
とも言った。こう決めたことはとどめても思い返す性質でないことを御承知の宮はただ残念に思召すばかりであった。
「人というものは、どんなに愛するものでもこちらをそれほどには思ってはくれないものだね。若い二人がそうではないか、私に隠して大事件を起こしてしまったではないか。それはそれでも大臣はりっぱなでき上がった人でいながら私を恨んで、こんなふうにして姫君をつれて行ってしまう。あちらへ行ってここにいる以上の平和な日があるものとは思われないよ」
お泣きになりながら、こう女房たちに宮は言っておいでになった。ちょうどそこへ若君が来た。少しの隙でもないかとこのごろはよく出て来るのである。内大臣の車が止まっているのを見て、心の鬼にきまり悪さを感じた若君は、そっとはいって来て自身の居間へ隠れた。内大臣の息子たちである左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などという人らもこのお邸へ来るが、御簾の中へはいることは許されていないのである。左衛門督、権中納言などという内大臣の兄弟はほかの母君から生まれた人であったが、故人の太政大臣が宮へ親子の礼を取らせていた関係から、今も敬意を表しに来て、その子供たちも出入りするのであるが、だれも源氏の若君ほど美しい顔をしたのはなかった。宮のお愛しになることも比類のない御孫であったが、そのほかには雲井の雁だけがお手もとで育てられてきて深い御愛情の注がれている御孫であったのに、突然こうして去ってしまうことになって、お寂しくなることを宮は歎いておいでになった。大臣は、
「ちょっと御所へ参りまして、夕方に迎えに来ようと思います」
と言って出て行った。事実に潤色を加えて結婚をさせてもよいとは大臣の心にも思われたのであるが、やはり残念な気持ちが勝って、ともかくも相当な官歴ができたころ、娘への愛の深さ浅さをも見て、許すにしても形式を整えた結婚をさせたい、厳重に監督しても、そこが男の家でもある所に置いては、若いどうしは放縦なことをするに違いない。宮もしいて制しようとはあそばさないであろうからとこう思って、女御のつれづれに託して、自家のほうへも官邸へも軽いふうを装って伴い去ろうと大臣はするのである。宮は雲井の雁へ手紙をお書きになった。
宮のお言葉に従って、きれいに着かざった姫君が出て来た。年は十四なのである。まだ大人にはなりきってはいないが、子供らしくおとなしい美しさのある人である。
「始終あなたをそばに置いて見ることが、私のなくてならぬ慰めだったのだけれど、行ってしまっては寂しくなることでしょう。私は年寄りだから、あなたの生い先が見られないだろうと、命のなくなるのを心細がったものですがね。私と別れてあなたの行く所はどこかと思うとかわいそうでならない」
と言って宮はお泣きになるのであった。雲井の雁は祖母の宮のお歎きの原因に自分の恋愛問題がなっているのであると思うと、羞恥の感に堪えられなくて、顔も上げることができずに泣いてばかりいた。
若君の乳母の宰相の君が出て来て、
「若様とごいっしょの御主人様だとただ今まで思っておりましたのに行っておしまいになるなどとは残念なことでございます。殿様がほかの方と御結婚をおさせになろうとあそばしましても、お従いにならぬようにあそばせ」
などと小声で言うと、いよいよ恥ずかしく思って、雲井の雁はものも言えないのである。
「そんな面倒な話はしないほうがよい。縁だけはだれも前生から決められているのだからわからない」
と宮がお言いになる。
「でも殿様は貧弱だと思召して若様を軽蔑あそばすのでございましょうから。まあお姫様見ておいであそばせ、私のほうの若様が人におくれをおとりになる方かどうか」
口惜しがっている乳母はこんなことも言うのである。若君は几帳の後ろへはいって来て恋人をながめていたが、人目を恥じることなどはもう物の切迫しない場合のことで、今はそんなことも思われずに泣いているのを、乳母はかわいそうに思って、宮へは体裁よく申し上げ、夕方の暗まぎれに二人をほかの部屋で逢わせた。きまり悪さと恥ずかしさで二人はものも言わずに泣き入った。
「伯父様の態度が恨めしいから、恋しくても私はあなたを忘れてしまおうと思うけれど、逢わないでいてはどんなに苦しいだろうと今から心配でならない。なぜ逢えば逢うことのできたころに私はたびたび来なかったろう」
と言う男の様子には、若々しくてそして心を打つものがある。
「私も苦しいでしょう、きっと」
「恋しいだろうとお思いになる」
と男が言うと、雲井の雁が幼いふうにうなずく。座敷には灯がともされて、門前からは大臣の前駆の者が大仰に立てる人払いの声が聞こえてきた。女房たちが、
「さあ、さあ」
と騒ぎ出すと、雲井の雁は恐ろしがってふるえ出す。男はもうどうでもよいという気になって、姫君を帰そうとしないのである。姫君の乳母が捜しに来て、はじめて二人の会合を知った。何といういまわしいことであろう、やはり宮はお知りにならなかったのではなかったかと思うと、乳母は恨めしくてならなかった。
「ほんとうにまあ悲しい。殿様が腹をおたてになって、どんなことをお言い出しになるかしれないばかしか、大納言家でもこれをお聞きになったらどうお思いになることだろう。貴公子でおありになっても、最初の殿様が浅葱の袍の六位の方とは」
こう言う声も聞こえるのであった。すぐ二人のいる屏風の後ろに来て乳母はこぼしているのである。若君は自分の位の低いことを言って侮辱しているのであると思うと、急に人生がいやなものに思われてきて、恋も少しさめる気がした。
「そらあんなことを言っている。
恥ずかしくてならない」
と言うと、
と雲井の雁が言ったか言わぬに、もう大臣が家の中にはいって来たので、そのまま雲井の雁は立ち上がった。取り残された見苦しさも恥ずかしくて、悲しみに胸をふさがらせながら、若君は自身の居間へはいって、そこで寝つこうとしていた。三台ほどの車に分乗して姫君の一行は邸をそっと出て行くらしい物音を聞くのも若君にはつらく悲しかったから、宮のお居間から、来るようにと、女房を迎えにおよこしになった時にも、眠ったふうをしてみじろぎもしなかった。涙だけがまだ止まらずに一睡もしないで暁になった。霜の白いころに若君は急いで出かけて行った。泣き腫らした目を人に見られることが恥ずかしいのに、宮はきっとそばへ呼ぼうとされるのであろうから、気楽な場所へ行ってしまいたくなったのである。車の中でも若君はしみじみと破れた恋の悲しみを感じるのであったが、空模様もひどく曇って、まだ暗い寂しい夜明けであった。
こんな歌を思った。
今年源氏は五節の舞い姫を一人出すのであった。たいした仕度というものではないが、付き添いの童女の衣裳などを日が近づくので用意させていた。東の院の花散里夫人は、舞い姫の宮中へはいる夜の、付き添いの女房たちの装束を引き受けて手もとで作らせていた。二条の院では全体にわたっての一通りの衣裳が作られているのである。中宮からも、童女、下仕えの女房幾人かの衣服を、華奢に作って御寄贈になった。去年は諒闇で五節のなかったせいもあって、だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では派手が競われているという評判であった。按察使大納言の娘、左衛門督の娘などが出ることになっていた。それから殿上役人の中から一人出す舞い姫には、今は近江守で左中弁を兼ねている良清朝臣の娘がなることになっていた。今年の舞い姫はそのまま続いて女官に採用されることになっていたから、愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。源氏は自身から出す舞い姫に、摂津守兼左京大夫である惟光の娘で美人だと言われている子を選んだのである。惟光は迷惑がっていたが、
「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、君の大事な娘を出したっても恥ではない」
と責められて、困ってしまった惟光は、女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、主命に従うことにしたのである。舞の稽古などは自宅でよく習わせて、舞い姫を直接世話するいわゆるかしずきの幾人だけはその家で選んだのをつけて、初めの日の夕方ごろに二条の院へ送った。なお童女幾人、下仕え幾人が付き添いに必要なのであるから、二条の院、東の院を通じてすぐれた者を多数の中から選り出すことになった。皆それ相応に選定される名誉を思って集まって来た。陛下が五節の童女だけを御覧になる日の練習に、縁側を歩かせて見て決めようと源氏はした。落選させてよいような子供もない、それぞれに特色のある美しい顔と姿を持っているのに源氏はかえって困った。
「もう一人分の付き添いの童女を私のほうから出そうかね」
などと笑っていた。結局身の取りなしのよさと、品のよい落ち着きのある者が採られることになった。
大学生の若君は失恋の悲しみに胸が閉じられて、何にも興味が持てないほど心がめいって、書物も読む気のしないほどの気分がいくぶん慰められるかもしれぬと、五節の夜は二条の院に行っていた。風采がよくて落ち着いた、艶な姿の少年であったから、若い女房などから憧憬を持たれていた。夫人のいるほうでは御簾の前へもあまりすわらせぬように源氏は扱うのである。源氏は自身の経験によって危険がるのか、そういうふうであったから、女房たちすらも若君と親しくする者はいないのであるが、今日は混雑の紛れに室内へもはいって行ったものらしい。車で着いた舞い姫をおろして、妻戸の所の座敷に、屏風などで囲いをして、舞い姫の仮の休息所へ入れてあったのを、若君はそっと屏風の後ろからのぞいて見た。苦しそうにして舞い姫はからだを横向きに長くしていた。ちょうど雲井の雁と同じほどの年ごろであった。それよりも少し背が高くて、全体の姿にあざやかな美しさのある点は、その人以上にさえも見えた。暗かったからよくは見えないのであるが、年ごろが同じくらいで恋人の思われる点がうれしくて、恋が移ったわけではないがこれにも関心は持たれた。若君は衣服の褄先を引いて音をさせてみた。思いがけぬことで怪しがる顔を見て、
『みづがきの』(久しき世より思ひ初めてき)」
と言ったが、藪から棒ということのようである。若々しく美しい声をしているが、だれであるかを舞い姫は考え当てることもできない。気味悪く思っている時に、顔の化粧を直しに、騒がしく世話役の女が幾人も来たために、若君は残念に思いながらその部屋を立ち去った。浅葱の袍を着て行くことがいやで、若君は御所へ行くこともしなかったが、五節を機会に、好みの色の直衣を着て宮中へ出入りすることを若君は許されたので、その夜から御所へも行った。まだ小柄な美少年は、若公達らしく御所の中を遊びまわっていた。帝をはじめとしてこの人をお愛しになる方が多く、ほかには類もないような御恩寵を若君は身に負っているのであった。
五節の舞い姫がそろって御所へはいる儀式には、どの舞い姫も盛装を凝らしていたが、美しい点では源氏のと、大納言の舞い姫がすぐれていると若い役人たちはほめた。実際二人ともきれいであったが、ゆったりとした美しさはやはり源氏の舞い姫がすぐれていて、大納言のほうのは及ばなかったようである。きれいで、現代的で、五節の舞い姫などというもののようでないつくりにした感じよさがこうほめられるわけであった。例年の舞い姫よりも少し大きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。源氏も参内して陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に大弐の五節へ源氏は手紙を書いた。内容が想像されないでもない。
五節は今日までの年月の長さを思って、物哀れになった心持ちを源氏が昔の自分に書いて告げただけのことである、これだけのことを喜びにしなければならない自分であるということをはかなんだ。
新嘗祭の小忌の青摺りを模様にした、この場合にふさわしい紙に、濃淡の混ぜようをおもしろく見せた漢字がちの手紙も、その階級の女には適した感じのよい返事の手紙であった。
若君も特に目だった美しい自家の五節を舞の庭に見て、逢ってものを言う機会を作りたく、楽屋のあたりへ行ってみるのであったが、近い所へ人も寄せないような警戒ぶりであったから、羞恥心の多い年ごろのこの人は歎息するばかりで、それきりにしてしまった。美貌であったことが忘られなくて、恨めしい人に逢われない心の慰めにはあの人を恋人に得たいと思っていた。
五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守のは唐崎、摂津守の子は浪速で祓いをさせたいと願って自宅へ帰った。大納言も別の形式で宮仕えに差し上げることを奏上した。左衛門督は娘でない者を娘として五節に出したということで問題になったが、それも女官に採用されることになった。惟光は典侍の職が一つあいてある補充に娘を採用されたいと申し出た。源氏もその希望どおりに優遇をしてやってもよいという気になっていることを、若君は聞いて残念に思った。自分がこんな少年でなく、六位級に置かれているのでなければ、女官などにはさせないで、父の大臣に乞うて同棲を黙認してもらうのであるが、現在では不可能なことである。恋しく思う心だけも知らせずに終わるのかと、たいした思いではなかったが、雲井の雁を思って流す涙といっしょに、そのほうの涙のこぼれることもあった。五節の弟で若君にも丁寧に臣礼を取ってくる惟光の子に、ある日逢った若君は平生以上に親しく話してやったあとで言った。
「五節はいつ御所へはいるの」
「今年のうちだということです」
「顔がよかったから私はあの人が好きになった。君は姉さんだから毎日見られるだろうからうらやましいのだが、私にももう一度見せてくれないか」
「そんなこと、私だってよく顔なんか見ることはできませんよ。男の兄弟だからって、あまりそばへ寄せてくれませんのですもの、それだのにあなたなどにお見せすることなど、だめですね」
と言う。
「じゃあ手紙でも持って行ってくれ」
と言って、若君は惟光の子に手紙を渡した。これまでもこんな役をしてはいつも家庭でしかられるのであったがと迷惑に思うのであるが、ぜひ持ってやらせたそうである若君が気の毒で、その子は家へ持って帰った。五節は年よりもませていたのか、若君の手紙をうれしく思った。緑色の薄様の美しい重ね紙に、字はまだ子供らしいが、よい将来のこもった字で感じよく書かれてある。
姉と弟がこの手紙をいっしょに読んでいる所へ思いがけなく父の惟光大人が出て来た。隠してしまうこともまた恐ろしくてできぬ若い姉弟であった。
「それは、だれの手紙」
父が手に取るのを見て、姉も弟も赤くなってしまった。
「よくない使いをしたね」
としかられて、逃げて行こうとする子を呼んで、
「だれから頼まれた」
と惟光が言った。
「殿様の若君がぜひっておっしゃるものだから」
と答えるのを聞くと、惟光は今まで怒っていた人のようでもなく、笑顔になって、
「何というかわいいいたずらだろう。おまえなどは同い年でまだまったくの子供じゃないか」
とほめた。妻にもその手紙を見せるのであった。
「こうした貴公子に愛してもらえば、ただの女官のお勤めをさせるより私はそのほうへ上げてしまいたいくらいだ。殿様の御性格を見ると恋愛関係をお作りになった以上、御自身のほうから相手をお捨てになることは絶対にないようだ。私も明石の入道になるかな」
などと惟光は言っていたが、子供たちは皆立って行ってしまった。
若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。二つの恋をしているが、一つの重いほうのことばかりが心にかかって、時間がたてばたつほど恋しくなって、目の前を去らない面影の主に、もう一度逢うということもできぬかとばかり歎かれるのである。祖母の宮のお邸へ行くこともわけなしに悲しくてあまり出かけない。その人の住んでいた座敷、幼い時からいっしょに遊んだ部屋などを見ては、胸苦しさのつのるばかりで、家そのものも恨めしくなって、また勉強所にばかり引きこもっていた。源氏は同じ東の院の花散里夫人に、母としての若君の世話を頼んだ。
「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。お薨れになったあとのことを思うと、こうして少年時代から馴らしておいて、あなたの厄介になるのが最もよいと思う」
と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう、こうした優しい性質の婦人と夫婦になりえたら幸福であろうと、こんなことを若君は思ったが、しかしあまりに美しくない顔の妻は向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、こんなに長い関係になっていながら、容貌の醜なる点、性質の美な点を認めた父君は、夫婦生活などは疎にして、妻としての待遇にできるかぎりの好意を尽くしていられるらしい。それが合理的なようであるとも若君は思った。そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、そのほかどこでこの人の見るのも相当な容貌が集められている女房たちであったから、女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、若い時から美しい人でなかった花散里が、女の盛りも過ぎて衰えた顔は、痩せた貧弱なものになり、髪も少なくなっていたりするのを見て、こんなふうに思うのである。
年末には正月の衣裳を大宮は若君のためにばかり仕度あそばされた。幾重ねも美しい春の衣服のでき上がっているのを、若君は見るのもいやな気がした。
「元旦だって、私は必ずしも参内するものでないのに、何のためにこんなに用意をなさるのですか」
「そんなことがあるものですか。廃人の年寄りのようなことを言う」
「年寄りではありませんが廃人の無力が自分に感じられる」
若君は独言を言って涙ぐんでいた。失恋を悲しんでいるのであろうと、哀れに御覧になって宮も寂しいお顔をあそばされた。
「男性というものは、どんな低い身分の人だって、心持ちだけは高く持つものです。あまりめいったそうしたふうは見せないようになさいよ。あなたがそんなに思い込むほどの価値のあるものはないではないか」
「それは別にないのですが、六位だと人が軽蔑をしますから、それはしばらくの間のことだとは知っていますが、御所へ行くのも気がそれで進まないのです。お祖父様がおいでになったら、戯談にでも人は私を軽蔑なんかしないでしょう。ほんとうのお父様ですが、私をお扱いになるのは、形式的に重くしていらっしゃるとしか思われません。二条の院などで私は家族の一人として親しませてもらうようなことは絶対にできません。東の院でだけ私はあの方の子らしくしていただけます。西の対のお母様だけは優しくしてくださいます。もう一人私にほんとうのお母様があれば、私はそれだけでもう幸福なのでしょうがお祖母様」
涙の流れるのを紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。
「母を亡くした子というものは、各階級を通じて皆そうした心細い思いをしているのだけれど、だれにも自分の運命というものがあって、それぞれに出世してしまえば、軽蔑する人などはないのだから、そのことは思わないほうがいいよ。お祖父様がもうしばらくでも生きていてくだすったらよかったのだね、お父様がおいでなんだから、お祖父様くらいの愛はあなたに掛けていただけると信じてますけれど、思うようには行かないものなのだね。内大臣もりっぱな人格者のように世間で言われていても、私に昔のような平和も幸福もなくなっていくのはどういうわけだろう。私はただ長生きの罪にしてあきらめますが、若いあなたのような人を、こんなふうに少しでも厭世的にする世の中かと思うと恨めしくなります」
と宮は泣いておいでになった。
元日も源氏は外出の要がなかったから長閑であった。良房の大臣の賜わった古例で、七日の白馬が二条の院へ引かれて来た。宮中どおりに行なわれた荘重な式であった。
二月二十幾日に朱雀院へ行幸があった。桜の盛りにはまだなっていなかったが、三月は母后の御忌月であったから、この月が選ばれたのである。早咲きの桜は咲いていて、春のながめはもう美しかった。お迎えになる院のほうでもいろいろの御準備があった。行幸の供奉をする顕官も親王方もその日の服装などに苦心を払っておいでになった。その人たちは皆青色の下に桜襲を用いた。帝は赤色の御服であった。お召しがあって源氏の大臣が参院した。同じ赤色を着ているのであったから、帝と同じものと見えて、源氏の美貌が輝いた。御宴席に出た人々の様子も態度も非常によく洗練されて見えた。院もますます清艶な姿におなりあそばされた。今日は専門の詩人はお招きにならないで、詩才の認められる大学生十人を召したのである。これを式部省の試験に代えて作詞の題をその人たちはいただいた。これは源氏の長男のためにわざとお計らいになったことである。気の弱い学生などは頭もぼうとさせていて、お庭先の池に放たれた船に乗って出た水上で製作に苦しんでいた。夕方近くなって、音楽者を載せた船が池を往来して、楽音を山風に混ぜて吹き立てている時、若君はこんなに苦しい道を進まないでも自分の才分を発揮させる道はあるであろうがと恨めしく思った。「春鶯囀」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって、
「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」
と源氏へ仰せられたが、源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛三昧を忍んで物哀れな気分になった。源氏は院へ杯を参らせて歌った。
院は、
とお答えになった。太宰帥の宮といわれた方は兵部卿になっておいでになるのであるが、陛下へ杯を献じた。
この歌を奏上した宮の御様子がことにりっぱであった。帝は杯をお取りになって、
と仰せになるのが重々しく気高かった。この行幸は御家庭的なお催しで、儀式ばったことでなかったせいなのか、官人一同が詞歌を詠進したのではなかったのかその日の歌はこれだけより書き置かれていない。
奏楽所が遠くて、細かい楽音が聞き分けられないために、楽器が御前へ召された。兵部卿の宮が琵琶、内大臣は和琴、十三絃が院の帝の御前に差し上げられて、琴は例のように源氏の役になった。皆名手で、絶妙な合奏楽になった。歌う役を勤める殿上役人が選ばれてあって、「安名尊」が最初に歌われ、次に桜人が出た。月が朧ろに出て美しい夜の庭に、中島あたりではそこかしこに篝火が焚かれてあった。そうしてもう合奏が済んだ。
夜ふけになったのであるが、この機会に皇太后を御訪問あそばさないことも冷淡なことであると思召して、お帰りがけに帝はそのほうの御殿へおまわりになった。源氏もお供をして参ったのである。太后は非常に喜んでお迎えになった。もう非常に老いておいでになるのを、御覧になっても帝は御母宮をお思い出しになって、こんな長生きをされる方もあるのにと残念に思召された。
「もう老人になってしまいまして、私などはすべての過去を忘れてしまっておりますのに、もったいない御訪問をいただきましたことから、昔の御代が忍ばれます」
と太后は泣いておいでになった。
「御両親が早くお崩れになりまして以来、春を春でもないように寂しく見ておりましたが、今日はじめて春を十分に享楽いたしました。また伺いましょう」
と陛下は仰せられ、源氏も御挨拶をした。
「また別の日に伺候いたしまして」
還幸の鳳輦をはなやかに百官の囲繞して行く光景が、物の響きに想像される時にも、太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。源氏はどう自分の昔を思っているであろうと恥じておいでになった。一国を支配する人の持っている運は、どんな咀いよりも強いものであるとお悟りにもなった。
朧月夜の尚侍も静かな院の中にいて、過去を思う時々に、源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。太后は政治に御註文をお持ちになる時とか、御自身の推薦権の与えられておいでになる限られた官爵の運用についてとかに思召しの通らない時は、長生きをして情けない末世に苦しむというようなことをお言い出しになり、御無理も仰せられた。年を取っておいでになるにしたがって、強い御気質がますます強くなって院もお困りになるふうであった。
源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。碩学の人たちが選ばれて答案の審査にあたったのであるが、及第は三人しかなかったのである。そして若君は秋の除目の時に侍従に任ぜられた。雲井の雁を忘れる時がないのであるが、大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、無理をして逢ってみようともしなかった。手紙だけは便宜を作って送るというような苦しい恋を二人はしているのであった。
源氏は静かな生活のできる家を、なるべく広くおもしろく作って、別れ別れにいる、たとえば嵯峨の山荘の人などもいっしょに住ませたいという希望を持って、六条の京極の辺に中宮の旧邸のあったあたり四町四面を地域にして新邸を造営させていた。式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、紫夫人はその賀宴をしたいと思って仕度をしているのを見て、源氏もそれはぜひともしなければならぬことであると思い、そうした式もなるべくは新邸でするほうがよいと、そのためにも建築を急がせていた。春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。落し忌の饗宴のこと、その際の音楽者、舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、法事の僧たちへ出す布施の衣服類、一般の人への纏頭の品々は夫人が力を傾けて用意していることであった。東の院でも仕事を分担して助けていた。花散里夫人と紫の女王とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。世間までがこのために騒ぐように見える大仕掛けな賀宴のことを式部卿の宮もお聞きになった。これまではだれのためにも慈父のような広い心を持つ源氏であるが御自身と御自身の周囲の者にだけは冷酷な態度を取り続けられておいでになるのを、源氏の立場になってみれば、恨めしいことが過去にあったのであろうと、その時代の源氏夫婦を今さら気の毒にもお思いになり、こうした現状を苦しがっておいでになったが、源氏の幾人もある妻妾の中の最愛の夫人で女王があって、世間から敬意を寄せられていることも並み並みでない人が娘であることは、その幸福が自家へわけられぬものにもせよ、自家の名誉であることには違いないと思っておいでになった。それに今度の賀宴が、源氏の勢力のもとでかつてない善美を尽くした準備が調えられているということをお知りになったのであるから、思いがけぬ老後の光栄を受けると感激しておいでになるが、宮の夫人は不快に思っていた。女御の後宮の競争にも源氏が同情的態度に出ないことで、いよいよ恨めしがっているのである。
八月に六条院の造営が終わって、二条の院から源氏は移転することになった。南西は中宮の旧邸のあった所であるから、そこは宮のお住居になるはずである。南の東は源氏の住む所である。北東の一帯は東の院の花散里、西北は明石夫人と決めて作られてあった。もとからあった池や築山も都合の悪いのはこわして、水の姿、山の趣も改めて、さまざまに住み主の希望を入れた庭園が作られたのである。南の東は山が高くて、春の花の木が無数に植えられてあった。池がことに自然にできていて、近い植え込みの所には、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などを主にして、その中に秋の草木がむらむらに混ぜてある。中宮のお住居の町はもとの築山に、美しく染む紅葉を植え加えて、泉の音の澄んで遠く響くような工作がされ、流れがきれいな音を立てるような石が水中に添えられた。滝を落として、奥には秋の草野が続けられてある。ちょうどその季節であったから、嵯峨の大井の野の美観がこのために軽蔑されてしまいそうである。北の東は涼しい泉があって、ここは夏の庭になっていた。座敷の前の庭には呉竹がたくさん植えてある。下風の涼しさが思われる。大木の森のような木が深く奥にはあって、田舎らしい卯の花垣などがわざと作られていた。昔の思われる花橘、撫子、薔薇、木丹などの草木を植えた中に春秋のものも配してあった。東向いた所は特に馬場殿になっていた。庭には埒が結ばれて、五月の遊び場所ができているのである。菖蒲が茂らせてあって、向かいの厩には名馬ばかりが飼われていた。北西の町は北側にずっと倉が並んでいるが、隔ての垣には唐竹が植えられて、松の木の多いのは雪を楽しむためである。冬の初めに初霜のとまる菊の垣根、朗らかな柞原、そのほかにはあまり名の知れていないような山の木の枝のよく繁ったものなどが移されて来てあった。
秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、仰山らしくなることを思って、中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。おとなしい、自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた。春の住居は今の季節ではないようなもののやはり全体として最もすぐれて見えるのがここであった。車の数が十五で、前駆には四位五位が多くて、六位の者は特別な縁故によって加えられたにすぎない。たいそうらしくなることは源氏が避けてしなかった。もう一人の夫人の前駆その他もあまり落とさなかった。長男の侍従がその夫人の子になっているのであるからもっともなことであると見えた。女房たちの部屋の配置、こまごまと分けて部屋数の多くできていることなどが新邸の建築のすぐれた点である。五、六日して中宮が御所から退出しておいでになった。その儀式はさすがにまた派手なものであった。源氏を後援者にしておいでになる方という幸福のほかにも、御人格の優しさと高潔さが衆望を得ておいでになることがすばらしいお后様であった。この四つに分かれた住居は、塀を仕切りに用いた所、廊で続けられた所などもこもごもに混ぜて、一つの大きい美観が形成されてあるのである。九月にはもう紅葉がむらむらに色づいて、中宮の前のお庭が非常に美しくなった。夕方に風の吹き出した日、中宮はいろいろの秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。やや大柄な童女が深紅の袙を着、紫苑色の厚織物の服を下に着て、赤朽葉色の汗袗を上にした姿で、廊の縁側を通り渡殿の反橋を越えて持って来た。お后が童女をお使いになることは正式な場合にあそばさないことなのであるが、彼らの可憐な姿が他の使いにまさると宮は思召したのである。御所のお勤めに馴れている子供は、外の童女と違った洗練された身のとりなしも見えた。お手紙は、
というのであった。若い女房たちはお使いをもてはやしていた。こちらからはその箱の蓋へ、下に苔を敷いて、岩を据えたのを返しにした。五葉の枝につけたのは、
という夫人の歌であった。よく見ればこの岩は作り物であった。すぐにこうした趣向のできる夫人の才に源氏は敬服していた。女房たちも皆おもしろがっているのである。
「紅葉の贈り物は秋の御自慢なのだから、春の花盛りにこれに対することは言っておあげなさい。このごろ紅葉を悪口することは立田姫に遠慮すべきだ。別な時に桜の花を背景にしてものを言えば強いことも言われるでしょう」
こんなふうにいつまでも若い心の衰えない源氏夫婦が同じ六条院の人として中宮と風流な戯れをし合っているのである。大井の夫人は他の夫人のわたましがすっかり済んだあとで、価値のない自分などはそっと引き移ってしまいたいと思っていて、十月に六条院へ来たのであった。住居の中の設備も、移って来る日の儀装のことも源氏は他の夫人に劣らせなかった。それは姫君の将来のことを考えているからで迎えてからも重々しく取り扱った。
玉鬘
年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。右近は何でもない平凡な女であるが、源氏は夕顔の形見と思って庇護するところがあったから、今日では古い女房の一人になって重んぜられもしていた。須磨へ源氏の行く時に夫人のほうへ女房を皆移してしまったから、今では紫夫人の侍女になっているのである。善良なおとなしい女房と夫人も認めて愛していたが、右近の心の中では、夕顔夫人が生きていたなら、明石夫人が愛されているほどには源氏から思われておいでになるであろう、たいした恋でもなかった女性たちさえ、余さず将来の保証をつけておいでになるような情け深い源氏であるから、紫夫人などの列にははいらないでも、六条院へのわたましの夫人の中にはおいでになるはずであるといつも悲しんでいた。西の京へ別居させてあった姫君がどうなったかも右近は知らずにいた。夕顔の死が告げてやりにくい心弱さと、今になって相手の自分であったことは知らせないようにと源氏から言われたことでの遠慮とが、右近のほうから尋ね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母の良人が九州の少弐に任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことである。乳母たちは母君の行くえを知ろうといろいろの神仏に願を立て、夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、卑しい自分らといっしょに遠国へおつれすることを悲しんでいると父君のほうへほのめかしたいとも思ったが、よいつてはなかった。その上母君の所在を自分らが知らずにいては、問われた場合に返辞のしようもない。よく馴染んでおいでにならない姫君を、父君へ渡して立って行くのも、自分らの気がかり千万なことであろうし、話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君が許されるはずがないなどと言い出す者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君を、普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、その人々は非常に悲しがった。幼い姫君も母君を忘れずに、
「お母様の所へ行くの」
と時々尋ねることが人々の心をより切なくした。涙の絶え間もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、
「船の旅は縁起を祝って行かなければならないのだから」
とも親たちは小言を言った。美しい名所名所を見物する時、
「若々しいお気持ちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色をお目にかけたい。けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
こんなことを言って、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰って行く波もうらやましかった。心細くなっている時に、船夫たちは荒々しい声で「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」という意味の唄を唄う声が聞こえてきて、姉妹は向かい合って泣いた。
来し方も行方も知らぬ沖に出でてあはれ何処に君を恋ふらん
海の景色を見てはこんな歌も作っていた。金の岬を過ぎても「千早振る金の御崎を過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、もう死んでおしまいになったのであろうと、悲しいが思うようになった。
少弐は任期が満ちた時に出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいるほうが生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。その間に当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳ぐらいになっていて、非常に美しい姫君を見て、
「私までもお見捨てすることになれば、どんなに御苦労をなされることだろう、卑しい田舎でお育ちになっていることももったいないことと思っておりましたが、そのうち京へお供して参って、御肉身のかたがたへお知らせ申し、その先はあなた様の運命に任せるといたしましても、京は広い所ですから、よいこともきっとあって、安心がさせていただけると思いまして、その実行を早く早くとあせるように思っておりましたが、希望の実現どころか、私はもうここで死ぬことになりました」
と悲痛なことを言っていた。三人の男の子に、
「おまえたちは何よりせねばならぬことを、姫君を京へお供することと思え。私のための仏事などはするに及ばん」
と遺言をした。父君のだれであるかは自身の家の者にも言わずに、ただ大切にする訳のある孫であると言ってあって、大事にかしずいているうちに、こんなふうでにわかに死んだのであったから、家族は心細がって京への出立を急ぐのであるが、この国には故人の少弐に反感を持っていた人が多かったから、そんな際に報復を受けることが恐ろしくて、今しばらく今しばらくとはばかって暮らしている間にも、年月がどんどんたってしまった。妙齢になった姫君の容貌は母の夕顔よりも美しかった。父親のほうの筋によるのか、気高い美がこの人には備わっていた、性質も貴女らしくおおようであった。故人の少弐の家に美しい娘のいる噂を聞いて、好色な地方人などが幾人も結婚を申し込んだり、手紙を送って来たりする。失敬なことであるとも、とんでもないことであるとも思って、だれ一人これに好意を持ってやる者はなかった。
「容貌はまず無難でも、不具なところが身体にある孫ですから、結婚はさせずに尼にして自分の生きている間は手もとへ置く」
乳母はこんなことを宣伝的に言っているのである。
「少弐の孫は片輪だそうだ、惜しいものだ、かわいそうに」
と人が言うのを聞くと、乳母はまた済まない気がして、
「どんなにしても京へおつれしてお父様の殿様にお知らせしよう、まだごくお小さい時にも非常におかわいがりになっていたのだから、今になっても決してそまつにはあそばすまい」
と乳母は興奮する。それの実現されるように神や仏に願を立てていた。娘たちも息子たちも土地の者と縁組みをして土着せねばならぬように傾いていく。心の中では忘れないが京はいよいよ遠い所になっていった。大人になった姫君は、自身の運命を悲しんで一年の三度の長精進などもしていた。二十ぐらいになるとすべての美が完成されて、まばゆいほどの人になった。この少弐一家のいる所は肥前の国なのである。その辺での豪族などは、少弐の孫の噂を聞いて、今でも絶えず結婚を申し込んでくる、うるさいほどに。
大夫の監と言って肥後に聞こえた豪族があった。その国ではずいぶん勢いのある男で、強大な武力を持っているのである。そんな田舎武士の心にも、好色的な風流気があって、美人を多く妻妾として集めたい望みを持っているのである。少弐家の姫君のことを大夫の監は聞きつけて、
「どんな不具なところがあっても、自分はその点を我慢することにして妻にしたい」
と懇切に求婚をしてきた。少弐の人たちは恐ろしく思った。
「どんないい縁談にも彼女は耳をかさないで尼になろうとしています」
と中に立った人から断わらせた。それを聞くと監は不安がって、自身で肥前へ出て来た。少弐家の息子たちを監は旅宿へ呼んで姫君との縁組みに助力を求めるのであった。
「成功すれば、両家は力になり合って、あなたがたに武力の後援を惜しむものですか」
などと言ってくれる監に二人の息子だけは好意を持ちだした。
「私たちも初めは不似合いな求婚者だ、お気の毒だと姫君のことを思ってましたが、考えてみると、自分たちの後ろ立てにするのには最も都合のいい有力な男ですから、この人に敵対をされては肥前あたりで何をすることも不可能だということがわかってきました。貴族の姫君だと言っても、父君が打っちゃってお置きになるし、世間からも認められていないではしかたがありません。こんなに熱心になっている監と結婚のできるのはかえって幸福だと思いますよ。この宿命のあるために九州などへ姫君がおいでになることにもなったのでしょう。逃げ隠れをなすっても何になるものですか。負けてなんかいませんからね、監は。常識で考えられる以上の無茶なことでも監はしますよ」
と兄弟は家族をおどすのである。長兄の豊後介だけは監の味方でなかった。
「もったいないことだ。少弐の御遺言があるのだから、自分はどうしてもこの際姫君を京へお供しましょう」
と母や妹に言う。女たちも皆泣いて心配していた。母君がどうおなりになったか知れないようなことになって、せめて姫君を人並みな幸福な方にしないではと、自分らは念じているのに、田舎武士などに嫁がせておしまいすることなどは堪えうることでないと思っていることも知らずに、自身の力を過信している監は、手紙を書いて送ってきたりするのである。字などもちょっときれいで、唐紙に香の薫りの染ませたのに書いて来る手紙も、文章も物になってはいなかった。また自身も親しくなった少弐家の次男とつれ立って訪ねて来た。年は三十くらいの男で、背が高くて、ものものしく肥っている。きたなくは思われないが、いろいろ先入主になっていることがあって、見た感じがうとましい。荒々しい様子は見ただけでも恐ろしい気がした。血色がよくて快活ではあるが、涸れ声で語り散らす。求婚者は夜に訪問するものになっているが、これは風変わりな春の夕方のことであった。秋ではないが怪しい気持ち(何時とても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)になったのかもしれない。機嫌をそこねまいとして未亡人のおとどが出て応接した。
「お亡れになった少弐は人情味のたっぷりとあるりっぱなお役人でしたからぜひ御懇親を願いたいと思いながら、こちらの尊敬心をお見せできなかったうちにお気の毒に死んでおしまいになったから、そのかわりに御遺族へ敬意を表しようと思って、奮発して、一所懸命になって、しいて参りました。こちらにおいでになる姫君が御身分のいいことを私は聞いていて、尊敬申してますが、妻になっていただきたいのだ。我輩は一家の御主人と思って頭の上へ載せんばかりにしてですね、大事にいたしますよ。あなたがこの縁組みにあまり御賛成にならないというのは、私がこれまで幾人ものつまらない女と関係してきたことで、いやがられているのではありませんか。たとえそんな女どもが私についているとしても、そいつらに姫君といっしょの扱いなどをするものですかい。我輩は姫君を后の位から落とすつもりはない」
などと勝手なことを監は言い続けた。
「いえ、不賛成などと、そんなことはありません。非常に結構なお話だと私は思っているのですがね。何という不運なのでしょう、あの人は並み並みに一人前の女に成り切っていないところがありましてね、自分は結婚のできない身体だとあきらめていますが、かわいそうでも、私どもの力ではどうにもならないのでございます」
と、おとどは言った。
「決して遠慮をなさるには及びませんよ。どんな盲目でも、いざりでも私は護っていってあげます。我輩が人並みの身体に直してあげますよ。肥後一国の神仏は我輩の意志どおりに何事も加勢してくれますからね」
などと監は誇っていた。結婚の日どりも何日ごろというようなことを監が言うと、おとどのほうでは、今月は春の季の終わりで結婚によろしくないというような田舎めいた口実で断わる。縁側から下りて行く時になって、監は歌を作って見せたくなった。やや長く考えてから言い出す。
この和歌は我輩の偽らない感情がうまく表現できたと思います」
と監は笑顔を見せた。おとどはすべてのことが調子はずれな田舎武士に、返歌などをする気にはなれないのであったが、娘たちに歌を詠めと言うと、
「私など、お母さんだってそうでしょう。自失している体よ」
こう言って聞かない。おとどは興味のない返歌をやっと出まかせふうに言った。
先刻からの気味悪さにおとどは慄え声になっていた。
「お待ちなさい。そのお返事の内容だが」
監がのっそりと寄って来て、腑に落ちぬという顔をするのを見て、おとどは真青になってしまった。娘たちはあんなに言っていたものの、こうなっては気強く笑って出て行った。
「それはね、お嬢様が世間並みの方でないことから、母がこの御縁の成立した時に、恨めしくお思いにならないかということを、もうぼけております母が神様のお名などを入れて、変に詠んだだけの歌ですよ」
とこじつけて聞かせた。正解したところで求婚者へのお愛想歌なのであるが、
「ああもっとも、もっとも」
とうなずいて、監は、
「技巧が達者なものですね。我輩は田舎者ではあるが賤民じゃないのです。京の人でもたいしたものでないことを我輩は知っている。軽蔑してはいけませんよ」
と言ったが、もう一首歌を作ろうとして、できなかったのかそのまま帰って行った。次郎がすっかりあちらがたになっているのを家族は憎みながらも、豊後介の助けを求めることが急であった。どうして姫君にお尽くしすればよいか、相談相手はなし、親身の兄弟までが監に反対すると言って、異端者扱いにして自分と絶交する始末である。監の敵になってはこの地方で何一つ仕事はできないだろう、手出しをしてかえって自分から不幸を招きはしまいかと豊後介は煩悶をしたのであるが、姫君が口では何事も言わずにこのことで悲しんでいる様子を見ると、気の毒で、そうなれば死のうと決心している様子が道理に思われ、豊後介は苦しい策をして姫君の上京を助けることにした。妹たちも馴染んだ良人を捨てて姫君について行くことになった。あてきと言って、夕顔夫人の使っていた童女は兵部の君という女房になっていて、この女たちが付き添って、夜に家を出て船に乗った。大夫の監はいったん肥後へ帰って四月二十日ごろに吉日を選んで新婦を迎えに来ようとしているうちに、こうして肥前を脱出するのである。姉は子供もおおぜいになっていて同行ができないのである。行く人、残る人が名残を惜しんで、また見る機会のないことを悲しむのであったが、行く人にとっては長い年月をここで送ったのではあっても、見捨てがたいほど心の残るものは何もこの土地になかった。ただ松浦の宮の前の海岸の風光と姉娘と別れることだけがだれにもつらかった。顧みもされた。
行くさきも見えぬ波路に船出して風に任する身こそ浮きたれ
初めのは兵部の作で、あとのは姫君の歌である。心細くて姫君は船でうつ伏しになっていた。こうして逃げ出したことが肥後に知れたなら、負けぎらいな監は追って来るであろうと思われるのが恐ろしくて、この船は早船といって、普通以上の速力が出るように仕かけてある船であったから、ちょうど追い風も得て危ういほどにも早く京をさして走った。響の灘も無事に過ぎた。海上生活二、三日ののちである。
「海賊の船なんだろうか、小さい船が飛ぶように走って来る」
などと言う者がある。惨酷な海賊よりも少弐の遺族は大夫の監をもっと恐れていて、その追っ手ではないかと胸を冷やした。
と姫君は口ずさんでいた。川尻が近づいたと聞いた時に船中の人ははじめてほっとした。例の船子は「唐泊より川尻押すほどは」と唄っていた。荒々しい彼らの声も身に沁んだ。豊後介はしみじみする声で、愛する妻子も忘れて来たと歌われているとき、その歌のとおりに自分も皆捨てて来た、どうなるであろう、力になるような郎党は皆自分がつれて来てしまった。自分に対する憎悪の念から大夫の監は彼らに復讐をしないであろうか、その点を考えないで幼稚な考えで、脱出して来たと、こんなことが思われて、気の弱くなった豊後介は泣いた。「胡地妻子虚棄損」とこう兄の歌っている声を聞いて兵部も悲しんだ。自分のしていることは何事であろう、愛してくれる男ににわかにそむいて出て来たことをどう思っているであろうと、こんなことが思われたのである。京へはいっても自分らは帰って行く邸などはない、知人の所といっても、たよって行ってよいほど頼もしい家もない、ただ一人の姫君のために生活の根拠のできていた土地を離れて、空想の世界へ踏み入ろうとする者であると豊後介は考えさせられた。姫君をもどうするつもりでいるのであろうと自身であきれながらも今さらしかたがなくてそのまま一行は京へはいった。九条に昔知っていた人の残っていたのを捜し出して、九州の人たちは足どまりにした。ここは京の中ではあるがはかばかしい人の住んでいる所でもない町である。外で働く女や商人の多い町の中で、悲しい心を抱いて暮らしていたが、秋になるといっそう物事が身に沁んで思われて過去からも、未来からも暗い影ばかりが投げられる気がした。信頼されている豊後介も、京では水鳥が陸へ上がったようなもので、職を求める手蔓も知らないのであった。今さら肥前へ帰るのも恥ずかしくてできないことであった。思慮の足りなかったことを豊後介は後悔するばかりであるが、つれて来た郎党も何かの口実を作って一人去り二人去り、九州へ逃げて帰る者ばかりであった。無力な失職者になっている長男に同情したようなことを母のおとどが言うと、
「私などのことは何でもありません。姫君を護っていることができれば、自分の郎党などは一人もなくなってもいいのですよ。どんなに自分らが強力な豪族になったっても、姫君をああした野蛮な連中に取られてしまえば、精神的に死んでしまったのも同然ですよ」
と豊後介は慰めるのであった。
「神仏のお力にすがればきっと望みの所へ導いてくださるでしょうから、お詣りをなさるがいいと思います。ここから近い八幡の宮は九州の松浦、箱崎と同じ神様なのですから、あちらをお立ちになる時、お立てになった願もありますから、神の庇護で無事に帰京しましたというお礼参りをなさいませ」
と豊後介は言って、姫君に八幡詣りをさせた。八幡のことにくわしい人に聞いておいて、御師という者の中に、昔親の少弐が知っていた僧の残っているのを呼び寄せて、案内をさせたのである。
「このつぎには、仏様の中で長谷の観音様は霊験のいちじるしいものがあると支那にまで聞こえているそうですから、お参りになれば、遠国にいて長く苦労をなすった姫君をきっとお憐みになってよいことがあるでしょう」
また豊後介は姫君に長谷詣でを勧めて実行させた。船や車を用いずに徒歩で行くことにさせたのである。かつて経験しない長い路を歩くことは姫君に苦しかったが、人が勧めるとおりにして、つらさを忍んで夢中で歩いて行った。自分は前生にどんな重い罪障があってこの苦しみに堪えねばならないのであろう、母君はもう死んでおいでになるにしても、自分を愛してくださるならその国へ自分をつれて行ってほしい。しかしまだ生きておいでになるのならお顔の見られるようにしていただきたいと姫君は観音を念じていた。姫君は母の顔を覚えていなかった。ただ漠然と親というものの面影を今日まで心に作って来ているだけであったが、こうした苦難に身を置いては、いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。ようやく椿市という所へ、京を出て四日めの昼前に、生きている気もしないで着いた。姫君は歩行らしい歩行もできずに、しかもいろいろな方法で足を運ばせて来たが、もう足の裏が腫れて動かせない状態になって椿市で休息をしたのである。頼みにされている豊後介と、弓矢を持った郎党が二人、そのほかは僕と子供侍が三、四人、姫君の付き添いの女房は全部で三人、これは髪の上から上着を着た壺装束をしていた。それから下女が二人、これが一行で、派手な長谷詣りの一行ではなかった。寺へ燈明料を納めたりすることをここで頼んだりしているうちに日暮れ時になった。この家の主人である僧が向こうで言っている。
「私には今夜泊めようと思っているお客があったのだのに、だれを勝手に泊めてしまったのだ、物知らずの女どもめ、相談なしに何をしたのだ」
怒っているのである。九州の一行は残念な気持ちでこれを聞いていたが、僧の言ったとおりに参詣者の一団が町へはいって来た。これも徒歩で来たものらしい。主人らしいのは二人の女で召使の男女の数は多かった。馬も四、五匹引かせている。目だたぬようにしているが、きれいな顔をした侍などもついていた。主人の僧は先客があってもその上にどうかしてこの連中を泊めようとして、道に出て頭を掻きながら、ひょこひょこと追従をしていた。かわいそうな気はしたが、また宿を変えるのも見苦しいことであるし、面倒でもあったから、ある人々は奥のほうへはいり、残りの人々はまた見えない部屋のほうへやったりなどして、姫君と女房たちとだけはもとの部屋の片すみのほうへ寄って、幕のようなもので座敷の仕切りをして済ませていた。あとの客も無作法な人たちではなかった。遠慮深く静かで、双方ともつつましい相い客になっていた。このあとから来た女というのは、姫君を片時も忘れずに恋しがっている右近であった。年月がたつにしたがって、いつまでも続けている女房勤めも気がさすように思われて、煩悶のある心の慰めに、この寺へたびたび詣っているのである。長い間の経験で徒歩の旅を大儀とも何とも思っているのではなかったが、さすがに足はくたびれて横になっていた。こちらの豊後介は幕の所へ来て、食事なのであろう、自身で折敷を持って言っていた。
「これを姫君に差し上げてください。膳や食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」
右近はこれを聞いていて、隣にいる人は自分らの階級の人ではないらしいと思った。幕の所へ寄ってのぞいて見たが、その男の顔に見覚えのある気がした。だれであるかはまだわからない。豊後介のごく若い時を知っている右近は、肥えて、そうして色も黒くなっている人を今見て、直ぐには思い出せないのである。
「三条、お召しですよ」
と呼ばれて出て来る女を見ると、それも昔見た人であった。昔の夕顔夫人に、下の女房ではあったが、長く使われていて、あの五条の隠れ家にまでも来ていた女であることがわかった右近は、夢のような気がした。主人である人の顔を見たく思っても、それはのぞいて見られるようなふうにはしていなかった。思案の末に右近は三条に聞いてみよう、兵藤太と昔言われた人もこの男であろう、姫君がここにおいでになるのであろうかと思うと、気が急いで、そしてまた不安でならないのであった。幕の所から三条を呼ばせたが、熱心に食事をしている女はすぐに出て来ないのを右近は憎くさえ思ったが、それは勝手すぎた話である。やっと出て来た。
「どうもわかりません。九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、お人違いではありませんか」
と言う。田舎風に真赤な掻練を下に着て、これも身体は太くなっていた。それを見ても自身の年が思われて、右近は恥ずかしかった。
「もっと近くへ寄って私を見てごらん。私の顔に見覚えがありますか」
と言って、右近は顔をそのほうへ向けた。三条は手を打って言った。
「まああなたでいらっしゃいましたね。うれしいって、うれしいって、こんなこと。まああなたはどちらからお参りになりました。奥様はいらっしゃいますか」
三条は大声をあげて泣き出した。昔は若い三条であったことを思い出すと、このなりふりにかまわぬ女になっていることが右近の心を物哀れにした。
「おとどさんはいらっしゃいますか。姫君はどうおなりになりました。あてきと言った人は」
と、右近はたたみかけて聞いた。夫人のことは失望をさせるのがつらくてまだ口に出せないのである。
「皆、いらっしゃいます。姫君も大人になっておいでになります。何よりおとどさんにこの話を」
と、言って三条は向こうへ行った。九州から来た人たちの驚いたことは言うまでもない。
「夢のような気がします。どれほど恨んだかしれない方にお目にかかることになりました」
おとどはこう言って幕の所へ来た。もうあちらからも、こちらからも隔てにしてあった屏風などは取り払ってしまった。右近もおとども最初はものが言えずに泣き合った。やっとおとどが口を開いて、
「奥様はどうおなりになりました。長い年月の間夢にでもいらっしゃる所を見たいと大願を立てましたがね、私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、何の御様子も知ることができません。悲しんで、悲しんで、長生きすることが恨めしくてならなかったのですが、奥様が捨ててお行きになった姫君のおかわいいお顔を拝見しては、このまま死んでは後世の障りになると思いましてね、今でもお護りしています」
おとどの話し続ける心持ちを思っては、昔あの時に気おくれがして知らせられなかったよりも、幾倍かのつらさを味わいながらも、絶体絶命のようになって、右近は、
「お話ししてもかいのないことでございますよ。奥様はもう早くお亡れになったのですよ」
と言った。三条も混ぜて三人はそれから咽せ返って泣いていた。
日が暮れたと騒ぎ出し、お籠りをする人々の燈明が上げられたと宿の者が言って、寺へ出かけることを早くと急がせに来た。そのために双方ともまだ飽き足らぬ気持ちで別れねばならなかった。
「ごいっしょにお詣りをしましょうか」
とも言ったが、双方とも供の者の不思議に思うことを避けて、おとどのほうではまだ豊後介にも事実を話す間がないままで同時に宿坊を出た。右近は人知れず九州の一行の中の姫君の姿を目に探っていた。そのうちに美しい後ろ姿をした一人の、非常に疲労した様子で、夏の初めの薄絹の単衣のような物を上から着て、隠された髪の透き影のみごとそうな人を右近は見つけた。お気の毒であるとも、悲しいことであるとも思ってながめたのである。少し歩き馴れた人は皆らくらくと上の御堂へ着いたが、九州の一行は姫君を介抱しながら坂を上るので、初夜の勤めの始まるころにようやく御堂へ着いた。御堂の中は非常に混雑していた。右近が取らせてあったお籠り部屋は右側の仏前に近い所であった。九州の人の頼んでおいた僧は無勢力なのか西のほうの間で、仏前に遠かった。
「やはりこちらへおいでなさいませ」
と言って、右近が召使をよこしたので、男たちだけをそのほうに残して、おとどは右近との邂逅を簡単に豊後介へ語ってから、右近の部屋のほうへ姫君を移した。
「私などつまらない女ですが、ただ今の太政大臣様にお仕えしておりますのでね、こんな所に出かけていましても不都合はだれもしないであろうと安心していられるのですよ。地方の人らしく見ますと、生意気にお寺の人などは軽蔑した扱いをしますから、姫君にもったいなくて」
右近はくわしい話もしたいのであるが、仏前の経声の大きいのに妨げられて、やむをえず仏を拝んでだけいた。
この方をお捜しくださいませ、お逢わせくださいませとお願いしておりましたことをおかなえくださいましたから、今度は源氏の大臣がこの方を子にしてお世話をなさりたいと熱心に思召すことが実現されますようにお計らいくださいませ、そうしてこの方が幸福におなりになりますように。
と祈っているのであった。国々の参詣者が多かった。大和守の妻も来た。その派手な参詣ぶりをうらやんで、三条は仏に祈っていた。
「大慈大悲の観音様、ほかのお願いはいっさいいたしません。姫君を大弐の奥様でなければ、この大和の長官の夫人にしていただきたいと思います。それが事実になりまして、私どもにも幸福が分けていただけました時に厚くお礼をいたします」
額に手を当てて念じているのである。右近はつまらぬことを言うとにがにがしく思った。
「あなたはとんでもないほど田舎者になりましたね。中将様は昔だってどうだったでしょう、まして今では天下の政治をお預かりになる大臣ですよ。そうしたお盛んなお家の方で姫君だけを地方官の奥さんという二段も三段も低いものにしてそれでいいのですか」
と言うと、
「まあお待ちなさいよあなた。大臣様だって何だってだめですよ。大弐のお館の奥様が清水の観世音寺へお参りになった時の御様子をご存じですか、帝様の行幸があれ以上のものとは思えません。あなたは思い切ったひどいことをお言いになりますね」
こう言って、三条はなお祈りの合掌を解こうとはしなかった。九州の人たちは三日参籠することにしていた。右近はそれほど長くいようとは思っていなかったが、この機会に昔の話も人々としたく思って、寺のほうへ三日間参籠すると言わせるために僧を呼んだ。雑用をする僧は願文のことなどもよく心得ていて、すばやくいろいろのことを済ませていく。
「いつもの藤原瑠璃君という方のためにお経をあげてよくお祈りすると書いてください。その方にね、近ごろお目にかかることができましたからね。その願果たしもさせていただきます」
と右近の命じていることも九州の人々を感動させた。
「それは結構なことでしたね。よくこちらでお祈りしているせいでしょう」
などとその僧は言っていた。御堂の騒ぎは夜通し続いていた。
夜が明けたので右近は知った僧の坊へ姫君を伴って行った。静かに話したいと思うからであろう。質素なふうで来ているのを恥ずかしがっている姫君を右近は美しいと思った。
「私は思いがけない大きなお邸へお勤めすることになりまして、たくさんな女の方を見ましたが、殿様の奥様の御容貌に比べてよいほどの方はないと長い間思っていました。それにお小さいお姫様がまたお美しいことはもっともなことですが、そのお姫様はまたどんなに大事がられていらっしゃるか、まったく幸福そのもののような方ですがね、こうして御質素なふうをなすっていらっしゃる姫君を、私は拝見して、その奥様や二条院のお姫様に姫君が劣っていらっしゃるように思われませんのでうれしゅうございます。殿様はおっしゃいますのですよ、自分の父君の帝様の時から宮中の女御やお后、それから以下の女性は無数に見ているが、ただ今の帝様のお母様のお后の御美貌と自分の娘の顔とが最もすぐれたもので、美人とはこれを言うのであると思われるって。私は拝見していて、そのお后様は存じませんけれど、お姫様はまだお小さくて将来は必ずすぐれた美人におなりになるでしょうが、奥様の御美貌に並ぶ人はないと思うのですよ。殿様も奥様のお美しさの価値を十分ご存じでいらっしゃるでしょうが、御自分のお口から最上の美人の数へお入れにはなりにくいのですよ。こんなこともお言いになることがあるのですよ、あなたは私と夫婦になれたりしてもったいなく思いませんかなどと戯談をね。お二人のそろいもそろったお美しさを拝見しているだけで命も延びる気がするのですよ。あんな方はあるものでもありません、私がそんなに思う六条院の奥様にどこ一つ姫君は劣っていらっしゃいません。物は限りがあってすぐれた美貌と申しても円光を後ろに負っていらっしゃるわけではありませんけれど、これがほんとうに美しいお顔と申し上げていいのでございましょう」
右近は微笑んで姫君をながめていた。少弐の未亡人もうれしそうである。
「こんなすぐれたお生まれつきの方を、もう一歩で暗い世界へお沈めしてしまうところでしたよ。惜しくてもったいなくて、家も財産も捨てて頼りにしてよい息子にも娘にも別れて、今ではかえって知らぬ他国のような心細い気のする京へ帰って来たのですよ。あなた、どうぞいい智慧を出してくだすって、姫君の御運を開いてあげてくださいまし。貴族のお家に仕えておいでになる方は、便宜がたくさんあるでしょう。お父様の大臣が姫君をお認めくださいますように計らってくださいまし」
とおとどは言うのであった。姫君は恥ずかしく思って後ろを向いていた。
「それがね、私はつまらない者ですけれど、殿様がおそばで使っていてくださいますからね、昔のいろいろな話を申し上げる中で、どうなさいましたろうと私が姫君のことをよく申すものですから、殿様が、ぜひ自分の所へ引き取りたく思う。居所を聞き込んだら知らせるがいいとおっしゃるのですよ」
「源氏の大臣様はどんなにおりっぱな方でも、今のお話のようなよい奥様や、そのほかの奥様も幾人かいらっしゃるのでしょう。それよりもほんとうのお父様の大臣へお知らせする方法を考えてください」
とおとどが言うのを聞いて、右近ははじめて夕顔夫人を愛して、死の床に泣いた人の源氏であったことを話した。
「どうしてもお亡れになった奥様を忘れられなく思召してね。奥様の形見だと思って姫君のお世話をしたい、自分は子供も少なくて物足りないのだから、その人が捜し出せたなら、自分の子を家へ迎えたように世間へは知らせておこうと、それはずっと以前からそうおっしゃるのですよ。私の幼稚な心弱さから、奥様のお亡くなりになりましたことをあなたがたにお知らせすることができないでおりますうちに、御主人が少弐におなりになったでしょう。それはお名を聞いて知ったのですよ。お暇乞いに殿様の所へおいでになりましたのを、私はちらとお見かけしましたが、何をお尋ねすることもできないじまいになったのですよ。それでもまだ姫君をあの五条の夕顔の花の咲いた家へお置きになって赴任をなさるのだと思っていました。まあどうでしょう、もう一歩で九州の人になっておしまいになるところでございましたね」
などと人々は終日昔の話をしたり、いっしょに念誦を行なったりしていた。御堂へ参詣する人々を下に見おろすことのできる僧坊であった。前を流れて行くのが初瀬川である。右近は、
ここでうれしい逢瀬が得られたと申すものでございます」
と姫君に言った。
と言って泣いている姫君はきわめて感じのよい女性であった。これだけの美貌が備わっていても、田舎風のやぼな様子が添っていたなら、どんなにそれを玉の瑕だと惜しまれることであろう、よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものであると、右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。母の夕顔夫人はただ若々しくおおような柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった。これは容姿に気高さのあるすぐれた姫君と見えるのであった。右近はこれによって九州という所がよい所であるように思われたが、また昔の朋輩が皆不恰好な女になっているのであったから不思議でならなかった。日が暮れると御堂に行き、翌日はまた坊に帰って念誦に時を過ごした。秋風が渓の底から吹き上がって来て肌寒さの覚えられる所であったから、物寂しい人たちの心はまして悲しかった。姫君は右近の話から、人並みの運も持たないように悲観をしていた自分も、父の家の繁栄と、低い身分の人を母として生まれた子供たちさえも皆愛されて幸福になっていることがわかった上は、もう救われる時に達したのであるかもしれないという気になった。帰る時は双方でよく宿所を尋ね合って、またわからなくなってはと互いに十分の警戒をしながら別れた。右近の自宅も六条院に近い所であったから、九州の人の宿とも遠くないことを知って、その人たちは力づけられた気がした。
右近は旅からすぐに六条院へ出仕した。姫君の話をする機会を早く得たいと思う心から急いだのである。門をはいるとすでにすべての空気に特別な豪華な家であることが感ぜられるのが六条院である。来る車、出て行く車が無数に目につく。自分などがこの家の一人の女房として自由に出入りをすることもまばゆい気のすることであると右近に思われた。その晩は主人夫婦の前へは出ずに、部屋へ引きこもって右近はまた物思いをした。翌日は昨日自宅から上がって来た高級の女房が幾人もある中から、特に右近が夫人に呼び出されたのを、右近は誇らしく思った。源氏も夫人の居間にいた。
「どうして長く家へ行っていたのかね。少しこれまでとは違っているのではないか。独身者はこんな所にいる時と違って、自宅では若返ることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」
などと例の困らせる気の戯談を源氏が言う。
「ちょうど七日お暇をいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね。お気の毒な方を発見いたしました」
「だれ」
と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけ言えば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、
「またくわしくお話を申し上げます」
と言って、ほかの女房たちも来たのでそのまま言いさしにした。
灯などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王は二十七、八になった。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。寝室にはいってから、脚を撫でさせるために源氏は右近を呼んだ。
「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔馴染の者は気心が双方でわかっていてどんなことでもしてもらえるよ」
と源氏が言っているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。
「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちは結構なんですけれど、あの御戯談に困るだけね」
などと言っているのであった。
「奥さんも昔馴染どうしがあまり仲よくしては機嫌を悪くなさらない。決して寛大な方ではないから危いね」
などと言って源氏は笑っていた。愛嬌があって常よりもまた美しく思われた。このごろは公職が閑散なほうに変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも戯談を言いかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女にも戯れてみせるのである。
「発見したって、どんな人かね。えらい修験者などと懇意になってつれて来たのか」
と源氏は言った。
「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔のゆかりの方を見つけましたのでございます」
「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」
と源氏に尋ねられたが、ありのままには言いにくくて、
「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはお付きしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」
と右近は言っていた。
「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」
と源氏が隠すように言うと、
「私がおじゃまなの、私は眠くて何のお話だかわからないのに」
と女王は袖で耳をふさいだ。
「どんな容貌、昔の夕顔に劣っていない」
「あんなにはおなりにならないかと存じておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」
「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」
「どういたしまして、そんなには」
と右近が言うと、
「得意なようで恥ずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」
わざと親らしく源氏は言うのであった。
その話を聞いた時から源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。
「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人の行くえを失ってしまったことを思って暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでも済まない気がする。お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子供に大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生まれたのでもない人がその中へはいって行っては、結局また苦労をさせることになる。私のほうは子供の数が少ないのだから、思いがけぬ所で発見した娘だとも世間へは言っておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」
源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれて行きそうであるとうれしかった。
「何も皆思召し次第でございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なお亡くなり方をなさいました奥様のかわりにもともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」
と右近が言うと、
「私をまだそんなふうにも責めるのだね」
源氏は微笑みながらも涙ぐんでいた。
「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集まって来ている奥さんたちもね、あの時にあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、皆あの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることは始終だったのに、そうして姫君を私の手もとへ引き取ることができればうれしいだろう」
こう言って、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花に幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待にそむかないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
とも書いた。右近はこの手紙を自身で持って行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係の所にできていた物も皆取り寄せて、色の調子、重ねの取り合わせの特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎に長くいた人々の目に珍しくまばゆい物と映ったのはもっともなことである。姫君自身は、こんなりっぱな品々でなくても、実父の手から少しの贈り物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというように、それとなく言って、贈り物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏との間に結ばれた深い因縁を姫君に言って聞かせた。人々も横から取りなした。
「そうして源氏の大臣の御厚意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様のほうからもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。御双方ともお身体さえお丈夫でいらっしゃればきっとお逢いになれる時がまいります」
とも慰めるのである。まず早く返事をと言って皆がかりで姫君を責めて書かせるのであった。自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのを恥ずかしく思うふうであった。用箋は薫物の香を沁ませた唐紙である。
とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。姫君を住ます所をどこにしようかと源氏は考えたが、南の一廓はあいた御殿もない。華奢な生活のここが中心になっている所であるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居になっている一廓の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、少しじみな所ではあるが東北の花散里の住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住ませようという考えになった。近くにいる人も気だての優しい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮らすのもいいであろうと思ったのである。こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。
「困るね。生きている人のことでは私のほうから進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんな時にでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」
こう言っている源氏には故人を思う情に堪えられない様子が見えた。
「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬をするもので、それに煩わされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦にもなって、幾人もの恋人を持ちましたが、その中で可憐で可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」
などと源氏が言うと、
「でも、明石の波にくらべるほどにはどうだか」
と夫人は言った。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわいいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人の言うほうがもっともであるかもしれないと源氏は思った。それらのことは皆九月のうちのことであった。
姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を捜し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけ次第に雇って、姫君の女房に付けておいたのであるが、脱出のことがにわかに行なわれたためにそれらの人は皆捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広い所であるから、市女というような者に頼んでおくと、上手に捜してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房を選りととのえもし衣服の仕度も皆して、十月に六条院へはいった。源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。
「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこかへ隠れてしまっていたのですが、子供もあったので、長い間私は捜させていたのですがなんら得る所がなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですがその子のことが耳にはいった時にすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子供にしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をして来たのですから、田舎風なことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」
「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私は少しも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、少し寂しすぎましたから、いいことですわね」
花散里はおおように言っている。
「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたも優しい人だから安心してお預けすることができるのです」
などと源氏が言った。
「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまり少なくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」
と花散里は言っていた。女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、
「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じ所へね。あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」
と言っていた。
姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近が付いていたから田舎びずに調えられた。源氏の所からそうした人たちに入り用な綾そのほかの絹布類は呈供してあったのである。
その晩すぐに源氏は姫君の所へ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住まいをしたうちにそのまれな美貌の人がこの世に現存していることも忘れていて今ほのかな灯の明りに几帳の綻びから少し見える源氏の顔を見ておそろしくさえなったのであった。源氏の通って来る所の戸口を右近があけると、
「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」
と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、
「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」
と言って、源氏は几帳を少し横のほうへ押しやった。姫君が恥ずかしがって身体を細くしてすわっている様子に感じよさがあって、源氏はうれしかった。
「もう少し明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」
と源氏が言うので、右近は燈心を少し掻き上げて近くへ寄せた。
「きまりを悪がりすぎますね」
と源氏は少し笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。少しも他人のようには扱わないで、源氏は親らしく言う。
「長い間あなたの居所がわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうして逢うことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」
こう言って目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、
「親子であってこんなに長く逢えなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のように恥ずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」
と源氏が恨みを言うのを聞くと、何と言ってよいかわからぬほど姫君は恥ずかしいのであったが、
「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れ着きましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」
とほのかに言うのが夕顔の声そのままの語音であった。源氏は微笑を見せながら、
「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせて来た酬いは私がしないでだれにしてもらえますか」
と言って、源氏は聡明らしい姫君の物の言いぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。
感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことを言った。
「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものに仕上げられているだろうと私は軽蔑していたが、こちらがかえって恥ずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人を持っているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿の宮などに懊悩をおさせするのだね。恋愛至上主義者も私の家ではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいてみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想ぶりをたんと拝見しよう」
と源氏が言うと、
「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」
と女王は言う。
「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯を手もとへ引き寄せながら、無駄書きのように書いていた。
「かわいそうに」
とも独言しているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいと言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪ねて行った。
「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」
と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとどなどは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑してよい気になった。まして大夫の監は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介の至誠の賜物であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞めた。確とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍を従えて執務することのできるようになったことを豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起こったことと言わねばならない。
年末になって、新年の室内装飾、春の衣裳を配る時にも、源氏は玉鬘を尊貴な夫人らと同じに取り扱った。どんなに思いのほかによい趣味を知った人と見えても、またどんなまちがった物の取り合わせをするかもしれぬという不安な気持ちもあって、玉鬘のほうへはすでに衣裳にでき上がった物を贈ることにしたが、その時にほうぼうの織物師が力いっぱいに念を入れて作り出した厚織物の細長や小袿の仕立てたのを源氏は手もとへ取り寄せて見た。
「非常にたくさんありますね。奥さんたちなどにもそれぞれよい物を選って贈ることにしよう」
と源氏が夫人に言ったので、女王は裁縫係の所にでき上がっている物も、手もとで作らせた物もまた皆出して源氏に見せた。紫の女王はこうした服飾類を製作させることに趣味と能力を持っている点ででも源氏はこの夫人を尊重しているのである。あちらこちらの打ち物の上げ場から仕上がって来ている糊をした打ち絹も源氏は見比べて、濃い紅、朱の色などとさまざまに分けて、それを衣櫃、衣服箱などに添えて入れさせていた。高級な女房たちがそばにいて、これをそれに、それをこれにというように源氏の命じるままに贈り物を作っているのであった。夫人もいっしょに見ていて、
「皆よくできているのですから、お召しになるかたのお顔によく似合いそうなのを見立てておあげなさいまし。着物と人の顔が離れ離れなのはよくありませんから」
と言うと、源氏は笑って、
「素知らぬ顔であなたは着る人の顔を想像しようとするのですね。それにしてもあなたはどれを着ますか」
と言った。
「鏡に見える自分の顔にはどの着物を着ようという自信も出ません」
さすがに恥ずかしそうに言う女王であった。紅梅色の浮き模様のある紅紫の小袿、薄い臙脂紫の服は夫人の着料として源氏に選ばれた。桜の色の細長に、明るい赤い掻練を添えて、ここの姫君の春着が選ばれた。薄いお納戸色に海草貝類が模様になった、織り方にたいした技巧の跡は見えながらも、見た目の感じの派手でない物に濃い紅の掻練を添えたのが花散里。真赤な衣服に山吹の花の色の細長は同じ所の西の対の姫君の着料に決められた。見ぬようにしながら、夫人にはひそかにうなずかれるところがあるのである。内大臣がはなやかできれいな人と見えながらも艶な所の混じっていない顔に玉鬘の似ていることを、この黄色の上着の選ばれたことで想像したのであった。色に出して見せないのであるが、源氏はそのほうを見た時に、夫人の心の平静でないのを知った。
「もう着る人たちの容貌を考えて着物を選ぶことはやめることにしよう、もらった人に腹をたてさせるばかりだ。どんなによくできた着物でも物質には限りがあって、人の顔は醜くても深さのあるものだからね」
こんなことも言いながら、源氏は末摘花の着料に柳の色の織物に、上品な唐草の織られてあるのを選んで、それが艶な感じのする物であったから、人知れず微笑まれるのであった。梅の折り枝の上に蝶と鳥の飛びちがっている支那風な気のする白い袿に、濃い紅の明るい服を添えて明石夫人のが選ばれたのを見て、紫夫人は侮辱されたのに似たような気が少しした。空蝉の尼君には青鈍色の織物のおもしろい上着を見つけ出したのへ、源氏の服に仕立てられてあった薄黄の服を添えて贈るのであった。同じ日に着るようにとどちらへも源氏は言い添えてやった。自身の選定した物がしっくりと似合っているかを源氏は見に行こうと思うのである。
夫人たちからはそれぞれの個性の見える返事が書いてよこされ、使いへ出した纏頭もさまざまであったが、末摘花は東の院にいて、六条院の中のことでないから纏頭などは気のきいた考えを出さねばならぬのに、この人は形式的にするだけのことはせずにいられぬ性格であったから纏頭も出したが、山吹色の袿の袖口のあたりがもう黒ずんだ色に変色したのを、重ねもなく一枚きりなのである。末摘花女王の手紙は香の薫りのする檀紙の、少し年数物になって厚く膨れたのへ、
と書かれてあった。字は非常に昔風である。源氏はそれをながめながらおかしくてならぬような笑い顔をしているのを、何があったのかというふうに夫人は見ていた。源氏は使いへ末摘花の出した纏頭のまずいのを見て、機嫌の悪くなったのを知り、使いはそっと立って行った。そしてその侍は自身たちの仲間とこれを笑い話にした。よけいな出すぎたことをする点で困らせられる人であると源氏は思っていた。
「りっぱな歌人なのだね、この女王は。昔風の歌詠みはから衣、袂濡るるという恨みの表現法から離れられないものだ。私などもその仲間だよ。凝り固まっていて、新しい言葉にも表現法にも影響されないところがえらいものだ。御前などの歌会の時に古い人らが友情を言う言葉に必ずまどいという三字が使われるのもいやなことだ。昔の恋愛をする者の詠む歌には相手を悪く見て仇人という言葉を三句めに置くことにして、それをさえ中心にすれば前後は何とでもつくと思ったものらしい」
などと源氏は夫人に語った。
「いろんな歌の手引き草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、それよりほかの作り方ができないものと見える。常陸の親王のお書きになった紙屋紙の草紙というのを、読めと言って女王さんが貸してくれたがね、歌の髄脳、歌の病、そんなことがあまりたくさん書いてあったから、もともとそのほうの才分の少ない私などは、それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、むずかしくてお返ししましたよ。それに通じている人の歌としては、だれでもが作るような古いところがあるじゃないかね」
滑稽でならないように源氏に笑われている末摘花の女王はかわいそうである。夫人はまじめに、
「なぜすぐお返しになりましたの、写させておいて姫君にも見せておあげになるほうがよかったでしょうにね。私の書物の中にも古いその本はありましたけれど、虫が穴をあけて何も読めませんでした。その御本に通じていて歌の下手な方よりも、全然知らない私などはもっとひどく拙いわけですよ」
と言った。
「姫君の教育にそんなものは必要でない。いったい女というものは一つのことに熱中して専門家的になっていることが感じのいいものではない。といって、どの芸にも門外の人であることはよくないでしょうがね。ただ思想的に確かな人にだけしておいて、ほかは平穏で瑕のない程度の女に私は教育したい」
こんなことを源氏は言っていて、もう一度末摘花へ返事を書こうとするふうのないのを、夫人は、
「返しやりてん、とお言いになったのですから、もう一度何とかおっしゃらないでは失礼ですわ」
と言って、書くことを勧めていた。人情味のある源氏であったから、すぐに返歌が書かれた、非常に楽々と、
という手紙であったらしい。
初音
新春第一日の空の完全にうららかな光のもとには、どんな家の庭にも雪間の草が緑のけはいを示すし、春らしい霞の中では、芽を含んだ木の枝が生気を見せて煙っているし、それに引かれて人の心ものびやかになっていく。まして玉を敷いたと言ってよい六条院の庭の初春のながめには格別なおもしろさがあった。常に増してみがき渡された各夫人たちの住居を写すことに筆者は言葉の乏しさを感じる。春の女王の住居はとりわけすぐれていた。梅花の香も御簾の中の薫物の香と紛らわしく漂っていて、現世の極楽がここであるような気がした。さすがにゆったりと住みなしているのであった。女房たちも若いきれいな人たちは姫君付きに分けられて、少しそれより年の多い者ばかりが紫の女王のそばにいた。上品な重味のあるふうをして、あちらこちらに一団を作っているこうした女房らは歯固めの祝儀などを仲間どうしでしていた。鏡餠なども取り寄せて、今年じゅうの幸福を祈るのに興じ合っている所へ主人の源氏がちょっと顔を見せた。懐中手をしていた者が急に居ずまいを直したりしてきまりを悪がった。
「たいへんな御祝儀なのだね、皆それぞれ違ったことの上に祝福あれと祈っているのだろうね。少し私に内容を洩らしてくれないか、私も祝詞を述べるよ」
と微笑んで言う源氏の美しい顔を見ることが今年の春の最初の幸福であると人々は思っている。
中将の君が言う。
「御主人様がたを鏡のお餠にも祝っております。自身たちについての祈りなどをいたすものでございません」
朝の間は参賀の人が多くて騒がしく時がたったが、夕方前になって、源氏が他の夫人たちへ年始の挨拶を言いに出かけようとして、念入りに身なりを整え化粧をしたのを見ることは実際これが幸福でなくて何であろうと思われた。
「今朝皆が鏡餠の祝詞を言い合っているのを見てうらやましかった。奥さんには私が祝いを言ってあげよう」
少し戯れも混ぜて源氏は夫人の幸福を祝った。
これほど真実なことはない。二人は世に珍しい麗質の夫婦である。
と夫人は言った。どの場合、何の言葉にもこの二人は長く変わらぬ愛を誓い合うのであった。
ちょうど元日が子の日にあたっていたのである。千年の春を祝うのにふさわしい日である。姫君のいる座敷のほうへ行ってみると、童女や下仕えの女が前の山の小松を抜いて遊んでいた。そうした若い女たちは新春の喜びに満ち足らったふうであった。北の御殿からいろいろときれいな体裁に作られた菓子の髭籠と、料理の破子詰めなどがここへ贈られて来た。よい形をした五葉の枝に作り物の鶯が止まらせてあって、それに手紙が付けられてある。
「音せぬ里の」(今日だにも初音聞かせよ鶯の音せぬ里は住むかひもなし)と書かれてあるのを読んで、源氏は身にしむように思った。正月ながらもこぼれてくる涙をどうしようもないふうであった。
「この返事は自分でなさい。きまりが悪いなどと気どっていてよい相手でない」
源氏はこう言いながら、硯の世話などをやきながら姫君に書かせていた。かわいい姿で、毎日見ている人さえだれも見飽かぬ気のするこの人を、別れた日から今日まで見せてやっていないことは、真実の母親に罪作りなことであると源氏は心苦しく思った。
少女の作でありのままに過ぎた歌である。
夏の夫人の住居は時候違いのせいか非常に静かであった。わざと風流がった所もなく、品よく、貴女の家らしく住んでいた。源氏と夫人の二人の仲にはもう少しの隔てというものもなくなって、徹底した友情というものを持ち合っていた。現在では肉体の愛を超越した夫婦であった。しかも精神的には永久に離れまいと誓い合う愛人どうしである。几帳を隔てて花散里はすわっていたが、源氏がそれを手で押しやると、また花散里はそうするままになっていた。お納戸色という物は人をはなやかに見せないものであるが、その上この人は髪のぐあいなどももう盛りを通り過ぎた人になっていた。優美な物ではないが添え毛でもすればよいかもしれぬ。
「私のような男でなかったら愛をさましてしまうかもしれない衰退期の顔を、化粧でどうしようともしないほど私の心が信じられているのがうれしい。あなたが軽率な女で、ひがみを起こして別れて行っていたりしては、私にこの満足は与えてもらえなかったでしょう」
源氏は花散里に逢うごとによくこんなことを言った。永久に変わっていかない自身の愛と、この女の持つ信頼は理想的なものであるとさえ源氏は思っていた。親しい調子でしばらく話していたあとで、西の対のほうへ源氏は行った。
玉鬘がここへ住んでまだ日の浅いにもかかわらず西の対の空気はしっくりと落ち着いたものになっていた。美しい童女によい好みの服装をさせたのや、若い女房などがおおぜいいて、室内の設備などはかなり行き届いてできてはいるが、まだ十分にあるべき調度が調っているのではなくてもとにかく感じよく取りなされてあった。玉鬘自身もはなやかな麗人であると、見た目はすぐに感じるような、あのきわだった山吹の色の細長が似合う顔と源氏の見立てたとおりの派手な美人は、暗い陰影というものは、どこからも見いだせない輝かしい容姿を持っていた。苦労をしてきた間に少し少なくなった髪が、肩の下のほうでやや細くなりさらさらと分かれて着物の上にかかっているのも、かえってあざやかな清さの感ぜられることであった。今はこうして自分の庇護のもとに置くがあぶないことであったと以前のことを深く思う源氏は、この人を情人にまでせずにはおかれないのでなかろうか。肉親のようにまでなって暮らしていながらもまだ源氏は物足りない気のすることを、自身ながらも奇怪に思われて、表面にこの感情を現わすまいと抑制していた。
「私はもうずっと前からあなたがこの家の人であったような気がして満足していますが、あなたも遠慮などはしないで、私のいるほうなどにも出ていらっしゃい。琴を習い始めた女の子などもいますから、その稽古を見ておやりなさい。気を置かねばならぬような曲がった性格の人などはあちらにいませんよ。私の妻などがそうですよ」
と源氏が言うと、
「仰せどおりにいたします」
と玉鬘は言っていた。もっともなことである。
日の暮れ方に源氏は明石の住居へ行った。居間に近い渡殿の戸をあけた時から、もう御簾の中の薫香のにおいが立ち迷っていて、気高い艶な世界へ踏み入る気がした。居間に明石の姿は見えなかった。どこへ行ったのかと源氏は見まわしているうちに硯のあたりにいろいろな本などが出ているのに目がついた。支那の東京錦の重々しい縁を取った褥の上には、よい琴が出ていて、雅味のある火鉢に侍従香がくゆらしてある。その香の高い中へ、衣服にたきしめる衣被香も混じって薫るのが感じよく思われた。そのあたりへ散った紙に手習い風の無駄書きのしてある字も特色のある上手な字である。くずした漢字をたくさんには混ぜずに感じよく書かれてあるのであった。姫君から来た鶯の歌の返事に興奮して、身にしむ古歌などが幾つも書かれてある中に、自作もあった。
やっと聞き得た鶯の声というように悲しんで書いた横にはまた「梅の花咲ける岡辺に家しあれば乏しくもあらず鶯の声」と書いて、みずから慰めても書かれてある。源氏はこの手習い紙をながめながら微笑んでいた。書いた人はきまりの悪い話である。筆に墨をつけて、源氏もその横へ何かを書きすさんでいる時に明石は膝行り出た。思い上がった女性ではあるが、さすがに源氏に主君としての礼を取る態度が謙遜であった。この聡明さは明石の魅力でもあった。白い服へ鮮明に掛かった黒髪の裾が少し薄くなって、きれいに分かれた筋を作っているのもかえってなまめかしい。源氏は心が惹かれて、新春の第一夜をここに泊まることは紫夫人を腹だたせることになるかもしれぬと思いながら、そのまま寝てしまった。六条院の他の夫人の所ではこの現象は明石夫人がいかに深く愛されているかを思わせるものであると言っていた。まして南の御殿の人々はくやしがった。
源氏はまだようやく曙ぐらいの時刻に南御殿へ帰った。こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。紫の女王はまして、失敬なことであると、不快に思っているはずの心がらを察して、
「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、迎えにもよこしてくれませんでしたね」
こんなふうにも言って機嫌を取っているのもおもしろく思われた。打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっと遅くなって起きた。正月の二日は臨時の饗宴を催すことになっていたために、忙しいふうをして源氏はきまり悪さを紛らせていた。親王がたも高官たちもほとんど皆六条院の新年宴会に出席した。音楽の遊びがあって贈り物に纏頭に六条院にのみよくする華奢が見えた。多数の縉紳は皆きらびやかに風采を作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。個別的に見ればりっぱな人の多い時ではあるが、源氏の前では光彩を失ってしまうのが気の毒である。つまらぬ下僕なども主人に従って六条院へ来る時には、服装も身の取りなしをも晴れがましく思うのであったから、まして年若な高官たちは妙齢の姫君が新たに加わった六条院の参座には夢中になるほど容姿を気にして来て、平年と違った光景が現出された新春であった。春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏時に、楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、はなやかな気分がまず作られたのである。源氏も時々声を添えた。福草の三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。こうしたはなやかな遊びも派手な人出入りの物音も遠く離れた所で聞いている紫の女王以外の夫人たちは、極楽世界に生まれても下品下生の仏で、まだ開かない蓮の蕾の中にこもっている気がされた。まして離れた東の院にいる人たちは、年月に添えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。物質的の心配はいっさいなかったから、仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、文学好きな人はまたその勉強がよくできた。住居なども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
新年騒ぎの少し静まったころになって源氏は東の院へ来た。末摘花の女王は無視しがたい身分を思って、形式的には非常に尊貴な夫人としてよく取り扱っているのである。昔たくさんあった髪も、年々に少なくなって、しかも今は白い筋の多く混じったこの人を、面と向かって見ることが堪えられず気の毒で、源氏はそれをしなかった。柳の色は女が着て感じのよいものでないと思われたが、それはここだけのことで、着手が悪いからである。陰気な黒ずんだ赤の掻練の糊気の強い一かさねの上に、贈られた柳の織物の小袿を着ているのが寒そうで気の毒であった。重ねに仕立てさせる服地も贈られたのであるがどうしたのであろう。鼻の色だけは春の霞にもこれは紛れてしまわないだろうと思われるほどの赤いのを見て、源氏は思わず歎息をした。手はわざわざ几帳の切れを丁寧に重ね直した。かえって末摘花は恥ずかしがっていないのである。こうして変わらぬ愛をかける源氏に真心から信頼している様子に同情がされた。こんなことにも常識の不足した点のあるのを、哀れな人であると源氏は思って、自分だけでもこの人を愛してやらねばというふうに考えるところに源氏の善良さがうかがえるのである。話す声なども寒そうに慄えていた。
源氏は見かねて言った。
「あなたの着物のことなどをお世話する者がありますか。こんなふうに気楽に暮らしていてよい人というものは、外見はどうでも、何枚でも着物を着重ねているのがいいのですよ。表面だけの体裁よさを作っているのはつまりませんよ」
女王はさすがにおかしそうに笑った。
「醍醐の阿闍梨さんの世話に手がかかりましてね、仕立て物が間に合いませんでした上に、毛皮なども借りられてしまいまして寒いのですよ」
と説明する阿闍梨というのは鼻の非常に赤い兄の僧のことである。あまりに見栄を知らない女であると思いながらも、ここではまじめな一面だけを見せている源氏はなおも注意をする。
「毛皮はお坊様にあげたほうが適当でいいのですよ、そんな物より、白い着物という物は何枚でも重ねて着ていいのですからね。なぜあなたはそうしないのですか。入り用な物も送ってよこすのを私が忘れていれば、遠慮なく言ってよこしてください。もとからぼんやりとした私はまた怠け者でもあるし、ほかの方たちのこととこんがらがってしまうこともあって、済まない結果にもなるのですよ」
と言って源氏は、隣の二条院のほうの蔵をあけさせ、絹や綾を多く紅の女王に贈った。荒れた所もないが、男主人の平生住んでいない家は、どことなく寂しい空気のたまっている気がした。前の庭の木立ちだけは春らしく見えて、咲いた紅梅なども賞翫する人のないのをながめて、
と源氏は独言したが、鼻の赤い夫人は何のこととも気づかなかったであろう。
空蝉の尼君の住んでいる所へ源氏は来た。そこの主人らしくここは住まずに、目だたぬ一室にいて、住居の大部分を仏間に取った空蝉が仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽の器具などにも空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。青鈍色の几帳の感じのよい蔭にすわっている尼君の袖口の色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島(松が浦島今日ぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。昔から何という悲しい二人でしょう。しかしこうして逢ってお話しするくらいのことは永久にできるだけの因縁があるのですね」
などと言った。空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、私は前生に御縁の深かったことを思っております」
と言う。
「あなたを虐げた過去の追憶に苦しんで、おりおり今でも仏にお詫びを言わねばならないのが私です。しかしおわかりになりましたか、ほかの男は私のように純なものではないということを、あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
継息子のよこしまな恋に苦しめられたことを、源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことでだれの過去の罪も清算されるはずでございます。これ以上の報いがどこにございましょう」
と言って、空蝉は泣いてしまった。昔よりも深味のできた品のよい所が見え、過去の恋人で現在の尼君として別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。いろいろな話をしながらも、せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと末摘花の住居のほうがながめられた。こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。だれの所も洩らさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。皆ほどほどに源氏は愛していた。女に対して驕慢な心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、それらの人々は慰められて年月を送っていた。
今年の正月には男踏歌があった。御所からすぐに朱雀院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手な若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿を席に借りて皆来ていた。東の住居の西の対の玉鬘の姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳だけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応などは簡単に済ますのでないかと思っていたが、普通以上の歓待を六条院では受けることになった。光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭にもう折り目もなくなった青色の上着に白襲を下にしただけの服装に、見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、所がらかおもしろくて、命も延びるほどに観衆は思った。源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。各夫人の見物席には、いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口が出ていて、曙の空に春の花の錦を霞が長く一段だけ見せているようで、これがまた見ものであった。舞い人は、「高巾子」という脱俗的な曲を演じたり、自由な寿詞に滑稽味を取り混ぜたりもして、音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、慣例の纏頭である綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
「中将の声は弁の少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。万春楽を口ずさみにしていた源氏は、
「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、音楽の合奏をして遊びたい気がする。私の家だけの後宴があるべきだ」
と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出して塵を払わせたり、ゆるんだ絃を締めさせたりなどしていた。夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。
胡蝶
三月の二十日過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。築山の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔の色などを、ただ遠く見ているだけでは飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。船下ろしの最初の日は御所の雅楽寮の伶人を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。去年の秋「心から春待つ園」の挑戦的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬の小山が隔てになっているのを漕ぎ回らせて来るのであった。東の釣殿へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取り、棹取りの童侍は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那風の小童に仕立ててあった。大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望をするのであったが、ちょっとした岩の形なども皆絵の中の物のようであった。あちらにもそちらにも霞と同化したような花の木の梢が錦を引き渡していて、御殿のほうははるばると見渡され、そちらの岸には枝をたれて柳が立ち、ことに派手に咲いた花の木が並んでいた。よそでは盛りの少し過ぎた桜もここばかりは真盛りの美しさがあった。廊を廻った藤も船が近づくにしたがって鮮明な紫になっていく。池に影を映した山吹もまた盛りに咲き乱れているのである。水鳥の雌雄の組みが幾つも遊んでいて、あるものは細い枝などをくわえて低く飛び交ったりしていた。鴛鴦が波の綾の目に紋を描いている。写生しておきたい気のする風景ばかりが次々に目の前へ現われてくるのであったから、仙人の遊戯を見ているうちに斧の木の柄が朽ちた話と同じような恍惚状態になって女房たちは長い時間水上にいた。
春の池や井手の河瀬に通ふらん岸の山吹底も匂へり
亀の上の山も訪ねじ船の中に老いせぬ名をばここに残さん
春の日のうららにさして行く船は竿の雫も花と散りける
こんな歌などを各自が詠んで、行く先をも帰る所をも忘れるほど若い人たちのおもしろがって遊ぶのに適した水の上であった。暮れかかるころに「皇
」という楽の吹奏が波を渡ってきて、人々の船は歓楽陶酔の中に岸へ着き、設けられた釣殿の休息所へはいった。ここの室内の装飾は簡単なふうにしてあって、しかも艶なものであった。各夫人の若いきれいな女房たちが、競って華美な姿をして待ち受けていたのは、花の飾りにも劣らず美しかった。曲のありふれたものでない楽が幾つか奏されて、舞い手にも特に選抜された公達が出され、若い女に十分の満足を与えた。夜になってしまったことを源氏は残念に思って、前の庭に篝をとぼさせ、階段の下の苔の上へ音楽者を近く招いて、堂上の親王がた、高官たちと堂下の伶人とで大合奏が行なわれるのであった。専門家の中の優美な者だけが選ばれて、双調を笛で吹き出したのをはじめに、その音を待ち取った絃楽が上で起こったのである。絃楽の人ははなやかな音をかき立てて、歌手は「安名尊」を歌った。生きがいのあることを感じながら庶民たちまでも六条院の門前の馬や車の立てられた蔭へはいってこれらを聞いていた。春の空に春の調子の楽音の響く効果というものを、こうした大管絃楽を行なって堂上の人々は知ったであろうと思われた。終夜音楽はあった。呂の楽を律へ移すのに「喜春楽」が奏されて、兵部卿の宮は「青柳」を二度繰り返してお歌いになった。それには源氏も声を添えた。夜が明け放れた。この朝ぼらけの鳥のさえずりを、中宮は物を隔ててうらやましくお聞きになったのであった。常に春光の満ちた六条院ではあるが、外来者の若い興奮をそそる対象のないことをこれまで物足らず思った人もあったが、西の対の姫君なる人が出現して、これという欠点のない人であること、源氏が愛して大事にかしずくことが世間に知れた今日では、源氏の予期したとおりに思慕を寄せる者、求婚者になる者が多かった。わが地位に自信のある人たちは、女房などの中へ手蔓を求めて姫君へ手紙を送る方法もあるし、直接に意志を源氏へ表明することも可能であるが、そうした大胆なことはできずに、心だけを悩ましている若い公達などもあることと思われる。その中にはほんとうのことを知らずに、内大臣家の中将などもあるようである。兵部卿の宮も長く同棲しておいでになった夫人を亡くしておしまいになって、もう三年余りも寂しい独身生活をしておいでになるのであったから、最も熱心な求婚者であった。今朝もずいぶん酔ったふうをお作りになって、藤の花などを簪にさして、風流な乱れ姿を見せておいでになるのである。源氏も計画どおりになっていくと、心では思うのであるが、つとめて素知らぬ顔をしていた。酒杯のまわって来た時、迷惑な色をお見せになって宮は、
「私がある望みを持っていないのでしたら、逃げ出してしまう所ですよ。もういけません」
と言って、手をお出しになろうとしない。
とお言いになってから、源氏に、
「あなたはお兄様なのですからお助けください」
と源氏にその杯をお譲りになるのであった。源氏は満面に笑みを見せながら言う。
源氏がぜひと引きとめるので、宮もお帰りになることができなかった。
今朝の管絃楽はまたいっそうおもしろかった。この日は中宮が僧に行なわせられる読経の初めの日であったから、夜を明かした人たちは、ある部屋部屋で休息を取ってから、正装に着かえてそちらへ出るのも多かった。障りのある人はここから家へ帰った。正午ごろに皆中宮の御殿へ参った。殿上役人などは残らずそのほうへ行った。源氏の盛んな権勢に助けられて、中宮は百官の全い尊敬を得ておいでになる形である。春の女王の好意で、仏前へ花が供せられるのであったが、それはことに美しい子が選ばれた童女八人に、蝶と鳥を形どった服装をさせ、鳥は銀の花瓶に桜のさしたのを持たせ、蝶には金の花瓶に山吹をさしたのを持たせてあった。桜も山吹も並み並みでなくすぐれた花房のものがそろえられてあった。南の御殿の山ぎわの所から、船が中宮の御殿の前へ来るころに、微風が出て瓶の桜が少し水の上へ散っていた。うららかに晴れたその霞の中から、この花の使者を乗せた船の出て来た形は艶であった。天幕をこちらの庭へ移すことはせずに、左へ出た廊を楽舎のようにして、腰掛けを並べて楽は吹奏されていたのである。童女たちは階梯の下へ行って花を差し上げた。香炉を持って仏事の席を練っていた公達がそれを取り次いで仏前へ供えた。紫の女王の手紙は子息の源中将が持って来た。
というのである。中宮はあの紅葉に対しての歌であると微笑して見ておいでになった。昨日招かれて行った女房たちも春をおけなしになることはできますまいと、すっかり春に降参して言っていた。うららかな鶯の声と鳥の楽が混じり、池の水鳥も自由に場所を変えてさえずる時に、吹奏楽が終わりの急な破になったのがおもしろかった。蝶ははかないふうに飛び交って、山吹が垣の下に咲きこぼれている中へ舞って入る。中宮の亮をはじめとしてお手伝いの殿上役人が手に手に宮の纏頭を持って童女へ賜わった。鳥には桜の色の細長、蝶へは山吹襲をお出しになったのである。偶然ではあったがかねて用意もされていたほど適当な賜物であった。伶人への物は白の一襲、あるいは巻き絹などと差があった。中将へは藤の細長を添えた女の装束をお贈りになった。中宮のお返事は、
というのであった。すぐれた貴女がたであるが歌はお上手でなかったのか、ほかのことに比べて遜色があるとこの御贈答などでは思われる。昨日のことであるが、招かれて行った女房たちの、中宮のほうから来た人たちには意匠のおもしろい贈り物がされたのであった。そんなことをあまりこまごまと記述することは読者にうるさいことであるから省略する。毎日のようにこうした遊びをして暮らしている六条院の人たちであったから、女房たちもまた幸福であった。各夫人、姫君の間にも手紙の行きかいが多かった。
玉鬘の姫君はあの踏歌の日以来、紫夫人の所へも手紙を書いて送るようになった。人柄の深さ浅さはそれだけで判断されることでもないが、落ち着いたなつかしい気持ちの人であることだけは認められて、花散里からも、紫の女王からも玉鬘は好意を持たれた。結婚を申し込む人は多かった。いいかげんに自分だけでこのことはだれにと決めてしまうことのできないことであると源氏は思っているのであった。自身でも親の心になりきってしまうことが不可能な気がするのか、実父に玉鬘の存在を報ぜようかという考えの起こることも間々あった。源中将は親しい気持ちで玉鬘の居間の御簾に近く来て話すこともある。玉鬘もそれに対して、自身が直接話をしなければならないことになっているのを女は恥ずかしく思ったが、兄弟ということになっているのであるからといって、右近たちは睦まじくすることを勧めていた。中将はいつもまじめで、よけいな想像などはしないふうで、姉と信じていた。内大臣家の公達も中将に伴われてこちらの御殿へ、下心をほのめかすふうに来たりもするのであるが、そうした問題ではなしに、なつかしい気持ちでほんとうの兄弟たちを玉鬘はながめていた。実父に逢いたいと常に人知れず思うのであるが、その素振りは見せずに、信頼しきった様子だけが源氏に見えるのも、いっそう可憐に、いっそう処女らしくこの人を思わせた。似ているというのではないがやはり母の夕顔のよさがそのままこの人にもあって、その上に才女らしいところが添っていた。
衣がえをする初夏は、空の気持ちなども理由なしに感じのよい季節であるが、閑暇の多い源氏はいろいろな遊び事に時を使っていた。玉鬘のほうへ男性から送って来る手紙の多くなることに興味を持って、またしても西の対へ出かけてはそれらの懸想文を源氏は読むのであった。あるものは返事を書けと源氏が勧めたりするのを玉鬘は苦しく思った。兵部卿の宮がまだ何ほどの時間が経過しているのでもないのに、もうあせって恨みらしいことをたくさんお書きになった手紙を、ほかの手紙の中から見いだして心からおかしそうに源氏は笑った。
「私は若い時からおおぜいの兄弟たちの中で、この宮とだけは最も親密な交際ができたのだが、恋愛問題については私に話されたことがなかったし、私もその方面のことは別にしてあったものだが、今になって宮の恋のお悩みに触れるということで、私は満足もでき、また物哀れな気にもなる。ぜひこのかたなどにはお返事をお書きなさい。少し見識を備えた女が、交際を始める価値のある男と言ってはこの宮以外にあるとも思えないかたなのですからね」
などと若い女の心を惹きそうなことを源氏は言うのであるが、玉鬘はただ恥ずかしくばかり聞いていた。右大将が高官の典型のようなまじめな風采をしながら、恋の山には孔子も倒れるという諺をほんとうにして見せようとするふうな熱意のある手紙を書いているのも源氏にはおもしろく思われた。そうした幾通かの中に、薄青色の唐紙の薫物の香を深く染ませたのを、細く小さく結んだのがあった。あけて見るときれいな字で、
と書いてある。書き方に近代的なはかなさが見せてあるのである。
「これはどんな人のですか」
と源氏は聞くのであるが、はかばかしい返辞を玉鬘はしない。源氏は右近を呼び出した。
「こんな手紙をよこす人たちに細心な注意を払ってね、分類をしてね、返事をすべき人には返事をさせなければいけない。近ごろの男が暴力で恋を遂げるというようなことも、必ずしも男の咎ばかりではない。それは私自身も体験したことで、あまりに冷淡だ、無情だ、恨めしいと、そんな気持ちが積もり積もって、無法をしてしまうのだ。またそれが身分の低い女であれば、失敬な態度だと思っては罪を犯すことにもなるのだ。たいしたことでなしに、花や蝶につけての返事はして、この程度の交際を持続させておくことも相手を熱心にさせる効果のあるものだからね。あるいはまたそれなりに双方で忘れてしまうことになっても少しもさしつかえのないことだ。けれどまた誠意のない出来心で手紙をよこしたような場合にすぐ返事を書いてやるのもよろしくない。あとで批難されても弁解のしようがない。全体女というものは、慎み深くしていずに、動いた感情をありのままに相手へ見せることをしては、結果は必ずよくないものだが、宮や大将が謙遜な態度をとって、いいかげんな一時的な恋をされる訳はないのだからね。いつも返事をせずに自尊心を持ち過ぎた女のように思わせるのも、この人にはふさわしくないことだからね。またそれ以下の人たちのことは、忍耐力の強さ、月日の長さ短さによって、それ相応に好意的な返事をするのだね」
と源氏が言っている間、顔を横向けていた玉鬘の側面が美しく見えた。派手な薄色の小袿に撫子色の細長を着ている取り合わせも若々しい感じがした。身の取りなしなどに難はなかったというものの、以前は田舎の生活から移ったばかりのおおようさが見えるだけのものであった。紫夫人などの感化を受けて、今では非常に柔らかな、繊細な美が一挙一動に現われ、化粧なども上手になって、不満足な気のするようなことは一つもないはなやかな美人になっていた。人の妻にさせては後悔が残るであろうと源氏は思った。右近も二人を微笑んでながめながら、父親として見るのに不似合いな源氏の若さは、夫婦であったなら最もふさわしい配偶であろうと思っていた。
「ほかからのお手紙のお取り次ぎは決してだれもいたさないのでございます。前からも送っておいでになります方のは、三度も四度も続けてお返しばかりしてはと思いまして、ただ私たちだけでお預かりしているのでございますから、お返事は、殿様が書けとお言いになります分だけを、それも迷惑がってお書きになるだけなのでございます」
と右近が言う。
「それにしてもこの控え目な結んであった手紙はだれのかね。苦心の跡の見えるものだ」
微笑を浮かべながら源氏はこの手紙に目を落としていた。
「それはぜひ置かせてくれとお言いになったのでございまして、内大臣家の中将さんがこちらの海松子を前に知っていらっしゃいまして、海松子が持って参ったのでございます。だれもまだ内容は拝見しておりませんでした」
「かわいい話ではないか。今は殿上役人級であっても、あの人たちに失敬なことをしていい訳はない。公卿といってもこの人の勢いに必ずしも皆まで匹敵できるものでない。私の予言は必ず当たるよ。この人たちには露骨でなく、上手に切尖をはずさせるように工夫するのだね。おもしろい手紙だよ」
と言って、源氏はその手紙をすぐにも下へ置かずに見ていた。
「私がいろいろと考えたり、言ったりしていても、あなたにこうしたいと思っておいでになることがないのであろうかと、気づかわしい所もあります。内大臣に名のって行くことも、まだ結婚前のあなたが、長くいっしょにいられる夫人や子供たちの中へはいって行って幸福であるかどうかが疑問だと思って私は躊躇しているのです。女として普通に結婚をしてから出会う機会をとらえたほうがいいと思うのですが、その結婚相手ですね、兵部卿の宮は表面独身ではいられるが、女好きな方で、通ってお行きになる人の家も多いようだし、また邸には召人という女房の中の愛人が幾人もいるということですからね、そんな関係というものは、夫人になる人が嫉妬を見せないで自然に矯正させる努力さえすれば、世間へ醜態も見せずに穏やかに済みますが、そうした気持ちになれない性格の人は、そんなつまらぬことから夫婦仲がうまくゆかずに、良人の愛を失ってしまう結果にもなりますから、ある覚悟がいりますよ。右大将は若い時からいっしょにいた夫人が年上であることなどから、その人と別れるためにも、新たな結婚をしたがっているのですが、しかし、それも面倒の添った縁だと人の言うそれですからね、だから私も相手をだれとも仮定して考えて見ることができないのです。こんなことは親にもはっきりと意見の述べられない問題なのだが、あなたもひどくまだ若いというのではないから、自身の結婚する相手について判断のできない訳はないと思う。私をあなたのお母様だと思って、何でも相談してくだすったらいいと思う。あなたに不満足な思いをさせるような結婚はさせたくないと私は思っているのです」
こう源氏はまじめに言っていたが、玉鬘はどう返事をしてよいかわからないふうを続けているのもさげすまれることになるであろうと思って言った。
「まだ物心のつきませんころから、親というものを目に見ない世界にいたのでございますから、親がどんなものであるか、親に対する気持ちはどんなものであるか私にはわかってないのでございます」
このおおような言葉がよくこの人を現わしていると源氏は思った。そう思うのがもっともであるとも思った。
「では、親のない子は育ての親を信頼すべきだという世間の言いならわしのように私の誠意をだんだんと認めていってくれますか」
などと源氏は言っていた。恋しい心の芽ばえていることなどは気恥ずかしくて言い出せなかった。それとなくその気持ちを言う言葉は時々混ぜもするのであるが、気のつかぬふうであったから、歎息をしながら源氏は帰って行こうとした。縁に近くはえた呉竹が若々しく伸びて、風に枝を動かす姿に心が惹かれて、源氏はしばらく立ちどまって、
その時の気持ちが想像されますよ。寂しいでしょうからね」
外から御簾を引き上げながらこう言った。玉鬘は膝行って出て言った。
かえって幻滅を味わうことになるでしょうから」
源氏は哀れに聞いた。玉鬘の心の中ではそうも思っているのではなかった。どんな時に機会が到来して父を父と呼ぶ日が来るのであろうとたよりない悲しみをしているのであるが、源氏の好意に感激はしていて、実父といっても初めから育てられなかった親は、これほどこまやかな愛を自分に見せてくれないのではあるまいかと、古い小説などからもいろいろと人生を教えられている玉鬘は想像して、自身が源氏の感情を無視して勝手に父へ名のって行くことなどはできないとしていた。
源氏は別れぎわに玉鬘の言ったことで、いっそうその人を可憐に思って、夫人に話すのであった。
「不思議なほど調子のなつかしい人ですよ。母であった人はあまりに反撥性を欠いた人だったけれど、あの人は、物の理解力も十分あるし、美しい才気も見えるし、安心されないような点が少しもない」
この源氏の賞め言葉を聞いていて夫人は、良人が単に養女として愛する以外の愛をその人に持つことになっていく経路を、源氏の性格から推して察したのである。
「理解力のある方にもせよ、全然あなたを信用してたよっていてはどんなことにおなりになるかとお気の毒ですわ」
と女王は言った。
「私は信頼されてよいだけの自信はあるのだが」
「いいえ、私にも経験があります。悩ましいような御様子をお見せになったことなど、そんなこと私はいくつも覚えているのですもの」
微笑をしながら言っている夫人の神経の鋭敏さに驚きながら、源氏は、
「あなたのことなどといっしょにするのはまちがいですよ。そのほかのことで私は十分あなたに信用されてよいこともあるはずだ」
と言っただけで、やましい源氏はもうその話に触れようとしないのであったが、心の中では、妻の疑いどおりに自分はなっていくのでないかという不安を覚えていた。同時にまた若々しいけしからぬ心であると反省もしていたのである。
気にかかる玉鬘を源氏はよく見に行った。しめやかな夕方に、前の庭の若楓と柏の木がはなやかに繁り合っていて、何とはなしに爽快な気のされるのをながめながら、源氏は「和しまた清し」と詩の句を口ずさんでいたが、玉鬘の豊麗な容貌が、それにも思い出されて、西の対へ行った。手習いなどをしながら気楽な風でいた玉鬘が、起き上がった恥ずかしそうな顔の色が美しく思われた。その柔らかいふうにふと昔の夕顔が思い出されて、源氏は悲しくなったまま言った。
「あなたにはじめて逢った時には、こんなにまでお母様に似ているとは見えなかったが、それからのちは時々あなたをお母様だと思うことがあるのですよ。その点ではずいぶん私を悲しがらせるあなただ。中将が少しも死んだ母に似た所がないものだから、親子というものはそれくらいのものかと思っていましたがね、あなたのような人もまたあるのですね」
涙ぐんでいるのであった。そこに置かれてあった箱の蓋に、菓子と橘の実を混ぜて盛ってあった中の、橘を源氏は手にもてあそびながら、
長い年月の間、どんな時にも恋しく思い出すばかりで、慰めは少しも得られなかった私が、故人にそのままなあなたを家の中で見ることは、夢でないかとうれしいにつけても、また昔が思われます。あなたも私を愛してください」
と言って、玉鬘の手を取った。女はこんなふうに扱われたことがなかったから、心持ちが急に暗く憂鬱になったが、ただ腑に落ちぬふうを見せただけで、おおようにしながら、
と言ったが、不安な気がして下を向いている玉鬘の様子が美しかった。手がよく肥えて肌目の細かくて白いのをながめているうちに、見がたい物を見た満足よりも物思いが急にふえたような気が源氏にした。源氏はこの時になってはじめて恋をささやいた。女は悲しく思って、どうすればよいかと思うと、身体に慄えの出てくるのも源氏に感じられた。
「なぜそんなに私をお憎みになる。今まで私はこの感情を上手におさえていて、だれからも怪しまれていなかったのですよ。あなたも人に悟らせないようにつとめてください。もとから愛している上に、そうなればまた愛が加わるのだから、それほど愛される恋人というものはないだろうと思われる。あなたに恋をしている人たちより以下のものに私を見るわけはないでしょう。こんな私のような大きい愛であなたを包もうとしている者はこの世にないはずなのですから、私が他の求婚者たちの熱心の度にあきたらないもののあるのはもっともでしょう」
と源氏は言った。変態的な理屈である。雨はすっかりやんで、竹が風に鳴っている上に月が出て、しめやかな気になった。女房たちは親しい話をする主人たちに遠慮をして遠くへ去っていた。始終逢っている間柄ではあるが、こんなよい機会もまたとないような気がしたし、抑制したことが口へ出てしまったあとの興奮も手伝って、都合よく着ならした上着は、こんな時にそっと脱ぎすべらすのに音を立てなかったから、そのまま玉鬘の横へ寝た。玉鬘は情けない気がした。人がどう言うであろうと思うと非常に悲しくなった。実父の所であれば、愛は薄くてもこんな禍いはなかったはずであると思うと涙がこぼれて、忍ぼうとしても忍びきれないのである。玉鬘がそんなにも心を苦しめているのを見て、
「そんなに私を恐れておいでになるのが恨めしい。それまでに親しんでいなかった人たちでも、夫婦の道の第一歩は、人生の掟に従って、いっしょに踏み出すのではありませんか。もう馴染んでから長くなる私が、あなたと寝て、それが何恐ろしいことですか。これ以上のことを私は断じてしませんよ。ただこうして私の恋の苦しみを一時的に慰めてもらおうとするだけですよ」
と源氏は言ったが、なお続いて物哀れな調子で、恋しい心をいろいろに告げていた。こうして二人並んで身を横たえていることで、源氏の心は昔がよみがえったようにも思われるのである。自身のことではあるが、これは軽率なことであると考えられて、反省した源氏は、人も不審を起こすであろうと思って、あまり夜も更かさないで帰って行くのであった。
「こんなことで私をおきらいになっては私が悲しみますよ。よその人はこんな思いやりのありすぎるものではありませんよ。限りもない、底もない深い恋を持っている私は、あなたに迷惑をかけるような行為は決してしない。ただ帰って来ない昔の恋人を悲しむ心を慰めるために、あなたを仮にその人としてものを言うことがあるかもしれませんが、私に同情してあなたは仮に恋人の口ぶりでものを言っていてくだすったらいいのだ」
と出がけに源氏はしんみりと言うのであったが、玉鬘はぼうとなっていて悲しい思いをさせられた恨めしさから何とも言わない。
「これほど寛大でないあなたとは思っていなかったのに、非常に憎むのですね」
と歎息をした源氏は、
「だれにもいっさい言わないことにしてください」
と言って帰って行った。玉鬘は年齢からいえば何ももうわかっていてよいのであるが、まだ男女の秘密というものはどの程度のものを言うのかを知らない。今夜源氏の行為以上のものがあるとも思わなかったから、非常な不幸な身になったようにも歎いているのである。気分も悪そうであった。女房たちは、「病気ででもおありになるようだ」と心配していた。
「殿様は御親切でございますね。ほんとうのお父様でも、こんなにまでよくあそばすものではないでしょう」
などと、兵部がそっと来て言うのを聞いても、玉鬘は源氏がさげすまれるばかりであった。それとともに自身の運命も歎かれた。
翌朝早く源氏から手紙を送って来た。身体が苦しくて玉鬘は寝ていたのであるが、女房たちは硯などを出して来て、返事を早くするようにと言う。玉鬘はしぶしぶ手に取って中を見た。白い紙で表面だけは美しい字でまじめな書き方にしてある手紙であった。
恋文であって、しかも親らしい言葉で書かれてある物であった。玉鬘は憎悪も感じながら、返事をしないことも人に怪しませることであるからと思って、分の厚い檀紙に、ただ短く、
と書いた。源氏はそれを見て、さすがにはっきりとした女であると微笑されて、恨むのにも手ごたえのある気がした。
一度口へ出したあとは「おほたの松の」(恋ひわびぬおほたの松のおほかたは色に出でてや逢はんと言はまし)というように、源氏が言いからんでくることが多くなって、玉鬘の加減の悪かった身体がなお悪くなっていくようであった。こうしたほんとうのことを知る人はなくて、家の中の者も、外の者も、親と娘としてばかり見ている二人の中にそうした問題の起こっていると、少しでも世間が知ったなら、どれほど人笑われな自分の名が立つことであろう、自分は飽くまでも薄倖な女である、父君に自分のことが知られる初めにそれを聞く父君は、もともと愛情の薄い上に、軽佻な娘であるとうとましく自分が思われねばならないことであると、玉鬘は限りもない煩悶をしていた。兵部卿の宮や右大将は自身らに姫君を与えてもよいという源氏の意向らしいことを聞いて、ほんとうのことはまだ知らずに、非常にうれしくて、いよいよ熱心な求婚者に宮もおなりになり、大将もなった。
蛍
源氏の現在の地位はきわめて重いがもう廷臣としての繁忙もここまでは押し寄せて来ず、のどかな余裕のある生活ができるのであったから、源氏を信頼して来た恋人たちにもそれぞれ安定を与えることができた。しかも対の姫君だけは予期せぬ煩悶をする身になっていた。大夫の監の恐ろしい懸想とはいっしょにならぬにもせよ、だれも想像することのない苦しみが加えられているのであったから、源氏に持つ反感は大きかった。母君さえ死んでいなかったならと、またこの悲しみを新たにすることになったのであった。源氏も打ち明けてからはいっそう恋しさに苦しんでいるのであるが、人目をはばかってまたこのことには触れない。ただ堪えがたい心だけを慰めるためによく出かけて来たが、玉鬘のそばに女房などのあまりいない時にだけは、はっと思わせられるようなことも源氏は言った。あらわに退けて言うこともできないことであったから玉鬘はただ気のつかぬふうをするだけであった。人柄が明るい朗らかな玉鬘であったから、自分自身ではまじめ一方な気なのであるが、それでもこぼれるような愛嬌が何にも出てくるのを、兵部卿の宮などはお知りになって、夢中なほどに恋をしておいでになった。まだたいして長い月日がたったわけではないが、確答も得ないうちに不結婚月の五月にさえなったと恨んでおいでになって、
こんなことをお書きになった手紙を源氏は読んで、
「そうすればいいでしょう。宮のような風流男のする恋は、近づかせてみるだけの価値はあるでしょう。絶対にいけないなどとは言わないほうがよい。お返事を時々おあげなさいよ」
と源氏は言って文章をこう書けとも教えるのであったが、何重にも重なる不快というようなものを感じて、気分が悪いから書かれないと玉鬘は言った。こちらの女房には貴族出の優秀なような者もあまりないのである。ただ母君の叔父の宰相の役を勤めていた人の娘で怜悧な女が不幸な境遇にいたのを捜し出して迎えた宰相の君というのは、字などもきれいに書き、落ち着いた後見役も勤められる人であったから、玉鬘が時々やむをえぬ男の手紙に返しをする代筆をさせていた。その人を源氏は呼んで、口授して宮へのお返事を書かせた。聞いていて玉鬘が何と言うかを源氏は聞きたかったのである。姫君は源氏に恋をささやかれた時から、兵部卿の宮などの情をこめてお送りになる手紙などを、少し興味を持ってながめることがあった。心がそのほうへ動いて行くというのではなしに、源氏の恋からのがれるためには、兵部卿の宮に好意を持つふうを装うのも一つの方法であると思うのである。この人にも技巧的な考えが出るものである。
源氏自身がおもしろがって宮をお呼び寄せしようとしているとは知らずに、思いがけず訪問を許すという返事をお得になった宮は、お喜びになって目だたぬふうで訪ねておいでになった。妻戸の室に敷き物を設けて几帳だけの隔てで会話がなさるべくできていた。心憎いほどの空薫きをさせたり、姫君の座をつくろったりする源氏は、親でなく、よこしまな恋を持つ男であって、しかも玉鬘の心にとっては同情される点のある人であった。宰相の君なども会話の取り次ぎをするのが晴れがましくてできそうな気もせず隠れているのを源氏は無言で引き出したりした。
夕闇時が過ぎて、暗く曇った空を後ろにして、しめやかな感じのする風采の宮がすわっておいでになるのも艶であった。奥の室から吹き通う薫香の香に源氏の衣服から散る香も混じって宮のおいでになるあたりは匂いに満ちていた。予期した以上の高華な趣の添った女性らしくまず宮はお思いになったのであった。宮のお語りになることは、じみな落ち着いた御希望であって、情熱ばかりを見せようとあそばすものでもないのが優美に感ぜられた。源氏は興味をもってこちらで聞いているのである。姫君は東の室に引き込んで横になっていたが、宰相の君が宮のお言葉を持ってそのほうへはいって行く時に源氏は言づてた。
「あまりに重苦しいしかたです。すべて相手次第で態度を変えることが必要で、そして無難です。少女らしく恥ずかしがっている年齢でもない。この宮さんなどに人づてのお話などをなさるべきでない。声はお惜しみになっても少しは近い所へ出ていないではいけませんよ」
などと言う忠告である。玉鬘は困っていた。なおこうしていればその用があるふうをしてそばへ寄って来ないとは保証されない源氏であったから、複雑な侘しさを感じながら玉鬘はそこを出て中央の室の几帳のところへ、よりかかるような形で身を横たえた。宮の長いお言葉に対して返辞がしにくい気がして玉鬘が躊躇している時、源氏はそばへ来て薄物の几帳の垂れを一枚だけ上へ上げたかと思うと、蝋の燭をだれかが差し出したかと思うような光があたりを照らした。玉鬘は驚いていた。夕方から用意して蛍を薄様の紙へたくさん包ませておいて、今まで隠していたのを、さりげなしに几帳を引き繕うふうをしてにわかに袖から出したのである。たちまちに異常な光がかたわらに湧いた驚きに扇で顔を隠す玉鬘の姿が美しかった。強い明りがさしたならば宮も中をおのぞきになるであろう、ただ自分の娘であるから美貌であろうと想像をしておいでになるだけで、実質のこれほどすぐれた人とも認識しておいでにならないであろう。好色なお心を遣る瀬ないものにして見せようと源氏が計ったことである。実子の姫君であったならこんな物狂わしい計らいはしないであろうと思われる。源氏はそっとそのまま外の戸口から出て帰ってしまった。宮は最初姫君のいる所はその辺であろうと見当をおつけになったのが、予期したよりも近い所であったから、興奮をあそばしながら薄物の几帳の間から中をのぞいておいでになった時に、一室ほど離れた所に思いがけない光が湧いたのでおもしろくお思いになった。まもなく明りは薄れてしまったが、しかも瞬間のほのかな光は恋の遊戯にふさわしい効果があった。かすかによりは見えなかったが、やや大柄な姫君の美しかった姿に宮のお心は十分に惹かれて源氏の策は成功したわけである。
御実験なすったでしょう」
と宮はお言いになった。こんな場合の返歌を長く考え込んでからするのは感じのよいものでないと思って、玉鬘はすぐに、
とはかないふうに言っただけで、また奥のほうへはいってしまった。宮は疎々しい待遇を受けるというような恨みを述べておいでになった。あまり好色らしく思わせたくないと宮は朝まではおいでにならずに、軒の雫の冷たくかかるのに濡れて、暗いうちにお帰りになった。杜鵑などはきっと鳴いたであろうと思われる。筆者はそこまで穿鑿はしなかった。
宮の御風采の艶な所が源氏によく似ておいでになると言って女房たちは賞めていた。昨夜の源氏が母親のような行き届いた世話をした点で玉鬘の苦悶などは知らぬ女房たちが感激していた。玉鬘は源氏に持たれる恋心を自身の薄倖の現われであると思った。実の父に娘を認められた上では、これほどの熱情を持つ源氏を良人にすることが似合わしくないことでないかもしれぬ、現在では父になり娘になっているのであるから、両者の恋愛がどれほど世間の問題にされることであろうと玉鬘は心を苦しめているのである。しかし真実は源氏もそんな醜い関係にまで進ませようとは思っていなかった。ただ恋を覚えやすい性格であったから、中宮などに対しても清い父親としてだけの愛以上のものをいだいていないのではない、何かの機会にはお心を動かそうとしながらも高貴な御身分にはばかられてあらわな恋ができないだけである。玉鬘は性格にも親しみやすい点があって、はなやかな気分のあふれ出るようなのを見ると、おさえている心がおどり出して、人が見れば怪しく思うほどのことも混じっていくのであるが、さすがに反省をして美しい愛だけでこの人を思おうとしていた。
五日には馬場殿へ出るついでにまた玉鬘を源氏は訪ねた。
「どうでしたか。宮はずっとおそくまでおいでになりましたか。際限なく宮を接近おさせしないようにしましょう。危険性のある方だからね。力で恋人を征服しようとしない人は少ないからね」
などと宮のことも活かせも殺しもしながら訓戒めいたことを言っている源氏は、いつもそうであるが、若々しく美しかった。色も光沢もきれいな服の上に薄物の直衣をありなしに重ねているのなども、源氏が着ていると人間の手で染め織りされたものとは見えない。物思いがなかったなら、源氏の美は目をよろこばせることであろうと玉鬘は思った。兵部卿の宮からお手紙が来た。白い薄様によい字が書いてある。見て美しいが筆者が書いてしまえばただそれだけになることである。
長さが記録になるほどの菖蒲の根に結びつけられて来たのである。
「ぜひ今日はお返事をなさい」
などと勧めておいて源氏は行ってしまった。女房たちもぜひと言うので玉鬘自身もどういうわけもなく書く気になっていた。
とだけほのかに書かれたらしい。字にもう少し重厚な気が添えたいと芸術家的な好みを持っておいでになる宮はお思いになったようであった。
今日は美しく作った薬玉などが諸方面から贈られて来る。不幸だったころと今とがこんなことにも比較されて考えられる玉鬘は、この上できるならば世間の悪名を負わずに済ませたいともっともなことを願っていた。
源氏は花散里夫人の所へも寄った。
「中将が左近衛府の勝負のあとで役所の者を皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくのですね。まだ明るいうちに来るでしょう。私は何も麗々しく扱おうと思っていなかった姫君のことを、若い親王がたなどもお聞きになって手紙などをよくよこしておいでになるのだから、今日はいい機会のように思って、東の御殿へ何人も出ておいでになることになるでしょうから、そんなつもりで仕度をさせておいてください」
などと夫人に言っていた。馬場殿はこちらの廊からながめるのに遠くはなかった。
「若い人たちは渡殿の戸をあけて見物するがよい。このごろの左近衛府にはりっぱな下士官がいて、ちょっとした殿上役人などは及ばない者がいますよ」
と源氏が言うのを聞いていて、女房たちは今日の競技を見物のできることを喜んだ。玉鬘のほうからも童女などが見物に来ていて、廊の戸に御簾が青やかに懸け渡され、はなやかな紫ぼかしの几帳がずっと立てられた所を、童女や下仕えの女房が行き来していた。菖蒲重ねの袙、薄藍色の上着を着たのが西の対の童女であった。上品に物馴れたのが四人来ていた。下仕えは樗の花の色のぼかしの裳に撫子色の服、若葉色の唐衣などを装うていた。こちらの童女は濃紫に撫子重ねの汗袗などでおおような好みである。双方とも相手に譲るものでないというふうに気どっているのがおもしろく見えた。若い殿上役人などは見物席のほうに心の惹かれるふうを見せていた。午後二時に源氏は馬場殿へ出たのである。予想したとおりに親王がたもおおぜい来ておいでになった。左右の組み合わせなどに宮中の定例の競技と違って、中少将が皆はいって、こうした私の催しにかえって興味のあるものが見られるのであった。女にはどうして勝負が決まるのかも知らぬことであったが、舎人までが艶な装束をして一所懸命に競技に走りまわるのを見るのはおもしろかった。南御殿の横まで端は及んでいたから、紫夫人のほうでも若い女房などは見物していた。「打毬楽」「納蘇利」などの奏楽がある上に、右も左も勝つたびに歓呼に代えて楽声をあげた。夜になって終わるころにはもう何もよく見えなかった。左近衛府の舎人たちへは等差をつけていろいろな纏頭が出された。ずっと深更になってから来賓は退散したのである。源氏は花散里のほうに泊まるのであった。いろいろな話が夫人とかわされた。
「兵部卿の宮はだれよりもごりっぱなようだ。御容貌などはよろしくないが、身の取りなしなどに高雅さと愛嬌のある方だ。そのほかはよいと言われている人たちにも欠点がいろいろある」
「あなたの弟様でもあの方のほうが老けてお見えになりますね。こちらへ古くからよくおいでになると聞いていましたが、私はずっと昔に御所で隙見をしてお知り申し上げているだけですから、今日お顔を見て、そのころよりきれいにおなりになったと思いました。帥の宮様はお美しいようでも品がおよろしくなくて王様というくらいにしかお見えになりませんでした」
この批評の当たっていることを源氏は思ったが、ただ微笑んでいただけであった。花散里夫人の批評は他の人たちにも及んだのであるが、よいとも悪いとも自身の意見を源氏は加えようとしないのである。難をつけられる人とか、悪く見られている人とかに同情する癖があったから。右大将のことを深味のあるような人であると夫人が言うのを聞いても、たいしたことがあるものでない、婿などにしては満足していられないであろうと源氏は否定したく思ったが、表へその心持ちを現わそうとしなかった。睦まじくしながら夫人と源氏は別な寝床に眠るのであった。いつからこうなってしまったのかと源氏は苦しい気がした。平生花散里夫人は、源氏に無視されていると腹をたてるようなこともないが、六条院にはなやかな催しがあっても、人づてに話を聞くぐらいで済んでいるのを、今日は自身の所で会があったことで、非常な光栄にあったように思っているのであった。
とおおように夫人は言った。何でもない歌であるが、源氏は身にしむ気がした。
と源氏は言った。意はそれでよいが夫人の謙遜をそのまま肯定した言葉は少し気の毒である。
「二六時中あなたといっしょにいるのではないが、こうして信頼をし合って暮らすのはいいことですね」
戯れを言うのでもこの人に対してはまじめな調子にされてしまう源氏であった。帳台の中の床を源氏に譲って、夫人は几帳を隔てた所で寝た。夫婦としての交渉などはもはや不似合いになったとしている人であったから、源氏もしいてその心を破ることをしなかった。
梅雨が例年よりも長く続いていつ晴れるとも思われないころの退屈さに六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石夫人はそんなほうの才もあったから写し上げた草紙などを姫君へ贈った。若い玉鬘はまして興味を小説に持って、毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。住吉の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、今一歩で卑しい主計頭の妻にされてしまう所などを読んでは、恐ろしかった監のことが思われた。源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散らされているのを見て玉鬘に言った。
「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生まれたものなんですね。ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨の日に、髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」
笑いながらまた、
「けれどもそうした昔の話を読んだりすることがなければ退屈は紛れないだろうね。この嘘ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐な姫君が物思いをしているところなどを読むとちょっと身にしむ気もするものですよ。また不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながらおもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。このごろあちらの子供が女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ、嘘を上手に言い馴れた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」
と言うと、
「そうでございますね。嘘を言い馴れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございますよ」
こう言いながら玉鬘は硯を前へ押しやった。
「不風流に小説の悪口を言ってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っているのでしょう」
と源氏は言うのであった。
「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められたのだろう。よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。支那の文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものと近ごろの小説とは相異していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それを皆嘘であると断言することはできない。仏が正しい御心で説いてお置きになった経の中にも方便ということがあって、大悟しない人間はそれを見ると疑問が生じるだろうと思われる。方等経の中などにはことに方便が多く用いられています。結局は皆同じことになって、菩提心はよくて、煩悩は悪いということが言われてあるのです。つまり小説の中に善悪を書いてあるのがそれにあたるのですよ。だから好意的に言えば小説だって何だって皆結構なものだということになる」
と源氏は言って、小説が世の中に存在するのを許したわけである。
「それにしてもね、古いことの書いてある小説の中に私ほどまじめな愚直過ぎる男の書いてあるものがありますか。それからまた人間離れのしたような小説の姫君だってあなたのように恋する男へ冷淡で、知って知らぬ顔をするようなのはないでしょう。だからありふれた小説の型を破った小説にあなたと私のことをさせましょう」
近々と寄って来て源氏は玉鬘にこうささやくのであった。玉鬘は襟の中へ顔を引き入れるようにして言う。
「小説におさせにならないでも、こんな奇怪なことは話になって世間へ広まります」
「珍しいことだというのですか。そうです。私の心は珍しいことにときめく」
ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏は言うのである。
不孝は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」
と源氏が言っても、玉鬘は顔を上げようともしなかった。源氏は女の髪をなでながら恨み言を言った。やっと玉鬘は、
こう言った。源氏は気恥ずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。どうこの二人はなっていくのであろう。
紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。「こま物語」の絵になっているのを手に取って、
「上手にできた画だこと」
と言いながら夫人は見ていた。小さい姫君が無邪気なふうで昼寝をしているのが昔の自分のような気がするのであった。
「こんな子供どうしでも悪い関係がすぐにできるじゃありませんか。昔を言えば私などは模範にしてよいまれな物堅さだった」
と源氏は夫人に言った。そのかわりにまれなことも好きであったはずである。
「姫君の前でこうした男女関係の書かれた小説は読んで聞かせないようにするほうがいい。恋をし始めた娘などというものが、悪いわけではないが、世間にはこんなことがあるのだと、それを普通のことのように思ってしまわれるのが危険ですからね」
こんな周到な注意が実子の姫君には払われているのを、対の姫君が聞いたら恨むかもしれない。
「浅はかな、ある型を模倣したにすぎないような女は読んでいましてもいやになります。空穂物語の藤原の君の姫君は重々しくて過失はしそうでない性格ですが、あまり真直な線ばかりで、しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」
と夫人が言うと、
「現実の人でもそのとおりですよ。風変わりな一本調子で押し通して、いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ。見識のある親が熱心に育てた娘がただ子供らしいところにだけ大事がられた跡が見えて、そのほかは何もできないようなのを見ては、どんな教育をしたのかと親までも軽蔑されるのが気の毒ですよ。なんといってもあの親が育てたらしいよいところがあると思われるような娘があれば親の名誉になるのです。作者の賞めちぎってある女のすること、言うことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。いったいつまらない人に自分の愛する人は賞めさせたくない」
などと言って、源氏は姫君を完全な女性に仕上げることに一所懸命であった。継母が意地悪をする小説も多かったから、その反対な継母のよさを見せつける気がして夫人はそんなものをいっさい省いて選択に選択をしたよいものだけを姫君のために写させたり絵に描かせたりした。
中将を源氏は夫人の住居へ接近させないようにしていたが、姫君の所へは出入りを許してあった。自分が生きている間は異腹の兄弟でも同じであるが、死んでからのことを思うと早くから親しませておくほうが双方に愛情のできることであると思って、姫君のほうの南側の座敷の御簾の中へ来ることを許したのであるが台盤所の女房たちの集まっているほうへはいることは許してないのである。源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏は大事にしていた。中将は落ち着いた重々しいところのある性質であったから、源氏は安心して姫君の介添え役をさせた。幼い雛遊びの場にもよく出会うことがあって、中将は恋人とともに遊んで暮らした年月をそんな時にはよく思い出されるので、妹のためにもよい相手役になりながらも時々はしおしおとした気持ちになった。若い女性たちに恋の戯れを言いかけても、将来に希望をつながせるようなことは絶対にしなかった。妻の一人にしたいと心の惹かれるような人も、しいて一時的の対象とみなして、それ以上関係を進行させることもなかった。今でも緑の袖とはずかしめられた人との関係だけを尊重して、その人以外の人を妻に擬して考えることは不可能であった。許されようと熱心ぶりを見せれば伯父の大臣も夫婦にしてくれるであろうが、恨めしかったころに、どんなことがあっても伯父が哀願するのでなければ結婚はすまいと思ったことが忘られなかった。雲井の雁の所へは情けをこめた手紙を常に送っていても、表面はあくまでも冷静な態度を保っているのである。この態度をまた雲井の雁の兄弟たちは恨んでいた。
玉鬘に右近中将は深く恋をして仲介役をするのは童女のみるこだけであったから、たよりなさにこの中将を味方に頼むのであった。
「人のことではそう熱心になれない問題だから」
などと左中将は冷淡に言っていた。
内大臣は腹々に幾人もの子があって、大人になったそれぞれの子息の人柄にしたがって政権の行使が自由なこの人は皆適した地位につかせていた。女の子は少なくて后の競争に負け失意の人になっている女御と恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、大臣は残念がっていた。この人は今も撫子の歌を母親が詠んできた女の子を忘れなかった。かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、たよりない性格の母親のために、あのかわいかった人を行方不明にさせてしまった、女というものは少しも目が放されないものである、親の不名誉を思わずに卑しく零落をしながら自分の娘であると言っているのではなかろうか、それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。息子たちにも、
「もしそういうことを言っている女があったら、気をつけて聞いておいてくれ。放縦な恋愛もずいぶんしていた中で、その母である人はただ軽々しく相手にしていた女でもなく、ほんとうに愛していた人なのだが、何でもないことで悲観して、私に少ない女の子一人をどこにいるかもしれなくされてしまったのが残念でならない」
とよく話していた。中ほどには忘れていもしたのであるが、他人がすぐれたふうに娘をかしずく様子を見ると、自身の娘がどれも希望どおりにならなかったことで失望を感じることが多くなって、近ごろは急に別れた女の子を思うようになったのである。ある夢を見た時に、上手な夢占いをする男を呼んで解かせてみると、
「長い間忘れておいでになったお子さんで、人の子になっていらっしゃる方のお知らせをお受けになるというようなことはございませんか」
と言った。
「男は養子になるが、女というものはそう人に養われるものではないのだが、どういうことになっているのだろう」
と、それからは時々内大臣はこのことを家庭で話題にした。
常夏
炎暑の日に源氏は東の釣殿へ出て涼んでいた。子息の中将が侍しているほかに、親しい殿上役人も数人席にいた。桂川の鮎、加茂川の石臥などというような魚を見る前で調理させて賞味するのであったが、例のようにまた内大臣の子息たちが中将を訪ねて来た。
「寂しく退屈な気がして眠かった時によくおいでになった」
と源氏は言って酒を勧めた。氷の水、水飯などを若い人は皆大騒ぎして食べた。風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころには蝉の声などからも苦しい熱が撒かれる気がするほど暑気が堪えがたくなった。
「水の上の価値が少しもわからない暑さだ。私はこんなふうにして失礼する」
源氏はこう言って身体を横たえた。
「こんなころは音楽を聞こうという気にもならないし、さてまた退屈だし、困りますね。お勤めに出る人たちはたまらないでしょうね。帯も紐も解かれないのだからね。私の所だけででも几帳面にせずに気楽なふうになって、世間話でもしたらどうですか。何か珍しいことで睡気のさめるような話はありませんか。なんだかもう老人になってしまった気がして世間のこともまったく知らずにいますよ」
などと源氏は言うが、新しい事実として話し出すような問題もなくて、皆かしこまったふうで、涼しい高欄に背を押しつけたまま黙っていた。
「どうしてだれが私に言ったことかも覚えていないのだが、あなたのほうの大臣がこのごろほかでお生まれになったお嬢さんを引き取って大事がっておいでになるということを聞きましたがほんとうですか」
と源氏は弁の少将に問うた。
「そんなふうに世間でたいそうに申されるようなことでもございません。この春大臣が夢占いをさせましたことが噂になりまして、それからひょっくりと自分は縁故のある者だと名のって出て来ましたのを、兄の中将が真偽の調査にあたりまして、それから引き取って来たようですが、私は細かいことをよく存じません。結局珍談の材料を世間へ呈供いたしましたことになったのでございます。大臣の尊厳がどれだけそれでそこなわれましたかしれません」
少将の答えがこうであったから、ほんとうのことだったと源氏は思った。
「たくさんな雁の列から離れた一羽までもしいてお捜しになったのが少し欲深かったのですね。私の所などこそ、子供が少ないのだから、そんな女の子なども見つけたいのだが、私の所では気が進まないのか少しも名のって来てくれる者がない。しかしともかく迷惑なことだっても大臣のお嬢さんには違いないのでしょう。若い時分は無節制に恋愛関係をお作りになったものだからね。底のきれいでない水に映る月は曇らないであろうわけはないのだからね」
と源氏は微笑しながら言っていた。子息の左中将も真相をくわしく聞いていることであったからこれも笑いを洩らさないではいられなかった。弁の少将と藤侍従はつらそうであった。
「ねえ朝臣、おまえはその落ち葉でも拾ったらいいだろう。不名誉な失恋男になるよりは同じ姉妹なのだからそれで満足をすればいいのだよ」
子息をからかうような調子で父の源氏は言うのであった。内大臣と源氏は大体は仲のよい親友なのであるが、ずっと以前から性格の相違が原因になったわずかな感情の隔たりはあったし、このごろはまた中将を侮蔑して失恋の苦しみをさせている大臣の態度に飽き足らないものがあって、源氏は大臣が癪にさわる放言をすると間接に聞くように言っているのである。新しい娘を迎えて失望している大臣の噂を聞いても、源氏は玉鬘のことを聞いた時に、その人はきっと大騒ぎをして大事に扱うことであろう、自尊心の強い、対象にする物の善さ悪さで態度を鮮明にしないではいられない性質の大臣は、近ごろ引き取った娘に失望を感じている様子は想像ができるし、また突然にこの玉鬘を見せた時の歓びぶりも思われないでもない、極度の珍重ぶりを見せることであろうなどと源氏は思っていた。夕べに移るころの風が涼しくて、若い公子たちは皆ここを立ち去りがたく思うふうである。
「気楽に涼んで行ったらいいでしょう。私もとうとう青年たちからけむたがられる年になった」
こう言って、源氏は近い西の対を訪ねようとしていたから、公子たちは皆見送りをするためについて行った。日の暮れ時のほの暗い光線の中では、同じような直衣姿のだれがだれであるかもよくわからないのであったが、源氏は玉鬘に、
「少し外のよく見える所まで来てごらんなさい」
と言って、従えて来た青年たちのいる方をのぞかせた。
「少将や侍従をつれて来ましたよ。ここへは走り寄りたいほどの好奇心を持つ青年たちなのだが、中将がきまじめ過ぎてつれて来ないのですよ。同情のないことですよ。この青年たちはあなたに対して無関心な者が一人もないでしょう。つまらない家の者でも娘でいる間は若い男にとって好奇心の対象になるものだからね。私の家というものを実質以上にだれも買いかぶっているのですからね、しかも若い連中は六条院の夫人たちを恋の対象にして空想に陶酔するようなことはできないことだったのが、あなたという人ができたから皆の注意はあなたに集まることになったのです。そうした求婚者の真実の深さ浅さというようなものを、第三者になって観察するのはおもしろいことだろうと、退屈なあまりに以前からそんなことがあればいいと思っていたのがようやく時期が来たわけです」
などと源氏はささやいていた。この前の庭には各種類の草花を混ぜて植えるようなことはせずに、美しい色をした撫子ばかりを、唐撫子、大和撫子もことに優秀なのを選んで、低く作った垣に添えて植えてあるのが夕映えに光って見えた。公子たちはその前を歩いて、じっと心が惹かれるようにたたずんだりもしていた。
「りっぱな青年官吏ばかりですよ。様子にもとりなしにも欠点は少ない。今日は見えないが右中将は年かさだけあってまた優雅さが格別ですよ。どうです、あれからのちも手紙を送ってよこしますか。軽蔑するような態度はとらないようにしなければいけない」
などとも源氏は言った。すぐれたこの公子たちの中でも源中将は目だって艶な姿に見えた。
「中将をきらうことは内大臣として意を得ないことですよ。御自分が尊貴であればあの子も同じ兄妹から生まれた尊貴な血筋というものなのだからね。しかしあまり系統がきちんとしていて王風の点が気に入らないのですかね」
と源氏が言った。
「来まさば(おほきみ来ませ婿にせん)というような人もあすこにはあるのではございませんか」
「いや、何も婿に取られたいのではありませんがね。若い二人が作った夢をこわしたままにして幾年も置いておかれるのは残酷だと思うのです。まだ官位が低くて世間体がよろしくないと思われるのだったら、公然のことにはしないで私へお嬢さんを託しておかれるという形式だっていいじゃないのですか。私が責任を持てばいいはずだと思うのだが」
源氏は歎息した。自分の実父との間にはこうした感情の疎隔があるのかと玉鬘ははじめて知った。これが支障になって親に逢いうる日がまだはるかなことに思わねばならないのであるかと悲しくも思い、苦しくも思った。月がないころであったから燈籠に灯がともされた。
「灯が近すぎて暑苦しい、これよりは篝がよい」
と言って、
「篝を一つこの庭で焚くように」
と源氏は命じた。よい和琴がそこに出ているのを見つけて、引き寄せて、鳴らしてみると律の調子に合わせてあった。よい音もする琴であったから少し源氏は弾いて、
「こんなほうのことには趣味を持っていられないのかと、失礼な推測をしてましたよ。秋の涼しい月夜などに、虫の声に合わせるほどの気持ちでこれの弾かれるのははなやかでいいものです。これはもったいらしく弾く性質の楽器ではないのですが、不思議な楽器で、すべての楽器の基調になる音を持っている物はこれなのですよ。簡単にやまと琴という名をつけられながら無限の深味のあるものなのですね。ほかの楽器の扱いにくい女の人のために作られた物の気がします。おやりになるのならほかの物に合わせて熱心に練習なさい。むずかしいことがないような物で、さてこれに妙技を現わすということはむずかしいといったような楽器です。現在では内大臣が第一の名手です。ただ清掻きをされるのにもあらゆる楽器の音を含んだ声が立ちますよ」
と源氏は言った。玉鬘もそのことはかねてから聞いて知っていた。どうかして父の大臣の爪音に接したいとは以前から願っていたことで、あこがれていた心が今また大きな衝動を受けたのである。
「こちらにおりまして、音楽のお遊びがございます時などに聞くことができますでしょうか。田舎の人などもこれはよく習っております琴ですから、気楽に稽古ができますもののように私は思っていたのでございますがほんとうの上手な人の弾くのは違っているのでございましょうね」
玉鬘は熱心なふうに尋ねた。
「そうですよ。あずま琴などとも言ってね、その名前だけでも軽蔑してつけられている琴のようですが、宮中の御遊の時に図書の役人に楽器の搬入を命ぜられるのにも、ほかの国は知りませんがここではまず大和琴が真先に言われます。つまりあらゆる楽器の親にこれがされているわけです。弾くことは練習次第で上達しますが、お父さんに同じ音楽的の遺伝のある娘がお習いすることは理想的ですね。私の家などへも何かの場合においでにならないことはありませんが、精いっぱいに弾かれるのを聞くことなどは困難でしょう。名人の芸というものはなかなか容易に全部を見せようとしないものですからね。しかしあなたはいつか聞けますよ」
こう言いながら源氏は少し弾いた。はなやかな音であった。これ以上な音が父には出るのであろうかと玉鬘は不思議な気もしながらますます父にあこがれた。ただ一つの和琴の音だけでも、いつの日に自分は娘のために打ち解けて弾いてくれる父親の爪音にあうことができるのであろうと玉鬘はみずからをあわれんだ。「貫川の瀬々のやはらだ」(やはらたまくらやはらかに寝る夜はなくて親さくる妻)となつかしい声で源氏は歌っていたが「親さくる妻」は少し笑いながら歌い終わったあとの清掻きが非常におもしろく聞かれた。
「さあ弾いてごらんなさい。芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。『想夫恋』だけはきまりが悪いかもしれませんがね。とにかくだれとでもつとめて合わせるのがいいのですよ」
源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、京の人であることを標榜していた王族の端くれのような人から教えられただけの稽古であったから、まちがっていてはと気恥ずかしく思って玉鬘は手を出そうとしないのであった。源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。いつとなく源氏のほうへ膝行り寄っていた。
「不思議な風が出てきて琴の音響を引き立てている気がします。どうしたのでしょう」
と首を傾けている玉鬘の様子が灯の明りに美しく見えた。源氏は笑いながら、
「熱心に聞いていてくれない人には、外から身にしむ風も吹いてくるでしょう」
と言って、源氏は和琴を押しやってしまった。玉鬘は失望に似たようなものを覚えた。女房たちが近い所に来ているので、例のような戯談も源氏は言えなかった。
「撫子を十分に見ないで青年たちは行ってしまいましたね。どうかして大臣にもこの花壇をお見せしたいものですよ。無常の世なのだから、すべきことはすみやかにしなければいけない。昔大臣が話のついでにあなたの話をされたのも今のことのような気もします」
源氏はその時の大臣の言葉を思い出して語った。玉鬘は悲しい気持ちになっていた。
私にはあなたのお母さんのことで、やましい点があって、それでつい報告してあげることが遅れてしまうのです」
と源氏は言った。玉鬘は泣いて、
とはかないふうに言ってしまう様子が若々しくなつかしいものに思われた。源氏の心はますますこの人へ惹かれるばかりであった。苦しいほどにも恋しくなった。源氏はとうていこの恋心は抑制してしまうことのできるものでないと知った。
玉鬘の西の対への訪問があまりに続いて人目を引きそうに思われる時は、源氏も心の鬼にとがめられて間は置くが、そんな時には何かと用事らしいことをこしらえて手紙が送られるのである。この人のことだけが毎日の心にかかっている源氏であった。なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、煩悶などはせずに感情のままに行動することにすれば、世間の批難は免れないであろうが、それも自分はよいとして女のために気の毒である。どんなに深く愛しても春の女王と同じだけにその人を思うことの不可能であることは、自分ながらも明らかに知っている。第二の妻であることによって幸福があろうとは思われない。自分だけはこの世のすぐれた存在であっても、自分の幾人もの妻の中の一人である女に名誉のあるわけはない。平凡な納言級の人の唯一の妻になるよりも決して女のために幸福でないと源氏は知っているのであったから、しいて情人にするのが哀れで、兵部卿の宮か右大将に結婚を許そうか、そうして良人の家へ行ってしまえばこの悩ましさから自分は救われるかもしれない。消極的な考えではあるがその方法を取ろうかと思う時もあった。しかもまた西の対へ行って美しい玉鬘を見たり、このごろは琴を教えてもいたので、以前よりも近々と寄ったりしては決心していたことが揺いでしまうのであった。玉鬘もこうしたふうに源氏が扱い始めたころは、恐ろしい気もし、反感を持ったが、それ以上のことはなくて、やはり信頼のできそうなのに安心して、しいて源氏の愛撫からのがれようとはしなかった。返辞などもなれなれしくならぬ程度にする愛嬌の多さは知らず知らずに十分の魅力になって、前の考えなどは合理的なものでないと源氏をして思わせた。それでは今のままに自分の手もとへ置いて結婚をさせることにしよう、そして自分の恋人にもしておこう、処女である点が自分に躊躇をさせるのであるが、結婚をしたのちもこの人に深い愛をもって臨めば、良人のあることなどは問題でなく恋は成り立つに違いないとこんなけしからぬことも源氏は思った。それを実行した暁にはいよいよ深い煩悶に源氏は陥ることであろうし、熱烈でない愛しようはできない性質でもあるから悲劇がそこに起こりそうな気のすることである。
内大臣が娘だと名のって出た女を、直ちに自邸へ引き取った処置について、家族も家司たちもそれを軽率だと言っていること、世間でも誤ったしかただと言っていることも皆大臣の耳にははいっていたが、弁の少将が話のついでに源氏からそんなことがあるかと聞かれたことを言い出した時に大臣は笑って言った。
「そうだ、あすこにも今まで噂も聞いたことのない外腹の令嬢ができて、それをたいそうに扱っていられるではないか。あまりに他人のことを言われない大臣だが、不思議に私の家のことだと口の悪い批評をされる。このことなどはそれを証明するものだよ」
「あちらの西の対の姫君はあまり欠点もない人らしゅうございます。兵部卿の宮などは熱心に結婚したがっていらっしゃるのですから、平凡な令嬢でないことが想像されると世間でも言っております」
「さあそれがね、源氏の大臣の令嬢である点でだけありがたく思われるのだよ。世間の人心というものは皆それなのだ。必ずしも優秀な姫君ではなかろう。相当な母親から生まれた人であれば以前から人が聞いているはずだよ。円満な幸福を持っていられる方だが、りっぱな夫人から生まれた令嬢が一人もないのを思うと、だいたい子供が少ないたちなんだね。劣り腹といって明石の女の生んだ人は、不思議な因縁で生まれたということだけでも何となく未来の好運が想像されるがね。新しい令嬢はどうかすれば、それは実子でないかもしれない。そんな常識で考えられないようなこともあの人はされるのだよ」
と内大臣は玉鬘をけなした。
「それにしても、だれが婿に決まるのだろう。兵部卿の宮の御熱心が結局勝利を占められることになるのだろう。もとから特別にお仲がいいのだし、大臣の趣味とよく一致した風流人だからね」
と言ったあとに大臣は雲井の雁のことを残念に思った。そうしたふうにだれと結婚をするかと世間に興味を持たせる娘に仕立てそこねたのがくやしいのである。これによっても中将が今一段光彩のある官に上らない間は結婚が許されないと大臣は思った。源氏がその問題の中へはいって来て懇請することがあれば、やむをえず負けた形式で同意をしようという大臣の腹であったが、中将のほうでは少しも焦慮するふうを見せず落ち着いているのであったからしかたがないのである。こんなことをいろいろと考えていた大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間を訪ねた。少将も供をして行った。雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の単衣を着て横たわっている姿からは暑い感じを受けなかった。可憐な小柄な姫君である。薄物に透いて見える肌の色がきれいであった。美しい手つきをして扇を持ちながらその肱を枕にしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。女房たちも几帳の蔭などにはいって昼寝をしている時であったから、大臣の来たことをまだ姫君は知らない。扇を父が鳴らす音に何げなく上を見上げた顔つきが可憐で、頬の赤くなっているのなども親の目には非常に美しいものに見られた。
「うたた寝はいけないことだのに、なぜこんなふうな寝方をしてましたか。女房なども近くに付いていないでけしからんことだ。女というものは始終自身を護る心がなければいけない。自分自身を打ちやりしているようなふうの見えることは品の悪いものだ。賢そうに不動の陀羅尼を読んで印を組んでいるようなのも憎らしいがね。それは極端な例だが、普通の人でも少しも人と接触をせずに奥に引き入ってばかりいるようなことも、気高いようでまたあまり感じのいいものではない。太政大臣が未来のお后の姫君を教育していられる方針は、いろんなことに通じさせて、しかも目だつほど専門的に一つのことを深くやらせまい、そしてまたわからないことは何もないようにということであるらしい。それはもっともなことだが、人間にはそれぞれの天分があるし、特に好きなこともあるのだから、何かの特色が自然出てくることだろうと思われる。大人になって宮廷へはいられるころはたいしたものだろうと予想される」
などと大臣は娘に言っていたが、
「あなたをこうしてあげたいといろいろ思っていたことは空想になってしまったが、私はそれでもあなたを世間から笑われる人にはしたくないと、よその人のいろいろの話を聞くごとにあなたのことを思って煩悶する。ためそうとするだけで、表面的な好意を寄せるような男に動揺させられるようなことがあってはいけませんよ。私は一つの考えがあるのだから」
ともかわいく思いながら訓めもした。昔は何も深く考えることができずに、あの騒ぎのあった時も恥知らずに平気で父に対していたと思い出すだけでも胸がふさがるように雲井の雁は思った。大宮の所からは始終逢いたいというふうにお手紙が来るのであるが、大臣が気にかけていることを思うと、御訪問も容易にできないのである。
大臣は北の対に住ませてある令嬢をどうすればよいか、よけいなことをして引き取ったあとで、また人が譏るからといって家へ送り帰すのも軽率な気のすることであるが、娘らしくさせておいては満足しているらしく自分の心持ちが誤解されることになっていやである、女御の所へ来させることにして、馬鹿娘として人中に置くことにさせよう、悪い容貌だというがそう見苦しい顔でもないのであるからと思って、大臣は女御に、
「あの娘をあなたの所へよこすことにしよう。悪いことは年のいった女房などに遠慮なく矯正させて使ってください。若い女房などが何を言ってもあなただけはいっしょになって笑うようなことをしないでお置きなさい。軽佻に見えることだから」
と笑いながら言った。
「だれがどう言いましても、そんなつまらない人ではきっとないと思います。中将の兄様などの非常な期待に添わなかったというだけでしょう。こちらへ来ましてからいろんな取り沙汰などをされて、一つはそれでのぼせて粗相なこともするのでございましょう」
と女御は貴女らしい品のある様子で言っていた。この人は一つ一つ取り立てて美しいということのできない顔で、そして品よく澄み切った美の備わった、美しい梅の半ば開いた花を朝の光に見るような奥ゆかしさを見せて微笑しているのを大臣は満足して見た。だれよりもすぐれた娘であると意識したのである。
「しかしなんといっても中将の無経験がさせた失敗だ」
などとも父に言われている新令嬢は気の毒である。大臣は女房を訪ねた帰りにその人の所へも行って見た。
座敷の御簾をいっぱいに張り出すようにして裾をおさえた中で、五節という生意気な若い女房と令嬢は双六を打っていた。
「しょうさい、しょうさい」
と両手をすりすり賽を撒く時の呪文を早口に唱えているのに悪感を覚えながらも大臣は従って来た人たちの人払いの声を手で制して、なおも妻戸の細目に開いた隙から、障子の向こうを大臣はのぞいていた。五節も蓮葉らしく騒いでいた。
「御返報しますよ。御返報しますよ」
賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。姫君の容貌は、ちょっと人好きのする愛嬌のある顔で、髪もきれいであるが、額の狭いのと頓狂な声とにそこなわれている女である。美人ではないがこの娘の顔に、鏡で知っている自身の顔と共通したもののあるのを見て、大臣は運にのろわれている気がした。
「こちらで暮らすようになって、あなたに何か気に入らないことがありますか。つい忙しくて訪ねに来ることも十分できないが」
と大臣が言うと、例の調子で新令嬢は言う。
「こうしていられますことに何の不足があるものでございますか。長い間お目にかかりたいと念がけておりましたお顔を、始終拝見できませんことだけは成功したものとは思われませんが」
「そうだ、私もそばで手足の代わりに使う者もあまりないのだから、あなたが来たらそんな用でもしてもらおうかと思っていたが、やはりそうはいかないものだからね。ただの女房たちというものは、多少の身分の高下はあっても、皆いっしょに用事をしていては目だたずに済んで気安いものなのだが、それでもだれの娘、だれの子ということが知られているほどの身の上の者は、親兄弟の名誉を傷つけるようなことも自然起こってきておもしろくないものだろうが、まして」
言いさして話をやめた父の自尊心などに令嬢は頓着していなかった。
「いいえ、かまいませんとも、令嬢だなどと思召さないで、女房たちの一人としてお使いくださいまし。お便器のほうのお仕事だって私はさせていただきます」
「それはあまりに不似合いな役でしょう。たまたま巡り合った親に孝行をしてくれる心があれば、その物言いを少し静かにして聞かせてください。それができれば私の命も延びるだろう」
道化たことを言うのも好きな大臣は笑いながら言っていた。
「私の舌の性質がそうなんですね。小さい時にも母が心配しましてよく訓戒されました。妙法寺の別当の坊様が私の生まれる時産屋にいたのですってね。その方にあやかったのだと言って母が歎息しておりました。どうかして直したいと思っております」
むきになってこう言うのを聞いても孝心はある娘であると大臣は思った。
「産屋などへそんなお坊さんの来られたのが災難なんだね。そのお坊さんの持っている罪の報いに違いないよ。唖と吃は仏教を譏った者の報いに数えられてあるからね」
と大臣は言っていたが、子ながらも畏敬の心の湧く女御の所へこの娘をやることは恥ずかしい、どうしてこんな欠陥の多い者を家へ引き取ったのであろう、人中へ出せばいよいよ悪評がそれからそれへ伝えられる結果を生むではないかと思って、大臣は計画を捨てる気にもなったのであるが、また、
「女御が家へ帰っておいでになる間に、あなたは時々あちらへ行って、いろんなことを見習うがいいと思う。平凡な人間も貴女がたの作法に会得が行くと違ってくるものだからね。そんなつもりであちらへ行こうと思いますか」
とも言った。
「まあうれしい。私はどうかして皆さんから兄弟だと認めていただきたいと寝ても醒めても祈っているのでございますからね。そのほかのことはどうでもいいと思っていたくらいでございますからね。お許しさえございましたら女御さんのために私は水を汲んだり運んだりしましてもお仕えいたします」
なお早口にしゃべり続けるのを聞いていて大臣はますます憂鬱な気分になるのを、紛らすために言った。
「そんな労働などはしないでもいいがお行きなさい。あやかったお坊さんはなるべく遠方のほうへやっておいてね」
滑稽扱いにして言っているとも令嬢は知らない。また同じ大臣といっても、きれいで、物々しい風采を備えた、りっぱな中のりっぱな大臣で、だれも気おくれを感じるほどの父であることも令嬢は知らない。
「それではいつ女御さんの所へ参りましょう」
「そう、吉日でなければならないかね。なにいいよ、そんなたいそうなふうには考えずに、行こうと思えば今日にでも」
言い捨てて大臣は出て行った。四位五位の官人が多くあとに従った、権勢の強さの思われる父君を見送っていた令嬢は言う。
「ごりっぱなお父様だこと、あんな方の種なんだのに、ずいぶん小さい家で育ったものだ私は」
五節は横から、
「でもあまりおいばりになりすぎますわ、もっと御自分はよくなくても、ほんとうに愛してくださるようなお父様に引き取られていらっしゃればよかった」
と言った。真理がありそうである。
「まああんた、ぶちこわしを言うのね。失礼だわ。私と自分とを同じように言うようなことはよしてくださいよ。私はあなたなどとは違った者なのだから」
腹をたてて言う令嬢の顔つきに愛嬌があって、ふざけたふうな姿が可憐でないこともなかった。ただきわめて下層の家で育てられた人であったから、ものの言いようを知らないのである。何でもない言葉もゆるく落ち着いて言えば聞き手はよいことのように聞くであろうし、巧妙でない歌を話に入れて言う時も、声づかいをよくして、初め終わりをよく聞けないほどにして言えば、作の善悪を批判する余裕のないその場ではおもしろいことのようにも受け取られるのである。強々しく非音楽的な言いようをすれば善いことも悪く思われる。乳母の懐育ちのままで、何の教養も加えられてない新令嬢の真価は外観から誤られもするのである。そう頭が悪いのでもなかった。三十一字の初めと終わりの一貫してないような歌を早く作って見せるくらいの才もあるのである。
「女御さんの所へ行けとお言いになったのだから、私がしぶしぶにして気が進まないふうに見えては感情をお害しになるだろう。私は今夜のうちに出かけることにする。大臣がいらっしゃっても女御さんなどから冷淡にされてはこの家で立って行きようがないじゃないか」
と令嬢は言っていた。自信のなさが気の毒である。手紙を先に書いた。
点の多い書き方で、裏にはまた、
と書かれ、端のほうに歌もあった。
青い色紙一重ねに漢字がちに書かれてあった。肩がいかって、しかも漂って見えるほど力のない字、しという字を長く気どって書いてある。一行一行が曲がって倒れそうな自身の字を、満足そうに令嬢は微笑して読み返したあとで、さすがに細く小さく巻いて撫子の花へつけたのであった。厠係りの童女はきれいな子で、奉公なれた新参者であるが、それが使いになって、女御の台盤所へそっと行って、
「これを差し上げてください」
と言って出した。下仕えの女が顔を知っていて、北の対に使われている女の子だといって、撫子を受け取った。大輔という女房が女御の所へ持って出て、手紙をあけて見せた。女御は微笑をしながら下へ置いた手紙を、中納言という女房がそばにいて少し読んだ。
「何でございますか、新しい書き方のお手紙のようでございますね」
となお見たそうに言うのを聞いて、女御は、
「漢字は見つけないせいかしら、前後が一貫してないように私などには思われる手紙よ」
と言いながら渡した。
「返事もそんなふうにたいそうに書かないでは低級だと言って軽蔑されるだろうね。それを読んだついでにあなたから書いておやりよ」
と女御は言うのであった。露骨に笑い声はたてないが若い女房は皆笑っていた。使いが返事を請求していると言ってきた。
「風流なお言葉ばかりでできているお手紙ですから、お返事はむずかしゅうございます。仰せはこうこうと書いて差し上げるのも失礼ですし」
と言って、中納言は女御の手紙のようにして書いた。
中納言が読むのを聞いて女御は、
「そんなこと、私が言ったように人が皆思うだろうから」
と言って困ったような顔をしていると、
「大丈夫でございますよ。聞いた人が判断いたしますよ」
と中納言は言って、そのまま包んで出した。新令嬢はそれを見て、
「うまいお歌だこと、まつとお言いになったのだから」
と言って、甘いにおいの薫香を熱心に着物へ焚き込んでいた。紅を赤々とつけて、髪をきれいになでつけた姿にはにぎやかな愛嬌があった、女御との会談にどんな失態をすることか。
篝火
このごろ、世間では内大臣の新令嬢という言葉を何かのことにつけては言うのを源氏の大臣は聞いて、
「ともかくも深窓に置かれる娘を、最初は大騒ぎもして迎えておきながら、今では世間へ笑いの材料に呈供しているような大臣の気持ちが理解できない。自尊心の強い性質から、ほかで育った娘の出来のよしあしも考えずに呼び寄せたあとで、気に入らない不愉快さを、そうした侮辱的扱いで紛らしているのであろう。実質はともかくも周囲の人が愛でつくろえば世間体をよくすることもできるものなのだけれど」
と言って愛されない令嬢に同情していた。そんなことも聞いて玉鬘は親であってもどんな性格であるとも知らずに接近して行っては恥ずかしい目にあうことが自分にないとも思われないと感じた。右近もそれを強めたような意見を告げた。迷惑な恋心は持たれているが、そうかといって無理をしいようともせず愛情はますます深く感ぜられる源氏であったから、ようやく玉鬘も不安なしに親しむことができるようになった。
秋にもなった。風が涼しく吹いて身にしむ思いのそそられる時であるから、恋しい玉鬘の所へ源氏は始終来て、一日をそこで暮らすようなことがあった。琴を教えたりもしていた。五、六日ごろの夕月は早く落ちてしまって、涼しい色の曇った空のもとでは荻の葉が哀れに鳴っていた。琴を枕にして源氏と玉鬘とは並んで仮寝をしていた。こんなみじめな境地はないであろうと源氏は歎息をしながら夜ふかしをしていたが、人が怪しむことをはばかって帰って行こうとして、前の庭の篝が少し消えかかっているのを、ついて来ていた右近衛の丞に命じてさらに燃やさせた。涼しい流れの所におもしろい形で広がった檀の木の下に美しい篝は燃え始めたのである。座敷のほうへはちょうど涼しいほどの明りがさして、女の美しさが浮き出して見えた。髪の手ざわりの冷たいことなども艶な気がして、恥ずかしそうにしている様子が可憐であった源氏は立ち去る気になれないのである。
「始終こちらを見まわって篝を絶やさぬようにするがいい。暑いころ、月のない間は庭に光のないのは気味の悪いものだからね」
と右近の丞に言っていた。
いつまでもこの状態でいなければならないのでしょう、苦しい下燃えというものですよ」
玉鬘にはこう言った。女はまた奇怪なことがささやかれると思って、
人が不思議に思います」
と言った。源氏は困ったように見えた。
「さあ帰りますよ」
源氏が御簾から出る時に、東の対のほうに上手な笛が十三絃の琴に合わせて鳴っているのが聞こえた。それは始終中将といっしょに遊んでいる公達のすさびであった。
「頭中将に違いない。上手な笛の音だ」
こう言って源氏はそのままとどまってしまったのである。東の対へ人をやって、
「今こちらにいます。篝の明りの涼しいのに引き止められてです」
と言わせると三人の公達がこちらへ来た。
「風の音秋になりにけりと聞こえる笛が私をそそのかした」
琴を中から出させてなつかしいふうに源氏は弾いた。源中将は盤渉調に笛を吹いた。頭中将は晴れがましがって合奏の中へはいろうとしないのを見て、
「おそいね」
と源氏は促した。弟の弁の少将が拍子を打ち出して、低音に歌い始めた声が鈴虫の音のようであった。二度繰り返して歌わせたあとで、源氏は和琴を頭中将へ譲った。名手である父の大臣にもあまり劣らず中将は巧妙に弾いた。
「御簾の中に琴の音をよく聞き分ける人がいるはずなのです。今夜は私への杯はあまりささないようにしてほしい。青春を失った者は酔い泣きといっしょに過去の追憶が多くなって取り乱すことになるだろうから」
と源氏の言うのを姫君も身に沁んで聞いた。兄弟の縁のあるこの人たちに特別の注意が払われているのであるが、頭中将も、弁の少将も、そんなことは夢にも知らなんだ。中将は堪えがたい恋を音楽に託して思うぞんぶんに琴をかき鳴らしたい心を静かにおさえて、控え目な弾き方をしていた。
野分
中宮のお住居の庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませ垣が所々に結われ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色を見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の讃美者になっていた、世の中というもののように。
中宮はこれにお心が惹かれてずっと御実家生活を続けておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の御忌月であったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りになった。今年の野分の風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて無惨に乱れていく秋草を御覧になる宮は御病気にもおなりにならぬかと思われるほどの御心配をあそばされた。おおうばかりの袖というものは春の桜によりも実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れてゆくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子なども皆おろしてしまったので宮はただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。
南の御殿のほうも前の庭を修理させた直後であったから、この野分にもとあらの小萩が奔放に枝を振り乱すのを傍観しているよりほかはなかった。枝が折られて露の宿ともなれないふうの秋草を女王は縁の近くに出てながめていた。源氏は小姫君の所にいたころであったが、中将が来て東の渡殿の衝立の上から妻戸の開いた中を何心もなく見ると女房がおおぜいいた。中将は立ちどまって音をさせぬようにしてのぞいていた。屏風なども風のはげしいために皆畳み寄せてあったから、ずっと先のほうもよく見えるのであるが、そこの縁付きの座敷にいる一女性が中将の目にはいった。女房たちと混同して見える姿ではない。気高くてきれいで、さっと匂いの立つ気がして、春の曙の霞の中から美しい樺桜の咲き乱れたのを見いだしたような気がした。夢中になってながめる者の顔にまで愛嬌が反映するほどである。かつて見たことのない麗人である。御簾の吹き上げられるのを、女房たちがおさえ歩くのを見ながら、どうしたのかその人が笑った。非常に美しかった。草花に同情して奥へもはいらずに紫の女王がいたのである。女房もきれいな人ばかりがいるようであっても、そんなほうへは目が移らない。父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる美貌の継母と自分を、聡明な父は隔離するようにして親しませなかったのであったと思うと、中将は自身の隙見の罪が恐ろしくなって、立ち去ろうとする時に、源氏は西側の襖子をあけて夫人の居間へはいって来た。
「いやな日だ。あわただしい風だね、格子を皆おろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」
と源氏が言っているのを聞いて、中将はまた元の場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものを言っていて源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。女の美もまた完成の域に達した時であろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っている所が中から見えそうになったのに恐れて身を退けてしまった。そして今来たように咳払いなどをしながら南の縁のほうへ歩いて出た。
「だから私が言ったように不用心だったのだ」
こう言った源氏がはじめて東の妻戸のあいていたことを見つけた。長い年月の間こうした機会がとらえられなかったのであるが、風は巌も動かすという言葉に真理がある、慎み深い貴女も風のために端へ出ておられて、自分に珍しい喜びを与えたのであると中将は思ったのであった。家司たちが出て来て、
「たいへんな風力でございます。北東から来るのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の釣殿などは危険に思われます」
などと主人に報告して、下人にはいろいろな命令を下していた。
「中将はどこから来たか」
「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお一方きりなのですから心細そうになさいまして、風の音なども若い子のように恐ろしがっていられますからお気の毒に存じまして、またあちらへ参ろうと思います」
と中将は言った。
「ほんとうにそうだ。早く行くがいいね。年がいって若い子になるということは不思議なようでも実は皆そうなのだね」
と源氏は大宮に御同情していた。
という挨拶を言づてた。途中も吹きまくる風があって侘しいのであったが、まじめな公子であったから、三条の宮の祖母君と、六条院の父君への御機嫌伺いを欠くことはなくて、宮中の御謹慎日などで、御所から外へ出られぬ時以外は、役所の用の多い時にも臨時の御用の忙しい時にも、最初に六条院の父君の前へ出て、三条の宮から御所へ出勤することを規則正しくしている人で、こんな悪天候の中へ身を呈するようなお見舞いなども苦労とせずにした。宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。
「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」
とふるえておいでになった。大木の枝の折れる音などもすごかった。家々の瓦の飛ぶ中を来たのは冒険であったとも宮は言っておいでになった。はなやかな御生活をあそばされたことも皆過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになる御現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度にあたたかさの欠けたところがあった。
夜通し吹き続ける風に眠りえない中将は、物哀れな気持ちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でした隙見ではじめて知るを得た継母の女王の面影が忘られないのであった。これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないかと思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻が目に見えた。過去にも未来にもないような美貌の方である、あれほどの夫人のおられる中へ東の夫人が混じっておられるなどということは想像もできないことである。東の夫人がかわいそうであるとも中将は思った。父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはしないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるであろうなどと思い続けていた。
明け方に風が少し湿気を帯びた重い音になって村雨風な雨になった。
「六条院では離れた建築物が皆倒れそうでございます」
などと侍が報じた。風が揉み抜いている間、広い六条院は大臣の住居辺はおおぜいの人が詰めているであろうが、東の町などは人少なで花散里夫人は心細く思ったことであろうと中将は驚いて、まだほのぼの白むころに三条の宮から訪ねに出かけた。横雨が冷ややかに車へ吹き込んで来て、空の色もすごい道を行きながらも中将は、魂が何となく身に添わぬ気がした。これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと慄然とした。これほどあるまじいことはない、自分は狂気したのかともいろいろに苦しんで六条院へ着いた中将は、すぐに東の夫人を見舞いに行った。非常におびえていた花散里をいろいろと慰めてから、家司を呼んで損ねた所々の修繕を命じて、それから南の町へ行った。まだ格子は上げられずに人も起きていなかったので、中将は源氏の寝室の前にあたる高欄によりかかって庭をながめていた。風のあとの築山の木が被害を受けて枝などもたくさん折れていた。草むらの乱れたことはむろんで、檜皮とか瓦とかが飛び散り、立蔀とか透垣とかが無数に倒れていた。わずかだけさした日光に恨み顔な草の露がきらきらと光っていた。空はすごく曇って、霧におおわれているのである。こんな景色に対していて中将は何ということなしに涙のこぼれるのを押し込むように拭いて咳払いをしてみた。
「中将が来ているらしい。まだ早いだろうに」
と言って源氏は起き出すのであった。何か夫人が言っているらしいが、その声は聞こえないで源氏の笑うのが聞こえた。
「昔もあなたに経験させたことのない夜明けの別れを、今はじめて知って寂しいでしょう」
と言っているのが感じよく聞こえた。女王の言葉は聞こえないのであるが、一方の言葉から推して、こうした戯れを言い合う今も緊張した間柄であることが中将にわかった。格子を源氏が手ずからあけるのを見て、あまり近くいることを遠慮して、中将は少し後へ退いた。
「どうだったか、昨晩伺ったことで宮様はお喜びになったかね」
「そうでございました。何でもないことにもお泣きになりますからお気の毒で」
と中将が言うと源氏は笑って、
「もう長くはいらっしゃらないだろう。誠意をこめてお仕えしておくがいい。内大臣はそんなふうでないと私へおこぼしになったことがある。華美なきらきらしいことが好きで、親への孝行も人目を驚かすようにしたい人なのだね。情味を持ってどうしておあげしようというようなことのできない人なのだよ。複雑な性格で、非常な聡明さで末世の大臣に過ぎた力量のある人だがね。まあそう言えばだれにだって欠点はあるからね」
などと源氏は言うのであった。
「あの大風に中宮付きの役人は皆出て来ていたか、昨夜のことが不安だ」
と言って、源氏は中将を見舞いに出すのであった。
という挨拶を持たせてやったのである。そこを立ち廊の戸を通って中宮の町へ出て行く若い中将の朝の姿が美しかった。東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに御簾を巻き上げて女房たちが出ていた。高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着に裳までつけて、重なるようにしてすわりながらおおぜいで出ているので感じのよいことであった。中宮は童女を庭へおろして虫籠に露を入れさせておいでになるのである。紫
色、撫子色などの濃い色、淡い色の袙に、女郎花色の薄物の上着などの時節に合った物を着て、四、五人くらいずつ一かたまりになってあなたこなたの草むらへいろいろな籠を持って行き歩いていて、折れた撫子の哀れな枝なども取って来る。霧の中にそれらが見えるのである。お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香の匂いを含んでいた。貴女の世界の心憎さが豊かに覚えられるお住居である。驚かすような気がして中将は出にくかったが、静かな音をたてて歩いて行くと、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。宮の御入内の時に童形で供奉して以来知り合いの女房が多くて中将には親しみのある場所でもあった。源氏の挨拶を申し上げてから、宰相の君、内侍などもいるのを知って中将はしばらく話していた。ここにはまたすべての所よりも気高い空気があった。そうした清い気分の中で女房たちと語りながらも中将は昨日以来の悩ましさを忘れることができなかった。
帰って来ると南御殿は格子が皆上げられてあって、夫人は昨夜気にかけながら寝た草花が所在も知れぬように乱れてしまったのをながめている時であった。中将は階段の所へ行って、中宮のお返辞を報じた。
というのである。
「弱々しい宮様なのだからね、そうだったろうね。女はだれも皆こわくてたまるまいという気のした夜だったからね、実際不親切に思召しただろう」
と言って、源氏はすぐに御訪問をすることにした。直衣などを着るために向こうの室の御簾を引き上げて源氏がはいる時に、短い几帳を近くへ寄せて立てた人の袖口の見えたのを、女王であろうと思うと胸が湧き上がるような音をたてた。困ったことであると思って中将はわざと外のほうをながめていた。源氏は鏡に向かいながら小声で夫人に言う、
「中将の朝の姿はきれいじゃありませんか、まだ小さいのだが洗練されても見えるように思うのは親だからかしら」
鏡にある自分の顔はしかも最高の優越した美を持つものであると源氏は自信していた。身なりを整えるのに苦心をしたあとで、
「中宮にお目にかかる時はいつも晴れがましい気がする。なんらの見識を表へ出しておいでになるのでないが、前へ出る者は気がつかわれる。おおように女らしくて、そして高い批評眼が備わっているというようなかただ」
こう言いながら源氏は御簾から出ようとしたが、中将が一方を見つめて源氏の来ることにも気のつかぬふうであるのを、鋭敏な神経を持つ源氏はそれをどう見たか引き返して来て夫人に、
「昨日風の紛れに中将はあなたを見たのじゃないだろうか。戸があいていたでしょう」
と言うと女王は顔を赤くして、
「そんなこと。渡殿のほうには人の足音がしませんでしたもの」
と言っていた。
「しかし、疑わしい」
源氏はこう独言を言いながら中宮の御殿のほうへ歩いて行った。また供をして行った中将は、源氏が御簾の中へはいっている間を、渡殿の戸口の、女房たちの集まっているけはいのうかがわれる所へ行って、戯れを言ったりしながらも、新しい物思いのできた人は平生よりもめいったふうをしていた。
そこからすぐに北へ通って明石の君の町へ源氏は出たが、ここでははかばかしい家司風の者は来ていないで、下仕えの女中などが乱れた草の庭へ出て花の始末などをしていた。童女が感じのいい姿をして夫人の愛している竜胆や朝顔がほかの葉の中に混じってしまったのを選り出していたわっていた。物哀れな気持ちになっていて明石は十三絃の琴を弾きながら縁に近い所へ出ていたが、人払いの声がしたので、平常着の上へ棹からおろした小袿を掛けて出迎えた。こんな急な場合にも敬意を表することを忘れない所にこの人の性格が見えるのである。座敷の端にしばらくすわって、風の見舞いだけを言って、そのまま冷淡に帰って行く源氏の態度を女は恨めしく思った。
こんなことを口ずさんでいた。
源氏が東の町の西の対へ行った時は、夜の風が恐ろしくて明け方まで眠れなくて、やっと睡眠したあとの寝過ごしをした玉鬘が鏡を見ている時であった。たいそうに先払いの声を出さないようにと源氏は注意していて、そっと座敷へはいった。屏風なども皆畳んであって混雑した室内へはなやかな秋の日ざしがはいった所に、あざやかな美貌の玉鬘がすわっていた。源氏は近い所へ席を定めた。荒い野分の風もここでは恋を告げる方便に使われるのであった。
「そんなふうなことを言って、私をお困らせになりますから、私はあの風に吹かれて行ってしまいたく思いました」
と機嫌をそこねて玉鬘が言うと源氏はおもしろそうに笑った。
「風に吹かれてどこへでも行ってしまおうというのは少し軽々しいことですね。しかしどこか吹かれて行きたい目的の所があるでしょう。あなたも自我を現わすようになって、私を愛しないことも明らかにするようになりましたね。もっともですよ」
と源氏が言うと、玉鬘は思ったままを誤解されやすい言葉で言ったものであると自身ながらおかしくなって笑っている顔の色がはなやかに見えた。海酸漿のようにふっくらとしていて、髪の間から見える膚の色がきれいである。目があまりに大きいことだけはそれほど品のよいものでなかった。そのほかには少しの欠点もない。中将は父の源氏がゆっくりと話している間に、この異腹の姉の顔を一度のぞいて知りたいとは平生から願っていることであったから、隅の部屋の御簾が几帳も添えられてあるが、乱れたままになっている、その端をそっと上げて見ると、中央の部屋との間に障害になるような物は皆片づけられてあったからよく見えた。戯れていることは見ていてわかることであったから、不思議な行為である。親子であっても懐に抱きかかえる幼年者でもない、あんなにしてよいわけのものでないのにと目がとまった。源氏に見つけられないかと恐ろしいのであったが、好奇心がつのってなおのぞいていると、柱のほうへ身体を少し隠すように姫君がしているのを、源氏は自身のほうへ引き寄せていた。髪の波が寄って、はらはらとこぼれかかっていた。女も困ったようなふうはしながらも、さすがに柔らかに寄りかかっているのを見ると、始終このなれなれしい場面の演ぜられていることも中将に合点された。悪感の覚えられることである、どういうわけであろう、好色なお心であるから、小さい時から手もとで育たなかった娘にはああした心も起こるのであろう、道理でもあるがあさましいと真相を知らない中将にこう思われている源氏は気の毒である。玉鬘は兄弟であっても同腹でない、母が違うと思えば心の動くこともあろうと思われる美貌であることを中将は知った。昨日見た女王よりは劣って見えるが、見ている者が微笑まれるようなはなやかさは同じほどに思われた。八重の山吹の咲き乱れた盛りに露を帯びて夕映えのもとにあったことを、その人を見ていて中将は思い出した。このごろの季節のものではないが、やはりその花に最もよく似た人であると思われた。花は美しくても花であって、またよく乱れた蕊なども盛りの花といっしょにあったりなどするものであるが、人の美貌はそんなものではないのである。だれも女房がそばへ出て来ない間、親しいふうに二人の男女は語っていたが、どうしたのかまじめな顔をして源氏が立ち上がった。玉鬘が、
と言った。これはその人の言うのが中将に聞こえたのではなくて、源氏が口にした時に知ったのである。不快なことがまた好奇心を引きもして、もう少し見きわめたいと中将は思ったが、近くにいたことを見られまいとしてそこから退いていた。源氏が、
弱竹をお手本になさい」
と言ったと思ったのは、中将の僻耳であったかもしれぬが、それも気持ちの悪い会話だとその人は聞いたのであった。
花散里の所へそこからすぐに源氏は行った。今朝の肌寒さに促されたように、年を取った女房たちが裁ち物などを夫人の座敷でしていた。細櫃の上で真綿をひろげている若い女房もあった。きれいに染め上がった朽ち葉色の薄物、淡紫のでき上がりのよい打ち絹などが散らかっている。
「なんですこれは、中将の下襲なんですか。御所の壺前栽の秋草の宴なども今年はだめになるでしょうね。こんなに風が吹き出してしまってはね、見ることも何もできるものでないから。ひどい秋ですね」
などと言いながら、何になるのかさまざまの染め物織り物の美しい色が集まっているのを見て、こうした見立ての巧みなことは南の女王にも劣っていない人であると源氏は花散里を思った。源氏の直衣の材料の支那の紋綾を初秋の草花から摘んで作った染料で手染めに染め上げたのが非常によい色であった。
「これは中将に着せたらいい色ですね。若い人には似合うでしょう」
こんなことも言って源氏は帰って行った。
面倒な夫人たちの訪問の供を皆してまわって、時のたったことで中将は気が気でなく思いながら妹の姫君の所へ行った。
「まだ御寝室にいらっしゃるのでございますよ。風をおこわがりになって、今朝はもうお起きになることもおできにならないのでございます」
と、乳母が話した。
「悪い天気でしたからね。こちらで宿直をしてあげたかったのだが、宮様が心細がっていらっしゃったものですからあちらへ行ってしまったのです。お雛様の御殿はほんとうにたいへんだったでしょう」
女房たちは笑って言う、
「扇の風でもたいへんなのでございますからね。それにあの風でございましょう。私どもはどんなに困ったことでしょう」
「何でもない紙がありませんか。それからあなたがたがお使いになる硯を拝借しましょう」
と中将が言ったので女房は棚の上から出して紙を一巻き蓋に入れて硯といっしょに出してくれた。
「これはあまりよすぎて私の役にはたちにくい」
と言いながらも、中将は姫君の生母が明石夫人であることを思って、遠慮をしすぎる自分を苦笑しながら書いた。それは淡紫の薄様であった。丁寧に墨をすって、筆の先をながめながら考えて書いている中将の様子は艶であった。しかしその手紙は若い女房を羨望させる一女性にあてて書かれるものであった。
という歌の書かれた手紙を、穂の乱れた刈萱に中将はつけていた。女房が、
「交野の少将は紙の色と同じ色の花を使ったそうでございますよ」
と言った。
「そんな風流が私にはできないのですからね。送ってやる人だってまたそんなものなのですからね」
中将はこうした女房にもあまりなれなれしくさせない溝を作って話していた。品のよい貴公子らしい行為である。中将はもう一通書いてから右馬助を呼んで渡すと、美しい童侍や、ものなれた随身の男へさらに右馬助は渡して使いは出て行った。若い女房たちは使いの行く先と手紙の内容とを知りたがっていた。姫君がこちらへ来ると言って、女房たちがにわかに立ち騒いで、几帳の切れを引き直したりなどしていた。昨日から今朝にかけて見た麗人たちと比べて見ようとする気になって、平生はあまり興味を持たないことであったが、妻戸の御簾へ身体を半分入れて几帳の綻びからのぞいた時に、姫君がこの座敷へはいって来るのを見た。女房が前を往き来するので正確には見えない。淡紫の着物を着て、髪はまだ着物の裾には達せずに末のほうがわざとひろげたようになっている細い小さい姿が可憐に思われた。一昨年ごろまでは稀に顔も見たのであるが、そのころよりはまたずっと美しくなったようであると中将は思った。まして妙齢になったならどれほどの美人になるであろうと思われた。さきに中将の見た麗人の二人を桜と山吹にたとえるなら、これは藤の花といってよいようである。高い木にかかって咲いた藤が風になびく美しさはこんなものであると思われた。こうした人たちを見たいだけ見て暮らしたい、継母であり、異母姉妹であれば、それのできないのがかえって不自然なわけであるが、事実はそうした恨めしいものになっていると思うと、まじめなこの人も魂がどこかへあこがれて行ってしまう気がした。
三条の宮へ行くと宮は静かに仏勤めをしておいでになった。若い美しい女房はここにもいるが、身なりも取りなしも盛りの家の夫人たちに使われている人たちに比べると見劣りがされた。顔だちのよい尼女房の墨染めを着たのなどはかえってこうした場所にふさわしい気がして感じよく思われた。内大臣も宮を御訪問に来て、灯などをともしてゆっくりと宮は話しておいでになった。
「姫君に長く逢いませんね。ほんとうにどうしたことだろう」
とお言い出しになって、宮はお泣きになった。
「近いうちにお伺わせいたします。自身から物思いをする人になって、哀れに衰えております。女の子というものは実際持たなくていいものですね。何につけかにつけ親の苦労の絶えないものです」
内大臣はまだあの古い過失について許し切っていないように言うのを、宮は悲しくお思いになって、望んでおいでになることは口へお出しになれなかった。話の続きに大臣は、
「ものにならない娘が一人出て来まして困っております」
と母宮に訴えた。
「どうしてでしょう。娘という名がある以上おとなしくないわけはないものですが」
「それがそういかないのです。醜態でございます。お笑いぐさにお目にかけたいほどです」
と大臣は言っていた。
行幸
源氏は玉鬘に対してあらゆる好意を尽くしているのであるが、人知れぬ恋を持つ点で、南の女王の想像したとおりの不幸な結末を生むのでないかと見えた。すべてのことに形式を重んじる癖があって、少しでもその点の不足したことは我慢のならぬように思う内大臣の性格であるから、思いやりもなしに婿として麗々しく扱われるようなことになっては今さら醜態で、気恥ずかしいことであると、その懸念がいささか源氏を躊躇させていた。
この十二月に洛西の大原野の行幸があって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。帝は午前六時に御出門になって、朱雀大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬鞍を整えて、随身、馬副男の背丈までもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉したのである。浅葱の色の袍に紅紫の下襲を殿上役人以下五位六位までも着ていた。時々少しずつの雪が空から散って艶な趣を添えた。親王がた、高官たちも鷹使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣を用意していた。左右の近衛、左右の衛門、左右の兵衛に属した鷹匠たちは大柄な、目だつ摺衣を着ていた。女の目には平生見馴れない見物事であったから、だれかれとなしに競って拝観をしようとしたが、貧弱にできた車などは群衆に輪をこわされて哀れな姿で立っていた。桂川の船橋のほとりが最もよい拝観場所で、よい車がここには多かった。六条院の玉鬘の姫君も見物に出ていた。きれいな身なりをして化粧をした朝臣たちをたくさん見たが、緋のお上着を召した端麗な鳳輦の中の御姿になぞらえることのできるような人はだれもない。玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、噂どおりにはなやかな貫禄のある盛りの男とは見えたが、それも絶対なりっぱさとはいえるものでなくて、だれよりも優秀な人臣と見えるだけである。きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちが蔭で大騒ぎをしている中将や少将、殿上役人のだれかれなどはまして目にもたたず無視せざるをえないのである。帝は源氏の大臣にそっくりなお顔であるが、思いなしか一段崇高な御美貌と拝されるのであった。でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。兵部卿の宮もおいでになった。右大将は羽振りのよい重臣ではあるが今日の武官姿の纓を巻いて胡
を負った形などはきわめて優美に見えた。色が黒く、髭の多い顔に玉鬘は好感を持てなかった。男は化粧した女のような白い顔をしているものでないのに、若い玉鬘の心はそれを軽蔑した。源氏はこのごろ玉鬘に宮仕えを勧めているのであった。今までは自発的にお勤めを始めるのでもなしにやむをえずに御所の人々の中に混じって新しい苦労を買うようなことはと躊躇する玉鬘であったが、後宮の一人でなく公式の高等女官になって陛下へお仕えするのはよいことであるかもしれないと思うようになった。大原野で鳳輦が停められ、高官たちは天幕の中で食事をしたり、正装を直衣や狩衣に改めたりしているころに、六条院の大臣から酒や菓子の献上品が届いた。源氏にも供奉することを前に仰せられたのであるが、謹慎日であることによって御辞退をしたのである。蔵人の左衛門尉を御使いにして、木の枝に付けた雉子を一羽源氏へ下された。この仰せのお言葉は女である筆者が採録申し上げて誤りでもあってはならないから省く。
御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。
源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、
という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。
その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。
白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、
「ひどいことを」
と玉鬘は笑っていたが、よくも心が見透かされたものであるという気がした。
と書いて来た返事を紫の女王もいっしょに見た。源氏は宮仕えを玉鬘に勧めた話をした。
「中宮が私の子になっておいでになるのだから、同じ家からそれ以上のことがなくて出て行くのをあの人は躊躇することだろうと思うし、大臣の子として出て行くのも女御がいられるのだから不都合だしと煩悶しているそのことも言っているのですよ。若い女で宮中へ出る資格のある者が陛下を拝見しては御所の勤仕を断念できるものでないはずだ」
と源氏が言うと、
「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」
と女王は笑った。
「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」
などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。
こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。ともかくも裳着の式を行なおうと思って、その儀式の日の用意を始めさせた。自身ではたいしたことにしようとしないことでも、源氏の家で行なわれることは自然にたいそうなものになってしまうのであるが、今度のことはこれを機会に内大臣へほんとうのことを知らせようと期している式であったから、きわめて華美な支度になっていった。来春の二月にしようと源氏は思っているのであった。女は世間から有名な人にされていても、まだ姫君である間は必ずしも親の姓氏を明らかに掲げている必要もないから、今までは藤原の内大臣の娘とも、源氏の娘とも明確にしないで済んだが、源氏の望むように宮仕えに出すことにすれば春日の神の氏の子を奪うことになるし、ついに知れるはずのものをしいて当座だけ感情の上からごまかしをするのも自身の不名誉であると源氏は考えた。平凡な階級の人は安易に姓氏を変えたりもするが、内に流れた親子の血が人為的のことで絶えるものでないから、自然のままに自分の寛大さを大臣に知らしめようと源氏は決めて、裳の紐を結ぶ役を大臣へ依頼することにしたが、大臣は、去年の冬ごろから御病気をしておいでになる大宮が、いつどうおなりになるかもしれぬ場合であるから、祝儀のことに出るのは遠慮をすると辞退してきた。中将も夜昼三条の宮へ行って付ききりのようにして御介抱をしていて、何の余裕も心にないふうな時であるから、裳着は延ばしたものであろうかとも源氏は考えたが、宮がもしお薨れになれば玉鬘は孫としての服喪の義務があるのを、知らぬ顔で置かせては罪の深いことにもなろうから、宮の御病気を別問題として裳着を行ない、大臣へ真相を知らせることも宮の生きておいでになる間にしようと源氏は決心して、三条の宮をお見舞いしがてらにお訪ねした。微行として来たのであるが行幸にひとしい威儀が知らず知らず添っていた。美しさはいよいよ光が添ったようなこのごろの源氏を御覧になったことで宮は御病苦が取り去られた気持ちにおなりになって、脇息へおよりかかりになりながら、弱々しい調子ながらもよくお話しになった。
「そうお悪くはなかったのでございますね。中将がひどく御心配申し上げてお話をいたすものですから、どんなふうでいらっしゃるのかとお案じいたしておりました。御所などへも特別なことのない限りは出ませんで、朝廷の人のようでもなく引きこもっておりまして、自然思いましてもすぐに物事を実行する力もなくなりまして失礼をいたしました。年齢などは私よりもずっと上の人がひどく腰をかがめながらもお役を勤めているのが、昔も今もあるでしょうが、私は生理的にも精神的にも弱者ですから、怠けることよりできないのでございましょう」
などと源氏は言っていた。
「年のせいだと思いましてね。幾月かの間は身体の調子の悪いのも打ちやってあったのですが、今年になってからはどうやらこの病気は重いという気がしてきましてね、もう一度こうしてあなたにお目にかかることもできないままになってしまうのかと心細かったのですが、お見舞いくださいましたこの感激でまた少し命も延びる気がします。もう私は惜しい命では少しもありません。皆に先だたれましたあとで、一人長く生き残っていることは他人のことで見てもおもしろくないことに思われたことなのですから、早くと先を急ぐ気にもなるのですが、中将がね、親切にね、想像もできないほどよくしてくれましてね、心配もしてくれますのを見ますとまた引き止められる形にもなっております」
初めから終わりまで泣いてお言いになるそのお慄え声もこの場合に身に沁んで聞かれた。昔の話も出、現在のことも語っていたついでに源氏は言った。
「内大臣は毎日おいでになるでしょうが、私の伺っておりますうちにもしおいでになることがあればお目にかかれて結構だと思います。ぜひお話ししておきたいこともあるのですが、何かの機会がなくてはそれもできませんで、まだそのままになっております」
「お上の御用が多いのか、自身の愛が淡いのか、そうそう見舞ってくれません。お話しになりたいとおっしゃるのはどんなことでしょう。中将が恨めしがっていることもあるのですが、私は何も初めのことは知りませんが、冷淡な態度をあの子にとるのを見ていましてね、一度立った噂はそんなことで取り返されるものではなし、かえって二重に人から譏らせるようなものだと私は忠告もしましたが、昔からこうと思ったことは曲げられない性質でね、私は不本意に傍観しています」
大宮が中将のことであろうとお解しになって、こうお言いになるのを聞いて、源氏は笑いながら、
「今さらしかたのないこととして許しておやりになるかと思いまして、私からもそれとなく希望を述べたこともあるのですが、断然お引き分けになろうとするお考えらしいのを見まして、なぜ口出しをしたかときまり悪く後悔をしておりました。まあ何事にも清めということがございますから、噂などは大臣の意志で消滅させようとすればできるかもしれぬとは見ていますが事実であったことをきれいに忘れさせることはむずかしいでしょうね。すべて親から子と次第に人間の価値は落ちていきまして、子は親ほどだれからも尊敬されず、愛されもしないのであろうと中将を哀れに思っております」
などと言ったあとで源氏は本問題の説明をするのであった。
「大臣にお話ししたいと思いますことは、大臣の肉身の人を、少し朦朧としました初めの関係から私の娘かと思いまして手もとへ引き取ったのですが、その時には間違いであることも私に聞かせなかったものですから、したがってくわしく調べもしませんで子供の少ない私ですから、縁があればこそと思いまして世話をいたしかけましたものの、そう近づいて見ることもしませんで月日がたったのですが、どうしてお耳にはいったのですか、宮中から御沙汰がありましてね、こう仰せられるのです。尚侍の職が欠員であることは、そのほうの女官が御用をするのにたよる所がなくて、自然仕事が投げやりになりやすい、それで今お勤めしている故参の典侍二人、そのほかにも尚侍になろうとする人たちの多い中にも資格の十分な人を選び出すのが困難で、たいてい貴族の娘の声望のある者で、家庭のことに携わらないでいい人というのが昔から標準になっているのですから、欠点のない完全な資格はなくても、下の役から勤め上げた年功者の登用される場合はあっても、ただ今の典侍にまだそれだけ力がないとすれば、家柄その他の点で他から選ばなければならないことになるから出仕をさせるようにというお言葉だったのです。私の家の子が相応しないこととも思うわけのものでございませんから、私も宮中の仰せをお受けしようという気になったのでございます。宮仕えというものは適任者であると認められれば役の不足などは考えるべきことではありません。後宮ではなしに宮中の一課をお預かりしていろいろな事務も見なければならないことは女の最高の理想でないように思う人はあっても、私はそうとも思っておりません。仕事は何であってもその人格によってその職がよくも見え、悪くも見えるのであると、私がそんな気になりました時に、娘の年齢のことを聞きましたことから、これは私の子でなくてあの方のだということがわかったのです。なおお目にかかりましてその点なども明瞭にいたしたいと思います。機会がなくてはお目にかかれませんから、おいでを願ってこの話を申し上げようといたしましたところ、あなた様の御病気のことをお言い出しになりましてお断わりのお返事をいただいたのですが、それは実際御遠慮申すべきだと思いますものの、こんなふうにおよろしいところを拝見できたのですから、やはり計画どおりに祝いの式をさせたいと思うのです。内大臣にもやはりその節御足労を願いたいと思うのですが、あなた様からいくぶんそのこともおにおわしになったお手紙をお出しくださいませんか」
と源氏は言うのであった。
「まあそれは思いがけないことでございますね。内大臣の所ではそうした名のりをして来る者は片端から拾うようにしてよく世話をしているようですがね、どうしてあなたの所へ引き取られようとしたのでしょう。前から何かのお話を聞いていて出て来た人なのですか」
「そうなっていく訳がある人なのです。くわしいことは内大臣のほうがよくおわかりになるくらいでしょう。凡俗の中の出来事のようで、明らかにすればますます人が噂に上せたがりそうなことと思われますから、中将にもまだくわしく話してございません。あなた様も秘密にあそばしてください」
と源氏は注意した。
内大臣のほうでも源氏が三条の宮へ御訪問したことを聞いて、
「簡単な生活をしていらっしゃる所では太政大臣の御待遇にお困りになるだろう。前駆の人たちを饗応したり、座敷のお取りもちをする者もはかばかしい者がいないであろう、中将は今日はお客側のお供で来ていられるだろうから」
すぐに子息たちそのほかの殿上役人たちをやるのであった。
「お菓子とか、酒とか、よいようにして差し上げるがいい。私も行くべきだがかえってたいそうになるだろうから」
などと言っている時に大宮のお手紙が届いたのである。
と書かれてあった。何であろう、雲井の雁と中将の結婚を許せということなのであろうか、もう長くおいでになれない御病体の宮がぜひにとそのことをお言いになり、源氏の大臣が謙遜な言葉で一言その問題に触れたことをお訴えになれば自分は拒否のしようがない。中将が冷静で、あせって結婚をしようとしないのを見ていることは自分の苦痛なのであるから、いい機会があれば先方に一歩譲った形式で許すことにしようと大臣は思った。そしてそれは大宮と源氏が合議されてのことであるに違いないと気のついた大臣は、それであればいっそう否みようのないことであると思われるが、必ずしもそうでないと思った。こうした時にちょっと反抗的な気持ちの起こるのが内大臣の性格であった。しかし宮もお手紙をおつかわしになり、源氏の大臣も待っておいでになるらしいから伺わないでは双方へ失礼である。ともかくもその場になって判断をすることにしようと思って、内大臣は身なりを特に整えて前駆などはわざと簡単にして三条の宮へはいった。子息たちをおおぜい引きつれている大臣は、重々しくも頼もしい人に見えた。背の高さに相応して肥った貫禄のある姿で歩いて来る様子は大臣らしい大臣であった。紅紫の指貫に桜の色の下襲の裾を長く引いて、ゆるゆるとした身のとりなしを見せていた。なんというりっぱな姿であろうと見えたが、六条の大臣は桜の色の支那錦の直衣の下に淡色の小袖を幾つも重ねたくつろいだ姿でいて、これはこの上の端麗なものはないと思われるのであった。自然に美しい光というようなものが添っていて、内大臣の引き繕った姿などと比べる性質の美ではなかった。おおぜいの子息たちがそれぞれりっぱになっていた。藤大納言、東宮大夫などという大臣の兄弟たちもいたし、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中少将、弁官などは皆一族で、はなやかな十幾人が内大臣を取り巻いていた。その他の役人もついて来ていて、たびたび杯がまわるうちに皆酔いが出て、内大臣の豊かな幸福をだれもだれも話題にした。源氏と内大臣は珍しい会合に昔のことが思い出されて古いころからの話がかわされた。世間で別々に立っている時には競争心というようなものも双方の心に芽ぐむのであるが、一堂に集まってみれば友情のよみがえるのを覚えるばかりであった。隔てのない会話の進んでいく間に日が暮れていった。杯がなお人々の間に勧められた。
「伺わないでは済まないのでございますが、今日来いというようなお召しがないものですから、失礼しておりまして、お叱りを受けそうでなりません」
と内大臣は言った。
「お叱りは私が受けなければならないと思っていることがたくさんあります」
と意味ありげに源氏の言うのを、先刻から考えていた問題であろうと大臣はとって、ただかしこまっていた。
「昔から公人としても私人としてもあなたとほど親しくした人は私にありません。翅を並べるというようにして将来は国事に携わろうなどと当時は思ったものですがね、のちになるとお互いに昔の友情としては考えられないようなこともしますからね。しかしそれは区々たることですよ。だいたいの精神は少しも昔と変わっていないのですよ。いつの間にかとった年齢を思いましても昔のことが恋しくてなりませんが、お逢いのできることもまれにしかありませんから、勝手な考えですが、私のように親しい者の所へは微行ででもお訪ねくださればいいと恨めしい気になっている時もあります」
と源氏が言った。
「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましては翅を並べるとお言いになりますような価値もない私を、ここまでお引き立てくださいました御好意を忘れるものでございませんが、多い年月の間には我知らずよろしくないことも多くいたしております」
などと大臣は敬意を表しながら言っていた。この話の続きに源氏は玉鬘のことを内大臣に告げたのであった。
「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」
と大臣はひとしきり泣いた。
「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと人数になってみますと、散らかっております子供が気になりまして、正直に拾い集めてみますと、またそれぞれ愛情が起こりまして、皆かわいく思われるのですが、私はいつもそうしていながら、あの子供を最も恋しく思い出されるのでした」
この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の品定めをしたことも二人の間に思い出されて、泣きも笑いもされるのであった。深更になってからいよいよ二人の大臣は別れて帰ることになった。
「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」
と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮は葵夫人のことをまた思い出しておいでになった。昔のはなやかさを幾倍したものともしれぬ源氏の勢いを御覧になって、故人が惜しまれてならないのでおありになった。しおしおとお泣きになった、尼様らしく。
源氏はこうした会見にも中将のことは言い出さなかった。好意の欠けた処置であると感じた事柄であったから、自身が口を出すことは見苦しいと思ったのであった。大臣のほうでは源氏から何とも言わぬ問題について進んで口を切ることもできなかったのである。その問題が未解決で終わったことは愉快でもなかった。
「今晩お邸までお送りに参るはずですが、にわかにそんなことをいたしますのも人騒がせに存ぜられますから、今日のお礼はまた別の日に参上して申し上げます」
と大臣が言うのを聞いて、それでは宮の御病気もおよろしいように拝見するから、きっと申し上げた祝いの日に御足労を煩わしたいということを源氏は頼んで約束ができた。非常に機嫌よく大臣たちは会見を終えて宮邸を出るのであったが、その場にもまたいかめしい光景が現出した。内大臣の供をして来た公達などはたまさかの会合が朗らかに終わったのは何の相談があったのであろう、太政大臣は今日もまた以前のように内大臣へ譲ることが何かあったのではないかなどという臆測をした。玉鬘のことであろうなどとはだれも考えられなかったのである。
内大臣は源氏の話を聞いた瞬間から娘が見たくてならなかった。逢わないでいることは堪えられないようにも思うのであるが、今すぐに親らしくふるまうのはいかがなものである、自家へ引き取るほどの熱情を最初に持った源氏の心理を想像すれば、自分へ渡し放しにはしないであろう、りっぱな夫人たちへの遠慮で、新しく夫人に加えることはしないが、さすがにそのままで情人としておくことは、実子として家に入れた最初の態度を裏切ることになる世間体をはばかって、自分へ親の権利を譲ったのであろうと思うと、少し遺憾な気も内大臣はするのであったが、自分の娘を源氏の妻に進めることは不名誉なことであるはずもない、宮仕えをさせると源氏が言い出すことになれば女御とその母などは不快に思うであろうが、ともかくも源氏の定めることに随うよりほかはないと、こんなことをいろいろと大臣は思った。これは二月の初めのことである。十六日からは彼岸になって、その日は吉日でもあったから、この近くにこれ以上の日がないとも暦の博士からの報告もあって、玉鬘の裳着の日を源氏はそれに決めて、玉鬘へは大臣に知らせた話もして、その式についての心得も教えた。源氏のあたたかい親切は、親であってもこれほどの愛は持ってくれないであろうと玉鬘にはうれしく思われたが、しかも実父に逢う日の来たことを何物にも代えられないように喜んだ。その後に源氏は中将へもほんとうのことを話して聞かせた。不思議なことであると思ったが、中将にはもっともだと合点されることもあった。失恋した雲井の雁よりも美しいように思われた玉鬘の顔を、なお驚きに呆然とした気持ちの中にも考えて、気がつかなかったと思わぬ損失を受けたような心持ちにもなった。しかしこれはふまじめな考えである、恋人の姉妹ではないかと反省した中将はまれな正直な人と言うべきである。
十六日の朝に三条の宮からそっと使いが来て、裳着の姫君への贈り物の櫛の箱などを、にわかなことではあったがきれいにできたのを下された。
と老人の慄えた字でお書きになったのを、ちょうど源氏も玉鬘のほうにいて、いろいろな式のことの指図をしていた時であったから拝見した。
「昔風なお手紙だけれど、お気の毒ですよ。このお字ね。昔は上手な方だったのだけれど、こんなことまでもおいおい悪くなってくるものらしい。おかしいほど慄えている」
と言って、何度も源氏は読み返しながら、
「よくもこんなに玉櫛笥にとらわれた歌が詠めたものだ。三十一文字の中にほかのことは少ししかありませんからね」
そっと源氏は笑っていた。中宮から白い裳、唐衣、小袖、髪上げの具などを美しくそろえて、そのほか、こうした場合の贈り物に必ず添うことになっている香の壺には支那の薫香のすぐれたのを入れてお持たせになった。六条院の諸夫人も皆それぞれの好みで姫君の衣裳に女房用の櫛や扇までも多く添えて贈った。劣り勝りもない品々であった。聡明な人たちが他と競争するつもりで作りととのえた物であるから、皆目と心を楽しませる物ばかりであった。東の院の人たちも裳着の式のあることを聞いていたが、贈り物を差し出てすることを遠慮していた中で、末摘花夫人は、形式的に何でもしないではいられぬ昔風な性質から、これをよそのことにしては置かれないと正式に贈り物をこしらえた。愚かしい親切である。青鈍色の細長、落栗色とか何とかいって昔の女が珍重した色合いの袴一具、紫が白けて見える霰地の小袿、これをよい衣裳箱に入れて、たいそうな包み方もして玉鬘へ贈って来た。手紙には、
とおおように書かれてあった。源氏はそれの来ているのを見て気まずく思って例のよけいなことをする人だと顔が赤くなった。
「これは前代の遺物のような人ですよ。こんなみじめな人は引き込んだままにしているほうがいいのに、おりおりこうして恥をかきに来られるのだ」
と言って、また、
「しかし返事はしておあげなさい。侮辱されたと思うでしょう。親王さんが御秘蔵になすったお嬢さんだと思うと、軽蔑してしまうことのできない、哀れな気のする人ですよ」
とも言うのであった。小袿の袖の所にいつも変わらぬ末摘花の歌が置いてあった。
字は昔もまずい人であったが、小さく縮かんだものになって、紙へ強く押しつけるように書かれてあるのであった。源氏は不快ではあったが、また滑稽にも思われて破顔していた。
「どんな恰好をしてこの歌を詠んだろう、昔の気力だけもなくなっているのだから、大騒ぎだったろう」
とおかしがっていた。
「この返事は忙しくても私がする」
と源氏は言って、
と反感を見せて書いた。また、
と書いて、まじめ顔で、
「あの人が好きな言葉なのですから、こう作ったのです」
こんなことを言って玉鬘に見せた。姫君は派手に笑いながらも、
「お気の毒でございます。嘲弄をなさるようになるではございませんか」
と困ったように言っていた。こんな戯れも源氏はするのである。
内大臣は重々しくふるまうのが好きで、裳着の腰結い役を引き受けたにしても、定刻より早く出掛けるようなことをしないはずの人であるが、玉鬘のことを聞いた時から、一刻も早く逢いたいという父の愛が動いてとまらぬ気持ちから、今日は早く出て来た。行き届いた上にも行き届かせての祝い日の設けが六条院にできていた。よくよくの好意がなければこれほどまでにできるものではないと内大臣はありがたくも思いながらまた風変わりなことに出あっている気もした。夜の十時に式場へ案内されたのである。形式どおりの事のほかに、特にこの座敷における内大臣の席に華美な設けがされてあって、数々の肴の台が出た。燈火を普通の裳着の式場などよりもいささか明るくしてあって、父がめぐり合って見る子の顔のわかる程度にさせてあるのであった。よく見たいと大臣は思いながらも式場でのことで、単に裳の紐を結んでやる以上のこともできないが、万感が胸に迫るふうであった。源氏が、
「今日はまだ歴史を外部に知らせないことでございますから、普通の作法におとめください」
と注意した。
「実際何とも申し上げようがありません」
杯の進められた時に、また内大臣は、
「無限の感謝を受けていただかなければなりません。しかしながらまた今日までお知らせくださいませんでした恨めしさがそれに添うのもやむをえないこととお許しください」
と言った。
こう言う大臣に悲しいふうがあった。玉鬘は父のこの歌に答えることが、式場のことであったし、晴れがましくてできないのを見て、源氏は、
御無理なお恨みです」
代わってこう言った。
「もっともです」
と内大臣は苦笑するほかはなかった。こうして裳着の式は終わったのである。親王がた以下の来賓も多かったから、求婚者たちも多く混じっているわけで、大臣が饗応の席へ急に帰って来ないのはどういうわけかと疑問も起こしていた。内大臣の子息の頭中将と弁の少将だけはもう真相を聞いていた。知らずに恋をしたことを思って、恥じもしたし、また精神的恋愛にとどまったことは幸せであったとも思った。
弁は、
「求婚者になろうとして、もう一歩を踏み出さなかったのだから自分はよかった」
と兄にささやいた。
「太政大臣はこんな趣味がおありになるのだろうか。中宮と同じようにお扱いになる気だろうか」
とまた一人が言ったりしていることも源氏には想像されなくもなかったが、内大臣に、
「当分はこのことを慎重にしていたいと思います。世間の批難などの集まってこないようにしたいと思うのです。普通の人なら何でもないことでしょうが、あなたのほうでも私のほうでもいろいろに言い騒がれることは迷惑することですから、いつとなく事実として人が信じるようになるのがいいでしょう」
と言っていた。
「あなたの御意志に従います。こんなにまで御実子のように愛してくださいましたことも前生に深い因縁のあることだろうと思います」
腰結い役への贈り物、引き出物、纏頭に差等をつけて配られる品々にはきまった式があることではあるが、それ以上に派手な物を源氏は出した。大宮の御病気が一時支障になっていた式でもあったから、はなやかな音楽の遊びを行なうことはなかったのである。
兵部卿の宮は、もう成年式も済んだ以上、何も結婚を延ばす理由はないとお言いになって、熱心に源氏の同意をお求めになるのであったが、
「陛下から宮仕えにお召しになったのを、一度御辞退申し上げたあとで、また仰せがありますから、ともかくも尚侍を勤めさせることにしまして、その上でまた結婚のことを考えたいと思います」
と源氏は挨拶をしていた。父の大臣はほのかに見た玉鬘の顔を、なおもっとはっきり見ることができないであろうか、容貌の悪い娘であれば、あれほど大騒ぎをして源氏は大事がってはくれまいなどと思って、まだ見なかった日よりもいっそう恋しがっていた。今になってはじめて夢占いの言葉が事実に合ったことも思われたのである。最愛の娘である女御にだけ大臣は玉鬘のことをくわしく話したのであった。
世間でしばらくこのことを風評させまいと両家の人々は注意していたのであるが、口さがないのは世間で、いつとなく評判にしてしまったのを、例の蓮葉な大臣の娘が聞いて、女御の居間に頭中将や少将などの来ている時に出て来て言った。
「殿様はまたお嬢様を発見なすったのですってね。しあわせね、両方のお家で、大事がられるなんて。そして何ですってね。その人もいいお母様から生まれたのではないのですってね」
と露骨なことを言うのを、女御は片腹痛く思って何とも言わない。中将が、
「大事がられる訳があるから大事がられるのでしょう。いったいあなたはだれから聞いてそんなことを不謹慎に言うのですか。おしゃべりな女房が聞いてしまうじゃありませんか」
と言った。
「あなたは黙っていらっしゃい。私は皆知っています。その人は尚侍になるのです。私が女御さんの所へ来ているのは、そんなふうに引き立てていただけるかと思ってですよ。普通の女房だってしやしない用事までもして、私は働いています。女御さんは薄情です」
と令嬢は恨むのである。
「尚侍が欠員になれば僕たちがそれになりたいと思っているのに。ひどいね、この人がなりたがるなんて」
と兄たちがからかって言うと、腹をたてて、
「りっぱな兄弟がたの中へ、つまらない妹などははいって来るものじゃない。中将さんは薄情です。よけいなことをして私を家へつれておいでになって、そして軽蔑ばかりなさるのだもの、平凡な人間ではごいっしょに混じっていられないお家だわ。たいへんなたいへんなりっぱな皆さんだから」
次第にあとへ身体を引いて、こちらをにらんでいるのが、子供らしくはあるが、意地悪そうに目じりがつり上がっているのである。中将はこんなことを見ても自身の失敗が恥ずかしくてまじめに黙っていた。弁の少将が、
「そんなふうにあなたは論理を立てることができる人なのですから、女御さんも尊重なさるでしょうよ。心を静めてじっと念じていれば、岩だって沫雪のようにすることもできるのですから、あなたの志望だって実現できることもありますよ」
と微笑しながら言っていた。中将は、
「腹をたててあなたが天の岩戸の中へはいってしまえばそれが最もいいのですよ」
と言って立って行った。令嬢はほろほろと涙をこぼしながら泣いていた。
「あの方たちはあんなに薄情なことをお言いになるのですが、あなただけは私を愛してくださいますから、私はよく御用をしてあげます」
と言って、小まめに下の童女さえしかねるような用にも走り歩いて、一所懸命に勤めては、
「尚侍に私を推薦してください」
と令嬢は女御を責めるのであった。どんな気持ちでそればかりを望むのであろうと女御はあきれて何とも言うことができない。この話を内大臣が聞いて、おもしろそうに笑いながら、女御の所へ来ていた時に、
「どこにいるかね、近江の君、ちょっとこちらへ」
と呼んだ。
「はい」
高く返辞をして近江の君は出て来た。
「あなたはよく精勤するね、役人にいいだろうね。尚侍にあんたがなりたいということをなぜ早く私に言わなかったのかね」
大臣はまじめ顔に言うのである。近江の君は喜んだ。
「そう申し上げたかったのでございますが、女御さんのほうから間接にお聞きくださるでしょうと御信頼しきっていたのですが、おなりになる人が別においでになることを承りまして、私は夢の中だけで金持ちになっていたという気がいたしましてね、胸の上に手を置いて吐息ばかりをつく状態でございました」
とても早口にべらべらと言う。大臣はふき出してしまいそうになるのをみずからおさえて、
「つまり遠慮深い癖が禍いしたのだね。私に言えばほかの希望者よりも先に、陛下へお願いしたのだったがね。太政大臣の令嬢がどんなにりっぱな人であっても、私がぜひとお願いすれば勅許がないわけはなかったろうに、惜しいことをしたね。しかし今からでもいいから自己の推薦状を美辞麗句で書いて出せばいい。巧みな長歌などですれば陛下のお目にきっととまるだろう。人情味のある方だからね」
とからかっていた。親がすべきことではないが。
「和歌はどうやらこうやら作りますが、長い自身の推薦文のようなものは、お父様から書いてお出しくださいましたほうがと思います。二人でお願いする形になって、お父様のお蔭がこうむられます」
両手を擦り合わせながら近江の君は言っていた。几帳の後ろなどで聞いている女房は笑いたい時に笑われぬ苦しみをなめていた。我慢性のない人らは立って行ってしまった。女御も顔を赤くして醜いことだと思っているのであった。内大臣は、
「気分の悪い時には近江の君と逢うのがよい。滑稽を見せて紛らせてくれる」
とこんなことを言って笑いぐさにしているのであるが、世間の人は内大臣が恥ずかしさをごまかす意味でそんな態度もとるのであると言っていた。
藤袴
尚侍になって御所へお勤めするようにと、源氏はもとより実父の内大臣のほうからも勧めてくることで玉鬘は煩悶をしていた。それがいいことなのであろうか、養父のはずである源氏さえも絶対の信頼はできぬ男性の好色癖をややもすれば見せて自分に臨むのであるから、お仕えする君との間に、こちらは受動的にもせよ情人関係ができた時は、中宮も女御も不快に思われるに違いない、そして自分は両家のどちらにも薄弱な根底しかない娘である。中宮や女御における後援は期して得られるものでない上に、自分の幸運げな外見をうらやんで何か悪口をする機会がないかとうかがっている人を多く持っていてはその時の苦しさが想像されると、若いといってももう少女でない玉鬘は思って苦しんでいるのである。そうかといって今のままで境遇を変えずにいることはいやなことではないが、源氏の恋から離れて、世間の臆測したことが真実でなかったと人に知らせる機会というものの得られないのは苦しい。実父も源氏の感情をはばかって、親として乗り出して世話をしてくれるようなことはないと見なければならない。曖昧な立場にいて自身は苦労をし、人からは嫉妬をされなければならない自分であるらしいと玉鬘は歎かれるのであった。実父に引き合わせてからはもう源氏は道徳的にはばからねばならぬことから解放されたように、戯れかかることの多くなったことも玉鬘を憂鬱にした。自分の心持ちをにおわしてだけでも言うことのできる母というものを玉鬘は持っていなかった。東の夫人にせよ、南の夫人にせよ、娘らしく、また母らしくはして交わってくれるが、どうしてそんな貴婦人に内密の相談などが持ちかけられようと思うと、だれよりも哀れなのは自分の身の上であるような気がして、夕方の空の身にしむ色を、縁に近い座敷からながめて物思いをしているのであったが、その様子はきわめて美しかった。淡鈍色の喪服を玉鬘は祖母の宮のために着ていた。そのために顔がいっそうはなやかに引き立って見えるのを、女房たちは楽しんでながめている所へ、源宰相の中将が、これも鈍色の今少し濃い目な直衣を着て、冠を巻纓にしているのが平生よりも艶に思われる姿で訪ねて来た。最初のころから好意を表してくれる人であったから、玉鬘のほうでも親しく取り扱った習慣から、今になっても兄弟ではないというような態度をとることはよろしくないと思って、御簾に几帳を添えただけの隔てで、話は取り次ぎなしでした。今日は源氏の用で来たのである。宮中からあった仰せを源氏は子息によって伝えさせたのである。おおようではあるが要領を得た返辞をする様子に、中将は貴女と話し合う快感が覚えられた。野分の朝にのぞいた顔の美しさの忘られないのを、その人は姉ではないかと恋しくなる心を責めていた中将であったが、そうした障りの除かれた今は恋人としてこの人を中将は考えていた。尚侍の職をお勤めさせになるだけで帝は御満足をあそばすまい、この世で第一の美貌をお持ちになる帝との間に恋愛関係は必ずできてくることであろうと思うと、中将は胸を何かでおさえつけられる気もするのであったが自制していた。
「人に聞かせぬようにと父が申されましたことを申し上げようと思いますが、よろしいのでしょうか」
と意味ありげに言っているのを聞いて、女房たちは少し離れた場所を捜して、几帳の後ろのほうなどへ皆行ってしまった。中将は源氏の言ったのでもない言葉を、真実らしくいろいろと伝えていた。帝が尚侍にお召しになる御真意は別にあるらしいから、きれいに身を護ろうとすれば始終その心得がなくてはならないというような話である。返辞のできることでもなくて、玉鬘がただ吐息をついているのが美しく感ぜられた時に、中将の心にはおさえ切れないものが湧き上がってきた。
「私たちの喪服はこの月で脱ぐはずですが、暦で調べますと月末はいい日でありませんから延びることになりますね。十三日に加茂の河原へ除服の御祓にあなたがおいでになるように父は決めていられるようです。私もごいっしょに参ろうと思っています」
「ごいっしょでは目だつことになるでしょう。だれにもあまり知られないようにして行くほうがいいかと思います」
と玉鬘は言っていた。内大臣の娘として大宮の喪に服したことなどは世間へ知らせぬようにせねばならぬと考えるところにこの人の聡明と源氏への思いやりが現われていた。
「隠したくお思いになることが私には恨めしい気もいたしますよ。悲しい祖母のかたみのような喪服ですから、私は脱いでしまうのも惜しく思われるのです。それにしましてもやはりあなたと私とは一人の方を祖母に持っているのですから不思議な気がいたしますね。喪服をお着になることがありませんでしたら、真実のことを私は知らずじまいになったのかもしれません」
「私などにはましてよくわかりませんが、とにかく喪服を着ております気持ちは身にしむものですね」
こう言う玉鬘の平生よりもしんみりとした調子が中将にうれしかった。この時にと思ったのか、手に持っていた蘭のきれいな花を御簾の下から中へ入れて、
「この花も今の私たちにふさわしい花ですから」
と言って、玉鬘が受け取るまで放さずにいたので、やむをえず手を出して取ろうとする袖を中将は引いた。
道のはてなる(東路の道のはてなる常陸帯のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」
こんなことが言いかけられたのであった。玉鬘にとっては思いがけぬことに当惑を感じながらも、気づかないふうをして、少しずつ身を後ろへ引いて行った。
従姉ということは事実だからいいでしょう。そのほかのことは何も」
と言うと、中将は少し笑って、
「その事実のほかに考えてくださらなければならないこともおわかりになるはずですがね。常識ではもったいないことだと思っているのですが、この感情はおさえられるものでないのですからお察しください。こんなことを告白してはかえってお憎みを受けることになろうと思って今までは黙っていたのですが、ただ哀れだと思っていただくだけのことで満足したい心にもなっているのです。頭中将の近ごろの様子をご存じですか、あのころは明らかに第三者だと思っていた私が、こんなに恋の苦しみを味わうようになるなどということは冷淡にした時の報いです。今ではあの人が冷静になってしかもつながる縁のあることに満足しているのですから、うらやましくてなりません。かわいそうだとだけでも私をお心にとめておいてください」
まだいろいろに言ったのであるが、中将のために筆者は遠慮しておく。玉鬘に気味悪く思うふうの見えるのを知って、
「私を信じてくださらないのですね。ばかな真似などをする人間でないことはおわかりになっているはずですが」
こう中将は言った。この機会にもう少し告げたい感情もあるのであったが、
「少し気分が悪くなってきましたから」
と言って、玉鬘が向こうへはいってしまったのを見て、深く中将は歎息しながら去った。
よけいな告白をしたと中将は後悔をしたのであったが、この人以上に身に沁んで恋しく思われた紫の女王と、せめてこれほどの接触が許されてほのかな声でも聞きうる機会をどんな時にとらえることができるであろうと、その困難さを思って心を苦しめながら中将は南の町へ来た。源氏はすぐ出て来たので、中将は聞いて来た返事をした。
「御所へ上がるのを、やっとしぶしぶ承諾した形なのだから困る。兵部卿の宮などが求婚者で、深刻な情熱の盛られたお手紙が送られていて、そのほうへ心が惹かれるのではなかろうかと思うと気の毒な気にもなる。しかし大原野の行幸の時にお上を拝見して、お美しいと思った様子だったのだからね。若い女は一目でもお顔を拝見すれば宮仕えのできる者は皆出ないではいられまいと思って、最初に私の計らったことなのだが」
などと源氏は言う。
「それにしましてもあの方はどんなふうになられるのがいちばん適したことでしょう。御所には中宮が特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また弘徽殿の女御という寵姫もおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。兵部卿の宮は熱烈に御結婚を望んでおいでになるのですから、表面は後宮の人ではありませんでも、尚侍などにお出しになることによって、これまでの親密な御交情がそこなわれはしないかと私は思いますが」
中将は老成な口調で意見を述べた。
「むずかしいことだね。私だけの意志でどう決めることもできない人のことではないか。それだのに右大将なども私を恨みの標的にしているそうだ。一人の求婚者に同情して与えてしまえばほかの人は皆失恋することになるのだから、うかと縁談が決められないのだよ。あの人を生んだ母親が哀れな遺言をしておいたのでね、郊外であの人が心細く暮らしているということを聞いて、内大臣も子と認めようとするふうは見えないと悲観しているようだったから、最初私の子として引き取ることにしたのだよ。私が大事がるのでやっと大臣も価値を認めてきたのだ」
源氏は真実らしくこう言っていた。
「人物は宮の夫人であることに最も適していると思う。近代的で、艶な容姿を持っていて、しかも聡明で、過失などはしそうでない女性だから、いい宮の夫人だと思う。そしてまた尚侍の適任者でもあるのだよ。美貌で、貴女らしい貴女で、職責も十分に果たしうるような人物というお上の御註文どおりなのはあの人だと思う」
とも言った。中将は源氏自身の胸中の秘事も探りたくなった。
「今日まで実父に隠してお手もとへお置きになったことで、いろいろな忖度を世間はしております。内大臣もそんな意味を含んだことを、右大将からあちらへの申し込みに答えて言ったそうです」
と中将が言うと、源氏は笑いながら、
「それは思いやりのありすぎる迷惑な話だね。宮仕えだって何だって内大臣の意志を尊重して、私はできる世話だけをする気なのだがね。女の三従の道は親に従うのがまず第一なのだからね。その美風を破るようなことはとんでもないことだ」
と言った。
「こちらには以前からりっぱな夫人がたがおいでになって、新しくその数へお入れになることができないため、世間体だけを官職におつけになることにして、やはりいつまでも愛人でお置きになることのできるようなお計らいは、賢明な処置だといって、大臣が喜ばれたということを、確かな人から私は聞きました」
中将が真正面からこう言うのを聞いて、源氏は内大臣としてはそうも想像するであろうと気の毒に思った。
「曲がった解釈をされているものだね。それが賢明な人の観察というものかもしれない。もうすぐに事実が万事を明らかにするだろう。しかし、どうなるにしても余りにひどい想像だ」
と源氏は笑っていた。あざやかな弁解をしたつもりであろうが、まだ疑いは十分に残してよいことであると中将は思っていた。源氏も心の中で、こう人の噂する筋書きどおりのあやまった道は踏むまいとみずから警めた。このきれいな気持ちを大臣にも徹底的に知らせたいと源氏は思ったが、玉鬘を官職につけておいて情人関係を永久に失うまいとすることなどを、どうして大臣に観測されたのであろうと薄気味悪くさえなった。
玉鬘は除服したが、翌月の九月は女の宮中へはいることに忌む月でもあったから、十月になってから出仕することに源氏が決めたのを、お聞きになって帝は待ち遠しく思召した。求婚者は皆尚侍に決定したことを聞いて残念がった。それまでに縁組みを決めて、御所へはいるのを阻止したいと皆あせって、仲介者になっている女房たちを責めるのであるが、尚侍の出仕を阻止するようなことは、吉野の滝をふさぎ止めるよりもなお不可能なことであるとそれらの女たちは言っていた。源中将はしないでよい告白をしたことで感情を害しなかったかと不安で、この苦しみを紛らわすために一所懸命に尚侍の出仕についての用などに奔走して好意を見せることにつとめていた。もうあれ以来軽率に感情を告げたりすることもなく慎んでいるのである。兄弟である内大臣の子息たちはまだ遠慮が多くて出入りをようしないのである。御所で尚侍の後援をするためにはもっと親しくなっておかないでは都合が悪いのにと、その人たちは不安に思っていた。頭の中将は恋の奴になって幾通となく手紙を送ってきたようなこともなくなったのを正直だといって女房たちはおかしがっていたのであるが、父の大臣の使いになって訪ねて来た。まだ公然に親であり娘であるという往来ははばかって、そっと手紙を送って、そっと返事を玉鬘が出すほどにしかしていないのであったから、こうした月明の晩に隠れて頭の中将も訪ねて来たのである。以前はだれからも訪問者として取り扱おうとされなかった中将が、今夜は南の縁側に座を設けて招ぜられた。玉鬘は自身で出て話をすることはまだ恥ずかしくてできずに、返辞だけは宰相の君を取り次ぎにしてした。
「私が使いに選ばれて来ましたのは、お取り次ぎなしにお話を申すようにという父の考えだったかと思いますが、こんなふうな遠々しいお扱いでは、それを申し上げられない気がいたします。私はつまらぬ者ですが、あなたとは離しようもなくつながった縁のありますことで、自信に似たものができております」
と言って、中将はもう一段親しくしたい様子を見せた。
「ごもっともでございます。長い間失礼しておりましたお詫びも直接申し上げたいのでございますが、身体が何ということなしに悪うございまして、起き上がりますのも大儀でできませんものですから、こうさせていただいているのでございます。ただ今のようなお恨みを承りますのは、かえって他人らしいことだと存じます」
まじめな挨拶を玉鬘はした。
「御気分が悪くてお寝みになっていらっしゃる所の几帳の前へ通していただけませんか。しかし、よろしゅうございます、しいていろんなお願いをするのも失礼ですから」
と言って頭の中将は大臣の言葉を静かに伝えるのであった。身の取りなしも様子も源中将に匹敵するもので、感じのいい人である。
「御所へおいでになることでは、くわしいお報らせもまだいただいていませんが、あなたからその際にはこうしてほしい、何が入り用であるとかいうことを言ってくだすったら、そのとおりにしたいと思っています。世間の目にたつことが遠慮されて訪ねて行くこともできず、思うことを直接お話しできないのを遺憾に思っています」
というのが父の大臣から玉鬘へ伝えさせた言葉であった。
「私が過去に申し上げたことについては、それほど訂正しないでもいいと思います。どちらにもせよ愛していただけばいいのです。そう思いますとまた恨めしい気にもなります。今夜の御待遇などからそう思うのです。北側のお部屋へお入れになって、いい女房がたは失礼だとお思いになるでしょうが、下仕え級の方とでも話して行くようなことがしたいのです。兄弟をこんなふうにお扱いになるようなことは、これも不思議なことといわなければなりませんよ」
批難するふうに言っているのもおかしくて、宰相の君に玉鬘は言わせた。
「人聞きが遠慮いたされまして、あまりにわかな変わり方は見せられないように思うものですから、お話し申し上げたい長い年月のことも、聞いていただけませんことで、私もお言葉のように残念でならないのでございます」
ときまじめな挨拶をされ、頭の中将はきまりが悪くなって、この上のことは言わないことにした。
そうでしたよ」
と真底から感じているふうで中将は言った。
と申されます」
と女主人の歌を伝えてからまた宰相は言う、
「どのことをお言いになりますことかそのころはおわかりにならなかったようでございます。ただあまり御おとなしくて御遠慮ばかりあそばすものですから、どなた様へもお返事をお出しになることがなかったのでございます。これからは決してそうでもございませんでしょう」
もっともなことでもあったから、
「ではまあよろしいことにしまして、ここで長居をしていましてもつまりません。誠意を認めていただくことに骨を折りましょう。これからは毎日精勤することにして」
と言って中将は帰って行くのであった。月が明るく中天に上っていて、艶な深夜に上品な風采の若い殿上人の歩いて行くことははなやかな見ものであった。源中将ほどには美しくないが、これはこれでまたよく思われるのは、どうしてこうまでだれもすぐれた人ぞろいなのであろうと、若い女房たちは例のように、より誇張した言葉でほめたてていた。
大将はこの中将のいる右近衛のほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘との縁組みについて熟談していた。内大臣へも希望を取り次いでもらっていたのである。人物もりっぱであったし、将来の大臣として活躍する素地のある人であったから、娘のために悪い配偶者ではないと大臣は認めていたが、源氏が尚侍をばどうしようとするかには抗議の持ち出しようもなく、またそうすることには深い理由もあることであろうと思っていたから、すべて源氏に一任していると返辞をさせていた。この大将は東宮の母君である女御とは兄弟であった。源氏と内大臣に続いての大きい勢力があった。年は三十二である。夫人は紫の女王の姉君であった。式部卿の宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様と呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。
「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」
と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。
九月になった。初霜が庭をほの白くした艶な朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘の居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。兵部卿の宮は、
というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿の宮の左兵衛督は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。
選んだ紙の色、書きよう、焚きしめた薫香の匂いもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。
ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
真木柱
「帝のお耳にはいって、御不快に思召すようなことがあってもおそれおおい。当分世間へ知らせないようにしたい」
と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでも蔭のことにはしておかれないふうであった。時日がたっても新しい夫人には打ち解けたところが見いだせないで、自身の運命はこれほどつまらないものであったかと、気をめいらせてばかりいる玉鬘を、大将は恨めしく思いながらも、この人と夫婦になれた前生の因縁が非常にありがたかった。予想したにも過ぎた佳麗な人を見ては、自分が得なかった場合にはこのすぐれた人は他人の妻になっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の観世音菩薩も、女房の弁も並べて拝みたいほどに大将は感激していたが、玉鬘からは最初の夜の彼を導き入れた女として憎まれていて、弁は新夫人の居間へ出て行くことを得しないで、部屋に引き込んでいた。仏の御心にもその祈願は取り上げずにいられまいと思われた風流男たちの恋には効験がなくて、荒削りな大将に石山観音の霊験が現われた結果になった。源氏も快心のこととはこの問題を見られなかったが、もう成立したことであって、当人はもとより実父も許容した婿を自分だけが認めない態度をとることは、自分の愛している玉鬘のためにもかわいそうであると思って、新婦の家としてする儀式を華麗に行なって、婿かしずきも重々しくした。早くそのうちに自邸へ新夫人を引き取って行きたいと大将は思っているのであるが、源氏は簡単に良人の家へ移るとしても、そこにはうれしく思っては迎えぬはずの第一夫人もいるのが、玉鬘のために気の毒であるということを理由にしてとめていた。
「何もかも穏やかに行くようにして、双方とも譏られたり、恨んだりすることを避けなければならない」
と源氏は言うのである。実父の大臣は、この結婚がかえってあなたのために幸福だと思う。忠実な支持者がなくて派手な宮仕えに出ては苦しいことであろうと自分は心配でならなかった。助けたい志は十分にあるが、もう後宮には女御が出ているのであるから、私としてはどうしてあげようもないのだからと、こんな意味の手紙を玉鬘へ送った。それは真理である。相手が帝でおありになっても、第一の寵はなくて、ただ御愛人であるにとめられて、あやふやな後宮の地位を与えられているようなことは、女として幸福なことではないのである。三日の夜の式に源氏が右大将と応酬した歌のことなどを聞いた時に、内大臣は非常に源氏の好意を喜んだ。皆ともかくも人に知らすまいとした結婚であったが、まもなくおもしろい新事実として世間はこのことを話題にし出した。帝もお聞きになった。
「残念だが、しかしそうした因縁だった人も、一度自分の決めたことだから後宮にはいることとは違った尚侍の職は辞める必要がない」
という仰せを源氏へ下された。
十月になった。神事が多くて内侍所が繁忙をきわめる時節で、内侍以下の女官なども長官の尚侍の意見を自邸へ聞きに来たりすることで、派手に人の出入りの多くなった所に、大将が昼も帰らずに暮らしていたりすることで尚侍は困っていた。失恋の悲しみをした人のたくさんある中にも兵部卿の宮などはことに残念がっておいでになる一人であった。左兵衛督は姉の大将夫人のこともいっしょにして世間体を悪く思ったが、恨みを言っても今さら何にもならぬのを知って沈黙していた。大将は以前からまじめで通った人で、過去においては何らの恋愛問題も起こさずに来たことなどは忘れたように、生まれ変わったような恋の奴の役に満足して、風流男らしく宵暁に新夫人の六条院へ出入りする様子をおもしろく人々は見ていた。玉鬘ははなやかな心も引き込めて思い悩んでいた。自発的にできた結果でないことは第三者にもわかることであるが、源氏がどう思っているであろうということが玉鬘にはやる瀬なく苦しく思われるのであった。兵部卿の宮のお志が最も深く思われたことなどを思い出すと恥ずかしくくやしい気ばかりがされて、大将を愛することがまだできない。源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、
「あなたは疑ってもいたではありませんか」
と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であった玉鬘の所へ、大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がって、几帳に隠れるようにしてすわった。源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかしくて涙がこぼれるのであった。繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は脇息によりかかりながら、几帳の外の源氏のほうをのぞくようにして返辞を言っていた。少し痩せて可憐さの添った顔を見ながら源氏は、それを他人に譲るとは、自身ながらもあまりに善人過ぎたことであると残念に思われた。
意外なことになりましたね」
涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。女は顔を隠しながら言う。
源氏は微笑を見せて、
「悪い場所で消えようというのですね。しかし三途の川はどうしても渡らなければならないそうですから、その時は手の先だけを私に引かせてくださいますか」
と言った。また、
「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼のできる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思うと私はみずから慰めることもできます」
こんなことも言われて、苦しそうに見える玉鬘に同情して、源氏は話を言い紛らせてしまった。
「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」
などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれることは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。
御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは馴れないことで大将には苦しいことであったから、自邸を修繕させ、いっさいを完全に設けて一日も早く玉鬘を迎えようとばかり思っていた。今日までは邸の中も荒れてゆくに任せてあったのである。夫人の悲しむ心も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。好色な風流男というものは、ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置をとるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと憐まれるものがあった。夫人は人に劣った女性でもなかった。身分は尊貴な式部卿の宮の最も大切にされた長女であって、世の中から敬われてもいた。美人でもあったが、ひどい物怪がついて、この何年来は尋常人のようでもないのである。狂っている時が多くて、夫婦の中も遠くなっていたが、なお唯一の妻として尊重していた大将に新しい夫人ができ、それがすぐれた美しい人である点ではなくて、世間も疑っていた源氏との関係もないことであった清い処女であった点に大将の愛は強く惹かれてしまった。それで第一夫人はそれだけの愛を損しているわけである。式部卿の宮はこの事情をお聞きになって、
「今後そうした若い夫人を入れて派手に暮らさせようとしている邸の片すみに小さくなって住んでいるようなことをしては、世間体もよろしくない。私の生きている間はそんな屈辱的な待遇を受けて良人の家にいる必要はない」
と御意見をお言いになった。御自邸の東の対を掃除させて、大将夫人の移って来る場所に決めておいでになるのであった。親の家ではあっても、良人の愛を失った女になって帰って行くことは、夫人の決心のできかねることであった。性質の静かな善良な人で、子供らしいおおようさもある人でいながら、時々人からうとまれるような病的な発作があるのである。住居なども始終だらしなくなっていて、きれいなことは何一つ残っていない家にいる夫人を、玉鬘の六条院にいるのとは比べようもないのであるが、青年時代から持ち続けた大将の愛は根を張っていて、一朝一夕に変わるものでも、変えられるものでもないから、今も心では非常に妻を哀れに思っていた。
「ただ昨日今日にできた夫婦でも、貴族の人たちは気に入らないことも、気に入らないふうを見せずに済ますものなのだ。全然人を捨ててしまうようなことをわれわれの階級の者はしないものなのだ。あなたには病苦というものがつきまとっていて、それを見るだけでも気の毒で、私の恋愛問題などを話しておこうとしても話す時がなかったのだよ。以前からあなたと約束していることでしょう、あなたに病気はあっても私は一生あなたといるつもりだって、私はどんな辛抱も続けてするつもりなのに、あなたはほかのことを考え出したのですね。別れてしまうようなことは考えずに私を愛してください。子供もあるのだから、その点から言っても私は一生あなたを大事にすると言っているのに、女の人には困った嫉妬というものがあって、私を恨んでばかりあなたはいる。現在だけを見ておれば、あるいはそのほうが道理かもしれないが、私を信用してしばらく冷静に見ていてくれたなら、私のあなたを思う志はどんなものかが理解できる日があるだろうと思う。宮様が不快にお思いになって、今すぐにお邸へあなたをつれて帰ろうとお言いになるのは、かえってそのほうが軽率なことでないだろうか。実際別れさせてしまおうと思っておいでになるのだろうか。しばらく懲らしめてやろうとお思いになるのだろうか」
と笑いながら言う大将の様子には、だれからも反感を持たれるのに十分な利己主義者らしいところがあった。
大将の妾のようにもなっていた木工の君や中将の君なども、それ相応に大将を恨めしく思っていたが、夫人は普通な精神状態になっている時で、なつかしいふうを見せて泣いていた。
「私を老いぼけた、病的な女だと侮辱なさいますのはごもっともなことですが、そんなお言葉の中に宮様のことをお混ぜになるのを聞きますと、私のような者と親子でおありになるばかりにと思われて宮様がお気の毒でなりません。私はあなたのお噂を聞くことが近ごろ始まったことでも何でもないのですから、悲しみはいたしません」
と言って横向く顔が可憐であった。小柄な人が持病のために痩せ衰えて、弱々しくなり、きれいに長い髪が分け取られたかと思うほど薄くなって、しかもその髪はよく梳くこともされないで、涙に固まっているのが哀れであった。一つ一つの顔の道具が美しいのではなくて、式部卿の宮によく似て、全体に艶なところのある顔を、構わないままにしてあっては、はなやかな、若々しいというような点はこの人に全然見られない。
「宮様のことを軽々しくなど私が言うものですか。人に聞かれても恐ろしいようなことを言うものでない」
などと大将はなだめて、
「私の通って行く所はいわゆる玉の台なのだからね。そんな場所へ不風流な私が出入りすることは、よけいに人目を引くことだろうと片腹痛くてね、自分の邸へ早くつれて来ようと私は思うのだ。太政大臣が今日の時代にどれだけ勢力のある方だというようなことは今さらなことだが、あのりっぱな人格者の所へ、ここの嫉妬騒ぎが聞こえて行くようではあの方に済まない。穏やかに仲よく暮らすように心がけなければならないよ。宮のお邸へあなたが行ってしまったからといっても、私はやはりあなたを愛するだろう。夫婦の形はどうなっても今さら愛のなくなることはないのだが、世間があなたを軽率なように言うだろうし、私のためにも軽々しいことになる。長い間愛し合ってきた二人なのだから、これからも私のためになることをあなたも考えて、世話をし合おうじゃありませんか」
とも言った。
「あなたの冷酷なことがいいことか悪いことか私はもう考えません。何とも思いません。ただ私が健全な女でないことを悲しんでいます。宮様がお案じになって、娘の私の名誉などをたいそうにお考えになったり、御煩悶をなすったりするのがお気の毒で、私は邸へ帰りたくないと思っています。六条の大臣の奥様は私のために他人ではありません。よそで育ったその人が大人になって、養女のために姉の私の良人を婿に取ったりするということで宮様などは恨んでいらっしゃるのですが、私はそんなことも思いませんよ。あちらでしていらっしゃることをながめているだけ」
「こんなにあなたはよく筋道の立つ話ができるのだがね。病気の起こることがあって、取り返しもつかないようなことがこれからも起こるだろうと気の毒だね。この問題に六条院の女王は関係していられないのだよ。今でもたいせつなお嬢様のように大臣から扱われていらっしゃる方などが、よそから来た娘のことなどに関心を持たれるわけもないのだからね。まあまったく親らしくない継母様だともいえるね。それだのに恨んだりしていることがお耳にはいっては済まないよ」
などと、終日夫人のそばにいて大将は語っていた。
日が暮れると大将の心はもう静めようもなく浮き立って、どうかして自邸から一刻も早く出たいとばかり願うのであったが、大降りに雪が降っていた。こんな天候の時に家を出て行くことは人目に不人情なことに映ることであろうし、妻が見さかいなしの嫉妬でもするのでもあれば自分のほうからも十分に抗争して家を出て行く機会も作れるのであるが、おおように静かにしていられては、ただ気の毒になるばかりであると、大将は煩悶して格子も下ろさせずに、縁側へ近い所で庭をながめているのを、夫人が見て、
「あやにくな雪はだんだん深くなるようですよ。時間だってもうおそいでしょう」
と外出を促して、もう自分といることに全然良人は興味を失っているのであるから、とめてもむだであると考えているらしいのが哀れに見られた。
「こんな夜にどうして」
と大将は言ったのであるが、そのあとではまた反対な意味のことを、
「当分はこちらの心持ちを知らずに、そばにいる女房などからいろんなことを言われたりして疑ったりすることもあるだろうし、また両方で大臣がこちらの態度を監視していられもするのだから、間を置かないで行く必要がある。あなたは落ち着いて、気長に私を見ていてください。邸へつれて来れば、それからはその人だけを偏愛するように見えることもしないで済むでしょう。今日のように病気が起こらないでいる時には、少し外へ向いているような心もなくなって、あなたばかりが好きになる」
こんなに言っていた。
「家においでになっても、お心だけは外へ行っていては私も苦しゅうございます。よそにいらっしってもこちらのことを思いやっていてさえくだされば私の氷った涙も解けるでしょう」
夫人は柔らかに言っていた。火入れを持って来させて夫人は良人の外出の衣服に香を焚きしめさせていた。夫人自身は構わない着ふるした衣服を着て、ほっそりとした弱々しい姿で、気のめいるふうにすわっているのをながめて、大将は心苦しく思った。目の泣きはらされているのだけは醜いのを、愛している良人の心にはそれも悪いとは思えないのである。長い年月の間二人だけが愛し合ってきたのであると思うと、新しい妻に傾倒してしまった自分は軽薄な男であると、大将は反省をしながらも、行って逢おうとする新しい妻を思う興奮はどうすることもできない。心にもない歎息をしながら、着がえをして、なお小さい火入れを袖の中へ入れて香をしめていた。ちょうどよいほどに着なれた衣服に身を装うた大将は、源氏の美貌の前にこそ光はないが、くっきりとした男性的な顔は、平凡な階級の男の顔ではなかった。貴族らしい風采である。侍所に集っている人たちが、
「ちょっと雪もやんだようだ。もうおそかろう」
などと言って、さすがに真正面から促すのでなく、主人の注意を引こうとするようなことを言う声が聞こえた。中将の君や木工などは、
「悲しいことになってしまいましたね」
などと話して、歎きながら皆床にはいっていたが、夫人は静かにしていて、可憐なふうに身体を横たえたかと見るうちに、起き上がって、大きな衣服のあぶり籠の下に置かれてあった火入れを手につかんで、良人の後ろに寄り、それを投げかけた。人が見とがめる間も何もないほどの瞬間のことであった。大将はこうした目にあってただあきれていた。細かな灰が目にも鼻にもはいって何もわからなくなっていた。やがて払い捨てたが、部屋じゅうにもうもうと灰が立っていたから大将は衣服も脱いでしまった。正気でこんなことをする夫人であったら、だれも顧みる者はないであろうが、いつもの物怪が夫人を憎ませようとしていることであるから、夫人は気の毒であると女房らも見ていた。皆が大騒ぎをして大将に着がえをさせたりしたが、灰が髪などにもたくさん降りかかって、どこもかしこも灰になった気がするので、きれいな六条院へこのままで行けるわけのものではなかった。大将は爪弾きがされて、妻に対する憎悪の念ばかりが心につのった。先刻愛を感じていた気持ちなどは跡かたもなくなったが、現在は荒だてるのに都合のよろしくない時である。どんな悪い影響が自分の新しい幸福の上に現われてくるかもしれないと、大将は夫人に腹をたてながらも、もう夜中であったが僧などを招いて加持をさせたりしていた。夫人が上げるあさましい叫び声などを聞いては、大将がうとむのも道理であると思われた。夜通し夫人は僧から打たれたり、引きずられたりしていたあとで、少し眠ったのを見て、大将はその間に玉鬘へ手紙を書いた。
という文学的でない文章であった。
ともあった。白い薄様に重苦しい字で書かれてあった。字は能書であった。大将は学問のある人でもあった。尚侍は大将の来ないことで何の痛痒も感じていないのに、一方は一所懸命な言いわけがしてあるこの手紙も、玉鬘は無関心なふうに見てしまっただけであるから、返事は来なかった。大将は自宅で憂鬱な一日を暮らした。夫人はなお今日も苦しんでいたから、大将は修法などを始めさせた。大将自身の心の中でも、ここしばらくは夫人に発作のないようにと祈っていた。物怪につかれないほんとうの妻は愛すべき性質であるのを自分は知っているから我慢ができるのであるが、そうでもなかったら捨てて惜しくない気もすることであろうと大将は思っていた。大将は日が暮れるとすぐに出かける用意にかかったのである。大将の服装などについても、夫人は行き届いた妻らしい世話の十分できない人なのである。自分の着せられるものは流行おくれの調子のそろわないものだと大将は不足を言っていたが、きれいな直衣などがすぐまにあわないで見苦しかった。昨夜のは焼け通って焦げ臭いにおいがした。小袖類にもその臭気は移っていたから、妻の嫉妬にあったことを標榜しているようで、先方の反感を買うことになるであろうと思って、一度着た衣服を脱いで、風呂を立てさせて入浴したりなどして大将は苦心した。木工の君は主人のために薫物をしながら言う、
あまりに露骨な態度をおとりになりますから、拝見する私たちまでもお気の毒になってなりません」
袖で口をおおうて言っている木工の君の目つきは大将を十分にとがめているのであったが、主人のほうでは、どうして自分はこんな女などと情人関係を作ったのであろうとだけ思っていた。情けない話である。
ああした醜態が噂になれば、あちらの人も私を悪く思うようになって、どちらつかずの不幸な私になるだろうよ」
などと歎息を洩らしながら大将は出て行った。中一夜置いただけで美しさがまた加わったように見える玉鬘であったから、大将の愛はいっそうこの一人に集まる気がして、自邸へ帰ることができずにそのままずっと玉鬘のほうにいた。大騒ぎして修法などをしていても夫人の病気は相変わらず起こって大声を上げて人をののしるようなことのある報知を得ている大将は、妻のためにもよくない、自分のためにも不名誉なことが必ず近くにいれば起こることを予想して、怖ろしがって近づかないのである。邸へ帰る時にもほかの対に離れていて、子供たちを呼び寄せて見るだけを楽しみにしていた。女の子が一人あって、それは十二、三になっていた。そのあとに男の子が二人あった。近年はもう夫婦の間も隔たりがちに暮らしていたが、ただ一人の夫人として尊重することは昔に変わらなかったのが、こんなふうになったのであるから、夫人ももう最後の時が来たのだと思うし、女房たちもそう見て悲しむよりほかはなかった。
父宮がそのことをお聞きになって、
「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ辛抱強くあなたはしているのですか。それは自尊心も名誉心もない女のすることです。私の生きている間はまだあなたはそう奴隷的になっていないでもいいのです」
と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。夫人はやっと常態になっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、まったく良人から捨てられてしまう日を待つことは、現在以上の恥になることであろうなどと思って、実家へ行くことにしたのであった。夫人の弟の公子たちは、左兵衛督は高官であるから人目を引くのを遠慮して、そのほかの中将、侍従、民部大輔などで三つほどの車を用意して夫人を迎えに来たのであった。結局はこうなることを予想していたものの、いよいよ今日限りにこの家を離れなければならぬかと思うと、女房たちは皆悲しくなって泣き合った。
「これまでのようでないかかり人におなりになるのだから、お狭いところにおおぜいがお付きしていることはできません。幾人かの人だけはお供してあとは自分たちの家へ下がることにして、とにかくお落ち着きになるのを待ちましょう」
などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いている光景は悲しいものであった。姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩きまわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。
「お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわなければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないのはかわいそうだね。姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさい。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがってくださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないからね。お祖父様の宮様のいらっしゃる間は、ともかくも役人の端にはしてもらえるにもせよね、お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわれている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては死んでからのちまで罪になります」
と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。
「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなことの影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在でさえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるようなことはないと思います」
と乳母たちは乳母たちでいっしょに集まって、悲しんでいた。日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父に逢わないままで行ってしまうことはできない、今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれないと思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は檜皮色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、笄の端で柱の破れ目へ押し込んで置こうと思った。
この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、
「そんなことを」
と言いながら、
と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。木工の君は初めからこの家の女房であとへ残る人であった。中将の君は夫人といっしょに行くのである。
思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」
と中将の君が言うと、木工は、
何が何だかどうなるのだか」
と言って泣いていた。
車が引き出されて人々は邸の木立ちのなお見える間は、自分らはまたもここを見る日はないであろうと悲しまれて、隠れてしまうまで顧みられた。住んでいる主人のために家と別れるのが惜しいのではなくて、家そのものに愛着のある心がそうさせるのである。
大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。
「太政大臣のことをよい親戚を持ったようにあなたは喜んでいらっしゃいますが、私には前生にどんな仇敵だった人かと思われます。女御などにも何かの場合に好意のない態度を露骨にお見せになりましたが、そのころは須磨時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いになり、世間でもそう批評されたのでも私には腑に落ちなかったのです。それだのにまた今になって、養女を取ったりなどして、自分が御寵愛なすって古くなすった代償にまじめな堅い男を取り寄せて婿にするなどということをなさる。これが恨めしくなくて何ですか」
こう言い続けるのである。
「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大臣を、出まかせな雑言で悪く言うのはおよしなさい。聡明な人はこちらの罪を目前でどうしようとはしないで、自然の罰にあうがいいと考えていられたのだろう。そう思われる私自身が不幸なのだ。冷静にしていられるようで、そしてあの時代の報いとして、ある時はよくしたり、ある時はきびしくしたりしようと考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手な賀宴を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほかのことはあきらめなければならないのだろう」
と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよ猛り立つばかりで、源氏夫婦への詛いの言葉を吐き散らした。この夫人だけは善良なところのない人であった。
大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いてほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるような争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質ではないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのであると思って、子供もあることであったし、夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと煩悶してのちに、こうした奇怪な出来事が家のほうであったと話して、
「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の一隅に暮らして行けるはずの善良さを私は妻に認めていたのですよ。にわかに無理解な宮が迎えをおよこしになったのであろうと想像されます。世間へ聞こえても私を誤解させることだから、とにかく一応の交渉をしてみます」
とも言って出かけるのであった。よいできの袍を着て、柳の色の下襲を用い、青鈍色の支那の錦の指貫を穿いて整えた姿は重々しい大官らしかった。決して不似合いな姫君の良人でないと女房たちは見ているのであったが、尚侍は家庭の悲劇の伝えられたことでも、自分の立場がつらくなって、大将の好意がうるさく思われて、あとを見送ろうともしなかった。
宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。木工の君などが出て来て、夫人の去った日の光景をいろいろと語った。姫君のことを聞いた時に、どこまでも自制していた大将も堪えられないようにほろほろと涙をこぼすのが哀れであった。
「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たかがわかってもらえないのだね。軽薄な男なら今日までだって決して連れ添ってはいなかったろう。でもしかたがない、あの人はどこにいても廃人なのだから同じだ。子供たちをどうしようというのだろう」
大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人は逢おうとしなかった。
「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あの人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな良人の愛があなたへ帰ってくることなどは期待されないことだ。そして健全な女でないという点だけをいよいよ認めさせることになります」
と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。
「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛すべき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう処置もとられたらいいでしょう」
などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出しそうもない。男の子の十歳になっているのは童殿上をしていて、愛らしい子であった。人にもほめられていて、容貌などはよくもないが、貴族の子らしいところがあって、その子はもう父母の争いに関心が持てるほどになっていた。二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君にも似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、
「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」
などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、
「風邪で引きこもっている時ですから」
と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。二人の男の子を車に乗せて話しながら来たのであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、
「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」
と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将は予期しなかった物思いの加わった気がしたものの、美しい玉鬘と、廃人同様であった妻を比べて思うと、やはり何があっても今の幸福は大きいと感ぜられた。それきり夫人のほうへ大将は何とも言ってやらなかった。侮辱的なあの日の待遇がもたらした反動的な現象のように、冷淡にしていると宮邸の人をくやしがらせていた。紫の女王もその情報を耳にした。
「私までも恨まれることになるのがつらい」
と歎いているのを源氏はかわいそうに思った。
「むつかしいものですよ。自分の思いどおりにもできない人なのだから、この問題で陛下も御不快に思召すようだし、兵部卿の宮も恨んでおいでになると聞いたが、あの方は思いやりがあるから、事情をお聞きになって、もう了解されたようだ。恋愛問題というものは秘密にしていても真相が知れやすいものだから、結局は私が罪を負わないでもいいことになると思っている」
とも言っていた。
大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう玉鬘を憂鬱にした。大将はそれを哀れに思って慰めようとする心から、尚侍として宮中へ出ることをこれまでは反対をし続けたのであるが、陛下がこの態度を無礼であると思召すふうもあるし、両大臣もいったん思い立ったことであるから、自分らとしていえば公職を持つ女の良人である人も世間にあることであり、構わないことと考えて宮中へ出仕することに賛成すると言い出したので、春になっていよいよ尚侍の出仕のことが実現された。男踏歌があったので、それを機会として玉鬘は御所へ参ったのである。すべての儀式が派手に行なわれた。二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢いが添ったのであるから、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしていた。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うらやましいほどにぎわしかった。承香殿の東のほう一帯が尚侍の曹司にあてられてあった。西のほう一帯には式部卿の宮の王女御がいるのである。一つの中廊下だけが隔てになっていても、二人の女性の気持ちははるかに遠く離れていたことであろうと思われる。後宮の人たちは競い合って、ますます宮廷を洗練されたものにしていくようなはなやかな時代であった。あまりよい身分でない更衣などは多くも出ていなかった。中宮、弘徽殿の女御、この王女御、左大臣の娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍していた。踏歌は女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちでもおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢を競った。東宮の母君の女御も人に負けぬ派手な方であった。東宮はまだ御幼年であったから、そのほうの中心は母君の女御であった。御前、中宮、朱雀院へまわるのに夜が更けるために、今度は六条院へ寄ることを源氏が辞退してあった。朱雀院から引き返して、東宮の御殿を二か所まわったころに夜が明けた。ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「竹河」を歌っている中に、内大臣の子息たちが四、五人もいた。それはことに声がよく容貌がそろってすぐれていた。童形である八郎君は正妻から生まれた子で、非常に大事がられているのであったが、愛らしかった。大将の長男と並んでいるこの二人を尚侍も他人とは思えないで目がとどめられた。宮中の生活に馴れた女御たちの曹司よりも、新しい尚侍の見物する御殿の様子のほうがはなやかで、同じような物ではあるが、女房の袖口の重ねの色目も、ここのがすぐれたように公達は思った。尚侍自身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活をしばらくは続けてみたいと思っていた。どちらでも纏頭に出すのは定った真綿であるが、それらなどにも尚侍のほうのはおもしろい意匠が加えられてあった。こちらはちょっと寄るだけの所なのであるが、はなやかな空気のうかがわれる曹司であったから、公達は晴れがましく思い、緊張した踏歌をした。饗応の法則は越えないようにして、ことに手厚く演者はねぎらわれたのであった。それは大将の計らいであった。大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、
こんなことばかりを書いて送るのであったが、玉鬘は何とも返事を書かない。女房たちから、
と大将の所へ書いて来た。大将は尚侍を恨めしがって、
「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」
と歎息をしていた。
兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自身の直廬のほうにいたのである。宮の御消息であるといって使いから女房が渡されたものを、尚侍はしぶしぶ読んだ。
とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へ帝がおいでになった。明るい月の光にお美しい竜顔がよく拝された。源氏の顔をただそのまま写したようで、こうしたお顔がもう一つあったのかというような気が玉鬘にされるのであった。源氏の愛は深かったがこの人が受け入れるのに障害になるものがあまりに多かった。帝との間にはそうしたものはないのである。帝はなつかしい御様子で、お志であったことが違ってしまったという恨みをお告げになるのであったが、尚侍は恥ずかしくて顔の置き場もない気がした。顔を隠して、お返辞もできないでいると、
「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのですね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」
と仰せになって、
濃くはなれない運命だろうか」
若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、三位に玉鬘を陞叙されたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。
ただ今から改めて御恩を思います」
と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、
「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きたい。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」
と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに思召すらしいのであったから、尚侍は困ったことであると思った。自分が陛下の愛に感激しているほんとうの気持ちなどはお見せすべきでない。帝といえども男性に共通した弱点は持っておいでになるのであるからと考えて、玉鬘はただきまじめなふうで黙って侍していた。帝はもう少し突込んだ恋の話もしたく思召してここへおいでになったのであるが、それがお言い出せにならないで、そのうち馴れてくるであろうからと見ておいでになった。大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることがいよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実も作って実父の大臣を上手に賛成させ、いろいろと策動した結果、ようやく今夜退出する勅許を得た。
「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてくれない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の機嫌をとるというようなことをしている。昔の何とかいった男(時平に妻を奪われた平貞文の歌、昔せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残なるらん)のように、まったく悲観的な気持ちになりますよ」
と仰せになって、真底からくやしいふうをお見せになった。聞こし召したのに数倍した美貌の持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人を御覧になっては公職の尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでもなかったのであったから、帝は妬ましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人にことごとく与えているものでないのにと玉鬘は思っていた。輦車が寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をしながら、人々へ指図をするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになることができなかった。
「近衛過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
と帝はお憎みになった。
何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。
「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。
と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。
すぐに大将は自邸へ玉鬘を伴おうと思っているのであるが、初めから言っては源氏の同意が得られないのを知って、この時までは言わずに、突然、
「にわかに風邪気味になりまして、自宅で養生をしたく存じますが、別々になりましては妻も気がかりでございましょうから」
と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま尚侍をつれて帰ったのであった。内大臣は婚家へ娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の大将の感情を害することになろうと思って、
「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」
という返事を内大臣はした。源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無理なことのようである。玉鬘も心にない良人を持ったことは苦しいと思いながらも、盗んで行かれたのであればあきらめるほかはないという気になって、大将家へ来たことではじめて心が落ち着いてうれしかった。帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に嫉妬していろいろなことを言うのも、凡人らしく思われて、良人を愛することのできない玉鬘の機嫌はますます悪かった。式部卿の宮もあのように強い態度をおとりになったものの、大将がそれきりにしておくことで煩悶をしておいでになった。大将はもう交渉することを断念したふうである。一方では理想が実現された気になって、明け暮れ玉鬘をかしずくことに心をつかっていた。
二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。これほどはっきりと玉鬘を自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。宿縁は無視できないものであっても、自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのであると、日夜面影にその人を見ていた。風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにして今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。右近の所へそっとその手紙は送られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思うことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。
などと書かれてあった。人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、恋しい、どうかして逢いたいというのを遠慮しないではならない親であったから、実際問題として考えてもいつ逢えることともわからないので悲しかった。時々源氏の不純な愛撫の手が伸ばされようとして困った話などは、だれにも言ってないことであったが、右近は怪しく思っていた。ほんとうのことはまだわからないようにこの人は思っているのである。返事を、
「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」
と言って、玉鬘は書いた。
とうやうやしく書かれてあった。それを前に拡げて、源氏はその雨だれが自分からこぼれ落ちる気もするのであったが、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。昔の尚侍を朱雀院の母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんなのであったと、その当時の苦しさと今を比較して考えてみたが、これは現在のことであるせいか、その時にもまさってやる瀬ないように思われた。好色な男はみずから求めて苦しみをするものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないかと源氏は思って、忘れようとする心から琴を弾いてみたが、なつかしいふうに弾いた玉鬘の爪音がまた思い出されてならなかった。和琴を清掻きに弾いて、「玉藻はな刈りそ」と歌っているこのふうを、恋しい人に見せることができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。
帝もほのかに御覧になった玉鬘の美貌をお忘れにならずに、「赤裳垂れ引きいにし姿を」(立ちて思ひゐてもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き)という古歌は露骨に感情を言っただけのものであるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになったもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。玉鬘は今になって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。
三月になって、六条院の庭の藤や山吹がきれいに夕映えの前に咲いているのを見ても、まずすぐれた玉鬘の容姿が忍ばれた。南の春の庭を捨てておいて、源氏は東の町の西の対に来て、さらに玉鬘に似た山吹をながめようとした。竹のませ垣に、自然に咲きかかるようになった山吹が感じよく思われた。「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」この歌を源氏は口ずさんでいた。
とも言っていた。「夕されば野辺に鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」などとも口にしていたが、ここにはだれも聞く人がいなかった。こんなふうに徹底的に恋人として玉鬘を思うことはこれが初めてであった。風変わりな源氏の君と言わねばならない。雁の卵がほかからたくさん贈られてあったのを源氏は見て、蜜柑や橘の実を贈り物にするようにして卵を籠へ入れて玉鬘へ贈った。手紙もたびたび送っては人目を引くであろうからと思って、内容を唯事風に書いた。
などと親らしく言ってあるのである。
この手紙を大将も見て笑いながら、
「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになっているのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」
こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、
「私は書けない」
と玉鬘が渋っていると、
「今日は私がお返事をしよう」
大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。
大将の書いたものはこうであった。
「この人が戯談風に書いた手紙というものは珍品だ」
と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
もとの大将夫人は月日のたつにしたがって憂鬱になって、放心状態でいることも多かった。生活費などはこまごまと行き届いた仕送りを大将はしていた。子供たちをも以前と同じように大事がって育てていたから、前夫人の心は良人からまったく離れず唯一の頼みにもしていた。大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせてもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終訪ねて来て、尚侍の様子なども話して、
「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」
などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。
その十一月には美しい子供さえも玉鬘は生んだ。大将は何事も順調に行くと喜んで、愛妻から生まれた子供を大事にしていた。産屋の祝いの派手に行なわれた様子などは書かないでも読者は想像するがよい。内大臣も玉鬘の幸福であることに満足していた。大将の大事にする長男、二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。頭中将も兄弟としてこの尚侍をことに愛していたが、幸福であると無条件で喜んでいる大臣とは違って、少し尚侍のその境遇を物足りなく考えていた。尚侍として君側に侍した場合を想像していて、生まれた大将の三男の美しい顔を見ても、
「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門の名誉になることだろう」
となおこの上のことを言って残念がった。尚侍の公務を自宅で不都合なく執ることにして、玉鬘はもう宮中へ出ることはないだろうと見られた。それでもよいことであった。
あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた近江の君は、そうした低能な人の常で、恋愛に強い好奇心を持つようになって、周囲を不安がらせた。女御も一家の恥になるようなことを近江の君が引き起こさないかと、そのことではっとさせられることが多く、神経を悩ませていたが、大臣から、
「もう女御の所へ行かないように」
と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。どんな時であったか、女御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていて選りすぐったような人たちで音楽の遊びをしていたことがあった。源宰相中将も来ていて、平生と違って気軽に女房などとも話しているのを、ほかの女房たちが、
「やはり出抜けていらっしゃる方」
とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして御簾の所へ出ようとしていた。女房らは危険に思って、
「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」
とひそかに肱で言い合ったが、近江の君はこのまれな品行方正な若公達を指さして、
「これでしょう、これでしょう」
と言って源中将のきれいであることをほめて騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであった。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、
『たななし小舟漕ぎかへり』(同じ人にや恋ひやわたらん)いけないわね」
と言った。源中将は異様なことであると思った。女御の所には洗練された女房たちがそろっているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみるとそれは噂に聞いた令嬢であった。
と源中将に言われた。
「そんなことをしては恥知らずです」
とも。
梅が枝
源氏が十一歳の姫君の裳着の式をあげるために設けていたことは並み並みの仕度でなかった。東宮も同じ二月に御元服があることになっていたが、姫君の東宮へはいることもまた続いて行なわれて行くことらしい。一月の末のことで、公私とも閑暇な季節に、源氏は薫香の調合を思い立った。大弐から贈られてあった原料の香木類を出させてみたが、これよりも以前に渡って来た物のほうがあるいはよいかもしれぬという疑問が生じて、二条の院の倉をあけさせて、支那から来た物を皆六条院へ持って来させたのであったが、源氏はそれらと新しい物とを比較してみた。
「織物などもやはり古い物のほうに芸術的なものが多い」
といって、式場用の物の覆、敷き物、褥などの端を付けさせるものなどに、故院の御代の初めに朝鮮人が献げた綾とか、緋金錦とかいう織物で、近代の物よりもすぐれた味わいを持った切れ地のそれぞれの使い場所を決めたりした。今度大弐のほうから来た綾や薄物は他へ分けて贈った。香の原料に昔のと今のとを両方取り混ぜて六条院内の夫人たちと、源氏の尊敬する女友だちに送って、二種類ずつの薫香を作られたいと告げた。裳着の式日の贈り物、高官たちへの纏頭の衣服類の製作を手分けして各夫人の所でしているかたわらで、またそれぞれ撰び出した香の原料の鉄臼でひかれる音も立って忙しい気のされるころであった。源氏は南の町の寝殿へ、夫人の所から離れてこもりながら、どうして習得したのか承和の帝の秘法といわれる二つの合わせ方で熱心に薫香を作っていた。夫人は東の対のうちの離れへ人を避ける設備をして、そこで八条の式部卿の宮の秘伝の法で香を作っていた。こうして夫婦の中にも、秘密をうかがわれまいと苦心する香の優劣を勝負にしようと言っていた。姫君の親である人たちらしくない競争である。どの夫人の所にもこの調合の室に侍している女房は選ばれた少数の者であった。式用の小道具を精巧をきわめて製作させた中でも、特に香合の箱の形、壺、火入れの作り方に源氏は意匠を凝らさせていたが、その壺へ諸所でできた中のすぐれた薫香を、試みた上で入れようと思っているのであった。
二月の十日であった。雨が少し降って、前の庭の紅梅が色も香もすぐれた名木ぶりを発揮している時に、兵部卿の宮が訪問しておいでになった。裳着の式が今日明日のことになっているために、心づかいをしている源氏に見舞いをお述べになった。昔からことに仲のよい御兄弟であったから、いろいろな御相談をしながら花を愛していた時に、前斎院からといって、半分ほど花の散った梅の枝に付けた手紙がこの席へ持って来られた。宮は源氏と前斎院との間に以前あった噂も知っておいでになったので、
「どんなおたよりがあちらから来たのでしょう」
とお言いになって、好奇心を起こしておいでになるふうの見えるのを、源氏はただ、
「失礼なお願いを私がしましたのを、すぐにその香を作ってくだすったのです」
こう言って、お手紙は隠してしまった。沈の木の箱に瑠璃の脚付きの鉢を二つ置いて、薫香はやや大きく粒に丸めて入れてあった。贈り物としての飾りは紺瑠璃のほうには五葉の枝、白い瑠璃のほうには梅の花を添えて、結んである糸も皆優美であった。
「艶にできていますね」
と宮は言って、ながめておいでになったが、
という歌が小さく書かれてあるのにお目がついて、わざとらしくお読み上げになった。宰相の中将が来た使いを捜させ饗応した。紅梅襲の支那の切れ地でできた細長を添えた女の装束が纏頭に授けられた。返事も紅梅の色の紙に書いて、前の庭の紅梅を切って枝に付けた。
「何だか内容の知りたくなるお手紙ですが、なぜそんなに秘密になさるのだろう」
と言って、宮は見たがっておいでになる。
「何があるものですか、そんなふうによけいな想像をなさるから困るのです」
と言って、斎院へ今書いた歌をまた紙にしたためて宮へお見せした。
というのであるらしい。
「少し物好きなようですが、一人娘の成年式だからやむをえないと自分では定めまして、こうした騒ぎをしているのですが、ほめたことではありませんから、ほかの方を頼むことはやめまして、中宮を御所から退出していただいて腰結いをお願いしようと思っています。一家の方になっていらっしゃっても、晴れがましい気のする人格を持っておられますから、並み並みの儀式にしておいてはもったいない気がするのです」
などと源氏は言っていた。
「そうですね。あやかる人は選ばねばなりませんね。それにはこの上もない方ですよ」
と宮は源氏の計らいの当を得ていることをお言いになった。前斎院から香の届けられたことと、宮のおいでになったのを機会にして、夫人らの調製した薫香も取り寄せる使いが出された。
「湿りけのある今日の空気が香の試験に適していると思いますから」
と言いやられたのである。夫人たちからは、いろいろに作られた香が、いろいろに飾られて来た。
「これを審判してください。あなたのほかに頼む人はない」
こう源氏は言って、火入れなどを取り寄せて香をたき試みた。
「知る人(君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る)でもないのですがね」
と宮は謙遜しておいでになったが、においの繊細なよさ悪さを嗅ぎ分けて、微瑕も許さないふうに詮索され、等級をおつけになろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。右近衛府の溝川のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿の下から流れて出る園の川の汀にうずめてあったのを、惟光宰相の子の兵衛尉が掘って持って来たのである。それを宰相中将が受け取って座へ運んで来た。
「苦しい審判者になったものですよ。第一けむい」
と宮は苦しそうに言っておいでになった。同じ法が広く伝えられていても、個人個人の趣味がそれに加わってでき上がった薫香のよさ悪さを比較して嗅ぐことは興味の多いものであった。どれが第一の物とも決められない中にも斎院のお作りになった黒方香は心憎い静かな趣がすぐれていた。侍従香では源氏の製作がすぐれて艶で優美であると宮はお言いになった。紫の女王のは三種あった中で、梅花香ははなやかで若々しく、その上珍しく冴えた気の添っているものであった。
「このごろの微風に焚き混ぜる物としてはこれに越したにおいはないでしょう」
と宮はおほめになる。花散里夫人は皆の競争している中へはいることなどは無理であると、こんなことにまで遺憾なく内気さを見せて、荷葉香を一種だけ作って来た。変わった気分のするなつかしいにおいがそれからは嗅がれた。冬の夫人である明石の君は、四季を代表する香は決まったものになっているのであるから、冬だけを卑下させておくのもよろしくないと思って、薫衣香の製法の中にも、すぐれた物とされている以前の朱雀院の法を原則にして公忠朝臣が精製したといわれる百歩の処方などを参考として作った物は、製作に払われた苦心の効果の十分に表われた、優美な香を豊かに持たせたものであると、どれにも同情のある批評を宮があそばされるのを、
「八方美人の審判者だ」
と言って源氏は笑っていた。月が出てきたので酒が座に運ばれて、宮と源氏は昔の話を始めておいでになった。うるんだ月の光の艶な夜に、雨ののちの風が少し吹いて、花の香があたりを囲んでいた。だれも皆艶な気持ちに酔っていった。侍所のほうでは明日ある音楽の合奏のために、下ならしに楽器を出して、たくさん集まっていた殿上役人などが鳴らしてみたり、おもしろい笛の音をたてたりしていた。内大臣の子の頭中将や弁の少将なども伺候の挨拶だけをしに来て帰ろうとしたのを、源氏はとめて、そして楽器を侍にこちらへ運ばせた。頭中将は和琴の役を命ぜられて、はなやかに掻き立てて合奏はおもしろいものになった。源宰相中将は横笛を受け持った。春の調子が空までも通るほどに吹き立てた。弁の少将が拍子を取って、美しい声で梅が枝を歌い出した。この人は子供の時韻塞に父と来て高砂を歌った公子である。宮も源氏も時々歌を助けて、たいそうな音楽ではないが、おもしろい音楽の夜ではあった。酒杯がさされた時に、宮は、
千年もいたくなってます」
と源氏へお言いになった。
と源氏は歌ってから、杯を頭の中将へさした。中将は杯を受けたあとで宰相の中将へ杯をまわした。
と頭の中将は歌ったのである。
少しひどいでしょうね」
と宰相中将が言うと皆笑った。弁の少将が、
と言った。長居のしたくなる所であるとお言いになったとおりに、宮は明け方になってお帰りになるのであった。源氏は贈り物に、自身のために作られてあった直衣一領と、手の触れない薫香二壺を宮のお車へ載せさせた。
宮がこうお歌いになったと聞いて、
「何と言いわけをしようと御心配なのだね」
と源氏は笑った。お車はもう走り出そうとしていたのであったが、使いを追いつかせて、
この上ないことだと御満足なさるでしょう」
と源氏がお伝えさせると宮は苦笑をあそばされた。頭中将や弁の少将などにも目だつほどの纏頭でなく、細長とか小袿とかを源氏は贈ったのであった。
裳着の式を行なう西の町へ源氏夫婦と姫君は午後八時に行った。中宮のおいでになる御殿の西の離れに式の設けがされてあって、姫君のお髪上げ役の(正装の場合には前髪を少しくくるのである)内侍などもこちらへ来たのである。紫夫人もこのついでに中宮へお目にかかった。中宮付き、夫人付き、姫君付きの盛装した女房のすわっているのが数も知れぬほどに見えた。裳を付ける式は十二時に始まったのである。ほのかな灯の光で御覧になったのであるが、姫君を美しく中宮は思召した。
「お愛しくださいますことを頼みにいたしまして、失礼な姿も御前へ出させましたのです。尊貴なあなた様がかようなお世話をくださいますことなどは例もないことであろうと感激に堪えません」
と源氏は申し上げていた。
「経験の少ない私が何もわからずにいたしておりますことに、そんな御挨拶をしてくださいましてはかえって困ります」
と御謙遜して仰せられる中宮の御様子は若々しくて愛嬌に富んでおいでになるのを見て、この美しい人たちは皆自身の一家族であるという幸福を源氏は感じた。明石が蔭にいてこの晴れの式も見ることのできないことを悲しむふうであったのを哀れに思って、こちらへ呼ぼうかとも源氏は思ったのであるが、やはり外聞をはばかって実行はしなかった。こうした式についての記事は名文で書かれていてもうるさいものであるのを、自分などがだらしなく書いていっては、かえってきれいなりっぱなことをこわしてしまう結果になるのを恐れて、細かにはしるさない。
東宮の御元服は二十幾日にあった。もうりっぱな大人のようでいらせられたから、だれも令嬢たちを後宮へ入れたい志望を持ったが、源氏がある自信を持って、姫君を東宮へ奉ろうとしているのを知っては、強大な競争者のあるこの宮仕えはかえって娘を不幸にすることではなかろうかと、左大臣、左大将などもまた躊躇していることを源氏は聞いて、
「それではお上へ済まないことになる。宮仕えは多数のうちで、ただ少しの御愛寵の差を競うのに意義があるのだ。貴族がたのりっぱな姫君がお出にならないではこちらも張り合いのないことになる」
と言って、姫君の宮仕えの時期を延ばした。たとえ娘を出すにしてもあとのことにしようとしていた人たちはそれを聞いて、最初に左大臣が三女を東宮へ入れた。麗景殿と呼ばれることになった。
源氏のほうは昔の宿直所の桐壺の室内装飾などを直させることなどで時日が延びているのを、東宮は待ち遠しく思召す御様子であったから、四月に参ることに定めた。姫君の手道具類なども、もとからあるのにまた新しく作り添えて、源氏自身が型を考えたり、図案をこしらえたりしては専門家の名人を集めて、美術的な製作を命じていた。草紙の箱というような物に入れる草紙で、いずれは製本もさせて書物になるようなものを源氏は選んでいた。故人で、書道のほうの大家と言われている人たちの書いた物も源氏のところにはたくさんあった。
「すべてのことは昔より悪くなっていく末世ではあっても、仮名の字だけは、どこまでおもしろくなっていくかと思われるほど、近ごろのほうがよくなった。昔の仮名は正確ではあるが、融通がきかないで、変化の妙がなく単調だ。巧妙な仮名を書く人は近代になってふえたが、私も仮名を習うのに熱心だったころ、無難な仮名字を手本にいろいろ集めたものだが、中宮の母君の御息所が何ともなしに書かれた一行か二行の字が手にはいって、最上の仮名字はこれだと心酔してしまったものです。それがもとになって浮き名を立てることになり、私との関係をにがい経験だったように思って、くやしがったままで亡くなられたが、必ずしもそうではなかったのだ。今は中宮をお援けしていることで、聡明な人だったから、あの世ででも私の誠意を認めておいでになることだろう。中宮のお字はきれいなようだけれど才気が少ない」
と源氏は夫人にささやいていた。
「入道の中宮様は最上の貴婦人らしい品のある字をお書きになったが、弱い所があって、はなやかな気分はない。院の尚侍は現代の最もすぐれた書き手だが、奔放すぎて癖が出てくる。しかし、ともかくも院の尚侍と前斎院と、あなたをこの草紙の書き手に擬していますよ」
源氏から認められたことで、夫人は、
「そんな方たちといっしょになすっては恥ずかしくてなりませんよ」
と言っていた。
「謙遜をしすぎますよ。柔らかな調子のとてもいい所がある。漢字は上手に書けますが、仮名には時々力の抜けた字の混じる欠点はありますね」
などとも源氏は言っていて、書かない無地の草紙もまた何帳か新しく綴じさせた。表紙や紐などを細かく精選したことは言うまでもない。
「兵部卿の宮とか左衛門督とかにもお頼みしよう。私も一冊書く。気どっておられても私といっしょに書くことは晴れがましいだろう」
と源氏は自讃していた。墨も筆も選んだのを添えて、いつもそうした交渉のある所々へ執筆を源氏は頼んだのであったが、だれもこの委嘱に応じるのを困難なことに思って、その中には辞退してくる人もあったが、そんな時に源氏は再三懇切な言葉で執筆を望んだ。朝鮮紙の薄様風な非常に艶な感じのする紙の綴じられた帳を源氏は見て、
「風流好きな青年たちにこれを書かせてみよう」
と言った。宰相中将、式部卿の宮の兵衛督、内大臣家の頭中将などに、蘆手とか、歌絵とか、何でも思い思いに書くようにと源氏は言ったのであった。若い人たちは競って製作にかかった。
いつもこんな時にするように、源氏は寝殿のほうへ行っていて書いた。花の盛りが過ぎて淡い緑色がかった空のうららかな日に、源氏は古い詩歌を静かに選びながら、みずから満足のできるだけの字を書こうと、漢字のも仮名のも熱心に書いていた。その部屋には女房も多くは置かずにただ二、三人、墨をすらせたり、古い歌集の歌を命ぜられたとおりに捜し出したりするのに役にたつような者を呼んであった。部屋の御簾は皆上げて、脇息の上に帳を置いて、縁に近い所でゆるやかな姿で、筆の柄を口にくわえて思案する源氏はどこまでも美しかった。白とか赤とかきわだった片は、筆を取り直して特に注意して書いたりする態度なども、心のある者は敬意を払わずにいられないことであった。兵部卿の宮がおいでになったということを聞いて源氏は驚いて上に直衣を着たり、座敷へさらに褥を取り寄せたりしてお迎えした。この宮もきれいなお姿で、階段を艶に上っておいでになるのを、女房たちは御簾からのぞいていた。互いに正しい礼儀で御挨拶がかわされた。
「引きこもっていますのが苦しいほど退屈なおりからでしたよ。よくおいでくださいました」
と源氏は言っていた。お頼まれになった書き物を宮は持っておいでになったのである。すぐこの席で源氏は拝見した。非常に巧妙な字というのではないが、一部分に澄み切った芸術味の見えるものだった。歌も常識的なものは避けて、変わったものが選ばれてあって、ただ三行ほどに字数を少なく感じよく書かれてあった。源氏は予想に越えたおできばえに驚いた。
「これほどにもとは思いませんでした。自分の書くことなどはいやになるほどです」
とも言っていた。
「大家たちの中へ混じって書く自信だけはえらいものだと思っていますよ」
と宮は戯談を言っておいでになる。すでにできた源氏の帳などもお隠しすべきでないから出して宮の御覧に入れた。支那の紙のじみな色をしたのへ、漢字を草書で書かれたのがすぐれて美しいと宮は見ておいでになったが、またそのあとで、朝鮮紙の地のきめの細かい柔らかな感じのする、色などは派手でない艶なのへ、仮名文字が、しかも正しく熱の見える字で書かれてある絶妙な物をお見つけになった。それは見る人の感動した涙も添って流れる気のする墨蹟で、いつまでも目をお放しになることができないのであったが、また日本製の紙屋紙の色紙の、はなやかな色をしたのへ奔放に散らし書きをした物には無限のおもしろさがあるようにもお思われになって、乱れ書きにした端々にまで人を酔わせるような愛嬌がこもっているこの片以外の物はもう見ようともされないのであった。
左衛門督の字は本格的に書いてあるのであるが、俗気が抜け切らずに、技巧が技巧として目についた。歌などもわざとらしいものが選ばれてある。女の手になったほうの帳は少しよりお見せしなかった。ことに斎院のなどはまったく隠してお出ししない源氏であった。青年たちによって蘆手の書かれた幾冊かの帳はとりどりにおもしろかった。源中将のは水を豊かに描いて、そそけた蘆のはえた景色に浪速の浦が思われるのへ、そちらへあちらへ美しい歌の字が配られているような、澄んだ調子のものがあるかと思うと、また全然変わった奇岩の立った風景に相応した雄健な仮名の書かれてある片もあるというような蘆手であった。
「驚いたものですね。これは見るのに時間を要するものですね」
と宮はおもしろがっておいでになった。芸術家風の風流気に富んだ方であったから、お気にいったものはどこまでもおほめになるのである。この日はまた書の話ばかりをしておいでになって、色紙の継いだ巻き物が幾本となく席上へ現われるのであったが、宮は子息の侍従を邸へおやりになって、御蔵品もお取り寄せになった。嵯峨帝が古万葉集から撰んでお置きになった四巻、延喜の帝が古今集を支那の薄藍色の色紙を継いだ、同じ色の濃く模様の出た唐紙の表紙、同じ色の宝石の軸の巻き物へ、巻ごとに書風を変えてお書きになったものなどがそれであった。台を短くした灯を置いて二人で見ておいでになったが、
「よくこんなにいろいろなふうにお書きになれたものですね。近ごろの人はほんのこの一部分の仕事をするのに骨を折っているという形ですね」
などと源氏はおほめしていた。この二種の物は宮から源氏へ御寄贈になった。
「女の子を持っていたとしましても、たいしてこうした物の価値のわからないような子には残してやりたくない気のする物ですからね。それに私には娘もありませんから、お手もとへ置いていただいたほうがよい」
などと宮はお言いになったのである。源氏は侍従へ唐本のりっぱなのを沈の木の箱に入れたものへ高麗笛を添えて贈った。
近ごろの源氏は書道といってもことに仮名の字を鑑賞することに熱中して、よい字を書くと言われる人は上中下の階級にわたってそれぞれの物を選んで書を頼んでいた。源氏の書いた帳のはいる箱には、高い階級に属した人たちの手になった書だけを、帳も巻き物も珍しい装幀を加えて納めることにしていた。他の国の宮廷にもないと思われる華奢を尽くした姫君の他の調度品よりも、この墨蹟の箱を若い人たちはうかがいたく思った。源氏は絵なども整理して姫君に与えるのであったが、須磨で日記のようにして書いた絵巻は姫君へ伝えたいとは思っていたが、もう少し複雑な人生がわかるまではそれをしないほうがよいという見解をもってその中へは加えなかった。
内大臣は宮廷へはいる大がかりな仕度を、自家のことでなく源氏の姫君のこととして噂に聞くのを、非常に物足らず寂しく思っていた。妙齢に達した雲井の雁の姫君は美しくなっていた。結婚もせず結婚談もなくて引きこもっているこの娘が内大臣には苦労の種であった。宰相中将は少しも焦燥するふうを見せずに、冷静な態度を取り続けているのであったから、こちらから、結婚談をしかけることも世間体の悪いことと思われて、熱心に彼が娘を思っていた時に許せばよかったなどと人知れず後悔もしていて、宰相中将の態度ばかりが悪いとも内大臣は思えないのであった。こんなふうに少し気の折れてきたことも宰相中将は聞いているのであったが、まだしばらく恨めしい記憶のなくなるまでは落ち着いていないではならないと思って、内大臣に求めることをしなかった。しかも他の恋の対象を作ろうとするような気もしなかった。自身ながらもこうした窮屈な考え方に反感を持つこともあったが、宰相中将は六位であったことを譏った雲井の雁の乳母たちに対して納言の地位に上ることが先決問題だと信じていた。源氏はどっちつかずに宙に浮いたふうで中将が結婚もしないでいることを見かねて、
「あちらとの話をあきらめているのなら、左大臣とか、中務の宮とかからのお話が来ているのだから、だれと結婚をするか決めてしまうとよい」
とも言うのであったが、宰相中将は黙って恐縮したふうを見せているだけであった。
「こんな問題ではお上の御忠告にも昔の私はお服しすることができなかったのだから、口を出したくはないのだが、今になって考えると、その時の御教訓は永久の真理だったとよくわかる。長く独身でいれば、実現されない幻を描いているかのように人も見るだろうし、それが宿命であるかはしらないが、ついには何の価値もない女といっしょになってしまうような結果を生むことにもなっては、初めよし、後わろしになってしまう。思い上がっていても若い間はほかから誘惑があるからね、多情な行為におちやすいものだが、堕落をしないように心がけねばならない。宮中に育って、自由らしいことは何一つできずに、ただ過失らしいことが一つあるだけでも世間はやかましく批難するだろうと戦々兢々としていた青年の私でも、やはり恋愛をあさる男のように言われて悪く思われたものなのだ。身分が低くて注目するものがないなどと思って放縦なことをしてはいけないよ。驕慢の心の盛んな時に、女の問題で賢い人が失敗するようなことは歴史の上にもあることだからね。思ってならない人を思って、女の名も立て自身も人の恨みを負うようなことをしては一生の心の負担になる。不運な結婚をして、女の欠点ばかりが目について苦しいようなことがあっても、そうした時に忍耐をして万人を愛する人道的な心を習得するようにつとめるとか、もしくは娘の親たちの好意を思うことで足りないことを補うとか、また親のない人と結婚した場合にも、不足な境遇も妻が価値のある女であればそれで補うに足ると認識すべきだよ。そうした同情を持つことは自身のためにも妻のためにも将来大きな幸福を得る過程になるのだ」
こんなことも言って閑暇のある時にはよく宰相中将を教える源氏であった。この教訓の精神から言っても、仮にも初恋の人を忘れて他の女を思うようなことはできないように中将は思っていた。雲井の雁も近ごろになってことさら父が愁色を見せることを知って恥ずかしく思い、自分は不幸な女であると深く思われるのであったが、表面は素知らぬふうを見せて、おおように物思いをしていた。宰相中将は思い余る時々にだけ情熱のこもった手紙を雲井の雁へ書いた。だが誠をか(偽りと思ふものから今さらにたが誠をかわれは頼まん)と心に思っても、世ずれた人のようにむやみに人を疑うことのない純真な雲井の雁は、中将の手紙に沁んで読まれるところが多いように思われた。
「中務の宮がお嬢さんと宰相中将との縁組みを太政大臣へお申し込みになって大臣も賛成されたようです」
とこんな噂を内大臣に伝えた者のあった時に、内大臣の心は愁いにふさがれた。大臣はそうした噂の耳にはいったことを雲井の雁にそっと告げた。
「あの人がほかの結婚をしてもよいという気になるとはひどい。太政大臣も口をお入れになったことがあるのに、それでも私が強硬だったものだから、今になって大臣はそんなふうに勧められるのだろう。しかしその場合に私が先方の言いなりに結婚を許しても体面上恥ずかしいことだったのだから」
などと、目に涙を浮けて父が言うのを、雲井の雁は恥ずかしく思って聞きながらも、一方では何とはなしに涙が流れ出してくるのをきまり悪く思って、顔をそむけているのが可憐であった。どうすればいいだろう。やはりこちらから折れて出るべきであろうかなどと煩悶をしながら大臣の去ったあとまでも雲井の雁は庭をながめて物思いを続けていた。これはなんという愚かな涙であろう、どう父は思ったであろうなどと心を悩ましている所へ、宰相中将の手紙が届いた。恨めしく今まで思っていた人ではあるが、さすがに手紙はすぐあけて読んだ。情のこもった手紙であった。
とも書いてある。父がした話のことなどは少しも書いてないことを雲井の雁は恨めしく思ったが返事を書いた。
この歌の意味が腑に落ちないで宰相中将はいつまでも首を傾けていたということである。
藤のうら葉
六条院の姫君が太子の宮へはいる仕度でだれも繁忙をきわめている時にも、兄の宰相中将は物思いにとらわれていて、ぼんやりとしていることに自身で気がついていた。自身で自身がわからない気もする中将であった。どうしてこんなに執拗にその人を思っているのであろう、これほど苦しむのであれば、二人の恋愛を認めてよいというほどに伯父が弱気になっていることも聞いていたのであるから、もうずっと以前から進んで昔の関係を復活さえさせればよかったのである。しかしできることなら、伯父のほうから正式に婿として迎えようと言って来る日までは昔の雪辱のために待っていたいと煩悶しているのである。雲井の雁のほうでも父の大臣の洩らした恋人の結婚話から苦しい物思いをしていた。もしもそんなことになったならもう永久に自分などは顧みられないであろうと思うと悲しかった。接近をしようとはせずに、しかもこの二人のしているのは熱烈な相思の恋であった。内大臣も甥の価値をしいて認めようとせずに、結婚問題には冷淡な態度をとり続けてきたのであったが、雲井の雁の心は今も依然とその人にばかり傾いているのを知っては、親心として宰相中将の他家の息女と結婚するのを坐視するに忍びなくなった。話が進行してしまって、中務の宮でも結婚の準備ができたあとでこちらの話を言い出しては中将を苦しめることにもなるし、自身の家のためにも不面目なことになって世上の話題にされやすい。秘密にしていても昔あった関係はもう人が皆知っていることであろう、何かの口実を作って、やはり自分のほうから負けて出ねばならないとまで大臣は決心するに至った。表面は何もないふうをしていても、あのことがあってからは心から親しめない間柄になっているのであるから、突然言い出すのも如何なものであると大臣ははばかられた。新しい婿迎えの形式をとるのも他人が見ておかしく思うことであろうから、そんなふうにはせずによい機会に直接話してみたほうがよいかもしれないなどと思っていたが、三月の二十日は大宮の御忌日であって、極楽寺へ一族の参詣することがあった。内大臣は子息たちを皆引き連れて行っていて、すばらしく権勢のある家のことであるから多数の高官たちも法会に参列したが、宰相中将はそうした高官たちに遜色のない堂々とした風采をしていて、容貌なども今が盛りなようにもととのっているのであるから、高雅な最も貴い若い朝臣と見えた。恨めしかったあの時以来、いつも内大臣と逢うのは晴れがましいことに思われて、今日なども親戚じゅうの長者としての敬意だけを十分に見せて、そしてきわめて冷静に落ち着いた態度をとっている宰相中将に、今日の内大臣は特に関心が持たれた。仏前の誦経などは源氏からもさせた。中将は最も愛された祖母の宮の法事であったから、経巻や仏像その他の供養のことにも誠心をこめた奉仕ぶりを見せた。夕方になって参会者の次々に帰るころ、木の花は大部分終わりがたになって散り乱れた庭に霞もよどんで春の末の哀愁の深く身にしむ景色を、大臣は顔を上げて母宮のおいでになった昔の日を思いながら、雅趣のある姿でながめていた。宰相中将も身にしむ夕べの気に仏事中よりもいっそうめいった心持ちになって、
「雨になりそうだ」
などと退散して行く人たちの言い合っている声も聞きながらなお庭のほうばかりがながめられた。好機会であるとも大臣は思ったのか、源中将の袖を引き寄せて、
「どうしてあなたはそんなに私を憎んでいるのですか。今日の御法会の仏様の縁故で私の罪はもう許してくれたまえ。老人になってどんなに肉身が恋しいかしれない私に、あまり厳罰をあなたが加え過ぎるのも恨めしいことです」
などと言うと、中将は畏まって、
「お亡れになりました方の御遺志も、あなたを御信頼申して、庇護されてまいるようにということであったように心得ておりましたが、私をお許しくださいません御様子を拝見するものですから御遠慮しておりました」
と言っていた。天侯が悪くなって雨風の中をこの人たちはそれぞれ急ぎ立てられるように家へ帰った。宰相中将は大臣がどうして平生と違った言葉を自分にかけたのであろうと、無関心でいる時のない恋人の家のことであるから、何でもないことも耳にとまって、いろいろな想像を描いていた。
長い年月の間純情をもって雲井の雁を思っていた宰相中将の心が通じたのか、内大臣は昔のその人とは思われないほど謙遜な娘の親の心になって宰相中将を招くのにわざとらしくない機会を、しかも最もふさわしいような機会のあるのを願っていたが、四月の初めに庭の藤の花が美しく咲いて、すぐれた紫の花房のなびき合うながめを、もてはやしもせずに過ごしてしまうのが残念になって、音楽の遊びを家でした時に、藤の花が夕方になっていっそう鮮明に美しく見えるからといって、長男の頭中将を使いにして源中将を迎えにやった。
「極楽寺の花蔭ではお話もゆっくりとする間のありませんでしたことが遺憾でなりませんでした。それでもしお閑暇があるようでしたらおいでくださいませんか」
というのが大臣の伝えさせた言葉である。手紙には、
とあった。歌われてあるとおりにすぐれた藤の花の枝にそれは付けてあった。使いを受けた中将は心のときめくのを覚えた。そして恐縮の意を返事した。
というのである。
「気おくれがして歌になりませんよ。直してください」
と宰相中将は従兄に言った。
「お供して行きましょう」
「窮屈な随身はいやですよ」
と言って、源中将は従兄を帰した。中将は父の源氏の居間へ行って、頭中将が使いに来たことを言って内大臣の歌を見せた。
「ほかの意味があってお招きになるのかもしれない。そんなふうな態度に出てくればおもしろくなかった旧恨というものも消されるだろう。どうだね」
と源氏は言った。婿の親として源氏はこんなに自尊心が強かった。
「そんな意味でもないでしょう。対の前の藤が例年よりもみごとに咲いていますからこのごろの閑暇なころに音楽の合奏でもしようとされるのでしょう」
と宰相中将は父に言うのであった。
「特使がつかわされたのだから早く行くがよい」
と源氏は許した。中将はああは言っていても、心のうちは期待されることと、一種の不安とが一つになって苦しかった。
「その直衣の色はあまり濃くて安っぽいよ。非参議級とかまだそれにならない若い人などに二藍というものは似合うものだよ。きれいにして行くがよい」
と源氏は自身用に作らせてあったよい直衣に、その下へ着る小袖類もつけて中将の供をして来ていた侍童に持たせてやった。中将は自身の居間のほうで念の入った化粧をしてから黄昏時も過ぎて、待つほうで気のもまれる時刻に内大臣家へ行った。公達が中将をはじめとして七、八人出て来て宰相中将を座に招じた。皆きれいな公子たちであるが、その中にも源中将は最もすぐれた美貌を持っていた。気高い貴人らしいところがことに目にたった。内大臣は若い甥のために座敷の中の差図などをこまごまとしていた。大臣は夫人や若い女房などに、
「のぞいてごらん。ますますきれいになった人だよ。とりなしが静かで、堂々として鮮明な美しさは源氏の大臣以上だろう。お父様のほうはただただ艶で、愛嬌があって、見ている者のほうも自然に笑顔が作られるようで、人生の苦というようなものを忘れ去ることのできる力があった。公務を執ることなどはそうまじめにできなかったものだ。しかもこれが道理だと思われたものだ。この人のほうは学問が十分にできているし、性質がしっかりとしていてりっぱな官吏だと世間から認められているらしいよ」
などと言っていたが、身なりを正しく直して宰相中将に面会した。まじめな話は挨拶に続いて少ししただけであとは藤の宴に移った。
「春の花というものは、どの花だって咲いた最初に目ざましい気のしないものはないが、長くは人を楽しませずにどんどんと散ってしまうのが恨めしい気のするころに、藤の花だけが一歩遅れて、夏にまたがって咲くという点でいいものだと心が惹かれて、私はこの花を愛するのですよ。色だって人の深い愛情を象徴しているようでいいものだから」
と言って微笑している大臣の顔も品がよくてきれいであった。月が出ても藤の色を明らかに見せるほどの明りは持たないのであるが、ともかくも藤を愛する宴として酒杯が取りかわされ、音楽の遊びをした。しばらくして大臣は酔った振りになって宰相中将に酒をしいようとした。源中将は酔いつぶされまいとして、それを辞し続けていた。
「あなたは末世に過ぎた学才のある人物でいながら、年のいった者を憐んでくれないのは恨めしい。書物にもあるでしょう、家の礼というものが。甥は伯父を愛して敬うべきものですよ。孔子の教えには最もよく通じていられるはずなのだが、私を悩まし抜かれたとそう恨みが言いたい」
などと言って、それは酒に酔って感傷的になっているのか源中将を少しばかり困らせた。
「伯父様を決して粗略には思っておりません。御恩のあるお祖父様の代わりと思いますだけでも、私の一身を伯父様の犠牲にしてもいいと信じているのですが、どんなことがお気に入らなかったのでしょう。もともと頭がよくないのでございますから、自身でも気づかずに失礼をしていたのでございましょう」
とうやうやしく源中将は言うのであった。よいころを見て大臣は機嫌よくはしゃぎ出して「藤のうら葉の」(春日さす藤のうら葉のうちとけて君し思はばわれも頼まん)と歌った。命ぜられて頭中将が色の濃い、ことに房の長い藤を折って来て源中将の杯の台に置き添えた。源中将は杯を取ったが、酒の注がれる迷惑を顔に現わしている時、大臣は、
と歌った。杯を持ちながら頭を下げて謝意を表した源中将はよい形であった。
と歌った源中将は杯を頭中将にさした。
頭中将の歌である。二男以下にもその型で杯がまわされ「みさかな」の歌がそれぞれ出たわけであるが、酔っている人たちの作ったものであったから、以上の三首よりよいというものもなかった。七日の夕月夜の中に池がほの白く浮かんで見えた。大臣の言葉のように、春の花が皆散ったあとで若葉もありなしの木の梢の寂しいこのごろに、横が長く出た松の、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。例の美音の弁の少将がなつかしい声で催馬楽の「葦垣」を歌うのであった。
「すばらしいね」
と大臣は戯談を言って、「年経にけるこの家の」と上手に声を添えた。おもしろい夕月夜の藤の宴に宰相中将の憂愁は余す所なく解消された。夜がふけてから源中将は酔いに悩むふうを作って、
「あまり酔って苦しくてなりません。無事に帰りうる自信も持てませんからあなたの寝室を拝借できませんか」
と頭中将に言っていた。大臣は、
「ねえ朝臣、寝床をどこかで借りなさい。老人は酔っぱらってしまって失礼だからもう引き込むよ」
と言い捨てて居間のほうへ行ってしまった。頭中将が、
「花の蔭の旅寝ですね。どうですか、あとで迷惑になる案内役ではないかしら」
「寄りかかって松と同じ精神で咲く藤なのですから、これは軽薄な花なものですか。とにかくそんな縁起でもない言葉は使わないでおきましょう」
と言って、中将の先導をなお求める宰相中将であった。頭中将は負けたような気がしないでもなかったが、源中将はりっぱな公子であったから、ぜひ妹との結婚を成立させたいとはこの人の念願だったことであって、満足を感じながら従弟を妹の所へ導いた。宰相中将はこうした立場を与えられるに至った夢のような運命の変わりようにも自己の優越を感じた。雲井の雁はすっかり恥ずかしがっているのであったが、別れた時に比べてさらに美しい貴女になっていた。
「みじめな失恋者で終わらなければならなかった私が、こうして許しを受けてあなたの良人になり得たのは、あなたに対する熱誠がしからしめたのですよ。だのにあなたは無関心に冷ややかにしておいでになる」
と男は恨んだ。
「少将の歌われた『葦垣』の歌詞を聞きましたか。ひどい人だ。『河口の』(河口の関のあら垣や守れどもいでてわが寝ぬや忍び忍びに)と私は返しに謡いたかった」
女はあらわな言葉に羞恥を感じて、
いけないことでしたわ」
と言う様子が娘らしい。男は少し笑って、
長い年月に堆積した苦悩と、今夜の酒の酔いで私はもう何もわからなくなった」
と酔いに託して帳台の内の人になった。宰相中将は夜の明けるのも気がつかない長寝をしていた。女房たちが気をもんでいるのを見て、大臣は、
「得意になった朝寝だね」
と言っていた。そしてすっかり明るくなってから源中将は帰って行った。この中将の寝起き姿を見た人は美しく思ったことであろう。
第一夜の翌朝の手紙も以前の続きで忍んで送られたのであるが、はばかる必要のない日になって、かえって雲井の雁が返事の書けないふうであるのを、蓮葉な女房たちは肱を突き合って笑っている所へ大臣が出て来て手紙を読んでみた。雲井の雁はますます羞恥に堪えられなくなった。
などと手紙はなれなれしく書いてあった。大臣は笑顔をして、
「字が非常に上手になったね」
などと言っていることも昔とはたいした変わりようである。返事の歌を詠みにくそうにしている娘を見て、
「どうしたというものだ。見苦しい」
と言って、雲井の雁が父をはばかる気持ちも察して大臣は去ってしまった。手紙の使いは派手な纏頭を得た。そして頭中将が饗応の役を勤めたのであった。始終隠して手紙を届けに来た人は、はじめて真人間として扱われる気がした。これは右近の丞で宰相中将の手もとに使っている男であった。
源氏も内大臣邸であった前夜のことを知った。宰相中将が平生よりも輝いた顔をして出て来たのを見て、
「今朝はどうしたか、もう手紙は書いたか。聡明な人も恋愛では締まりのないことをするようにもなるものだが、最初の関係を尊重して、しかもあくせくとあせりもせず自然に解決される時を待っていた点で、平凡人でないことを認めるよ。内大臣があまりに強硬な態度をとり過ぎて、ついにはすっかり負けて出たということで世間は何かと評をするだろう。しかしあまり優越感を持ち過ぎて慢心的に放縦なほうへ転向することのないようにしなくてはならない。今度の態度は寛大であっても、大臣の性格は、生一本でなくて気むずかしい点があるのだからね」
などとまた源氏は教訓した。円満な結果を得て、宰相中将につりあいのよい妻のできたことで源氏は満足しているのである。宰相中将は子のようにも見えなかった。少し年上の兄というほどに源氏は見えるのである。別々に見る時は同じ顔を写し取ったように思われる中将と源氏の並んでいるのを見ると、二人の美貌には異なった特色があった。源氏は薄色の直衣の下に、白い支那風に見える地紋のつやつやと出た小袖を着ていて、今も以前に変わらず艶に美しい。宰相中将は少し父よりは濃い直衣に、下は丁字染めのこげるほどにも薫物の香を染ませた物や、白やを重ねて着ているのが、顔をことさら引き立てているように見えた。今日は御所からもたらされて灌仏が六条院でもあることになっていたが、導師の来るのが遅くなって、日が暮れてから各夫人付きの童女たちが見物のために南の町へ送られてきて、それぞれ変わった布施が夫人たちから出されたりした。御所の灌仏の作法と同じようにすべてのことが行なわれた。殿上役人である公達もおおぜい参会していたが、そうした人たちもかえって六条院でする作法のほうを晴れがましく考えられて、気おくれが出るふうであった。宰相中将は落ち着いてもいられなかった。化粧をよくして身なりを引き繕って新婦の所へ出かけるのであった。情人として扱われてはいないが、少しの関係は持っている若い女房などで恨めしく思っているのもあった。苦難を積んで護って来た年月が背景になっている若夫婦の間には水が洩るほどの間隙もないのである。内大臣も婿にしていよいよ宰相中将の美点が明瞭に見えて非常に大事がった。負けたほうは自分であると意識することで大臣の自尊心は傷つけられたのであるが、中将の娘に対する誠実さは、今までだれとの結婚談にも耳をかさず独身で通して来た点でも認められると思うことで、不満の償われることは十分であった。女御よりもかえって雲井の雁のほうが幸福ではなやかな女性と見えるのを夫人や、そのほうの女房たちは不快がったのであるが、そんなことなどは何でもない。雲井の雁の実母である按察使大納言の夫人も、娘がよい婿を得たことで喜んだ。
源氏の姫君の太子の宮へはいることはこの二十日過ぎと日が決定した。姫君のために紫夫人は上賀茂の社へ参詣するのであったが、いつものように院内の夫人を誘ってみた。花散里、明石などである。その人たちは紫夫人といっしょに出かけることはかえって自身の貧弱さを紫夫人に比べて人に見せるものであると思ってだれも参加しなかったから、たいして目に立つような参詣ぶりではなかったが、車が二十台ほどで、前駆も人数を多くはせずに人を精選してあった。それは祭りの日であったから、参詣したあとで一行は見物桟敷にはいって勅使の行列を見た。六条院の他の夫人たちのほうからも女房だけを車に乗せて祭り見物に出してあった。その車が皆桟敷の前に立て並べられたのである。あれはだれのほう、それは何夫人のほうの車と遠目にも知れるほど華奢が尽くされてあった。源氏は中宮の母君である、六条の御息所の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の葵祭りを思い出して夫人に語っていた。
「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって亡くなってしまったのですよ」
と源氏はその点を曖昧に言って、
「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今派手なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」
などと言ったのち源氏は高官なども桟敷へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日近衛の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭中将であった。内侍使いは藤典侍である。勅使の出発する内大臣家へ人々はまず集まったのであった。宮中からも東宮からも今日の勅使には特別な下され物があった。六条院からも贈り物があって、勅使の頭中将の背景の大きさが思われた。宰相中将はいでたちのせわしい場所へ使いを出して典侍へ手紙を送った。思い合った恋人どうしであったから、正当な夫人のできたことで典侍は悲観しているのである。
というのであった。自分のためには晴れの日であることに男が関心を持っていたことだけがうれしかったか、あわただしい中で、もう車に乗らねばならぬ時であったが、
と返事を書いた。ちょっとした手紙ではあったが、気のきいたものであると宰相中将は思った。この人とだけは隠れた恋人として結婚後も関係が続いていくらしい。
姫君が東宮へ上がった時に母として始終紫の女王がついて行っていねばならないはずであるが、女王はそれに堪えまい、これを機会に明石を姫君につけておくことにしようかと源氏は思った。紫夫人も、それが自然なことで、いずれそうした日のなければならない母と子が今のように引き分けられていることを明石夫人は悲しんでいるであろうし、姫君も幼年時代とは違ってもう今はそのことを飽き足らぬことと悲しんでいるであろう、双方から一人の自分が恨まれることは苦しいと思うようになった。
「この機会に真実のお母様をつけておあげなさいませ。まだ小さいのですから心配でなりませんのに、女房たちといっても若い人が多いのでございますからね。また乳母たちといっても、ああした人たちの周到さには限度があるのですものね、母がいなければと思いますが、私がそうずっとつききっていられないあいだあいだはあの方がいてくだすったら安心ができると思います」
と女王は良人に言った。源氏は自身の心持ちと夫人の言葉とが一致したことを喜んで、明石へその話をした。明石は非常にうれしく思い、長い間の願いの実現される気がして、自身の女房たちの衣裳その他の用意を、紫夫人のするのに劣らず派手に仕度し始めた。姫君の祖母の尼君は姫君の出世をどこまでも観望したいと願っていた。そしてもう一度だけ顔を見たいと思う心から生き続けているのを、明石は哀れに思っていた。その機会だけは得られまいと思うからである。最初は紫夫人が付き添って行った。紫夫人には輦車も許されるであろうが、自身には御所のある場所を歩いて行かねばならない不体裁のあることなども、明石は自身のために歎かずに源氏夫婦が磨きたてて太子に奉る姫君に、自分という生母のあることが玉の瑕と見られるに違いないと心苦しがっていた。姫君が上がる式に人目を驚かすような華奢はしたくないと源氏は質素にしたつもりであったが、やはり並み並みのこととは見えなかった。限りもなく美しく姫君を仕立てて、紫夫人は真心からかわいくながめながらも、これを生母に譲らねばならぬようなことがなくて、真実の子として持ちたかったという気がした。源氏も宰相中将もこの一点だけを飽き足らず思った。
三日たって紫の女王は退出するのであったが、代わるために明石が御所へ来た。そして東宮の御息所の桐壺の曹司で二夫人ははじめて面会したのである。
「こんなに大人らしくおなりになった方で、私たちは長い以前からの知り合いであることが証明されるのですから、もう他人らしい遠慮はしないでおきたいと思います」
となつかしいふうに紫夫人は言って、いろいろな話をした。これが初めで二夫人の友情は堅く結ばれていくであろうと思われた。明石のものを言う様子などに、あれだけにも源氏の愛を惹く力のあるのは道理である、すばらしい人であると夫人にはうなずかれるところがあった。今が盛りの気高い貴女と見える女王の美に明石は驚いていて、たくさんな女性の中で最も源氏から愛されて、第一夫人の栄誉を与えているのは道理のあることであると思ったが、同時に、この人と並ぶ夫人の地位を得ている自分の運命も悪いものでないという自信も持てたのであったが、入り代わって帰る女王はことさらはなばなしい人に付き添われ、輦車も許されて出て行く様子などは陛下の女御の勢いに変わらないのを見ては、さすがに溜息もつかれた。
きれいな姫君を夢の中のような気持ちでながめながらも明石の涙はとまらなかった。しかしこれはうれしい涙であった。今までいろいろな場合に悲観して死にたい気のした命も、もっともっと長く生きねばならぬと思うような、朗らかな気分になることができて、いっさいが住吉の神の恩恵であると感謝されるのであった。理想的な教養が与えられてあって、足りない点などは何もないと見える姫君は、絶大な勢力のある源氏を父としているほかに、すぐれた麗質も備えていることで、若くいらせられる東宮ではあるがこの人を最も御愛寵あそばされた。東宮に侍している他の御息所付きの女房などは、源氏の正夫人でない生母が付き添っていることをこの御息所の瑕のように噂するのであるが、それに影響されるようなことは何もなかった。はなやかな空気が桐壺に作られて、芸術的なにおいをこの曹司で嗅ぎうることを喜んで、殿上役人などもおもしろい遊び場と思い、ここのすぐれた女房を恋の対象にしてよく来るようになった。女房たちのとりなし、人への態度も洗練されたものであった。紫夫人も何かのおりには出て来た。それで明石との間がおいおい打ち解けていった。しかも明石はなれなれしさの過ぎるほどにも出過ぎたことなどはせず、紫夫人はまた相手を軽蔑するようなことは少しもせずに怪しいほど雅致のある友情が聡明な二女性の間にかわされていた。源氏も、もう長くもいられないように思う自身の生きている間に、姫君を東宮へ奉りたいと思っていたことが、予期以上に都合よく実現されたし、それは彼自身に考えのあってのことではあるが、配偶者のない、たよりない男と見えた宰相中将も結婚して幸福になったことに安心して、もう出家をしてもよい時が来たと思われるのであった。紫夫人は気がかりであるが、養女の中宮がおいでになるから、何よりもそれが確かな寄りかかりである、また、姫君のためにも形式上の母は女王のほかにないわけであるから、仕えるのに誠意を持つことであろうからと源氏は思っているのであった。花散里のためには宰相中将がいるからよいとそれも安心していた。
翌年源氏は四十になるのであったから、四十の賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。
その秋三十九歳で源氏は準太上天皇の位をお得になった。官から支給されておいでになる物が多くなり、年官年爵の特権数がおふえになったのである。それでなくても自由でないことは何一つないのでおありになったが、古例どおりに院司などが、それぞれ任命されて、しかもどの場合の院付きの役人よりも有為な、勢いのある人々が選ばれたのであった。こんなことになって心安く御所へ行くことのおできにならないことになったのを六条院は物足らずお思いになった。この御処置をあそばしてもまだ帝は不満足に思召され、世間をはばかるために位をお譲りになることのできぬことを朝夕お歎きになった。
内大臣が太政大臣になって、宰相中将は中納言になった。任官の礼廻りをするために出かける中納言はいっそう光彩の添うた気がして、身のとりなし、容貌の美に欠けた点のないのを、舅の大臣は見て、後宮の競争に負けた形になっているような宮仕えをさせるよりも、こうした婿をとるほうがよいことであるという気になった。雲井の雁の乳母の大輔が、
「姫君は六位の男と結婚をなさる御運だった」
とつぶやいた夜のことが中納言にはよく思い出されるのであったから、美しい白菊が紫を帯びて来た枝を大輔に渡して、
みじめな立場にいて聞いたあなたの言葉は忘れないよ」
と朗らかに微笑して言った。乳母は恥ずかしくも思ったが、気の毒なことだったとも思いおかわいらしい恨みであるとも思った。
どんなに憎らしく思召したでしょう」
と物馴れたふうに言って心苦しがった。納言になったために来客も多くなり、この住居が不便になって、源中納言はお亡くなりになった祖母の宮の三条殿へ引き移った。少し荒れていたのをよく修理して、宮の住んでおいでになった御殿の装飾を新しくして夫婦のいる所にした。二人にとっては昔を取り返しえた気のする家である。庭の木の小さかったのが大きくなって広い蔭を作るようになっていたり、ひとむら薄が思うぞんぶんに拡がってしまったりしたのを整理させ、流れの水草を掻き取らせもして快いながめもできるようになった。
美しい夕方の庭の景色を二人でながめながら、冷たい手に引き分けられてしまった少年の日の恋の思い出を語っていたが、恋しく思われることもまた多かった。当時の女房たちは自分をどう思って見たであろうと雲井の雁は恥ずかしく思っていた。祖母の宮に付いていた女房で、今までまだそれぞれの部屋に住んでいた女房などが出て来て、新夫婦がここへ住むことになったのを喜んでいた。
源中納言、
夫人、
などと言い合っている時に、太政大臣は宮中から出た帰途にこの家の前を通って、紅葉の色に促されて立ち寄った。宮がお住まいになった当時にも変わらず、幾つの棟に分かれた建物を上手にはなやかに住みなしているのを見て大臣の心はしんみりと濡れていった。中納言は美しい顔を少し赤らめて舅の前にいた。美しい若夫婦ではあるが、女のほうはこれほどの容貌がほかにないわけはないと見える程度の美人であった。男はあくまでもきれいであった。老いた女房などは大臣の来訪に得意な気持ちになって、古い古い時代の話などをし出すのであった。そこに出たままになっていた二人の歌の書いた紙を取って、大臣は読んだが、しおれたふうになった。
「ここの水に聞きたいことが私にもあるが、今日は縁起を祝ってそれを言わないことにしよう」
と言って、大臣は、
この歌を告げた。中納言の乳母の宰相の君は、あの当時の大臣の処置に憤慨して、今も恨めしがっているのであったから、得意な気持ちで大臣に言った。
この感想がどの女房の歌にも出てくるのを中納言は快く思った。雲井の雁はむやみに顔が赤くなって恥ずかしくてならなかった。
十月の二十日過ぎに六条院へ行幸があった。興の多い日になることを予期されて、主人の院は朱雀院をも御招待あそばされたのであったから、珍しい盛儀であると世人も思ってこの日を待っていた。六条院では遺漏のない準備ができていた。午前十時に行幸があって、初めに馬場殿へ入御になった。左馬寮、右馬寮の馬が前庭に並べられ、左近衛、右近衛の武官がそれに添って列立した形は五月の節会の作法によく似ていた。午後二時に南の寝殿へお移りになったのであるが、その通御の道になる反橋や渡殿には錦を敷いて、あらわに思われる所は幕を引いて隠してあった。東の池に船などを浮けて、御所の鵜飼い役人、院の鵜飼いの者に鵜を下ろさせてお置きになった。小さい鮒などを鵜は取った。叡覧に供えるというほどのことではなく、お通りすがりの興におさせになったのである。山の紅葉はどこのも美しいのであるが、西の町の庭はことさらにすぐれた色を見せているのを、南の町との間の廊の壁をくずさせ、中門をあけて、お目をさえぎる物を省いて御覧にお供えになったのであった。二つの御座が上に設けられてあって、主人の院の御座が下がって作られてあったのを、宣旨があってお直させになった。これこそ限りもない光栄であるとお見えになるのであるが、帝の御心にはなお一段六条院を尊んでお扱いになれないことを残念に思召した。
池の魚を載せた台を左近少将が持ち、蔵人所の鷹飼いが北野で狩猟してきた一つがいの鳥を右近少将がささげて、寝殿の東のほうから南の庭へ出て、階段の左右に膝をついて献上の趣を奏上した。太政大臣が命じてそれを大御肴に調べさせた。親王がた、高官たちの饗膳にも、常の様式を変えた珍しい料理が供えられたのである。人々は陶然と酔って夕べに近いころ、伶人が召し出された。大楽というほどの大がかりなものでなく、感じのよいほどの奏楽の前で御所の侍童たちが舞った。朱雀院の紅葉の賀の日がだれにも思い出された。「賀王恩」という曲が奏されて、太政大臣の子息の十歳ぐらいの子が非常におもしろく舞った。帝は御衣を脱いで賜い、父の太政大臣が階前でお礼の舞踏をした。主人の院はお折らせになった菊を大臣へお授けになるのであったが、青海波の時を思い出しておいでになった。
当時ごいっしょに舞った大臣は、自身も人にすぐれた幸福は得ていながらも、帝の御子であらせられた院の到達された所と自身とは非常な相違のあることに気がついた。時雨は彼の出て来るおりをうかがっていたようにはらはらと降りそそいだ。
最もふさわしい時に咲いた花でございます」
と大臣は院へ申し上げた。夕風が蒔き敷く紅葉のいろいろと、遠い渡殿に敷かれた錦の濃淡と、どれがどれとも見分けられない庭のほうに、美しい貴族の家の子などが、白橡、臙脂、赤紫などの上着を着て、ほんの額だけにみずらを結い、短い曲をほのかに舞って紅葉の木蔭へはいって行く、こんなことが夜の闇に消されてしまうかと惜しまれた。奏楽所などは大形に作ってはなくて、すぐに御前での管絃の合奏が始まった。御書所の役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろく更けたころに楽器類が御前にそろった。「宇陀の法師」の昔のままの音を朱雀院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じになった。
現今の御境遇を寂しがっておいでになるような御製である。
帝が、
と朱雀院へ御説明的に申された。帝の御容貌はますますお美しくおなりになるばかりであった。今ではまったく六条院と同じお顔にお見えになるのであるが、侍している源中納言の顔までが同じ物に見えるのは、この人として過分なしあわせであった。気高い美が思いなしによるのかいささか劣って見えた。鮮明にきわだってきれいな所などはこの人がよけいに持っているように見えた。この人は笛の役をしたのである。合奏は非常におもしろく進んでいった。歌の役を勤める殿上人は階段の所に集まっていたが、その中で弁の少将の声が最もすぐれていた。
前生の善果を持って生まれてきたような人たちというべきであろう。
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